エアロスミス

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エアロスミス
2003年9月5日のワシントンD.C.公演より
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
ブルース・ロック
ブルース
活動期間 1970年 -
レーベル コロムビア・レコード
ゲフィン・レコード
ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ
ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)
公式サイト AEROSMITH.COM (英語)
メンバー
スティーヴン・タイラーボーカルピアノ
ジョー・ペリーリードギター・ボーカル)
トム・ハミルトンベースキーボード
ブラッド・ウィットフォードリズムギター
ジョーイ・クレイマードラムス
旧メンバー
レイモンド・タバーノ(ギター)
ジミー・クレスポ(ギター)
リック・ダフェイ(ギター)

エアロスミス (Aerosmith) は、マサチューセッツ州ボストン市を拠点に活動するハードロックバンド

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第59位。

メンバー[編集]

現メンバー[編集]

本名:スティーヴン・ヴィクター・タラリコ(Steven Victor Tallarico) - ボーカルブルースハープピアノ
本名:アンソニー・ジョセフ・ペリー(Anthony Joseph Perry) - リードギター、ボーカル、ベース
本名:ブラット・アーネスト・ウィットフォード(Brad Arnest Whitford) - リズムギター
本名:トーマス・ウィリアム・ハミルトン(Thomas William Hamilton) - エレクトリックベースキーボード・ギター
本名:ジョセフ・マイケル・クレイマー(Joseph Michael Kramer) - ドラムス

過去のメンバー[編集]

  • レイモンド・タバーノ(Raymond Tabano) - ギター
デビュー前にウィットフォードと交代、バンドロゴ考案者
  • ジミー・クレスポ(Jimmy Crespo) - ギター
「ナイト・イン・ザ・ラッツ」、「美獣乱舞」参加
  • リック・ダフェイ(Rick Dufay) - ギター
「美獣乱舞」参加、「ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!」でゲスト参加

サポート・メンバー[編集]

  • デイヴィッド・ハル(David Hull ) - ベース
トム・ハミルトンが癌の治療中に全米ツアーに参加していた。

メンバーの変遷[編集]

1970 - 1971
(デビュー前)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジョー・ペリー
  • レイモンド・タバーノ
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1971 - 1979
(デビュー当時)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジョー・ペリー
  • ブラッド・ウィットフォード
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1979 - 1980
(ジョー一時脱退後)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジミー・クレスポ
  • ブラッド・ウィットフォード
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1980 - 1984
(ブラッド一時脱退後)
  • スティーヴン・タイラー
  • ジミー・クレスポ
  • リック・ダフェイ
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー
1984 -
  • スティーヴン・タイラー
  • ジョー・ペリー
  • ブラッド・ウィットフォード
  • トム・ハミルトン
  • ジョーイ・クレイマー

概要[編集]

ヤードバーズローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンなどのブリティッシュ・ロックの影響を受けながらも、ジェームズ・ブラウンに代表されるファンキーなスタイルも併せ持っており、またバラードも得意とする。

1970年代に第1次黄金時代を築くが、その代償とも言えるドラッグや人間関係の問題で、1980年代前半は低迷。全員が麻薬中毒に陥り、更生施設に入院。これは、落ちても這い上がろうとした彼らの執念の表れとして、今も語り継がれている。1985年には、ロック史にも珍しい復活を果たし、商業的には1970年代を上回る第2次黄金期を築いた。

1998年の映画アルマゲドン」のメインテーマを手掛けた。同映画のヒロイン女優、リヴ・タイラーボーカルのスティーヴンとベベ・ビュエルの間に産まれた実の娘。

日本では、1970年代後半はキッスクイーンチープ・トリックの陰で多少地味な存在であったが、1985年の復活以降は人気バンドとしての地位を確立した。来日回数も多く、1998年には海外アーティスト初の4大ドーム・ツアーを敢行した。

バンド結成当初、ドラマーだったスティーブン・タイラーがボーカルとドラムスを兼任するはずだったが、目立たないので兼任をやめ、彼の悪友ジョーイがドラマーとして加入した経緯がある。なお、バンド名はジョーイによる造語。

2001年ロックの殿堂入りを果たし、プレゼンターをキッド・ロックが務めた。他にも、今まで『ピープル・チョイス・アウォーズ』2回、『ビルボード・ミュージック・アウォーズ』6回、『アメリカンミュージック・アウォーズ』8回、『ボストン・ミュージック・アウォーズ』23回、『MTVビデオ・アウォーズ』12回、『グラミー賞』4回など、数々の賞を受賞している。『ローリングストーン誌』、『ヒットパレード誌』でも最優秀ロックバンドに選ばれている。

MTVアイコン』に選ばれた、初のロックバンドでもある。

現在のアルバムのトータルセールスは、全世界で1億5000万枚以上と言われている。

略歴[編集]

1970年代アメリカニューハンプシャー州サナピー湖のザ・バーンというクラブで演奏していた、ジョー・ペリーとトム・ハミルトンのバンド、ザ・ジャムバンドを観たスティーヴン・タイラーは、彼らと新たにバンド組む事を決意した。スティーブンによると、彼らの演奏は下手だったが、エネルギッシュなプレイが最高だった、という。

当時、既にバンド『Chain Reaction(チェーン・リアクション)』でプロとしてデビューしていたスティーブンは、同年、このまだ見ぬ架空のバンドのドラムスに友人のジョーイ・クレイマーを、そしてもう1人のギタリストに同じく友人だったレイモンド・タバーノを迎えたが、翌年にはレイモンドが脱退し、代わりにバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験を持っていたブラッド・ウィットフォードを迎えることになる。そしてこの5人が、エアロスミスのオリジナルメンバーである。こうして、兄弟となった5人はボストンの小さなアパートの個室で共同生活をすることになった。エアロスミスというバンド名は、ジョーイが学生時代ノートの隅に書いてあったバンド名の1つであり、空気を意味するAeroと職人を意味するSmithを合わせた造語である。

デビューから30年以上経った今なお、アメリカン・ハード・ロックの頂点に君臨するエアロスミスだが、彼らはデビューしていきなり大ヒットしたというタイプのバンドではない。むしろ、デビュー当時は評判はあまり良くなかった。マスコミからはザ・ローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンのチープなコピーだと非難されていた。事実初期の2枚のアルバムは演奏も録音もアマチュアっぽく、とてもトップクラスのバンドとは比較できないものであった。1stアルバム『野獣生誕 (Aerosmith)』(1973年)は発売当時、ビルボードチャートにチャートインしたものの、数ヶ月掛けてようやく最高166位だった。2ndアルバム『飛べ!エアロスミス』 1974年を発表。根気強くライブをこなし、徐々にブレイクしていく。

ミュージシャンとして徐々に自分達のスタイルを築いてった彼らはついに、3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック (Toys in the Attic)』(1975年)と4th『ロックス (Rocks)』(1976年)で人気が爆発。スタジアム級のバンドとなり、エアロスミスとしての様式を完全に確立している。これが彼らにとって、初めての黄金期となった。その後のアルバム『ドロー・ザ・ライン (Draw the Line)』(1977年)、そして『ライヴ・ブートレッグ』(1978年)と、快進撃は続いた。

しかし、中心メンバーであったジョー・ペリーが中途半端に参加(この後脱退)したアルバム『ナイト・イン・ザ・ラッツ』(1979年)は、失望させる出来であった。人気も急落し、低迷期を迎えることになる。そして、2人のギタリストが完全に脱退して、後任のギタリストを迎えて作った『美獣乱舞 (Rock in a Hard Place)』(1982年)は、商業的にも失敗に終わった。スティーブンの事故による休養もあって、バンドの人気はどん底に落ちる。

いつ解散しても不思議ではなかった彼らだが、1984年にオリジナル・メンバーで再結成。当初は先行きが危ぶまれたが、新たにゲフィン・レコードと契約した彼らはヒップホップ・グループ、Run-D.M.C.による『ウォーク・ディス・ウェイ (Walk This Way)』のカヴァーの全米4位という大ヒットも手伝って、徐々に数年間のブランクを取り戻していった。この時期に出した3枚のアルバムは、ヒット・メイカーとして知られるブルース・フェアバーンがプロデュースをした。『パーマネント・ヴァケイション (Permanent Vacation)』(1987年)、『パンプ (PUMP)』(1989年)といずれもセールス面において成功をおさめ、シングルヒットを連発した。続く作品『ゲット・ア・グリップ (Get a Grip)』(1993年)は、完成しかけたマスター・テープを一度全て廃棄して作り直すほど徹底してクオリティーにこだわった作品で、初の全米チャート1位、全米で700万枚、全世界では1200万枚を売り上げる大成功を収めた。

ブルース・フェアバーン3部作で商業的に大成功した彼らは、古巣コロムビア・レコード(ソニー)復帰し、復帰第1作となる『ナイン・ライヴズ (Nine Lives)』(1997年)では全米1位を獲得し、映画アルマゲドン』のメインテーマとなった『ミス・ア・シング(I Don't Want To Miss A Thing)』は全米シングルチャートで1位を獲得している。2001年3月には通算13枚目で全米2位のアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ (Just Push Play)』をリリース、2004年にはブルース・カバーアルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ (Honkin' on Bobo)』をリリースした。これに合わせたツアーを境にバンドは無期限休業宣言をするものの、2005年にはライブ・アルバム『ロッキン・ザ・ジョイント (Rockin' The Joint)』、そして2011年には、ニューアルバムの製作に取り掛かり、2012年11月には2001年の『ジャスト・プッシュ・プレイ』以来11年振りのオリジナル・スタジオ・アルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション! (Music from Another Dimension!)』をリリースした。

作品解説[編集]

楽曲[編集]

『ドリーム・オン(Dream On)』
1973年のデビュー・アルバム『野獣生誕』からのリカット・シングル。『野獣生誕』は売れなかったものの、「Dream on」のみボストン周辺では高い支持を得ていた。その後再発売され、1976年に全米チャート6位まで上昇した。後に、この曲のライヴ・ヴァージョンが映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサウンドトラック盤に提供された。Xboxで発売されているテクモ3D格闘ゲームデッドオアアライブアルティメット』の挿入歌としても使用されている。元レインボーブラック・サバスのヴォーカリストだったロニー・ジェイムズ・ディオは、イングヴェイ・マルムスティーンと共に、この曲をエアロスミスのトリビュート・アルバムでカヴァーした。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』に於いて、173位にランクイン[1]
『トレイン・ケプト・ア・ローリン(Train Kept a Rollin')』 
飛べ!エアロスミス』収録。彼らが若い頃から憧れ尊敬しているヤードバーズのカヴァー曲(その原曲は、タイニー・ブラットショージャンプ・ブルースナンバー)でありながら、エアロスミスの代表曲でもある。アルバム・ヴァージョンでは、前半を16ビートにアレンジし、独自の味を出しているが、ライヴではヤードバーズに近い2ビートのアレンジで演奏される。
2002年6月27日東京スタジアムで開催された「FIFA ワールドカップ オフィシャル・コンサート INTERNATIONAL DAY」に出演した際、B'zとこの曲でセッションし、コンサートを締め括った。
2009年、ロックの殿堂入り授賞式に於いて恒例のオールスター・フィナーレで、出席していたジョーと、元ヤード・バーズのジェフ・ベックジミー・ペイジロン・ウッドメタリカフリーでこの曲をセッションした。
『ウォーク・ディス・ウェイ (Walk This Way)』
1975年発表のアルバム『トイズ・イン・ザ・アティック (Toys in the Attic)』に収録。1977年にはシングル・カットされ、全米最高位10位を記録した、第1次黄金期の代表曲である。
ラップ・ロックの先駆的な楽曲[2]で、1986年Run-D.M.C.によってカヴァーされ(全米最高位4位)、ゲストとしてスティーヴンとジョーが参加している。これにより、バンドの起死回生を決定的なものとし、第2次黄金期の狼煙を上げた。
なお、スティーヴンが用いている手法は「語り」と呼ばれるもので、1993年発表の『ゲット・ア・グリップ (Get a Grip)』収録の『イート・ザ・リッチ (Eat the Rich)』もその1曲である。
日本では、日本テレビ系列のバラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」のエンディグ・テーマや、キャメロン・ディアスブラッド・ピットハローキティが出演していたソフトバンクモバイルのCMソングなどにも使われている。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』に於いて、336位にランクイン[3]
『スウィート・エモーション (Sweet Emotion)』
『ウォーク・ディス・ウェイ (Walk This Way)』と同じく、1975年発表のアルバム『トイズ・イン・ザ・アティック (Toys in the Attic)』に収録。発売から翌月にシングル・カットされ、全米最高位36位を記録した、第1次黄金期の代表曲である。
トムによるベースとエスニックなイントロが印象的。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』に於いて、416位にランクイン[4]
『バック・イン・ザ・サドル(Back in the Saddle)』
初期の代表作『ロックス』のオープニング・ナンバー。ライブでもオープニングを飾ることが多く、ライブアルバム『Live! Bootleg』『Classics Live II』でもオープニング・ナンバー、2枚組ライブ・アルバム『A Little South of Sanity』でもDisc2のオープニングを飾っている。テレビ番組で挿入BGMとして使われることもある有名なイントロ、スティーヴンのシャウト、ジョーの6弦ベースによるベースラインが特徴的な曲。なお、ジョーとブラッドが復帰しての再出発ツアーにて、ツアーのタイトルにも使われている。
『ドロー・ザ・ライン(Draw the Line)』
1977年発表のアルバム・タイトル曲。バンドの正に絶頂期の頃の作品。ジョーのスライド・ギターが全面に冴え渡る、ライブでの定番曲。曲の中間部のインプロ後にスティーヴンのかなり高音で、なおかつ長いシャウトが聴ける。
『デュード(Dude(Looks Like a Lady))』
1987年発表の『パーマネント・ヴァケイション』収録。キッスボン・ジョヴィなど多くのアーティストを手掛けてきたデスモンド・チャイルドとの共作の一つ。スティーブンの独特な連続シャウトが象徴的な強力なロック・ソングで、アルバム第一弾シングルとして、復活の狼煙を上げた。1987年に、全米16位を獲得した。
『エンジェル(Angel)』
1987年発表の『パーマネント・ヴァケイション』収録。スティーブンとデスモンド・チャイルドとの共作で、エアロスミス復活の一役買った曲でもある。1988年に全米3位を獲得した。
『エレヴェーター・ラブ(Love in an Elevator)』 
1989年発表の10thアルバム『パンプ』からのシングル作。全米チャート5位を記録。ライブにおける3分間以上に及ぶ中間部のインプロビゼイションが特徴。
『ジェイニーズ・ガット・ア・ガン(Janie's Got a Gun)』
『パンプ』収録。スティーブンとトムの共作で、エアロスミス初のグラミー賞受賞曲で、ライブの定番の曲である。児童虐待銃社会が招いた悲劇が歌詞のテーマとなっている。全米4位を記録。
『フォーリング・イン・ラヴ(Falling in Love)』
1997年発表『ナイン・ライヴズ』からの先行シングル(全米チャート35位)。収録アルバムの『ナイン・ライヴズ』は、全米チャート1位を記録。制作には、アルバムの当初のプロデューサーであった、グレン・バラードが関与している。
『ミス・ア・シング (I Don't Want to Miss a Thing)』
映画アルマゲドン』の主題歌。1998年に、全米4週連続1位を獲得した。初の全米1位を獲得した曲である。セリーヌ・ディオンなどを手掛けているダイアン・ウォーレンが起用された(カヴァー曲を除いて、作詞・作曲にメンバーが関わっていない珍しい楽曲の一つでもある)。1998年アカデミー賞の「主題歌賞」ノミネート。PVは、映画「アルマゲドン」の映像を所々使用している。リヴ・タイラーも出演し、クライマックスシーンである通信での父と娘の最期の会話シーンがPVの最後に再現されており、スティーヴンとリヴという本物の親子が演じている(映画ではブルース・ウィリスとリヴ)
『ジェイディッド(Jaded)』
2001年発表の『ジャスト・プッシュ・プレイ』収録。全米7位。キャッチーなサビが大好評。2004年には、コカ・コーラのCMにも起用されている。ミラ・キュニスが登場する映画さながらのミュージック・ビデオも話題に。

(※文中の最高位はビルボード(Billboard)誌によるもの)

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

21位 2Xプラチナム(US)
74位 3Xプラチナム(US)
11位 8Xプラチナム(US)
3位 4Xプラチナム(US)
11位 2Xプラチナム(US)
14位 プラチナム(US)
32位 ゴールド(US)
36位 ゴールド(US)
11位 5Xプラチナム(US), 37位(UK)
5位 7Xプラチナム(US), 3位(UK)
1位 7Xプラチナム(US), 2位(UK)
1位 2Xプラチナム(US), 4位(UK)
2位 プラチナム(US), 7位(UK)
5位 ゴールド(US), 28位(UK)
5位 (US), 14位(UK)

コンピレーション・アルバム[編集]

53位 11Xプラチナム(US)
133位 ゴールド(US)
45位 プラチナム(US)
6位 4Xプラチナム(US), 7位(UK)
191位 ゴールド(US), 32位(UK)
4位 2Xプラチナム(US), 6位(UK)
33位(US), 19位(UK)

ライブ・アルバム[編集]

13位 プラチナム(US)
84位 プラチナム(US)
ゴールド(US)
12位 プラチナム(US), 36位(UK)
24位(US)

映像作品[編集]

  • 2001年 メイキング・オブ・パンプ - The Making of Pump
  • 2005年 ユー・ガッタ・ムーヴ - You Gotta Move
  • 2013年 ロック・フォー・ザ・ライジング・サン - Rock For The Rising Sun

日本公演[編集]

大阪での公演ではHIKAKINと競演。同年にシンガポールで行われたライヴ以来である。

その他[編集]

ディズニー・ハリウッドスタジオのロックンローラー・コースター
  • ナイン・ライヴスの初期ジャケットは、一部ヒンドゥー教徒の反感を買うデザインだったため、現在のデザインに変更された。元は猫の頭をした女性が多頭の蛇ヒュドラの中央で踊る物であった。(→参照 Nine Lives (英語) 変更前後のデザインが確認できる。)Nine Livesは"a cat has nine lives"(猫には九つの命がある)の故事から来ている。
  • アメリカウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内のディズニー・ハリウッド・スタジオに、彼らが楽曲提供しプレショーにも出演しているアトラクションロックンローラー・コースターがある。
  • メンバー全員、地元の球団、ボストン・レッドソックスの応援団を自任しているほどのファン。
  • メンバー全員、たい焼きが好物。ある時、日本からの帰りに大量に買い込んだ鯛焼きが飛行機の中で全て消え、これが原因であわや解散かと思われる大喧嘩が発生した。その話を聞いた鯛焼き機メーカーが、彼らの元に鯛焼き機を贈り、今では好きなときに鯛焼きを作って食べていると言う。
  • スティーヴンとジョーの2人は2013年、メルボルンの港に停泊していたシーシェパード(ss)の抗議船を訪れ、ssの宣伝ビデオに出演した。ssがYouTubeに公開している2分強の宣伝ビデオには、スティーヴンのインタビューなどが含まれている。スティーヴンは、メルボルン公演でも「シー・シェパードの名前を覚えてくれ」と呼びかけたという。

脚注[編集]

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  1. ^ [1]
  2. ^ [エアロスミス、"Walk This Way"はコカインの配達を待っている間に書いたと明かす ro69.jp/news/detail/86843]
  3. ^ [2]
  4. ^ [3]

外部リンク[編集]