エアロスミス

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エアロスミス
2003年9月5日のワシントンD.C.公演より
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン
ジャンル ハードロック
ブルースロック
活動期間 1970年 -
レーベル コロムビア・レコード
ゲフィン・レコード
ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ
ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント
公式サイト Aerosmith's Official Site
(英語)
メンバー
スティーヴン・タイラー
ボーカルブルースハープピアノ
ジョー・ペリーリードギター
トム・ハミルトンベースキーボード
ブラッド・ウィットフォードリズムギター
ジョーイ・クレイマードラムス
旧メンバー
レイモンド・タバーノ (ギター)
ジミー・クレスポ (ギター)
  

エアロスミス (Aerosmith) は、マサチューセッツ州ボストン市を拠点に活動するロックバンド

目次

[編集] 概要

ヤードバーズをはじめ、1960年代ブリティッシュ・ロックというフィルターを通して、自国の音楽を表現しようとした。

1970年代に第1次黄金時代を築くが、その代償とも言えるドラッグや人間関係の問題で1980年代前半は低迷。全員が麻薬中毒の治療のために更生施設に入院。これは、落ちても這い上がろうとした彼らの執念の表れとして今も語り継がれている。

その後、ロック史にも珍しい復活(1985年)を果たし、商業的には1970年代を上回る第2次黄金期を築いた。

1998年映画アルマゲドン」のメインテーマを手がけた。同映画のヒロイン女優、リヴ・タイラーは、ボーカルのスティーヴンとベベ・ビュエルの間に産まれた実の娘。

日本では、1970年代後半はキッスクイーンチープ・トリックの陰で多少地味な存在であったが、1985年の復活以降は人気バンドとしての地位を確立した。来日回数も多く、1998年には海外アーティスト初の4大ドーム・ツアーを敢行した。

バンド結成当初、ドラマーだったスティーブン・タイラーがヴォーカルとドラムスを兼任するはずだったが、目立たないので兼任をやめ、彼の悪友ジョーイがドラマーとして加入した経緯がある。 尚、バンド名はドラムスのジョーイによる造語。

2001年に『ロックの殿堂』入りを果たす。他にも今まで『ピープル・チョイス・アウォーズ』2回、『ビルボード・ミュージック・アウォーズ』6回、『アメリカンミュージック・アウォーズ』8回、『ボストン・ミュージック・アウォーズ』23回、『MTVビデオ・アウォーズ』12回、『グラミー賞』4回など数々の賞を受賞している。『ローリングストーン誌』、『ヒットパレード誌』でも最優秀ロックバンドに選ばれている。

MTVアイコン』に選ばれた初のロックバンドでもある。

[編集] メンバー

[編集] 現メンバー

本名:スティーヴン・ヴィクター・タラリコ(Steven Victor Tallarico) - ボーカルブルースハープピアノ
本名:アンソニー・ジョセフ・ペリー(Anthony Joseph Perry) - リードギター
本名:ブラット・アーネスト・ウィットフォード(Brad Arnest Whitford) - リズムギター
本名:トーマス・ウィリアム・ハミルトン(Thomas William Hamilton) - エレクトリックベースキーボードベース
本名:ジョセフ・マイケル・クレイマー(Joseph Michael Kramer) - ドラムス

[編集] 一時在籍メンバー

  • レイモンド・タバーノ(Raymond Tabano) - ギター
デビュー前にウィットフォードと交代、バンドロゴ考案者
  • ジミー・クレスポ(Jimmy Crespo) - ギター
「ナイト・イン・ザ・ラッツ」、「美獣乱舞」参加
  • リック・ダフェイ(Rick Dufay) - ギター
「美獣乱舞」参加
  • デイヴィッド・ハル(David Hull ) - ベース
2006年現在、癌治療中のトムに代わって全米ツアーに参加

[編集] メンバーの変遷

1970 ~ 1971
(デビュー前)
1971 ~ 1979
(デビュー当時)
1979 ~ 1980
(ジョー一時脱退後)
1980 ~ 1984
(ブラッド一時脱退後)
1984 ~ 現在

[編集] 略歴

1970年代アメリカニューハンプシャー州サナピー湖のザ・バーンというクラブで演奏していた、ジョー・ペリー (g) とトム・ハミルトン (b) のバンド、ザ・ジャムバンドを見たスティーヴン・タイラー (vo) は彼らと新たにバンド組む事を決意した。スティーブンによると彼らの演奏は最低だったが、エネルギッシュなプレイが最高だったという。

当時、既にバンド『Chain Reaction(チェーン・リアクション)』でプロとしてデビューしていたスティーブンは、同年、このまだ見ぬ架空のバンドのドラムに友人のジョーイ・クレイマーを、そしてもう1人のギタリストに同じく友人だったレイモンド・タバーノを迎えたが、翌年にはレイモンドが脱退し、代わりにバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験を持っていたブラッド・ウィットフォードを迎える事になる。そしてこの5人が、エアロスミスのオリジナルメンバーである。こうして、兄弟となった5人はボストンの小さなアパートの個室で共同生活をする事になった。エアロスミスというバンド名は、ジョーイが学生時代ノートの隅に書いてあったバンド名の1つであり、空気を意味するAeroと職人を意味するSmithを合わせた造語である。

その彼らは、自分達の音楽観でブリティッシュ・ロックをフィルタリングしてハードロックという形で、アメリカのロック界の発展に大きく寄与したバンドの1つである。1970年代、当時は「ドラッグアルコールセックス」といったイメージが非常に強かった彼らが、1980年代前半の低迷期、その後の第2次黄金期を経て、ゴージャスなロックンロール・バンドへと変貌していった話は有名だ。しかし、そのような山あり谷ありのミュージシャン人生の中で今なお、彼らは自分達のスタイルを確立し続けている。

デビューから30年以上経った今なお、アメリカン・ハードロックの頂点に君臨するエアロスミスだが、彼らはデビューしていきなり大ヒットしたというタイプのバンドではない。むしろ、デビュー当時は評判はあまり良くなかった。マスコミからはローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンのチープなコピーだと非難されていた。事実初期の2枚のアルバムは演奏も録音もアマチュアっぽく、とてもトップクラスのバンドとは比較できないものであった。1stアルバム『野獣生誕 (Aerosmith)』(1973年)は発売当時、ビルボードチャートにチャートインしたものの、数ヶ月掛けてようやく最高166位だった。2ndアルバム『飛べ!エアロスミス』 1974年を発表。根気強くライブをこなし、徐々にブレイクしていく。

ミュージシャンとして徐々に自分達のスタイルを築いてった彼らはついに、3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック (Toys In The Attic)』(1975年)と4th『ロックス (Rocks)』(1976年)で人気爆発。スタジアム級のバンドとなる。エアロスミスとしての様式を完全に確立している。これが彼らにとって、初めての黄金期となった。その後のアルバム『ドロー・ザ・ライン (Draw The Line)』(1977年)、そして『ライヴ・ブートレッグ』(1978年)と快進撃は続いた。

しかし、中心メンバーであったジョー・ペリーが中途半端に参加(この後脱退)したアルバム『ナイト・イン・ザ・ラッツ』(1979年)は多くのファンを失望させる出来であった。人気も急落し、低迷期を迎える事になる。そして、2人のギタリストが完全に脱退して、後任のギタリストを迎えて作った『美獣乱舞 (Rock In A Hard Place)』(1982年)は、今日では質の高い作品とされてはいるが、ファンからは不興を買い、商業的にも失敗に終わった。スティーブンの事故による休養もあってバンドの人気はどん底に落ちる。

いつ解散しても不思議ではなかった彼らだが、1984年、オリジナルメンバーで再結成。当初は先行きが危ぶまれたが、新たにゲフィン・レコードと契約した彼らは、MCデュオRUN D.M.Cによる『ウォーク・ディス・ウェイ (Walk This Way)』(邦題:お説教)のカバーの全米4位という大ヒットも手伝って、徐々に数年間のブランクを取り戻していった。この時期に出した3枚のアルバムは、ヒット・メイカーとして知られるブルース・フェアバーンがプロデュースをした。『パーマネント・ヴァケイション (Permanent Vacation)』(1987年)、『パンプ (PUMP)』(1989年)といずれもセールス面において成功をおさめ、シングルヒットを連発した。続く作品『ゲット・ア・グリップ (Get A Grip)』(1993年)は完成しかけたマスター・テープを一度全て廃棄して作り直すほど徹底してクオリティーにこだわった作品で、初の全米チャート1位、全米で700万枚、全世界では1200万枚を売り上げる大成功をおさめた。

ブルース・フェアバーン3部作で商業的に大成功した彼らは、古巣コロムビア・レコード(ソニー)復帰し、復帰第1作となる『ナイン・ライブス (Nine Lives)』(1997年)では全米1位を獲得し、映画アルマゲドン』のメインテーマとなった『ミス・ア・シング(I Don't Want To Miss A Thing)』は全米シングルチャートで1位を獲得している。2001年3月には通算13枚目で全米2位のアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ (Just Push Play)』をリリース、2004年にはブルース・カバーアルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ (Honkin' On Bobo)』をリリースした。これに合わせたツアーを境にバンドは無期限休業宣言をするものの、2005年にはライブ・アルバム『ロッキン・ザ・ジョイント (Rockin' The Joint)』、そして2009年現在、彼ら(ベースのトム・ハミルトンは喉の癌のため治療に専念中)は、ニューアルバムの製作に取り掛かっている。

彼らはこの長い経歴の中で2001年のロックの殿堂入りや1998年の洋楽アーティストで初となる4大ドーム制覇などに代表されるような偉業を成し遂げている。現在のアルバムのトータルセールスは全世界で1億5000万枚以上と言われている。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] スタジオ・アルバム

21位 2Xプラチナム(US)
74位 3Xプラチナム(US)
11位 8Xプラチナム(US)
3位 4Xプラチナム(US)
11位 2Xプラチナム(US)
  • 1979年 ナイト・イン・ザ・ラッツ - Night in the Ruts 
14位 プラチナム(US)
  • 1982年 美獣乱舞 - Rock in a Hard Place 
32位 ゴールド(US)
  • 1985年 ダン・ウィズ・ミラーズ - Done with Mirrors 
36位 ゴールド(US)
11位 5Xプラチナム(US), 37位(UK)
5位 7Xプラチナム(US), 3位(UK)
1位 7Xプラチナム(US), 2位(UK)
  • 1997年 ナイン・ライヴス - Nine Lives 
1位 2Xプラチナム(US), 4位(UK)
2位 プラチナム(US), 7位(UK)
  • 2004年 ホンキン・オン・ボーボゥ - Honkin' on Bobo 
5位 ゴールド(US), 28位(UK)

[編集] コンピレーション・アルバム

  • 1980年 グレイテスト・ヒッツ - Aerosmith's Greatest Hits 
53位 11Xプラチナム(US)
133位 ゴールド(US)
  • 1991年 パンドラの箱 - Pandora's Box 
45位 プラチナム(US)
  • 1994年 パンドラズ・トイズ - Pandora's Toys 
  • 1995年 ビッグ・ワンズ - Big Ones 
6位 4Xプラチナム(US), 7位(UK)
  • 1997年 グレイテスト・ヒッツ1973~1988 - Aerosmith's Greatest Hits 1973~1988
  • 2001年 ヤング・ラスト - Young Lust:The Aerosmith Anthology 
191位 ゴールド(US), 32位(UK)
  • 2002年 アルティメット・ヒッツ - Oh,Yeah!The Ultimate Aerosmith Hits 
4位 2Xプラチナム(US), 6位(UK)
33位(US), 19位(UK)

[編集] ライブ・アルバム

  • 1978年 ライヴ・ブートレッグ - Live! Bootleg 
13位 プラチナム(US)
  • 1986年 ライブ・クラシックス - Classics Live I 
84位 プラチナム(US)
  • 1987年 ライブクラシックス2 - Classics Live II 
ゴールド(US)
  • 1998年 サウス・オブ・サニティ - A Little South of Sanity 
12位 プラチナム(US), 36位(UK)
  • 2005年 ロッキン・ザ・ジョイント - Rockin' the Joint 
24位(US)

[編集] 映像作品

  • 2001年 メイキング・オブ・パンプ - The Making of Pump
  • 2005年 ユー・ガッタ・ムーヴ - You Gotta Move

[編集] 作品解説

[編集] 楽曲

『ウォーク・ディス・ウェイ (WALK THIS WAY)』
1975年発表の第3作目『トイズ・イン・ジ・アティック (Toys in the Attic)』(邦題:闇夜のヘヴィ・ロック)収録。1977年には全米最高位10位を記録している第1次黄金期を代表する曲である。
1986年にはアメリカのMCデュオ、RUN D.M.Cによってカヴァーされ(全米最高位4位)、ゲストとしてスティーヴンとジョーが参加している。この出来事は当時としては相当センセーショナルな事件であり、1979~84年のセールス的低迷からの脱却を印象付けるとともにバンドとしての復活を決定的なものとし、第2次黄金期の完全なる幕開けを飾る結果となった。尚、この曲はラップとしてカヴァーされているが、原曲においてスティーヴンが用いている手法は「語り」と呼ばれるものである。その例として『イート・ザ・リッチ (Eat the Rich)』(1993年発表の第16作目『ゲット・ア・グリップ (Get a Grip)』収録)などがある。
CMソングやテレビ番組の主題歌への起用も多く、現在日本ではソフトバンクモバイルのCMソングに2度使われている。キャメロン・ディアスが電話をしながら街を歩くバージョン(2006年)[1]ハローキティが赤を背景に歩いているバージョン(ロック・キッズのカバー)の2つである。『踊る!さんま御殿』(日本テレビ放送網)のエンディングテーマにも長らく起用されている。
『ドリーム・オン(DREAM ON)』
1973年のデビューアルバム『野獣生誕』からのシングル・カット作。『野獣生誕』は売れなかったもののDream Onのみボストン周辺では高い支持を得ていた。その後再発売され1976年に全米チャート6位まで上昇した。スティーヴンの声が現在と全然違うため、驚く人は多い。後に、この曲のライヴ・ヴァージョンが映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサウンドトラック盤に提供された。Xboxで発売されているテクモ3D格闘ゲームデッドオアアライブアルティメット』の挿入歌としても使用されている。
『トレイン・ケプト・ア・ローリン(Train Kept A Rollin')』 
飛べ!エアロスミス』収録。彼らが若い頃から憧れ尊敬している『ヤードバーズ』のカバー曲(その原曲はタイニー・ブラットショージャンプ・ブルースナンバー)。カバー曲でありながらエアロスミスの代表曲でもある。アルバム・ヴァージョンでは、前半を16ビートにアレンジし、独自の味を出しているが、ライヴではヤードバーズ版に近いアレンジで演奏されることが多い。ちなみにこの曲でB'zと共演している(2002年日韓FIFAワールドカップに伴うFIFA主催コンサートにて)[2]
『バック・イン・ザ・サドル(BACK IN THE SADDLE)』
初期の代表作『ロックス』のオープニングナンバー。ライブでもオープニングを飾ることが多く、ライブアルバム『Live! Bootleg』『Classics Live II』でもオープニングナンバー、2枚組ライブアルバム『A Little South of Sanity』でもDisc2のオープニングを飾っている。TV番組で挿入BGMとして使われることもある有名なイントロ、スティーヴンのシャウト、ジョーの6弦ベースによるベースラインが特徴的な初期の代表曲の一つ。
『ドロー・ザ・ライン(Draw the Line)』
1977年発表のアルバムタイトル曲。バンドの正に絶頂期の頃の作品。ジョーのスライド・ギターが全面に冴え渡る、ライブでの定番曲。曲の中間部のインプロ後にスティーヴンのかなり高音で、なおかつ長いシャウトが聴ける。一見すると、いかにも喉を消耗しそうな声だが、ライブでも欠かさず披露している。(似たような発声は「dream on」の後半部などでも見られる。この発声はスーパーヘッドボイス、あるいは極高声といわれる声種を利用していて、ソプラノが最高音域部で用いる出し方に近い。これをフェイクのみでなくフレーズにも用いるのは、氏の目立った特徴である。またその声種がハーモニクス(奏法)とも呼ばれるため、日本のファンの一部からは(やや誤訳のきらいがあるが)「倍音シャウト」と呼ばれている。)
『デュード(Dude(looks like a lady))』
1987年発表の『パーマネント・ヴァケイション』収録。スティーブンの独特な連続シャウトが象徴的なエアロらしい強力なロックで、アルバム第一弾シングルとして復活ののろしを上げた。1987年に全米16位を獲得した。
『エンジェル(Angel)』
1987年発表の『パーマネント・ヴァケイション』収録。エアロスミス復活の一役買った曲でもある。1988年に全米3位を獲得した。
『ジェイニーズ・ガット・ア・ガン(Janie's Got A Gun)』
1989年発表の『パンプ』収録。エアロスミス初のグラミー賞受賞曲で、ライブの定番の曲である。全米4位を記録。
『ワット・イット・テイクス(WHAT IT TAKES)』
パンプ』の収録曲。全米チャート9位。[3]
『エレヴェーター・ラブ(LOVE IN AN ELEVATOR)』 
10thアルバムパンプからのシングル作。全米チャート5位を記録。3分に及ぶ中間部のインプロビゼイションが特徴。
『フォーリング・イン・ラヴ(Falling In Love)』
1997年発表『ナイン・ライヴス』からの先行シングル(全米チャート35位)。収録アルバムの『ナイン・ライヴス』は全米チャート1位を記録。
『ミス・ア・シング (I DON'T WANT TO MISS A THING)』[4]
映画アルマゲドン』の主題歌。1998年に全米4週連続1位を獲得した。初の全米1位を獲得した曲であるが、彼らのオリジナルの曲ではないため残念に思うファンは多い。作品を手がけたのは、セリーヌ・ディオンなどを手がけているダイアン・ウォーレン。1998年アカデミー賞の「主題歌賞」ノミネート。PVは映画「アルマゲドン」の映像を所々使用している。リヴ・タイラーも出演し、クライマックスシーンである通信での父と娘の最期の会話シーンがPVの最期に再現されており、スティーヴンとリヴという本物の親子が演じている。(映画ではブルース・ウィリスとリヴ。)
『ジェイディッド(Jaded)』[5]
2001年発表の『ジャスト・プッシュ・プレイ』収録。全米7位。キャッチーなサビが大好評。2004年にはコカ・コーラのCMにも起用されている。映画並みにつくられたプロモーションビデオも、話題を呼んだ。

(※文中の最高位はビルボード(Billboard)誌によるもの)

[編集] アルバム作品

『BIG ONES/ビッグ・ワンズ』
1994年リリースのベスト・アルバム。ゲフィン・レコード在籍時代にリリースされた4枚のアルバムから選曲されている(但し、『DONE WITH MIRRORS』(1985年)からは敢えて選曲されていない)。ブルース・フェアバーン(Bruce Fairbairn)がプロデュースした、第2期黄金時代の名曲を揃えつつ、マイケル・ベインホーン(Michael Beinhorn)がプロデュースした2曲の新曲を収録。さらに、日本発売盤ではボーナス・トラックが1曲追加されている。
  収録曲:01. 『Walk on Water』、02. 『Love in an Elevator』、03. 『Rag Doll』、04. 『What It Takes』、
  05. 『Dude (Looks Like a Lady)』、06. 『Janie's Got a Gun』、07. 『Cryin'』、08. 『Amazing』、
  09. 『Blind Man』、10. 『Deuces are Wild』、11. 『The Other Side』、12. 『Crazy』、
  13. 『Eat the Rich』、14. 『Angel』、15. 『Livin' on the Edge』、16. 『Dude (Looks Like a Lady) [Live]』
このうち、01と09がマイケル・ベインホーンのプロデュースによる新曲。16が日本発売盤のボーナス・トラック。

[編集] 日本公演

[編集] その他

ディズニー・MGM・スタジオのロックンローラー・コースター

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ