ブリティッシュ・インヴェイジョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ブリティッシュ・インヴェイジョンBritish Invasion、イギリスの侵略)は、アメリカポピュラー音楽史の用語。ある一時期に集中して数々のイギリスのアーティストがアメリカをはじめ世界中でヒットを放ってブームを巻き起こし、その後の音楽業界に大きな影響を与えた現象を指す。1960年代のものを第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン1980年代ものを第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ぶ。

アメリカは世界一の音楽市場だが外国人アーティストがヒットを飛ばす例は少なく、イギリスの人気アーティストといえども、レコード会社の周到なプロモーション戦略を整えて乗り込まねば失敗してしまう。ブリティッシュ・インヴェイジョンは、新しいポップカルチャーを演出するプロモーション戦略とリスナー(主にティーンエイジャー)の待ち望む新しいスター像が合致した結果生まれた現象といえる。

第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン[編集]

1960年代中盤、ザ・ビートルズローリング・ストーンズに代表されるイギリスのロックバンドがアメリカで巻き起こした旋風をブリティッシュ・インヴェイジョン(第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン)という。その他の主なアーティストとして、キンクスザ・フーハーマンズ・ハーミッツデイブ・クラーク・ファイブアニマルズなどの名前が挙げられる。

バンドの多くはロックンロールR&Bをはじめとするアメリカの黒人音楽に強い影響を受けており、初期の作品はその模倣が多い。職業作曲家やバックバンド、管弦のオーケストレーションによらない自作自演スタイルをとるのも特徴である。ビートを強調したリズム、野性的なボーカル、ボーカルと対等の存在感を示すエレキギター、長髪のルックス、大人に媚びない言動はアメリカの白人アイドルにはない不良っぽさを醸し出し、これが社会的に変革の時代に突入せんとするアメリカのティーンエイジャーの心をつかんだ。

いきさつ[編集]

1960年代前半のアメリカはまだ白人と黒人の間に厚い壁があり、刺激的な黒人音楽を聴くのは一部の音楽好きだけで、大勢はロックンロールのブームが終息した後の白人アイドルによる甘く健全なポップスを聴いていた。ロックンロールや黒人音楽をかけないラジオ局もまだ多く、たとえ黒人アーティストが大ヒットを出しても黒人である以上決してメインストリームにはなれなかった時代である。

白人が黒人音楽を模倣し、不良イメージで大成功を収めた元祖はエルヴィス・プレスリーだが、徴兵後1960年以降のエルヴィスは映画契約に拘束されコンサートツアーも行えず、レコーディングのほとんどを映画のサウンドトラック用の楽曲が占めるようになり、またエルヴィスと同時期に活躍したロックンロールのスターたちも事故死やスキャンダルで姿を消していたため、新しいスターの登場が待ち望まれていた。そこへ周到なプロモーション戦略のもと、1964年2月にビートルズがアメリカに上陸し、大成功を収める。これを機にイギリスのバンドが続々とアメリカに進出し、3年ほどに渡って全米のヒットチャートを席巻、そのブームは世界中に広まった。また彼らの音楽はビートルズの出身地にちなんでマージービートブリティッシュビートとも呼ばれた。

ブームの影響[編集]

ブームはアメリカのフォークミュージックにも影響を与え、ロックと融合してフォークロックとなった。そして公民権運動ベトナム反戦運動に代表される社会運動の高まりとともにロック側も政治的・社会的メッセージを発するようになり、ロックをカウンターカルチャーの代表格へと押し上げた。この当時のイギリスのバンドが持つスタイルはその後もロックのアイコンとなり、ブームが去った後もイギリスからは発展的に進化したニューロック(ブルースロックハードロックプログレッシブ・ロックなど)のアーティストたちが英米両国で活躍することとなる。

このブームを受けてアメリカ側からはモンキーズやその後のバブルガムポップのバンドが生まれた。また、日本でもこれに影響されて数多くのバンドが誕生し、グループ・サウンズの大ブームを巻き起こした。

第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン[編集]

1980年代前半、デュラン・デュランカルチャー・クラブに代表されるイギリスのバンドがアメリカで巻き起こした旋風を、1960年代のブリティッシュ・インヴェイジョンになぞらえて第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンという。その他の主なアーティストとして、ヒューマン・リーグスパンダー・バレエカジャ・グー・グーユーリズミックスハワード・ジョーンズワム!などの名前が挙げられる。デヴィッド・ボウイもベテランながらこの波に乗って成功している。

主にニューロマンティック系と分類されるアーティストが多く、どちらかというと音楽性よりもビジュアル面で人気を博した。先鋭的ながら軽くポップで親しみやすい音楽性、趣向を凝らしたミュージックビデオ、最先端のファッション、汗臭さや男臭さを排除したユニセックス的なイメージは、長髪のむさ苦しいロックミュージシャンやワンパターンのディスコサウンドに飽きていたアメリカのティーンエイジャーの心をつかんだ。

いきさつ[編集]

1970年代後半、イギリスで社会現象となったパンク・ロックは、音楽的にも商業的にも肥大化したロックのハードルを大幅に下げた。パンクはニュー・ウェイヴへと発展的に進化するが、その過程で政治的なメッセージ性や野性味は削がれ、シンセサイザーリズムマシンなどの電子楽器を取り込んで目新しさを強調するようになる。一方アメリカではパンクはほとんど受け入れられず、その当時ブームとなっていたのはディスコサウンドであり、また大物ロックバンドのアルバムが続々と数百万枚の売り上げを記録するなど、ロックの商業的な肥大化は進む一方であった。

1981年、アメリカで音楽専門のケーブルテレビMTVが開局し、楽曲の新しいプロモーション手段としてミュージックビデオが登場する。ミュージックビデオを使えば地道なライブ活動を行わずとも全米規模でのプロモーションが可能になり、バンドの演奏力も問われず、目立つビデオ作品を作れば一気に認知度を高めることができた。この手法によって、イギリスのアーティストが続々とアメリカに上陸し、3年ほどに渡って全米のヒットチャートを席巻、そのブームは世界中に広まった。

ブームの影響[編集]

1970年代にロックはカウンターカルチャーとしての政治性や社会性を消失したが、まだ音楽性やビジュアルの表面的な部分では過去を引きずっていた。この部分でも大きな変革をもたらしたイギリスのアーティストたちは、軽薄短小をよしとする1980年代の時代性を象徴する存在でもあった。また、ミュージックビデオの力はマイケル・ジャクソンマドンナらアメリカの新たなビッグスターも生み出したが、結果的に音楽業界の商業的な肥大化に拍車をかけることとなる。

日本にも影響は及び、ベストヒットUSAや日本版MTVなどの洋楽テレビ番組が人気となった。第2次は第1次と違って直接的にこれを模倣したブームは起こらなかったが、ニュー・ウェイヴ系アーティストや後のヴィジュアル系アーティストに大きな影響を与えている。

出典[編集]

関連項目[編集]

第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン・アーティストの一覧