ジョー・ペリー
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| ジョー・ペリー | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | アンソニー・ジョセフ・ペリー |
| 出生 | 1950年9月10日(58歳) |
| ジャンル | ハードロック |
| 職業 | ギタリスト |
| 担当楽器 | ギター |
| 活動期間 | 1971年 - |
| 共同作業者 | エアロスミス |
| 著名使用楽器 | |
| ギブソン・レスポール | |
ジョー・ペリー(Joe Perry、1950年9月10日 - )は、アメリカのミュージシャン。ロックバンド「エアロスミス」のリードギタリスト。本名はアンソニー・ジョゼフ・ペリー(Anthoney Joseph Perry)。ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第48位。
目次 |
[編集] 来歴
アメリカ・ボストン郊外出身。少年時代、最初に手にした楽器はウクレレだった。
ロックバンド「エアロスミス」のメンバーとして1971年にデビュー。エアロスミスではボーカルのスティーヴン・タイラーとともにソングライティングを担当。このコンビは「トキシック・ツインズ(The Toxic Twins)」と呼ばれる。地道な活動によりバンドは徐々に人気を獲得していき、1970年代半ばに大ブレイク、キッスやレッド・ツェッペリンと肩を並べるほどにまで成長した。また、アルバム「ロックス」(1976年)以降、一部の楽曲でリード・ボーカルを取るようになった。
1980年、スティーヴン・タイラーとの確執などを原因にエアロスミスを脱退。「ジョー・ペリー・プロジェクト」を結成し、1983年までに3枚のアルバムを発表。だがエアロスミスほどの成功は得られなかった。この間エアロスミスも、相次ぐメンバー脱退や交通事故によるスティーヴンの入院、アルバムの興行的不振など、暗礁に乗り上げていた。しかし時間の経過に伴い、スティーヴンとも和解。1984年に、同じく脱退したオリジナルメンバーのブラッド・ウィットフォードとともに、エアロスミスに復帰。
2004年にエアロスミスは無期限活動休止を宣言。この期間を利用してジョーは、かなり昔から温存していた数々の曲のレコーディングに取り掛かり、2005年5月、今度は「ジョー・ペリー」名義でのソロアルバムを発表した。
2007年にはエアロスミスとしての活動を再開、全米ツアーを敢行した。
[編集] シグネイチャー・レスポール
ジョーはギブソン・レスポールのシグネイチャー・モデルをギブソン社から提供されている。
シグネイチャーモデル制作の際、ジョーはギブソンの担当者に、軽いギターであることを求めた。それはジョーによると、それまで使用してきたレスポールが大抵重かったことを理由に挙げており、ジョーが最も適した重さを求めていたからである。
[編集] その他
- ボストン・レッドソックスのファンである。
- キッスのステージに唯一、正式メンバー以外の人間で立ったことがある。
- 愛妻家である。自身が使用するギブソンに特注したギターには、ビリー夫人の姿をエアブラシで精密にペイントしたギターがあり、ツアーでは常に帯同している。
- ツアーにはブラッド・ウィットフォード同様、多数のギターを持ち出している。高価なヴィンテージギターから手工ギターまで、音色やチューニングの違いなども含めて、20本近くのギターをスタンバイさせており、ギターキッズからは羨望のまなざしを送られている。
- 右利きのスタイルでギターを弾いているが、左利き用のストラトキャスターに逆に弦を張ったものを使用することがあり、本人は「弦を逆に張った時の音が好きだ」と語っている。ジミ・ヘンドリックスなどが同様の方法を用いている。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] ジョー・ペリー・プロジェクト名義
- 熱く語れ!(Let the Music Do the Talking)1980年
- 忘れじのロックン・ロール (I've Got the Rock'n'Rolls Again)1981年
- いつまでも熱く(Once a Rocker, Always a Rocker)1983年
[編集] ジョー・ペリー名義
- ジョー・ペリー(Joe Perry)2005年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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