伊藤政則

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伊藤 政則(いとう せいそく、本名はまさのり1953年7月10日 - )は、日本音楽評論家。マリオネットミュージック社長。最終学歴は専修大学

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[編集] 来歴

  • 岩手県花巻市出身。『斉藤安弘のオールナイトニッポン』でディープ・パープルの『ブラック・ナイト』を初めて聴き、以来ロックにのめり込んでいったという。
  • 高校生時代には、地元・岩手放送のラジオ番組『ロックランド』に代役のDJとして1回だけ出演。専修大学の学生時代にはその岩手放送のレコード室でアルバイトをしていたこともあり、東京ではロック喫茶のDJを務めていた。大学は8年かけて卒業。
  • その後ロック喫茶の先輩からという形でニッポン放送に紹介され、オールナイトニッポンADを経て1975年に「カッコマン」のマイクネームでオールナイトニッポン2部のDJを担当(カッコマンの名付け親は宇崎竜童)。これより本格的に音楽業界へ入り、主にヘヴィメタルハードロックHM/HR)を専門とする日本におけるこのジャンルのパイオニア的存在となる。ヘヴィメタルを中心に扱うラジオDJ、またヘヴィメタル専門誌である『BURRN!』の編集顧問としても知られる。

[編集] 人物

  • いわゆるハガキ職人だったことからラジオ業界との縁が深く、『オールナイトニッポン』二部でカッコマンとしてレギュラー出演していた当時は、音楽ネタだけではなく爆笑ネタ・お色気ネタを数多く作り、女子大生やOLに人気があった。
  • 音楽誌への執筆やFMラジオでのDJ活動を通じ、70年代後期から世界のヘヴィメタル事情をいち早く日本に紹介した。特にジューダス・プリーストへの心酔ぶりは有名である。
  • HM/HRの業界人として語られることが多いが、元々はプログレッシヴ・ロック、ブリティッシュ・ロック全般のマニアであり、ある時期までは熱狂的なレコード蒐集家でもあった。ピンク・フロイドの箱根での初来日野外ライブを見たことを今でも自慢している。
  • アイアン・メイデンボン・ジョヴィメタリカエアロスミスなど、数多くの世界的なバンドと交流があり、「Masa-Ito(本名に由来)」の愛称で親しまれている。
  • 意外にも『夕やけニャンニャン』の水曜日のレギュラーとして、「私 リカちゃん」というおニャン子クラブ会員の立見里歌のクイズコーナーの司会進行役で出演していた時期がある。この80年代中期にはニッポン放送の番組『TOKYOベストヒット』のパーソナリティを水島かおりコント赤信号らと共に務めており、後に毎週金曜日にはおニャン子クラブのメンバーも出演していた。当番組においてはヘヴィメタル色をあえて薄め、いわゆるヒットチャート洋楽を取り上げたりアイドルがゲストとして出演したりしていたため「メタルの伝道師」を望む層には不評であったが、「カッコマン」時代の軽妙なトークを復活させたことにより、伊藤の意外な一面を見てファンになったという者も少なくない。
  • 中学時代は吹奏楽部でトロンボーンを担当した経験を持つが、評論の際は音楽性についての知識・見識は深くなく、抽象的・曖昧な表現が多い。そのため、マネージメント面からの解説・分析で補っている。
  • DJを務めるラジオ番組のオープニング曲として使われている「Masa Ito」という曲は、ポール・ギルバートが伊藤のテーマソングとして作ったもので、ライブでも演奏されることがある。
  • オールナイトニッポンAD時代のニックネームは「こまわりくん」
  • スコーピオンズの「Virgin Killer」のジャケットでヒビ割れのないバージョンを必死で探しているらしい。

[編集] 活動

[編集] 出演番組

[編集] 現在の出演番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] 代表曲

  • 吸血鬼伝説

[編集] 著書

  • YES 神々の饗宴(新興楽譜出版社、1979年)
  • マイケル・シェンカー フライングV伝説(新興楽譜出版社、1982年)
  • コージー・パウエル 限りなき挑戦(シンコー・ミュージック、1983年)
  • ヘヴィ・メタルの逆襲(新潮社、1985年)
  • セーソクの法則 場外乱闘エッセイ(シンコー・ミュージック、1986年)
  • 罪と罰 オフィシャル・オジー・オズボーン・ストーリー〈翻訳〉(CBS・ソニー出版、1986年)
  • 断言(シンコー・ミュージック、1993年)
  • 断言 其ノ2(シンコー・ミュージック、1999年)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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