日本相撲協会

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日本相撲協会
Japan Sumo Association
両国国技館
両国国技館
団体種類 公益財団法人
設立 1925年12月28日
所在地 東京都墨田区横網1-3-28
起源 東京大角力協会
主要人物 理事長 小畑敏満(北の湖敏満
事業部長 保志信芳(北勝海信芳
総合企画部長 花田光司 (貴乃花光司
活動地域 日本の旗 日本
活動内容 日本国内における相撲興行
活動手段 本場所巡業興行
収入 事業活動収入 61億円
投資活動収入 46億円
(2011年度)[1]
基本財産 正味財産375億円
(2011年12月末)[2]
子団体 相撲博物館
ウェブサイト www.sumo.or.jp
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公益財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい、英語: Japan Sumo Association)は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)を授与するために1925年財団法人として設立され、2014年公益財団法人に移行した法人である。公益法人としての法人格の取得及び維持のため、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の普及を名目上の目的としている。

概要[編集]

日本相撲協会は、公益法人でありながら、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している唯一の法人である。以前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管[3]特例財団法人であった。通称「相撲協会」。日本国外のメディアでは「Japan Sumo Association」およびその略称JSAが使われる。

定款第3条(目的)において、「この法人は、太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」と定められており、青少年・学生への相撲の指導奨励[4]相撲教習所の維持運営、国技館の維持運営、相撲博物館の維持運営などをしているものの、主な事業は、本場所巡業興行である。構成員は、年寄力士行司呼出床山若者頭および世話人などである。

公益法人としての適格性については、公益事業として相撲の指導普及を図るため指導普及部を設置し、指導普及部一般会員の進級試験も行っているものの、「興行に拘りすぎて、財団法人としての責任義務を果たしていないのではないか」という意見が多数ある。また、公益法人制度改革に関する有識者会議においても、法人の公益性の存在について疑義が提示された[5]

近年では数々の不祥事が明るみになり、公益法人としての責任・あり方が問われている。2007年には週刊現代による八百長疑惑報道、時津風部屋力士暴行死事件、横綱朝青龍の無断帰国・巡業休場問題が相次いで発生し世間の注目を集めた(朝青龍は2010年に別の不祥事の責任を取り引退。また八百長疑惑は、週刊現代の出版元である講談社を相手取って力士・年寄による損害賠償を求める複数の民事訴訟が提起され、2011年2月現在すべて勝訴している)。2008年8月には、現役力士の大麻服用が発覚。協会の再発防止検討委員会が実施した抜き打ち薬物検査で陽性反応が出て、当時の北の湖理事長が辞職した[6]。2010年5月には大関琴光喜野球賭博関与[7]に端を発し、少なからぬ力士が常習的に野球賭博を行っていたことが明るみに出た。2010年6月には、現役の親方が暴力団幹部に本場所を維持員席(いわゆる「砂かぶり席」)で観戦させていたことが発覚した。2011年にはそれまで協会が否定しつづけてきた八百長疑惑で、警察によって八百長に関与したとされる力士の携帯電話のメールの存在が明らかとなり、一部力士が関与を認めたとされ、これを受けて相撲協会は史上初めてとなる「不祥事による本場所開催の中止」を決定した。

沿革[編集]

母体は東京に本拠を置いた「東京大角力協会」であり、その起源は江戸時代に遡る。下記以外の歴史については、『大相撲の歴史』を参照。

  • 1925年12月9日 - 時事通信社が「東京大相撲協会が財団法人大日本相撲協会に組織替え」と報道(当時の正式名称は「東京大角力協会」)。
  • 1925年12月28日 - 財団法人大日本相撲協会設立が許可される。
    当時摂政皇太子であった昭和天皇の台覧のおり下賜された奨励金から「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)をつくったが、興行主に過ぎない団体が菊花紋章の入った優勝杯を使用するわけにはいかず、財団法人設立の許可を受けた。この許可も、そもそも団体の存在に公益性がないことからどうやら難しそうだと見て、あえて年末に申請して強引に許可を受けたという裏話が残っている。
  • 1927年1月5日 - 大坂相撲協会が解散し、大日本相撲協会に合流して、東西大相撲が合併。
  • 1927年1月7日 - 新しい番付を発表(1925年から1926年にかけて行われた東西連盟大相撲の成績をもとに作成)
  • 1927年1月8日 - 役員改選し、会長には福田雅太郎陸軍大将)が就任。
  • 1928年1月 - 大日本相撲協会に改称。
  • 1966年4月1日 - 財団法人大日本相撲協会から財団法人日本相撲協会に改称(文部省関係許可認可等臨時措置令施行規則の一部を改正する省令(昭和41年文部省令第6号))。
  • 2014年1月28日 - 公益財団法人の認定を受ける[8]
  • 2014年1月30日 - 財団法人日本相撲協会から公益財団法人日本相撲協会に改称。

役員[編集]

公益財団法人となったため、役員の規定が大きく変わった。

評議員[編集]

  • 定款第12条に基づき、評議員の定数は5名以上7名以内(総数の過半数は外部有識者)。
    • その結果、年寄から3名が評議員として選出され、番付表にも本名で記載される。2014年3月場所の番付では、大徹忠晃巌雄謙治大竜忠博(いずれも現役時代の四股名)の3名が、本名で記載されている。
  • 任期は、選任後4年以内に終了する事業年度のものに関する定時評議員会の終了の時まで。すなわち、2014年3月~2018年6月(予定)開催の評議員会まで。
氏 名 肩 書 備 考
外 部 池坊保子 文部科学副大臣 評議員会長
鶴田卓彦 日本経済新聞社社長
第12代横綱審議委員会委員長
千家尊祐 出雲大社宮司
小西彦衛 日本公認会計士協会監事
力士出身者 南忠晃 湊川(元小結 大徹)
平野建司 山響(元幕内 巌雄)
佐藤忠博 大嶽(元十両 大竜)

理事・副理事[編集]

理事は、年寄から選ばれる理事候補と、外部から選ばれる理事候補から、評議員会によって任命される。定員は10名から15名の間。年寄からの理事候補は、全年寄による単記無記名の投票によって選出される。(以前の財団法人時代には、現役力士代表と立行司にも選挙権があったが、公益財団法人移行にともない、力士と行司の選挙権はなくなった)

理事会は互選で理事長(代表理事)を選出する。年寄からの理事で、理事長以外の理事が業務執行理事となる。

また、副理事は年寄による選挙により、年寄の中から副理事候補が選出され、理事会で任命される。

監事[編集]

監事は外部有識者2名から3名が、評議員会で任命される。

現在の役員[編集]

  • 太字は理事長経験者
役職 年寄名 最高位 四股名 所属一門
理事長 北の湖敏満 第55代横綱 北の湖敏満 出羽海一門
理 事 事業部長 八角信芳 第61代横綱 北勝海信芳 高砂一門
全国維持員会会長
健康保険組合理事長
博物館運営委員
総合企画部長 貴乃花光司 第65代横綱 貴乃花光司 貴乃花一門
指導普及部長
生活指導部長
監察委員長
危機管理部長
博物館運営委員
大阪場所担当部長 鏡山昇司 関脇 多賀竜昇司 時津風一門
名古屋場所担当部長 千賀ノ浦靖仁 関脇 舛田山靖仁 出羽海一門
巡業部長 尾車浩一 大関 琴風豪規 二所ノ関一門
審判部長 伊勢ヶ濱正也 第63代横綱 旭富士正也 伊勢ヶ濱一門
(ドーピング委員長)
新弟子検査担当
九州場所担当部長 松ヶ根六男 大関 若嶋津六夫 二所ノ関一門
相撲教習所 友綱隆登 関脇 魁輝薫秀 伊勢ヶ濱一門
広報部長 出来山双一 関脇 出羽の花義貴 出羽海一門
警備本部長
博物館運営委員
(外部理事) 海老沢勝二 日本放送協会会長
横綱審議委員会委員長
德川康久 靖国神社宮司
宗像紀夫 東京地方検察庁特別捜査部部長
監 事 岡部観栄 高野山高等学校校長
高野山真言宗興山寺住職
神山敏夫 公認会計士

2014年4月現在、出羽海一門が理事長・理事を3名出している一方、時津風一門、高砂一門の理事はそれぞれ1名だけである。現役時代の最高位が「関脇」の理事が4人いることも特徴として挙げられる。

協会組織[編集]

それぞれの長は理事が務め、その指示のもと各年寄が職務に当たる。2以上の部署を兼任する年寄も多い。

  • 相撲教習所
    新たに相撲協会に登録された力士を6ヶ月間指導教育する。
  • 指導普及部
    相撲伝承のため相撲技術の研修、指導普及相撲道に関する出版物の刊行等を行う。公益法人としての公益事業として一般会員の進級試験も担当する。原則として委員以下の年寄は全員所属する。
  • 生活指導部
    協会員の生活指導に当たり、適当な指導を行う。部屋持ち親方は全員所属する。
  • 事業部
    東京での本場所の実施運営を行う。
  • 審判部
    本場所相撲における勝敗の判定及び取組の作成を行う。番付の編成も審判部の所管である。
  • 地方場所部
    大阪、名古屋、福岡の地方本場所の実施運営を行う。
  • 巡業部
    地方巡業の実施運営を行う。
  • 広報部
    国内および海外に対する広報業務を行う。また、映像の撮影、製作、管理を担当する。
  • 相撲競技監察委員会
    本場所相撲における故意による無気力相撲を防止し、監察、懲罰することを目的とする。
  • 相撲博物館
    主に相撲の研究、相撲資料の展覧・整理・保管および出版物の刊行を行う。国技館に併設されている。館長は協会を退職した横綱経験者が務めるのが通例であり、理事が運営委員となる。
  • 健康保険組合
    日本相撲協会は独自に健康保険組合を運営しており、構成員全員をその組合員としている。主な業務は相撲協会診療所の運営であり、主に構成員の診療にあたるが、一般人の診療も可能である。

財団法人時代の役員[編集]

役員総説[編集]

  • 役職・階級
    • 最高位は理事長である。設立当時の最高位は会長だったが、戦後廃止された。
    • 役職は、理事、副理事、役員待遇委員、委員、主任、年寄(平年寄ともいう)の6職階に分かれている。なお、役員として監事が職階としてあったが、法人法制上は理事の監督機関であるはずの監事が、副部長として業務執行に関与するなどの実態が問題視された。そのため、監督官庁である文部科学省の指導により、法制上の監事は、現在外部登用をしている。それに対し、職階としての監事は「副理事」となった。また、かつては、主任の上位に参与の職階があり、また1968年までは理事の上に取締という役職を置き、取締が協会運営の中枢を担っていた。
      • 力士は、引退後に平年寄(元横綱は引退後5年間、元大関は同様に3年間委員待遇)として指導普及部へ配属され、警備などを担当する。その後の改選時に主任、さらには委員に昇格する。ただし、年寄名跡を所有していない、いわゆる借株の年寄は平年寄に留め置かれ、番付においては、年寄株を所有している他の平年寄より下に置かれる。
  • 定員
    • 役員(理事・副理事)の定数は、寄附行為の定めにより、理事は9名以上13名以内、副理事は3名以内。
  • 任期・選任方法
    • 理事長は理事の互選で定める。
    • 役員(理事・副理事)の任期は2年で、西暦偶数年の1月場所後に選任される。
    • 役員は、評議員(年寄名跡105名以内+一代年寄2名、現役力士4名以内、行司2名以内で構成)の投票による選挙で選出される。現役力士、行司の評議員は、それぞれ力士会、行司会の互選で定める。現役力士の評議員は、慣例として日本国籍を有する番付上位(横綱・大関)の者が選ばれる。2008年1月では、横綱・大関に該当者が3名しかいなかったため、現役力士の評議員は3名であった。2010年1月には該当者が2名に減少しており、その後大関琴光喜が解雇され、2011年7月場所で大関魁皇が引退したため、該当者はいなくなっていたが、同年9月場所後に琴奨菊が大関に昇進したことにより、力士の評議員が復活した。行司の評議員は立行司がつとめるのが慣例である。
    • 役員(理事・副理事)の立候補・投票制度は、1968年1月の協会機構改革により、確立された。1968年の最初の選挙では、監事候補が4名になったため、投票が行われた(高砂一門の若松親方が落選)が、それ以来、各一門が一門別の評議員(選挙人)に応じて立候補者数を調整し、理事・監事選挙に臨んだため、1970年から1996年までの連続14期・28年間は、全ての理事・監事が無投票で選出されていた。選挙が行われた時期は、1998年2000年2002年2010年2012年2014年の6回である(協会理事と一門)。
      • 1998年の改選の際には、間垣親方(2代若乃花(二所ノ関一門))および8代高田川親方(前の山太郎(高砂一門を破門))が一門の調整外で立候補し、18代陣幕親方(北の富士勝昭(高砂一門))が候補から外されたことで協会を退職したため、理事候補者が11人となり、初めて投票による理事選挙が実施された(当時の理事定数は、7名以上10名以内)。
      • 2010年2月の改選の際には、貴乃花光司が、二所ノ関一門を離脱して、調整外で立候補することを表明。定数10に対し、11人が理事に立候補することとなり、2002年以来4期ぶりに理事選挙の投票が実施された。その結果、貴乃花親方が当選し、現行の役員制度になってから5番目に若い理事となった。
  • 外部役員の導入
    • 時津風部屋力士暴行死事件で元時津風親方らが逮捕されたことを受け、監督官庁の文部科学省から「外部の識者を相撲協会の理事に迎えて、相撲ファンの声が届くような体制にして戴きたい」と強く指導されたため、協会では寄附行為(企業の定款に相当)を変更するとともに、2008年9月30日、臨時理事会と評議員会を開催し、戦後初めて親方以外から理事2名および監事1名を決定、選任した[9]。同時に、3名の親方が務めていた監事は副理事に名称変更された。
    • また、外部理事及び監事は、番付には記載されなかった。
  • 役員経験者の処遇
    • 理事長経験者は相談役として、理事と同等の待遇を受ける。また、理事経験者や副部長の職責を全うできる者は、役員待遇として副理事と同等の待遇を受けることができる。

理事長[編集]

  • 常ノ花以降の歴代理事長を一門別に分けると、出羽海一門7度、時津風一門2度、二所ノ関一門2度となる。
  • 理事長は初代(陸軍中将)を除きすべて部屋持ち親方、もしくは部屋持ちの経験がある親方で、部屋持ちの経験がない親方が理事長を務めた例はない。理事長在任時に部屋持ちでなかった親方は武蔵川喜偉(理事長就任前の出羽海親方時代に部屋持ち経験あり)と任期後半の出羽海智敬(理事長職専念のため境川に名跡変更)の2人のみ。

歴代理事長[編集]

代数 名前 一門 在職期間 最高位 現役名 備考
初代 広瀬正徳 1920年1月〜1938年9月 陸軍主計中将
2代 藤島秀光 出羽海 1944年3月〜1957年5月 第31代横綱 常ノ花寛市 後に出羽海に名跡変更
3代 時津風定次 時津風 1957年5月〜1968年12月 第35代横綱 双葉山定次 公選初代理事長
4代 武蔵川喜偉 出羽海 1968年12月〜1974年1月 前頭筆頭 出羽ノ花國市
5代 春日野清隆 出羽海 1974年2月〜1988年1月 第44代横綱 栃錦清隆 二子山が理事長代理
6代 二子山勝治 二所ノ関 1988年2月〜1992年1月 第45代横綱 若乃花幹士
7代 出羽海智敬 出羽海 1992年2月〜1998年1月 第50代横綱 佐田の山晋松 後に境川に名跡変更
8代 時津風勝男 時津風 1998年2月〜2002年1月 大関 豊山勝男
9代 北の湖敏満 出羽海 2002年2月〜2008年9月 第55代横綱 北の湖敏満 一代年寄。任期途中で引責辞任
10代 武蔵川晃偉 出羽海 2008年9月〜2010年8月 第57代横綱 三重ノ海剛司 任期途中で辞任
代行 村山弘義 2010年7月4日〜8月5日[10] 東京高等検察庁検事長
11代 放駒輝門 二所ノ関 2010年8月〜2012年1月 大関 魁傑將晃
12代 北の湖敏満 出羽海 2012年2月〜現職 第55代横綱 北の湖敏満 一代年寄。再任。
  • 年寄名は就任時
  • 戦前は会長職を置いていた。会長を務めたのは福田雅太郎(1928年1月〜1930年5月)、尾野実信(陸軍大将、1930年5月〜1939年5月)、竹下勇(海軍大将、1939年5月〜1945年11月)。福田も含めすべての会長が陸海軍の大将で、このことはベースボールマガジン社発行の月刊誌「相撲」のコーナーにおいても詰問されたことがあった。ただ、当時軍人をトップに戴いていた組織はそう珍しくはなかった(現在でも政治家や高級官僚OBを会長とする法人は珍しくない)。

理事長辞任[編集]

理事・監事[編集]

寄付行為により、理事定数は10名以上15名以内(うち年寄7名以上10名以内、外部理事5名以内)、監事定数は3名以内。

理事長以外の理事は各部の部長を務める。監事は、理事会及び評議員会に出席できるものの議決権はない。法律では、財団法人の監事は、「理事の業務執行の状況を監査する」機関である。しかし、監事が外部役員となるまでは、理事の部長に対して、監事は副部長として業務執行に従事するなど、法制度を無視する業務執行が行われ、監事の理事の業務執行に対する監査機能が軽視されていた。

諮問機関[編集]

諮問機関には、横綱審議委員会、運営審議会の2つがある。2007年には先述の時津風部屋における事件を踏まえて有識者を含む「再発防止検討委員会」を発足させた。委員は、協会からは伊勢ノ海、友綱、秀ノ山、中村、桐山、松ケ根、千賀ノ浦、井筒の8親方、外部からは塔尾武夫(日本相撲連盟副会長)、やくみつる漫画家好角家としても知られている)、山口弘典(日本プロスポーツ協会前副会長)、山本浩(元NHK解説委員)。

ガバナンスの整備に関する独立委員会[編集]

日本相撲協会全般の改革を目的として外部有識者からなる。 議決権の無いオブザーバーとして親方や力士も参加する。 2010年7月10日発足。第1回会合は7月16日に開かれた。 委員会のメンバーは、奥島孝康木暮浩明山本浩岡本浩一中島隆信菅原哲朗新田一郎深沢直之前田雅英渡邉美樹森まゆみ

日本相撲協会自立就職支援相談室の設置[編集]

日本相撲協会は、力士引退後の不祥事や、引退間際のトラブル、新弟子入門時の不安解消など、今までの各部屋や師匠任せになっていた力士の引退時のサポートを相撲協会本体で支援するために平成22年9月末日に理事会で承認し、同年10月1日より「日本相撲協会自立就職支援相談室」を設置した。 外部のコンサルティング企業に運営は委託しており、平成23年初場所より引退力士向けのセミナーなどを開催している。

活動内容は関連セミナーの運営、個別相談、インターンシップ先の紹介、民間ハローワークへの紹介など多岐にわたる。

処分[編集]

協会が賞罰規定で取り得る処分には、譴責・給与手当減額(減俸)・出場停止・番付降下(親方衆は降格。降格ができない場合は一定期間昇格見送り)・解雇除名がある。また、賞罰規定にはないが部屋持ちの親方が処分相当となった際に部屋を閉鎖させた(取り潰した)こともある。除名以外は理事会の決議で発動できる。

除名[編集]

除名は協会において最も重い懲罰と位置づけられており、理事会の3分の2以上の賛成で評議員会を招集、さらにその3分の2以上の賛成において年寄総会を開き、年寄衆全員の過半数の賛成による特別決議を行わなければならない。

1925年大正14年)に旧法財団法人日本相撲協会が設立された後、旧法財団法人、公益財団法人を通じて除名となった力士・親方はおらず、特に昭和末期以降は確定までの過程が理事会のみと緩い「解雇」によって除名と同等の意味を持たせるケースがほとんどを占める(後述)。戦前には清水川真鶴福住などが除名された例として存在するが、どれも正式な懲戒処分としては認められていない。この内清水川と福住は一定期間を経て処分を解除され、大相撲に帰参した。

しかし、明治時代には運営方法の対立から相撲協会とは別の団体を立ち上げようとした力士数名が除名となり、1873年(明治6年)冬場所の番付の四股名は墨塗りされてしまった[15]。解雇と異なる点として、『週刊ポスト』2012年8月17・24日号では名前や成績などの記録が一切抹消される点が説明されている。

解雇[編集]

協会における「解雇」は、一般企業の懲戒解雇諭旨解雇の中間的な形と位置づけられている。理事会において機動的に処理できることから1990年代以降、罪を犯した現役力士や親方衆を協会からの永久追放に付す意味で使われている。除名はヤクザ社会の「絶縁」に相当するが、解雇でも「(形式上でも)引退を許さない」点で「破門」に相当する重い処分であり、相撲のプロ組織は協会以外にない、さらに一度協会を去った力士や親方衆の復職は認められていない[16]ため処分を受けた者は事実上選手生命を絶たれることになる。

解雇を行う場合、理事会の4分の3の賛成で決議される。養老金勤続加算金(一般企業の退職金に相当)は理事会において支給見送りの付帯決議がなされなかった場合、本人からの請求によって支払われる。特別功労金(一般企業の特別退職金に相当。横綱・大関のみ)は支払われない。

2009年平成21年)に解雇となった若麒麟真一の事例では除名を求める声もあったが外部役員から「養老金を支払わないために(前年の解雇と同様の事例を)除名にするのはおかしい」との指摘があり解雇に落ち着いた。このため協会は寄付行為施行細則を改正し、解雇であっても理事会の付帯決議で養老金の一部または全部を支払わないことができると定められた[17]。ただ、養老金・退職金を受け取る権利を与えられた解雇者であっても若麒麟をはじめ請求しなかった例も多い。

2007年(平成19年)の15代時津風親方の時は解雇者への養老金支払いについて明文規定がなかったにもかかわらず支払いが凍結されたため裁判に持ち込まれ、結局支払うことで両者が和解した。

引退勧告[編集]

また寄附行為施行細則の附属規定として賞罰規定とは別に『故意の無気力相撲に対する懲罰規定』も存在しており、こちらでは前述の処分に加えて「引退勧告」の制度がある。引退勧告には期限を付けることができ、期日までに引退届が提出されなければ解雇、除名に切り替えることができる。

なお、力士のうち横綱の番付降下は事実上不可能であるため、これに相当する場合には横綱審議委員会が「引退勧告」を行うことができる。こちらには強制力はない。

過去に処分された力士・親方衆[編集]

これまでの処分には以下のものがある。

  年月日 名前 最高位・現役名 遂行理由 処分
1 1985年昭和60年)2月 12代花籠 横綱・輪島 年寄名跡花籠」を借金の担保にした 降格(委員→平年寄)
無期限謹慎(1985年12月退職)
2 1995年平成7年)6月 14代振分 平幕・朝嵐 自身のサイドビジネスに絡み日本相撲協会の肖像権規定に違反した 降格(委員→平年寄)
当年度一杯謹慎
3 1997年(平成9年)1月 16代山響 小結・前乃森 1996年11月場所から翌年初場所まで予告なしに本場所を欠場(失跡)した 解雇
4 1998年平成10年)8月 14代 小結・羽黒岩 1998年3月場所の入場券収入の一部を計上しなかった 降格(委員→平年寄)
5 2000年(平成12年)12月 6代高砂 小結・富士錦 闘牙進が現役力士の運転原則禁止に違反した上死亡事故を起こし監督責任を問われた 降格(役員待遇委員→平年寄)
6 2006年(平成18年)7月 露鵬幸生 平幕・露鵬 本場所中、カメラマンに暴行した 3日間出場停止
7 2007年(平成19年)5月 旭天鵬勝 関脇・旭天鵬 現役力士の運転原則禁止に違反し、自動車を運転して人身事故を起こした 1場所出場停止
期間中謹慎
8 2007年(平成19年)8月 朝青龍明徳 横綱・朝青龍 腰の骨折と称しモンゴルへ帰国した直後に中田英寿とサッカーをした 2場所出場停止
期間中謹慎
9 2007年10月 15代時津風 小結・双津竜 解雇
10 2008年(平成20年)8月21日 若ノ鵬寿則 平幕・若ノ鵬 解雇
11 2008年9月8日 露鵬幸生
白露山佑太
小結・露鵬
平幕・白露山
解雇
12 2008年9月8日 16代大嶽 関脇・貴闘力 露鵬幸生に対する監督責任を問われた 降格(委員→平年寄)
13 2008年12月18日 時津風部屋所属の力士3名 三段目2名
序二段1名
解雇
14 2009年(平成21年)2月21日 若麒麟真一 十両・若麒麟 解雇[18]
15 2010年(平成22年)2月4日 7代高砂 大関・朝潮 朝青龍明徳の一般男性に対する暴行事件とその後の引退劇で監督責任を問われた 降格(役員待遇委員→主任)
16 2010年5月27日 11代木村瀬平 平幕・肥後ノ海 2009年名古屋場所で暴力団弘道会幹部に維持員証と整理券を手配し、溜席で観戦させた 降格(委員→平年寄)
2013年5月まで昇格見送り[19]
部屋閉鎖(所属力士は北の湖部屋へ)
17 2010年5月27日 10代清見潟 平幕・大竜川 2009年名古屋場所で暴力団弘道会幹部に維持員証と整理券を手配し、溜席で観戦させた 譴責
18 2010年7月4日 16代大嶽 関脇・貴闘力 解雇
退職金全額不支給[20]
19 2010年7月4日 琴光喜啓司 大関・琴光喜 解雇
20 2010年7月4日 12代阿武松 関脇・益荒雄 降格(委員→平年寄)
2020年7月まで昇格見送り[21]
21 2010年7月4日 16代時津風 平幕・時津海 降格(主任→平年寄)
2015年7月まで昇格見送り[22]
22 2010年7月4日 理事長武蔵川晃偉以下正副理事全員 横綱・三重ノ海 一連の野球賭博問題で連帯責任 給与手当減額2ヶ月最大30%
23 2010年9月8日 古市貞秀
床山・床池
十両・古市
床山・床池
解雇
24 2010年9月8日 松谷裕也
若力堂聖也
十両・松谷
三段目・若力堂
1場所〜2場所の出場停止
25 2010年9月8日 13代佐渡ヶ嶽
9代松ヶ根
関脇・琴ノ若
大関・若嶋津
降格(委員→平年寄)
26 2010年9月8日 雅山哲士以下力士39名
(名古屋場所出場22名、謹慎休場17名)
平幕・雅山他38名 譴責
27 2010年12月24日 11代宮城野 十両・金親 15代熊ヶ谷との名跡交換による宮城野部屋の師匠交代勧告
降格(主任→平年寄)
定年(2034年11月)まで昇格見送り
28 2011年(平成23年)4月1日 徳瀬川正直以下力士21名
北の湖敏満以下親方衆19名
横綱・北の湖他39名 引退・退職勧告20名
出場停止・停職2年3名
親方衆の降格14名
親方衆の昇格見送り3名
29 2011年4月6日 12代谷川 小結・海鵬 4月1日付けで出された引退勧告処分を拒否 解雇
30 2011年4月14日 蒼国来栄吉
星風芳宏
平幕・蒼国来
十両・星風
4月11日付けで出された引退勧告処分を拒否 解雇[23]
31 2011年4月20日 17代尾上 小結・濱ノ嶋 酒気帯び運転で警視庁に摘発 2021年4月まで昇格見送り[24]

協会葬[編集]

在職中、または現役中に相撲界の発展に多大に寄与した者に対し、日本相撲協会葬を行う。原則として、在職中に死去した理事経験者か横綱の場合に限る[25]。ただし、協会を退職していた出羽ノ花國市や三役にも理事長にもなっていない柏戸秀剛が協会葬になった例がある。

  年月日 名前 最高位・現役名 備考
1 1922年12月28日 出羽ノ海谷右衛門 横綱・常陸山
2 1938年12月22日 玉錦三右衛門 横綱・玉錦 現役没
3 1940年5月30日 木村庄之助(松翁 木村庄之助 立行司、20代。現役没
4 1942年12月28日 木村良雄 木村良雄 十枚目格行司。現役没
5 1942年12月28日 橋詰正次 三段目 戦争により死亡
6 1949年1月26日 出羽海梶之助 小結・両國
7 1953年1月28日 立浪弥右衛門 小結・緑嶌
8 1959年10月6日 春日野剛史 横綱・栃木山
9 1960年12月26日 出羽海秀光 横綱・常ノ花 第2代藤島理事長
10 1968年12月25日 時津風定次 横綱・双葉山 第3代時津風理事長
11 1969年10月20日 立浪政司 横綱・羽黒山
12 1971年9月2日 秀ノ山勝一 関脇・笠置山
13 1971年9月4日 高砂浦五郎 横綱・前田山
14 1971年12月23日 玉の海正洋 横綱・玉の海 現役時の病没
15 1975年3月27日 二所ノ関勝巳 大関・佐賀ノ花
16 1977年4月22日 伊勢ヶ濵万蔵 横綱・照國
17 1977年12月23日 宮城野潤之輔 横綱・吉葉山
18 1982年12月28日 伊勢ノ海裕丈 幕内・柏戸
19 1987年6月2日 市川國一 幕内・出羽ノ花 第4代武蔵川理事長
20 1988年12月13日 高砂浦五郎 横綱・朝潮
21 1990年1月31日 春日野清隆 横綱・栃錦 第5代春日野理事長
22 1996年12月18日 鏡山剛 横綱・柏戸
23 2005年6月13日 二子山満 大関・貴ノ花

※名前は逝去時。退職者は本名。

公式キャラクター[編集]

2009年よりマスコットとして「ハッキヨイ!せきトリくん」が登場した。せきトリを目指す「ひよの山」を主人公に「そっぷ山」「赤鷲」などのキャラクターも登場。デザイナーはにしづかかつゆき。 大相撲にマスコットを設置した理由については、相撲離れの進む若い世代にもっと相撲に興味をもらう事が目的の一つであるという。 公式サイトや関連刊行物にも子供達が読みやすいよう、漢字に読み仮名を振る配慮がされている。 2010年よりぬいぐるみや文房具などグッズも作られる。

脚注[編集]

  1. ^ 平成23年度決算のご報告 収支計算書、日本相撲協会、2013年2月21日閲覧。
  2. ^ 平成23年度決算のご報告 財産目録、日本相撲協会、2013年2月21日閲覧。
  3. ^ 中央省庁再編前は文部省
  4. ^ ただし、アマチュア相撲日本相撲連盟が統括している。
  5. ^ 内閣官房行政改革推進室「第4回 公益法人制度改革に関する有識者会議」議事録における星野英一発言
  6. ^ この検査は世界アンチ・ドーピング機関及び日本アンチ・ドーピング機構の認定検査機関である三菱化学メディエンスが実施した
  7. ^ 親方らから事情聴取 野球賭博報道で相撲協会 MSN産経ニュース、2010年5月20日
  8. ^ 公益財団法人の認定を受けて (PDF) 日本相撲協会 2014年1月28日
  9. ^ 日本相撲協会 役員外部招聘 時事通信 2008年9月30日閲覧
  10. ^ 当初は武蔵川の謹慎期間の7月25日までとされたが、武蔵川が病気入院した為、8月5日まで続投している。
  11. ^ a b 大相撲大麻疑惑:北の湖理事長が辞任…露鵬、白露山は解雇 2008年9月8日付 毎日新聞
  12. ^ 武蔵川理事長の前任であった北の湖理事長は、引退時に戦後2人目の一代年寄となったため、現役時代の名前をそのまま使用している。
  13. ^ 北の湖理事長が辞任、2力士の大麻疑惑「クロ」2008年9月8日付 読売オンライン
  14. ^ 武蔵川理事長辞任、後任に放駒親方 2010年8月12日付 読売オンライン
  15. ^ 「相撲協会の除名とはどんな処分か?」 - 日刊スポーツ2010年6月22日付。
  16. ^ 日本相撲協会寄附行為施行細則96条 - MMTS相撲ホームページ 2010年7月4日閲覧。
  17. ^ 役員の退職金規定について - 日本相撲協会公式ホームページ 2010年7月4日閲覧。
  18. ^ 退職金支払いの可能性を摘むため除名も検討されたが結局解雇に落ち着く。
  19. ^ 2014年(平成26年)4月3日付の職務分掌により主任に再昇格。
  20. ^ 理事会の付帯決議で退職金支給が取り消された初の事例となった。
  21. ^ 2014年(平成26年)4月3日の理事会で取り消され委員に再昇格した。
  22. ^ 2014年(平成26年)4月3日の理事会で処分が見直され主任に再昇格した。 野球賭博問題で据え置きの阿武松親方ら昇格 - スポーツ報知 2014年4月4日閲覧。
  23. ^ 蒼国来は解雇を不服として東京地方裁判所に提訴し、2013年(平成25年)3月25日付で解雇無効の判決が出されて、2013年名古屋場所から現業復帰した。
  24. ^ 2014年(平成26年)4月3日の理事会で処分が見直され主任に再昇格した。
  25. ^ 昭和の大横綱・大鵬、急死…最期は優しい顔 SANSPO.COM 2013年1月20日

外部リンク[編集]