日本相撲協会

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日本相撲協会
設立 1925年
所在地 東京都墨田区横網1-3-28
収入 113億円(2007年)[1]
基本財産 286億円(2007年末)[2]
ウェブサイト www.sumo.or.jp

財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい、英文名: Japan Sumo Association)は、大相撲の興行、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の保持のために1925年に設立された特例財団法人である。

寄附行為第3条(目的)において、「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民 の心身の向上に寄与することを目的とする。」と定められている。

目次

[編集] 概要

日本相撲協会は、商業的かつ職業的な相撲興行に関して、全国規模で開催している唯一の法人である。通称「相撲協会」。文部科学省スポーツ青少年局競技スポーツ課所管(中央省庁再編前は文部省)の特例財団法人であり、英文字略称は「Japan Sumo Association」の略のJSAだが、ほとんど使われていない。

主たる事業は、本場所巡業興行青少年学生への相撲の奨励、相撲教習所の維持運営、国技館の維持運営、相撲博物館の維持運営、構成員の福利厚生などである。これらの事業を実施するため、事業部、審判部、巡業部、地方場所部、指導普及部、生活指導部、総合企画部、相撲教習所、観察委員会、公傷認定委員会、広報部などがあり、それぞれの長は理事が務める。構成員は、年寄力士行司呼出床山若者頭および世話人などである。

公益法人としての資格については、「興行に拘りすぎて、財団法人としての責任義務を果たしていないのではないか」という意見も多数あるが、公益事業として相撲の指導普及を図るため指導普及部を設置し、指導普及部一般会員の進級試験も行っている。

2007年八百長疑惑、時津風部屋力士暴行死事件横綱朝青龍の無断帰国・巡業休場問題が相次いで発生し世間の注目を集めた。さらに2008年8月には、協会の再発防止検討委員会が実施した抜き打ちドーピング検査による大相撲ロシア人力士大麻問題で、当時の北の湖理事長が辞職した。この検査は、世界アンチ・ドーピング機関及び日本アンチ・ドーピング機関の認定検査機関である三菱化学メディエンスが実施した。これらの諸問題に対し、公益法人としての責任が問われている。

[編集] 沿革

母体は東京に本拠を置いた「東京大角力協会」であり、その起源は江戸時代に遡る。下記以外の歴史については『大相撲の歴史』を参照のこと。

  • 1925年大正14年)12月9日- 時事通信社が「東京大相撲協会が財団法人大日本相撲協会に組織替え」と報道(当時の正式名称は「東京大角力協会」)
  • 1925年12月28日- 財団法人大日本相撲協会設立の認可がおりる。
    当時摂政皇太子であった昭和天皇の台覧のおり下賜された奨励金から「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)をつくったが、興行主に過ぎない団体が菊花紋章の入った優勝杯を使用するわけにはいかず、財団法人認可を受けた。この認可も、どうやら難しそうだと見て、あえて年末に申請して強引に認可を受けたという裏話が残っている。
  • 1927年1月5日- 大坂相撲協会が解散し大日本相撲協会に合流し東西大相撲が合併
  • 1927年1月7日- 新しい番付を発表(1925年から1926年にかけて行われた東西連盟大相撲の成績をもとに作成)
  • 1927年1月8日- 役員改選し、会長には福田雅太郎陸軍大将)が就任
  • 1928年1月- 大日本相撲協会に改称
  • 1966年4月1日 - 財団法人大日本相撲協会から財団法人日本相撲協会に改称(文部省関係許可認可等臨時措置令施行規則の一部を改正する省令(昭和41年文部省令第6号))

[編集] 役員

[編集] 歴代理事長

代数 名前 在任期間 最高位 現役名 備考
初代 広瀬正徳 1920年1月~1938年9月 陸軍主計中将
2代 藤島秀光 1944年3月~1957年5月 第31代横綱 常ノ花寛市 後に出羽海に名跡変更
3代 時津風定次 1957年5月~1968年12月 第35代横綱 双葉山定次 公選初代理事長
4代 武蔵川喜偉 1968年12月~1974年1月 前頭筆頭 出羽ノ花國市
5代 春日野清隆 1974年2月~1988年1月 第44代横綱 栃錦清隆 二子山が理事長代理
6代 二子山勝治 1988年2月~1992年1月 第45代横綱 若乃花幹士
7代 境川尚 1992年2月~1998年1月 第50代横綱 佐田の山晋松 後に出羽海より名跡変更
8代 時津風勝男 1998年2月~2002年1月 大関 豊山勝男
9代 北の湖敏満 2002年2月~2008年9月 第55代横綱 北の湖敏満 一代年寄。任期途中で引責辞任
10代 武蔵川晃偉 2008年9月~ 第57代横綱 三重ノ海剛司
  • 年寄名は就任時
  • 戦前は会長職を置いていた。会長を務めたのは福田(1928年1月~1930年5月)、尾野実信(陸軍大将、1930年5月~1939年5月)、竹下勇(海軍大将、1939年5月~1945年11月)。このことはベースボールマガジン社発行の相撲のコーナーにおいても詰問されたことがあった。

[編集] 理事長辞任

[編集] 備考

  • 武蔵川理事長の前任であった北の湖理事長は、引退時に戦後2人目の一代年寄となったため、現役時代の名前をそのまま使用している。
  • 常ノ花以降三重ノ海までの歴代理事長を一門別に分けると、出羽海一門6人、時津風一門2人、二所ノ関一門1人となる。
  • 親方として三役以上の力士を育てていない理事長は北の湖が唯一である。

[編集] 理事・監事

寄附行為により、理事定数は9名以上13名以内、監事定数は3名以内。

内部理事
役 職 年寄名 最高位 四股名 所属一門
理事長 武蔵川晃偉 第57代横綱 三重ノ海剛司 出羽海一門
事業部長 伊勢ノ海裕己茂 関脇 藤ノ川武雄 時津風一門
総合企画部長
生活指導部長
巡業部長 大島武雄 大関 旭國斗雄 立浪一門
審判部長 放駒輝門 大関 魁傑將晃 二所ノ関一門
大阪場所担当部長 北の湖敏満 第55代横綱 北の湖敏満 出羽海一門
名古屋場所担当部長 二所ノ関正裕 関脇 金剛正裕 二所ノ関一門
九州場所担当部長 出羽海義和 関脇 鷲羽山佳和 出羽海一門
相撲教習所 友綱隆登 関脇 魁輝薫秀 立浪一門
監察委員長
警備本部長
広報部長 九重貢 第58代横綱 千代の富士貢 高砂一門
指導普及部長
外部理事
役 職 氏 名 備 考
伊藤滋 東京大学名誉教授
村山弘義 弁護士(元東京高等検察庁検事長
監事
吉野準 警視総監

[編集] 備考

  • 1968年1月の協会機構改革により、役員(理事・監事)の立候補・投票制度が確立された(投票方法は後述)。1968年の最初の選挙では監事候補が4名になったので投票がおこなわれた(高砂一門若松親方が落選)が、それ以来各一門が一門別の評議員(選挙人)に応じて立候補者数を調整し理事・監事選挙に臨んだため、1970年から1996年まで連続14期・28年間は全ての理事・監事が無投票で選出された。1998年には理事候補者が11人となったため、初めて投票による理事選挙が実施された(当時の理事定数は7名以上10名以内、間垣親方=2代若乃花の項参照)。2008年1月現在、出羽海、二所ノ関両一門から3人ずつ理事が輩出されているのとは対照的に、時津風、高砂両一門からは1人しか理事が出ていない。
  • 時津風部屋力士暴行死事件で元時津風親方らが逮捕されたことを受け、監督官庁の文部科学省から「外部の識者を相撲協会の理事に迎えて、相撲ファンの声が届くような体制にして戴きたい」と強く指導されたため、協会では寄附行為を変更するとともに、2008年9月30日、臨時理事会と評議員会を開催し、戦後初めて親方以外から理事2名および監事1名を決定、選任した[5]。同時に、3名の親方が務めていた監事は副理事に名称変更された。
  • 2008年8月、現役力士が逮捕・解雇されると言う前代未聞の大相撲ロシア人力士大麻問題が発生し、大阪場所担当部長の間垣理事は「管理不行き届き」として辞職届を提出し、即日了承された[6]。なお、慣例として任期中に理事・監事に死去などが生じても任期中の補充はしないため、理事9名体制(当時の理事定数は7名以上10名以内)で運営されることとなった。

[編集] 関連リンク

[編集] 職階

  • 設立当時の最高位は会長だったが、戦後廃止されたため現在は理事長である。役職は、理事監事、役員待遇、委員、主任、参与、年寄(平年寄ともいう)の7職階に分かれており、2008年1月現在参与職の年寄はいない。1968年までは理事の上に取締という役職を置き、取締が協会運営の中枢を担っていた。
  • 役員(理事・監事)の定数は寄附行為の定めにより、理事は9名以上13名以内、監事は3名以内。理事長は理事の互選で定め、理事長以外の理事は各部の部長を務める。監事は、理事会及び評議員会に出席できるものの議決権はない。もともと、法律では財団法人の監事は「理事の業務執行の状況を監査する」機関であるが、理事の部長に対して監事は副部長として業務執行に従事するなど、理事の業務執行に対する監査機能が軽視されている。
  • 役員(理事・監事)の任期は2年で、西暦偶数年の1月場所後に選任される。役員は、評議員(年寄名跡105名以内+一代年寄2名、現役力士4名以内、行司2名以内で構成)の投票による選挙で選出される。現役力士、行司の評議員は、それぞれ力士会、行司会の互選で定める。現役力士の評議員は、慣例として日本国籍を有する番付上位(横綱・大関)の者が選ばれ、2008年1月では横綱・大関に該当者が3名しかいなかったため現役力士の評議員は3名となった。
  • 理事長経験者は相談役となり、理事と同等の待遇を受ける。また、理事経験者や副部長の職責を全うできる者は、役員待遇として監事と同等の待遇を受ける。
  • 力士は引退後に平年寄(元横綱は引退後5年間、元大関は同様に3年間委員待遇)として指導普及部へ配属され、警備などを担当する。その後の改選時に主任、さらには委員となる。ただし、年寄名跡を所有していない、いわゆる借株の年寄は平年寄に留め置かれ、番付において年寄株を所有している他の平年寄よりも下に置かれる。

[編集] 諮問機関

諮問機関には、横綱審議委員会、運営審議会の2つがある。2007年には先述の時津風部屋における事件を踏まえて有識者を含む「再発防止検討委員会」を発足させた。委員は、協会からは伊勢ノ海、友綱、秀ノ山、中村、桐山、松ケ根、千賀ノ浦、井筒の8親方、外部からは大西祥平慶應義塾大学スポーツ医学研究センター副所長)、塔尾武夫(日本相撲連盟副会長)、やくみつる漫画家好角家としても知られている)、山口弘典(日本プロスポーツ協会副会長)、山本浩日本放送協会解説委員)。

2008年4月1日、再発防止検討委員会は、春場所のため中断していた部屋視察を再開し、14日で53部屋の視察を終了する。5月に開かれる全体会で各員の意見を集約する。

[編集] 処分

処分には、けん責・減俸・出場停止・番付降下・解雇・除名がある。除名以外は理事会の決議によるが、除名は役員・評議員・横綱・大関の総数の4分の3以上の決議による。これまでの処分には以下のものがある。

[編集] 協会葬

在職中、または現役中に相撲界の発展に多大に寄与した者に対し、日本相撲協会葬を行う。原則として、理事経験者か横綱の場合に限る。

  年月日 名前 最高位・現役名 備考 遂行理由
1 1922年12月28日 出羽ノ海谷右衛門 横綱・常陸山
2 1938年12月22日 玉錦三右衛門 横綱・玉錦 現役没
3 1940年5月30日 木村庄之助(松翁 木村庄之助 立行司、20代。現役没
4 1942年 木村良雄 木村良雄 十枚目格行司。現役没
5 ? 橋詰正次 三段目
6 1949年1月26日 出羽海梶之助 小結・両國
7 1953年1月28日 立浪弥右衛門 小結・緑嶌
8 1959年10月6日 春日野剛史 横綱・栃木山
9 1960年12月26日 出羽海秀光 横綱・常ノ花 第2代藤島理事長
10 1968年12月25日 時津風定次 横綱・双葉山 第3代時津風理事長
11 1969年10月20日 立浪政司 横綱・羽黒山
12 1971年 秀ノ山勝一 関脇・笠置山
13 1971年 高砂浦五郎 横綱・前田山
14 1971年12月23日 玉の海正洋 横綱・玉の海 現役時の病没
15 1975年3月27日 二所ノ関勝巳 大関・佐賀ノ花
16 1977年 伊勢ヶ濵万蔵 横綱・照國
17 1977年12月23日 宮城野潤之輔 横綱・吉葉山
18 1982年12月28日 伊勢ノ海裕丈 幕内・柏戸
19 1987年6月2日 市川國一 幕内・出羽ノ花 第4代武蔵川理事長
20 1988年12月13日 高砂浦五郎 横綱・朝潮
21 1990年1月31日 春日野清隆 横綱・栃錦 第5代春日野理事長
22 1996年12月18日 鏡山剛 横綱・柏戸
23 2005年6月13日 二子山満 大関・貴ノ花

※名前は逝去時。退職者は本名。

[編集] 脚注

  1. ^ 平成19年度決算のご報告 収支計算書、日本相撲協会、2008年9月7日閲覧。
  2. ^ 平成19年度決算のご報告 財産目録、日本相撲協会、2008年9月7日閲覧。
  3. ^ a b 大相撲大麻疑惑:北の湖理事長が辞任…露鵬、白露山は解雇 2008年9月8日付 毎日新聞
  4. ^ 北の湖理事長が辞任、2力士の大麻疑惑「クロ」2008年9月8日付 読売オンライン
  5. ^ 日本相撲協会 役員外部招聘 時事通信 2008年9月30日閲覧
  6. ^ 大麻所持事件、若ノ鵬を解雇…間垣親方は理事辞任 (2008年8月21日14時19分 読売新聞)

[編集] 外部リンク