尾上部屋
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尾上部屋(おのえべや)は、日本相撲協会所属で出羽海一門の相撲部屋。
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[編集] 沿革
2004年(平成16年)5月場所限りで引退した三保ヶ関部屋(大関・増位山)所属の小結・濱ノ嶋は、年寄・尾上を襲名して三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、2006年(平成18年)8月1日付で幕内・把瑠都ら6人の内弟子を連れて三保ヶ関部屋から分家独立して尾上部屋を創設した。日本大学相撲部出身者を多数入門させており、独立の際は三保ヶ関部屋に在籍していた日本大学出身力士は弟弟子1名(幕下・柳川)を除き全員が尾上部屋に移籍した。
所属力士の数は10人に満たず、その半分が同時に関取だった時期もあり、付け人やちゃんこ番の不足に悩まされている。尾上夫人が大田区池上出身と言うことで、この地に部屋を構えた。大田区初の相撲部屋である。仮住まいの近所に正式に部屋を開き、2010年6月12日大安に部屋開きを行った。
2011年4月1日の大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、弟子の境澤、山本山、白乃波の3人が引退勧告処分となり[1]、師匠としての監督責任があるとして尾上は委員から年寄への降格処分を受けた[2]。
[編集] 所在地
[編集] 師匠
- 17代:尾上圭志(おのえ けいし、小結・濱ノ嶋、熊本)
[編集] 力士
[編集] 現役の幕内経験力士
[編集] 幕内
[編集] 大関
- 把瑠都凱斗(エストニア)
[編集] 前頭
[編集] 十両
[編集] 旧尾上部屋
尾上の名跡は以前は高砂系で、元十両の野州山義郎が1955年に亡くなるまで、部屋を経営していた。1957年9月場所に入幕した当時高砂部屋の及川太郎が、入門時は尾上部屋に所属していた。
[編集] 脚注
- ^ 八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日
- ^ 17人の親方を処分/八百長問題 日刊スポーツ 2011年4月1日
[編集] 後援会
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