水戸泉政人
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|---|---|---|---|---|
| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 水戸泉 眞幸 | |||
| 本名 | 小泉 政人 | |||
| 愛称 | 水戸ちゃん イズミちゃん | |||
| 生年月日 | 1962年9月2日 | |||
| 出身 | 茨城県水戸市 | |||
| 身長 | 194cm | |||
| 体重 | 192kg | |||
| 所属部屋 | 錦戸部屋 | |||
| 得意技 | 突っ張り、左四つ、寄り切り | |||
| 成績 | ||||
| 最高位 | 関脇 | |||
| 生涯戦歴 | 807勝766敗162休 | |||
| 幕内戦歴 | 530勝556敗99休 | |||
| 優勝 | 幕内最高優勝1回 | |||
| 賞 | 殊勲賞1回、敢闘賞6回 | |||
| データ | ||||
| 初土俵 | 1978年3月場所 | |||
| 入幕 | 1984年9月場所 | |||
| 引退 | 2000年9月場所 | |||
| 趣味 | 水墨画 | |||
| 備考 | ||||
| 2009年1月25日現在 | ||||
水戸泉 眞幸(みといずみ まさゆき、1962年9月2日 - )は、茨城県水戸市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。本名は小泉 政人(こいずみ まさと)。身長194cm、体重192kg、現在は年寄・錦戸、得意手は突っ張り、左四つ、寄り切り、愛称は「水戸ちゃん」、「イズミちゃん」など、趣味は水墨画。
目次 |
[編集] 来歴
幼少の頃に父を亡くし弟の昭二(元十両13・梅の里)とともに母1人の手で育てられた。茨城県水戸市立飯富中学時代には母の勧めで柔道に打ち込み初段になる腕前の持ち主だった。1977年の暮に力士のサイン会に行った。本人は貴ノ花のサイン会だと思っていたそうだが実は高見山と富士櫻のサイン会だった。この時髙見山に「大きねーお相撲さんにならないかい」と勧誘される。数日後には高砂親方からも勧誘され、入手困難だった29cmの靴をもらって入門を決めた。水戸泉の四股名は出身地の水戸、本名小泉、そして「枯れることなき泉のごとく出世を」という願いを込めて髙砂が命名した。
部屋の同期生に長岡(元大関・4代朝潮、幕下付出)がおり、彼から手ごろな稽古相手と目をつけられていた。大学相撲の超エリートであった朝潮との稽古は、中学卒業間もない少年にはつらいものだったが、これが後々の財産にもなった。朝潮とのエピソードは数多く残り、洗濯して干していた朝潮のパンツを神社に置き忘れて叱られた逸話などが伝わっている。
新十両の場所の8日目から付人の奄美富士の進言により大量の塩を撒くようになった。初めの頃は1回目から大きく撒いていたが後に制限時間いっぱいの時にのみ大きく撒くようになった。1回にとる塩の量は何と600gにもなったという。イギリス巡業で「ソルトシェイカー」と紹介され、日本でもあだ名として定着した。塩を撒いた後に顔、まわしを叩く仕草も有名である。同様に大量の塩を撒く力士には朝乃若がおり、対戦した際には豪快に撒き上げる水戸泉と叩きつける朝乃若の両者の塩撒きに観客が沸いた。また、両者はどちらも黄色系の回しを締めていた時期がありその興味でも沸いた。
一方でこれは制限時間まで立つ気がない仕切りを繰り返していることでもあって、批判されることも多かった。貴闘力、浪ノ花ら時間前でも立っていく力士との対戦で興をそぐことも多かった。
1984年9月場所新入幕、しかし1985年5月場所前に交通事故を起こして負傷し、2場所連続負け越してに十両に陥落。この事故がきっかけで十両以上の力士の自動車運転が禁止され、現在に至る(ただし免許の更新は禁止されていない)。1986年3月場所再入幕、12勝3敗で敢闘賞、5月場所は負け越したが7月は10勝5敗、9月場所は関脇になった。しかしこの場所大乃国との対戦で左膝を負傷、3場所連続休場で十両に落ちた。1988年3月場所再入幕。9月場所には小結で10勝5敗。当然大きな飛躍が期待されたがまたしても大乃国との対戦で左足首に負傷。十両には落ちなかったがこれら2度の負傷には最後まで苦しまされることになった。その後も平幕上位から関脇での活躍が続くが1990年後半は低迷。1991年3月場所から7場所連続で勝ち越して1992年3月場所には小結に帰って8勝7敗。
1992年5月場所は7勝8敗と負け越したが、続く7月場所では前頭筆頭に下がった水戸泉は快進撃で白星を積み重ねていく。優勝争いの単独首位を走り14日目に勝って12勝2敗、3敗で追う小錦、霧島、武蔵丸の全員が負けて優勝が決まった。一応優勝決定の可能性があるため、支度部屋で待機していたがまさか三役陣が総崩れとは思わず、3敗勢最後の1人である霧島が負けた瞬間には思わず「嘘っ!?」と言った後に弟の梅の里と抱き合って涙ぐんだ。当時の高砂親方である富士錦の現役時代、1964年に優勝した時と同じ尾張名古屋の土俵だった。千秋楽も勝って13勝2敗の成績を収めた。
優勝パレードでは当時まだ大関だった小錦が優勝旗の旗手を務めた。大関力士が下位の力士の優勝で旗手をつとめることは珍しく、小錦は「天下の大関が、平幕力士の旗手をするとは何事か」と多くの批判を浴びたという。しかし小錦は「僕の3回の優勝の他、先場所(1992年夏場所)では曙の旗手までさせてしまった。水戸関は僕の恩人だから、誰がなんと言おうと僕が旗を持つ」と小錦が恩返しの意味で自分から願い出たことだった。小錦の人情味とともに水戸泉の人柄を物語る逸話である。
翌1992年9月場所は当然関脇、ここでも勝ち越して7月場所の優勝が本物であることを印象付けた。1992年11月場所は成績次第では大関取りだったがまたしても左足の負傷で平幕に下がる。1993年より、「政人では政治家みたいで力士としてしっくりこない」と、四股名を水戸泉眞幸と改名する。しかし膝の故障が多発して三役には復帰できなかった。1999年5月場所で十両に陥落し、その後幕内に戻ることはなかった。その後もしばらく現役を続け、蔵前国技館で幕内を務めた力士の最後の生き残りとして38歳まで現役を続けたが、2000年9月場所を最後に引退、年寄・錦戸を襲名した。幕内在位79場所で休場が99回は、横綱・大関を除けば過去最多の休場数であった(横綱大関を含めた最高は貴乃花光司の201)ため、「怪我のデパート」などと言われた。
一時は高砂部屋の後継者に指名されたが、婚約破棄問題で辞退した。2002年に高砂部屋から分家独立して錦戸部屋を設立した。部屋の玄関の横には本人の優勝額が掲げられている。
[編集] エピソード
得意の左四つ右上手の体勢になった際の強さは圧倒的なもので、パワフルな吊り気味の寄りから「走る起重機」の異名をとった。右上手投げの威力も絶大であり、横綱貴乃花を投げ飛ばしたこともある。このため水戸泉と対戦する力士らは総じて右上手を警戒しており、その攻防が取り口の中で最大の見せ場といえる。ただし水戸泉も左四つが不得手というわけではなく、懐の深さを活かした引き、相手の差手を極めるなどの対抗策をしばしば見せている。
日本人離れした恵まれた体格とパワーを持ち合わせ、新弟子時代から将来を期待されていた。その潜在能力の高さは北の富士も「膝の故障がなければ当然大関」と公言しているほどであり、度重なる怪我で大関取りが阻まれたことが悔やまれる。
「幼い頃から苦労をかけた母に少しでも親孝行がしたい」と言って力士になり、その後も常々語っていた。実際幕内優勝を果たす前、実の母親から水戸泉に対して「いつも優勝パレードでは旗持ちばかりして。たまにはあなたが優勝して、誰かに優勝旗を持たせるようにしなさいよ!」と奮起を促したことがあったという。しかし、その水戸泉がその後正真正銘の幕内優勝を成し遂げたことで、立派に親孝行を果たせたといえよう。
同じ高砂一門に九重部屋の千代の富士、北勝海の両横綱、同部屋に大関の小錦がいて、優勝パレードの旗手役の常連だった。初優勝力士を出した部屋では、優勝パレードの次第がわからなかったら水戸泉に聞きにいく、とまで言われた。自身の優勝パレードで、小錦が旗手をつとめてくれた時にも、「自分が優勝旗を持ちそうになった」と語っている。
自分の付け人でやめようとしているものがいると、屋台に呑みにつれだして説得。「俺も昔は弱かったんだよ」と語っているうち、自分が泣き出してしまうことが多かったことから、知らず知らずのうちに「泣きの水戸泉」のあだ名がつけられていたという。入門当時、有形無形の差別に悩まされていた小錦も、この水戸泉の涙にほだされた一人だった。後に小錦は「入門当時、水戸関だけは差別なく優しく僕に接してくれた」と発言しており、水戸泉の思いやりのある人柄を賞賛している。
断髪式の後はオールバックにする力士が多く見られる中、水戸泉はすぐに坊主頭にした。本人の弁ではその頃脱毛症に悩まされており、脱毛した部分が目立たないよう頭を丸めたのだという。現在は症状が改善されたのか再び髪を伸ばしている。
絵画をたしなんでおり、引退相撲のポスターには自画像(塩を撒く姿)が使われた。
プロ野球では自他ともにみとめる大の読売ジャイアンツファンで、自分が幕内優勝を争っていた1992年7月場所でも、「優勝の可能性? 100パーセントだ。もちろん、巨人のだよ」と報道陣を煙に巻いていた。ちなみに、同年の巨人はヤクルトスワローズに2ゲーム差の2位に終わった。
ゲームファンでもあり、『ドラゴンクエスト』に熱中するあまり、当時付き人だった闘牙にまでレベル上げを頼んだという逸話が残っている。
[編集] 主な成績
- 通算成績: 807勝766敗162休(136場所) 勝率.513
- 幕内成績: 530勝556敗99休 勝率.487
- 幕内在位: 79場所
- 三役在位: 11場所(関脇4場所、小結7場所)
[編集] 各段優勝
- 幕内最高優勝: 1回(1992年7月場所)
[編集] 幕内成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984年 (昭和59年) |
x | x | x | x | 西 前頭 #11 7–8 |
東 前頭 #13 8–7 |
| 1985年 (昭和60年) |
東 前頭 #10 11–4[1] 敢 |
西 前頭 #1 7–8 |
東 前頭 #2 2–5–8[2] |
西 前頭 #14 3–12 |
西 十両 #8 8–4–3[3] |
西 十両 #6 8–7 |
| 1986年 (昭和61年) |
東 十両 #4 11–4[4] |
西 前頭 #12 12–3[5] 敢 |
西 前頭 #1 6–9 |
東 前頭 #6 10–5 敢 |
西 関脇 1–3–11[6] |
西 前頭 #7 休場[7] 0–0–15 |
| 1987年 (昭和62年) |
西 前頭 #7 休場[8] 0–0–15 |
西 十両 #3 6–9 |
西 十両 #6 8–7 |
西 十両 #5 5–10 |
東 十両 #11 10–5 |
西 十両 #4 9–6 |
| 1988年 (昭和63年) |
西 十両 #2 10–5 |
東 前頭 #13 9–6 |
東 前頭 #8 9–6 敢 |
東 前頭 #2 8–7 |
西 小結 10–5 殊 |
東 小結 0–2–13[9] |
| 1989年 (平成元年) |
西 前頭 #8 休場[10] 0–0–15 |
西 前頭 #8 9–6 |
東 前頭 #2 8–7 |
西 小結 7–8 |
西 前頭 #1 9–6 |
東 小結 11–4 敢 |
| 1990年 (平成2年) |
東 関脇 7–8 |
東 小結 2–9–4[11] |
東 前頭 #7 8–7 |
西 前頭 #3 6–9 |
東 前頭 #7 5–10 |
東 前頭 #14 8–7 |
| 1991年 (平成3年) |
東 前頭 #11 7–8 |
西 前頭 #13 8–7 |
西 前頭 #12 8–7 |
東 前頭 #9 10–5 |
東 前頭 #2 8–7 |
東 前頭 #2 8–7 |
| 1992年 (平成4年) |
東 前頭 #1 8–7 |
西 張出小結 8–7 |
西 小結 7–8 |
西 前頭 #1 13–2 敢 |
西 張出関脇 8–7 |
西 張出関脇 1–12–2[12] |
| 1993年 (平成5年) |
西 前頭 #10 8–7 |
西 前頭 #7 4–11 |
東 前頭 #14 10–5 |
西 前頭 #5 9–6 |
西 前頭 #1 4–10–1[13] |
東 前頭 #11 休場[14] 0–0–15 |
| 1994年 (平成6年) |
東 前頭 #11 8–7 |
西 前頭 #7 4–11 |
東 前頭 #14 8–7 |
東 前頭 #13 8–7 |
西 前頭 #11 7–8 |
西 前頭 #14 8–7 |
| 1995年 (平成7年) |
東 前頭 #13 7–8 |
西 前頭 #15 9–6 |
東 前頭 #7 5–10 |
東 前頭 #13 8–7 |
東 前頭 #9 8–7 |
西 前頭 #2 8–7 |
| 1996年 (平成8年) |
西 前頭 #1 3–12 |
東 前頭 #8 7–8 |
東 前頭 #10 9–6 |
西 前頭 #3 4–11 |
東 前頭 #8 8–7 |
西 前頭 #2 4–11 |
| 1997年 (平成9年) |
東 前頭 #8 7–8 |
東 前頭 #10 8–7 |
東 前頭 #6 5–10 |
東 前頭 #10 8–7 |
東 前頭 #6 5–10 |
東 前頭 #11 8–7 |
| 1998年 (平成10年) |
東 前頭 #10 6–9 |
西 前頭 #14 9–6 |
東 前頭 #10 6–9 |
東 前頭 #13 8–7 |
東 前頭 #8 5–10 |
西 前頭 #14 8–7 |
| 1999年 (平成11年) |
西 前頭 #11 8–7 |
東 前頭 #10 5–10 |
東 十両 #1 5–10 |
東 十両 #7 9–6 |
東 十両 #4 6–9 |
東 十両 #6 8–7 |
| 2000年 (平成12年) |
東 十両 #4 8–7 |
西 十両 #3 5–9–1[15] |
西 十両 #7 休場[16] 0–0–15 |
西 十両 #7 5–8–2[17] |
西 十両 #11 引退 1–12–0[18] |
x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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三賞・金星
- 三賞:7回
- 殊勲賞: 1回(1988年9月場所)
- 敢闘賞: 6回(1985年1月場所、1986年3月場所、1986年7月場所、1988年5月場所、1989年11月場所、1992年7月場所)
- 金星: なし
[編集] 脚注
[編集] 改名歴
- 小泉 政人(こいずみ まさと)1978年3月場所 - 1981年5月場所
- 水戸泉 政人(みといずみ まさと)1981年7月場所 - 1992年12月場所
- 水戸泉 眞幸(みといずみ まさゆき)1993年1月場所 - 2000年9月場所
[編集] 年寄変遷
- 錦戸 眞幸(にしきど まさゆき)2000年9月 - 2000年11月
- 錦戸 政人(にしきど まさと)2000年11月 - 2002年9月
- 錦戸 将斗(にしきど まさと)2002年9月 - 2012年3月
- 錦戸 眞幸(にしきど まさゆき)2012年3月 -
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 水戸泉メモリー 本人によるブログ
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