闘牙進
闘牙 進(とうき すすむ、1974年7月4日 - )は、千葉県市川市出身の元大相撲力士。本名は玉城 順(たまき じゅん)。高砂部屋に所属していた。最高位は東小結(2003年9月場所)。現役時代の体格は189cm、165kg。得意手は突き、押し。趣味は音楽鑑賞。現在は、九重部屋付きの年寄・押尾川として若手力士を育成している。血液型はA型。
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[編集] 来歴・人物
父は、高砂部屋の元序二段だった高勇。長く伸びた揉み上げが特徴。NHKの大相撲放送では、もみあげの闘牙とアナウンスされた事もあった。父の開設していた道場で柔道を習い、中学校時代は父の故郷である沖縄県で過ごしたが、阿嘉(後の前頭・若ノ城)の1年後輩であった。中学卒業後、柔道の強豪・東海大学付属相模高校に入学するも、腰を痛め柔道の道を断念した。それでも高校は卒業するつもりだったが、学校から留年させない代わりに大量の宿題を与えられ、結局1年中途で中退。この腰痛のためあまり前に出る事ができず、諸手のど輪で相手の動きを止めた後引く取り口。タイミングが絶妙で面白いように決まるが、引いたところを前に出られてあっけなく土俵を割る事もしばしば。幕内では10勝以上も複数回記録しているが、三賞受賞は皆無に終わっている。
入幕6場所目となった1999年5月場所では、初日から6連勝し、一時は優勝争いの単独トップに立った事もあった(翌日、蒼樹山に敗れ、最終成績は9勝6敗に終わっている)。
2003年9月場所では自己最高位となる東小結に昇進したが、7勝8敗と負け越して1場所で平幕へ陥落。その後、左肩の故障の影響から2005年5月場所を最後に幕内から遠ざかり、以降は暫く十両で取り続けた。だが、同年11月場所では初の十両優勝を果たし、幕内優勝した横綱・朝青龍とともに高砂部屋勢が幕内・十両の優勝を独占した。しかし、翌2006年1月場所では初日の直前に元々悪くしていた腰を痛め初日から休場(初日の大真鶴戦は不戦敗)し、負け越しの危機に立たされた8日目からようやく途中出場して4勝を挙げ、4勝5敗6休の成績で次場所での幕下落ちを免れた。しかしそれも束の間、翌3月場所では東十両10枚目にあって序盤から7連敗と絶不調で2勝13敗と惨敗。奇しくも、長年闘牙の付け人として身の回りの世話をしていた皇牙と入れ替わるような形で、幕下に陥落してしまった。
長らく腰の持病と付き合ってきたが、これ以上回復が見込めない事から2006年5月に師匠の高砂親方(元大関・朝潮)と現役引退を相談。この申し入れが認められた事から、5月5日付で日本相撲協会に引退届を提出し、以後は準年寄・闘牙として高砂部屋の後輩達を指導する事となった。断髪式は2007年1月27日、国技館本土俵にて行われ、同部屋の後輩でもある横綱・朝青龍をはじめ320人以上が鋏を入れた。なお、整髪時にはトレードマークのもみあげも切り落とした。
2007年5月、準年寄の期限前に大関・千代大海から名跡を借りて年寄・佐ノ山を襲名。2008年2月には、その千代大海がいる九重部屋へ移籍した。これは九重親方(元横綱・千代の富士)が協会在勤の理事に昇進して常時稽古を見る事が難しくなり、また部屋付きの年寄が不在であった事が理由と思われる。
2010年1月13日、千代大海が引退して年寄・佐ノ山を襲名した事に伴い、年寄名を浅香山に変更した(実際の名跡保有者は魁皇)。同年9月には更に、押尾川へと名跡変更している。
[編集] 場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991年 (平成3年) |
(前相撲) | 西 序ノ口 #33 3–4 |
東 序二段 #136 3–4 |
西 序ノ口 #2 5–2 |
東 序二段 #89 3–4 |
東 序二段 #104 6–1 |
| 1992年 (平成4年) |
東 序二段 #29 3–4 |
東 序二段 #48 6–1 |
東 三段目 #87 1–6 |
東 序二段 #24 5–2 |
東 三段目 #89 2–5 |
西 序二段 #22 4–3 |
| 1993年 (平成5年) |
西 三段目 #100 6–1 |
東 三段目 #44 2–5 |
西 三段目 #72 4–3 |
西 三段目 #49 2–5 |
西 三段目 #74 5–2 |
東 三段目 #45 4–3 |
| 1994年 (平成6年) |
西 三段目 #30 3–4 |
西 三段目 #47 7–0 |
東 幕下 #30 2–5 |
西 幕下 #46 3–4 |
西 三段目 #2 2–5 |
西 三段目 #26 3–4 |
| 1995年 (平成7年) |
東 三段目 #43 6–1 |
東 幕下 #58 4–3 |
西 幕下 #46 5–2 |
東 幕下 #31 3–4 |
東 幕下 #42 4–3 |
東 幕下 #33 5–2 |
| 1996年 (平成8年) |
東 幕下 #18 3–4 |
西 幕下 #29 4–3 |
東 幕下 #22 3–4 |
東 幕下 #35 4–3 |
西 幕下 #24 4–3 |
西 幕下 #17 4–3 |
| 1997年 (平成9年) |
東 幕下 #11 5–2 |
西 幕下 #4 5–2 |
東 幕下 #1 6–1 |
東 十両 #11 6–9 |
東 幕下 #2 6–1 |
西 十両 #11 8–7 |
| 1998年 (平成10年) |
西 十両 #11 8–7 |
西 十両 #9 10–5 |
東 前頭 #15 7–8 |
西 十両 #1 9–6 |
東 前頭 #15 10–5 |
東 前頭 #4 7–8 |
| 1999年 (平成11年) |
西 前頭 #4 7–8 |
東 前頭 #5 6–9 |
東 前頭 #8 9–6 |
西 前頭 #2 7–8 |
東 前頭 #3 6–9 |
西 前頭 #5 9–6 |
| 2000年 (平成12年) |
東 前頭 #1 4–11 |
西 前頭 #7 7–8 |
東 前頭 #9 9–6 |
東 前頭 #2 6–9 |
西 前頭 #4 6–9 |
西 前頭 #5 6–9 |
| 2001年 (平成13年) |
西 前頭 #8 出場停止 0–0–15 |
東 十両 #4 10–5 |
東 前頭 #13 11–4 |
西 前頭 #3 6–9 |
西 前頭 #6 7–8 |
西 前頭 #7 8–7 |
| 2002年 (平成14年) |
西 前頭 #2 6–9 |
東 前頭 #5 8–7 |
西 前頭 #1 4–11 |
東 前頭 #7 8–7 |
西 前頭 #2 4–11 |
東 前頭 #7 9–6 |
| 2003年 (平成15年) |
西 前頭 #2 4–11 |
西 前頭 #6 5–10 |
東 前頭 #11 10–5 |
西 前頭 #4 10–5 |
東 小結 7–8 |
東 前頭 #2 9–6 |
| 2004年 (平成16年) |
東 前頭 #1 1–11–3 |
東 前頭 #12 8–7 |
西 前頭 #10 4–11 |
西 前頭 #16 6–9 |
東 十両 #2 8–7 |
東 前頭 #17 2–13 |
| 2005年 (平成17年) |
東 十両 #6 9–6 |
東 十両 #2 8–7 |
西 前頭 #17 6–9 |
東 十両 #2 6–9 |
東 十両 #5 3–12 |
東 十両 #13 12–3 |
| 2006年 (平成18年) |
東 十両 #3 4–5–6 |
東 十両 #10 2–13 |
西 幕下 #5 引退 0–0–7 |
x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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- 通算成績:511勝518敗24休(92場所)
- 幕内成績:249勝303敗18休(38場所)
- 十両優勝:1回
- 幕下優勝:1回
- 三段目優勝:1回
[編集] 改名歴
- 玉城 順(たましろ じゅん)1991年1月場所- ※本名とは姓の読みが異なる。
- 闘牙 進(とうき すすむ)1996年1月場所-2006年5月場所
- 闘牙のしこ名は兄弟子の幕下、昴(すばる)が「牙をむき闘う」の意を込めて付けた。
[編集] 年寄変遷
- 闘牙 進(とうき すすむ)2006年5月-2007年5月(準年寄)
- 佐ノ山 進(さのやま-)2007年5月-2007年6月
- 佐ノ山 順(さのやま じゅん)2007年6月-2010年1月
- 浅香山 順(あさかやま じゅん)2010年1月-2010年9月
- 押尾川 順(おしおがわ じゅん)2010年9月-
[編集] その他
- 隆の鶴とよく似た風貌(まわし姿の時は腹で見分けがつく)で、2人が取組で土俵に上がると場内から歓声が上がった。また、闘牙が引退した場所で隆の鶴も引退するなど、この2人は何かと縁があった。なお、2人の間ではお互いに「間違われても怒らない」という申し合わせをしていたという。
- 2000年12月18日、自身の運転する車で歩行者をはねる人身事故を起こし(相手は死亡、先方に赤信号無視)、翌月の1月場所を出場辞退。これにより、師匠の高砂親方(元小結・富士錦)が降格(役員待遇→平年寄)処分を受けた(相手に過失があったため、略式起訴で罰金20万円の有罪判決。協会側は力士の自動車運転を禁止しているため、処分が重かった)。
- 自分よりはるか兄弟子である小錦を尊敬し、当時は既に平幕に落ちていたにもかかわらず引退するその日まで、大関と呼んでいた。
- 『THE独占サンデー(日本テレビ)』のコーナー・パワーの楽園超人王国で、力士最高記録を出した。しかし、上記事故のため出演自体が無かった事にされた。この時の記録は、後に曙が出した最高記録を100キロ以上も上回っている。
- 饒舌で、しばしばテレビのバラエティ番組などに出演しており、趣味のサーフィンを披露などしている。
- 2000年の福祉大相撲のお楽しみ歌比べで、他の力士が演歌系歌手と共演する中、モーニング娘。と共演。『LOVEマシーン』を一緒に踊った。
- 現役時代、フジテレビ放送の『ジャンクSPORTS』にて、アシスタントを務めていた内田恭子から四股名をひっくり返した「牙闘(きとう)関」と呼ばれた事がある。
[編集] 脚注
- ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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