稀勢の里寛

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稀勢の里寛 相撲力士
Kisenosato 08 Sep.jpg
場所入りする稀勢の里
基礎情報
四股名 稀勢の里 寛
本名 萩原 寛
愛称 ハギ、キセ、キセノン
生年月日 1986年7月3日(27歳)
出身 茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市
身長 188cm
体重 172kg
BMI 48.66(標準は22)
所属部屋 鳴戸部屋田子ノ浦部屋
得意技 左四つ・寄り・突き・押し
成績
現在の番付 大関2枚目
最高位 大関
生涯戦歴 568勝386敗(72場所)
幕内戦歴 482勝343敗(56場所)
優勝 幕下優勝1回
殊勲賞5回
敢闘賞3回
技能賞1回
データ
初土俵 2002年3月場所
入幕 2004年11月場所
趣味 スポーツ観戦
備考
金星3個
朝青龍1個、白鵬2個)
2014年2月24日現在

稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市[1][2])で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。本名は萩原寛(はぎわら ゆたか)、愛称はハギ。身長188cm、体重172kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁焼き鳥龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。得意手は左四つ・寄り・突き・押し。最高位は東大関(2012年7月場所、2013年1月場所~2014年1月場所)、血液型はB型。

来歴[編集]

入門まで[編集]

小学校4年生から野球をやっていたが、相撲が好きで小学2年頃からよくテレビで観戦していた。中学2年時に龍ヶ崎市から牛久市へ転入。野球の能力も高く小学生時代は捕手を、中学1年からは投手を務め、中学3年の時には常総学院などの強豪校からの勧誘もあったが、「自分はでかいだけ。野球は、うまくない」という理由で断った。[3]。入門にあたっては難色を示す両親や中学の先生を、鳴戸親方が熱心に説得して実現した。

初土俵~十両[編集]

十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9カ月)。ただし十両では終盤戦で頻繁に立ち合い変化に敗れ失速、二桁勝利を挙げられず同時に十両昇進し十両を2場所で通過した琴欧州、豊ノ島に遅れをとったがわずか3場所で通過した。

幕内[編集]

2004年、11月場所は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3カ月)で番付を駆け上がり新入幕を果たす。同時にこれまで本名のままで取っていた四股名を「稀勢の里」と改名した。「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて師匠が提案、本人も納得してつけられた。新入幕からの一年は苦戦が続き、十両時代にも見られた土俵際で粘られてたまたま足が出て勝った相撲や体格に任せて無理矢理倒す相撲、相手の叩きにつけ込んだ相撲が多く、また土俵際の逆転を頻繁に許すなど詰めの甘さも目立ち、舞の海秀平には「前に出て土俵際で止まることも勉強しなければいけない」と苦言を呈された。この間は最高成績が9勝6敗で、ぎりぎりの勝ち越しと負け越しを繰り返していた。

2005年、9月場所では12勝3敗の好成績を挙げ最後まで優勝争いに残り、また優勝争いの先頭だった琴欧州に土をつけ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。19歳2カ月での初の三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録。しかし、翌11月場所は自己最高位の東前頭5枚目で5勝10敗と大きく負け越した。

2006年、3月場所では東前頭7枚目で10勝5敗と2005年9月場所以来3場所ぶりの二桁勝利を上げ、翌5月場所は自己最高位の東前頭筆頭で千秋楽に8勝7敗と勝ち越し、7月場所での三役昇進を果たした(19歳11ヶ月での三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ史上4位の年少記録)。この場所は中日までは自分よりも番付が上の力士とばかりの対戦が組まれ、8日目まで2勝6敗ながらも、2大関(琴欧州、魁皇)を破るなど、9日目から6連勝し最終的には8勝7敗と新三役で勝ち越しを収めた。翌9月場所では朝青龍から初白星を上げ、8勝7敗ながらも朝青龍に勝利したことが評価され、初の殊勲賞を受賞。翌11月場所も8勝7敗と勝ち越し、幕内に昇進して以来初めての年間全場所勝ち越しを達成した。

2007年、1月場所では千秋楽に敗れて7勝8敗と負け越し、4場所勤めた小結から陥落した。翌3月場所は6勝9敗と負け越し、5月場所も6勝9敗と3場所連続で負け越した。西前頭6枚目で迎えた7月場所は千秋楽で大関昇進が確実な関脇琴光喜に勝利するなど、11勝4敗と8場所ぶりの二桁勝利を挙げた。9月場所では小結に復帰するが6勝9敗と負け越した。11月場所では、中盤までは黒星が先行する展開であったが終盤に4連勝して9勝6敗と勝ち越した。

2008年、1月場所2日目に2場所連続出場停止(2007年9・11月)明けだった朝青龍に対し、朝青龍の背中について最後は豪快に土俵下へ送り倒して快勝、初の金星を獲得。10勝5敗で2度目の殊勲賞を受賞。3月場所で3場所ぶりに小結復帰を果たし、11日目に7勝4敗であったが、その後下位力士に連敗。14日目に勝ち越しを決めたものの、千秋楽に7勝7敗の西関脇の琴奨菊戦に敗れ関脇昇進を逃した。

5月場所は初日に朝青龍に勝利するなど、10勝5敗と三役では初の2桁勝利を挙げて2度目の敢闘賞を受賞。両関脇が勝ち越したため7月場所も小結に据え置きとなり、小結在位8場所と、最高位が小結の力士としては昭和以降では富士錦の10場所、出羽錦高見山の9場所に次ぐ記録となった(富士錦以外はその後関脇に昇進している)。7月場所は6勝9敗と負け越した。

前頭2枚目に降格となった9月場所では腸捻転と診断され初日から4連敗(場所中は公表していなかった)。5日目には白鵬を破り金星を獲得したものの、12日目に負け越しが決まり、6勝9敗に終わった。11月場所は11勝4敗と3場所ぶりの勝ち越しと2桁勝利を挙げて小結への復帰が決まった。

2009年、1月場所は初日の対朝青龍戦で敗れた後1度も白星先行できず、7勝7敗で迎えた千秋楽で高見盛に勝利し8勝7敗と勝ち越し、初の関脇昇進を果たした。新関脇となった3月場所では5勝10敗の負け越しで、1場所で関脇から陥落した。

5月場所は初日から5連勝するなど好調で、千秋楽まで優勝争いに加わり、日馬富士が琴欧洲に敗れて朝青龍が白鵬に勝てば「白鵬、朝青龍、日馬富士、稀勢の里での優勝決定戦、四つ巴戦」の可能性もあったが、日馬富士が琴欧洲を破り、優勝の可能性が消えた。それでも自身最高となる13勝2敗の好成績をあげ、3度目の敢闘賞を受賞した。

7月場所は2場所ぶりに関脇に復帰(西関脇)した。中日に朝青龍を土俵際で左からの突き落としで破り、朝青龍の全勝を止めた。9日目まで7勝2敗だったが、その後3連敗。13日目に勝ち越しを決め、最終的に9勝6敗であった。1横綱(朝青龍)3大関(魁皇、琴光喜、千代大海(現佐ノ山))を破った。9月場所は中日まで5勝3敗だったがその後4連敗し、7勝7敗にこぎつけたものの、千秋楽に把瑠都に上手投げで敗れ、7勝8敗と負け越した。11月場所は小結に陥落し小結在位が歴代10位タイの10場所となった。また23歳3カ月での10場所到達は武双山(現藤島)の27歳6ヶ月を大幅に上回る史上最年少記録である。11月場所も6勝9敗と精彩を欠いた。

2010年、前頭3枚目に陥落した1月場所は序盤5連勝と好調だったが、その後5連敗し、9勝6敗に終わった。小結に復帰した3月場所も9勝6敗と勝ち越しはしたが2桁勝利には届かず、上位陣との対戦では外国勢の白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都にはいずれも敗れている。関脇で迎えた5月場所もその4人に敗れ、8勝7敗に終わった。

7月場所は中日まで6勝2敗の成績だったがそこからこれまで苦手として来た力士に加え阿覧豊真将にも完敗するなど5連敗し、千秋楽にも鶴竜に土俵際の逆転で敗れ7勝8敗と負け越し、9月場所は12場所目の小結へ陥落した。その9月場所でも把瑠都を破ったものの7勝8敗と負け越し、11月場所は前頭筆頭に転落した。11月場所、2日目には63連勝中の白鵬を寄り切りで破って連勝記録を止めた。同時に自身3個目の金星獲得ともなった。最終的には10勝5敗となり、殊勲賞を受賞した。

2011年、1月場所は11日目に23連勝中だった白鵬を押し出しで破った。最終的に11月場所と同じ10勝5敗で取り終え、2場所連続で殊勲賞を受賞した。関脇での2桁勝利は自身初。ただし西関脇の琴奨菊が11勝を挙げたため、次の5月技量審査場所では西関脇に番付を下げた[4]。この場所では、不戦勝の琴欧洲戦を除く上位の外国人力士には全敗を喫するなど不振で、千秋楽で8勝7敗と勝ち越したが、東関脇の琴奨菊が10勝を挙げたため7月場所の番付は西関脇を維持した。

7月場所は終盤に5連勝し千秋楽では14戦全勝で優勝を決めていた日馬富士に土を付け全勝優勝を阻むなど10勝5敗を挙げ、3度目の三役での二桁勝利となったが、東関脇の琴奨菊は11勝を挙げたため9月場所の番付も西関脇のまま維持となった。その9月場所は初日から8連勝で幕内では初の中日勝ち越しを決めたが、9日目に初黒星を喫し、その後も2連敗したが、12日目に白鵬を小手投げで破り最終的に12勝3敗で取り終えた。この時点では優勝決定戦による逆転優勝の可能性があったが、結びの一番で白鵬が勝ったため優勝はならなかったが、白鵬を破ったことが評価されて殊勲賞を受賞した。

大関挑戦の場所となった11月場所の直前に師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が急逝。初日から4連勝の後、5日目に平幕の豪栄道に敗れる。14日目に10勝目をあげ、この時点で大関昇進の目安である直前3場所33勝まであと1勝の32勝となったが、最近6場所中5場所で2桁勝利を挙げていること、横綱白鵬に対し3勝3敗と互角であることや相撲内容から千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開き、臨時理事会を開催するよう放駒理事長(元大関魁傑)に満場一致で要請し、30日に理事会の開催が決定。理事会で大関昇進が見送られた例がない(横綱昇進の場合のみ)ため事実上大関昇進が決定した。千秋楽は琴奨菊に敗れて(この敗戦により対琴奨菊戦は前年の11月場所から6連敗となった)10勝5敗に終わったが、相撲内容が評価されて技能賞を受賞した。しかし一部のマスコミ関係者などは、稀勢の里の大関昇進に対し疑問の声も存在した[5][6]

大関[編集]

11月30日の日本相撲協会理事会にて満場一致で昇進が決定し、正式に大関に昇進した。昇進伝達式での口上は「大関の名を汚さぬよう精進します」というシンプルなもの。新入幕から所要42場所での大関昇進は史上5位のスロー記録。小結在位12場所は大関に昇進した力士としては魁皇と武双山の11場所を抜き史上最多。

2012年

新大関の1月場所では4日目豊ノ島に押し出されて初黒星を喫する。9日目に豊真将を寄り切って勝ち越し、10日目に琴奨菊を突き落としで破り9勝1敗と好調だったが、11日目に白鵬、12日目に把瑠都に連敗し優勝争いから脱落。千秋楽は琴欧洲を寄り切り11勝4敗で取り終えた[7]

3月場所は初日から栃乃若栃煌山に連敗。5日目には時天空に敗れ2勝3敗と黒星が先行し、これが響いて9勝6敗に終わったものの、8日目に鶴竜、13日目には白鵬、14日目には把瑠都に勝利するなど存在感を示した。

5月場所、5日目妙義龍に敗れた以外は、11日目まで10勝1敗で次点とは2差つける単独トップに立っていた。しかし12日目に栃煌山、13日目に白鵬と2連敗。平幕の旭天鵬、栃煌山らと共に、優勝争いトップの11勝3敗で迎えた千秋楽は苦手の把瑠都に上手投げで敗れてしまい、11勝4敗で優勝決定戦への出場も逃す格好となった。

7月場所は4日目安美錦、7日目豪栄道と序盤での取りこぼしがあったのが響き、11日目に日馬富士に敗れて3敗となって優勝争いから脱落。14日目白鵬戦と千秋楽琴欧洲戦を連敗し、結局10勝5敗に終わった。9月場所は白鵬、日馬富士らとともに連勝を続けて大関昇進後では初の中日勝ち越しを決めたが、9日目に豊真将、11日目に安美錦に敗れて優勝争いから後退。さらに13日目からの横綱、大関戦に全敗を喫して10勝5敗にとどまった。直前の秋巡業(長野)で左足首の痛みを訴え途中休場するも(痛風の可能性もあった)[8]、11月場所は3場所連続の10勝5敗にとどまった。

2013年

1月場所は序盤に栃煌山、把瑠都に連敗するも、そこから8連勝して12日目まで10勝2敗としたが、そこから3連敗で4場所連続の10勝5敗に終わった。3月場所は中日まで白星と黒星が交互に並ぶ4勝4敗となったが、そこから6勝1敗と盛り返して、5場所連続の10勝5敗で取り終えた。

5月場所は初日から初の13連勝を達成した。14日目に共に全勝同士の白鵬と対決したが掬い投げで敗れて初黒星。翌千秋楽も琴奨菊に一方的に寄り倒しで敗れてしまい13勝2敗、念願の幕内初優勝はならなかった。それでも5月場所後、理事長の北の湖は全勝で優勝した白鵬と2勝差ながら、『優勝に準じる成績』であるとして「翌場所でハイレベルな優勝をすれば横綱昇進の可能性もある」との見解を示した[9](但し伊勢ヶ浜審判部長(元横綱旭富士)は「今はそういう考え(綱獲り)はない」と、北の湖理事長の発言とは全く相違の意見を述べている[10][11])。

7月場所前「13勝以上の優勝なら横綱昇進も」と北の湖理事長が公言する中[12] 、栃煌山との出稽古での負け越しや[13]日馬富士との稽古で右足の痛みを訴えるなど不調が伝えられた[14] 。7月場所は3日目栃煌山に突き落とされ初黒星を喫し[15]、5日目は千代大龍に送り出され[16]。7日目、豪栄道に寄り切られて3敗目で、綱獲りは消滅となった[17][18]。その後8日目からは7連勝、14日目には白鵬を寄り倒して連勝記録を43でストップさせている。「今場所12勝挙げれば来場所綱獲りに繋がる」と北の湖理事長が明言するも[19] 、千秋楽は又しても2場所連続で琴奨菊に完敗してしまい結局11勝4敗、綱獲りは白紙に戻った[20][21]

9月場所は3日目に隠岐の海に敗れ、9日目には先場所に引き続き千代大龍に突き出されて2敗。13日目に豪栄道に押し出されてしまい3敗目となり、14日目に白鵬との直接対決で敗れ、白鵬の27回目の優勝が決定した(「白鵬に髷掴みの反則があった」と物言いが付くも結局軍配通り)。千秋楽は鶴竜を寄り切って、2場所連続で11勝4敗。

11月場所は3日目に安美錦に、中日には豪栄道に敗れて2敗となるが、13日目に日馬富士を寄り切りで、14日目には白鵬を上手投げで全勝で並走していた両横綱を破るが、優勝の可能性は14日目で消滅するも、千秋楽は鶴竜を寄り切り13勝2敗とした。場所後北の湖理事長は、13番勝ったこと(優勝した日馬富士とは1差)、両横綱に土をつけたことを評価して『優勝に準ずる成績』にあたるとし来場所(2014年1月場所)が綱取り場所になることを明言。目安について「優勝しないと駄目。13勝以上の高いレベルが求められる。」と述べた[22]。2013年12月26日には、師匠が田子ノ浦に名跡変更したことでそれまでの鳴戸部屋の施設が使えなくなったため新施設を東京都江戸川区東小岩に新設するまでの約半年間の予定で同年10月に閉鎖された三保ヶ関部屋の施設を借り受ける形を取って部屋を東京都墨田区へ急遽移転する必要に追われた。このことから満足な調整ができたとは決して言えず、不安な状況の中2014年1月場所を初めて田子ノ浦部屋所属力士として迎えることとなった。[23]

2014年

2013年末のお家騒動が祟ったのかこの場所は乱調に終始し、2度目の綱取り場所となった2014年1月場所は初日の豊ノ島戦で早くも敗れた。5日目に碧山、中日に栃煌山に敗れ3敗目を喫し、この時点でもう理事長が提示した「13勝以上の優勝」の条件を達成できなくなった。続く9日目の豊響戦で4敗目を喫したことで、綱取りを来場所に繋ぐことも不可能となった。そればかりか12日目の琴欧洲戦で 場所前から痛めていた右足親指を悪化させ[24][25]、13日目の白鵬戦で6敗目を喫したことで連続2桁勝利も10場所でストップしてしまった。[26]そして右足親指負傷が限界に達し、千秋楽に「右母趾MP関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要す」との診断書を協会へ提出して休場に至ったことで通算連続出場は953回で途切れ(千秋楽の琴奨菊戦は不戦敗)、同時に7勝8敗と負け越しも決定してしまった。[27]休養期間中はジムなどでトレーニングを行い、2月10日から相撲の稽古を再開した様子が伝えられた。[28]

自身初の角番で迎えた3月場所は、5日目に遠藤に大関戦初白星を献上し、6日目の嘉風戦も敗れた。10日目で8勝目を上げて角番を脱出したが、11日目から横綱・大関陣に3連敗、千秋楽も殊勲賞受賞が決定し好調だった豪栄道に敗れて結局9勝6敗に終わり、存在感を示せなかった。場所後は「悔しい」「完全に負けた感じだった」と、胸の内にある苦い思いを明かした[29]

合い口[編集]

いずれも2014年3月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には10勝34敗。2008年11月場所から2010年9月場所まで11連敗を喫していたが、2010年11月場所では寄り切りで勝つとともに連勝を63で止める白星を挙げた[30]。最近では2013年11月場所14日目、それまで全勝だった白鵬を上手投げで2場所ぶりに破った[31]
  • 横綱・日馬富士には20勝27敗。かつては相性がよかったが、2009年3月場所から2010年9月場所まで10連敗を喫した。日馬富士の横綱昇進後は6勝2敗と相性がよく、2013年3月場所から5連勝したことがあった。[32]
  • 大関・琴奨菊には19勝28敗と苦手としているが、2012年5月場所から2013年3月場所まで5連勝していた。2013年5月場所では寄り倒しで敗れて幕内初優勝の可能性がなくなった[33]
  • 横綱・鶴竜には24勝11敗と大きく勝ち越している[34]。しかし2014年1月場所14日目で鶴竜に敗れた際右足親指の怪我が悪化、翌日の千秋楽は自身初の不戦敗・休場、同時に大関で7勝8敗と負け越してしまった。

(以下、引退力士)

  • 元大関・琴欧洲には15勝27敗と負け越している。2009年1月場所から2010年9月場所まで10連敗を喫したこともある[35]
  • 元大関・把瑠都には6勝21敗と大の苦手であり、2012年5月場所では千秋楽に対戦して上手投げで敗れ、優勝決定戦の進出を逃した[36]。最後の対戦となった2013年5月場所では稀勢の里が寄り倒しで勝利したが[37]、その一番で把瑠都は左膝を痛めて翌日から休場、2013年9月11日に引退を表明した[38]

略歴[編集]

  • 2002年3月場所 - 初土俵
  • 2004年5月場所 - 新十両
  • 2004年11月場所 - 新入幕
  • 2006年7月場所 - 新小結
  • 2009年3月場所 - 新関脇
  • 2012年1月場所 - 新大関

エピソード[編集]

主な成績[編集]

2014年1月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:568勝386敗 (72場所)
  • 通算勝率:.595
  • 幕内成績:482勝343敗 (56場所)
  • 幕内勝率:.584
  • 大関成績:136勝59敗 (14場所)
  • 大関勝率:.697
  • 幕内在位:56場所
  • 大関在位:14場所
  • 三役在位:22場所(関脇10場所、小結12場所)
  • 幕内連続2桁勝利記録:10場所(2012年5月場所~2013年11月場所)

各段優勝[編集]

  • 幕下優勝:1回(2004年1月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:9回
    • 敢闘賞:3回(2005年9月場所、2008年5月場所、2009年5月場所)
    • 殊勲賞:5回(2006年9月場所、2008年1月場所、2010年11月場所、2011年1月場所、2011年9月場所)
    • 技能賞:1回(2011年11月場所)
  • 金星:3個
    • 朝青龍1個(2008年1月場所)、白鵬2個(2008年9月場所、2010年11月場所)

場所別成績[編集]

                                                                                                                                                                                 

稀勢の里 寛[39]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
x (前相撲) 東 序ノ口 #26
6–1
 
東 序二段 #61
6–1
 
西 三段目 #95
4–3
 
西 三段目 #77
5–2
 
2003年
(平成15年)
西 三段目 #49
5–2
 
西 三段目 #21
3–4
 
東 三段目 #37
7–0
 
東 幕下 #25
3–4
 
西 幕下 #35
5–2
 
東 幕下 #25
4–3
 
2004年
(平成16年)
東 幕下 #18
優勝
7–0
東 幕下 #1
5–2
 
西 十両 #12
9–6
 
東 十両 #6
8–7
 
西 十両 #3
9–6
 
西 前頭 #16
9–6
 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #12
6–9
 
西 前頭 #15
8–7
 
西 前頭 #11
5–10
 
西 前頭 #15
7–8
 
西 前頭 #16
12–3
東 前頭 #5
5–10
 
2006年
(平成18年)
東 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #7
10–5
 
東 前頭 #1
8–7
 
西 小結
8–7
 
東 小結
8–7
東 小結
8–7
 
2007年
(平成19年)
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
6–9
 
西 前頭 #6
11–4
 
東 小結
6–9
 
東 前頭 #2
9–6
 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #1
10–5
東 小結
8–7
 
東 小結
10–5
東 小結
6–9
 
東 前頭 #2
6–9
東 前頭 #4
11–4
 
2009年
(平成21年)
東 小結
8–7
 
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #4
13–2
西 関脇
9–6
 
東 関脇
7–8
 
東 小結
6–9
 
2010年
(平成22年)
西 前頭 #3
9–6
 
東 小結
9–6
 
東 関脇
8–7
 
東 関脇
7–8
 
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
10–5
2011年
(平成23年)
東 関脇
10–5
八百長問題
により中止
西 関脇
8–7
 
西 関脇
10–5
 
西 関脇
12–3
東 関脇
10–5
2012年
(平成24年)
西 大関 #3
11–4
 
東 大関 #2
9–6
 
東 大関 #2
11–4
 
東 大関 #1
10–5
 
西 大関 #1
10–5
 
西 大関 #1
10–5
 
2013年
(平成25年)
東 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
13–2
 
東 大関 #1
11–4
 
東 大関 #1
11–4
 
東 大関 #1
13–2
 
2014年
(平成26年)
東 大関 #1
7–8[40]
 
東 大関 #2
9–6
 
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

2014年1月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
闘牙 1 0 春日王 1 3 時津海 5 2 玉春日 4 1
時天空 13 6 海鵬 4 0 北勝力 5 1 朝赤龍 11 5
露鵬 5 2 琴欧洲 15(1) 27 普天王 7(1) 2 琴龍 1 2
高見盛 4 2 追風海 0 2 日馬富士 20 26 武雄山 1 3
出島 4 6 豊ノ島 24 8 霜鳳 1 2 旭鷲山 2 3
琴奨菊 18 28(1) 豊桜 3 1 春日錦 3(1) 0 安美錦 26 15
皇司 1 0 琴ノ若 3(1) 1 玉乃島 4 2 駿傑 3 0
十文字 2 0 豪風 16 4 片山 2 0 栃栄 2 1
白露山 4 2 玉飛鳥 0 1 栃乃花 1 1 岩木山 1 4
栃乃洋 6 2 旭天鵬 14 9 若兎馬 1 1 朝青龍 4 13
琴光喜 12 11 千代大海 8 13 魁皇 16 12 垣添 5 3
土佐ノ海 1 0 嘉風 7 1 白鵬 10 33 雅山 16 4
黒海 5 1 栃東 0 5 把瑠都 6 21 豊真将 9 6
栃煌山 14 10 鶴竜 24 10 龍皇 0 1 北桜 1 0
豪栄道 14 8 若ノ鵬 0 2 将司 1 0 栃ノ心 10 3
阿覧 9 3 千代白鵬 1 0 山本山 1 0 豊響 5 1
玉鷲 3 0 北太樹 4 0 白馬 2 0 德瀬川 1 0
隠岐の海 11 1 若荒雄 3 0 臥牙丸 6 0 栃乃若 2 1
妙義龍 10 2 舛ノ山 1 0 松鳳山 6 1 千代大龍 3 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2014年1月場所終了現在、現役力士

改名歴[編集]

  • 萩原 寛(はぎわら ゆたか)2002年3月場所-2004年9月場所
  • 稀勢の里 寛(きせのさと - )2004年11月場所-

脚注[編集]

  1. ^ 稀勢の里関 プロフィール牛久市公式ホームページ 2013年6月25日閲覧
  2. ^ 相撲人名鑑(稀勢の里 寛)2013年6月25日閲覧
  3. ^ 朝日新聞 2013年11月18日 16面
  4. ^ 大相撲八百長問題の影響で3月場所は中止となった。同場所の番付に代わって発表された順席では西関脇となった。
  5. ^ 稀勢の里大関昇進の賛否に思う。スポーツナビ 2011年12月1日配信
  6. ^ 稀勢の里の大関昇進“合点”がいかないZAKZAK2011年12月6日配信
  7. ^ 稀勢11勝「課題見つかった」/初場所nikkansports.com2012年1月22日配信
  8. ^ 稀勢痛風か、巡業リタイア 2012年10月7日9時21分付け 
  9. ^ 北の湖理事長、稀勢の内容を高評価 来場所は綱とりスポニチ2013年5月26日配信
  10. ^ またも勝負弱さ見せた大関・稀勢の里に北の湖理事長が大甘発言リアルライブ2013年5月27日配信
  11. ^ 稀勢の里の綱取りめぐり協会分裂東スポWeb2013年5月27日配信
  12. ^ 稀勢の里“綱ノルマ下がった”理事長14勝以上から13勝でもVならスポニチ2013年7月7日配信
  13. ^ 稀勢の里が出稽古「強いっすね」7勝11敗日刊スポーツ2013年7月1日配信
  14. ^ 稀勢、綱獲りに暗雲!?不調の日馬相手に“ボロボロ”スポニチ2013年7月4日配信
  15. ^ 稀勢の里、平幕・栃煌山に痛恨の1敗…綱とり場所3日目に土スポーツナビ2013年7月10日配信
  16. ^ 稀勢の里「綱」厳しく=千代大龍に屈し2敗-大相撲名古屋場所5日目時事ドットコム2013年7月11日配信
  17. ^ 白鵬は7戦全勝、稀勢の里は3敗目/名古屋場所サンスポ2013年7月13日配信
  18. ^ 稀勢の里「甘いっすね」msn産経ニュース2013年7月13日配信
  19. ^ 稀勢 来場所へ綱獲りつなぐ 北の湖理事長「12勝なら盛り上がる」スポニチ2013年7月19日配信
  20. ^ 【名古屋場所】北の湖理事長「物足りない」稀勢の綱とりは白紙スポーツ報知2013年7月21日配信
  21. ^ 稀勢の里、秋の綱獲り消滅/名古屋場所日刊スポーツ2013年7月22日配信
  22. ^ 稀勢の里、初場所で綱とり=大相撲時事ドットコム2013年11月24日配信
  23. ^ 『相撲』2014年2月号118頁から119頁
  24. ^ 稀勢、の里、足痛めめピンチ 苦痛に表情をゆがめる/初場所 SANSPO.COM 2014.1.23 20:03
  25. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号52頁には尾崎勇気がこの怪我について場所後に行われた座談会で「場所前からみたいだったけど、怪我は絶対に言うなと先代から徹底されていたので」と証言している様子が確認される。
  26. ^ 稀勢、連続2桁勝利が10場所でストップ/初場所 SANSPO.COM 2014.1.24 20:54
  27. ^ 稀勢、初の休場でかど番へ 連続出場は953回で途切れる/初場所 SANSPO.COM 2014.1.26 13:39
  28. ^ 稀勢の里が稽古再開「何とかいい方向に」 nikkansports.com 2014年2月10日17時34分
  29. ^ 稀勢の里「悔しい」 綱取りで先越され、賜杯争いも絡めず 大相撲春場所 産経新聞 2014.3.23 22:06
  30. ^ 白鵬、連勝63で止まる 稀勢の里に敗れる j-castニュース2010年11月15日配信
  31. ^ 稀勢の里 白鵬ブン投げた/九州場所 日刊スポーツ 2013年11月24日8時48分 紙面から
  32. ^ 稀勢の里 “お得意様”日馬富士撃破!逆転優勝に望みスポニチ2013年11月23日17時30分配信
  33. ^ ライバル対決琴奨菊が稀勢の里圧勝デイリースポーツ2013年5月27日配信
  34. ^ <明日の注目取組>稀勢の里(12-2 )-鶴竜(9-5 )日本相撲協会公式ツイッター2013/11/23(土) 19:10 配信
  35. ^ 稀勢の里、苦手の琴欧洲に完勝 冷静な取り口で全勝守る 朝日新聞デジタル 2013年5月21日20時32分配信
  36. ^ 大相撲夏場所:重圧で稀勢の里失速…千秋楽 毎日新聞 2012年05月20日 21時02分
  37. ^ 大相撲夏場所:稀勢の里、苦手の把瑠都破り7連勝 毎日新聞 2013年05月18日 20時12分
  38. ^ 把瑠都が引退 夏場所で左膝に致命傷 日刊スポーツ 2013年9月11日7時3分
  39. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年9月23日閲覧。
  40. ^ 右母趾MP関節靱帯損傷により千秋楽不戦敗

関連項目[編集]

外部リンク[編集]