稀勢の里寛
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|---|---|---|---|---|
場所入りする稀勢の里
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| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 稀勢の里 寛 | |||
| 本名 | 萩原 寛 | |||
| 愛称 | ハギ | |||
| 生年月日 | 1986年7月3日(25歳) | |||
| 出身 | 茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市) |
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| 身長 | 188cm | |||
| 体重 | 171kg | |||
| 所属部屋 | 鳴戸部屋 | |||
| 得意技 | 左四つ、寄り、突き | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 西大関3 | |||
| 最高位 | 西大関3 | |||
| 生涯戦歴 | 443勝331敗 (59場所) | |||
| 幕内戦歴 | 357勝288敗 (43場所) | |||
| 優勝 | 幕下優勝1回 | |||
| 賞 | 殊勲賞4回 敢闘賞3回 技能賞1回 |
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| データ | ||||
| 初土俵 | 2002年3月場所 | |||
| 入幕 | 2004年11月場所 | |||
| 趣味 | スポーツ観戦 | |||
| 備考 | ||||
| 金星3個 (朝青龍1個、白鵬2個) |
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| 2012年1月23日現在 | ||||
稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市)出身で鳴戸部屋所属の現役大相撲力士。本名は萩原寛(はぎわら ゆたか)、愛称はハギ。身長188cm、体重171kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥。龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。得意手は左四つ、寄り、突き。最高位は西大関3、血液型はB型。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 入門まで
兵庫県芦屋市で生まれる。小学校4年生から野球をやっていたが、相撲が好きで小学2年頃からよくテレビで観戦していた。中学2年時に牛久市へ転入。野球の能力も高く小学生時代は捕手を、中学1年からは投手を務め、中学3年の時には常総学院などの強豪校からの勧誘もあった。入門にあたっては難色を示す両親や中学の先生を、鳴戸親方が熱心に説得して実現した。
[編集] 初土俵~十両
低迷する日本人力士の希望として親方衆やファンの期待は大きく、関取昇進以前から将来の飛躍を確実視されていた。その素質への高い期待に応えるように、中卒で入門した力士としては極めて早い出世を重ねる。そのペースを上回る勢いで出世し追いついてきた琴欧州(現・琴欧洲)とは、幕下から十両時代にかけて良きライバル関係を築く。十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9カ月)。ただし十両では終盤戦で頻繁に立ち合い変化に敗れ失速、二桁勝利を残せず通過に3場所を要し、同時に十両昇進し十両を2場所で通過した琴欧州、豊ノ島に遅れをとった。
[編集] 新入幕
2004年11月場所、貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3カ月)で番付を駆け上がり新入幕を果たす。同時にこれまで本名のままで取っていた四股名を「稀勢の里」と改名した。「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて師匠が提案、本人も納得してつけられた。新入幕からの一年は苦戦が続き、十両時代にも見られた土俵際で粘られてたまたま足が出て勝った相撲や体格に任せて無理矢理倒す相撲(このような相撲で敗れた玉力道(現荒磯)や琴乃峰は膝に重傷を負っている)、相手の叩きにつけ込んだ相撲が多く、また土俵際の逆転を頻繁に許すなど詰めの甘さも目立ち、舞の海秀平には「前に出て土俵際で止まることも勉強しなければいけない」と苦言を呈された。この間は最高9勝で、ぎりぎりの勝ち越しと負け越しを繰り返していたが、2005年9月場所では12勝を挙げ最後まで優勝争いに残り、また優勝争いの先頭だった琴欧州に土をつけるなどの大活躍で、初の三賞、敢闘賞を受賞した(19歳2カ月での初三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録)。しかし、更なる活躍が期待された翌11月場所は自己最高位の東前頭5枚目で壁にぶち当たり5勝10敗と大きく負け越した。
[編集] 幕内
[編集] 2006年
3月場所では東前頭7枚目で10勝5敗と2005年9月場所以来3場所ぶりの二桁勝利を上げる活躍をし、翌5月場所は苦戦しながらも自己最高位の東前頭筆頭で千秋楽に勝ち越した。7月場所での三役昇進を果たした(19歳11ヶ月での三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ史上4位の年少記録)。この場所は中日までは自分よりも番付が上の力士とばかりの対戦が組まれ、8日目まで2勝6敗ながらも、2大関(琴欧州・魁皇)を破るなど健闘し、9日目から6連勝し最終的には8勝7敗と新三役で勝ち越しを収めた。翌9月場所では横綱朝青龍から初白星を上げ、8勝7敗ながらも朝青龍に勝利したことが評価され、殊勲賞を受賞した(しかしその勝ち越しとなった8勝目は不戦勝であった)。翌11月場所も勝ち越し、幕内に昇進して以来初めての年間全場所勝ち越しを達成した。
[編集] 2007年
2007年は大関昇進、優勝を期待される年となった。だが、1月場所では変化技に弱いなど土俵際での甘さが見え、弱点が未だ克服されていないことを露呈させる形となり、何とか粘ったが千秋楽に破れ7勝8敗と負け越し、4場所勤めた小結から陥落した。東前頭筆頭で迎えた翌3月場所は、三役復帰に向けて必死の土俵を続けていたが中日の朝青龍戦で送り投げで投げられ、倒れた後に軽く膝蹴りを受ける。これには異論もあるが、当時解説者は「これはいけませんね。膝でおっつけしちゃ」と朝青龍に苦言を呈している。その後は相撲内容が振るわず、結局6勝9敗で負け越し、5月場所も6勝9敗と3場所連続で負け越した。
続く7月場所は、千秋楽で大関昇進が確実な関脇・琴光喜に勝利するなど、西前頭6枚目ながら11勝4敗と8場所ぶりの二桁勝利を達成した。その場所において琴光喜の大関昇進が決まったこと、同じく関脇・安馬(現日馬富士)が負け越したこと、さらには小結、前頭上位で勝ち越したのは安美錦と朝赤龍だけだったために、翌9月場所では小結に復帰することとなった。しかし、また6勝9敗と勝ち越すことが出来ず、平幕に転落した。次の11月場所では、中盤までは黒星が先行する展開であったが終盤に4連勝するなど星を伸ばし、9勝6敗と勝ち越した。この場所からは四つ相撲主体の取り口が多く見られるようになり、終盤は左四つ右上手からの攻めが冴えを見せた。
[編集] 2008年
東前頭筆頭と三役復帰が見える番付で迎えた1月場所は、朝青龍復帰の場所として注目を集めた。2日目に朝青龍と対戦した稀勢の里は、真っ向からの勝負で横綱を土俵下に送り倒し、自身初となる金星を獲得。最終的に10勝5敗という好成績を残し2回目となる殊勲賞を獲得。3月場所で3場所ぶりに小結復帰を果たし、11日目までは7勝4敗の成績で迎えるも、その後に下位力士に連敗、14日目に勝ち越しを決めたものの、千秋楽に7勝7敗の西関脇・琴奨菊戦に敗れ関脇昇進を逃した。
5月場所では初日に朝青龍に圧勝し、さらにここ数場所連敗が続いていた安馬、琴奨菊の両関脇に相撲内容では圧倒されていたものの土俵際の逆転で勝ち、千秋楽に勝って10勝5敗と三役では初の2桁勝利を挙げ2度目の敢闘賞を受賞した。しかし6日目までは5勝1敗と優勝争いも期待されていたにもかかわらず、7日目にこの場所優勝した琴欧洲戦で張り差しに失敗して敗れると終盤戦にかけて調子を崩し、今後に課題が残る場所ともなった。
両関脇が勝ち越したため7月場所も小結に据え置きとなり、小結在位8場所と、最高位が小結の力士としては昭和以降では富士錦の10場所、出羽錦と高見山の9場所に次ぐ記録となった(富士錦以外はその後関脇に昇進している)。7月場所は当然関脇を狙っており、北の湖理事長(当時)が「今場所は非常に大事だ」という程だったが、この場所からスランプに陥り6勝9敗で負け越した。
前頭2枚目に降格となった9月場所も腸捻転と診断され初日から4連敗(場所中は公表していなかった)。5日目には白鵬を破り金星を獲得したものの、この場所は立合いの手つきの厳格化の方針が打ち出され現場では不安定な判断が続いており、実際には稀勢の里が手つき不十分のまま立合いを成立させてしまった可能性があった[1]。その後も振るわず12日目に負け越しが決定。終盤下位力士に勝って持ち直したものの6勝9敗に終わった。体調が回復した11月場所は番付を下げたことや朝青龍の休場、大関陣の不振も重なり11勝4敗と3場所ぶりの勝ち越し、前述の記録で高見山と並び2位タイの9場所目となる小結への復帰が決まった。この場所13勝2敗の優勝同点で大関昇進を決めた安馬を破ったが、相撲内容には不安定さが見られた。
[編集] 2009年
1月場所では初日に進退問題に揺れる朝青龍との対戦が決まり、世代交代の期待を一身に受けたが、立ち合いから押し込み、右上手を取り土俵際まで追い詰めたにもかかわらず逆転負け。その後も一進一退が続き1度も白星先行できず。関脇・安美錦の途中休場により勝ち越せば関脇昇進という状況ながらまたしても負け越してしまうのかと危惧された。7勝7敗で迎えた千秋楽も高見盛にもろ差しを許し土俵際まで追い詰められ、万事休すと思われたがなんとか勝利を収め、小結昇進から2年半かかって遂に関脇昇進を果たした。しかし詰めの甘さや格下相手の取りこぼし、安易な張り差し等相撲内容に改善は見られず、千秋楽には北の富士から苦言を呈された。
関脇として満を持して臨んだ3月場所では体調不良が伝えられる中、序盤から不安定な相撲が多く、詰めの甘さや安易な変化など相撲内容は相変わらずで負け越しに終わり、一場所にして関脇から陥落することになった。
5月場所では上位との対戦がほとんど無い平幕ながら自身最多となる13勝をあげ、3度目の敢闘賞を受賞した。千秋楽まで優勝争いに加わり、日馬富士が琴欧洲に敗れて朝青龍が白鵬に勝てば「白鵬、朝青龍、日馬富士、稀勢の里での四つ巴戦」の可能性もあったが、日馬富士が琴欧洲を破り、優勝の可能性が消えた。しかし周囲の期待に十分に応えた場所であり、再び大関昇進を期待する声が高まった。
7月場所は、2場所ぶりに関脇に復帰(西関脇)した。中日に横綱朝青龍を土俵際で左からの突き落としで破り、朝青龍の全勝を止めた。9日目まで7勝2敗だったが、その後3連敗。13日目に勝ち越しを決め、最終的に9勝6敗。1横綱(朝青龍)3大関(魁皇、琴光喜、千代大海(現佐ノ山))を破った。9月場所は中日まで5勝3敗だったがその後4連敗となった。7勝7敗にこぎつけたものの、千秋楽には把瑠都に片手で土俵下に投げ捨てられるという力の差を見せ付けられる内容で完敗した。7勝8敗で負け越しとなり11月場所では小結に陥落し、小結在位が歴代10位タイの10場所となった。また23歳3カ月での10場所到達は武双山(現藤島)の27歳6ヶ月を大幅に上回る史上最年少記録である。11月場所も6勝9敗と精彩を欠いた。
[編集] 2010年
前頭3枚目に陥落した1月場所は序盤把瑠都や琴奨菊などの苦手力士を連破する活躍で5連勝したがその後5連敗し、終盤は盛り返したが9勝6敗に終わった。小結に復帰した3月場所も9勝6敗と勝ち越しはしたが2桁勝利には届かず、上位陣との対戦では外国勢の白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都にはいずれも敗れている。関脇で迎えた5月場所もその4人に敗れ、8勝7敗に終わった。
7月場所は中日まで6勝2敗の成績だったがそこからこれまで苦手として来た力士に加え阿覧や豊真将にも完敗するなど5連敗し、千秋楽にも鶴竜に土俵際の逆転で敗れ7勝8敗と負け越し、9月場所は12場所目の小結へ陥落した。その9月場所でも把瑠都を破ったものの7勝8敗と負け越し、11月場所は前頭筆頭に転落した。だが、その11月場所の2日目に、63連勝中の白鵬を寄り切りで破って連勝記録を止めた。同時に自身3個目の金星獲得ともなった。最終的には10勝5敗となり、殊勲賞を受賞した。
[編集] 2011年
1月場所11日目に押し出しで23連勝中だった白鵬を破った。最終的に11月場所と同じ10勝5敗で取り終え、2場所連続で殊勲賞を受賞した。関脇での2桁勝利は自身初である。ただし西関脇の琴奨菊が11勝を挙げたため、次の5月技量審査場所では西関脇に番付を下げた[2]。この場所では白鵬を倒すことができず、他の力士との対戦でも取りこぼしが多く、不戦勝の琴欧洲戦を除く上位の外国人力士には全敗を喫するなどやや不振で、千秋楽で8勝目を挙げ勝ち越したが、東関脇の琴奨菊が10勝を挙げたため7月場所の番付は西関脇で維持となった。
7月場所は終盤に5連勝し千秋楽では14戦全勝で優勝を決めていた日馬富士に土を着け全勝優勝を阻むなど10勝5敗を挙げ、3度目の三役での二桁勝利となったが、東関脇の琴奨菊は11勝を挙げたため9月場所の番付も西関脇のまま維持となった。その9月場所は中日勝ち越しを決めたが9日目に初黒星を喫し、その後も2連敗したが、12日目に白鵬を破り最終的に12勝3敗で取り終えた。この時点では決定戦による逆転優勝の可能性があったが結びの一番で白鵬が勝ったため優勝はならなかった。それでも白鵬を破った白星が評価されて殊勲賞を受賞した。関脇の地位で連続2桁の勝利数を挙げたため、翌11月場所は大関挑戦の場所となった。
11月場所では直前に師匠(鳴戸)が急逝するという事態に見舞われる中で土俵に上がった。初日から4連勝の後、5日目に平幕の豪栄道に敗れるなどしたものの、14日目に10勝目をあげ、この時点で大関昇進の目安である直前3場所33勝まであと1勝(32勝)となったが、最近6場所中5場所で2桁勝利を挙げていること、横綱白鵬に対し3勝3敗と互角であることや相撲内容から千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開き、臨時理事会を開催するよう放駒理事長(元大関魁傑)に満場一致で要請し、30日に理事会の開催が決定。理事会で昇進が見送られた例がない(横綱のみ)ため事実上大関昇進が決定した。千秋楽は琴奨菊に敗れて(この敗戦により対琴奨菊戦は前年の11月場所から6連敗となった)10勝5敗に終わったが、相撲内容が評価されて技能賞を受賞した(しかし一部のマスコミ関係者などからは、稀勢の里の大関昇進に対し「納得がいかない」と言った疑問の声も少なからず存在していた[3][4])。
[編集] 大関
11月30日の日本相撲協会理事会にて満場一致で昇進が決定し、正式に大関に昇進した。昇進伝達式での口上は「大関の名を汚さぬよう精進します」というシンプルなもの。年少記録を作った新十両・新入幕時とは打って変わって、新入幕から所要42場所での大関昇進は史上5位のスロー記録となった。小結在位12場所は大関に昇進した力士としては魁皇・武双山の11場所を抜き史上最多。
[編集] 2012年
新大関として注目された2012年1月場所は、4日目豊ノ島に押し出されて初黒星を喫したが、9日目に豊真将を寄り切って勝ち越し。10日目は天敵の琴奨菊を突き落とし9勝1敗と好調だったが、11日目白鵬と12日目把瑠都に連敗し優勝争いから脱落。14日目日馬富士にも敗れたものの、千秋楽は琴欧州を下して結果11勝4敗とまずまずの成績で終えた[5]。
[編集] 才能・取り口
十両、幕内、三役と、いずれも年少昇進記録に名を連ね、北の湖、貴乃花と並ぶ若さで昇進を果たす。体躯にも恵まれており、前後して台頭してきた期待の日本人力士である豊真将、琴奨菊、豊ノ島、豪栄道、栃煌山らの中でも、もっとも早くから結果を出してきた。しかし三役昇進を果たした後は一進一退が続き、大関昇進まで5年余りを要した。
取り口は大きく分けて主に2タイプ。1つはおっつけから馬力を生かして前に出る相撲。左のおっつけは威力抜群で相手の体が浮くほどであるが、右のおっつけは左に比べると甘いと評されている。もう1つは左四つの相撲である。左を差して右上手を引いたときは攻めの形がよく、圧倒的な強さをみせる。この左四つの型については北の富士、間垣、玉ノ井なども絶賛している。さらに解説席に座る親方衆も異口同音に左四つの型を磨くべきといった趣旨のコメントをしており、四つ相撲に高い適性を持っていることをうかがわせる。北の富士はテレビ解説で彼のことを日本人でもっとも期待できると発言したことがあり、舞の海は、一時は前述の5人と豊響を含め日本人期待の若手を、1958年5月場所で十両優勝決定戦を戦った富樫(後の横綱柏戸)ら7人の力士になぞらえ「7人の侍」と呼んでいた。
[編集] 合い口
- いずれも2012年1月現在。
- 横綱・白鵬には7勝24敗。2008年11月場所から2010年9月場所まで11連敗していたが、2010年11月場所及び翌2011年1月場所と2連勝、2場所連続で白鵬に唯一の黒星をつけさせた。最近では2011年9月場所でも初日から11連勝だった白鵬を小手投げで下している。
- 大関・琴欧洲との幕内対戦成績は12勝22敗。12勝のうち1勝は不戦勝。
- 大関・把瑠都には4勝17敗。
- 大関・日馬富士に13勝22敗。かつては互角だったが、その後10連敗を喫している。しかし、2011年7月場所では千秋楽に対戦し日馬富士の全勝優勝を阻止した。
- 大関・琴奨菊にも12勝24敗と対戦成績で大きく負け越している。
[編集] 略歴
[編集] エピソード
- 三段目優勝決定戦で敗れ、花道で悔し涙を流していたところ、朝青龍から「その気持ちがあれば、お前は強くなる」と肩を叩かれている。また、大関挑戦となった2011年九州場所においても、相撲観戦に来ていた朝青龍に「苦しみ、悲しみを乗り越えて頑張ってほしい。」とエールを送られている。
- 新十両の際、THE・サンデー(日本テレビ)において、徳光和夫から琴欧州の愛称「角界のベッカム」に対し「角界の平山相太」と評された。平山は当時高校生ながらアテネ五輪最終予選代表に選出されるなど大きな期待を集めていた。
- 以前は時間一杯の際尻を左右に動かすことで知られていた。これは父親のアドバイスによりゴルフの「ワッグル」(ボールを打つ前にクラブを軽く前後に振る動き)を取り入れたものである。
- 2005年7月場所の玉飛鳥戦、2006年3月場所の安美錦戦とわずか5場所の間に2度も勇み足で敗れている。
- 2006年9月4日、ハローキティをデザインした化粧廻しが贈られた。これは、「大相撲キティ」グッズの製造・販売を行っている業者の社長が稀勢の里と同じ、茨城県出身であることから贈られたものである。
- 2009年1月、年寄名跡の荒磯を取得した[6]。22歳6カ月での年寄名跡取得は極めて異例の早さである。
- 前述のとおり2010年11月場所、2011年1月場所と2場所連続で白鵬を破ったが、いずれもNHKの放送時間が残りわずかだったため2010年11月場所では殊勲インタビュー冒頭のみで放送終了、2011年1月場所では放送時間内にインタビューが行われなかった(いずれも大相撲・幕内の全取組では全て放送されている)。
- 本場所では、入幕後の一時期を除き一貫してえんじ色の廻しを締めて相撲を取っている。
[編集] 主な成績
2012年1月場所終了現在
[編集] 通算成績
- 通算成績:443勝331敗 (59場所)
- 幕内成績:357勝288敗
- 大関成績:11勝4敗
- 幕内在位:43場所
- 大関在位:1場所
- 三役在位:22場所(関脇10場所、小結12場所)
[編集] 各段優勝
- 幕下優勝:1回(2004年1月場所)
[編集] 三賞・金星
- 三賞:9回
- 敢闘賞:3回(2005年9月場所、2008年5月場所、2009年5月場所)
- 殊勲賞:5回(2006年9月場所、2008年1月場所、2010年11月場所、2011年1月場所、2011年9月場所)
- 技能賞:1回(2011年11月場所)
- 金星:3個
- 朝青龍1個(2008年1月場所)、白鵬2個(2008年9月場所、2010年11月場所)
[編集] 場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002年 (平成14年) |
x | (前相撲) | 東 序ノ口 #26 6–1 |
東 序二段 #61 6–1 |
西 三段目 #95 4–3 |
西 三段目 #77 5–2 |
| 2003年 (平成15年) |
西 三段目 #49 5–2 |
西 三段目 #21 3–4 |
東 三段目 #37 7–0 |
東 幕下 #25 3–4 |
西 幕下 #35 5–2 |
東 幕下 #25 4–3 |
| 2004年 (平成16年) |
東 幕下 #18 7–0 |
東 幕下 #1 5–2 |
西 十両 #12 9–6 |
東 十両 #6 8–7 |
西 十両 #3 9–6 |
西 前頭 #16 9–6 |
| 2005年 (平成17年) |
東 前頭 #12 6–9 |
西 前頭 #15 8–7 |
西 前頭 #11 5–10 |
西 前頭 #15 7–8 |
西 前頭 #16 12–3 敢 |
東 前頭 #5 5–10 |
| 2006年 (平成18年) |
東 前頭 #9 8–7 |
東 前頭 #7 10–5 |
東 前頭 #1 8–7 |
西 小結 8–7 |
東 小結 8–7 殊 |
東 小結 8–7 |
| 2007年 (平成19年) |
東 小結 7–8 |
東 前頭 #1 6–9 |
西 前頭 #3 6–9 |
西 前頭 #6 11–4 |
東 小結 6–9 |
東 前頭 #2 9–6 |
| 2008年 (平成20年) |
東 前頭 #1 10–5 殊★ |
東 小結 8–7 |
東 小結 10–5 敢 |
東 小結 6–9 |
東 前頭 #2 6–9 ★ |
東 前頭 #4 11–4 |
| 2009年 (平成21年) |
東 小結 8–7 |
西 関脇 5–10 |
東 前頭 #4 13–2 敢 |
西 関脇 9–6 |
東 関脇 7–8 |
東 小結 6–9 |
| 2010年 (平成22年) |
西 前頭 #3 9–6 |
東 小結 9–6 |
東 関脇 8–7 |
東 関脇 7–8 |
東 小結 7–8 |
東 前頭 #1 10–5 殊★ |
| 2011年 (平成23年) |
東 関脇 10–5 殊 |
八百長問題 により中止 |
西 関脇 8–7 |
西 関脇 10–5 |
西 関脇 12–3 殊 |
東 関脇 10–5 技 |
| 2012年 (平成24年) |
西 大関 #3 11–4 |
x | x | x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
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[編集] 幕内対戦成績
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 闘牙 | 1 | 0 | 春日王 | 1 | 3 | 時津海 | 5 | 2 | 玉春日 | 4 | 1 |
| 時天空 | 12 | 4 | 海鵬 | 4 | 0 | 北勝力 | 5 | 1 | 朝赤龍 | 11 | 5 |
| 露鵬 | 7 | 2 | 琴欧洲 | 12(1) | 22 | 普天王 | 7(1) | 3 | 琴龍 | 1 | 2 |
| 高見盛 | 4 | 2 | 追風海 | 0 | 2 | 日馬富士 | 13 | 20 | 武雄山 | 1 | 3 |
| 出島 | 4 | 6 | 豊ノ島 | 16 | 6 | 霜鳳 | 1 | 2 | 旭鷲山 | 2 | 3 |
| 琴奨菊 | 11 | 24 | 豊桜 | 3 | 1 | 春日錦 | 3(1) | 0 | 安美錦 | 16 | 12 |
| 皇司 | 1 | 0 | 琴ノ若 | 3(1) | 1 | 玉乃島 | 4 | 2 | 駿傑 | 3 | 0 |
| 十文字 | 2 | 0 | 豪風 | 11 | 4 | 片山 | 2 | 0 | 栃栄 | 2 | 1 |
| 白露山 | 5 | 2 | 玉飛鳥 | 0 | 1 | 栃乃花 | 1 | 1 | 岩木山 | 1 | 4 |
| 栃乃洋 | 6 | 2 | 旭天鵬 | 10 | 9 | 若兎馬 | 1 | 1 | 朝青龍 | 4 | 11 |
| 琴光喜 | 12 | 10 | 千代大海 | 6 | 14 | 魁皇 | 15 | 12 | 垣添 | 5 | 3 |
| 土佐ノ海 | 1 | 0 | 嘉風 | 6 | 1 | 白鵬 | 7 | 22 | 雅山 | 16 | 3 |
| 黒海 | 5 | 1 | 栃東 | 0 | 5 | 把瑠都 | 3 | 16 | 豊真将 | 5 | 5 |
| 栃煌山 | 9 | 4 | 鶴竜 | 15 | 7 | 龍皇 | 0 | 1 | 北桜 | 1 | 0 |
| 豪栄道 | 7 | 2 | 若ノ鵬 | 0 | 2 | 将司 | 1 | 0 | 栃ノ心 | 6 | 3 |
| 阿覧 | 6 | 3 | 千代白鵬 | 1 | 0 | 山本山 | 1 | 0 | 豊響 | 1 | 0 |
| 玉鷲 | 3 | 0 | 北太樹 | 3 | 0 | 白馬 | 2 | 0 | 德瀬川 | 1 | 0 |
| 隠岐の海 | 5 | 0 | 若荒雄 | 1 | 0 | 臥牙丸 | 2 | 0 | 栃乃若 | 1 | 0 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2011年11月場所終了現在、現役力士)
[編集] 改名歴
- 萩原 寛(はぎわら ゆたか)2002年3月場所-2004年9月場所
- 稀勢の里 寛(きせのさと - )2004年11月場所-
[編集] 脚注
- ^ 白鵬が立ち合いの迷いで初黒星 MSN産経2008年9月18日配信
- ^ 大相撲八百長問題の影響で3月場所は中止となった。同場所の番付に代わって発表された順席では西関脇となっている。
- ^ 稀勢の里の大関昇進、どうも釈然としないMSN産経2011年11月28日配信
- ^ 稀勢の里の大関昇進“合点”がいかないZAKZAK2011年12月6日配信
- ^ 稀勢11勝「課題見つかった」/初場所nikkansports.com2012年1月22日配信
- ^ 稀勢の里が「荒磯」を取得=大相撲 時事ドットコム2009年1月5日配信
- ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年9月23日閲覧。
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| 東 | 番付 | 西 |
| 白鵬 | 横綱 | |
| 三役 | ||
| 把瑠都 | 琴欧洲 | 大関 | 琴奨菊 | 日馬富士 | 稀勢の里 |
| 鶴竜 | 関脇 | 豊ノ島 |
| 雅山 | 小結 | 若荒雄 |
| 平幕 | ||
| 豪風 | 隠岐の海 | 北太樹 | 豊真将 | 妙義龍 | 嘉風 | 阿覧 | 松鳳山 | 栃ノ心 | 時天空 | 富士東 | 芳東 | 千代の国 | 隆の山 | 朝赤龍 | 魁聖 | 幕内前頭 | 安美錦 | 豪栄道 | 髙安 | 栃乃若 | 豊響 | 旭天鵬 | 碧山 | 栃煌山 | 大道 | 臥牙丸 | 佐田の富士 | 土佐豊 | 天鎧鵬 | 磋牙司 | 旭秀鵬 | 鳰の湖 |
| 十両 | ||
| 玉鷲 | 宝富士 | 勢 | 黒海 | 翔天狼 | 德勝龍 | 武州山 | 栃乃洋(引退) | 皇風 | 旭日松 | 北勝国 | 双大竜 | 北磻磨 | 誉富士 | 十両 | 寶智山 | 若の里 | 舛ノ山 | 剣武 | 木村山 | 高見盛 | 琴勇輝 | 玉飛鳥 | 大岩戸 | 益荒海 | 阿夢露 | 德真鵬 | 千代大龍 | 城ノ龍 |
| 関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||
| 里山 | 荒鷲 | 千代嵐 | 明瀬山 | 大雷童 | 佐田の海 | 飛天龍 | 千代桜 | 飛翔富士 | 鳥羽の山 | 華王錦 | 垣添 | 龍皇 | 濵錦 | 豊乃國 | 琴国 | 琴禮 | 四ツ車 | 仲の国 | 出羽鳳 | 出羽の郷 | 栃不動 | 琉鵬 | ||
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