春日錦孝嘉

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春日錦孝嘉 Sumo pictogram.svg
Kasuganishiki 08 Sep.jpg
場所入りする春日錦関
基礎情報
四股名 春日錦 孝嘉
本名 鈴木 孝洋
愛称 スズキ
生年月日 1975年8月22日(39歳)
出身 千葉県夷隅郡岬町
(現千葉県いすみ市
身長 188cm
体重 152kg
所属部屋 春日野部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭5枚目
生涯戦歴 611勝581敗89休(120場所)
幕内戦歴 107勝156敗37休(20場所)
データ
初土俵 1991年3月場所
入幕 2001年9月場所
引退 2011年1月場所
引退後 年寄:竹縄
趣味 釣り、水彩画
備考
2011年1月22日現在

春日錦 孝嘉(かすがにしき たかひろ、1975年8月22日 - )は、千葉県夷隅郡岬町(現在のいすみ市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 孝洋(すずき たかひろ)。愛称は本名から「スズキ」、四股名から「ニシキ関」、容貌から「梅三郎」「梅さん」(アニメ『ど根性ガエル』の登場人物にちなんで)など。身長188cm、体重152kg。血液型はB型、趣味は釣り、水彩画。社交的・温厚な性格で、ファンサービスが良い力士として知られた。得意手は突き、押し。最高位は西前頭5枚目(2003年9月場所・2004年1月場所・2006年1月場所)。

来歴[編集]

料理店の次男として産まれる。本人によれば、少年時代は荒れた時期もあったという。小学5年生の時、後に入門することとなる春日野部屋を見学したのを契機に角界入りを決意した。直後に、学校の授業で将来の夢を発表する機会があり、そこで「横綱になる」と宣言した。中学に入学してから兄と姉の影響で柔道を始めたが、部活は美術部であった。中学卒業後に春日野部屋へ入門し、1991年3月場所において初土俵を踏んだ。初土俵の同期には、後の小結・千代天山や前頭・金開山らがいる。

幕下上位で眼底骨折のため伸び悩んだ時期もあったが、1999年7月場所において新十両へ昇進した。すぐに十両に定着することはできなかったが、2001年9月場所にて十両へ復帰した以降は十両に定着し、2002年9月場所において新入幕を果たした。

突き押しが得意だが右四つに組んでも力を発揮する相撲で、2003年9月場所と2004年1月場所では自己最高位となる西前頭5枚目まで番付を上げ、2006年1月場所でも西前頭5枚目まで番付を上げた。その2006年1月場所では終盤の8連敗が響いて4勝11敗と大きく負け越し、翌3月場所でも5勝10敗と大きく負け越して、翌5月場所では十両へ陥落した。その後は幕内と十両との往復が目立つようになり、2008年11月場所において9回目の入幕を果たしたのを最後に、以降は幕内へ復帰することはできなかった。

2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では野球賭博に関与したという理由により謹慎処分を受け、同年7月場所を全休し、翌9月場所では幕下へ陥落した。その9月場所と翌11月場所では負け越し、続く2011年1月場所でも2勝5敗と負け越しが決まり、同場所13日目終了後に引退を表明した。同場所千秋楽に引退会見を行い、引退後は年寄・22代竹縄を襲名し、春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たることを発表していた[1]

しかし、自身の引退直後の2011年2月4日に、大相撲野球賭博問題の調査の過程で発覚した大相撲八百長問題において八百長に関与していた力士として名前が挙がる。本人も八百長への関与を認めたため、同年4月1日に日本相撲協会から職務停止2年の処分を下された。調査に対して八百長を認めなかった力士は日本相撲協会から引退勧告を受けているが、本人が日本相撲協会の調査で八百長への関与を認めてその後の調査にも協力した結果としての処分である。[2]本人はその処分の結果に関係なく日本相撲協会を自主的に退職する意向を表明していた[3]。 同年4月5日に日本相撲協会は22代竹縄親方の退職届を受理したと発表した[4]。同年5月1日には断髪式も予定されていたが不祥事を受けて事実上中止となっている。[5]

主な成績[編集]

通算成績[編集]

  • 通算成績:611勝581敗89休 勝率.513
  • 幕内成績:107勝156敗37休 勝率.407
  • 現役在位:120場所
  • 幕内在位:20場所

場所別成績[編集]

                                            

春日錦孝嘉[6]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1991年
(平成3年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #45
6–1
 
西 序二段 #100
3–4
 
西 序二段 #126
3–4
 
東 序ノ口 #1
5–2
 
1992年
(平成4年)
西 序二段 #97
5–2
 
西 序二段 #50
2–5
 
東 序二段 #85
4–3
 
東 序二段 #56
休場
0–0–7
東 序二段 #127
6–1
 
東 序二段 #49
3–3–1
 
1993年
(平成5年)
西 序二段 #73
6–1
 
東 序二段 #6
4–3
 
西 三段目 #84
3–4
 
東 三段目 #98
4–3
 
東 三段目 #75
4–3
 
西 三段目 #56
3–4
 
1994年
(平成6年)
西 三段目 #68
3–4
 
西 三段目 #85
4–2–1
 
東 三段目 #62
4–3
 
東 三段目 #45
4–3
 
西 三段目 #31
休場
0–0–7
東 三段目 #91
5–2
 
1995年
(平成7年)
西 三段目 #55
3–4
 
西 三段目 #71
4–3
 
西 三段目 #52
5–2
 
西 三段目 #23
5–2
 
西 幕下 #59
4–3
 
東 幕下 #49
2–5
 
1996年
(平成8年)
東 三段目 #13
7–0
 
東 幕下 #11
2–5
 
東 幕下 #25
4–3
 
西 幕下 #17
2–5
 
東 幕下 #32
2–5
 
西 幕下 #50
2–5
 
1997年
(平成9年)
西 三段目 #9
5–2
 
東 幕下 #51
5–2
 
東 幕下 #35
休場
0–0–7
東 三段目 #15
5–2
 
西 幕下 #51
4–4
 
東 幕下 #42
6–1
 
1998年
(平成10年)
西 幕下 #20
3–4
 
西 幕下 #30
5–2
 
東 幕下 #21
6–1
 
東 幕下 #8
4–3
 
東 幕下 #5
3–4
 
東 幕下 #10
休場
0–0–7
1999年
(平成11年)
東 幕下 #10
4–3
 
西 幕下 #6
5–2
 
西 幕下 #3
6–1
 
西 十両 #12
2–13
 
西 幕下 #11
1–2–4
 
西 幕下 #29
3–4
 
2000年
(平成12年)
西 幕下 #35
6–1
 
東 幕下 #16
6–1
 
西 幕下 #4
3–4
 
西 幕下 #7
5–2
 
東 幕下 #2
3–4
 
東 幕下 #7
6–1
 
2001年
(平成13年)
東 幕下 #2
5–2
 
西 十両 #10
5–10
 
西 幕下 #1
3–4
 
東 幕下 #4
5–2
 
西 十両 #13
9–6
 
西 十両 #8
7–8
 
2002年
(平成14年)
東 十両 #9
10–5
 
西 十両 #3
6–9
 
東 十両 #6
9–6
 
東 十両 #4
11–4
 
西 前頭 #10
5–10
 
西 十両 #1
10–5
 
2003年
(平成15年)
西 前頭 #11
7–8
 
東 前頭 #13
6–9
 
東 十両 #1
9–6
 
東 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #9
8–7
 
2004年
(平成16年)
西 前頭 #5
4–10–1[7]
 
東 前頭 #10
5–10
 
東 前頭 #14
休場
0–0–15
東 十両 #7
8–7
 
西 十両 #4
5–10
 
東 十両 #9
10–5
 
2005年
(平成17年)
東 十両 #4
10–5
 
東 前頭 #14
1–3–11[8]
 
東 十両 #7
7–8
 
東 十両 #8
9–6
 
西 十両 #2
9–6
 
東 前頭 #15
9–6
 
2006年
(平成18年)
西 前頭 #5
4–11
 
西 前頭 #13
5–10
 
東 十両 #2
7–8
 
西 十両 #2
9–6
 
東 前頭 #15
6–9
 
東 十両 #3
9–6
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #13
9–6
 
東 前頭 #10
4–11
 
西 前頭 #16
4–11
 
東 十両 #3
8–7
 
東 前頭 #16
7–8
 
西 前頭 #16
7–8
 
2008年
(平成20年)
東 十両 #1
4–11
 
西 十両 #8
8–7
 
東 十両 #4
6–9
 
西 十両 #6
9–6
 
西 十両 #3
9–6
 
西 前頭 #12
2–3–10[9]
 
2009年
(平成21年)
東 十両 #6
7–8
 
西 十両 #7
7–8
 
東 十両 #9
8–7
 
西 十両 #7
9–6
 
西 十両 #1
2–10–3
 
東 十両 #13
9–6
 
2010年
(平成22年)
東 十両 #10
6–9
 
西 十両 #13
8–7
 
東 十両 #9
7–8
 
西 十両 #10
出場停止
0–0–15
西 幕下 #10
1–6
 
西 幕下 #26
3–4
 
2011年
(平成23年)
東 幕下 #30
引退
2–5–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

記録[編集]

2002年5月場所において、11日目の春ノ山戦・13日目の玉力道戦・千秋楽の駒光(後の駿傑)戦と、1場所で3つの不戦勝を得る珍しい記録を作った。この場所では東十両6枚目の位置で9勝6敗の成績を挙げて勝ち越しを果たした。

人物[編集]

  • 美声で知られ、巡業や花相撲では相撲甚句を披露することが多かった。甚句は本来弓取り初っ切りと同様に幕下力士が行うものだが、春日錦は甚句の巧みさを買われ、関取へ昇進してからもその役割を担っていた。同じく、北桜も関取でありながら相撲甚句を歌い、春日錦と共に唄うことも多かったが、「いつかこの巡業地へ再び戻ってくる」との約束を歌う甚句中最大の盛り上がりどころであるトリを務めるのは春日錦であった。なお、幕内力士でありながら甚句を歌い続けた力士には、後に歌手へと転向した大至がいる。 
  • 大麻不法所持で逮捕されて日本相撲協会を解雇された元・若ノ鵬が、自身の解雇後となる2008年10月に講談社週刊現代』において実名を挙げての「告発」を行った際に、「自分(若ノ鵬)に八百長を持ち掛けた複数の力士」の1人として名前が挙げられた。春日錦本人はこの疑惑を強く否定し、元・若ノ鵬も後に八百長を含めた一連の「告発」を「事実無根だった」と認めて撤回した。しかし、引退直後に発覚した大相撲八百長問題では発覚直後から春日錦が関与したとみなされ、本人も調査に対してそれを認めている。
  • インタビューなどでは折に触れて自身の妻について語ることから、「愛妻家」「おしどり夫婦」と評判を取った。妻の父は元サッカー選手の平沢周策である。

改名歴[編集]

  • 春日錦 孝洋(かすがにしき たかひろ)1991年5月場所 - 2004年9月場所
  • 春日錦 孝嘉( - たかひろ)2004年11月場所 -2011年1月場所
    • 「上半身に比べて弱くケガをしやすい足腰がしっかりするように」との思いを込め、画数が多く、下がどっしりと安定感のある字を選んで、本名の「孝洋」から、同じ読みのまま「孝嘉」の字に改名した。

年寄変遷[編集]

  • 竹縄 孝嘉(たけなわ たかひろ) 2011年1月23日-4月5日

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「20年は一瞬のよう」春日錦が引退、竹縄を襲名 スポーツニッポン 2011年1月23日閲覧
  2. ^ 特別調査委員に対しては「関与者は40人いる」と主張していた。因みに若ノ鵬も関与者数について同様の主張を行ったことがある。
    元春日錦 「約40人の力士が八百長に関わる」と調査委に証言 NEWSポストセブン 2012.08.27 16:00
  3. ^ 朝日新聞 2011年4月2日
  4. ^ 八百長関与で22人が引退、退職へ サンケイスポーツ 2011年4月5日
  5. ^ 春日錦が断髪式中止へ「八百長」代償 nikkansports.com 2011年2月20日8時22分 紙面から
  6. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。
  7. ^ 腰部打撲及び左座骨神経痛のため14日目から途中休場
  8. ^ 右上腕二頭筋長頭筋腱断裂のため4日目から途中休場
  9. ^ 左足関節捻挫のため5日目から途中休場

外部リンク[編集]