時天空慶晃

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時天空 慶晃 Sumo pictogram.svg
Tokitenku 2008.jpg
基礎情報
四股名 時天空 慶晃
本名 時天空 慶晃(旧名:アルタンガダシーン・フチットバータル
Алтангадасын Хүчитбаатар
愛称 フチェ
生年月日 1979年9月10日(34歳)
出身 モンゴル国ウランバートル市
身長 185cm
体重 134kg
BMI 39.15
所属部屋 時津風部屋
得意技 突っ張り・右四つ・投げ・寄り・足癖
成績
現在の番付 西前頭15枚目
最高位 小結
生涯戦歴 495勝493敗5休(72場所)
幕内戦歴 400勝450敗5休(57場所)
優勝 十両優勝1回
三段目優勝1回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
技能賞1回
データ
初土俵 2002年7月場所
入幕 2004年7月場所
備考
2014年7月27日現在

時天空 慶晃(ときてんくう よしあき、1979年9月10日 - 、本名同じ[1]、旧名:アルタンガダシーン・フチットバータルモンゴル語キリル文字表記:Алтангадасын Хүчитбаатарラテン文字転写Altangadasyn Khüchitbaatar))は、モンゴル国ウランバートル市出身で時津風部屋所属の現役大相撲力士東京農業大学国際食料情報学部卒業。愛称は「フチェ」。実際に生まれ育ったのはウランバートル市内だが、取組前の場内アナウンスでは父親の出身地であるトゥブ県アルタンボラグ村を自身の出身地としている[2]身長185cm、体重134kg、血液型はA型、星座は乙女座。得意技は、突っ張り・右四つ・投げ・寄り・足癖。最高位は東小結2007年7月場所)。

読売ジャイアンツのファン。ビリヤードの腕前もかなりのものと言われる。また、モンゴル人らしく乗馬も得意で、この乗馬経験により養われたバランス感覚が力士としての活躍にプラスに働いている。 趣味にはダーツもあり、マイダーツまで所持している。また、モンゴルで打ち込んでいた柔道は、現在でも全日本選手権を生で観戦するほど好きである[3]

来歴[編集]

モンゴル相撲の小結(「ナチン」格)の父親の息子として生まれる。若年時には、ウランバートル市内の柔道クラブで、後の朝青龍朝赤龍日馬富士らと稽古を重ねた。モンゴル国立農業大学に進学後、卒業を待たずに2000年4月スポーツ交流留学生として、東京農業大学国際食料情報学部生物企業情報学科に転入。同学では相撲部に入部し、転入初年度に(日本の)全国学生相撲個人体重別選手権大会(100kg未満級)で優勝した。本来、来日して東京農大に転入の際には、農政・食糧技術を学士修了してモンゴルへ帰国し、母国モンゴル国内の公立学校の教職につく予定だったが、大相撲で活躍する朝青龍、朝赤龍らの姿を見て次第に興味を持ち、角界に入るためには入門時の年齢制限である23歳も迫っていたため、同学在学中のまま3年次に時津風部屋へ入門した。入門後の就学については夜間主コースに転籍し、2004年3月同学を卒業した。四股名は、入門の際に、東京農業大学相撲部の安井和男監督(当時)が付与したもので、時津風部屋の「時」と、モンゴルの広い空のイメージにちなんだ「天空」の合作とされる。

その間に2002年7月場所に前相撲から初土俵。同期7人の中で1番目に出世を決めた。翌場所から3場所連続全勝優勝(三段目では同部屋の豊ノ島を優勝決定戦で下している)。板井の26連勝に次ぐ序ノ口からの22連勝を記録した。柔道経験を活かして二枚蹴り内掛けといった足癖を見せた。序二段では優勝決定戦を含め8番のうち6番の決まり手が足技(掛け手)であった。2004年3月場所には十両昇進。十両を2場所で通過し、7月場所には初土俵から所要12場所の史上最速タイ(当時)で新入幕を果たした。2005年5月場所では相手の安馬の背後をとって、柔道のすくい投げを思わせる豪快な足取り(モンゴル相撲のホンゴトフという技)を決めて勝ち、館内を沸かせた。翌場所には逆に足を取られたものの1分近くその体勢で耐えたが、惜しくも敗れた。同年9月場所はまたも同じく安馬戦で、6分半を超える水入りの相撲をとったが、敗れた。

足技ばかりが目立つ相撲が長く続いたが、突っ張りも強力な武器となりつつある。2005年11月場所には西前頭7枚目で10勝5敗を挙げ、突っ張りが評価されて技能賞を受賞した。これにより、2006年1月場所では西前頭筆頭となるが、三役力士相手に苦戦。前頭上位と中位を行き来した後、同年7月場所に東前頭8枚目で10勝を挙げ、千秋楽での白星を条件に敢闘賞の候補となるが、11勝目を挙げることはできなかった。しかしこの二桁勝利のため、9月場所では西前頭2枚目に番付を上げ、この時は7勝8敗と負け越すも、翌11月場所では東前頭3枚目で9勝6敗、さらに翌年1月場所では東前頭2枚目で8勝7敗の成績をあげ、翌3月場所では西小結に昇進した。

新小結の初日は横綱・朝青龍から見事勝利を挙げた。一度は土俵際まで攻められるも素早く体位を入れ替え、朝青龍の腰に後ろからしがみついた。そして朝青龍が無理に向きを変えようとしたところをついて送り倒した。その日は既に3大関が敗れており波乱の形相を呈していたが、朝青龍の手がついた途端館内の熱気は最高潮に達し、座布団が乱れ飛んだ。2006年後半から、上位に対して白星を挙げられるようになってきてはいたが、この場所も魁皇琴欧洲の2大関を倒す活躍を見せ、最終的には7勝8敗と惜しくも負け越してしまったものの、勝ち星を挙げた取組には、内容のいいものが多かった。5月場所では西前頭筆頭となり、8勝7敗と勝ち越し、7月場所では再び三役に番付を戻した。5月、7月では、なかなか本来の相撲が取れなかったが、7月場所の千秋楽では高見盛を内掛けで崩しながら寄り切った。久々に時天空らしさがのぞいた一番であったが、9月場所ではやはり本来の形が出ず、6勝9敗に終わった。

足技、突っ張りに加えて、最近は体重を増やすと同時に正攻法の攻めも習得し、これが上位に対して通用するようになっている一因とも言える。突っ張りには定評があり、2011年1月場所11日目の『どすこいFM』では千賀ノ浦が時天空に突っ張りの勧めを説き、その場所を体調不良の状態で迎えた時天空に対して「突っ張りはジャブだから、突き切らなくてもいい」と助言し、下角アナウンサーも「時津風親方も『どうして突っ張らないのか』とか言っていました」と証言した。 11月場所では3場所ぶりに勝ち越しを決めた。本人は2008年の目標として、三役への復帰と定着、さらに三賞の獲得を掲げたが、11月場所まで6場所連続で負け越し、勝ち越しのない一年となった。

2009年1月場所は13日目に8勝目を挙げ、7場所ぶりの勝ち越しを決めた。2010年1月場所では右足を痛めて10日目から初の休場となり、番付を東前頭13枚目まで下げた。しかし3月場所では、自身初の初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決め、10勝5敗と2006年7月場所以来の二桁白星を記録した。以来順調に勝ち越しを続けていたが、2010年9月場所で2勝13敗と大敗し、再び番付を下げることとなった。 久々に上位に番付を戻した2012年3月場所は3勝12敗と大きく負け越したが、5日目に大関稀勢の里を得意の蹴手繰りで破った。 2013年5月場所は東前頭8枚目で10勝5敗の成績を挙げ、翌7月場所で三役(西小結)に復帰した。小結となったのは、2007年7月場所以来35場所ぶりのことであり、これは昭和以降2位のスロー復帰となった[4]。しかし7月場所では横綱・大関陣に一勝もできず、9日目に早々と負け越しが確定、最終的に4勝11敗と大きく負け越した。場所後に行われたジャカルタ巡業は休場した。9月場所では平幕に下がったが、5勝10敗と、2場所連続で二桁黒星となってしまった。入門以来の足癖は健在であったがこの頃からあっさりと土俵外へ出される淡白な負け方が顕著になっていった。[5]翌11月場所は東前頭10枚目の地位で6勝9敗に終わり、これが幕内在位3場所目の2005年1月場所以来となる平幕2桁台での負け越しとなった。2014年1月場所は西前頭13枚目の地位で4勝11敗と大きく負け越し、翌3月場所では十両への陥落を経験したが、1場所で幕内に復帰している。

エピソード[編集]

  • 2000年4月、東京農業大学国際食料情報学部生物企業情報学科に入学。3年次在学中のまま時津風部屋へ入門し夜間主コースに替えて2004年3月に卒業した。卒業式当日は場所中であったため、東京農業大学卒業生であり入門時の師匠であった(当時既に日本相撲協会を停年退職後で)元大関豊山の内田勝男が代わりに出席した。
  • モンゴル出身力士で初めて日本の大学を卒業した力士である。後に、日本の大卒資格を持つモンゴル人力士は出たが、時天空は唯一の関取である。卒業論文のタイトルは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」であり、日本語で執筆した。
  • 2006年9月場所初日に、栃東に勝ち、大関から初の白星を挙げた。この日は27歳の誕生日でもあり、取組後のインタビューで「この日に自分を産んでくれた母に感謝します」とコメントし、さらに「お母さんに一言」と言われて、「バヤルララー」(モンゴル語のありがとう)と答えた。
  • 翌年3月場所初日には横綱朝青龍から初めて白星を挙げた。取組後のインタビュー中は、笑顔が無く目が潤んだような状態で、アナウンサーの問いかけにも上の空だったが、翌日のNHK大相撲中継で、インタビュー後に風呂に入っているうちに、喜びがじわじわ沸いてきたという本人のコメントが紹介された。また、この時のインタビューでは「突っ張りの腕も磨いて、千代大海関のようになりたい」とも話した。実際、師匠である前・時津風親方も、専門誌で「突っ張りを習得したことで攻撃の幅が広がった」と評価していた。
  • 水入りの相撲を複数回記録している。
  • 妹は同じモンゴル出身の白馬と2008年に結婚している。
  • 2012年7月場所8日目にはトゥクトゥク(三輪タクシー)で場所入りした。[6]
  • 2013年7月18日のNHK大相撲中継では、解説者の舞の海秀平が、「この力士が相手の顔を張るのはその力士をナメているから。」と心理分析とも取れる指摘をしていた。
  • 2013年9月場所千秋楽、横綱日馬富士の露払いを務めている安美錦がこの日を休場したため、急遽代役として露払いを務めた。花相撲などでは経験があるが、本場所で横綱土俵入りの露払いを務めたのは初めてのことだった。通常は本場所では横綱と同じ部屋ないしは同じ一門から担当者を選ぶ慣例があるため、一門の枠を越えて抜擢されたのは、極めて異例の事だった。その直後の10月7日明治神宮で行われた日馬富士の奉納土俵入りでも安美錦の代役を務めたが、その2日前に西新井大師で横綱白鵬の太刀持ちをしたばかりだったことも影響してか、露払いでありながら誤って太刀持ちの位置に蹲踞してしまう大失態を犯した。[7]その後は、2014年になってから白鵬の土俵入りを担当していた力士が諸事情で降板して伊勢ヶ濱一門内に適任者が不在となってしまったという理由で、現在は白鵬の露払いを務めている(一門内に別の横綱がいるにも関わらず、一門外の横綱の正露払いを務めるのは異例中の異例。ちなみに、同部屋の豊ノ島も正太刀持ちを任命されている)。
  • 2014年5月25日現在、現役モンゴル人力士の中では旭天鵬に次ぐ年長力士である。
  • Facebookを利用している。
  • 2014年1月に日本国籍を取得した。[8][9]それに伴い引退後の年寄襲名が可能となったことから、同年5月29日付で年寄名跡「間垣」を取得した。モンゴル出身者としては初の年寄名跡取得となった。[10]

2014年1月場所4日目、9日目[編集]

2014年1月場所4日目の佐田の富士-時天空戦では珍事が起こった。佐田の富士の締め込みが緩んでいたので「まわし待った」がかかったのだが、その際は時天空が佐田の富士の廻しの結び目近くを握っていたので両者がそのままの体勢では担当行司の木村晃之助が廻しを十分に締め込むことができず結局1度目の「まわし待った」から再開した直後に行司が締め込み不十分と判断して間髪入れず2度目の「まわし待った」を宣告した。見かねた朝日山審判長(元大関 大受)は土俵に上がって締め込みを手伝うよう土俵下に控える嘉風へ指示したが、担当行司が「関取に手伝っていただくわけにはいかない」と断り、結局佐田の富士の締め込みが緩んだまま再開されることとなり、勝負は時天空が寄り切りで制した。[11]9日目の翔天狼戦でも同様に「1番で2度のまわし待った」が起こり、この1番では待ったの際両者が体を離したため元の体勢に戻すのに手間取る一幕もあった。翔天狼は「先場所から10キロ近く太ったから、まわしが短くなった。買いたいんだけど」と弁明するも、この1月場所5日目から東西の支度部屋の入り口に『まわしはほどけないようにしっかりしめること』と張り紙で注意を促していた矢先に起こった失態であるだけに審判部を怒らせる騒ぎとなり、鏡山審判部長(元関脇 多賀竜)はこれを受けて「下のものにも示しがつかない。今度、師匠会で(審判部長の)伊勢ヶ濱さんが言うと思うよ。部屋のほうにも」と親方衆に再通達することを明かした。[12]

主な成績[編集]

2014年7月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:495勝493敗5休(72場所)
  • 通算勝率:.501
  • 幕内成績:400勝450敗5休
  • 幕内勝率:.470
  • 幕内在位:57場所
  • 三役在位:3場所(小結3場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2004年5月場所)
  • 三段目優勝:1回(2003年1月場所)
  • 序二段優勝:1回(2002年11月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2002年9月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:1回
    • 技能賞1回(2005年11月場所)
  • 金星:なし

場所別成績[編集]

                                                                                                                                          

時天空慶晃[13]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2002年
(平成14年)
x x x (前相撲) 西 序ノ口 #40
優勝
7–0
東 序二段 #30
優勝
7–0
2003年
(平成15年)
西 三段目 #33
優勝
7–0
東 幕下 #22
5–2
 
東 幕下 #11
4–3
 
西 幕下 #6
4–3
 
東 幕下 #4
4–3
 
西 幕下 #1
3–4
 
2004年
(平成16年)
東 幕下 #3
5–2
 
東 十両 #11
8–7
 
西 十両 #10
優勝
12–3
東 前頭 #17
6–9
 
西 十両 #2
9–6
 
西 前頭 #15
7–8
 
2005年
(平成17年)
西 前頭 #17
6–9
 
西 十両 #2
10–5
 
西 前頭 #15
8–7
 
東 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #7
10–5
2006年
(平成18年)
西 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #4
5–10
 
東 前頭 #8
10–5
 
西 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
9–6
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #2
8–7
 
西 小結
7–8
 
西 前頭 #1
8–7
 
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
9–6
 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #3
7–8
 
東 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #9
7–8
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #10
9–6
 
西 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #10
9–6
 
西 前頭 #4
8–7
 
西 前頭 #2
5–10
 
2010年
(平成22年)
東 前頭 #8
5–5–5[14]
 
東 前頭 #13
10–5
 
東 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #3
8–7
 
東 前頭 #1
2–13
 
西 前頭 #11
8–7
 
2011年
(平成23年)
西 前頭 #8
6–9
 
八百長問題
により中止
西 前頭 #13
8–7
 
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #7
6–9
 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #10
11–4
 
東 前頭 #2
3–12
 
東 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #9
9–6
 
東 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #8
7–8
 
2013年
(平成25年)
東 前頭 #9
10–5
 
東 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #8
10–5
 
西 小結
4–11
 
東 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #10
6–9
 
2014年
(平成26年)
西 前頭 #13
4–11
 
東 十両 #3
10–5
 
西 前頭 #14
7–8
 
西 前頭 #15
7–8
 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注[編集]

  1. ^ 帰化した琴欧州と時天空の日本名を発表 日刊スポーツ(2014年2月17日)
  2. ^ モンゴル国では、フビライ帝の時代以前から、自身の名前に「○○ドルジ(朶而只)」等と「○○という父親の息子」という表現を使うことが見られるなど出自には父親の系統が重視され、父の出身地を重視する慣行から、おしなべて多くのモンゴル出身力士は父親の出身地を自分自身の本籍地として表現する傾向がある。
  3. ^ 『大相撲ジャーナル』創刊号(平成25年名古屋場所展望号)55ページ
  4. ^ 35場所ぶり小結復帰の時天空が本格稽古 日刊スポーツ 2013年6月26日19時3分
  5. ^ 『相撲』2014年3月号58頁
  6. ^ 『相撲』2012年8月号57ページ
  7. ^ 〝ん?何かヘン・・・〟太刀持ち、露払い逆で土俵入り  力士戦士権で MSN産経フォト 2013年10月7日
  8. ^ 平成26年1月7日法務省告示第3号。
  9. ^ 「告示」『官報』6203号、国立印刷局2014年1月7日、2面。
  10. ^ 時天空が年寄名跡「間垣」取得していた 日刊スポーツ 2014年6月17日
  11. ^ 朝日新聞 2014年1月16日
  12. ^ また“ゆるフン”で審判部怒!珍事連発で親方衆に再通達/初場所(2/3ページ) SANSPO.COM 2014.1.21 13:22
  13. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年9月24日閲覧。
  14. ^ 右母趾(ぼし)IP関節開放性脱臼により途中休場

関連項目[編集]

外部リンク[編集]