両国駅
| 両国駅 | |
|---|---|
JR西口(2007年8月12日)
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| りょうごく - Ryōgoku | |
| 所在地 | 東京都墨田区横網一丁目 |
| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細) 東京都交通局(駅詳細) |
両国駅(りょうごくえき)は、東京都墨田区横網(よこあみ)一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅。
目次 |
[編集] 乗り入れ路線
JR東日本の総武本線支線、東京都交通局の都営地下鉄大江戸線が乗り入れ、接続駅となっている。
JR東日本総武本線の駅は、定期列車は緩行線を走る中央・総武線各駅停車のみが停車する。このほか千葉方面の快速線に接続している列車ホーム(後述)が存在するが、現在は臨時列車のみに使用される。また、特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。
都営大江戸線の駅には「E 12」の駅番号が付与されている。
[編集] 駅構造
JRの駅は東西に出入口があり(階段の位置はホームの両端ではなくやや中央寄り)、駅舎は高架下にある。ホーム横にはターミナル駅の面影を残す駅舎とホームが残されている。現在は、この旧駅舎コンコースを利用した飲食店が営業中である。
総武線各駅停車と都営大江戸線の乗り換えはJR駅の東口から乗り換えるが、駅間がかなり離れており、徒歩で5 - 10分程かかる[要出典]。
近くに大相撲興行などが開催される両国国技館があるため、西口改札を入ってすぐの所にはタイルの色が違う所があり、これはよく見ると土俵の形になっている[1] 。
[編集] JR東日本
| JR 両国駅* | |
|---|---|
3番線ホーム(2007年4月1日)
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| りょうごく - Ryōgoku | |
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◄錦糸町 (1.5km)
(0.8km) 浅草橋►
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| 所在地 | 東京都墨田区横網一丁目3-20 |
| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
| 所属路線 | ■総武線(各駅停車) (正式には総武本線支線) |
| キロ程 | 1.5km(錦糸町起点) 千葉から35.9km |
| 電報略号 | レウ |
| 駅構造 | 高架駅 |
| ホーム | 2面3線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
38,733人/日(降車客含まず) -2010年- |
| 開業年月日 | 1904年(明治37年)4月5日 |
| 備考 | みどりの窓口 有 * 1931年に両国橋駅から改称。 |
総武線各駅停車用の島式ホーム1面2線の電車ホームと、単式ホーム1面1線の列車ホームを有する高架駅である。電車ホームから一段低い高さに列車ホームがある。
| ホーム | 路線 | 行先 |
|---|---|---|
| 1 | ■総武線(各駅停車) | 秋葉原・新宿方面 |
| 2 | ■総武線(各駅停車) | 錦糸町・市川・船橋・千葉方面 |
| 3 | ■団体・臨時ホーム(総武快速線と接続) | |
1番線の案内には、物理的に直通していない東京、上野の表記がある。両駅へ行く場合は秋葉原で乗り換えが必要となる。またその旨の案内はされていない。
列車ホームは、JR発足当初は5番線まであり、特急「あやめ」「すいごう」の発着もあったが、現在では定期旅客列車の発着がなくなっている。現在では3番線のみとなり、まれに臨時列車が使用するのみとなっている。総武快速線の団体列車がここで折り返すことも多かったが、東京トンネルの入線制限が緩和されたためにほとんどの列車が東京駅まで直通できるようになり、使用頻度は大きく減少した。なお、新宿方面から総武線千葉方面に乗り入れる特急などはすべて当駅の電車ホームを通過する。3番線ホームは2008年秋の観光キャンペーン「ぐるっと ゆめ半島ちば」を機に全面リニューアルされ、同年11月29日発の「快速 ぐるっと ゆめ半島1号」より使用が開始された[2]。3番線ホームへは西口からしか入れず、また通常は閉鎖されている。また、旧4・5番線は保線基地であり、架線が敷設されていない。
2010年3月12日までは、旅客以外の定期列車として内房・外房両沿線の新聞販売店や主要駅のキヨスク向けに夕刊を発送する新聞輸送列車が1日1本発車していた[3][4]。
2008年9月2日に発車メロディとスピーカーが変更された。このメロディは現在当駅のみで使用されている。
西口には、バリアフリー施設としてエスカレーターやエレベーターなどを併設している。
[編集] 東京都交通局
| 東京都交通局 両国駅 | |
|---|---|
| りょうごく - Ryōgoku (江戸東京博物館前) |
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◄E 11 蔵前 (1.2km)
(1.0km) 森下 E 13►
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| 所在地 | 東京都墨田区横網一丁目4-29 |
| 駅番号 | ○E 12 |
| 所属事業者 | 東京都交通局(都営地下鉄) |
| 所属路線 | |
| キロ程 | 11.7km(都庁前起点) |
| 電報略号 | 両(駅名略称) |
| 駅構造 | 地下駅 |
| ホーム | 1面2線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
26,788人/日 -2009年- |
| 開業年月日 | 2000年(平成12年)12月12日 |
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。「江戸東京博物館前」の駅名併称が付けられている。
| ホーム | 路線 | 行先 |
|---|---|---|
| 1 | 飯田橋・新宿西口・都庁前方面 | |
| 2 | 門前仲町・大門・六本木方面 |
[編集] 利用状況
JR東日本の2010年度1日平均乗車人員は38,733人である。
都営地下鉄の2009年度1日平均乗降人員は26,788人(乗車人員 13,488人、降車人員 13,300人)である[5]。開業当初は1日5,000人の乗車人員が見込まれていた[6]が、乗車人員で見ると開業当初から2.5倍の数字である。
近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
| 年度 | JR東日本 | 都営地下鉄 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1992年 | 43,721 | - | [7] |
| 1993年 | 47,441 | - | [8] |
| 1994年 | 44,649 | - | [9] |
| 1995年 | 43,639 | - | [10] |
| 1996年 | 43,386 | - | [11] |
| 1997年 | 42,041 | - | [12] |
| 1998年 | 41,619 | - | [13] |
| 1999年 | 40,977[1] | - | [14] |
| 2000年 | 40,892[2] | 7,518 | [15] |
| 2001年 | 39,106[3] | 9,403 | [16] |
| 2002年 | 39,078[4] | 10,438 | [17] |
| 2003年 | 38,826[5] | 10,667 | [18] |
| 2004年 | 38,548[6] | 10,910 | [19] |
| 2005年 | 38,047[7] | 11,288 | [20] |
| 2006年 | 39,406[8] | 12,255 | [21] |
| 2007年 | 39,811[9] | 13,107 | [22] |
| 2008年 | 39,969[10] | 13,538 | [23] |
| 2009年 | 39,371[11] | 13,488 | |
| 2010年 | 38,733[12] |
| 年度 | 推移(1日平均) |
|---|---|
| 東京都交通局 (乗降人員) |
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| 2006 | 24,020 |
| 2007 | 25,894 |
| 2008 | 27,059 |
| 2008 | 26,788 |
[編集] 駅周辺
相撲の街として知られており、江戸時代には勧進相撲が執り行なわれた回向院がある他、相撲部屋や力士サイズの服を取り扱う洋品店などがある。北隣には、両国国技館(上の写真でも緑の屋根が写っている)や東京都江戸東京博物館がある。かつては貨物駅があり、総武快速線建設に伴い貨物駅が閉鎖された後には国鉄バスの東京自動車営業所(のちのジェイアールバス関東東京支店)があったが、江東区塩浜に移転した。
国技館の北隣には旧安田庭園がある。同施設のある一角には両国公会堂があるが、老朽化が激しく倒壊の恐れがあるため、現在は利用を休止して改修しているが、外観を見ることはできる。
旧安田庭園の東側、江戸東京博物館の北側には2004年にNTTドコモ墨田ビルという超高層ビルが竣工した。ここでは「NTTドコモ歴史展示スクエア」というショールームがあり、予約制だが過去のNTTドコモなどの携帯電話端末などを一堂に観ることができる。
旧安田庭園の北東側、NTTドコモ墨田ビルの北側、清澄通りと蔵前橋通りに面した角の一角には、都立横網町公園がある。ここには関東大震災で多数の犠牲者を出した陸軍本所被服廠跡地で(因みに震災当時は既に「跡地」であった)、都立公園の中でも慰霊を目的とした特異な存在である。敷地内には震災犠牲者と東京大空襲犠牲者を祀る東京都慰霊堂や震災復興記念館、東京空襲犠牲者追悼碑などが建てられており、毎年3月10日(東京大空襲忌日)と9月1日(関東大震災忌日)には慰霊法要が営まれる。
JR東口から南に向かって京葉道路を越え、さらに南に少々入った辺りに本所松坂町公園(吉良上野介の屋敷跡・忠臣蔵の討ち入りの舞台)がある。さらにその近くの両国公園には「勝海舟生誕の地」碑がある他、附近には江戸から明治期の著名人の足跡(芥川龍之介生育の地 等)が数多くある。また、駅南東側一帯は池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」の主要な舞台になったことでも知られている。
[編集] バス路線
JR西口のザ・ホテルベルグランデ前付近に「両国駅前」及び京葉道路沿いに「両国駅入口」、また都営大江戸線両国駅近辺の清澄通り上に「都営両国駅前」がある。運行はすべて都営バスによって行われている。詳細は江東営業所・臨海支所・青戸支所の記事を参照のこと。
JR両国駅にバスが乗り入れたのは平23乙系統の頃からである。その後、門33系統の両国駅行や錦27系統の短縮、墨38系統の設定、草28系統の短縮などによって様々な系統が乗り入れて来るようになる。しかし、ターミナルとしては中途半端であったことも影響して、平23乙系統は上37系統と経路交換した上で当駅には来なくなり、また、都営大江戸線開業と共に門33系統の両国駅前折り返し便は経路のほとんどが同線と重複するため廃止となった。
一方、「都営両国駅前」停留所は都営大江戸線の開業に伴って移転・改称されたものであり、同線の駅が開業する前までは「横網一丁目」、さらに墨田区役所が横網一丁目(現在の国際ファッションセンタービル一帯)から現在地に移転するまでは「墨田区役所前」を名乗っていた。また、移動も頻繁に行われており、「横網一丁目」時代の停留所の位置は亀戸駅方面が国際ファッションセンター前(現在郵便ポストがある場所)、豊海水産埠頭前方面はそのほぼ向かい(たい焼き屋の斜め前)と、現在の場所よりもかなり北方にあった。
なお、「両国駅前」停留所はJRの駅よりさらに西にあるため、同停留所に発着し京葉道路を経由する両28・錦27両系統の錦糸町駅方面行へ都営大江戸線から乗り換える場合、「両国駅前」よりも、A5出口から左に歩いて交差点を左折したところにある「緑一丁目」停留所が最寄りとなる。
2008年4月26日より、観光路線バス「東京→夢の下町」(S-1系統)が運行されている。
[編集] 両国駅前
- 1番乗り場
- 2番乗り場
- 墨38 - 東京都リハビリテーション病院前行
[編集] 都営両国駅前
- 清澄通り駒形橋方面(日大一高前)
- 清澄通り森下方面(東電本所変電所付近)
- 門33 - 豊海水産埠頭前行
- S-1 - 両国駅前行
- 江東学園前(横網町公園南側)
- 墨38 - 両国駅前行
[編集] 水上バス
[編集] 歴史
当駅は、千葉県方面への鉄道を建設した私鉄であった総武鉄道が1904年(明治37年)4月5日に「両国橋駅」として開業させた。総武鉄道は、市川駅より東側の区間を先に開業させており、そこから西へ東京へ向かって順次建設を進めてきた。そして、本所駅(後の錦糸町駅)から両国橋駅までの区間が都心側で最後に開業した。この当時本所から両国橋までの沿線は既に市街地になっており、高架線とする事を条件に免許が出された。会社側は建設費のかかる高架線を避けようと、地上の線路に変更しようとする工作をしたが、結局煉瓦造りの橋脚の上に鉄桁を載せた形状の高架橋を約1.5 kmに渡って建設して開業する事になった。これは日本の鉄道で最初の高架区間であった。当初は単線で開業したが、最初から橋脚は複線用に準備されており、1906年(明治39年)8月19日に複線化された。この高架橋の関係で、垂れ流し式のトイレからの汚物が沿線に被害を及ぼすことを避けるために、本所より西側ではトイレの使用が禁止されていた。
総武鉄道の力では隅田川を渡る橋を建設する事が難しかったこともあり、両国橋駅は総武鉄道の都心側のターミナルとして機能するようになった。当初の駅舎建物は駅の西側に建てられており、木造2階建てで面積170坪(約562 平方メートル)、建設費は約9,000円であった。また脇に同じく木造2階建ての総武鉄道本社も建てられていた。プラットホームは全長212 mあり、その先の東側にも地下道を通じて亀沢町方面への出口が造られていた。隅田川からの運河が構内に掘られ、水運との連絡が行われるようになっていた。貨物営業は1904年9月1日に開始された。
また、吾妻橋駅(後の業平橋駅)をターミナルとしていた東武鉄道も、亀戸線を建設して総武鉄道に乗り入れるようになり、両国橋駅は開業と同時に房総方面だけではなく北関東方面へのターミナルとしても機能するようになった。このために吾妻橋駅は一時廃止されるが、1907年(明治40年)9月1日に総武鉄道が国有化されて国鉄となったこともあり、1910年(明治41年)3月1日に吾妻橋駅を浅草駅に改称して旅客営業が再開され、3月27日に両国橋駅への東武鉄道の列車の乗り入れが廃止された。ただし、貨物列車については1926年(大正15年)7月1日に小岩駅と金町駅を結ぶ新金貨物線が開通するまで、東武亀戸線を経由して北千住駅で常磐線と連絡する運転が継続された。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生した。駅舎は倒壊しなかったが、延焼により焼失した。高架橋も大きな被害を受けて、復旧して運転を再開したのは10月9日のこととなった。バラック立ての仮駅舎を建設して暫定的に営業を行っていたが、増大する旅客・貨物需要を捌ききれなくなったため、1929年(昭和4年)12月30日に新駅舎が営業を開始した。これは2010年現在供用されている駅舎である。この時点で行き止まり式の2面4線の構造となった。駅舎の面積は3,034 坪(約10,030 平方メートル)であった。当時は乗車口と降車口が分離されており、外から駅舎に向かって左側に乗車口、右側に降車口があった。内部には出札口、2等待合室、3等待合室、手荷物カウンターなどが設置されていた。
元々隅田川の両岸を両国と称し、そこに架かる橋を両国橋と呼んでいたことから、橋の近くにある駅を両国橋と名付けたものであったが、次第に隅田川東岸のことを両国と称するようになった。駅名もまた、一般には単に両国駅と呼ばれることが多くなっていた。そこで、1931年(昭和6年)10月1日に正式に「両国駅」へ改称した。
この頃、房総方面にあった全部で94の駅の中では、東京側のターミナルであった両国駅は乗降客数と収入の面ではぬきんでた1位であり、貨物取扱量も第2位であった。東京の鉄道駅の中では、東京、上野、新宿、横浜、新橋に次ぐ第6位の取扱収入で、当時は渋谷や池袋などよりも収入の大きな駅であった。しかし、両国駅より西側の総武本線の建設が行われると、このターミナルとしての繁栄は次第に凋落していくことになった。
関東大震災で焼失した市街地の区画整理が行われた事で線路用地の捻出が可能となり、1932年(昭和7年)7月1日に御茶ノ水までの線路が完成し、総武本線の起点が御茶ノ水に変更された。これにより両国は孤立したターミナルの状態を脱することになった。御茶ノ水と両国の間は電化されて電車が折り返し運転を行うようになり、房総方面への列車の乗換駅となった。これに合わせて、現在も使用されている1・2番線のプラットホームが整備された。地下道で従来の列車用ホームとの連絡がなされ、また電車用のプラットホームへ直接出入りできる改札口が高架下に設けられた。当初は両国より東側はまだ電化されなかったので、房総方面へは両国駅での乗換を必要としていたが、それでも乗換だけの乗客は改札口を通過しないため両国駅の乗降客数や収入は大きく減じることになった。さらに電化が東へ進展して1935年(昭和10年)7月1日に千葉駅まで完成すると、房総方面の列車が千葉駅で折り返すものが増え、次第に両国駅の列車ホームで発着する列車は減少していくことになった。特に第二次世界大戦後の石炭不足による蒸気機関車牽引列車の減少と、房総方面が気動車化の重点線区とされたことで、当駅を始発・終着とする房総方面の列車は2往復まで減少することになった。
しかし、1958年(昭和33年)7月10日から準急「犬吠」の運転が開始され、その始発・終着駅となった。さらに房総方面の準急・急行は増発され、一部総武緩行線経由で新宿方面へ乗り入れる列車もあったものの、多くの優等列車は当駅始発・終着とされた。これにより再び房総方面へのターミナル駅としての地位が高まることになった。特に夏には房総への海水浴客を輸送するための臨時列車が多数設定されて賑わった。
次の大きな転機となったのは、1972年(昭和47年)7月15日の総武本線複々線化である。東京駅から錦糸町駅までの地下線で総武快速線が建設され、総武線の快速列車が東京駅へ直通するようになった。この線路は両国駅構内の北側を通過してはいるが、地下から地上へ出てくるところにあり、また急カーブでもあることから、当駅にホームは設けられなかった。これにより総武快速線の列車は当駅に停まらなくなった。貨物営業も近隣の越中島駅等へ集約される事になり物流拠点としての役目を終えた。この時点ではまだ房総方面への急行列車の一部は両国駅発着で残存していた[24]が、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正により、房総方面の急行列車は全廃され、特急「しおさい」「あやめ」「すいごう」が1日1往復だけ両国駅に発着する状態となった。1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正では、これら特急列車の両国発着が終了し、両国駅は総武線各駅停車のみが停車する駅となって現在に至っている。
[編集] 年表
- 1904年(明治37年)
- 1906年(明治39年)8月19日 - 本所までの区間が複線化。
- 1907年(明治40年)9月1日 - 総武鉄道の鉄道国有法に基づく国有化で、国有鉄道の駅となる。
- 1910年(明治43年)3月27日 - 東武鉄道の浅草駅(後の業平橋駅)の営業再開により、東武鉄道の列車の乗り入れを廃止。
- 1923年(大正12年)
- 1929年(昭和4年)12月30日 - 新駅舎使用開始。
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 両国駅に改称。
- 1932年(昭和7年)7月1日 - 御茶ノ水駅までの電車線開業。
- 1958年(昭和33年)7月10日 - 準急「犬吠」運転開始。
- 1969年(昭和44年)
- 8月20日 - 蒸気機関車の最終運転、これを最後に東京都から蒸気機関車による列車が全廃。
- 10月1日 - 貨物の配達の取扱を廃止。
- 1970年(昭和45年)7月1日 - 貨物営業廃止。
- 1972年(昭和47年)7月15日 - 総武本線複々線化および東京 - 錦糸町間開業により総武快速線の運転開始。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - この日のダイヤ改正により房総方面の急行が全廃され、当駅列車ホームを発車する列車が激減する。特急「しおさい」「あやめ」「すいごう」の各1往復が設定される。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、JR東日本の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月13日 - 特急「あやめ」「すいごう」の乗り入れ終了。これにより、定期旅客列車では総武線各駅停車のみが停車する駅となる。
- 1998年(平成10年) - 「関東の駅百選」に選定される。選定理由は「鉄筋2階建ての駅舎で相撲とともに歩んだ下町の代表となる駅」。
- 2000年(平成12年)12月12日 - 都営大江戸線の駅が開業。
- 2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
- 2007年(平成19年)3月18日 - 東京都交通局でICカードPASMO供用開始。
- 2008年(平成20年)11月29日 - 列車ホーム(3番線)の改修完了による使用開始。
- 2010年(平成22年)3月12日 - この日をもって新聞輸送列車の乗り入れ終了。3番線ホームの定期列車の発着がなくなる。
[編集] 駅名の由来
元来、両国とは両国橋を挟んだ隅田川の両岸を指す地名であった(隅田川西岸は旧日本橋両国)。しかし、総武鉄道は当初隅田川の東岸までの開通に留まったため、両国橋の東、東両国に両国橋駅を開業し、後に両国駅と改称した。駅名の影響に両国国技館の開設も加わり、現在では両国という地名は専ら両国橋の東の地域に対して用いられる。地名についての詳細は両国 (墨田区)を参照のこと。
[編集] その他
当駅周辺には国技館や相撲部屋等、相撲関連の施設が多いためか、駅の所在地名を「よこづな(横綱)」と誤解しやすいが、正しくは「よこあみ(横網)」である。
[編集] 隣の駅
[編集] 脚注
- ^ 「鉄道ファン」1991年8月号141ページより。
- ^ 『両国駅臨時列車用ホームをリニューアルします!』 - JR東日本千葉支社 2008年11月10日 (PDF)
- ^ 『新聞専用列車、3月で幕 経費削減「時代の流れ」』 - 千葉日報 2010年2月9日
- ^ 『両国からの新聞輸送列車が廃止に』 - 交友社『鉄道ファン』・railf.jp 2010年3月14日
- ^ 東京都交通局 各駅乗降人員一覧
- ^ 大江戸線国立競技場~六本木~上野御徒町~都庁前間の開業について 平成12年8月18日、東京都交通局
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ^ 急行列車に使われる車両は165系急行用電車などの非ATC搭載車だったため、当時保安装置がATCだった総武快速線地下区間(東京方面)に入線することができなかった。
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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