両国 (墨田区)
両国(りょうごく)は東京都墨田区の町名。郵便番号は130-0026。
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地理 [編集]
墨田区本所地域にあたる。に北は総武線を隔てて墨田区横網に、南は竪川と高架上の首都高速小松川線を隔てて墨田区千歳に、西は隅田川を隔てて中央区東日本橋、および台東区柳橋に、東は清澄通り(地下に都営地下鉄大江戸線が通っている)を隔てて墨田区緑に接する。町内を国道14号(京葉道路)が通っている。また、「両国」の名は通称として両国駅周辺一帯を指すこともある。元来は両国橋周辺の称。
歴史 [編集]
江戸時代の1659年(万治2年)12月13日に架橋され、当初幕府によって大橋と名づけられたが、両国橋と通称された。
両国橋東岸の地域、現在の両国は神田、日本橋方面と直接結ばれ、以後江戸が隅田川をはさんで東側に拡大する足がかりとなった。現在の両国を含む北側が本所、両国よりも南側が深川であり、双方とも江戸時代の新興住宅地域にあたる。
1686年(貞享3年)(一説によれば寛永年間(1622年-1643年))に、のちの南葛飾郡が武蔵国へ編入されるまでは隅田川(当時は大川)が下総国と武蔵国の国境であったため、大橋(両国橋)はその両方の国に跨っていた。これが両国橋の名称の由来となっている。
元禄14年8月19日(1701年9月21日)、江戸幕府は吉良義央に、呉服橋から両国3丁目 (当時の本所) の松平信望の上げ屋敷へ屋敷替の命を受け、元禄赤穂事件の吉良邸討ち入りが勃発した。
総武線の両国駅の開業は1904年のことである(開業当時の名称は「両国橋駅」)。これは本所駅(現在の錦糸町駅)から都心方面への乗り入れを目的とした延伸のためであったが、隅田川の架橋工事が難航したことから秋葉原・御茶ノ水方面への延伸が遅れ、また1932年の延伸後も1972年の錦糸町-東京間の地下線の開業までは千葉以東へ向かう列車の多くが両国駅を始発としたため、駅前に路面電車が乗り入れていたこともあって、両国駅はながらくターミナル駅として活況を呈した。
両国の名前が全国に知られているのは両国国技館によるところが大きいと思われる。辰野金吾と葛西万司の設計により1909年に完成し1944年まで使用された旧両国国技館は、両国二丁目の回向院の旧境内にあった。その後、蔵前国技館への移転を経て、1985年に新しく完成した現・両国国技館は、両国駅の北側、墨田区横網に位置している。このような縁から、両国は多くの相撲部屋やちゃんこ店が居を構える相撲の町としての顔も持つ。なお、旧国技館は1983年に解体されるまで日大講堂として使用され、解体後の跡地は現在オフィス・住宅・劇場・レストランなどからなる複合ビル施設の両国シティコアとなっている。
赤穂浪士の討ち入りで知られる吉良屋敷は本所松坂町(現在の両国二丁目から両国三丁目にかけての一帯)にあった。現在はそのごく一部が吉良邸跡として保存されており、区立本所松坂町公園となっている。また、その近くにある区立両国公園内には勝海舟の生誕の地の碑がある。吉良邸跡の南側、竪川の北岸は塩原太助の住居跡で竪川に架かる橋に塩原橋の名が付けられている。
新両国国技館と同じ墨田区横網には、関東大震災で多数の犠牲者を出した陸軍被服廠跡に建てられた東京都慰霊堂があり、震災犠牲者と東京大空襲犠牲者を祀っている。
中央区側の両国(日本橋両国) [編集]
本来、両国とは隅田川西側の武蔵国側の称であり、元禄(1688)時代からの本所深川開発以降、現在の両国である旧下総国側(墨田区側)を東両国(向う両国とも)と呼ぶようになった。両国の北に隣接する柳橋も含め、両国は江戸屈指の歓楽街として栄え、特に両国橋西詰の両国広小路は見世物などの小屋が立ち並んで賑わった。明治11年の東京市15区創設後西側を日本橋両国、東側を本所東両国という言い方ができてきた。近年、中央区側を西両国という表現をするのは適切ではない。本所、深川は旧来の下町(芝、京橋、日本橋、神田)からは「川向こう」であり、旧来の下町側から新興の東側を侮蔑的に見るところから西側の本家の両国、川向こうの格下の東両国(向う両国)という感覚が定着したと思われる。両国は隅田川をはさんで西、東が対等ではなくあくまで西側が本家で優越だったと考えられる。
その後、両国駅の開業や両国国技館の開館にともない、両国という地名はおもに東両国を指すようになっていったと考えられる。1971年には住居表示にともない、中央区の日本橋両国は周囲の日本橋米沢町、日本橋薬研堀町などとあわせ東日本橋と改められ、現在は中央区東日本橋二丁目となっている。一方、墨田区側は1967年に東両国から両国へ改称された。
東日本橋町内には東日本橋両国商店街があったが、2004年前後に名称を変更し、東日本橋やげん堀商店会となった。現在、中央区内では両国広小路の石碑や両国郵便局などに両国の名を残すのみである。
なお、薬研堀は七味唐辛子発祥の地と言われている(七味のことを「薬研堀」と呼ぶことがあるのはこの名残)。
平成25年4月、墨田区側のJR両国駅前に「両国駅広小路」なる駅前広場が整備された。「両国広小路の賑わい」を模したとのことであるが、当然のことながら実際の両国広小路とは場所が全く異なり、ここが両国広小路であったかのような誤解を与えかねない命名と言える。
両国花火 [編集]
1732年(享保17年)に起こった全国的な大飢饉(いわゆる享保の大飢饉)や江戸におけるコレラの流行を受けて、八代将軍徳川吉宗が死者の弔いと悪病退散を願って両国にて水神祭と施餓鬼を行った。この際に花火を打ち上げて川開きを同時に行ったことが両国花火大会の始まりといわれている。1733年(享保18年)5月のことであった。担当した花火師が両国の篠原弥兵衛、有名な「鍵屋」六代目である。後にこの鍵屋から暖簾分けした「玉屋」が加わり、それぞれ両国を挟んで上流側・下流側を担当した。花火を打ち上げるたびに「たまやー かぎやー」という掛け声がかかるのは、この競演に由来する。
両国花火大会は、何度かの中断があったものの、現在も続いている日本で最も歴史の長い花火大会である。1978年(昭和53年)に15年ぶりの復活を遂げた際、現在の「隅田川花火大会」へと名を変えた。
大江戸・両国からくり祭 [編集]
2006年から毎年10月に開催されている。各種のからくりが展示される。江戸手妻(てづま)の紹介や街頭芸人も集まる。
2011年より「大江戸両国・伝統祭り」と名称変更する。江戸手妻、殺陣、琵琶、曲芸、大道芸、その他からくりも含めつつ、江戸時代の芸能すべてを紹介する祭りへと変わった。
交通 [編集]
両国ゆかりの人物 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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