豊響隆太

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豊響隆太 Sumo pictogram.svg
Toyohibiki 08 Sept.jpg
入場する豊響関
基礎情報
四股名 豊響 隆太
本名 門元 隆太
愛称 カドリュウ、平成の猛牛、トラフグ
生年月日 1984年11月16日(30歳)
出身 山口県豊浦郡豊浦町
(現在の下関市豊浦町、出生地は大阪府大阪市
身長 185cm
体重 185kg
BMI 54.05
所属部屋 境川部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 西前頭2枚目
最高位 前頭2枚目
生涯戦歴 393勝344敗30休(58場所)
幕内戦歴 279勝291敗30休(40場所)
優勝 十両優勝2回
序二段優勝1回
敢闘賞3回
データ
初土俵 2005年1月場所
入幕 2007年7月場所
趣味 昼寝
備考
金星1個(白鵬1個)
2014年10月27日現在

豊響 隆太(とよひびき りゅうた、1984年11月16日 - )は、大阪府大阪市生まれ、山口県豊浦郡豊浦町(現在の下関市豊浦町)出身で境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は門元隆太(かどもと りゅうた)、愛称はカドリュウ。身長185cm、体重185kg、血液型B型。得意手は突き、押し。趣味は昼寝。最高位は東前頭2枚目(2008年11月場所)。

来歴[編集]

小学校2年生の時に豊浦町に移り、地元のスポーツ少年団加入がきっかけで相撲を始めた。そのときの先輩・チームメイトに豊真将がいる。門元少年の中学進学のときに山本少年は関東の高校に進学したためふるさとを離れたが、門元少年はその後も豊浦町に残った。

高校時代は山口県立響高等学校で活躍した。高校在学中に境川親方が家にやって来て勧誘を受けたが母親に向かってぞんざいな口を聞く門元を見た境川は「親に向かってそんな口をたたく奴はこっちからごめんだ」と切り捨て、一旦境川部屋への入門は破談となった。卒業後、大相撲は厳しいからと就職する道を選び、造船所アルバイト、トラック運転手などの仕事をして相撲から離れていたが、兄の助言もあって境川部屋に入門。その際に自ら境川へ入門を志願し、前述の母親に対するぞんざいな振る舞いを詫びたという。[1]2005年(平成17年)1月場所で初土俵を踏んだ。一時は同じ部屋の高校横綱・豪栄道(同期入門)らとともに、期待されている若手の一人であった。四股名の豊は出身地の下関市豊浦町と母親の名前「豊美」の「豊」、響は出身校の響高校の「響」に由来する。

2006年(平成18年)11月場所では西幕下3枚目の地位で4勝3敗と勝ち越し2007年(平成19年)1月場所の新十両を決め、入門からわずか2年で関取に昇進した。この場所で10勝5敗、十両上位の栃煌山霜鳥との優勝決定戦を制し、新十両での十両優勝を果たした。翌3月場所は千秋楽に8勝7敗と勝ち越しを決めた。翌5月場所では10勝5敗と新十両の場所以来2場所ぶり2度目の2桁勝利で7月場所では新入幕を果たした。その場所は11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞した。翌9月場所は序盤は5勝2敗と好調であったものの、以降は相手が少し横に動いただけでバランスを崩し土俵に倒れこむという下半身のもろさが露呈し、7勝8敗と負け越した。

2008年(平成20年)1月場所では、2007年12月に患った肺炎のため6勝9敗と負け越した。翌3月場所でも初日からの7連敗などが響き、5勝10敗と大きく負け越し、4場所連続で負け越しとなった。5月場所では7日目まで6勝1敗の好成績だったがその後5連敗して8勝7敗に終わった。7月場所は13日目を終えて10勝3敗と幕内の優勝争いにも名前が挙がり、14日目、千秋楽の番付上位の力士との対戦では連敗したが10勝5敗で敢闘賞を受賞した。番付を大幅に上げた9月場所では苦戦が予想されたが8勝7敗と勝ち越し、11月場所では自己最高位となる東前頭2枚目まで番付を上げたが、網膜剥離のため全休した。[2]

2009年(平成21年)1月場所は14日目までで5勝9敗。千秋楽に十両の土佐豊勇み足で敗れて5勝10敗と二桁黒星、翌3月場所は西十両3枚目まで番付を落とした。出直し場所となった翌3月場所は、12勝3敗で2度目の十両優勝を果たし、1場所で幕内に復帰。翌5月場所は序盤まで3勝2敗だったが、11日目に勝ち越しを決め、最終的に11勝4敗の好成績を挙げた。

西前頭16枚目でむかえた2010年(平成22年)1月場所は、12勝3敗という好成績を挙げ、敢闘賞を受賞した。

2010年に起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場を勧告され、相撲協会もそれを受け入れた[3]。そのため同年7月場所は全休、翌9月場所は十両へ陥落となった。9月場所はやや調子が落ち込んでおり、7勝8敗と負け越した。続く11月場所では四つに組む相撲が少なくないものの、最終盤まで優勝争いの先頭を走り、千秋楽本割で幕内の隠岐の海に敗れ、4人の優勝決定戦トーナメントでも決勝戦で魁聖に敗れ優勝を逃しはしたが、実力の差を見せた。

2011年(平成23年)1月場所で3度目の入幕、2012年(平成24年)5月場所では東前頭3枚目となり久々に上位総当りとなったが、3日目に琴欧洲を破って大関戦初勝利を挙げた。この後日馬富士も破って7日目に横綱白鵬戦を迎えた。土俵際の捨て身の小手投げで勝ったかに見えたが、立行司木村庄之助の軍配は白鵬に上がって物言いがついた。協議の結果、行司軍配差し違えで豊響の勝ちとなり、初金星を獲得した。ただしそれ以降は負けが込み、この場所は5勝10敗と負け越した。同年9月場所は西前頭4枚目の地位で迎え、この場所では琴奨菊、把瑠都、琴欧洲の3大関が途中休場を喫したため勝ち越して新三役昇進を手にするまたとない機会であったが惜しくも7勝8敗の負け越し。2013年5月場所は西前頭10枚目まで番付を落とし、ここでは初日の黒星から3日目までヌケヌケとなったかと思えば4日目から13日目までにかけて5連勝した後に5連敗を喫するという連相撲ぶりを発揮するが、14日目と千秋楽を連勝して8勝7敗の勝ち越し。しかしこの場所の淡白な結果は解説の北の富士に残念がられてしまった(後述)。2014年5月場所は東前頭11枚目の地位で迎え、初日から2連勝、2連敗、3連勝、3連敗、2連勝、2連敗といった具合に珍しい星取を見せ、千秋楽に勝って8勝7敗とした。

取り口など[編集]

体格に恵まれており、学生時代までは四つ相撲中心だった。角界入門後にスタイルを改め、仕切り位置を他の力士よりもやや後ろに取り、勢いを付けた立ち合いのぶちかましから馬力十分の右喉輪突っ張りハズ押しのみを武器に一徹に押す相撲を取っていた。同様の取り口を武器に活躍し『猛牛』の異名をとった第53代横綱琴櫻に準え、『平成の猛牛』というニックネームで呼ばれる場合もある。欠点としては、全身を使って相手を突っ張るため大振りになりがちであり、また攻め込みながらバランスを崩して逆転負けをすることもある。

本領ではないにしろ四つ相撲の力もそれなりに持つ。十両で戦う際は四つを得意とする相手と組み合って互角以上の勝負を見せることがあり、そのまま寄り切ることもできる。2013年に入ってからは四つ相撲が目立つ。[4]また、ツラ相撲の傾向がある。

名古屋場所では幕内7場所中5場所の勝ち越しを得ておりその内2回は2桁白星で敢闘賞を受賞するなど験の良い場所である。一方で、秋場所は験が悪く、幕内では6場所中1場所しか勝ち越しを果たしていない。

エピソード[編集]

  • 2012年5月場所で白鵬から金星を挙げた際には、その時の表情からテレビの実況アナウンサーが「猛牛の目にも涙!」と実況していた。この場所の豊響は1横綱2大関を撃破したが、1横綱3大関撃破で殊勲賞の豪栄道、4大関撃破で技能賞の妙義龍も同部屋であったことから、境川旋風と呼ばれた。[5]しかしその場所以降三賞や金星とは縁が無くなり成績も淡白になっていき、2013年5月場所を東前頭10枚目の地位で迎えながら千秋楽に勝ち越しがやっとの様子を見た北の富士に「平成の猛牛、今は平成の牛丼くらいかな」と揶揄されてしまった。
  • 山口県出身の関取は魁傑以降、琴岩国まで誕生しなかったが、2006年は豊真将・豊響と下関市から2人の山口県出身関取を輩出した。地元では先輩・豊真将に続いてほしいという期待が高まっている。
  • 下関市出身であり、堂々たるあんこ型をした関取でもある豊響は「トラフグ」の異名を持っており、トラフグの絵が描かれた化粧廻しも実際に贈られている。
  • 2013年8月24日夜、ジャカルタ巡業の遠征中であった豊響は妙義龍と共にタクシーに乗って夕食に出掛けたが、2人とも一般と比べて並外れた巨漢であったことから現地の警察官はテロリストと疑って車を止め、荷物を調べた後警官は2人が力士であると理解してようやく収束した。[6]
  • 2007年9月場所中、30代前後と推定される男性(男性の写真が添えられていた)が郵送で差し入れた小包を受け取り差出人の手作りと思われる「紅茶杏仁プリン」を確認したが、同じく小包の中に入っていた男性の手紙がストーカー的な内容であったことから付き人に毒見をさせ次第写真もろとも塩を撒いて処分したという。[7]
  • 仲間内では冗談好きで知られており、2014年5月場所千秋楽の取組前に支度部屋で部屋の弟弟子の幕内・佐田の海へ「千秋楽の取組で勝利」という条件付きで敢闘賞を受賞する旨を伝えても「冗談好きな方なので信じていなかった。付け人も床山さんも誰も何も言わなかったから、可能性もなくなったから気を使って何も言わないんだなと思っていた」とまともに伝わらず[8]、本人が候補に入っていたことをきちんと知ったのは千秋楽の取組で白星を挙げて花道を下がった後であった。[9]

主な成績[編集]

2014年9月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:393勝344敗30休(58場所)
  • 幕内成績:279勝291敗30休(40場所)
  • 十両成績:58勝32敗

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:2回(2007年1月場所、2009年3月場所)
  • 序二段優勝:1回(2005年5月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:3回
    • 敢闘賞:3回(2007年7月場所、2008年7月場所、2010年1月場所)
  • 金星:1個
    • 白鵬1個(2012年5月場所)

場所別成績[編集]

  

豊響 隆太 [10]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
(前相撲) 東 序ノ口 #32
5–2
 
東 序二段 #94
優勝
7–0
西 三段目 #86
6–1
 
西 三段目 #29
5–2
 
東 三段目 #7
6–1
 
2006年
(平成18年)
西 幕下 #32
3–4
 
東 幕下 #40
6–1
 
東 幕下 #17
4–3
 
東 幕下 #12
5–2
 
東 幕下 #8
5–2
 
西 幕下 #3
4–3
 
2007年
(平成19年)
東 十両 #14
優勝
10–5
西 十両 #8
8–7
 
西 十両 #6
10–5
 
西 前頭 #14
11–4
東 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
7–8
 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
5–10
 
西 前頭 #15
8–7
 
東 前頭 #13
10–5
東 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #2
休場
0–0–15
2009年
(平成21年)
東 前頭 #14
5–10
 
西 十両 #3
優勝
12–3
西 前頭 #11
11–4
 
西 前頭 #2
3–12
 
西 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #12
5–10
 
2010年
(平成22年)
西 前頭 #16
12–3
東 前頭 #5
4–11
 
西 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #6
出場停止
0–0–15
西 十両 #3
7–8
 
西 十両 #4
11–4
 
2011年
(平成23年)
西 前頭 #15
9–6
 
八百長問題
により中止
西 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
2012年
(平成24年)
西 前頭 #5
7–8
 
西 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #3
5–10
西 前頭 #7
9–6
 
西 前頭 #4
7–8
 
西 前頭 #5
9–6
 
2013年
(平成25年)
東 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #7
9–6
 
2014年
(平成26年)
西 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #5
8–7
 
西 前頭 #2
5–10
 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 門元 隆太(かどもと りゅうた)2005年1月場所 - 2006年11月場所
  • 豊響 隆太(とよひびき りゅうた)2007年1月場所 -

映画[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『大相撲ジャーナル』2013年10月号
  2. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号では尾崎勇気が「目を怪我してからは仕切り線の手前から当たるようになった」と網膜剥離の影響を証言していた。
  3. ^ 朝日新聞 2010年6月29日
  4. ^ 『相撲』2013年11月号55頁
  5. ^ 境川旋風終息する気配なし 中日スポーツ、2012年7月21日閲覧
  6. ^ 妙義龍&豊響 テロリストに間違えられた「いい経験になりました…」 Sponichi Annex 2013年8月26日 06:00
  7. ^ 東京スポーツ 2007年9月19日
  8. ^ 佐田の海が敢闘賞 親子新入幕三賞を達成 nikkansports.com 2014年5月25日21時25分
  9. ^ 【夏場所】佐田の海、史上初の親子新入幕三賞「冗談かと思った」 2014年5月26日6時0分 スポーツ報知
  10. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年7月23日閲覧。

外部リンク[編集]