日馬富士公平

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日馬富士公平 Sumo pictogram.svg
Sumo May09 Harumafuji.jpg
土俵上の日馬富士
基礎情報
四股名 安馬 公平→日馬富士 公平
本名 ダワーニャミーン・ビャンバドルジ
Даваанямын Бямбадорж
愛称 アマ
生年月日 1984年4月14日(30歳)
出身 モンゴル国ゴビ・アルタイ県
身長 185cm
体重 133kg
BMI 38.86
所属部屋 安治川部屋伊勢ヶ濱部屋
得意技 突っ張り、右四つ、寄り
成績
現在の番付 横綱2
最高位 第70代横綱
生涯戦歴 653勝376敗27休(81場所)
幕内戦歴 538勝305敗27休(58場所)
優勝 幕内最高優勝6回
十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞4回
敢闘賞1回
技能賞5回
データ
初土俵 2001年1月場所
入幕 2004年11月場所
他の活動 特定非営利活動法人ハートセービングプロジェクトでの慈善活動
趣味 ゴルフ
備考
金星1個(朝青龍1個)
2014年9月1日現在

日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴル国ゴビ・アルタイ出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の現役大相撲力士、第70代横綱2012年11月場所~)。

本名はダワーニャミーン・ビャンバドルジ[1]モンゴル語キリル文字表記:Даваанямын Бямбадоржラテン文字転写Davaanyamyn Byambadorj )、愛称はアマ。2008年11月場所までの四股名安馬 公平(あま こうへい)。「公平」の名は、自身が「日本の父」と慕う後援会長の小巻公平にちなんだ。

実際に生まれ育ったところはウランバートル市内であるが、取組前の場内アナウンスでは父親の出身地であるゴビ・アルタイ県を自身の出身地としている[2]身長185cm、体重133kg、血液型O型。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、押し出し[3]。インタビューの際の口癖は「お客さんを喜ばせる激しい相撲をとりたい」。好きな言葉は「全身全霊」「なんでやねん」。父はブフ(モンゴル相撲)の国家ザーン(大相撲での関脇に相当)。締め込みの色は、2013年現在は黒。

2014年4月より、法政大学大学院政策創造研究科へ入学。史上初、大学院生横綱となった[4]

素質・取り口[編集]

2013年3月場所時点においては双大竜に次いで幕内で2番目に軽量の力士である。尊敬している力士は、同じく軽量だった初代貴ノ花。稽古熱心な力士として知られており、ビデオで初代貴ノ花の相撲を研究している。2012年7月場所の時期からは、九重親方(元横綱千代の富士貢)の相撲を参考にしていることをしばしば語る。[5]

非常に強気な面が目立つ力士であり、物怖じしない言動が随所に見られる。既に三役に定着していた2007年(平成19年)9月場所では、新入幕にして優勝争いを展開する新鋭の豪栄道の挑戦を送り吊り落としの大技で退け「三役をなめられては困る」と三役常連としてのプライドを示した。同年11月場所にも「全部勝ちたい。負ける相手はいないと思っている」と強気一辺倒の姿勢で臨み、見事2場所連続の二桁勝利を挙げて大関取りの足固めをした。2008年1月場所前の横審の稽古総見でも復帰した朝青龍白鵬の両横綱の申し合いにただ1人割って入り、朝青龍にぶつかっていく向こう意気の強さを見せるなどした。このような前向きな姿勢と場所ごとに力強さを増す取り口などから、強力な大関候補として期待されていた。

自身のブログのタイトルにもあるように「真っ向勝負」を身上としている。体の重心が低い所にある上に、足腰が非常に強く、変化を喰いにくく、土俵際での粘りもある。立合いが鋭く相手に突き刺さるようであると形容される。現代の力士の中では相対的に軽量であるにもかかわらず、突き押し相撲は出足が鋭く腕がよく伸び、相手を真っ直ぐに土俵外に出すことができるほどの力がある。廻しをとっての投げも、白鵬を下すほどの鋭さを誇る[6]

かつては真っ向勝負のイメージを逆手に取り、立合いの変化を使う事も多かった。2005年(平成17年)11月場所9日目の琴欧州(当時)戦では負けたものの、「変化はしたくなかった。これからも対戦する相手だから」と語るなど真っ向勝負をにおわせる発言をしていた。相手が変化を警戒しないので非常に決まりやすいため、[7]実際には多くの取り組みで変化を用いていた。また2008年9月場所は12勝を挙げたが、勝ちにいく相撲を取っていたために変化が目立っており、客席からも冷ややかな声があったと夕刊フジの取材に答えている[8]。ところが、大関獲りとなった翌11月場所では、変化を用いることなく13勝し、大関昇進を果たしている[9]。しかしながら、2009年5月場所では11日目の稀勢の里戦で立ち合い変化しとったりで勝利を収めるなど、大関となった後も完全に変化を捨てたわけではなかった。この取り組みでは、全勝と1敗の対戦で熱戦が期待されていただけに、館内は落胆の声に包まれた。

また、三役定着の頃から上位陣には闘志をむき出しにして強さを発揮するものの、時に同等以下の力士にあっさり取りこぼしてしまうことがあり、大関になった後もなお完全には改善されていなかった。

その軽量や注文相撲、何より外国人(モンゴル出身)力士という境遇、さらにしばしば上位を苦しめる安美錦と同じ部屋[10]であるために綱取りに際しては厳しい意見が飛び交い、横綱審議委員会内館牧子に至っては2009年(平成21年)7月場所前に「2場所連続で優勝すれば横綱昇進というのであれば横審はいらない」と発言し、日馬富士の綱取りには極めて高レベルな成績が要求された。こうした横審の逆風に遭う中、2012年(平成24年)9月場所にて2場所連続全勝優勝を決め、見事横綱昇進を果たした。実に、貴乃花光司以来の2場所連続全勝での綱とりであった。

来歴[編集]

入門前[編集]

警察官でありブフ(モンゴル相撲)の国家ザーン(大相撲での関脇に相当)の父親の元、3人兄弟の末っ子として育つ。幼少期から兄と相撲を取ることが遊びで、兄に負けても悔しがる負けん気の強い子供であった。ウランバートル柔道クラブにも通っており、後の朝青龍朝赤龍時天空らと稽古した。一方、現在も趣味の絵画では、この頃、机に座って何時間も黙って描き続けていた、という集中力のある一面もあり、小学校時代には絵のコンクールで入賞した経験もある。

旭鷲山の活躍をテレビで見て、2000年7月に、旭鷲山の部屋の先輩にあたる安治川親方モンゴルで開いた相撲大会に出場。全体で100人近くいた日本の大相撲志願者の中で、彼に成長欲を感じた親方がスカウト。

父親が「うちの子は泣いても帰らないから大丈夫です」と親方に言い、これを聴いた親方が即決した。

出世[編集]

2001年1月に安馬四股名初土俵を踏み、翌3月場所には早くも序ノ口優勝(西29枚目・7勝0敗)を果たす。2002年3月場所 には三段目優勝(西14枚目・7勝0敗)を果たした。2004年3月場所には前相撲から20場所で新十両を決めた。同年の9月場所には11勝4敗で十両優勝を果たした。

翌11月場所は新入幕で、13日目に北勝力を破り見事に勝ち越した。2005年1月場所では、13日目に同じモンゴル出身の朝赤龍を破って勝ち越しを決めていたものの、翌14日目に前半戦の取組で痛めた尾てい骨部分の「臀部膿瘍」(でんぶのうよう)との診断を受け、入門以来初めて休場届を出した。翌3月場所、成績は9勝6敗と2桁勝利には及ばなかったものの、相撲内容を高く評価されて技能賞を初めて受賞した。7月場所では6勝9敗と幕内で初の負け越しとなる。9月場所は3日目の朝青龍横綱土俵入りで、初めて露払いを務めている(この日、露払い北勝力太刀持ち高見盛の対戦が組まれたため)。

2006年1月場所13日目、前場所の初対戦で送り吊り出しを喰らった相手である朝青龍を上手投げに破り、初めての金星を得た。この金星は、朝青龍にとって幕内戦績100敗目だった。翌3月場所は東前頭2枚目に上がって魁皇と琴欧州の2大関をそれぞれ引っ掛け足取りで下して8勝7敗と勝ち越し、2度目の技能賞を受賞した。翌5月場所は新小結の座を射止めたが、4勝11敗の大敗に終わった。2006年9月には平幕中位ながら11勝4敗の成績を挙げる準優勝の好成績で、初めての(そして唯一の)敢闘賞を受けた。

2007年1月場所、14日目に朝青龍を星1つの差で追っていた豊ノ島小褄取りの決まり手で破る「援護射撃」を果たし、朝青龍の20回目の優勝に貢献した。取組後支度部屋に戻り朝青龍に最敬礼。部屋・一門を超えたモンゴル人同士の繋がりの深さを見せた。自身も千秋楽稀勢の里を破って10勝5敗と二桁勝利を挙げた。翌3月場所に小結復帰を果たし、初日にそれまで4度の対戦で一度も勝てていなかった千代大海を初めて破るなどの活躍で、8勝7敗と三役で初めて勝ち越した。この場所新関脇の琴奨菊が7勝8敗で負け越し関脇のポストが空いたため、翌5月場所は新関脇となった。この場所千秋楽に、12勝を挙げていた朝赤龍を破り8勝7敗と勝ち越しを決めた。これ以降三役に定着することになる。7月場所は7勝8敗と一点の負け越しで小結に下がるが、翌9月場所は初日に横綱白鵬との8度目の対戦で、首投げにより初めて白鵬を破った上に、12日目には新入幕で優勝争いの単独トップに立っていた豪栄道を送り吊り落としで破った(前述)。自らも13日目終了時点で白鵬と1差につけるがその後連敗し10勝5敗に終わった。しかし横綱を破った相撲等が評価されて、初めての殊勲賞を受賞した。ただ、兄弟子の安美錦と同郷の朝赤龍の両関脇が勝ち越したため、関脇復帰は成らなかった。翌11月場所は、8日目に横綱白鵬を下手投げで連勝し、2度目の殊勲賞を受賞した。ただ、14日目に白鵬を星1つの差で追っていた把瑠都を破って、結果的に白鵬の優勝を援護している。この場所も10勝5敗であり、連続の10勝でいよいよ大関獲りの機運が高まった。

大関獲り[編集]

初めての大関獲りの場所となった2008年1月場所、10日目に横綱白鵬を上手投げで破り対白鵬3連勝を果たすも、初日にベテラン栃乃洋突き落としに屈するなど、この時点で既に6勝4敗であった。翌11日目、時天空に敗れて5敗目を喫してからは、12日目の稀勢の里戦、13日目の雅山戦と2日続けて立合いの変化で勝ち、2桁勝利に望みをつないだものの、14日目の朝赤龍戦では逆に立合い変化からの足取りで敗れ6敗目を喫した。9勝6敗に終わり大関獲りは振り出しに戻ってしまったが、この場所で唯一白鵬を破ったことが評価され「千秋楽の結果に関係なく白鵬が優勝すれば受賞」という他力条件を満たす形で3場所連続で殊勲賞を獲得した。

翌3月場所は、11日目に7敗目を喫し後がなくなったものの8勝7敗と何とか勝ち越して関脇の座を維持した。次の5月場所には10日目に4たび白鵬を破ったほか千代大海と琴光喜の2大関を下し、9勝6敗と2桁勝利とはならなかったものの相撲内容が評価されて3度目の技能賞を獲得した(殊勲賞はこの場所優勝の琴欧洲に唯一の土をつけた兄弟子の安美錦)。7月場所は、中日まで7勝1敗と優勝争いに絡むが9日目の若ノ鵬戦で不運な負けを喫し、その際に左膝を痛めた。結局10勝5敗に終わったが、2場所連続4度目の技能賞を受賞をした。翌9月場所では、2日目に鶴竜を前に苦杯をなめ、10日の白鵬戦は意地を見せ付けられるも、13日目まで2敗で優勝候補に名前が上がっていた。しかし14日目に豪栄道に敗れ3敗を喫した。その日のうちに白鵬が琴欧洲に勝って優勝をさらわれてしまった。それでも、12勝3敗の好成績を挙げたほか、途中休場した朝青龍から通算2勝目を挙げるなど白鵬以外の上位陣(1横綱4大関)を総なめしており、4度目の殊勲賞を受賞した。そして、再び大関獲りの好機を迎えることになった。

2008年11月場所の最大の焦点は当然安馬の大関昇進であった。ところが安馬は序盤では精彩を欠いた。3日目に稀勢の里に、4日目に豪栄道に敗れ2勝2敗となったので、一時は大関取りが危ぶまれた。しかし5日目からは立ち直り、途中休場した魁皇を除く大関を総なめにする活躍を見せ、12日目には横綱・白鵬に動きで勝り下手投げで下すなど11連勝。初日に安美錦に敗れた白鵬とは2敗で千秋楽まで並走し優勝争いを繰り広げた。最終的に13勝2敗の好成績を挙げ白鵬との優勝決定戦にもつれ込んだが、1分25秒の攻防の末に、頭を押さえつけながらの強引な上手投げで敗れて優勝は果たせなかった。両者ともに力を出し切った熱戦に、NHK大相撲中継の千秋楽の解説者だった北の富士も「安馬も強くなったなあ」と唸った。

11月26日、11月場所の相撲内容が高く評価され相撲協会の臨時理事会で満場一致で大関昇進が決定。昇進伝達式が行われ、その場で四股名を安馬から日馬富士と改めることが発表された。伝達式の際は「謹んでお受け致します。今後も『全身全霊』で相撲道に精進します。本日はありがとうございました」と口上を述べた。

大関時代[編集]

2009年[編集]

新大関の2009年1月場所では初日から4連敗を喫し、昭和以降の新大関の昇進直後の場所での初日からの連敗記録を塗り替える。その後は3勝6敗と黒星が先行したあと、10日目に横綱白鵬を破って勢いづき5連勝して14日目にようやく勝ち越しにこぎつけた。千秋楽では把瑠都に敗れ、8勝7敗に終わった。3月場所も初日に苦手の琴奨菊に敗れ、大関昇進後2場所連続の黒星スタートとなった。2日目からは土俵際の逆転の連続で辛くも4連勝したが、中日までに琴奨菊、栃煌山、鶴竜と平幕力士ばかり3人に敗れて5勝3敗となり優勝争いから脱落してしまう。しかし、10日目に朝青龍を破り、13日目に勝ち越しを決めて10勝5敗で終え、大関になってからは初めての2桁勝利となった。5月場所では初日から12日目まで自身初の12連勝(前の3月場所からは15連勝)を達成するが、全勝対決となった13日目の横綱白鵬戦では、白鵬に裾払いを決められ初黒星を喫した。だがその後は、14日目に横綱朝青龍、千秋楽に大関琴欧洲を下し自身最高の14勝1敗を挙げ、琴欧洲に敗れて1敗となっていた白鵬との優勝決定戦にもつれ込んだ。その優勝決定戦では横綱白鵬を下手投げで破って本割の雪辱を果たし、初の幕内最高優勝を遂成。伊勢ヶ濱部屋としては約40年ぶりの優勝力士となった。

翌7月場所は綱獲りを賭けて臨む場所となった。しかし3日目に苦手の琴奨菊に圧倒され、5日目には阿覧の土俵際の叩きに屈して2敗となり、残り全てを勝って優勝しない限り綱取りは難しくなった。しかし9日目に地元場所で好調だった琴光喜に敗れ、13日目には朝青龍に幕内では34年ぶりとなる櫓投げを見舞われて4敗目を喫し、ここに綱取りは夢と消えた。さらにその後も優勝を争う白鵬と琴欧洲に連敗し、9勝6敗と二桁勝利すら果たせずに場所を終えた。その後も9月場所と11月場所は発熱や足の怪我の影響もあって共に9勝6敗となった。

2010年[編集]

明けて2010年1月場所は、早々に3敗を喫したものの、12日目に白鵬を下す活躍も見せ13日目までは1敗で単独トップの朝青龍を星の差2つで追っていたが、14日目の朝青龍との直接対決で下手投げで敗北、朝青龍に優勝を献上する羽目になってしまった。結果10勝5敗に終わったが4場所ぶりの二桁勝利となった。続く3月場所は初日から7連勝したものの、8日目に苦手の琴奨菊に敗れてからは失速、2場所連続の10勝5敗だった。翌5月場所は直前に膝を痛めた影響もあってか初日・2日目と連敗スタート。その後7連勝して立ち直ったかに見えたが、10日目に初対戦の白馬に不覚を喫し、又終盤3連敗で結局9勝6敗に終わった。7月場所も膝の怪我が完治せず、序盤6日目までに4敗を喫する苦しい立ち上がりとなったがその後持ち直し、白鵬には敗れたものの、他の大関陣には勝ち(魁皇戦は不戦勝)、3月場所以来の二桁勝利となる10勝5敗で取り終えた。9月場所は中盤で崩れて優勝争いから後退し、8勝7敗に終わった。11月場所は場所前から体調が不十分であり、初日から自分の相撲が取れずに3連敗を喫して4日目から休場した。

2011年[編集]

自身唯一の大関角番となった2011年1月場所は休場の原因となった怪我の治療のため、場所前の本格的な稽古が遅れることとなった。そのため、5日目から連敗を喫するなど精彩を欠いたが、13日目に魁皇を破り勝ち越し、角番を脱出した。最終的には14日目、千秋楽と連敗して8勝7敗に終わった。翌5月技量審査場所では中日までで4勝4敗と苦戦したが後半は6勝1敗と大きく勝ち越し10勝5敗と二桁勝利を挙げ、12日目は琴奨菊戦の連敗を6で止め、13日目は白鵬の連勝を止めるなど存在感を見せた。

7月場所では大関昇進当時を思わせるような立会いの鋭さと早い攻めの相撲が戻り、全勝で迎えた14日目に1敗の白鵬を破り、白鵬の8場所連続優勝を阻むと同時に自身2度目となる優勝を千秋楽を待たずして決めた[11]。しかし翌日の千秋楽で稀勢の里に突き落としで敗れ、全勝優勝はならなかった。翌9月場所は2009年7月場所以来2年ぶり2度目の綱獲り挑戦だったが、場所前に臀部膿瘍の悪化により十分稽古を積めないまま場所入りとなる[12]。初日の豊ノ島戦は物言いのつく際どい取組ながら、辛うじて掛け投げが決まっての白星発進だったが、2日目の隠岐の海戦では土俵際で突き落とされて初黒星。その後も4日目の豊真将戦、5日目豪風戦と不覚を取り早々3敗を喫し、優勝争いからも完全脱落して2度目の綱取りは消滅。12日目にようやく勝ち越しを決めたが終盤3連敗を喫して結局8勝7敗に終わった。翌11月場所も不調で7日目に3勝4敗と黒星が先行、13日目に勝ち越したが2場所連続の8勝7敗と振るわなかった。

2012年[編集]

2012年1月場所は初日から5連勝と好スタートを切ったが、6日目に鶴竜、7日目に豪栄道と連敗。11日目には全勝だった把瑠都に敗れ3敗に後退。12日目には1敗の白鵬を3場所ぶりに送り出しで下したが、千秋楽に勝ち越しを賭けた琴奨菊に敗退して11勝4敗とまずまずの成績だった。同年3月場所は初日から4連勝と先場所に続いて好スタートを切ったが5日目に嘉風に敗れ、7日目に鶴竜に敗れ2敗に後退。12日目まで10勝2敗と優勝争いに加わっていたが、13日目に把瑠都に突き出されて3敗となり優勝争いから脱落、2場所連続の11勝4敗だった。5月場所は取りこぼしが多く(特に大関戦では把瑠都にしか勝てなかった)、千秋楽結びに白鵬に勝ってようやく8勝7敗と勝ち越しを決めた。7月場所は初日から14連勝で千秋楽を迎え、同じく14戦全勝の白鵬に勝ち、自身初の全勝優勝(幕内最高優勝は6場所ぶり3回目)を果たした。9月場所は自身3度目の綱獲り挑戦となった。この場所も初日から14連勝と好調で、千秋楽に1敗で追っていた白鵬を熱戦の末、下手投げで破り、2場所連続で全勝優勝を果たした。大関での2場所連続全勝優勝は、双葉山貴乃花以来史上3人目の快挙。また、千秋楽の勝利で連勝が31となった。

9月場所後の9月24日横綱審議委員会に於いて出席委員の満場一致により横綱に推薦することを決定、事実上70人目の横綱誕生となった。翌25日、横綱土俵入りが師匠の伊勢ヶ濱親方(旭富士)と同じ不知火型と決定された。不知火型の横綱が複数人同時に在位するのは大相撲の歴史上初めてとなる。尚大関在位数は22場所を数えたが、これは琴櫻武蔵丸若乃花(勝)に次ぐ史上4位のスロー昇進記録である。

2012年9月26日の日本相撲協会番付編成会議並びに理事会に於いて、正式に横綱昇進が決定された[13]。それを受けて伊勢ヶ濱部屋で行われた昇進伝達式では日馬富士は「横綱を自覚して、全身全霊で相撲道に精進します」と使者に対して口上を述べ、「一日一日しっかりと生きたい」と、角界の最高位についた者として意気込みを語った[14]

横綱時代[編集]

2012年(平成24年)11月場所より横綱に昇進し、16場所ぶりに白鵬と共に東西に並び立つ形となる。その11月場所初日の横綱土俵入りでは二度目の四股を踏んだ際に右膝へ添えた右手が滑ってしまい、会場の笑いを誘った。解説者の北の富士勝昭は「初々しい土俵入り」と表現した。しかしこの場所は2日目に隠岐の海に敗れ早くも金星を献上してしまうとともに、平成24年5月場所千秋楽から続いた連勝は「32」でストップした[15]。その後は白星を重ね9日目に勝ち越したものの、終盤11日目から千秋楽まで5連敗[16]を喫してしまい、1桁勝ち星[17]の9勝6敗の不振に終わった。尚この場所前の10月2日には右耳が腫れて頭痛を訴えて病院で診察を受けた様子が報じられており、伊勢ケ濱曰く「予てよりの持病で、年に3、4回耳に膿が溜まる」という。[18]

2013年[編集]

2013年(平成25年)1月場所は前場所から一転して絶好調を維持し、初日から順調に白星を重ねて、14日目に通算5回目及び横綱昇進後初の幕内優勝を決めた。千秋楽も白鵬を破って、自身3度目の15戦全勝で締めくくった。

3月場所は初めて東横綱の地位に就いたが、3日目に前頭筆頭の髙安に突き落とされて連勝は17でストップ。さらに同2枚目千代大龍に、同4枚目豊ノ島と次々に敗れ、早くも中日で平幕3人に金星を配給してしまう。11日目の関脇豪栄道戦で勝ち越すも13日目から3連敗、横綱3場所目で2度目の9勝6敗に終わった。特に千秋楽では白鵬に対し、史上最多となる9度目の全勝優勝を許してしまった。尚15日制(1949年5月場所)以降、横綱昇進後3場所全て皆勤で内2場所が1桁勝利の横綱は、日馬富士が史上初めてとなる[19][20]

5月場所も両足首痛と右ひじの不調で稽古不足の状態のまま迎え、早々2日目に前頭筆頭の妙義龍に押し出されて再び金星を献上。さらに5日目に小結栃煌山に肩透かしで敗れ序盤で2敗を喫してしまった[21]。その後は概ね立ち直っていったが、12日目には稀勢の里に寄り切りで完敗して3敗となり優勝争いから脱落、千秋楽は白鵬に寄り切られて11勝4敗にとどまった。7月場所も3日目高安に早々金星を配給、中盤3連敗を喫し10日目で6勝4敗となり、途中休場も危惧されたがその後は立ち直り、千秋楽は白鵬を3場所ぶりに一方的に押し出して辛うじて二桁勝利の10勝5敗に乗せた。

9月場所も、2日目に早々前頭筆頭の松鳳山に押し出されて金星を供給し初黒星。4日目には前頭2枚目の碧山にも押し出されてしまい、自身9個目の金星を配給した。その後7連勝したものの12日目に稀勢の里、翌13日目に琴奨菊と両大関に連敗し優勝争いから脱落した。千秋楽も白鵬に敗れて2場所連続の10勝5敗に終わった。とはいえ9月30日の横審による定例会では、足のけがを抱えて序盤に2敗したものの皆勤して盛り返したことが評価され、内山斉委員長が「来年いっぱいまで激励せず長視的に見守る」と説明したのを始めとして横審内で同情的な意見が多く寄せられた[22]

11月場所は、4日目に師匠の伊勢ヶ濱が胃の検査のために休場しただけでなく当初脳梗塞の疑いも報道される(検査の結果は高脂血症)といった穏やかでない状況に置かれた中[23]、療養中の師匠を元気づける活躍を果たした。初日から12連勝と久々に快進撃を続け、13日目に大関稀勢の里に寄り切られて初黒星を喫したが、白鵬も14日目に稀勢の里に敗れたことにより千秋楽の横綱対決は1敗同士の相星決戦となった。その一番は正面土俵に白鵬を追い込み、たまらず白鵬の足が俵を割ったのを見た勝負審判(鏡山)が手を上げ、行司の木村庄之助が両者の動きを止めて日馬富士に軍配を上げた。これにより1月場所以来となる6回目の幕内最高優勝を果たした。

2014年[編集]

2014年(平成26年)1月場所直前には2013年下旬においてランニングの最中に滑って足を捻った[24]ことが原因で慢性的に抱えていた左足首痛に追い打ちが掛けられ靭帯損傷まで疑われる段階まで悪化していると報じられ、その時点で左足首の状態について伊勢ヶ濱も「本当ならギブスをしないといけない。靭帯が断裂している部分もある。(3月の春場所までに)治して、体調を整えてやらなきゃいけない」と話していた。2014年1月8日の明治神宮での奉納土俵入りに参加したものの[25]結果としてこの1月場所は初日から全休する運びとなった。[26]自身にとって初土俵以来初めての全休であり、前場所優勝力士の休場は2007年7月場所優勝後に巡業を休んでサッカーに興じ、2場所出場停止処分を受けた朝青龍以来となる。[27]

休場明けの3月場所の前の出稽古では鶴竜に圧倒される[28]など、状態は決して万全とは言えなかったが、初日から11連勝し無敗の白鵬とともに優勝争いの先頭を走っていた。しかし12日目に鶴竜に送り出され初黒星を喫し、13日目の豪栄道戦も敗れた。そして14日目に琴奨菊のがぶり寄りに屈し3敗目を喫し、優勝争いから脱落した。千秋楽の結びの一番で白鵬を寄り倒したが、同時に自分の手も土についた。軍配は日馬富士に上がったが、物言いの末に取り直しに。取り直しの一番で白鵬を破り、12勝3敗で場所を終えた。

翌5月場所は第71代横綱・鶴竜(但し横綱土俵入りは雲竜型を選択)が昇進し3横綱となったが、横綱3人全員(白鵬・日馬富士・鶴竜)がモンゴル出身力士となるのは大相撲史上初めてとなる。

エピソード[編集]

合い口[編集]

いずれも2014年7月場所終了現在。
  • 最大のライバルである白鵬とは17勝28敗(優勝決定戦を含めると18勝29敗)とリードされているが、対白鵬戦17勝という数は全力士中最多である。かつては初顔から6連敗を喫し、他にも5連敗した時期があるなど圧倒されていたが、自身の横綱昇進後は4勝6敗とほぼ互角となっている。日馬富士の過去6回の優勝のうち5回は、この白鵬に勝利して決めている。なお白鵬とは十両時代にも1度対戦があり、この時は敗れている。
  • 鶴竜とは合口が良く、24勝11敗と倍の大差をつけている。
  • 琴奨菊とは相性が悪く、19勝29敗と負け越している。6連敗を喫したことが2度もあるなど、一時は大きくリードされていたが、2013年1月場所から7月場所にかけて4連勝し、少しずつ差を縮めつつある。本人は「苦手意識はない。稽古場では勝てる。相手の廻しが固すぎるからだ」と発言している。また琴奨菊とも幕内以外で対戦経験があり、幕下で1度、十両で2度対戦している。この時の勝敗を含めると20勝31敗となる。
  • 稀勢の里には28勝21敗と比較的相性がよいが、横綱昇進後の対戦は3勝7敗と分が悪くなっている。稀勢の里には初顔から4連敗していたが、自身の大関昇進後は力関係が逆転し、2009年3月場所から2010年9月場所までは10連勝も記録した。14勝1敗で優勝した2011年7月場所と2013年11月場所では、いずれもこの稀勢の里から唯一の黒星を喫している。稀勢の里とも十両時代に1度対戦しており、勝利している。
  • 関脇以下では嘉風を苦手にしており、2勝5敗と負け越している。横綱昇進後も2度対戦していずれも敗れており、大関時代だった2011年7月場所で勝利したのを最後に4連敗中である。また、大関時代は栃煌山を苦手としていた時期があり、2011年技量審査場所の時点で3勝6敗と負け越していたが、それ以降は一転して日馬富士が12勝1敗と一方的にリードしており、対戦成績は15勝7敗と勝ち越している。他には豪風、豊ノ島に対しても20勝3敗、31勝7敗と相性が良い。

<以下引退した力士>

  • 横綱朝青龍とは5勝17敗。2006年3月場所から2008年5月場所にかけては12連敗し完全に圧倒されていたが、自身の大関昇進後は3勝4敗と拮抗していた。その他、魁皇には16勝12敗、千代大海には12勝7敗、琴光喜には15勝12敗と、先輩大関陣にはいずれも勝ち越している。琴欧洲と把瑠都とは拮抗していたが、最終的にはそれぞれ23勝17敗、16勝12敗と勝ち越している。

土俵上[編集]

  • 2006年10月には当時平幕だったが全日本力士選士権大会で優勝を果たした。平幕力士の優勝は26年振り3回目のことであった。なお、関脇であった2008年にもこの大会を制している。
  • 2008年5月場所8日目の若ノ鵬戦の決まり手はうっちゃりであったが、「決まり手は櫓投げにして欲しかったねえ」と北の富士に言わしめるダイナミックな一番であった(なおこの後若ノ鵬は騒動を起こしてしまう)。同場所の10日目には横綱・白鵬も豪快な上手投げで破っている。
  • 2009年5月場所で初優勝した際には内閣総理大臣麻生太郎が自ら表彰式に参加したが、麻生が内閣総理大臣杯の授与を忘れかけた。また優勝インタビューでは土俵から降りるのを忘れかけ、インタビュアーのNHKアナウンサー刈屋富士雄に促された。
  • 2007年9月場所から2010年9月場所まで、当時の現役幕内力士では横綱・白鵬に次ぐ通算(幕内)連続勝ち越しを続けていたが、2010年11月場所は途中休場(0勝4敗11休)したため、連続勝ち越し記録は19場所でストップした。
  • 最近では制限時間いっぱいの前の仕切りのときに前傾姿勢になり、顔を土俵ぎりぎりまで近づける「平蜘蛛型の仕切り」を行っている。これは昭和初期に日馬富士と同じく、軽量で活躍した幡瀬川邦七郎[29]の行っていた仕切りと同じである。
  • 平成24年11月場所二日目の結びの一番に八角部屋の隠岐の海に敗れ、連勝は「32」で止まったが、奇しくも兄貴分の朝青龍は隠岐の海の兄弟子に当たる北勝力に連勝を「35」で止められている。また2年前の平成22年11月場所二日目の千秋楽結びの一番には白鵬が当時平幕の稀勢の里に連勝を「63」で止められている。
  • 2012年11月場所で11日目から連敗して、新横綱での連敗記録(14日目に4連敗した時点で史上最多、千秋楽も敗れたため、新横綱場所での史上最多連敗5)という不名誉な記録を持った。さらに、新大関の場所も初日から4連敗(新大関場所の初日からの連敗記録としては史上最多)という、これまた連敗記録を持っている。昇進場所での連敗記録を複数持っている力士である。
  • 初めて東の正横綱についた2013年3月場所で、体を振り返る向きを間違えて忌避とされる「正面に尻を向ける行為」をするミスを犯してしまった。[30]
  • 2013年11月場所4日目の豊ノ島戦では10年秋場所2日目に自身が豊真将戦で決めて以来約3年ぶりの珍手である「裾取り」で白星を上げる。[31][32]
  • 2014年5月場所14日目の稀勢の里戦で、土俵際で相手をはたき込みで下し、自分の足も残っているように見えたが、軍配は稀勢の里に上がった。しかし協議の結果、足とは関係なく、日馬富士が稀勢の里の髷を掴んだとして、行司軍配通りではあるが、日馬富士の反則負けとなった。横綱が反則負けを喫したのは、2003年7月場所の朝青龍-旭鷲山戦以来(朝青龍が相手の髷を掴んで反則負け)。

土俵外[編集]

  • 趣味のひとつでもある絵画はセミプロ級の腕前。13歳頃から始め、美術の専門学校であるイレドゥチョボル高校在学中に個展を開いた。2005年9月場所9日目、NHK大相撲中継の中入りの時間帯で憧れの富士山油絵で描く様子が紹介された。取材日前日までの台風の影響で少し雲がかかっていた富士山を見て「負けたり寂しいときに見る感じ」を表現したと言い、スタッフと相談して「孤高」というタイトルをつけた。次は「沖縄のきれいな海を描きたい」とのこと。
    • 解説の舞の海が、「『アマ』ではなく『プロ』ですな!」と感心した出来であった(同じ表現を舞の海は前述の豪栄道戦の相撲に対し、「(当時の)四股名は『アマ』ですが、これこそ『プロ』です!」と言い換えて用いていた)。また、師匠の伊勢ヶ濱親方も、「いつまでも安い馬はちょっとねえ」と語っていた。
  • モンゴルの心臓病の子供への医療支援NPO「ハートセービングプロジェクト(HSP)」[33]の会員として、医療の遅れているモンゴルの地方での検診活動の費用を懸賞金ですべて賄ったり、日本の小児循環器病棟への慰問活動を行ったりしている。さらには、首都ウランバートルにある視覚・聴覚障害者のための雇用施設を運営するなど、慈善活動も積極的に行っている。こうした活動の背景には、父親に子供の頃から「人のために尽くす人間となれ」と常に諭されて育ったことが挙げられる(HSPによる日馬富士関へのインタビュー記事[34] より)。
  • 2006年末に父親のダワーニャムと親族が交通事故により急死し[35]、次兄のラグバドルジも重傷を負った。この事故のため一旦帰国したが2007年1月場所出場のため同年1月6日に日本に戻り、悲しみを押し殺して場所を勤めた。その場所では10勝5敗と好成績で、翌場所三役に昇進した。同年3月場所からは、取組前の場内アナウンスの際に読み上げられる出身地を父親の出身地であるゴビ・アルタイに変更した。
  • 尊敬する初代貴ノ花と同様に喫煙者である。[36]2008年9月場所3日目の取り組み終了後に、2007年5月場所から禁煙となっている支度部屋で喫煙をしたと報道された[37]。翌日の朝稽古で師匠である伊勢ヶ濱親方に厳重注意された[38]
  • 初代若乃花こと花田勝治が相撲雑誌内で「注目している」と名を挙げる。また「現役時代の自分に似ている」とも話している。
  • モンゴルでは同じ柔道クラブに所属しており、2004年3月場所でともに十両に昇進した時天空との対決は2005年から2006年前半にかけて毎回観客の期待するところとなっていた。その後は番付差が開いたが、安馬の初めての大関獲りとなる2008年1月場所の対戦では時天空が勝ちを収めている。
  • 2010年9月、モンゴル出身で、日本に留学中の女子大生だったバトトール夫人との婚約を発表した[39]

相撲以外[編集]

略歴[編集]

  • 2001年1月場所 - 初土俵
  • 2001年3月場所 - 序ノ口優勝
  • 2002年3月場所 - 三段目優勝
  • 2004年3月場所 - 新十両
  • 2004年9月場所 - 十両優勝
  • 2004年11月場所 - 新入幕
  • 2005年3月場所 - 技能賞 (1回目)
  • 2006年1月場所 - 金星 (朝青龍)
  • 2006年3月場所 - 技能賞 (2回目)
  • 2006年5月場所 - 新小結
  • 2006年9月場所 - 準優勝 (1回目)・敢闘賞(1回目)
  • 2007年5月場所 - 新関脇
  • 2007年9月場所 - 殊勲賞 (1回目)
  • 2007年11月場所 - 殊勲賞 (2回目)
  • 2008年1月場所 - 殊勲賞 (3回目)
  • 2008年5月場所 - 技能賞 (3回目)
  • 2008年7月場所 - 技能賞 (4回目)
  • 2008年9月場所 - 準優勝 (2回目)・殊勲賞(4回目)
  • 2008年11月場所 - 準優勝(優勝同点)(3回目)・技能賞(5回目)。
  • 2008年11月26日 - 大関昇進。四股名を「安馬」から「日馬富士」へ改名。
  • 2009年1月場所 - 新大関
  • 2009年5月場所 - 幕内最高優勝 (1回目)
  • 2011年7月場所 - 幕内最高優勝 (2回目)
  • 2012年7月場所 - 幕内最高優勝(全勝)(3回目)
  • 2012年9月場所 - 幕内最高優勝(全勝)(4回目)
  • 2012年11月場所 - 新横綱
  • 2013年1月場所 - 幕内最高優勝(全勝)(5回目)
  • 2013年11月場所 - 幕内最高優勝 (6回目)

主な成績[編集]

2014年7月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:653勝376敗27休(81場所)
  • 通算勝率:.635
  • 幕内成績:538勝305敗27休(58場所)
  • 幕内勝率:.638
  • 横綱成績:111勝39敗15休
  • 横綱勝率:.740
  • 大関成績:214勝105敗11休
  • 大関勝率:.671

連勝記録[編集]

日馬富士の最多連勝記録は、32連勝である。(2012年5月場所千秋楽~2012年11月場所初日)

下記に、詳細を記す。

順位 連勝数 期間 止めた力士 備考
1 32 2012年5月場所千秋楽~2012年11月場所初日 隠岐の海 2012年7月場所~9月場所2場所連続全勝優勝

各段在位場所数[編集]

  • 幕内在位:58場所
    • 横綱在位:11場所
    • 大関在位:22場所
    • 三役在位:12場所(関脇8場所、小結4場所)
    • 平幕在位:13場所
  • 十両在位:4場所
  • 幕下在位:11場所
  • 三段目在位:5場所
  • 序二段在位:1場所
  • 序ノ口在位:1場所
  • 番付外:1場所

各段優勝[編集]

  • 幕内最高優勝:6回(2009年5月場所、2011年7月場所、2012年7月場所、2012年9月場所、2013年1月場所、2013年11月場所)
  • 十両優勝:1回(2004年9月場所)
  • 三段目優勝:1回(2002年3月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2001年3月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:10回
    • 殊勲賞:4回(2007年9月場所、2007年11月場所、2008年1月場所、2008年9月場所)
    • 敢闘賞:1回(2006年9月場所)
    • 技能賞:5回(2005年3月場所、2006年3月場所、2008年5月場所、2008年7月場所、2008年11月場所)
  • 金星:1個
    • 朝青龍1個(2006年1月場所)

場所別成績[編集]

2014年7月場所終了時点

日馬富士 公平
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2001年
(平成13年)
(前相撲) 西 序ノ口 #29
優勝
7–0
東 序二段 #22
5–2
 
西 三段目 #88
5–2
 
東 三段目 #53
4–3
 
東 三段目 #42
4–3
 
2002年
(平成14年)
西 三段目 #28
4–3
 
西 三段目 #14
優勝
7–0
西 幕下 #15
2–5
 
西 幕下 #27
2–5
 
東 幕下 #46
5–2
 
西 幕下 #26
2–5
 
2003年
(平成15年)
東 幕下 #46
4–3
 
東 幕下 #38
5–2
 
東 幕下 #23
5–2
 
東 幕下 #11
5–2
 
東 幕下 #7
6–1
 
東 幕下 #1
3–4
 
2004年
(平成16年)
西 幕下 #2
4–3
 
東 十両 #12
10–5
 
東 十両 #7
6–9
 
東 十両 #9
9–6
 
東 十両 #4
優勝
11–4
西 前頭 #14
8–7
 
2005年
(平成17年)
東 前頭 #13
8–6–1[basho 1]
 
西 前頭 #11
9–6
東 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 #5
7–8
 
2006年
(平成18年)
東 前頭 #6
9–6
東 前頭 #2
8–7
西 小結
4–11
 
東 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #6
11–4
東 前頭 #1
6–9
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #4
10–5
 
東 小結
8–7
 
西 関脇
8–7
 
西 関脇
7–8
 
西 小結
10–5
東 小結
10–5
2008年
(平成20年)
西 関脇
9–6
東 関脇
8–7
 
東 関脇
9–6
東 関脇
10–5
東 関脇
12–3
東 関脇
13–2[40]
2009年
(平成21年)
東 大関 #3
8–7
 
西 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
14–1[40]
 
東 大関 #1
9–6
 
東 大関 #2
9–6
 
東 大関 #2
9–6
 
2010年
(平成22年)
西 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
9–6
 
西 大関 #1
10–5
 
東 大関 #1
8–7
 
東 大関 #2
0–4–11[basho 2]
 
2011年
(平成23年)
西 大関 #2
8–7[41]
 
八百長問題
により中止
西 大関 #2
10–5
 
西 大関 #1
14–1
 
東 大関 #1
8–7
 
西 大関 #1
8–7
 
2012年
(平成24年)
西 大関 #2
11–4
 
西 大関 #1
11–4
 
東 大関 #1
8–7
 
西 大関 #2
15–0
 
東 大関 #1
15–0
 
西 横綱
9–6
 
2013年
(平成25年)
西 横綱
15–0
 
東 横綱
9–6
 
西 横綱
11–4
 
西 横綱
10–5
 
西 横綱
10–5
 
西 横綱
14–1
 
2014年
(平成26年)
東 横綱
休場[basho 3]
0–0–15
西 横綱
12–3
 
西 横綱
11–4
 
西 横綱
10–5
 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  1. ^ 臀部膿瘍と診断され、切開手術により14日目から途中休場
  2. ^ 前距腓靱帯(ぜんきょひじんたい)損傷および右肩亜脱臼により全治3週間の安静加療が必要と診断され4日目から途中休場
  3. ^ 左足関節靱帯損傷で2か月の加療を要する見込みと診断され初日から全休

主な力士との幕内対戦成績[編集]

2014年7月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
春日王 3 1 隆乃若 3 2 海鵬 0 2 魁聖 8 0
普天王 9 1 玉春日 4 1 時津海 2 3 若荒雄 2 0
時天空 14 8 豊ノ島 31 7 闘牙 1 0 栃乃若 3 1
豊桜 3 0 隆の鶴 1 0 武雄山 1 2(1) 高安 6 2
北勝力 9 3 琴欧洲 23 17 稀勢の里 28 21 妙義龍 7 4
十文字 4 1 霜鳳 2 1 出島 4 2 臥牙丸 5 1
琴龍 1 0 朝赤龍 13 6(1) 琴ノ若 3 1 松鳳山 11 1
石出 0 1 玉乃島 4 5 高見盛 3 4 千代大龍 2 2
皇司 1 0 露鵬 4 2 旭鷲山 1 2 3 0
豪風 20 3 琴奨菊 19 29 琴光喜 15 12 遠藤 2 0
垣添 7 2 岩木山 3 3 黒海 2 4
旭天鵬 19 6 栃栄 1 0 土佐ノ海 1 1
白露山 2 0 玉飛鳥 0 1 若兎馬 1 0
雅山 12 6 朝青龍 5 17 魁皇 16(1) 12
春日錦 0 1 栃東 1 5 白鵬 17 28
千代大海 12 7 若の里 9 1 把瑠都 16 12
豊真将 15 3 栃乃洋 3 4 鶴竜 24 11
豪栄道 21 8 若ノ鵬 1 2 豊響 4 1
栃ノ心 12 4 嘉風 2 5 栃煌山 15(1) 7
阿覧 10 2 翔天狼 1 0 武州山 1 0
玉鷲 3 1 土佐豊 2 0 白馬 1 1
徳瀬川 2 0 隠岐の海 9 3 北太樹 3 0

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2014年7月場所現在、現役力士

改名歴[編集]

  • 安馬 公平(あま こうへい)2001年1月場所-2008年11月場所
  • 日馬富士 公平(はるまふじ -)2009年1月場所-

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「ダワーニャミーン」 (Даваанямын/Davaanyamyn) は「ダワーニャム(=父親名)の」という意味であるが、日本語報道では属格助詞ын/yn(-ィーン)」を省略して、単に父親名をカナ転写して「ダワーニャム・―」と表記されてしまうことが多い(他のモンゴル出身力士の本名についても全く同様の傾向がある。詳細については、モンゴル人の名前#モンゴル国における用例も参照)。
  2. ^ モンゴル国では、フビライ帝の時代以前から、自身の名前に「○○ドルジ(朶而只)」等と「○○という父親の息子」という表現を使うことが見られるなど出自には父親の系統が重視され、父の出身地を重視する慣行から、おしなべて多くのモンゴル出身力士は父親の出身地を自分自身の本籍地として表現する傾向がある。
  3. ^ 力士 プロフィール 日馬富士 公平 日本相撲協会公式サイト
  4. ^ 日馬が法大大学院合格 史上初の院生横綱 nikkansports.com 2014年3月19日閲覧
  5. ^ 『相撲』2012年8月号62頁に、往復の車の中で九重親方の取組が収録されたDVDを観賞している様子が記述されていた。ちなみに、千代の富士は前ミツ相撲の取り手であったが、自身は突っ張りを主体としている。
  6. ^ 軽量を活かした速い相撲が魅力!横綱日馬富士 2013年02月07日更新
  7. ^ 大相撲コラム集(キモはここなのだ!)真っ向勝負にこだわっていたから決まった変化技(幕内・安馬)-goo大相撲
  8. ^ 『変化を完全封印! 安馬、大関へ“真っ向勝負”誓う』 MSNスポーツ(夕刊フジ) 2008年11月21日
  9. ^ 『新大関・安馬の素顔(下)貴ノ花に近づきたい…真っ向勝負決意』 スポーツ報知 2008年11月26日
  10. ^ これは同じ相撲部屋に所属する力士とは本場所で対戦しないからである。
  11. ^ 日馬2度目V! 白鵬V8失敗/名古屋場所 日刊スポーツ 2011年7月23日閲覧
  12. ^ 日馬、尻の腫れ物悪化で綱とりピンチ! サンスポ 2011年9月8日閲覧
  13. ^ “日馬、横綱昇進が正式決定”. 日刊スポーツ. (2012年9月26日). http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20120926-1023173.html 2012年9月26日閲覧。 
  14. ^ “日馬富士 緊張の口上「横綱の自覚を持って、全身全霊で精進」”. スポーツニッポン. (2012年9月26日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/09/26/kiji/K20120926004197510.html 2012年9月26日閲覧。 
  15. ^ 大相撲-yahoo!ニュース
  16. ^ 横綱が番付に初登場した1890年(明治23年)夏場所以降でも、新横綱5連敗は史上初の不名誉記録である。
  17. ^ 新横綱が皆勤出場で1桁勝ち越しだったのは、1987年(昭和62年)11月場所の第62代横綱大乃国康(8勝7敗)以来25年ぶり。
  18. ^ [1] nikkansports.com 2012年10月3日8時0分 紙面から
  19. ^ 日馬富士 2度目“クンロク”…師匠も「厳しいよ」 大相撲春場所千秋楽-スポニチアネックス
  20. ^ 但し、横綱3場所目で途中休場を含め2場所が1桁勝星は大乃国以来となる(8勝7敗、5勝5敗5休、13勝2敗・優勝)
  21. ^ 2敗日馬に「勘違いしやがって」/夏場所-大相撲ニュース:nikkansports.com
  22. ^ 横審、日馬富士に批判は出ず同情的 SANSPO>COM 2013.9.30 19:36
  23. ^ 伊勢ケ浜親方代役に貴審判部長/九州場所 nikkansports.com 2013年11月15日9時38分
  24. ^ 横綱日馬富士が休場 トレーニング中に左足首負傷、昇進後で初 Sponichi Annex 2014年1月10日 09:09
  25. ^ 白鵬と日馬富士、両横綱が奉納土俵入り nikkansports.com 2014年1月8日17時46分
  26. ^ 日馬富士が初場所休場 靭帯断裂部分も nikkansports.com 2014年1月10日10時0分
  27. ^ 日馬富士、2場所連続優勝がかかる初場所を休場 YOMIURI ONLINE 2014年1月10日11時45分
    不祥事を除けば2001年5月場所で優勝しながら右膝の故障で翌名古屋場所から7場所連続全休した貴乃花以来13年ぶりとなる。
  28. ^ 鶴竜が鋭い立ち合いで日馬富士を圧倒 日刊スポーツ 2014年3月4日 14:21配信
  29. ^ 日馬富士と系統は違うが、伊勢ヶ濱部屋の歴史に連なる力士でもある。
  30. ^ 【夏場所】新横綱・鶴竜「アッ」奉納土俵入り所作“ど忘れ” 2014年5月10日6時0分 スポーツ報知
  31. ^ 具体的には左手で相手の右くるぶし付近をつかんで決めた1番であり、日馬富士の左手小指が先に土俵に触れたようにも見えた際どい内容でもあった。
  32. ^ 日馬3年ぶり珍手「裾取り」/九州場所 nikkansports.com 2013年11月14日9時56分
  33. ^ ハートセービングプロジェクト活動紹介ブログ
  34. ^ 日馬富士関へのインタビュー(HSPへの熱い想い)、ハートセービングプロジェクト活動紹介ブログ
  35. ^ 日馬富士 公平 タレントデータベース
  36. ^ 伊勢ヶ濱からも禁煙を勧められたが、「30になったらやめます。」と言い負かしたという逸話もある。これは伊勢ヶ浜こと旭富士が30歳にして横綱に昇進した例を持ち出した反論であった。
  37. ^ 『安馬が掟破りの喫煙…「全面禁煙」の支度部屋で』 スポーツ報知 2008年9月17日
  38. ^ 『安馬「もうしません」禁煙1勝…大相撲秋場所4日目』 スポーツ報知 2008年9月18日
  39. ^ 大関の日馬富士が婚約 お相手はモンゴル出身の留学生、2010年9月16日、朝日新聞(電子版)
  40. ^ a b 白鵬と優勝決定戦
  41. ^ 大関角番 (1回)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]