高見盛精彦

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高見盛精彦 Sumo pictogram.svg
Takamisakari Seiken 2008 May.jpg
基礎情報
四股名 高見盛 精彦
本名 加藤 精彦
愛称 カトちゃん、たかみー、角界のロボコップ、稽古場序二段(曙談)[1]
生年月日 1976年5月12日(38歳)
出身 青森県北津軽郡板柳町福野田常盤
身長 187cm
体重 141kg
BMI 39.61
所属部屋 東関部屋
得意技 右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 小結
生涯戦歴 563勝564敗46休(83場所)
幕内戦歴 408勝446敗16休(58場所)
優勝 十両優勝1回
殊勲賞1回
敢闘賞2回
技能賞2回
データ
初土俵 1999年3月場所
(幕下60枚目格付け出し)
入幕 2000年7月場所
引退 2013年1月場所
引退後 年寄・振分
趣味 音楽鑑賞
備考
金星2個(武蔵丸1個、朝青龍1個)
2013年1月27日現在

高見盛 精彦(たかみさかり せいけん、1976年5月12日 - )は、青森県北津軽郡板柳町福野田常盤出身で東関部屋所属の元大相撲力士アマチュア相撲出身。本名は加藤精彦(かとう せいけん)、愛称はカトちゃん、たかみー、角界のロボコップ身長187cm、体重144kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り。最高位は東小結2002年9月場所、2003年11月場所)。現在は年寄・振分として同部屋で後進の指導に当たっている。

現役時代は角界屈指の人気力士であり、取組に多数の懸賞金がかけられ、多数のテレビCMに出演していた。

人物[編集]

  • 愛称は相撲界の加トちゃん。相撲界のロボコップ。省略してロボとも呼ばれる。
  • 家族は父、母、兄2人。
  • TVでは、一人称は主に「自分」を使う。
  • 実家はリンゴを経営。
  • アイドルの時東ぁみのファンで知られており、彼女から花束をもらったことがある。AKB48グループでは指原莉乃(現・HKT48)のファン[2]。また、モーニング娘。石田亜佑美や、ももいろクローバーZのファンでもある。女優の遠藤久美子についても、好きな女性の候補として挙げている。
  • 2000年代後半には松坂南との交際が噂されていたが、実際は恋愛関係に至る前に関係が自然消滅した。
  • 好きな食べ物は坦々麺、松屋の牛丼。嫌いな食べ物は麦ご飯、みそカツ。
  • 気の弱い性格で、高校時代は後輩にもいじめられ、恩師の著書では「泣き虫」と評された。引退に際して岩木山に高校時代の様子を「稽古で勝てなくて泣いて。要領悪くて人より行動が遅れて泣いて。」と具体的に証言されている[3]
  • その人気ゆえにファンサービスを求められることも多かったのだが、本場所や巡業等では他の力士と異なりサイン、握手、記念撮影などは滅多に行わないことで有名であり(付き人に手を払いのけさせたり、子供が駆け寄っても目もあわせずに無視して逃げることもあった)、2009年1月場所前の力士会において朝青龍等複数の幕内力士が苦言を呈す場面もあった。ただし、本人曰く「緊張で周囲の事に注意が向いてなかった」らしい。
  • 女性に対しては奥手で、同部屋の潮丸が2007年5月8日に婚約を発表すると、「僕に刺激を受けて下さい」とエールを送られた。
  • 貴闘力が曙と歩いてるときに、同行していた高見盛の手をつかんで曙の体にぶつけるという悪戯をしたことがあるという。だが高見盛は曙に対する申し訳なさから「この手が、この手が…」と言って血が出るまで地面に手を叩きつけたといい、この生真面目さを見て貴闘力も流石に「冗談できないと思った。」と受け止めた。[4]
  • 大相撲八百長問題に際して週刊ポスト2011年3月18日号に掲載された記事には日馬富士の元付け人・雷鳳が「2011年1月場所の番付に四股名を記載された幕内力士の中で確実にガチンコと呼べるのは4人だけだ。」と語り、その1人として高見盛が名指され評価された。[5]実際に、特別調査委員会からは通帳と携帯電話の提出を免除され、無条件で八百長に関与していないことを認定された。このように、高見盛は八百長に無縁の力士として各方面から完全に信頼されている力士であったと言える。

来歴[編集]

相撲は板柳北小学校の4年生から始めた。きっかけは当時いじめられっ子だった高見盛を見かねた担任が「相撲部に入らなければ給食をおかわりさせないぞ!」と叱責したことによるものだった。以来、大相撲現役時代と同じここ一番の勝負強さ中学横綱国体少年の部優勝、全日本選手権優勝(アマチュア横綱)の実績を重ねた。岩木山弘前実業高校の1年先輩(ただし岩木山は3月生まれのため誕生日は高見盛と2か月しか違わない)。中学時代、若の里武州山は青森県で同学年の相撲のライバルだった。

青森県立弘前実業高等学校を経て日本大学経済学部へ進学。元関脇追風海板柳町出身の同郷で中学、大学の1年先輩にあたり、琴光喜とは日本大学時代の同級生である。当初は稽古や人間関係が厳しいだけでなく、食事や水、空気もなかなか合わず、上京時点で130kgあった体重が100kgを切るなど苦労があったという。当時部員が40人以上いた相撲部では同学年の琴光喜が1年から即レギュラーを獲得した反面、本人は最下層からのスタートだったといい、後年「田宮がうらやましかった」と述懐している。それでも大学2年の夏大会の前に上級生との稽古で3番連続で勝ったことでその上級生からレギュラーの座を譲られ、公式戦の機会を得ることとなった。[6]学業では琴光喜が「中国語の授業で高見盛は分かってないのに何かしら言うんですよ。でも、彼はずっと授業に出続けて単位を取った。僕は行かなくなって単位を落としました」と真面目さを証言する[3]ものの本人は引退会見で「学生の頃も勉強の成績は全然よくなかったし、会計もろくすっぽ理解できないと思うので、独立して部屋を持ちたいとは思いません。」と認識しており[7]、本人の名義としては初となる自伝の出版を記念したサイン会では「文章は苦手」との感想を漏らした。[8]大学卒業後1999年3月場所に幕下付出で初土俵。四股名は本名と同じ加藤 精彦2000年1月、十両に昇進した際“高見盛”に改名。命名者は師匠の先代東関親方(元関脇・高見山)で、「部屋が盛んになるように」との願いを込めたという[9]。また清酒日本盛にもちなんでいる。[10]

新十両を果たした高見盛は現役晩年の曙に露払い候補として指名され、曙は巡業でも持ち時間の大半を高見盛のぶつかり稽古の相手を務めるために使い、熱心に厳しく鍛えた。[11]これが高見盛の出世を促し、曙自身も最後の活躍を果たす要因のひとつとなった。出世が早く髪の毛の伸びが追いつかず、2000年3月場所に初めて髷を結えた。2000年7月場所に新入幕を果たすが、大銀杏は2000年9月場所になってから結えるようになり、以降は念願であった部屋の横綱・の土俵入りで露払いを務めた[12]。曙の引退後は、一門の横綱・朝青龍の太刀持ち又は露払いを朝青龍が引退するまで務めていた。

2003年には幕内上位~三役(小結)に定着し、大関昇進を強く期待されていた。2003年9月場所5日目の魁皇戦では、当時高見盛がまず使うことはないであろうとされていた「左差し」を使い、あっさり土俵外へ出す(決まり手は押し出し)。高見盛の鮮やかな勝ちっぷりはいわゆる「幻の左」と語り継がれている。が、当の魁皇は敗戦の直後憮然として土俵を下り、直後のインタビューで「けいこ場では力を出さないのに、こんな時だけ力を出す。あいつは相撲取りとして、許せない」という意味の言葉を声を荒げながら口にした。 [13]

しかし翌11月場所前の出稽古で、朝青龍から2勝したものの、その報復ともとれる極めて危険なバックドロップのような吊り落としを受け、右差しを得意とする相撲の生命線ともいえる右肩を亜脱臼。医者から「もう治らない。ずっと痛みと付き合っていくしかない」と診断されるほどの重傷を負い、以後低迷[14]。この影響は大きく、その後も衰えない人気とは裏腹に幕内中位が定位置となってしまい、三役に返り咲くことは二度と無かった。

土俵上で肩を怒らせ、雄叫びと共に両拳を上下する仕草や島木譲二の「パチパチパンチ」のように顔や胸を叩くユーモラスな「気合入れ」がファンの人気を集め、「気合入れ」に合わせて観客から掛け声がかかるなど角界を沸かせている。初期の「気合入れ」は顔面を思いきり握り拳で叩く傾向にあったが、次第に顔面を叩くことは少なくなり叩く力も穏やかになった。晩年は胸を軽く叩く程度に落ち着いた。

ぎこちない仕草から角界のロボコップの愛称で親しまれる(名付け親は相撲ジャーナリストの銅谷志朗[15]、同部屋の元横綱がこれを広めた)。「気合入れ」はパフォーマンスではなく、2000年の秋場所、若の里戦で怪我をした経験から、立ち合いでの恐怖を取り除き「二度と怪我をしないように気を引き締める」ため始めたという。TV番組出演時、女性キャスターに「今、パフォーマンスをしてください」と要求されたが、「土俵以外ではできません」ときっぱり断ったこともある。

大先輩の曙が引退・角界を去った後は東関部屋の部屋頭の地位にあり、関係者の間では潮丸とともに「2009年の師匠の東関親方の停年(定年)退職後は部屋を継いでもらいたい」との期待の声もあったが、結局、年齢や最高位は下ながら兄弟子である潮丸が現役を引退・部屋を継承することとなった。

なお、高見盛が2007年に年寄名跡振分」を師匠・東関親方の兄弟子である朝嵐から取得したという報道が、2008年1月24日の夕刊フジにてなされた[16]が、武蔵川部屋の元横綱武蔵丸が「振分」名跡を10月22日に名乗ることが日本相撲協会より発表された際の報道では、「武蔵丸が朝嵐大三郎から名跡を借りている」こととなっていた[17]。その後、2010年4月7日付で「振分」名跡を取得したことが判明した。[18]

2011年9月場所に十両に陥落してからは衰えが顕著になり、9場所中2場所しか勝ち越しを記録していなかった。特に巨漢や、突き押しが得意な相手には子供扱いされる場面が増えた。右肩の古傷も悪化する一方で、最後には三角筋付着部炎症に悩まされて引導を渡される格好となった。先代東関も引退直前の時期の高見盛を見て「押し相撲に弱くなった。踏ん張りがなくなってきた」と分析していた。[19]

2013年1月場所は幕下陥落の危機が囁かれる中で土俵に上がり、肩の故障を抱えながら奮闘したものの、12日目に9敗目を喫した時点で幕下陥落が決定的となった。そして千秋楽に若荒雄を下して5勝10敗として有終の美を飾り、現役引退を表明した[20]。会見では引退の理由について、「自分の体が結構ぼろぼろになっている」などと述べた[21][22]。同日付で年寄・振分を襲名した。

引退相撲断髪式は2013年10月6日両国国技館で行われ、断髪式ではやくみつる中尾彬白鵬翔ら角界・芸能界の著名人が大銀杏はさみを入れた後、師匠である高見山が最後に大銀杏を切り落とした。

取り口[編集]

  • 右を差して腕を返し、胸を合わせて一気に寄る形が得意。とりわけ右の腕を返す型はかなりの威力があった。[7]下位に低迷するようになってからは左を差す形にも進境が見られ、左四つになることも多かった。
  • 身体が柔らかく、また背筋が強く、土俵際で体がしなり体を入れ替えるなどして逆転勝ちを収めることが多った(そのため一部では「土俵際の魔術師」と呼ばれることもあった)。また、後ろ向きになったときに身体を半回転させて有利な体勢に持ち込んだり、立ち会いで動かれても対応するなど俊敏さも見られた。
  • 上体が硬く、さらに体が比較的軽かったために、突き押し相撲に弱かった。顎が上がる癖があり、それがますます相手の突き押しを呼び込んだ。

合い口[編集]

  • 同じ青森県は深浦町出身の安美錦には5勝13敗と非常に相性が悪く、新入幕の場所で勝って以来、2007年3月場所まで11連敗であったが、同年5月場所で安美錦を破り連敗を止めた。また、2005年11月場所中日には大逆手という珍しい決まり手で敗れている。これは2001年1月にこの技が追加されてから幕内では初めて。
  • 同じく青森県出身の若の里にも4勝21敗と相性が悪く、2004年1月場所に勝って以降13連敗したことがあった。
  • 旭天鵬にも相性が悪く、通算成績で5勝15敗と大きく差をつけられていた。
  • 琴欧洲把瑠都豪栄道にもまるで歯が立たず、いずれも全戦全敗だった。
  • 朝青龍白鵬には、それぞれ1勝10敗、1勝5敗と1回ずつ勝っている。また日馬富士鶴竜にはそれぞれ4勝3敗、5勝2敗と勝ち越している。ただし、白鵬からの1勝は白鵬が平幕だった頃の対戦であり、また日馬富士、鶴竜とは、両者が大関に昇進してからの対戦が一度もない。

エピソード[編集]

土俵関連[編集]

  • 千秋楽を7勝7敗で迎えることが非常に多く(場所別成績の項を参照)、特に2006年以降ではほぼ2場所に1回の割合であった。このため、NHKの実況アナウンサーや、解説者北の富士勝昭らに「もはや恒例ですが」などと言われていた。
  • 人気力士のため土俵に上がった時に観客からものすごく歓声が挙がることが常だったが、「土俵に上がった時は極度に緊張しているので、土俵と行司と対戦相手以外は目に見えなくなるし、歓声も全く耳に入らなかった」という。
    • 華王錦の証言によると部屋の関取であった高見盛はいわゆるゾーンという状態に入ることで本場所での勝利を掴む力士であり、集中力を高めるために余計な情報を遮断するという。概ね、「翌日の対戦相手を知ろうとしない。当日に取組表を見て分かる。それまでに教えようとすれば『ワーッ』と叫んで聞こうとしない。耳栓したりわざとトイレに行ったりして情報をシャットアウトする」とされている。。[3]
  • 2007年3月23日、3月場所13日目の対時天空戦において、時天空の右張り手(すこしビンタに近い)を何発かくらい、最後は切り返しによって敗れた。花道を去ってゆく際、思わず「あの野郎…」ともらしていた。

タニマチ・懸賞金関連[編集]

  • 角界屈指の人気力士で、その取組には常に多数の懸賞金がかけられた。1場所で獲得する懸賞金の額は、横綱・大関には及ばないものの、調子がいい場所では常に上位にランクされた。平幕ではもちろんトップクラスである。また、アサヒビール発泡酒永谷園日本盛全日空CMにも出演した。[23]
  • 勝った時は、反り返るほどに胸を張ってずんずんと、逆に負けた時は肩を落とし、しょんぼりと花道を退くという好対照な姿は、自身が出演していた永谷園のCM映像にも取り入れられていた。

その他相撲関連[編集]

  • 「稽古場序二段」の異名を部屋の兄弟子である曙から与えられるほど稽古場では弱く、母親も「普段は(相撲)部員と10回やって10回負けるんだけど、大会に行けば勝ってくる。本番だから勝つとか、練習だから手を抜くとかでなく、そういう器用な子でない。親でも不思議です」と答えたことがある。足腰の怪我は少ない方であったにもかかわらず四股も股割りも満足にこなすことができないほど下半身が硬く、関ノ戸は高校時代の高見盛について「股割りができなくて、1回無理やり背中を押したら、足が反対(逆ハの字)を向いて驚いた。腕立て伏せも高1のときは7回しかできなかった」と証言している。[3][1]
  • 取り組み後引き上げた花道の奥で必ずといっていいほど付き人と話を交わしていた。
  • 2007年9月場所11日目に、豪栄道-豪風戦の取組前で、突如大量のビラ[24]を持ちながら土俵に上がろうとした女性客を、西土俵下で控えていた高見盛が錦戸審判委員(元水戸泉)らと共に、慌ててその女性を引き摺り下ろすという事件があった。[25]
  • 若いころはえんじ色の廻しを締めて相撲を取っていたが、晩年は一貫して青色の廻しで相撲を取っていた。
  • 引退後の2013年3月場所7日目に、大相撲中継の正面ゲスト解説として登場した。
  • 部屋の三段目力士・高世(中国出身)は2014年6月30日に高盛に改名。3年前の幕下昇進時に帯を贈られた際業者に誤って「高盛」と刺繍を入れられた。その縁もあり、師匠の東関(元幕内・潮丸)と現在振分を襲名している高見盛の許しを得て1文字もらった。本人は「業者が間違ったときに運命だと思っていた。親方のマネはしないけど、暗い顔せず、明るい力士になる」と誓いを立てた。[26]

土俵外での出来事[編集]

略歴[編集]

  • 弘前実業高校を経て日本大学経済学部を卒業。
  • 1999年3月場所 - 幕下付出で初土俵。四股名は本名と同じ加藤 精彦
  • 2000年1月場所 - 十両昇進、四股名を高見盛 精彦に改める。
  • 2000年3月場所 - 初めて髷を結う。
  • 2000年7月場所 - 新入幕。10勝5敗と二桁勝利を挙げて敢闘賞を受賞。
  • 2000年9月場所 - 初めて大銀杏を結って土俵に上がり、念願であった部屋の横綱・の土俵入りで露払いを務めたが、3日目の若の里戦で右膝前十字靱帯を断裂し途中休場。
  • 2000年11月場所と2001年1月場所を全休し、幕下東筆頭まで番付を落とす。
  • 2001年11月場所 - 十両に復帰。
  • 2002年1月場所 - 12勝3敗の好成績を挙げ、霜鳥との優勝決定戦に出場して、勝利して十両優勝。
  • 2002年3月場所 - 幕内に復帰し「気合入れ」を始める。
  • 2002年9月場所 - 小結昇進。
  • 2003年11月17日 - 日本相撲協会のアンケートで好きな力士1位に選ばれる。
  • 2004年7月6日 - 7月場所3日目、同郷の先輩・追風海戦で幕内では初めて「後ろもたれ」の珍しい決まり手で白星をあげる。幕下時代の2001年3月場所5日目には田中に後ろもたれで敗れている。
  • 2005年7月場所 - 2003年1月場所以来、15場所ぶりに10勝5敗と二桁勝利をあげる。
  • 2005年9月場所 - 途中休場の朝赤龍に代わって横綱・朝青龍の土俵入りで太刀持ちを務めるが、最初の日に太刀を天井にぶつけてしまう。
  • 2007年7月場所 - 久々に横綱大関戦が組まれる前頭4枚目に番付を上げ(横綱・朝青龍とは3年ぶりの対戦)、朝青龍・白鵬との対戦が組まれたが、どちらにもあっさり敗れてしまった。この場所は3勝12敗と、11場所ぶりに二桁黒星を喫したが、10日目に大関・魁皇に勝っている。
  • 2007年11月場所 - 初日から3連勝と好調であったが、4日目の嘉風戦で足首を怪我し翌日から休場。しかし11日目より再出場し十両陥落を免れる。[27]
  • 2008年3月場所 - 初日から好調であり9日目で皇司を破り勝ち越し[28]。三賞候補にあがったが千秋楽に敗れ10勝5敗で三賞は見送られた。
  • 2011年9月場所 - 十両に陥落。
  • 2013年1月場所 - 東十両12枚目の地位で5日目から7連敗して11日目に負け越しが決まった。千秋楽を白星で終えたが、5勝10敗と幕下陥落が決定的になり引退。

主な成績[編集]

通算成績[編集]

  • 通算成績:563勝564敗46休 勝率.500
  • 幕内成績:408勝446敗16休 勝率.478
  • 現役在位:83場所
  • 幕内在位:58場所
  • 三役在位:2場所(小結2場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:1回(2002年1月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:5回
    • 殊勲賞:1回(2003年7月場所)
    • 敢闘賞:2回(2000年7月場所、2003年9月場所)
    • 技能賞:2回(2002年7月場所、2003年3月場所)
  • 金星:2個

場所別成績[編集]

                                                

高見盛精彦
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1999年
(平成11年)
x 幕下付出 #60
6–1
 
西 幕下 #32
6–1
 
西 幕下 #13
6–1
 
西 幕下 #3
4–3
 
西 幕下 #2
6–1
 
2000年
(平成12年)
東 十両 #12
7–8
 
東 十両 #13
11–4
 
西 十両 #3
11–4
 
東 前頭 #11
10–5
西 前頭 #7
1–3–11[29]
 
東 十両 #2
休場
0–0–15
2001年
(平成13年)
東 十両 #2
休場
0–0–15
東 幕下 #1
2–5
 
西 幕下 #10
6–1
 
西 幕下 #3
4–3
 
東 幕下 #2
4–3
 
西 十両 #12
10–5
 
2002年
(平成14年)
西 十両 #5
優勝
12–3
東 前頭 #13
9–6
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #2
9–6
東 小結
4–11
 
東 前頭 #4
5–10
 
2003年
(平成15年)
東 前頭 #9
10–5
 
西 前頭 #2
8–7
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
9–6
東 前頭 #1
9–6
東 小結
5–10
 
2004年
(平成16年)
東 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #8
8–7[30]
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #7
8–7[30]
 
東 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #7
8–7[30]
 
2005年
(平成17年)
西 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #7
5–10
 
西 前頭 #11
10–5
 
東 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #9
7–8[30]
 
2006年
(平成18年)
東 前頭 #10
7–8[30]
 
西 前頭 #11
7–8
 
東 前頭 #12
8–7[30]
 
西 前頭 #8
7–8
 
東 前頭 #9
7–8[30]
 
東 前頭 #9
10–5
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #5
7–8[30]
 
東 前頭 #6
7–8[30]
 
東 前頭 #7
9–6
 
東 前頭 #4
3–12
 
西 前頭 #9
8–7[30]
 
西 前頭 #8
5–5–5[31]
 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #14
8–7[30]
 
西 前頭 #11
10–5
 
東 前頭 #7
7–8
 
東 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #11
6–9
 
東 前頭 #14
10–5
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #12
9–6
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #11
8–7
 
2010年
(平成22年)
東 前頭 #11
7–8
 
西 前頭 #12
7–8[30]
 
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #5
4–11
 
東 前頭 #12
8–7[30]
 
2011年
(平成23年)
東 前頭 #9
6–9
 
八百長問題
により中止
東 前頭 #15
7–8
 
東 前頭 #14
3–12
 
西 十両 #7
6–9
 
西 十両 #10
9–6
 
2012年
(平成24年)
西 十両 #6
7–8
 
東 十両 #8
8–7
 
東 十両 #6
7–8
 
西 十両 #6
5–10
 
東 十両 #8
7–8[30]
 
東 十両 #9
6–9
 
2013年
(平成25年)
東 十両 #12
引退
5–10–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
安芸乃島 2 0 朝青龍 1 10 朝赤龍 11 7 朝乃若 1 0
安壮富士 1 0 安美錦 5 13 阿覧 1 4 岩木山 7(1) 14
皇司 5 1 大碇 1 0 小城錦 1 0 隠岐の海 1 2
魁皇 3(1) 6 魁聖 0 1 海鵬 8 5 臥牙丸 2 1
垣添 13 7 鶴竜 5 2 春日王 10 4 春日錦 4 3
片山 2 0 稀勢の里 2 4 北桜 1 1 北太樹 1 3
木村山 5 3 旭鷲山 9 3 旭天鵬 5 15 清瀬海 1 0
金開山 2 1 豪栄道 0 8 光龍 2 2 五城楼 2 0
黒海 12 12 琴欧洲 0 6 琴春日 0 1 琴奨菊 5 6
琴ノ若 5 6(1) 琴光喜 3 7 琴龍 3 3 磋牙司 1 1
敷島 1 0 霜鳳 7 10 十文字 2 5 駿傑 0 1
翔天狼 5 4 戦闘竜 1 0 蒼国来 0 2 大善 1 2
大道 1 0 貴闘力 1 1 貴ノ浪 3 3 貴乃花 0 1
隆乃若 5 5 髙安 0 1 宝富士 0 1 豪風 10 12
玉飛鳥 1 0 玉春日 9 2 玉乃島 14 8 玉力道 0 1
玉鷲 2 2 千代大海 3 9 千代天山 0 1 千代白鵬 2 1
出島 7 9 闘牙 4 1 時津海 9 4 時天空 9 10
德瀬川 1 2 土佐ノ海 14 7 土佐豊 6 3 栃東 3 7
栃煌山 3 9 栃栄 6(1) 0 栃ノ心 4 1 栃乃洋 18 10
栃乃花 5 2 栃乃若 0 2 豊桜 5 3 豊ノ島 7 9
豊響 4 7 鳥羽の山 1(1) 0 白馬 0 4 白鵬 1 5
白露山 5 2 濵錦 1 0 追風海 3 1 把瑠都 0 5
日馬富士 4 3 富士東 0 1 武州山 3 4 普天王 5 10
武雄山 7 1 寶千山 0 2 豊真将 4 6 北勝力 14 10(1)
将司 0 3 雅山 10 15 武蔵丸 1 4 武双山 3 5
猛虎浪 5 3 山本山 0 1 嘉風 4 8 龍皇 1 1
露鵬 5 7 若荒雄 1 1 若兎馬 1 0 若の里 4 21
若ノ鵬 1 0 和歌乃山 3 0

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2014年3月場所終了現在での現役力士)

改名歴[編集]

力士[編集]

  • 加藤 精彦(かとう せいけん)1999年3月場所 - 1999年11月場所
  • 高見盛 精彦(たかみさかり - )2000年1月場所 - 2013年1月場所

年寄[編集]

  • 振分 精彦(ふりわけ せいけん)2013年1月27日 -

主なメディア出演[編集]

CM出演[編集]

その他[編集]

書籍[編集]

  • 『愚直に、一途に―高見盛の生き方』(2004年6月、東邦出版)※綾川吾郎著。
  • 『相撲』2013年6月号増刊 『大相撲 愛された男 高見盛伝説』 こちらは学生相撲出身の元力士を中心とした証言に基づく高見盛の爆笑エピソードを揃えたムックであり、かなり砕けた内容になっている。
  • 『弱虫ロボコップ「もう一日がんばる」勇気』 元小結 高見盛 振分精彦 (2013年6月、日本文芸社) ※本人名義

DVD[編集]

  • 『気合い120%!!「高見盛」パフォーマンス誕生秘話』(2004年6月、日本ソフトサービス(プロジェクト-T))※日本相撲協会の協力のもと、製作。

脚注[編集]

  1. ^ a b 「一戦入魂」を貫いた、“不器用な天才”高見盛。~14年間の現役生活にピリオド~ Number Web 2013/02/13 06:00
  2. ^ 元高見盛 憧れのさしこと初対面で顔真っ赤「かわいい 好きです」 ― スポニチ Sponichi Annex 相撲
  3. ^ a b c d 酔って自販機と相撲/高見盛伝説 nikkansports.com 2013年1月28日8時34分 紙面から
  4. ^ 酔って自販機と相撲/高見盛伝説 nikkansports.com 2013年1月28日8時34分 紙面から
  5. ^ 雷鳳の証言によると「相撲が下手で真剣勝負を装うことはできないし、対戦相手の名前を直前まで知らない。」という理由でガチンコであると認められるという。また、同記事の「確実にガチンコと呼べる4人」の中には他に豊真将、稀勢の里、豪栄道が含まれる。
  6. ^ 元高見盛・振分親方、元琴光喜に嫉妬「うらやましかった」(1/2ページ) SANSPO.COM 2013.12.30 10:00
  7. ^ a b 元高見盛・振分親方「数字のために相撲をとってきたわけではない」(2/2ページ) SANSPO.COM 2013.12.31 10:00
  8. ^ 振分親方が著書サイン会「文章は苦手」 nikkansports.com 2013年6月20日17時40分
  9. ^ その他の候補には高見桜・高見城・高見岳・精彦があった。
  10. ^ その後人気が出てからは同社のCMにも出演した。
  11. ^ 私が目にした高見盛
  12. ^ 幕内に昇進しても大銀杏が結えなければ横綱土俵入りに参加できない。
  13. ^ 朝日新聞 2003年9月19日
  14. ^ ただし、前述の通り同年9月場所では魁皇が高見盛の稽古での手抜きを批判し、「けがするかもしれないんだ」と注意していて、それが的中してしまった形となった。これに関連する証言が引退後に発行されたムック(著書の覧を参照)に掲載されており、元追風海こと斎藤直飛人からは「相撲のやる気はゼロ。大食いとカラオケが大好きな小学生」と形容されている。師匠の東関親方は高砂部屋への出稽古の中止を宣言している。
  15. ^ TBSラジオ荒川強啓 デイ・キャッチ!』2013年1月28日出演時の本人コメントより。
  16. ^ 高見盛“老後”は安泰…ちゃっかり年寄株購入 夕刊フジ 2008年1月24日閲覧
  17. ^ 相撲協会が武蔵丸親方の年寄振分襲名 日刊スポーツ 2008年10月23日閲覧
  18. ^ 高見盛が年寄株を取得 引退すれば「振分」親方に asahi.com(朝日新聞社)2010年4月14日付(2010年6月1日閲覧)。
  19. ^ 引退危機 断崖絶壁に立たされた“角界のロボコップ”高見盛 リアルライブ 2013年01月25日 15時30分
  20. ^ 元小結・高見盛が引退…CMなど土俵外でも活躍 読売新聞 2013年1月27日閲覧
  21. ^ 「ロボコップ 高見盛引退「自分の体がぼろぼろに」”. msn産経ニュース (2013年1月27日). 2013年1月27日閲覧。
  22. ^ 自著『弱虫ロボコップ「もう一日がんばる」勇気』では引退後に高血圧(190-100)に悩まされていることを告白した。
  23. ^ かつて永谷園のCMに、師匠である先代東関親方(元関脇高見山)が力士時代に出演したことがあり、師弟2代のCM出演の快挙を果たしている。
  24. ^ ビラには福山雅治に関することが書かれていたとされているが、真相は不明である。
  25. ^ 過去にも1991年11月場所12日目に現役中の旭道山が、泥酔状態で土俵に上がった男性客を抱えながら土俵外へ下ろさせるハプニングが発生。
  26. ^ 高見盛2世?改めて「高盛」 nikkansports.com 2014年7月1日8時44分 紙面から
  27. ^ ただし、この場所は幕内下位、十両上位に不振者が多かったため、千秋楽まで休場していても結果的に幕内に残留していた公算が大きい。
  28. ^ 9日目で勝ち越したケースは、今までで初めてであった。
  29. ^ 右膝前十字靱帯断裂により4日目から途中休場
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n 千秋楽に勝ち越し又は負け越し決定。
  31. ^ 右足関節打撲捻挫及び右足根骨剥離骨折のため5日目から途中休場、11日目から再出場
  32. ^ 永谷園 (2013年3月22日). “振分親方(元 高見盛関)出演 新CM放映のご案内”. http://www.nagatanien.co.jp/contents/news_release/222.pdf 2013年4月4日閲覧。 
  33. ^ サントリー (2013年4月2日). “元小結・高見盛の振分親方が、人気CMシリーズに初登場!”. http://www.suntory.co.jp/news/2013/11743.html?rss=0000000029&infid=0000032209 2013年4月4日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]