千代大龍秀政

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千代大龍秀政 相撲力士
Chiyotairyu 2012 Jan.JPG
基礎情報
四股名 千代大龍 秀政
本名 明月院 秀政
愛称 ゲッツ、九重三羽烏[1]、剛の明月院
生年月日 1988年11月14日(25歳)
出身 東京都荒川区(出生地は葛飾区
身長 180cm
体重 170kg
BMI 50.42
所属部屋 九重部屋
得意技 突き、押し、引き、叩き
成績
現在の番付 西前頭7枚目
最高位 東前頭2枚目
生涯戦歴 129勝91敗18休(18場所)
幕内戦歴 89勝77敗14休(12場所)
優勝 十両優勝1回
技能賞1回
データ
初土俵 2011年5月技量審査場所
入幕 2012年5月場所
趣味 トレーニング
備考
金星2個(日馬富士2個)
2014年3月25日現在

千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ、1988年11月14日 - )は、東京都荒川区出身(出生地は葛飾区)で九重部屋所属の現役大相撲力士身長180cm、体重170kg。本名は明月院 秀政(めいげついん ひでまさ)[2]。最高位は東前頭2枚目(2013年3月場所、2014年1月場所)、血液型A型。[3]好物は寿司(特に光もの)、焼肉、カルピス。嫌いなものは納豆とあんこ。好きな言葉は「温故知新」。都立高校出身者として初めての関取でもある。[4]

人物[編集]

小学6年生の時にわんぱく相撲の大会で1回戦負けして帰ろうとしていたところ相撲を習うよう勧誘されて白鳥相撲教室で相撲を習い始める。当時の稽古の様子を本人は「白鳥公園に土俵がある白鳥相撲教室では、屋根が土俵の上にしかないので、雪が降ったら土俵はぐちゃぐちゃ、雨が降ったら滑って泥まみれ。だからみんなが必死に土俵際で粘って強くなった」と後に振り返っている。葛飾区立大道中学校でも相撲を続けたが本人曰く当時は「体が小さかったので一番弱く、中学時代はずっと補欠」だった。その後東京都立足立新田高等学校時代から身長が伸びて試合でも勝てるようになり[5]、卒業後は日本体育大学体育学部武道学科に進学。阿武松部屋大道は中学校の先輩にあたる。高校時代までは目立った実績を残していないが日体大相撲部監督・齋藤一雄の指導で頭角を現し、2010年国体成年個人優勝、第88代学生横綱という実績を手にした。主に日体大では出し投げや廻しを切る技術を磨いて器用さを身に着けたという。[6]2011年1月24日九重部屋に入門した。幕下15枚目格付出の資格を持ち、2011年春場所初土俵予定だったが、大相撲八百長問題のため、3月5日に新弟子検査を受けたが初土俵が延期になった。明月院は5月場所も開催されなければ「親と相談する」とし、力士を断念した場合は教師になる可能性も示唆したが[7]「(相撲を)やめることはしません」と4月5日に発言している。[8]

2011年5月技量審査場所で初土俵を踏んだが1番相撲から2連敗し、5日目から右下腿蜂窩織炎のため途中休場した。幕下付出力士の初土俵場所途中休場は戦後初。7月場所は東幕下46枚目、9月場所は西幕下16枚目でそれぞれ6勝1敗と大きく勝ち越した。

入門後の力士養成員に履修が義務付けられている相撲教習所において、出席日数が不足して落第し、再教習を受けることになった。「休みすぎて卒業できなかった。10月も来なさいと言われました。1日も休まず行きます」とコメントした。[9][10]

同年の11月場所は東幕下3枚目で4勝3敗と勝ち越し、2012年1月場所での新十両昇進を果たし、四股名を千代大海龍二にちなんで日体大相撲部監督の齋藤一雄が命名した「千代大龍」に改名した[11]。新十両の際の九重による評価は昇進会見での「ほめるところは一つもない」という極めて辛口なものであった。同場所では西十両13枚目で13勝2敗の成績を挙げて十両優勝、前場所のに続き2場所連続での新十両優勝となった。2場所連続での新十両力士の優勝は1997年11月場所の若の里、1998年1月場所の金開山以来史上2度目。

入門当時の取り口は高校時代からの引き・叩きに偏っており、十両優勝した場所の決まり手のうち叩き込みが6回、引き落としが1回、特に合計7回中6回が中日までの連勝に絡んでおり、あまりの露骨さに師匠の九重親方からも「相撲をなめている」と酷評されている[12]。翌3月場所は東十両筆頭となり、勝ち越せば新入幕が見える地位で11勝4敗。12勝3敗で十両優勝の皇風に敗れるなどして連続十両優勝はならなかったが、翌5月場所で新入幕(西前頭10枚目)。

2012年5月場所は新入幕の場所であったが、場所前の春巡業での傷を悪化させたため9日目より途中休場(9日目は不戦敗、5勝4敗6休)。
ようやく小さいを結って迎えた7月場所では、師匠からの度重なる叱責が応えたためか、西前頭15枚目の地位で引き・叩きを一切決まり手に絡めず8勝7敗と千秋楽に勝ち越しを決めた[13]が、この場所11日目の阿覧戦で右大腿二頭筋を断裂する大怪我(全治4週間)をしており、7月場所後に行われた夏巡業は休場した。

2012年8月26日に都内のホテルで行われた幕内昇進祝賀会では同月上旬に糖尿病に罹っていたことを明かした[14]。9月場所発表では前場所からマイナス20kgの158kgまで体重が減り、取り分け強みである上体の筋肉が落ちてしまった。この場所は東前頭12枚目だったが病気の影響もあって6勝9敗で終えた。11月場所は西前頭15枚目の地位で臨み、体調への懸念もあったが10勝5敗の好成績を挙げた。2013年1月場所は運よく最高位を西前頭8枚目まで更新。この場所は日体大の先輩でもあり千秋楽に殊勲賞と勝ち越しがかかる妙義龍を引き落としで下して2場所連続10勝5敗で取り終えた。

2013年2月10日大相撲トーナメントの3回戦でまだ本場所での対戦のない白鵬に外掛けで破り殊勲の星を挙げたが、準々決勝で琴欧洲に敗れた。

2013年3月場所は自己最高位を更新する東前頭2枚目に躍進。4日目に日馬富士を破り、横綱初挑戦で初金星の快挙を成し遂げたが、6日目の白鵬との取り組みで足の骨を折り、7日目から途中休場(7日目は不戦敗、3勝4敗8休)[15]。翌5月場所は休場明けの影響で相撲勘が鈍り、前半はなかなか引き技が決まらず流れで勝つ相撲に終始したが、徐々に引き技が決まるようになり、最終的に10勝5敗。

2013年6月1日、師匠の九重に結婚を報告する。この時点で婚約者は妊娠1ヶ月であった。入籍は7月場所前後に行う予定。[16]

2013年7月場所は、5日目に綱取りの稀勢の里を破り、8日目に日馬富士から再び金星を奪う活躍を見せたが、最終的には終盤に4連敗して千秋楽で7勝8敗と負け越した。続く9月場所は6勝9敗と負け越したが、9日目に稀勢の里を突き出して2場所連続で破った。この頃から意匠の助言を守って「何があっても頭から当たる」と心に決めたためにぶちかましの深度が増していった。[17]

2013年10月、左目の網膜剥離と両目の緑内障発症が発覚して手術を受けた[18]。さらに、11月場所のため福岡入りした後には右目の網膜剥離も発覚して再び手術を受けた[19]。本人曰く「まだ視界が狭い」状態であり11月場所を休場する可能性もあったが11月6日から稽古を再開し、医者から判断を委ねられた上で強行出場する意向を示した。[20]しかし、開き直ったためか、押し相撲が冴えて11勝4敗と好成績を挙げ、自身初の三賞となる技能賞を受賞。[21]翌2014年1月場所は幕内上位から三役にかけて好成績者や負け越し点の少ない力士が多かったことや琴欧州が関脇に陥落したことが影響して番付運に恵まれずわずか4枚増の東前頭2枚目に甘んじ、結局自己最高位更新も果たせなかった。

翌2014年1月場所は背中の痛みに襲われ立合いが上手く決まらなかったことで初日から6連敗と絶不調。7日目の旭天鵬戦でようやく初白星を挙げたが、その後も調子が上がらず、結局4勝11敗と大きく負け越した。[22]同年3月場所は7日目まで2勝5敗と大きく出遅れるも、11日目の天鎧鵬戦で得た不戦勝を含めて中日から14日目まで7連勝したことで最終的に9勝6敗の勝ち越しを収めた。

エピソード[編集]

  • 2012年7月場所初日の西幕内土俵入りの最中に、右隣の若の里に話しかけている場面がテレビに映し出され、一部好角家から態度の悪さを指摘された。[23]
  • 引き主体の相撲故その相撲ぶりが皮肉られることが多く、主に「2ちゃんねる」などのインターネット掲示板で引き技が本名の「明月院」からMSP(明月院スペシャル)という異名をつけられたり正攻法の相撲が「奇襲戦法」と皮肉られたりしがちである。上述の初金星の際も、2ちゃんねるでの皮肉たっぷりの記述をもとにしたスポーツ記事が数件出て話題になり、本人も「あれがMSPです」と答えていた。[24][25]
  • 入幕からしばらくは主に日体大のシンボルマーク六つの花弁のさくらのマークの化粧廻しをつけていたが、2013年7月場所から「キン肉マン」の化粧廻しを締めて幕内土俵入りに参加するようになった。本人はこの化粧廻しに思い入れがあるようであり、2013年7月場所7日目の白鵬戦で黒星を喫した直後に記者へ「明日はみなさんお楽しみの『キン肉マン』の化粧まわしなんで」と饒舌に話す、同場所8日目の日馬富士戦で2つ目の金星を得た際には「クソ力が出た」などと作品のネタになぞらえて心情を語るなどの発言を残した。[26][27]
  • 左肩のアザが特徴的な力士であり、これについては「足立新田高相撲部に入部した直後に左肩から鉄砲柱に当たることで肩のコブを作る稽古を上級生から勧められたけれど、途端に皮膚がめくれていったので1週間でそれはやらなくなりました。今では本番以外ではカチ上げ自体控えています。」と本人が話している。
  • 2013年1月場所8日目の若の里戦につきひざ、2014年1月場所12日目の豊響戦に勇み足での黒星を喫しており、初土俵から3年足らずの間に複数種の非技での黒星を記録するという珍しい土俵歴を持っている。

ふてぶてしさ[編集]

大胆不敵な人物であり、2013年7月場所6日目の白鵬戦を前に「結びでの白鵬関との一番。本当に楽しみ。横綱は連勝記録がかかっているんですよね。ぶっつぶします」と発言する強気さを見せたことがある。この発言が同時点で36連勝していた横綱に対するものであったため話題になった。[28]また翌9月場所7日目のNHK中継では結びの1番である対白鵬戦を前に刈屋富士雄が「千代大龍は勝負を楽しむと言っていた。」と話し、それを聞いた解説の北の富士は「僕の時は横綱戦を楽しむとか無かった。」と千代大龍の強心臓を評価した場面も見られた。新入幕の2012年5月場所6日目に立合い変化で碧山を破った一番について「体が勝手に動いた。飛ぶのは大学時代から大好き」と胸を張って話し、その日に九重から「勝手に動いた?ウソに決まってる。姑息な変化をしやがって!!伸びるか、適当なところで終わるか、自覚しないと」と激怒されたという経験もある。[29]

取組前に準備運動を一切せず[30]に支度部屋で居眠りする様は「623人いる力士の中で、千代大龍だけだ。」と朝日新聞の記事でも話題にされ、2013年9月場所7日目の白鵬戦では付け人が「3回の塩撒きが準備運動みたいです」と呆れる様子が報道された。同場所9日目の稀勢の里戦では取組直前に稀勢の里を目の前に土俵上で大あくびする常識破りの図太さを見せ、そればかりか電車道で稀勢の里を破る活躍を見せるなど実力も大いに発揮した。[31]

糖尿病との闘い[編集]

糖尿病に罹る前は1食に白米をどんぶり飯7杯をたいらげ、デイリースポーツによると「原液7・水3」のカルピスを愛飲するという食生活を送っていた。[32]加えて日刊スポーツでは、2013年3月場所前に自己最高位の番付に対し「99%の才能と1%の努力でやってきた」と豪語するなど稽古嫌いを自認しており、カルピスについても「原液で飲んでいた」という説が伝えられた上、糖尿病にかかった後の千代大龍の様子を見て「子供のような甘いミルクコーヒーが好きだったのに、ブラックを飲むようになって驚いた」と話した母の証言まで掲載された。[33]だがこうした食べ過ぎと稽古不足が祟って2012年8月には糖尿病に罹ってしまった。それから1年余り経過した2013年11月には糖尿病を起因とした両目の網膜剥離と緑内障という力士として致命的である傷病に襲われてしまった。この時千代大龍は25歳を目前としており、三役目前の力士がこれほどまでに若くして緑内障を発症するケースは珍しい。他にも焼き肉が大好物で2013年11月場所中の夕食は「半分以上焼き肉」であったといい、これは糖尿の悪化により緑内障を発症した直後の場所の発言であったため注目を浴びた。[34]

主な成績[編集]

2014年3月場所終了現在

  • 通算成績:129勝91敗18休(18場所)
  • 通算勝率:.585
  • 幕内成績:89勝77敗14休 (12場所)
  • 幕内勝率:.530

三賞・金星[編集]

  • 技能賞:1回(2013年11月場所)
  • 金星:2個(日馬富士2個)


場所別成績[編集]

千代大龍秀政
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2011年
(平成23年)
x 八百長問題
により中止
幕下付出 #15
0–3–4 [35]
 
東 幕下 #46
6–1
 
西 幕下 #16
6–1
 
東 幕下 #3
4–3
 
2012年
(平成24年)
西 十両 #13
優勝
13–2
東 十両 #1
11–4
 
西 前頭 #10
5–4–6 [36]
 
西 前頭 #15
8–7
 
東 前頭 #12
6–9
 
西 前頭 #15
10–5
 
2013年
(平成25年)
西 前頭 #8
10–5
 
東 前頭 #2
3–4–8 [37]
東 前頭 #10
10–5
 
東 前頭 #3
7–8
西 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #6
11–4
2014年
(平成26年)
東 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #7
9–6
 
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 明月院 秀政(めいげついん ひでまさ)2011年5月技量審査場所 - 2011年11月場所
  • 千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ)2012年1月場所 -

脚注[編集]

  1. ^ 【大相撲】和製スター候補の呼び声高い、九重部屋"三羽ガラス" 集英社スポルティーバ公式サイト 2011年9月14日
  2. ^ 千代大龍(九重部屋公式サイト)
  3. ^ 中日新聞2012年9月7日朝刊おまけ星取り表より。
  4. ^ 『相撲』2012年1月号
  5. ^ 金星挙げて次は三役になるぞ! 大相撲力士 千代大龍秀政さん 広報かつしか 2014年新年号
  6. ^ 『相撲』2012年5月号14ページ
  7. ^ 夏場所中止なら力士断念も 角界デビュー延期の明月院、2011年3月10日 47NEWS
  8. ^ 明月院がチャレンジ宣言…相撲やめない 2011年4月6日 デイリースポーツ
  9. ^ 明月院が相撲教習所落第 2011年9月30日 中日スポーツ
  10. ^ この失態は本人も気にしていたようであり、2013年9月24日の『朝日新聞』15面記事において「新十両会見で引退発表したら伝説になると思った。」と冗談を飛ばしながら振り返っている様子が報道された。
  11. ^ 明月院改め千代大龍はじめ新十両に4人2011年12月1日 日刊スポーツ
  12. ^ ベースボール・マガジン社発行「相撲」2012年2月号
  13. ^ 但しこの場所5日目の佐田の富士戦では変化をしており、解説の北の富士が「言っている事とやっていることが違う。」と苦笑した様子が『相撲』2012年8月号29頁の記事で報告されている。
  14. ^ 千代大龍に試練 糖尿病だった…9月9日秋場所初日 スポーツ報知
  15. ^ 千代大龍が右足骨折で休場 右太もも痛の栃乃若も2013年3月16日 MSN産経ニュース
  16. ^ 中日スポーツ:千代大龍が結婚
  17. ^ 『日本経済新聞』朝刊 2013年7月15日
  18. ^ 中日スポーツ:千代大龍 網膜剥離を手術
  19. ^ 中日スポーツ:千代大龍は右目も手術
  20. ^ 千代大龍「まだ視界狭い」が強行出場 日刊スポーツ 2013年11月8日9時51分 紙面から
  21. ^ これ以前は丸1年半に渡って境川部屋所属力士以外が技能賞を手にすることが無い状況であった。
  22. ^ 『相撲』2014年2月号61頁
  23. ^ 土俵入りの先頭は初めてであったため、所作を聞いていたという。
  24. ^ 千代大龍 初挑戦で金星 中日新聞 2013年3月14日
  25. ^ 必殺MSP 自慢のパワーで引き落とし スポーツニッポン 2013年3月13日
  26. ^ 千代大龍“キン星”まわしパワーだ!/名古屋場所サンケイスポーツ 2013年7月15日
  27. ^ 朝日新聞 2013年7月15日15面記事
  28. ^ 大龍不敵「白鵬ぶっつぶす」/名古屋場所 nikkansports.com 2013年7月13日9時24分 紙面から
  29. ^ 九重親方 千代大龍へ「バカ野郎」メール Dairy Sports Online 2012年5月12日
  30. ^ 同じように準備運動を行わない力士として魁聖がおり、『相撲』2013年11月号54頁には「準備運動をやると緊張する」と魁聖が発言した様子が記述されている。
  31. ^ 朝日新聞2013年9月24日15面
  32. ^ 千代大龍が初金星 糖尿病を克服 2013年3月14日 デイリースポーツオンライン
  33. ^ 千代大龍、初挑戦で日馬1秒殺/春場所 記事を印刷する nikkansports.com 2013年3月14日8時48分 紙面から
  34. ^ 千代大龍、焼き肉パワーで9勝/九州場所 nikkansports.com 2013年11月21日9時42分 紙面から
  35. ^ 右下腿蜂窩織炎のため5日目(5月12日)から途中休場。
  36. ^ 右足関節剥離骨折及び右大腿四頭筋肉離れのため9日目(5月14日)から途中休場。
  37. ^ 右第二中足骨骨折のため7日目(3月17日)から途中休場。

関連項目[編集]

  • 大相撲力士一覧
  • 学生横綱
  • 妙義龍泰成 日体大の2年先輩であり、彼もまた現行制度化の幕下付出力士である。当初千代大龍は妙義龍を追って境川部屋に入門する可能性もあったが斎藤監督の意向によって結果的に九重部屋へ入門することとなった。境川部屋ではなく九重部屋に入門した背景には境川がすでに豊響、豪栄道、妙義龍、岩木山の年寄株を工面する必要があってこれ以上余裕が無かったという問題も関係していた。

外部リンク[編集]