土佐ノ海敏生

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土佐ノ海敏生 Sumo pictogram.svg
Tosanoumi 08 Sep.jpg
2008年9月、場所入りする土佐ノ海関
基礎情報
四股名 土佐ノ海 敏生
本名 山本 敏生
生年月日 1972年2月16日(42歳)
出身 高知県安芸市
身長 186cm
体重 166kg
BMI 47.98
所属部屋 伊勢ノ海部屋
得意技 突き、押し、右四つ、上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 732勝735敗16休(101場所)
幕内戦歴 569勝615敗16休(80場所)
優勝 十両優勝2回
幕下優勝1回
殊勲賞7回
敢闘賞5回
技能賞1回
データ
初土俵 1994年3月場所
入幕 1995年7月場所
引退 2010年11月場所
引退後 年寄立川
備考
金星11個
3個、貴乃花4個、若乃花3個、武蔵丸1個)
2014年4月5日現在

土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、本名:山本 敏生(やまもと としお)、1972年2月16日 - )は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。現在は年寄・立川。得意手は突き、押し、右四つ、上手投げ。最高位は東関脇1997年7月場所・同年9月場所、2004年1月場所)。安芸市立安芸中学校、高知高等学校同志社大学商学部卒業。身長186cm、体重166kg、趣味は映画鑑賞、愛称は「トシオ」、好物はケーキ星座みずがめ座血液型はB型、干支は子年。

来歴[編集]

漁師の長男に生まれ、小学校の低学年の時は野球少年だったが、高学年より相撲に転向する。野球部で球拾いばかりだった彼は、相撲のコーチから「大きい体をしているなぁ。相撲ならすぐに試合に出られるぞ。」と言われ、その翌日には廻しをつけていたと言う。中学、高校と徐々に頭角をあらわし、同志社大学相撲部時代は1年生からレギュラーとなり、1992年から、西日本体重別115キロ以上級、全日本体重別115キロ以上級で2年連続で優勝。同年、大学実業団対抗でも優勝。大学では歴代6位の通算15個のタイトルを獲得し、「東の尾曽(大関武双山、現藤島親方)、西の山本(土佐ノ海)」と並び称され、高校時代、大学時代を通じて良きライバルであった。真面目で温厚な人柄だが、学生時代には主審の判定への不服から、タオルを投げるパフォーマンスを演じたこともある。また、本来は押し相撲であるが、学生時代は、格下相手には、とりこぼしを防ぐため、安全策で四つ相撲で勝負することもあった。

学生時代には数々のタイトルを獲得し、鳴り物入りで、名門部屋である伊勢ノ海部屋に入門し、1994年3月場所、幕下付出初土俵四股名は当初から「土佐ノ海」で、これは「土佐の太平洋のように、大きな存在となれ。」という願いをこめて、師匠の伊勢ノ海親方が命名したものである。プロ入り当時から「将来の横綱」と注目され、期待に違わず、トントン拍子に出世。負け越し知らずで1995年7月場所にいきなり西前頭7枚目で新入幕(5月場所に西十両筆頭で14勝1敗で優勝)。新入幕での前頭7枚目という地位は、戦後2番目の大躍進である。日本相撲協会の期待の表れから、新入幕の初日にいきなり大関若乃花、2日目は、横綱貴乃花と対戦[1](結果は2番とも土佐ノ海の負け)した。新入幕の場所で横綱と対戦した力士は、戦後では土佐ノ海を含め、過去4人だけである。この場所では7勝8敗に終わり、初土俵以来、初の負け越しとなった。

しかし、翌9月場所では、大関貴ノ浪を破るなどの活躍で11勝4敗の成績を修め、入幕2場所目にして、敢闘賞を受賞した。西前頭筆頭まで躍進し、本格的な幕内上位進出となった翌11月場所では曙、貴乃花の両横綱を立て続けに破るなど9勝をあげ、殊勲賞と技能賞を受賞。翌場所の1996年1月場所に新小結となった。その後は1997年5月場所に新関脇となり、一躍、大関候補に名乗りを上げる。さらに、1998年11月場所から翌1999年5月場所にかけては4場所連続、合計6個の金星を獲得した。これは史上初のことであり、現在も記録保持者である。この間の1998年11月場所は休場明けの場所で、幕内中位に低迷していたとはいえ、12勝3敗の成績で、この場所を制した琴錦(現中村)と共に平幕同士のデッドヒートを繰り広げた。そして、翌年の1999年7月場所には三役に復帰し、以後、2000年7月場所まで7場所連続で三役に在位し、二度、二桁勝利をあげ、更に上を期待されたが、1999年11月場所から2000年5月場所にかけて、三役での連続勝ち越しを続けるも、その間一度も関脇に復帰できず、この番付運の悪さゆえに、5場所連続での小結在位を記録(麒麟児…後の大麒麟、琴光喜と共に歴代1位)した。2002年7月場所は西小結の地位で10勝5敗の成績を残し、「千秋楽で自身の勝敗に関わらず千代大海の優勝が決定する」という他力型の条件を満たす形で敢闘賞も受賞した[2]

その後2005年前半辺りまでは幕内上位・三役に定着し続けたが、通算獲得金星が示すとおり上位に強いものの、格下相手への取りこぼしも多いなど安定感に欠け、結局大関昇進は果たせなかった。2003年11月場所では横綱武蔵丸(現振分)に引退の引導を渡す通算11個目の金星をあげるなどの活躍で二桁勝利を記録し、翌2004年1月場所を東関脇で迎えるも、この場所から3場所連続で負け越し、7月場所には自身初めて前頭2桁台まで番付を落としてしまった。しかしその場所では11番勝って格の違いを見せつけた。同年12月25日には、年寄名跡立川を取得した。

その後少しずつ番付を戻し、2005年3月場所には2大関を破るなどの活躍で、10勝5敗の好成績をあげ、5月場所は関脇に復帰した。33歳での関脇復帰は、平成に入って初めての記録であり、33歳3ヶ月の関脇は歴代10位の年長記録である。だがその後は一転して負けがこみ、西関脇だった5月場所から2006年1月場所にかけて5場所連続負け越した。2005年は年間37勝53敗と、その年の幕内力士の中で年間最多敗となってしまう。特に2006年1月場所では東前頭14枚目で5勝10敗と負け越してしまい、翌3月場所では11年振りに十両に陥落した。関脇復帰から僅か5場所での陥落であり、衰えが顕著になっていた。かつての実績や年齢から引退の可能性を指摘する向きもあったが、1月場所千秋楽を終えた時点で、3月場所に十両に落ちても現役を続行することを明言した。

翌3月場所では西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越して、5月場所での返り入幕を果たした。その5月場所では、2005年3月場所以来7場所ぶりの幕内での勝ち越しを決めた。以後は幕内中、下位と十両の往復を繰り返す状況が続き、2008年9月場所までに4度の十両陥落を経験したが、いずれも翌場所は勝ち越し、1場所で幕内に復帰した。しかし、2009年3月場所に東前頭15枚目で4勝11敗と大敗し、翌5場所に五度目の十両陥落を経験してからは十両が定位置となっていった。

2010年7月場所で8勝7敗と勝ち越し、翌9月場所で9場所ぶりに5度目の再入幕を果たす。この場所は西十両7枚目ながらも大相撲野球賭博問題による幕内からの大量降格により異例の番付アップとなった。38歳6ヶ月での幕内復帰は寺尾の38歳0ヶ月を超え、昭和以降では歴代1位となる最年長記録であった。だが、その場所では西前頭16枚目で2勝13敗と大きく負け越したため翌11月場所では十両に陥落した。続く2010年11月場所では東十両8枚目で4勝11敗と大きく負け越し、次場所での幕下陥落が確定的となった。そこで、場所後の2010年12月15日に、体力の限界を理由に現役引退を表明した。引退相撲(断髪式)は、当初は2011年5月場所後に予定していたが、大相撲八百長問題の煽りを受けて延期せざるを得ず、2012年2月4日に開催した[3]。通算金星11個は歴代4位、三賞受賞13回は同7位タイの記録である。

現役引退後は年寄立川を襲名して、伊勢ノ海部屋で後進の指導に当たっている。相撲協会の業務では、引退して間もない時期に発生した八百長問題の再発防止策を協議するための大相撲新生委員会に新米親方ながら所属し、その後は巡業部を経て2014年からは主任の立場ながら審判部を務めている。[4]

取り口[編集]

全盛期は立ち合いの馬力と突き押しを武器に、三役、幕内上位に定着して活躍。魁皇、武双山とともに御三家と称され、大関候補と目された時期もあった。全盛期の立合いの馬力は幕内で一二を争う威力を誇り、立合いでの頭からの強烈な当たりから突き押しに転じ、再度頭からぶちかます取り口である。しかし、腰高で上半身に比べ下半身が脆く、はたきや引き技に屈して前に落ちる悪癖によって負けるケースが多かった。土俵際まで追い詰めておきながら、捨て身の叩きや突き落としに屈することもしばしば見受けられた。ベテランの域に入ってからは馬力・足腰の衰えが顕著で、自分より軽い相手でも容易に押せない展開になることが増えたり自らが引き技に出る展開が増えた。副次的な手段として右四つで相撲を取ったり、頭を付けて食い下がる事もあったが、基本的には愚直に押す相撲を貫いていた。

入幕当初は均整の取れた体つきであり動き勝つ相撲が多かったが、2年ほど経過した頃には20kg増量して足腰に対して上半身の大きさが目立つようになり、筋力は増したが突き押しか叩きという大味な相撲に傾いた。

エピソード[編集]

人物[編集]

  • 大の甘党で、漁師の長男であるにもかかわらず、酒・海・魚は大の苦手である。
  • 方向音痴であり道によく迷う。
  • としおちゃまとも一部(主に2ちゃんねる相撲板)では呼ばれている。
  • 趣味は映画鑑賞。韓国俳優のヨン・ジョンフンのファンでもあり、2005年8月に来日していたジョンフンの東京でのファンミーティングにゲストとして登場した。「ドラマ『悲しき恋歌』でのヨン・ジョンフンさんがすごくカッコイイと思った。ファンミーティングをするという噂を聞いて、ヨン・ジョンフンさんに一目会いたくて来ました」と語り、自らの浴衣をプレゼントした。また、土佐ノ海はヨン・ジョンフンの出演映画『スウィートドリーム』のロケ地となっていた高知県の出身である。

交友関係[編集]

大相撲関連[編集]

  • 立合いが合わなかったときは「すいません」と、集音マイクが拾うほどの声で謝るなど礼儀正しい。また勝利力士インタビューでは力士に似合わずはっきりとした語り口をみせた。
  • 立合いでは、相手に突進する際に、「ゲフッ」と唸り声をあげていた。
  • 同じ四国出身で大学相撲でも同期の玉春日とは非常に仲がいい。小学校時代からお互いを見知っており、当時から話をしていたという。高校時代までは四国で「高知の山本(土佐ノ海)、伊予の松本(玉春日)」と並び称され、プロ入り後も互いに刺激しあった。
  • 2005年5月場所の10、11日目は二日続けて栃東千代大海の両大関の立合いの変化を食ってしまった。プライベートでは土佐ノ海とは食事を共にする仲でもある千代大海は「土佐ノ海が良さそうに見えたから、まともに変わってしまった。相手に悪いことをしてしまった」と、自身の相撲を複雑そうに振り返った。
  • 2005年には、北海道などで、相撲健康体操の実演を行うなど、精力的な活動もしている。
  • 1995年のパリ巡業で火災が発生し化粧まわしなどが焼失。その影響で当時入幕したばかりの土佐ノ海は他人のまわしで相撲をとるはめになった。
  • 新入幕を果たした1995年7月場所から2004年5月場所までの9年間、前頭1桁(9枚目)以上の地位をずっと保っていた。2004年7月場所で初めて前頭2桁を経験した。
  • 大関を除く三役(関脇、小結)在位20場所を達成した力士は、昭和以降14人いるが、土佐ノ海の33歳2ヶ月での20場所到達は、その中で最年長記録である。また、新関脇の場所から最後に関脇を務めた場所まで8年間に渡って関脇に復帰したが、これは安芸乃島の10年間に次いで歴代2位であり、長く一線級の力を保った。
  •  学生相撲出身力士で幕内在位場所数、幕内通算出場回数ともに歴代10位以内に土佐ノ海と栃乃洋の2人が名を連ねていたことがあったが、その内幕内在位記録は両者とも破られた。土佐ノ海の記録は2012年7月場所に旭天鵬が幕内在位81場所目を迎えたことで歴代10位以内から外れ(現在は安美錦と並んで13位タイ)、栃乃洋の記録も2013年1月場所に若の里雅山が同時に幕内82場所目を記録したことで12位に陥落する。現在学生相撲出身者で幕内在位10位以内に記録を残しているのは雅山ただ1人である。

その他[編集]

  • 弟は、幕内の豊ノ島の高校時代の恩師。
  • 2007年4月19日にフジテレビ系「とんねるずのみなさんのおかげでした」に出演した勝俣州和が、酒を飲んで酔っ払った状態で土佐ノ海と取っ組み合い、勝俣が土佐ノ海の腕の骨を折ろうとした際(あくまで酔っ払っており、ふざけ合い。)、弟弟子に突き飛ばされたというエピソードを披露。
  • 幕内の栃煌山は同郷の後輩にあたる。中学時代の栃煌山に、帰省していた土佐ノ海が稽古をつけた事もあり、栃煌山が台頭してきた頃、当時の事について質問を受けた際、土佐ノ海は彼の事を覚えていた。
  • ピーク時の体重は167キロあったが引退間際は141キロにまでに落ちていた。

主な成績[編集]

通算成績[編集]

  • 通算成績:732勝735敗16休 勝率.499
  • 幕内成績:569勝615敗16休 勝率.481
  • 通算在位:101場所
  • 幕内在位:80場所
  • 幕内連続在位:64場所(1995年7月 - 2006年1月)
  • 三役在位:20場所(関脇7場所、小結13場所)

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:2回(1994年11月場所、1995年5月場所)
  • 幕下優勝:1回(1994年5月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:13回
    • 殊勲賞:7回(1995年11月場所、1996年11月場所、1997年1月場所、1999年5月場所、1999年11月場所、2002年9月場所、2003年11月場所)
    • 敢闘賞:5回(1995年9月場所、1997年5月場所、1998年3月場所、1998年11月場所、1999年7月場所)
    • 技能賞:1回(1995年11月場所)
  • 金星:11個

場所別成績[編集]

                         

土佐ノ海 敏生[5]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1994年
(平成6年)
x 幕下付出 #60
5–2
 
東 幕下 #38
優勝
7–0
東 幕下 #4
5–2
 
西 幕下 #1
5–2
 
東 十両 #13
優勝
11–4
1995年
(平成7年)
東 十両 #6
11–4
 
東 十両 #2
8–7
 
東 十両 #1
優勝
14–1
西 前頭 #7
7–8
 
東 前頭 #8
11–4
西 前頭 #1
9–6
1996年
(平成8年)
東 小結
8–7
 
東 小結
6–9
 
西 前頭 #1
5–10
 
東 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #1
8–7
1997年
(平成9年)
東 前頭 #1
9–6
東 小結
8–7
 
西 関脇
10–5
東 関脇
8–7
 
東 関脇
5–10
 
西 前頭 #1
7–8
 
1998年
(平成10年)
東 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #6
10–5
西 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #7
7–7–1[6]
 
東 前頭 #9
休場
0–0–15
東 前頭 #9
12–3
1999年
(平成11年)
西 前頭 #1
7–8
東 前頭 #2
8–7
東 前頭 #1
8–7
東 小結
11–4
西 関脇
7–8
 
西 小結 #2
10–5
2000年
(平成12年)
東 小結
8–7
 
東 小結
8–7
 
東 小結
9–6
 
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
5–10
 
東 前頭 #4
7–8
 
2001年
(平成13年)
東 前頭 #5
6–9
 
東 前頭 #8
10–5
 
西 前頭 #3
7–8
 
東 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #3
8–7
 
西 前頭 #2
5–10
 
2002年
(平成14年)
東 前頭 #7
9–6
 
西 前頭 #1
7–8
 
西 前頭 #2
8–7
 
西 小結
10–5
西 関脇
6–9
 
西 前頭 #1
8–7
 
2003年
(平成15年)
東 前頭 #1
8–7
 
西 小結
8–7
 
東 小結
4–11
 
東 前頭 #5
10–5
 
西 小結
7–8
 
西 前頭 #2
10–5
2004年
(平成16年)
東 関脇
4–11
 
西 前頭 #4
5–10
 
西 前頭 #9
7–8
 
東 前頭 #11
11–4
 
西 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #6
9–6
 
2005年
(平成17年)
西 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
10–5
 
西 関脇
4–11
 
東 前頭 #4
5–10
 
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
5–10
 
2006年
(平成18年)
東 前頭 #14
5–10
 
西 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #12
5–10
 
2007年
(平成19年)
東 前頭 #16
8–7
 
西 前頭 #14
6–9
 
西 十両 #1
8–7
 
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
7–8
 
2008年
(平成20年)
西 前頭 #12
5–10
 
東 十両 #1
10–5
 
東 前頭 #12
6–9
 
東 前頭 #14
5–10
 
東 十両 #2
9–6
 
東 前頭 #16
9–6
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #9
5–10
 
東 前頭 #15
4–11
 
西 十両 #6
8–7
 
西 十両 #2
5–10
 
東 十両 #9
7–8
 
東 十両 #11
9–6
 
2010年
(平成22年)
東 十両 #5
8–7
 
西 十両 #3
6–9
 
西 十両 #6
7–8
 
西 十両 #7
8–7
 
西 前頭 #16
2–13
 
西 十両 #8
4–11
 
2011年
(平成23年)
東 幕下 #1
引退
0–0–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

主な力士との幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
蒼樹山 7 2 安芸乃島 15 12 4 14 朝青龍 6(1) 18
朝赤龍 5 5 朝乃翔 6 2 朝乃若 7 0 旭豊 4 4
安壮富士 2 0 安美錦 5 5 阿覧 0 3 岩木山 5 10
潮丸 2 1 皇司 7 2 小城錦 4 4 魁皇 10 30
海鵬 10 5 臥牙丸 0 1 垣添 4 11 鶴竜 0 4
春日王 5 5 春日錦 7(1) 3 片山 3 2 稀勢の里 0 1
北桜 3 2 北太樹 1 0 木村山 1 2 旭鷲山 13 10(1)
旭天鵬 5 9 旭道山 3 0 金開山 0 2 剣晃 4 4
旭南海 1 0 豪栄道 1 1 光法 2 0 光龍 4 1
五城楼 1 1 黒海 3 8 琴稲妻 3 0 琴欧洲 1 2
琴春日 3 1 琴奨菊 1 2 琴錦 10 8 琴ノ若 14(1) 17
琴光喜 6 7 琴龍 9 3 小錦 2 1 霜鳳 6 7
十文字 5 2 駿傑 3 0 蒼国来 0 1 大善 2 0
貴闘力 10 12 貴ノ浪 13 25 貴乃花 7 21 隆乃若 9 6
隆三杉 2 0 高見盛 7 14 豪風 2 2 玉春日 18 13
玉乃島 7 15 玉鷲 0 1 千代大海 10 21 千代天山 4 1
千代白鵬 4 2 出島 16 20 寺尾 6 2 闘牙 9 4
時津海 13 5 時津洋 2 0 時天空 2 3 栃東 16 18
栃煌山 2(1) 4 栃栄 5 0 栃ノ心 1 4 栃乃洋 18(1) 14
栃乃花 4 4 栃乃和歌 3 0 智ノ花 0 1 豊桜 6 5
豊ノ島 2 2 豊響 2 2 浪乃花 4 0 白鵬 1 6
白露山 6 3 濱ノ嶋 4 1 追風海 2 3 把瑠都 1 1
日馬富士 1 1 肥後ノ海 7 2 武州山 2 2 普天王 5 6
武雄山 4 1 寶智山 2 0 豊真将 4 3 北勝力 5 10
舞の海 1 0 将司 2 0 三杉里 2 3 水戸泉 5 1
湊富士 8 1 雅山 15 12 武蔵丸 6 28 武双山 18 17
嘉風 5 10 龍皇 3 1 露鵬 2 6 若兎馬 0 2
若の里 8 19 若乃花 6 12 若ノ鵬 0 2 和歌乃山 3 2

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2014年3月場所現在、現役力士。)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 自身より上位に二子山が7人集中していたことも関係している。
  2. ^ 三賞は他の力士の成績との兼ね合いで受賞が決定するという事情がこのダブル受賞に関係した。
  3. ^ 土佐ノ海、八百長問題が影響「やっと断髪式」 : 大相撲 : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2012年2月5日閲覧
  4. ^ 主任の地位で審判部を務めるケースは東関敷島を含めて過去3例のみ。
  5. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年7月23日閲覧。
  6. ^ 左足首関節三角靱帯損傷・左膝下腿挫傷により14日目から途中休場

外部リンク[編集]