寺尾常史

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寺尾 常史 Sumo pictogram.svg
Terao 2011 Jan.JPG
土俵下の錣山親方
基礎情報
四股名 寺尾節男→源氏山力三郎→寺尾節男→寺尾常史
本名 福薗 好文
愛称 アビ、タイフーン
生年月日 1963年2月2日(51歳)
出身 鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)
身長 186cm
体重 117kg
BMI 33.82
所属部屋 井筒部屋
得意技 突っ張り、押し、いなし、叩き、下手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 860勝938敗58休(140場所)
幕内戦歴 626勝753敗16休(93場所)
優勝 十両優勝2回
敢闘賞3回
殊勲賞3回
技能賞1回
データ
初土俵 1979年7月場所
入幕 1985年3月場所
引退 2002年9月場所
引退後 年寄錣山(後に錣山部屋を創設)
趣味 パチンコ、ゴルフ、音楽鑑賞
備考
金星7個 (大乃国3個、千代の富士1個、北勝海1個、貴乃花1個、武蔵丸1個
2013年1月2日現在

寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年(昭和38年)2月2日 - )は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身(生まれは東京都墨田区)で井筒部屋所属の元大相撲力士。得意技は突っ張り、押し、いなし、叩き、下手投げ。最高位は東関脇。本名は福薗 好文(ふくぞの よしふみ)。身長186cm、体重117kg。現在は、年寄錣山として錣山部屋の指導にあたる。角界での愛称は「アビ」、血液型はA型、趣味はパチンコ、音楽鑑賞、ゴルフ。

来歴[編集]

寺尾の手形

父はもろ差し名人として鳴らした元関脇鶴ヶ嶺、母は25代横綱2代西ノ海の孫娘、長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾(現井筒)という力士の家系に生まれた(家系で詳述)。父・鶴ヶ嶺は厳格な人間であり、その影響で小さいころから父に対しては敬語を使っていたという。

安田学園高校入学後相撲を始める。厳しい稽古を乗り越えて試合で勝つことの爽快感から相撲にのめりこむようになり2年生の時には一日も早く角界入りしたいと思うようになっていたが、長兄が次兄の入門の際に強硬に反対したことから角界入りしたいという気持ちをなかなか言い出せないでいた[1]。しかし、1979年(昭和54年)5月場所の千秋楽の日、で闘病中であった最愛の母を見舞った後長兄に突然「お前、学校やめて相撲取りになったらどうだ?」と声を掛けられた[1]。その後母の通夜の晩に父親に入門の意思を伝え、そのまま高校を中退して兄達を追うようにして角界入りする(母・節子は死ぬ間際に「相撲取りになって」と寺尾に告げていた。寺尾は後年インタビューで「あのお兄ちゃんの言葉は、おふくろの置きみやげだったと思ってるんですよ。きっと俺の気持ちを判っていて、相撲取りにならせてくれたんだな、って。」と往時を振り返っている[1]。)。入門後は寺尾節男を名乗った。これは母(福薗節子)の旧姓・寺尾から取ったものである。同年7月場所初土俵1984年(昭和59年)7月場所新十両のとき「源氏山力三郎」と改名する。源氏山の四股名は同部屋に所属した30代横綱西ノ海が横綱昇進直後の場所まで名乗ったものである。この四股名は1場所限りで、翌場所から元の四股名に戻している[2]1985年(昭和60年1月場所で12勝3敗の成績で十両優勝し翌場所新入幕。6勝9敗と負け越して陥落するが翌場所も12勝3敗の成績で2度目の十両優勝で1場所で返り咲く。1987年(昭和62年)11月から名を常史(つねふみ)と改める。

初土俵の時に85kgしかなかった体重を100kgまで増やすために大変な努力をしたという。横になると口から食べたものが出る程食べ、夜も食べ物が胃から腸に下りるまで壁に寄りかかり、横になれるのは明け方から数時間程度という生活を約5年続け、100kgの大台に乗ったのは1984年(昭和59年)9月場所のことである。[3]

長兄の鶴嶺山は十両止まりだったが、次兄の逆鉾は関脇まで昇進しており、様々な兄弟記録を残している。1986年(昭和61年)9月場所には同時三賞受賞、1989年(平成元年)3月場所には同時関脇を果たした。また1990年(平成2年)11月場所には千代の富士横綱土俵入り太刀持ち露払いを務めた。

1995年(平成7年)3月場所には横綱貴乃花から初の供給となる金星を獲得した。1997年(平成9年)3月場所には旭鷲山戦で右足親指を骨折し途中休場。初土俵以来続いた連続出場記録が1359で途切れた。30代後半を迎えた寺尾の突っ張りはなお衰えを知らなかったが、力士の大型化が進んだこともあってか2000年(平成12年)7月にはついに十両陥落。周囲からは引退の声も囁かれたが寺尾は続行を決意。翌年3月場所、5場所ぶりに幕内復帰した。38歳であった。再陥落後は昇進のチャンスもあったが、十両上位の星運に泣いた。2002年(平成14年)9月場所、十両11枚目の地位で怪我により3日目から5日目まで途中休場。再出場の6日目に初白星を挙げ、最後の相撲となった千秋楽では小城錦に勝利を決めるも、5勝8敗2休と負け越し幕下陥落が必至となり同9月場所限りで現役引退

現役時代は相撲界では珍しい甘いマスクと筋肉質のソップ体型で、女性ファンからの人気と声援が多かった。若い頃は回転の速い上突っ張りといなしで勝負しており、その敏捷な動きから海外公演で「タイフーン」の通称がついたほどだった。また右を差すこともあり、下手投げは強かった。晩年は突っ張りの後、父・兄が得意としていた両差しの相撲を取るようになった。引退後は年寄・錣山を襲名、井筒部屋の部屋付き親方を経て2004年(平成16年)1月、錣山部屋を創設。同部屋からは2014年(平成24年)5月場所の時点で小結豊真将、十両・青狼を出している。

家系[編集]

西ノ海(25代横綱)の曾孫(養女の養女の子供)、加賀錦(元幕下・本名は寺尾政喜)の孫、鶴ヶ嶺(元関脇)の三男、薩摩錦(元幕下)の従兄の孫。井筒3兄弟と言われ、長男が鶴嶺山(元十両)、次男が逆鉾(元関脇)、三男が寺尾。また、福薗洋一郎(元十両)は従弟に当たり、中日ドラゴンズ打撃コーチの井上一樹は再従弟に当たる。長男(夫人と前夫との実子)は俳優寺尾由布樹

加賀錦は廃業後に国技館サービス株式会社の常務取締役を務めた。その妻・寺尾文子は相撲茶屋「吉可和」(よしかわ、相撲案内所 四番)を経営し、その経営権は寺尾の親族へと引き継がれた。

エピソード[編集]

1991年3月場所、18歳の貴花田に敗れ、さがりを叩きつけるなど悔しさを露にした。引退直後の会見で、「今まで一番悔しかった取組」としてこの一番を挙げた。それでも寺尾は引退後に「あの悔しさがあったから長く相撲が取れた」と語っている。後の2010年に大相撲中継にゲスト出演した際に、この一番について「悔しい気持ちはわかるけど、あれ(下がりを叩きつける)はいけませんね(笑)。もし、弟子が同じようなことをしたら即刻注意しますね(苦笑)。」と語っていた。

同じ昭和38年(1963年)生まれ(但し学年は寺尾の方が北勝海・小錦・琴ヶ梅より1年上)の「花のサンパチ組」で良きライバルだった、元横綱北勝海・元大関小錦・元関脇琴ヶ梅引退相撲では、異例とも言える最後の取組相手として指名され、寺尾はそれぞれ3人の力士と土俵に上がり勝負していた。

高所恐怖症で(兄の逆鉾も同様)、飛行機に乗るのも苦手だった。しかし部屋設立後は新弟子集めの移動のために飛行機嫌いを克服。今や航空会社のマイレージ集めが趣味となっているらしい[要出典]阪神タイガースファンとして知られ、野球中継のゲストを務めたこともある。プロレスラー高田延彦との親交が深い。

マスコミに対して好意的であり、普段は寡黙ながらユニークな人柄を買われ、現在でもテレビのバラエティ番組に度々出演している。

現役最後の場所となった2002年9月場所の12日目、元関脇貴闘力と十両の地位で対戦したが、寺尾に敗れて負け越し幕下陥落が確定的となった貴闘力は、その日限りで現役引退を表明。その取り組み後には、寺尾が土俵上で貴闘力の肩をそっと叩き、互いの労をねぎらうというシーンが見られた。また同じ関脇同士ながら栃司には圧倒的に強く、幕内昇進前も含め13戦全勝と一方的に勝っている。

2013年1月現在、関取在位110場所(昭和59年7月〜平成14年9月)は魁皇の117場所(平成4年1月〜平成23年7月)に次ぐ史上2位。また幕内在位93場所も魁皇の107場所(平成5年5月、平成5年11月〜平成23年7月)、高見山の97場所に次ぐ史上3位(現在。寺尾の引退直後は当時史上2位)の記録である。

ファミコンゲームソフトに『寺尾のどすこい大相撲』(ジャレコ、1989年)がある。

新十両の時に1場所だけ名乗った「源氏山」の四股名であるが、日本相撲協会の番付表と星取表では「氏」の字の3画目の横線の右に点が付けられていた。本来はその様な漢字は存在しないので極めて異例である。

主な成績[編集]

  • 通算成績:860勝938敗58休 勝率.478
    • 通算勝利860は歴代6位、通算敗北938は歴代1位
  • 幕内成績:626勝753敗16休 勝率.454
  • 通算出場:1795回(歴代2位)
  • 通算連続出場:1359回(歴代6位)
  • 現役在位:140場所
  • 幕内在位:93場所(歴代3位)
  • 幕内出場:1378回(歴代3位)
  • 幕内連続出場:1063回(歴代4位)
  • 三役在位:13場所(関脇7場所、小結6場所)
  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:3回(1989年1月場所、1994年5月場所、1995年3月場所)
    • 敢闘賞:3回(1986年9月場所、1989年9月場所、1994年3月場所)
    • 技能賞:1回(1989年7月場所)
  • 金星:7個(千代の富士1個、北勝海1個、大乃国3個、貴乃花1個、武蔵丸1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(1985年1月場所、1985年5月場所)
寺尾常史
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1979年
(昭和54年)
x x x (前相撲) 東 序ノ口 #34
6–1
 
西 序二段 #80
6–1
 
1980年
(昭和55年)
東 序二段 #19
2–5
 
西 序二段 #42
6–1
 
東 三段目 #77
2–5
 
西 序二段 #7
3–4
 
東 序二段 #21
5–2
 
東 三段目 #68
3–4
 
1981年
(昭和56年)
西 三段目 #79
4–3
 
西 三段目 #58
3–4
 
西 三段目 #69
6–1
 
東 三段目 #20
4–3
 
東 三段目 #8
4–3
 
西 幕下 #55
2–5
 
1982年
(昭和57年)
西 三段目 #14
6–1
 
西 幕下 #37
5–2
 
西 幕下 #19
4–3
 
西 幕下 #16
4–3
 
東 幕下 #12
3–4
 
西 幕下 #18
4–3
 
1983年
(昭和58年)
東 幕下 #11
3–4
 
東 幕下 #20
3–4
 
西 幕下 #34
4–3
 
東 幕下 #23
3–4
 
東 幕下 #31
4–3
 
西 幕下 #22
5–2
 
1984年
(昭和59年)
西 幕下 #10
5–2
 
西 幕下 #4
5–2
 
東 幕下 #1
5–2
 
東 十両 #10
7–8
 
西 十両 #11
8–7
 
西 十両 #8
8–7
 
1985年
(昭和60年)
西 十両 #7
優勝
12–3
西 前頭 #14
6–9
 
東 十両 #3
優勝
12–3
西 前頭 #12
10–5
 
西 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #5
7–8
 
1986年
(昭和61年)
東 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #4
4–11
 
東 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #8
9–6
東 前頭 #1
6–9
 
1987年
(昭和62年)
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #5
7–8
 
東 前頭 #6
6–9
 
西 前頭 #9
8–7
 
1988年
(昭和63年)
東 前頭 #3
7–8
西 前頭 #3
6–9
 
西 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #6
8–7
 
1989年
(平成元年)
西 前頭 #1
8–7
西 関脇
5–10
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #3
10–5
西 関脇
8–7
西 関脇
8–7
 
1990年
(平成2年)
東 張出関脇
7–8
 
西 小結
8–7
 
東 関脇
7–8
 
西 小結
8–7
 
西 関脇
9–6
 
東 関脇
5–10
 
1991年
(平成3年)
東 前頭 #2
8–7
西 小結
8–7
 
東 小結
5–10
 
西 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #4
6–9
1992年
(平成4年)
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #2
2–13
 
東 前頭 #13
9–6
 
東 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #2
7–8
 
1993年
(平成5年)
東 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #6
7–8
 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #2
9–6
西 小結
8–7
西 小結
4–11
 
東 前頭 #3
4–11
 
西 前頭 #9
9–6
 
1995年
(平成7年)
西 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #6
8–7
東 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #5
5–10
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #3
5–10
 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #6
5–10
 
西 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #3
4–11
 
1997年
(平成9年)
西 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #3
2–12–1[4]
 
東 前頭 #13
休場[5]
0–0–15
東 前頭 #13
9–6
 
西 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #9
6–9
 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #13
9–6
 
東 前頭 #8
5–10
 
西 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #9
4–11
 
東 前頭 #16
9–6
 
西 前頭 #11
8–7
 
1999年
(平成11年)
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
5–10
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #4
5–10
2000年
(平成12年)
東 前頭 #7
5–10
 
東 前頭 #12
7–8
 
西 前頭 #13
5–10
 
西 十両 #3
6–9
 
東 十両 #6
8–7
 
東 十両 #5
8–7
 
2001年
(平成13年)
西 十両 #2
8–7
 
西 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #9
2–13
 
西 十両 #3
9–6
 
西 十両 #1
7–8
 
西 十両 #2
休場[5]
0–0–15
2002年
(平成14年)
西 十両 #2
5–10
 
西 十両 #6
8–7
 
西 十両 #2
2–3–10
 
東 十両 #11
休場[5]
0–0–15
東 十両 #11
引退
5–8–2
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 寺尾 節男(てらお せつお)1979年7月場所 - 1984年5月場所
  • 源氏山 力三郎(げんじやま りきさぶろう)1984年7月場所
  • 寺尾 節男(てらお せつお)1984年9月場所 - 1987年9月場所
  • 寺尾 常史( - つねふみ)1987年11月場所 - 2002年9月場所

年寄変遷[編集]

  • 錣山 常史(しころやま つねふみ)2002年9月 - 2002年11月
  • 錣山 矩幸( - つねゆき)2002年11月 -

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「寺尾常史 闘志未だ健在なり。」『Sports Graphic Number』、1992年1月20日号、P.43
  2. ^ 負け越したことからゲン直ししたともいわれる。また本人はかつて出演したテレビ番組『いつみても波瀾万丈』で、『源氏山』は横綱の名跡だから自分には重過ぎたとも語っていた
  3. ^ 『相撲』2012年8月号96頁
  4. ^ 右足第1趾基節骨骨折により14日目から途中休場
  5. ^ a b c 公傷

関連項目[編集]

外部リンク[編集]