朝青龍明徳

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朝青龍明徳

横綱の土俵入りを行う朝青龍(画面中央)
四股名 朝青龍
本名 Долгорсүрэнгийн Дагвадорж
(ドルゴルスレン・ダグワドルジ)
生年月日 1980年9月27日(27歳)
出身 モンゴルウランバートル
身長 184cm
体重 148kg
所属部屋 若松部屋高砂部屋
成績
現在の番付 西横綱
最高位 第68代横綱
生涯戦歴 565勝141敗47休(56場所)
幕内戦歴 492勝121敗47休(44場所)
優勝 幕内優勝22回
幕下優勝1回
三段目優勝1回
序二段優勝1回
殊勲賞3回、敢闘賞3回
データ
初土俵 1999年1月場所
入幕 2001年1月場所
備考
2008年3月23日現在
テンプレート、ノート)

朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )は、モンゴル国出身の力士で第68代横綱。本名 Долгорсүрэнгийн Дагвадорж;(Dolgorsürengiin Dagvadorj、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ)。

平成の大横綱」とも形容される。四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。

愛称は本名からとった「ドルジ」。また、スポーツ新聞の見出しなどでは「朝青」という略語も見られる。

左利きであり、を左手で撒く数少ない力士の一人である(左手で塩を撒いても作法上問題はない。また、ちゃんこを食す際、も左手で持っている)。

兄は総合格闘家ドルゴルスレン・スミヤバザルプロレスラーブルー・ウルフ

目次

来歴

15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に若松親方(当時、現高砂親方)によるスカウトにより、高校を中途退学して角界に入門した。2001年1月場所に新入幕し、翌年7月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年11月場所、翌年1月場所に連続優勝して横綱に昇進した。ただし2002年9月の貴乃花戦に敗れた際、花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んだり、支度部屋で「怪我をしている左足を狙えばよかった」と発言したりするなど、当時からその品格が問題視されていた。

2003年結婚する。またこの年、長女が誕生する。同年5月場所、モンゴルの先輩旭鷲山との対戦で敗れた際土俵上で審判に対して物言いを要求、肩がぶつかった旭鷲山をにらみつけ、さがりを振り回した。さらに翌7月場所の対戦では髷を掴み反則負けとなり、取組後の風呂場で口論となった後に旭鷲山の車のサイドミラーを破壊。この場所は頸部挫傷により途中休場した。

2004年1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。その後の春巡業において、一門の枠を超えてモンゴル出身力士を集め、特別指導を実施。続く5月場所は6日目(同年5月14日)に平幕北勝力に敗れて連勝が止まり、最終的にこの場所は2敗となったが、千秋楽5月23日)にモンゴルの後輩、白鵬が立ち合いの変化で北勝力を破って「援護射撃」を果たすと、自身も結びの一番に勝って迎えた優勝決定戦で北勝力を破り3場所連続優勝を達成。部屋、一門の枠を超えて白鵬と喜びを分かち合った。7月場所も13勝2敗で優勝。1996年貴乃花以来となる、4場所連続優勝。2004年11月場所から7場所連続優勝(従来は1962年7月場所~1963年5月場所、1966年3月場所~1967年1月場所に2度記録した大鵬の6場所連続)、2005年には年間6場所完全優勝(従来は1966年の大鵬、1978年北の湖1986年千代の富士の5場所)、年間成績84勝6敗(従来は1978年の北の湖の82勝8敗)と、様々な記録を更新した。

8連覇を目指した2006年1月場所では11勝4敗に終わる。翌3月場所は優勝したものの白鵬に決定戦進出を許し、5月場所では2日目の若の里戦に敗れた際右肘を痛め3日目から途中休場するなど、同年前半は力の衰えも指摘され始めたが、7月場所に復帰すると11月場所の全勝を含め翌2007年1月場所まで4場所連続優勝し、史上5人目、外国人力士では初となる20回目の優勝を果たした。同場所千秋楽翌日の1月22日、週刊現代に自身の八百長疑惑が掲載された。詳細は武田頼政を参照。

翌3月場所は初日から2連敗。その後は連勝を続け、千秋楽で千代大海を立ち合いの変化で破って13連勝し優勝決定戦に持ち込んだものの、決定戦では逆に白鵬に立ち合いの変化で敗れた。さらに5月場所は9連勝の後10日目に安美錦に敗れると調子を崩し、12日目からは4連敗で10勝5敗に終わり、横綱昇進後初めて2場所連続で優勝を逃すとともに、白鵬の連覇と横綱昇進を許した。翌7月場所では初日に再び安美錦に敗れ、前場所から続けて5連敗を喫した。これらの不振に関しては前述の八百長疑惑報道の影響も指摘された。2日目からは14連勝し、3場所ぶりの優勝、新横綱白鵬に対し先輩横綱としての意地を見せるとともに復活を果たしたかに見えた。

しかし同場所後の7月25日、「左ひじ内側側副靱帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日~20日)の不参加を届け出たが、当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出[1]。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め[2]、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、九州場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。また同時に師匠の高砂親方も減俸30%4ヶ月の処分を受けた。この処分に対し日本並びにモンゴルのマスメディアが大々的に報道、在モンゴル日本大使館ではこの処分に対して市民が抗議デモを起こした。また在日モンゴル大使館は7月31日、「サッカーはモンゴル国主催のチャリティー大会のイベントであり、日本外務省を通じ半ば強引に参加を要請したもので、大変なこととなり迷惑をお掛けした」と日本相撲協会に対し謝罪した[3]

同月27日には、日本経済新聞等で「東京国税局の税務調査を受け、テレビ番組やCMの出演料などの一部を申告していなかったなどとして、2005年までの3年間で約1億円の申告漏れを指摘されていた」ことが報道された。追徴税額は過少申告加算税を含め約3000万円であった。

同年8月6日には、心療内科医・本田昌毅の往診により「神経衰弱および抑うつ状態」との診断を受けていた[4]ものの、後に協会医務委員会が紹介した精神科医により解離性障害と診断されたと発表。協会は謹慎処分を一部訂正しモンゴルへの帰国を承認した。これを受け同月29日に治療をするとしてモンゴルへ帰国した。

秋場所を出場停止処分により全休したため、九州場所では新横綱であった2003年3月場所以来となる西横綱となった。

九州場所千秋楽(11月25日)を終えたため、当初の決定通り謹慎を解除され、11月30日にはモンゴルから93日ぶりに再来日した。同日夕方に謝罪会見を開き、朝青龍本人が一連の騒動について謝罪し、会見後は臨時横綱審議委員会(横審)で謝罪と経緯説明をおこなった。

12月2日から大分県豊後大野市で始まる冬巡業に参加して、7月場所千秋楽以来133日ぶりに土俵に復帰した。初日の横綱白鵬戦では寄り切りで勝利した。

12月21日朝、横綱審議委員会脚本家内舘牧子が事前通告なしに稽古を視察するため高砂部屋を訪れたが、朝青龍の稽古が休みで肩すかしを食う。さらに内舘が朝青龍に「を克服し現役に復帰したプロレスラー小橋建太を見ならいなさい」と発言した。

2008年1月13日、1月場所で前年7月場所以来の土俵復帰。約5年ぶりの西横綱となったためか、初日の土俵入りの際、西横綱は本来は左足から土俵中央へ歩み寄るところを、長年東横綱として君臨していた癖で、右足を先に出すというミスも見られるなど、当初は2場所ぶりの復活で「相撲勘」を取り戻せるかどうかが話題となった。注目された初日は琴奨菊戦で快勝するも、2日目の稀勢の里戦では豪快な送り倒しを決められ、早くも土がついた。また3日目には観戦していた内館横審委員を土俵上で睨めつけるなど、本来の横綱の風貌が戻ってきた。その後は不安定な取り組みがありながらも勝ち星を積み重ね、14日目まで1敗で東横綱の白鵬と並び、2002年秋場所の武蔵丸-貴乃花戦以来、約5年半ぶりの横綱同士による千秋楽相星決戦となったが、過去に類をみない白熱した大一番の末、白鵬に豪快な上手投げで破れた。

3月場所では11日目までは全勝で、2敗で追う白鵬を引き離していたが、12日目で土がつき、翌13日目では対朝青龍戦28連敗中だった大関琴光喜が、連敗記録歴代2位という屈辱の記録に終止符を打った。そして14日目には両横綱共に2敗で並び、1995年3月-5月場所の貴乃花-曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。結果は朝青龍が小手投げで勝利し22回目の優勝を決めた。この優勝で優勝回数が貴乃花と並んだ。

幕内での場所別成績

2008年3月場所終了現在

場所 地位 勝数 敗数 休場 備考
平成13年(2001年)1月 西前頭12枚目 9 6 0 新入幕
平成13年(2001年)3月 東前頭6枚目 9 6 0 -
平成13年(2001年)5月 西小結 8 7 0 新小結、殊勲賞(初)
平成13年(2001年)7月 東小結 7 8 0 -
平成13年(2001年)9月 西前頭筆頭 10 5 0 敢闘賞(初)、金星(1・武蔵丸)
平成13年(2001年)11月 東小結 10 5 0 敢闘賞(2)
平成14年(2002年)1月 西関脇 8 7 0 新関脇
平成14年(2002年)3月 西関脇 11 4 0 殊勲賞(2)
平成14年(2002年)5月 東関脇 11 4 0 敢闘賞(3)
平成14年(2002年)7月 東関脇 12 3 0 殊勲賞(3)
平成14年(2002年)9月 東大関3 10 5 0 新大関
平成14年(2002年)11月 東大関2 14 1 0 優勝(初)
平成15年(2003年)1月 東大関 14 1 0 優勝(2)
平成15年(2003年)3月 西横綱 10 5 0 新横綱
平成15年(2003年)5月 東横綱 13 2 0 優勝(3)
平成15年(2003年)7月 東横綱 5 5 5 頸部挫傷、途中休場
平成15年(2003年)9月 東横綱 13 2 0 優勝(4)
平成15年(2003年)11月 東横綱 12 3 0 -
平成16年(2004年)1月 東横綱 15 0 0 全勝優勝(5)
平成16年(2004年)3月 東横綱 15 0 0 全勝優勝(6)
平成16年(2004年)5月 東横綱 13 2 0 優勝(7)
平成16年(2004年)7月 東横綱 13 2 0 優勝(8)
平成16年(2004年)9月 東横綱 9 6 0 -
平成16年(2004年)11月 東横綱 13 2 0 優勝(9)
平成17年(2005年)1月 東横綱 15 0 0 全勝優勝(10)
平成17年(2005年)3月 東横綱 14 1 0 優勝(11)
平成17年(2005年)5月 東横綱 15 0 0 全勝優勝(12)
平成17年(2005年)7月 東横綱 13 2 0 優勝(13)
平成17年(2005年)9月 東横綱 13 2 0 優勝(14)
平成17年(2005年)11月 東横綱 14 1 0 優勝(15)
平成18年(2006年)1月 東横綱 11 4 0 -
平成18年(2006年)3月 東横綱 13 2 0 優勝(16)
平成18年(2006年)5月 東横綱 1 2 12 右肘内側側副靱帯損傷、途中休場
平成18年(2006年)7月 東横綱 14 1 0 優勝(17)
平成18年(2006年)9月 東横綱 13 2 0 優勝(18)
平成18年(2006年)11月 東横綱 15 0 0 全勝優勝(19)
平成19年(2007年)1月 東横綱 14 1 0 優勝(20)
平成19年(2007年)3月 東横綱 13 2 0 優勝決定戦
平成19年(2007年)5月 東横綱 10 5 0 -
平成19年(2007年)7月 東横綱 14 1 0 優勝(21)
平成19年(2007年)9月 東横綱 0 0 15 出場停止
平成19年(2007年)11月 西横綱 0 0 15 出場停止
平成20年(2008年)1月 西横綱 13 2 0 -
平成20年(2008年)3月 西横綱 13 2 0  優勝(22)
通算 492 121 47 優勝22回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、金星1個

主な力士との幕内対戦成績

2008年3月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
旭鷲山 13 2 安美錦 12 4(1)
旭天鵬 29 2 高見盛 10 1
時津海 7 1 霜鳳 8 0
土佐ノ海 18 6(1) 北勝力 7 1
玉乃島 17 3 岩木山 14 1
琴ノ若 11 4 垣添 12 0
貴ノ浪 12 2 黒海 11 2
隆乃若 10 1 白鵬 11 6
海鵬 6 1 琴欧洲 12 3
琴光喜 31 7 露鵬 9(1) 0
武蔵丸 4 5 普天王 4 1
雅山 29 4 琴奨菊 7 1
出島 16 4 稀勢の里 7 2
武双山 12 3 安馬 12 1
貴乃花 0 2 豪風 3 0
魁皇 19 10 時天空 8 1
千代大海 25 7 白露山 2 0
栃東 15 10 把瑠都 1 0
栃乃洋 16 5 豊ノ島 5 0
若の里 19 9 豊真将 2 0
玉春日 2 1 豪栄道 1 0
鶴竜 1 0
若ノ鵬 1 0

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2008年3月場所終了現在、現役力士

主な成績

2008年3月場所終了現在

  • 通算成績:565勝141敗47休(56場所、勝率.800)
  • 幕内成績:492勝121敗47休(44場所、勝率.803)
  • 横綱通算成績:359勝60敗47休(31場所、勝率.857)
  • 金星:1個(武蔵丸
  • 負け越し:5回(途中休場場所 2回、出場停止2回含む)
  • 2ケタ勝利場所:34回
  • 全勝優勝:5回(2004年1月場所、2004年3月場所、2005年1月場所、2005年5月場所、2006年11月場所)
  • 連勝:35連勝(2004年1月場所初日~2004年5月場所5日目)
  • 連覇:7連覇(史上最多、2004年11月場所~2005年11月場所)

各段優勝

  • 幕内優勝:22回(優勝回数は貴乃花と並び歴代4位タイ、うち全勝優勝5回は歴代4位)
  • 幕下優勝1回
  • 三段目優勝:1回
  • 序二段優勝:1回

三賞・金星

  • 三賞:6回
    • 殊勲賞:3回
    • 敢闘賞:3回
  • 金星:1個

エピソード

  • 以前高砂親方がゲスト出演した番組「女と男 聞けば聞くほど…」の出演記念のマグカップをいつも持ち歩いており、これは若い頃ゴミ捨て場に捨ててあったのを拾ったものである。苦楽を共にして生きていたもので、朝青龍本人は手放せないものになっており、『力の源』とも話している。
  • 2008年1月27日に放送された「新婚さんいらっしゃい!」に元高砂部屋の力士が新婚さんとして出場し、朝青龍に子供の名付け親になってもらった事や、新婚家庭のテレビが小さいのを見かね、その日の懸賞金を全て置いて帰ったという話をした。

他メディア

著書

CM出演

テレビ出演

脚注

  1. ^ 本場所出場停止も 骨折なのに元気にシュート!?朝青龍“仮病”疑惑 産経Iza! 2007年7月27日
  2. ^ 「夏巡業、来なくて結構」朝青龍仮病疑惑で怒り心頭の巡業部 産経Iza! 2007年7月28日
  3. ^ モンゴル大使館が謝罪 朝青龍のサッカー問題で日本経済新聞
  4. ^ 朝青龍「心」の診断結果は「うつ寸前」 『スポーツニッポン』 2007年8月6日

関連項目

ウィキメディア・コモンズ
ウィキニュース
ウィキニュースに関連記事があります。

外部リンク

先代:
松井秀喜
日本プロスポーツ大賞受賞者
2004年、2005年
次代:
野球日本代表
先代:
武蔵丸光洋
第68代横綱
(在位: 2003年1月 - )
次代:
白鵬翔
執筆の途中です この「朝青龍明徳」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています(PJ相撲)。