サモ・ハン・キンポー

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サモ・ハン・キンポー
SammoHung.jpg
2005年トロント国際映画祭にて
繁体字 洪金寶
簡体字 洪金宝
Hóng Jīnbǎo
Hung4 Gam1bou2
出生 1952年1月7日(60歳)
香港の旗 香港
別名 元龍、大哥大
英語名 Sammo Hung
職業 俳優映画監督
活動期間 1961年-
配偶者 曹恩玉、ジョイス・コウ(高麗虹、1995年-)
子供 ティミー・ハン(洪天明)、ジミー・ハン(洪天祥)、サミー・ハン(洪天照)、ステファニー・ハン(洪煦榆)
公式サイト http://www.sammohung.com/

サモ・ハン・キンポー洪金寶1952年1月7日 - )は、香港出身の映画俳優である。また、武術指導や、映画監督もこなす。幼名の「三毛(サモ)」は中国の漫画家である張楽平の作品『三毛流浪記』の主人公の名前が由来であるという説と、出生時に髪の毛が3本生えていたことに由来するという説がある[要出典]1998年ハリウッド進出を機に、英名をサモ・ハン・キンポーからサモ・ハン(Sammo Hung)に変更した。

日本語吹き替えは、水島裕が担当することが多い。

目次

[編集] 経歴

[編集] 出生~子役時代

サモ・ハンは、香港の脚本家監督の子として生まれる。両親が共働きのため、彼は祖父母に預けられ世話されていたが、とても手に負えないやんちゃな子供で、いつもいたずらやケンカばかりをしていたという。

10歳の頃に、祖母の銭似鶯(チン・ツイアン)に連れられ、于占元(ユウ・チャンユン)が開く中国戯劇学院に連れて行かれる。京劇子役たちの訓練を見学し、興味を持ち、入学を決意する。これは、祖父母が京劇という厳しい世界で彼のやんちゃ癖が治ればと思ってのことだった。

そして8年間にわたって、サモは京劇の基礎を叩き込まれる。ここで、朱元龍なる芸名をもらい、優秀であった彼は「七小福」のリーダーに選ばれ、ナイト・クラブや舞台などの出演をこなしていく。この「七小福」には、のちの同じ映画界で活躍する元楼(現:成龍、ジャッキー・チェン)、元彪(ユン・ピョウ)、元華(ユン・ワー)、元奎(ユン・ケイコリー・ユエン)、元彬(ユン・ブン)、元武(ユン・モウ)、元徳(ユン・タク)、元秋(ユン・チウ)なども在籍していた。また、この時期に数本の映画にも出演した。

サモは年長であったため、周囲から大師兄(大兄弟子)と慕われていた。当時は、体格はよかったが、とくに太ってはいなかった。現在の彼を象徴する大きな体格は、この中国戯劇学院生時代に、かかとを骨折し、入院中に暴飲暴食をしたのが原因だといわれている。ジャッキーの自伝に拠れば、兄貴肌で下の者の面倒見は良かったが、独裁的でわがままな所があったためジャッキー本人とは衝突が絶えなかった。これは、ジャッキーの父親と京劇学校の校長干元占とは国民党時代の戦友であったため、学校内でジャッキーが特別扱いを受けていた反発があったとも言われる。ユン・ピョウのへそくりをめぐりジャッキーとサモが喧嘩になったときは「お互いのパンチもキックも見えないほど速くて、見る見る両者の顔が腫れていった」と語られるほど2人は喧嘩でも腕自慢であった。

[編集] 映画出演~スタントマン、武術指導師時代

サモの映画デビュー自体は中国戯劇学院に入学直後、10歳のときに出演した『愛的教育』だった。続いて『大小黄天覇』、『公主與七小侠』、『人之初』などでスタントや子役として出演した。

その後、8年間の勉学の後に戯劇学院を卒業したサモは、スタントマンの仕事に興味を持ち、学院で知り合った先輩達の伝手で映画界で仕事をするようになった。キン・フー監督の自伝『キン・フー武侠電影作法』によれば、ハン・インチェ(韓英傑)の付き人として、武術指導の勉強をしていたという。

彼は脇役出演をこなしながら、ハン・インチェ、梁少松(リャン・シャオスン)、徐二牛(チュイ・イーアン)らの指導の元、武術指導の仕事を経験していく。そして、1970年ゴールデン・ハーベスト(嘉禾電影有限公司)に武術指導師としての契約を結ぶ。武術指導師としては、「七小福」時代の芸名である朱元龍を名乗り、『奪命金瞼』やキン・フー監督作品『迎春閣之風波』などでの武術指導が高く評価された。また、1973年には、尊敬するブルース・リーに声をかけられ『燃えよドラゴン』で共演を果たす。

[編集] 功夫映画衰退期~俳優、監督、製作としての成功

しかし、その活躍の場の功夫映画も、ブルース・リーの死とともにブームは衰退の道をたどる。サモはそんな中でいくつかの映画に武術指導として参加していた。ゴールデン・ハーベスト入社以来の師匠とも言われていた黄楓(ウォン・フォン)から、『少林寺怒りの鉄拳』の監督として映画を撮るチャンスを与えられる。この映画がきっかけで、ブルース・リーの未完成作品『死亡遊戯』の武術指導をゴールデン・ハーベスト社より依頼される。

その後サモは、尊敬するブルース・リーへのオマージュとして功夫コメディー『燃えよデブゴン』を製作する。当時コメディー映画が市場を占めていた香港映画界に、新たな分野を打ち出すことに成功した。そして、1983年には『ピックポケット!』で第2回香港電影金像奨主演男優賞を受賞する。

サモは盟友のジャッキー・チェンと共に、時代のニーズを先読みし、新時代のアクションを確立してゆく。誰もがなしえなかった、体を張った危険なスタントやアクションを次々と提案し、それをこなしていった。彼は大きな体格のためスタントマンが起用できず、吹き替えなしでアクションシーンに出演し続けた。以降、サモは様々なアクション、コメディなどのヒット作品を生み出していく。

また、80年代半ばに入ると、彼は中国の古くから伝わる妖怪、キョンシーを題材にし、新たに香港映画界にホラー&キョンシー・ブームを生み出し、また豪華な俳優陣を迎えたオールスター・キャスト作品を打ち出した。その最初の作品が『五福星』である。当時、アジアでトップスターになっていたジャッキーも参加し、興行的に大ヒットした。1988年には『七小福』で第8回香港電影金奨主演男優賞を受賞するなど役者としても評価されるようになる。

[編集] 世代交代~ハーベストとの決別

しかし、90年代に入ると、サモも新旧交代を余儀なくされる。これまでも、ユン・ピョウや、劉家仁(リャウ・カーリャン)など、後輩の育成にも力を注いできたサモであったが、ワイヤーを使った派手なアクションや、海外の複雑なドラマ性を重視し始める時代が到来し、彼の作品は興行的に成功しなくなる。挙句の果てには、公開を見送られることもあるなど、サモは会社ともめることが多くなった。そして、長年の付き合いであったゴールデン・ハーベストと決別する。

それ以降、サモはいろんな映画会社の作品に出演、または監督をすることになる。しかし、この時期のどの作品も大衆の支持を得られず、満足のいく収益も得られなかった。また彼はこの頃に、恋人のジョイス・コウと結婚するために、長年連れ添った妻と離婚していた。

それでもサモは変わることなく、映画に出演し続けた。知人や友人の作品にカメオ出演したり、自らの作品も時代を見据えてか、アクション場面を控えたドラマ性の高いものや、大人のコメディや子供向けの作品など、新たな分野にチャレンジしようとしていた。時にはアクションをしない俳優として出演した。

[編集] 新たなるブーム~海外進出

1990年代末期にハリウッドで功夫ブームが起きた。1999年の『マトリックス』などの作品には、ワイヤー・アクションや功夫など、香港で作られたアクションの技法が取り入れられた。ジャッキーやジェット・リーなどのアクション俳優をはじめ、ユエン・ウーピンやコリー・ユエンなどの武術指導師、ジョン・ウーなどの監督陣もハリウッドに招かれ、香港映画が世界市場を相手に活躍していた。

サモもアメリカに招かれ、CBSで1998年から2000年に放送された米国連続テレビドラマ『LA大捜査線/マーシャル・ロー』に主演として出演した。作品は全米で絶賛され、第2シーズンまで放映された。そして、ジャッキー・チェン出演作品『80デイズ』にカメオ出演を果たすなど、活躍の場を世界に広げている。

[編集] 近年の活躍

アクション俳優としては、2008年の『SPL/狼よ静かに死ね』で悪役として、若きスターのドニー・イェンと激しい戦闘シーンを演じ、その武術は全く衰えを見せていない。役者としては、主演作も近年に入って復活しており、『奪師』、『カンフーシェフ』では貫禄のある役柄を演じている。また、『特警飛龍』の署長役、『少林僧兵』の師父(師匠)役など、人を統率する役がらも増えてきている。そして武術指導としては、2009年の第28回香港電影金像獎では、『イップ・マン 序章』で最優秀アクション設計賞を受賞しており、すべての分野において第一線で活躍している。

[編集] 日本における人気

もともと、日本ではジャッキー・チェンの映画によく出ている俳優という程度の認識がほとんどであった。しかし、ブルース・リーへのオマージュ映画『燃えよデブゴン』(1978年)の公開を機に「動けるデブ」として有名になり、さらに映画『霊幻道士』シリーズで製作を務める頃には、日本でも海外人気俳優の一人として認知されるようになった。

『燃えよデブゴン』のヒットにより、一時期、日本で放送されたサモ・ハン主演の作品にサブタイトルとして、『燃えよデブゴン』が付けられていた。のちに日本でもヒットした映画『五福星』や『大福星』といった「福星シリーズ」は、ジャッキー・チェンではなくサモ・ハンの主演・監督作品である。また、映画『無問題』ではお笑いコンビ、ナインティナイン岡村隆史と共演した。2010年3月からサントリーの「黒烏龍茶」のテレビコマーシャルに出演している。

[編集] 人物

[編集] 家族

韓国人曹恩玉との間に4人の子供がおり、後に1984年度ミス香港の高麗虹ジョイス・コウ)と再婚した。

  • 曹恩玉:韓国人。元妻。
  • 高麗虹:現在の配偶者。元ミス香港
  • 洪天明:長男。中韓混血児。英語名はTimmy(ティミー)。TVB(香港無綫電視)の司会者兼俳優。代表作:『導火線』『香港国際警察/NEW POLICE STORY』など
  • 洪天祥:次男。中韓混血児。英語名はJimmy(ジミー)。歌手。代表曲:「尋人啓事」「借住」など
  • 洪天照:三男。中韓混血児。英語名はSammy(サミー)。俳優。代表作:『特警飛龍』『少林僧兵』など
  • 洪煦楡:長女。中韓混血児。英語名はStephanie(ステファニー)。芸能界入りが噂されている。

[編集] 死亡騒動

2007年12月9日に、新華社通信人民日報を初めとする中国の一部メディアで8日にサモが急死したというニュースが流れる騒動が起きた[1]。各地方紙などもこれに追従しトップニュースとして報じた[2]が、インタビューに応じた長男のティミーは「父は弟のサミーと共に山東省でTVドラマ「少林僧兵」の撮影真っ最中であり、これらの報道は全くの事実無根」とこれを即座に否定。[3]。同日午後にはサモ本人も撮影地から電話インタビューに応じ、この死亡騒動に怒りを露にすると共に「心配してくださった皆さんに感謝します」とコメントし、死亡は誤りであると伝えた[4]。この騒動において事実確認を行わず安易に報道したとしてメディア側は批判に晒され、サモ本人も誤報記事を流した各種メディアに対して一時は訴訟の構えを見せるほど激昂し[5]、人民日報等は後にお詫びの時評を掲載するに至った[6]

[編集] 主演作品

1977年
1978年
1979年
1980年
1982年
1983年
  • 五福星(劇場公開題、兼監督、武術指導)
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
  • 五福星撞鬼(日本未公開、兼監督)
1993年
  • 龍父虎子(日本未公開)
1995年
1998年
2002年
2008年
  • 奪師(日本未公開)
  • 武術之少年行(日本未公開)
2009年

[編集] 出演作品

1961年
  • 愛的教育(日本未公開)
1962年
  • 公主與七小侠(日本未公開、1964年説あり)
  • 岳飛出世(日本未公開)
  • 大小黄天覇(日本未公開)
1963年
  • 小龍女三戯白蛇精(日本未公開)
  • 猴子兵華山救駕(日本未公開)
  • 人之初(カメオ出演
1964年
  • 虹霓關(日本未公開)
  • 生死關頭(日本未公開)
1966年
  • 兩湖十八鏢(日本未公開)
1967年
  • 天劍絶刀(日本未公開)
1968年
  • 女侠黒蝴蝶(日本未公開)
  • 怪侠(日本未公開)
  • 奪魂鈴(日本未公開)
  • 天劍絶刀(下集大結局)(日本未公開)
  • 斷魂谷(日本未公開)
  • 玉羅刹(日本未公開)
1969年
  • 一劍香(日本未公開)
  • 豪侠傳(日本未公開)
  • 毒龍潭(日本未公開)
  • 小魔侠(日本未公開)
  • 飛燕金刀(日本未公開)
  • 虎胆(日本未公開)
  • 峨嵋霸刀(日本未公開)
  • 神經刀(日本未公開)
  • 燕娘(日本未公開)
  • 龍門金劍(日本未公開、兼武術指導)
  • 獨臂神尼(日本未公開)
1970年
  • 鷹爪手(日本未公開)
  • 五虎屠龍(日本未公開、兼武術指導)
  • 金衣大侠(日本未公開)
  • 怒劍狂刀(日本未公開)
  • 武林風雲(日本未公開)
  • 鐵羅漢(日本未公開)
  • 神劍游龍(日本未公開)
1971年
1972年
  • 山東響馬(日本未公開、兼武術指導)
  • 大内高手(日本未公開)
  • 群英會(日本未公開)
  • 旋風レディ! 鉄掌拳(DVD題、兼武術指導)
  • 亡命徒(日本未公開)
  • 風雷魔鏡(日本未公開)
  • アンジェラ・マオの女活殺拳(劇場公開題、兼武術指導)
  • 霹靂拳(日本未公開)
1973年
1974年
1975年
  • 北雁南飛(公開不明)
  • 後生(日本未公開)
  • 花飛満城春(日本未公開)
  • 忠烈図(ビデオ題、兼武術指導)
  • 橫衝直撞小福星(日本未公開)
  • 艶窟神探(日本未公開)
  • 香港超人大破摧花黨(日本未公開)
  • 大千世界(日本未公開)
  • スカイハイ(劇場公開題、兼武術指導)
1976年
1977年
1978年
  • 死亡遊戯(兼武術指導)
  • 出鐘(ビデオ題名:脂粉大彗星、日本未公開)
1981年
1983年
1984年
1985年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
  • 密宗威龍(日本未公開)
  • 豪門夜宴(日本未公開)
1992年
  • 誓不忘情(日本未公開)
1993年
1996年
1997年
1998年
2001年
2003年
2004年
2005年
2007年
2008年
2010年
2011年
  • 燃えよ、マッハ拳!(DVD題)
  • 樂之路(日本公開未定、兼製作、※監督:洪天祥)
  • 桃姐(日本公開未定)
  • 赤裸戰士(日本公開未定)

[編集] テレビドラマ出演

1987年
  • 書劍恩仇録(日本未公開)※武術指導のみ
中国のテレビドラマ。
1995年
  • 人海孤鴻(日本未公開)※主演
台湾のテレビドラマ。共演:ティエン・ニウ(恬妞)、リッチー・レン(任賢齊)
2001年
  • 新蜀山劍侠(日本未公開)※出演
中国のテレビドラマ。
2003年
  • 特警飛龍(日本未公開、兼武術指導)※主演
中国のテレビドラマ。共演:サミー・ハン(洪天照)、ファン・ビンビン(范冰冰)
2003年
中国のテレビドラマ。
2005年
台湾のテレビドラマ。主演:ディラン・クオ(郭品超)
2007年
中国のテレビドラマ。主演:ニコラス・ツェー(謝霆鋒)共演: ユン・ピョウ(元彪)
2008年
  • 少林僧兵(日本未公開)※出演
中国のテレビドラマ。主演:サミー・ハン(洪天照)

[編集] アメリカ進出

サモ・ハン主演の米国テレビドラマ。彼は中国から来た刑事を演じ、香港流アクションを展開する。アメリカではCBSで放送され絶大な人気を博したが、高い人気にも関わらず第2シーズンで終了した。サモ自身は「打ち切られた理由は分からない」と語っている。
シーズン3 - 64話 「Play It Again, Sammo」
・サモは上記『LA大捜査線 マーシャル・ロー』の役で、ゲスト出演。
シーズン1 - 20話 「The Life Lost in Living」
・サモは自身の役で、ゲスト出演。
シーズン8 - 17話「 The Day of Cleansing: Part 2」
チャック・ノリス主演の米国テレビドラマ。サモは上記『LA大捜査線 マーシャル・ロー』の役で、ゲスト出演。

[編集] 監督のみ

1978年

  • 貂女(日本未公開、兼武術指導)※クレジットは武術指導のみ

1992年

  • 鬼猛脚(日本未公開)

1988年

1997年

[編集] 武術指導のみ

1966年

  • 大酔侠(ビデオ題、武術指導助手)(クレジットなし)

1970年

  • 十二金牌(日本未公開)

1973年

1974年

1977年

  • 追龍(日本未公開)

1978年

  • 谷爆(日本未公開)

1981年

  • 死亡の塔(クレジットなし)※世界公開版(死亡遊戯の未公開シーンの流用)

1984年

1986年

1988年

1993年

1994年

1995年

1997年

1998年

2002年

2004年

2003年

2008年

2010年

  • 狄仁杰之通天帝国(日本公開未定)

2011年

  • 大武生(日本公開未定)

[編集] 製作のみ

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1991年

  • 衞斯理之覇王卸甲(日本未公開)

1992年

[編集] CM出演

2010年 3月~

  • サントリー 黒烏龍茶(日本)

[編集] 福星シリーズ

  • 五福星(1983年)
  • 大福星(1985年)
  • 七福星(1985年)
  • 十福星(1986年)
  • 福星闖江湖(日本未公開、1989年)※サモは降板
  • 五福星撞鬼(日本未公開、1992年)
  • 運財五福星(日本未公開、1996年)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 新華社通信 (2007年12月9日). “據報英皇高層已證實巨星洪金寶去世”. 2010年4月6日閲覧。
  2. ^ 中國評論通訊社 (2007年12月9日). “死亡傳聞大整蠱 洪金寶:我仲未死!”. 2010年4月6日閲覧。
  3. ^ 香港文匯報 (2007年12月9日). “內地媒體誤傳洪金寶去世消息”. 2010年4月6日閲覧。
  4. ^ サーチナ (2007年12月10日). “「サモ・ハン急死」中国報道に本人激怒”. 2010年4月6日閲覧。
  5. ^ 人民日報 (2007年12月20日). “洪金寶哭笑不得出來證明自己還活著”. 2010年4月6日閲覧。
  6. ^ 人民日報 (2007年12月22日). “中青報:假消息泛濫讓公眾失去判斷”. 2010年4月6日閲覧。

[編集] 外部リンク

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