ブルース・リー
| ブルース・リー | ||||||||||
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香港のブルース・リーの銅像 |
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| 繁体字 | 李小龍 | |||||||||
| 簡体字 | 李小龙 | |||||||||
| 拼音 | Lǐ Xiǎolóng | |||||||||
| 粤拼 | lei5 siu2 lung4 | |||||||||
| 出生名 | 李振藩 拼音: Lǐ Zhènfān 粤拼: lei5 zan3 faan4 または lei jan faan[1] |
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| 祖籍 | 中国広東省仏山市順徳区均安鎮 | |||||||||
| 出生 | 1940年11月27日 サンフランシスコ |
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| 死没 | 1973年7月20日(32歳) 香港九龍塘 |
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| 墓地 | シアトル レイク・ビュー墓地 |
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| 別名 | 李源鑫 (族名) 李元鑒 (学名) 李鑫(芸名) 李敏(芸名) |
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| 英語名 | Bruce Lee | |||||||||
| 職業 | アクション映画俳優、脚本家、映画プロデューサー | |||||||||
| 活動期間 | 1941年-1973年 | |||||||||
| 配偶者 | リンダ・エメリー (1964年-1973年) | |||||||||
| 子供 | ブランドン・リー (1965年-1993年) シャノン・リー (1969年-) |
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| 親 | 李海泉 (1901年-1965年) 何愛瑜 |
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| 影響 | ジャッキー・チェン サモ・ハン・キンポー ジェット・リー ドニー・イェン 周星馳 |
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| 公式サイト | Bruce Lee Foundation The Official Website of Bruce Lee |
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Bruce Lee(李 小龍、リー・シャオロン、レイ・シウロン、1940年11月27日 - 1973年7月20日)は、サンフランシスコ生まれの中国人、中国武術家、武道家、香港の俳優、脚本家、映画プロデューサーである。身長171cm。截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。墓碑銘は「FOUNDER OF JEET KUNE DO」。息子はブランドン・リー。
目次 |
経歴 [編集]
出生・幼少時代 [編集]
父親の中国系で広東演劇の役者の李海泉と、ドイツ・中国人のハーフの母親グレイスが家族を連れて長期アメリカ巡業中、辰年の1940年11月27日、辰の刻(午前8時)にサンフランシスコのチャイナタウンの病院で生まれた。5人兄弟の次男。映画には芸名の李小龍で出演している。生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで製作された映画『金門女』(中国)に出演した。
その後イギリスの植民地下の香港に帰国した。1941年12月から日本とイギリスの間で開戦し、香港が日本軍の占領下におかれ香港での映画の製作が止まったために映画への出演は行っていないが、第二次世界大戦の終戦後にイギリスへ主権が戻り、映画の製作が再開された8歳頃から子役として数多くの映画に出演。幼少より、中国武術[2]の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)の指導で中国武術を身につける[3]。
また上海精武体育会香港分会にて北派少林拳の邵漢生に指導を受け、節拳(弾腿門)などを学んだ[4]。
渡米・結婚 [編集]
何不自由なく育ったリーの将来を心配した父は、「俳優の不良息子」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じる(アメリカで出生届を出していたので米国籍があった)。18歳のリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校のシアトル・セントラル・カレッジに通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。勉学に励むかたわら、「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。高校で哲学の講師もしていた。その頃、同じ大学の医学生で、道場の生徒だったスウェーデン系イギリス人リンダ・エメリーと結婚。その後、大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do/JKD/ジークンドー)を創始する。
武道家からアクションスターへ [編集]
1966年に、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳の演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢される。正義のヒーロー「グリーン・ホーネット」の助手兼運転手として、目の周辺だけを隠すマスク[5]をつけた日系アメリカ人のカトー役を演じ、派手なアクションで人気を博す。
これをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などのゲスト出演を重ねる[6]。『グリーン・ホーネット』の後、アメリカの連続テレビドラマ『燃えよ!カンフー』を企画し、自ら主演を願った。しかし、東洋人であることなどを理由に、主演の望みは叶わなかった[7]。
1970年に、香港の大手映画会社のショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)から独立したレイモンド・チョウ(鄒文懐)が設立したばかりのゴールデン・ハーベスト(嘉禾娯楽事業有限公司)と1本1万香港ドルで2本の映画出演の契約をする。翌1971年に、成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が公開され、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットになった。リーは、一躍、香港のトップスターに躍り出る。
主演第2作の『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を担当し、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、自ら「コンコルド・プロダクション」(協和電影公司、ゴールデン・ハーベストとの共同出資)を設立し、製作・監督・脚本・主演の四役を担った。この3作によって、リーは香港で不動のトップスターの地位を築き、ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港最大の映画会社となった。
1972年秋から、リーの2作目の監督映画『死亡遊戯』の撮影がスタートする。ところが、ハリウッドのワーナー・ブラザーズとコンコルド・プロダクションとの合作映画の企画が持ち上がり、『死亡遊戯』の製作は中断される。
1973年1月から、アメリカと香港の合作映画『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ監督)の撮影が始まる。かつて、『燃えよ!カンフー』の主演が叶わなかったリーの意気込みは並々ならぬものがあり、エキストラへの武術指導に始まり、脚本や撮影にも詳細な意見を出した。
死去 [編集]
1973年7月20日に、リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含むEquagesic)を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティン・ペイはレイモンド・チョウを呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。32歳であった。
葬儀は香港とシアトルで行われた。香港では数万人のファンが葬儀に押し寄せ、シアトルの葬儀にはリーの弟子だったジェームズ・コバーンやスティーブ・マックイーンも参列した[8]。遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。
リーの死後、彼が待望していた主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに世界各地で公開され、ヒットした。しかし、地元香港では、前作『ドラゴンへの道』の興行収入を大きく下回った[9]。
『燃えよドラゴン』でアクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、すでにリーは亡くなっていた。死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給された。
人物 [編集]
身長・体重はよく議論されるが、残されている記録では体重は57kgほど~65kg近くと、時期によってかなり違っていた。身長は『死亡遊戯』のパンフレットには163cmと記載されており、風間健の証言では166cmと言われており、倉田保昭の証言では167cmと言われており、リンダ・エメリー夫人の証言では170cmと言われており、書籍『伝説のブルース・リー』(「BLACK BELT」誌/編、呉春美/訳、松宮康生/監修(フォレスト出版))には175cmと記載されているが、『実録ブルース・リー/ドラゴンと呼ばれた男』をはじめ殆どの公式プロフィールでは171cmと記載されている。
怪鳥音 [編集]
独特の「アチョー」という叫び声は「怪鳥音」と呼ばれる。香港映画界では声優の吹き替えが一般的で、『燃えよドラゴン』以外の出演作は全て吹き替えだが、怪鳥音だけはリー自身の声である。ただし、北米版『ドラゴンへの道』と国際版『死亡遊戯』だけは別人の吹き替えで、あまりにやる気のない声が不評である。
武道家 [編集]
リーが正式に門下に入ったのは詠春拳のみだが、北派の中国拳法も数多く研究していた。『グリーン・ホーネット』のオーディション映像などでさまざまな型を演ずるのを見ることができる。なおオーティションで演舞した虎の型、流の型などは即興で行ったもので、どの中国武術にも存在しない。
アメリカ合衆国の空手家であるジョー・ルイスは1967年にリーと出会い、截拳道で導入されていたボクシンググローブとヘッドギアを身に纏ってのスパーリングや、格闘哲学を参考にした[10]。それまでアメリカ国内の空手の試合は、対戦相手の体に直接打撃せずに寸止めでポイントを争う試合が一般的だった。1970年1月17日に開催された空手大会では、スペシャルマッチとしてロサンゼルスで初めて、ボクシンググローブを着用して直接打撃する試合が行われた[11]。ルイスは2ラウンドKO勝ちし[11]、1974年にはアメリカンキックボクシングの団体であるPKAを設立している。
トレーニング [編集]
リーは映画俳優になっても決して現状に甘んじることはなく、武道家として絶えず修行怠ることはなかった。俳優とし映画ビジネスの世界で活躍しはじめ、多忙をきわめるなかにあっても、彼はトレーニングに励んだ。海外でのロケーションなどでしばらく自宅を離れるときは、専用の運動靴を持参し、ロケ先でトレーニングを行っていた。暇さえあれば握力を鍛えるボールを握ってはまた開き、そしてまた握るという繰り返し行うグリップ力向上の鍛錬やパンチをできるだけ早く打ち続けるトレーニングを行っていた。
リーはモハメッド・アリのビデオをすべて所有していた。ビデオの活用法はオーソドックス・スタイル(左を制する者は世界を制す)モハメッド・アリのスタイルをコピーするためビデオを鏡に映し、それをマネしてトレーニングを行う、リーはサウスポースタイルを基本としていて技術を組み立てていたのでかなり難しいトレーニングを行っていたこととなる。鏡に映る動きが本来の自分の動きになるまでトレーニングをした。
筋力トレーニングとして、アイソメトリック・トレーニング(アイソメトリクス)を積極的に取り入れていた。
そのほか [編集]
ダンスの才能もあり、チャチャが最も得意だった。香港のダンスコンテストで優勝したこともあり、その映像が出回っている。ダンスを習ったのは、武道とは無関係で、単に女性にモテたかっただけといわれている。
哲学を専攻していたこともあり、西洋および東洋思想に精通していたばかりか、ナポレオン・ヒルなどの自己啓発や哲人宗教家クリシュナムルティ[12][13]まで研究していた。その成果は、截拳道の思想面に活かされている。体を壊し、数ヶ月間の療養生活を余儀なくされた期間、数多くの本を読み漁りそれらを合わせると図書館ができあがるほどであった[14]。また画才もあり、古代中国の武術家のイラストで卓越したデッサン力や構図の構成力が発揮されている。
死因 [編集]
公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出された[15]ほか、脳が極度に肥大化していたことが判明した。検死報告によると、彼の脳は1,400gから1,575g(13%の増加)まで膨らんでおり、頭蓋内圧亢進により脳幹部が圧迫されて死に至ったと考えられている。
リーは、『燃えよドラゴン』の撮影約一ヵ月後の1973年5月10日にゴールデン・ハーベストのスタジオで、音声吹き込み中に、昏倒し意識不明の重体に陥り、そのまま病院に運ばれ2時間後に回復するも入院し、13日には退院している。その後、渡米し精密検査を受けるが結果は異常なしであったとされる。脳浮腫が起きた原因は背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用といわれている。
一部で既にリーの脳にあった腫瘍にこれらの薬が作用して破裂を起し脳浮腫になったと言う説もあるが、検死解剖では脳腫瘍並びにその破裂による脳内出血は確認されたと言う報告はない。唯一確認されているのは「脳浮腫」であり、これは脳腫瘍ではない。
死因に関して紛糾したため、香港政庁は1973年9月に死因究明裁判を開いた。死因究明裁判法廷書記長の藩健成によると、イギリス統治下にあった香港で出された正式な判決は【死因不明】である[16]。脳浮腫が起きた原因は確定されなかった。
イリノイ州シカゴにあるクック郡医療検査官事務所のジェームズ・フィルキンス(James Filkins)は、死因を『癲癇(てんかん)』であるとしている。 フィルキンスによれば、検死解剖による死因の公式発表にも誤りがあると指摘している。というのも、もし報告書どおり、リーの死因が鎮痛剤による過剰反応なのであれば、それはすなわちアナフィラキシーショックと呼ばれる発作を起こしたことになる。しかし、このアナフィラキシーショックは首のかぶれという外傷を呈するものであり、この場合、報告書に「目立った外傷はなし」との記述はなされていないはずということである。
フィルキンスは、リーは鎮痛剤による過剰反応によって死亡したのではなく、SUDEP(癲癇による突然死 sudden unexpected death in epilepsy)によって命を落としたのだと主張している。この症状が認識されたのは1995年からであるため、当時この可能性が検討されていなかったのは当然である。この症状は心肺停止を引き起こすため、イギリス国内では毎年500人がSUDEPで亡くなっている。特に20~40代までの人に多く見られ、睡眠不足やストレスから起こる可能性もあるという[17]。
交友 [編集]
友人・後輩 [編集]
- ジョー・ルイス - ロングビーチ空手チャンピオン。
- ユニコーン・チャン(小麒麟) - リーの亡くなった数年後に交通事故にて逝去したさい香港では「あの世で寂しくなった李小龍が、親友の小麒麟を連れて行った」と噂された。
- サモ・ハン・キンポー - 俳優、監督。サモ・ハンへのブルース・リーからのファーストコンタクト方法は目にも止まらぬ速さのサイドキックを一瞬で顔ぎりぎりのところで止めて見せた、あまりにも強烈な挨拶に腰が引けたという。
- ジャッキー・チェン - 俳優、監督。
- チャック・ノリス - 俳優、世界プロ空手ミドル級チャンピォン。『ドラゴンへの道』の敵役。
縁のある日本人 [編集]
- 千葉真一 - リーが共演の申し入れをしたことがある[18]。
- 西本正 - カメラマン。『ドラゴンへの道』、『死亡遊戯』の撮影監督。プライベートでも仲が良く、撮影終了後に「サイブン(西本氏のニックネーム、西本の広東語読み)さん、スキヤキ~」と言って毎晩のように香港の日本食レストランに足を運んだという。『燃えよドラゴン』のクランクアップ後西本にブルース・リーから電話があり、「今度、『死亡遊戯』の撮影を再度行うので、空けといてほしい」と連絡があったがかなわぬこととなった。
- 勝新太郎 - 来日したリーの依頼で、勝プロダクション所属の俳優を『ドラゴン怒りの鉄拳』に出演させる。リーは『座頭市』のファンで、自身が盲目の中国武術家を演じる写真も残っている。
- 倉田保昭 - 俳優、武道家。和製ドラゴンと呼ばれる。リーと交友があり、本人の談では沖縄空手の武具「ヌンチャク」を紹介したという。テレビドラマ『闘え!ドラゴン』や『Gメン'75』で演じた格闘シーンはリーの影響を受けている。『Gメン'75』には、『燃えよドラゴン』で「ボロ」を演じたヤン・スエが、敵役として何度も登場した。
- 風間健 - 元キック・ボクサー、俳優。日本でのブルース・リー・ブームの際、彼と親交があったとして、日本ブルース・リー・ファンクラブを主催。また、監修本、便乗レコード等に多数関係。
門下生 [編集]
直弟子 [編集]
- ダン・イノサント
- テッド・ウォン
- ターキー木村 - 日系二世の武道家。リーの弟子で「振藩國術館」の設立に関わり、シアトルの道場の責任者でもあった。
- カリーム・アブドゥル=ジャバー
- ジェームズ・コバーン - 親交が深く2人で脚本を手掛けた『サイレント・フルート』という映画で共演する予定だった。インドでロケ・ハンまで行われたが、リーの死で中止となった[19]。
- スティーブ・マックイーン - チャック・ノリスにも師事している。
孫弟子 [編集]
映像作品 [編集]
渡米前 [編集]
香港で少年期、青年期に出演した作品。いくつかは香港、アメリカなどでVCD、DVDがリリースされている。日本では2003年に"BRUCE LEE ULTIMATE COLLECTION -李小龍的追悼秘蔵収集- ブルース・リー アルティメット・コレクション"のタイトルで販売された。
- 『金門女』(1941年)
- 『富貴浮雲』(1948年)
- 『夢裡西施』(1949年)
- 『樊梨花』(1949年)
- 『花開蝶滿枝』(1950年)
- 『細路祥』(1950年)日本題名『ドラゴン スモール・ブラザー』
- 『凌霄孤雁』(1950年)
- 『人之初』(1951年)
- 『苦海明燈』(1953年)日本題名『ドラゴン スパーク・オブ・ホープ』
- 『慈母涙』(1953年)
- 『父之過』(1953年)
- 『千萬人家』(1953年)日本題名『ドラゴン ミリアッド・ファミリー』
- 『危樓春暁』(1953年)
- 『愛(下集)』(1954年)
- 『孤星血涙』(1955年)日本題名『ドラゴン オーファン』
- 『守得雲開見月明』(1955年)
- 『孤兒行』(1955年)
- 『兒女債』(1955年)
- 『詐癲納福』(1956年)
- 『早知當初我唔嫁』(1956年)
- 『雷雨』(1957年)
- 『甜姐兒』(1957年)
- 『人海孤鴻』(1958年)
渡米後 [編集]
- TVシリーズ
- 『グリーン・ホーネット』(1966年〜1967年、原題:The Green Hornet)全26話に出演。助手「Kato(ケイトーと発音される。加藤か?)」を演じる。
- 毎週金曜日の午後7時半から8時に米ABC系で放映。日本では1967年にテレビ放映。死後、3話ずつ繋ぎ合わせ『ブルース・リーのグリーン・ホーネット』『ブルース・リー in グリーン・ホーネット2 電光石火』として東宝東和より劇場公開された。
- 『バットマン』(1966年〜1967年、原題:Batman)特別編など3エピソードにKato役でゲスト出演。
- 『鬼警部アイアンサイド』(1967年、原題:Iron side)クンフー教師役で出演。
- 『ブロンディ』(1968年、原題:Blondie)クンフー教師役で出演。
- 『略奪された百人の花嫁』(1968年、原題:Here Come The Brides)
- "Marriage,Chinese Style"の回に中国人花婿役で出演。
- 『復讐の鬼探偵ロングストリート』(1970年〜1971年、原題:Longstreet)
- "The Way of The Intercepting Fist"、"Spell Legacy Like Death"、"Wednesday's Child"、" I See, Said The Blind Man"の4エピソードに出演。
- 映画
香港帰国後 [編集]
- 映画
- 『ドラゴン危機一発』(1971年、原題:唐山大兄 THE BIG BOSS、1971年10月31日~11月22日3,197,416香港ドル、香港では『サウンド・オブ・ミュージック』や『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』を破る最高記録。日本では1974年の洋画部門の興行収入第4位、6億円)- チェン・チャオワン
- 『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971年、原題:精武門 FIST OF FURY、日本では1974年洋画部門の興行収入第4位、6億円)- 陳真(チェン・ジェン)
- 『ドラゴンへの道』(1972年、原題:猛龍過江 THE WAY OF THE DRAGON)- タン・ロン
- 『燃えよドラゴン』(1973年、原題:ENTER THE DRAGON 龍争虎闘、日本では1974年洋画部門の興行収入第2位、16億4200万円)- リー
- 『死亡遊戯』(1978年、原題:死亡遊戯 GAME OF DEATH)- ビリー・ロー ※この映画を「リー主演映画」とすることには一部で異論がある
短編フィルム [編集]
リーの死後、未公開映像として公開されたもの。
- 「チャーリー・チャンの息子」スクリーンテスト(1966年)
- 「グリーン・ホーネット」スクリーンテストフィルム1&2(1966年)
- 「グリーン・ホーネット」衣装テストフィルム(1966年)
- 「U.S. Gung Fu Television Demo」(1966年)
- テレビ番組「Milton Berle Show」に出演した際の武術デモンストレーション。
- 「Bruce Lee : The Lost Interview」(1971年)
- カナダの作家ピエール・バートンが香港TVBスタジオでインタビューしたフィルム。現存する唯一のインタビュー映像。
- 「アーナ・カプリフィルム」
- 『燃えよドラゴン』で競演した女優のアーナ・カプリが個人撮影した8ミリフィルム。イベントで公開された。
関連映画・ドラマ [編集]
リーが間接的に関係する映画、未発表フィルムを使った映画、ドキュメンタリー映画、伝記映画など。
- アクション指導
- 『サイレンサー/破壊部隊』(1968年、ディーン・マーティン主演)
- 『春の雨の中を』(1969年、アンソニー・クイン主演)
- 原案
- 『燃えよ!カンフー』(1973年、デビッド・キャラダイン主演)
- 『サイレントフルート』(1977年、デビッド・キャラダイン主演)
- 未発表フィルム使用
- ドキュメンタリー映画
- 『ブルース・リーの生と死』(1973年、原題:李小龍生與死 BRUCE LEE:THE MAN AND THE LEGEND)
- 『ブルース・リーの神話』(1984年、原題:李小龍生與死 BRUCE LEE THE LEGEND)
- 伝記映画
- 『実録 ブルース・リーの死』(1975年、ダニー・リー主演)
- 『ブルース・リー物語』(1976年、ホー・チョンドー主演)
- 『ドラゴン/ブルース・リー物語』(1993年、ジェイソン・スコット・リー主演)
- 伝記テレビドラマ
- 全50話の伝記ドラマ。中国にて、平均視聴率、最高視聴率の新記録を打ち立てた。
※その他、リーの映像を一部だけ使い「ブルース・リー出演」と銘打った映画は、『麒麟掌』(1973年、小麒麟(ユニコーン・チャン)主演。武術指導をしている姿を盗み撮りして無断使用)など数多い。
パロディ・オマージュ映画、リーに影響された映画など [編集]
詳細はブルース・リーが主演・出演している映画・ドラマのそれぞれの項を参照。
- 『ドラゴン水滸伝』 - 1975年。『封神演義』を題材としたアニメ映画。リーを思わせる風貌の楊戩が登場する。
- 『燃えよデブゴン』 - 1978年。サモ・ハン・キンポーが、リーへのオマージュを込めて制作した映画。
- 『ラストドラゴン』 - 1985年。リーに憧れる黒人青年の物語。
ソックリさん [編集]
リーの死後、香港や台湾では「ドラゴン映画」「リー映画」が数多く製作され、多くのソックリさんが登場した。いずれもヒット作品とはならなかったが、一部には「ソックリさん映画」のコレクターもいる。
- ブルース・リィ(ホー・チョンドー) - 台湾の武道家・俳優。日本のTVドラマ『Gメン'75』にも出演した。
- ドラゴン・リー - 韓国出身の俳優。
- ブルース・リ - 香港の俳優。
- タン・ロン - 韓国出身の俳優。『死亡の塔』に主演。
- 石天龍(シー・テンロン、ドラゴン・セキ) - 中国の俳優。
- 陳国坤(チャン・クォックァン) - 香港の俳優。周星馳(チャウ・シンチー)によって見出され、『少林サッカー』『カンフーハッスル』に出演。連続テレビドラマ『ブルース・リー伝説』では、リーを演じる。
漫画、ゲーム、アニメへの影響 [編集]
漫画 [編集]
- ブロース・ドラゴン - 石ノ森章太郎原作の『番長惑星』のキャラクター。
- 雷音竜 - 風忍原作の『地上最強の男 竜』の主人公。
- ドラゴン撃ちの竜 - 『プロゴルファー猿』の敵キャラクター。
- 『北斗の拳』 - 主人公ケンシロウの描写にはブルース・リーの影響が見られる。
- 怒裸権榎道 - 『ハイスクール!奇面組』のキャラクター。初登場時のイメージBGMは『燃えよドラゴン』のテーマ。
- 烈海王 - 板垣恵介原作の『グラップラー刃牙』に登場するキャラクター。
- 春巻龍 - 『浦安鉄筋家族』に登場するリーのパロディキャラクター、その他にもブルース・リーのパロディキャラクターが出てくる。
- 李小狼 - 『カードキャプターさくら』の味方キャラクター。外見的特徴への影響はないが、名前がブルース・リーの中国名「李小龍」と一字違いであることと、誕生日がブルース・リーの命日と同じ月の7月である点が挙げられる。
- 『NARUTO -ナルト-』 - マイト・ガイとロック・リーの描写にはリーの影響が見られる。両者とも体術のスペシャリストとして描かれている。
- 李白竜 - 『シャーマンキング』に登場するこの霊の元ネタとなった。ここでは死因は銃殺。
- 『紅の挑戦者』
アニメ [編集]
- 『破裏拳ポリマー』 - 主人公・鎧武士の外見や格闘アクションにリーの影響が見られる。
- スパイク・スピーゲル - 『カウボーイビバップ』の主人公。截拳道の達人で、ブルース・リーを心の師と仰ぐ。
- ギョーザ・リー - 『おでんくん』のアニメオリジナルキャラクター。
特撮 [編集]
- ブルーサ・イー - 『獣拳戦隊ゲキレンジャー』に登場する獣拳の創始者。
- ワルツ・リー - 『快傑ズバット』の悪役ゲストキャラクター。
- 朔田流星/仮面ライダーメテオ - 『仮面ライダーフォーゼ』に登場する2号ライダー。
ゲーム [編集]
- フェイロン - 格闘ゲーム『ストリートファイター』。
- マーシャル・ロウ - 格闘ゲーム『鉄拳』。
- フォレスト・ロウ - 格闘ゲーム『鉄拳』。
- ドラゴン - 格闘ゲーム『ワールドヒーローズ』。
- ジャン・リー - 格闘ゲーム『デッドオアアライブ』。
- 王 - アクションゲーム『THE 功夫』。
- ホワン・ヤンロン - 『スーパーロボット大戦シリーズに登場するバンプレストオリジナルの架空のロボットアニメ『魔装機神 THE LORD OF ELEMENTAL』のキャラクター。
- ダブルドラゴンシリーズ - テクノスジャパン制作の格闘ゲーム。
- 『ペルソナ4』 - 登場人物の里中千枝が戦闘終了後にブルース・リーのセリフを喋ることがある。
その他、特記事項 [編集]
- 生前に特別に内外装をしつらえたロールス・ロイスを発注したが、納車された時にはすでに故人となっていた。
- 日本での劇場公開時、『ドラゴン危機一発』、『ドラゴン怒りの鉄拳』、『ドラゴンへの道』の3作には、日本側の配給元がマイク・レメディオスが歌う日本オリジナルの主題歌やBGMを挿入していた。現在、発売されているDVDには、当時の主題歌やBGMは使われていない。長年レメディオスは「謎の歌手」だったが、日本のファンがポルトガル系香港人だと突き止めた。その後、ファンが主導して主題歌の再収録[20]や、日本にノラ・ミャオとともに招いてトークイベント[21]などが行われ、2007年10月に新たに収録した「SONG OF DRAGON Mike Remedios The Final」(Chife Delight Music)というCDが発売された
- 遺品(免許証.サングラス.契約書)が『開運!なんでも鑑定団』(04年6月22日放送)に登場。高額な鑑定結果となった。
- アメリカ国内で「有名な日本人は?」と質問すると「ブルース・リー」と回答する人が多い。 その理由はブルース・リーがグリーン・ホーネットにおいて「KATO(カトー)英語読みではケイトー」という名前の日本人の役を演じていた為に、現在でも多くのアメリカ人が「ブルース・リーは日本人である」と勘違いしてるからだと言われている。 なお、ブルース・リー本人は自分が日本人に勘違いされることをかなり嫌っていた。
参考文献 [編集]
- 『ブルース・リー 永遠のドラゴン』日野康一著(1974年12月、芳賀書店)ISBN 4826100264
- 『闘魂ブルース・リー』日野康一著(1982年10月、芳賀書店)ISBN 4826105029
- 『ブルース・リー 不滅のドラゴン』スクリーン著(1985年12月、近代映画社)ISBN 4764812959
- 『ブルース・リー・ストーリー』リンダ・リー著(1993年10月、キネマ旬報社)ISBN 487376064X
- 『ブルース・リー・メモリアル』リンダ・リー他著(1994年7月、キネマ旬報社)ISBN 4873760925
- 『映画秘宝 Vol.3 ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!』(1995年12月、洋泉社)
- 『ブルース・リーの燃えよドラゴン完全ガイド』ロバート・クローズ著(1996年4月25日、白夜書房)ISBN 4-89367-497-8
- 『截拳道への道』ブルース・リー著(1997年5月15日、キネマ旬報社)
- 『ブルース・リー・リターンズ 超人伝説』(1997年8月8日、キネマ旬報臨時増刊号)
- 『伝説のブルース・リー』BLACK BELT誌編(1998年4月、フォレスト出版)ISBN 4894510502
- 『ブルース・リー・クロニクル』松宮康生著(1998年8月、フォレスト出版)ISBN 4894510561
- 『ブルース・リー ザ・ファイター』M・ウエハラ著(1998年11月9日、フォレスト出版)ISBN 4894510634
- 『李小龍大全 / The Bruce Lee Library』(1998年12月18日、ソニーマガジンズ)ISBN 4789713342
- vol.1 ドラゴンかく語りき[インタヴュー 1958〜1973] ジョン・リトル編
- vol.2 グンフーへの道[中国武術の研究] ブルース・リー著 / ジョン・リトル編
- vol.3 截拳道[ブルース・リーの格闘哲学] ブルース・リー著 / ジョン・リトル編
- 『BRUCE LEE THE GREATEST』松宮康生著(1999年8月30日、フォレスト出版)ISBN 4894510847
- 『ブルース・リー最後の真実』松宮康生著(2008年9月2日、ゴマブックス)ISBN 978-4-7771-1097-1
脚注 [編集]
- ^ 広東語は香港商務印書館1989年版「普通話粤音商務新詞典」、李珍華・周長楫編「漢字古今音表」修訂本(北京中華書局1999年)、華南師範大学中文系編「広州音字典」(香港三聯書店1985年版)などにもとづく。
- ^ 中国大陸では「武術」、中華民国などでは「国術(國術)」とも呼ばれる。海外ではカンフーの名称が一般的だが、空手や拳法と誤認されることもある。
- ^ 少年の頃、道場にはバスで通い、バス停で他の生徒に「今日も休みだ」と嘘をついて帰らせ、葉問の個人レッスンを受けたという逸話がある。
- ^ 映画『ドラゴン怒りの鉄拳』は精武体育会についての伝説(史実ではない)がテーマである。
- ^ このマスクは、後に映画『キルビル』で「カトーマスク」と呼ばれる。
- ^ カトー役のイメージのため、リーを日本人だと誤解しているアメリカ人も多かった。
- ^ 主人公の混血児ケインを演じたのはデビッド・キャラダイン。
- ^ この葬儀の様子は『死亡遊戯』の中で実際に使われている。
- ^ この現象について、映画関係者や批評家は、「香港や中国の観客は、リーのような小柄で細身の田舎者が、日本人や屈強な白人を痛快に叩きのめすような内容の作風を望んでいたから」などと分析している(『ブルース・リーの燃えよドラゴン完全ガイド』ロバート・クローズ著(白夜書房))。
- ^ Black Belt 1992年 5月号 24ページ Jeet Kune Do's Kickboxing Phase by Jerry Beasley, Ed.D.
- ^ a b Black Belt 1992年 5月号 27ページ The Birth of Competition JKD by Jerry Beasley, Ed.D.
- ^ "KRISHNAMURTI 100 years" Evelyne Blau,Stewart, Tabori and Chang においてジークンドー思想との類似性が指摘されている。
- ^ 『截拳道への道』に「断片ではなく全体を見ること」という記述があるが、ここでクリシュナムルティの名がメモされている。
- ^ 主に哲学や各種マーシャルアーツに関する本を多く読んでいたとされる。
- ^ アメリカでは大麻は医療大麻=鎮痛剤として使われている。
- ^ 1998年11月6日テレビ放送「驚きももの木20世紀」の『アジアの肉体 BODY/SOUL ブルース・リー伝説』
- ^ Epilepsy could solve mystery of kung fu legend's death
- ^ 『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年8月、 32頁。
- ^ その後、1977年にデビッド・キャラダイン主演で映画化。
- ^ 『甦れマイレメ!!』香港レコーディング・レポート
- ^ Mike Remedios Live in Japan イベントレポート
外部リンク [編集]
- Bruce Lee - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- 嘉禾娛樂事業有限公司/Golden Harvest
- ブルース・リー財団
- ブルース・リー・クラブ
- 中國武藝師傳系統表(削除)
- 中國武藝師傳系統表(ミラー | 横浜中華街 天宝堂ブログ)