四方田犬彦
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四方田 犬彦(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、大阪府生まれの比較文学者、映画史家である。
東京大学人文系大学院比較文学比較文化科博士課程中退。専攻は比較文学、映画史、漫画論、記号学。本人は「映画評論家ではない」と言っているが、その肩書が用いられることがある。蓮實重彦門下と見られがちだが、当初は由良君美の一般教養ゼミに所属、宗教学科時代は柳川啓一に師事、大学院では芳賀徹・佐伯彰一の門下。
本名は、四方田 剛己(- ごうき)。旧姓名、小林剛己。妻は台湾日本文学研究者の垂水千恵。母方の遠縁に岡田節人がいる[1]。本来は「四方田 丈彦」との筆名を用いるつもりだったが、出版社に「四方田 "犬"彦」と誤植され、そのまま筆名にしたという説があるが、『待つことの悦び』(青玄社、1992年)所収「ぼくの本当の名前」ではこの説は間違いであると述べ、カール・パーキンスの「マッチボックス」の一節"I'll be a little dog till your big dog comes"に由来すると説明している。本名のローマ字表記では好んで「Gorki Yomota」と自署する。これは、マクシム・ゴーリキーを崇拝する父親がこの文豪の筆名に因んで彼に剛己と命名したことに由来するという。
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[編集] 人物・経歴
大阪市天王寺区の聖バルナバ病院に生まれる。父はダイハツの輸出部門に勤務する商社員。1953年から1956年まで西宮市今津浜田町で育つ。両親共に本貫は島根県。母方の祖父は関西では高名な弁護士であり、大阪府箕面市箕面町平尾に敷地3000坪の豪邸を構えていたという。
1956年、母方の祖父が持っていた箕面市半町の家作に転居。箕面市立南小学校に入学したが、1963年3月、東京都世田谷区下馬町の社宅に転居。目黒区立五本木小学校に越境入学する。このころ貸本漫画『墓場鬼太郎』『忍者武芸帳』に熱中。1964年、小学校で2年上級の原将人から、その弟を介して、創刊まもない『ガロ』を借り受けて夢中になる。日本進学教室では国立二組(国立中学受験組)に属し、1位や優秀賞をたびたび受賞。1965年4月、東京教育大学農学部附属駒場中学校に入学。1967年の春休みに高校課程の数学を独学で全て修了したと自称。同年7月、東京都杉並区下高井戸(現在の杉並区浜田山)に転居。1969年には教駒全共闘のバリケード封鎖に参加するも、首謀者が半日で解除したことに失望し、高校を中退するつもりで銀座二幸のケーキ工場で働いたが、のち復学。この当時の体験は『ハイスクール1968』に詳述されているが、当時の同級生の鈴木晶からは「四方田が大法螺吹きであることは、業界では知らぬ者はない。私も慣れている」「同級生に取材して書いたにもかかわらず、その同級生たちのことをわるく書き、自分だけは憂いを帯びた哲学的な高校生として描いている」「小説なら許せるが、あたかも実録のように書いているから、たちがわるい。ほとんど嘘なのに。しかし、もし小説家だったら、自分がいかにカッコイイ高校生だったかを世間にアピールしたくて、こんなものを書いたりはしない。そんな小説家は見たことがない。こういうものを書く神経が、私には理解できない」[2]と批判されている。
1972年3月、両親の離婚に伴って小林姓から四方田姓となり、武蔵野市吉祥寺南町に転居すると共に東京大学文科III類に入学。東大宗教学科の同級に島田裕巳、渡辺直樹(後の『週刊SPA!』編集長。1991年には四方田と組み、同誌で「カッコいい在日韓国人」の特集を編集)、上級に植島啓司、中沢新一、中原俊がいた。
大学在学中に映画同人誌「シネマグラ」(1977年-)の同人として映画批評を始める。1979年から1年間、建国大学校師範大学の日本語教師としてソウルに滞在。1980年秋、東京大学大学院博士課程を休学してロンドンに滞在、このときロレンス・ダレルとジャン=リュック・ゴダールに偶然邂逅。同年、江藤淳の秘書になる話を断る。
1983年6月、垂水千恵との結婚に伴って横浜市港北区仲手原に転居。 1984年、自著『映像の招喚』を澁澤龍彦に送り激励の手紙を受け取る。1984年-1985年、雑誌『GS-たのしい知識』(冬樹社)の編集委員(3号まで)として、浅田彰、伊藤俊治らと同誌の編集に関わる。また、赤瀬川原平の『路上観察学会』の創設にも参加。
1987年3月から1年間、コロンビア大学特別研究員就任に伴ってニューヨーク市マンハッタンに滞在。1988年4月に横浜市の旧居へ戻ったが、垂水の台湾留学に伴って、東京都中央区月島の築50年の三軒長屋に単身移住(以後、垂水とは別居生活に入る)。1994年3月、明治学院大学を休職してボローニャに移住、ボローニャ大学に客員研究員として勤務。1995年に日本へ戻り、東京都港区高輪の伊皿子アパートメントに転居。2004年春、文化庁の文化交流使節としてテルアヴィヴに移住してテルアヴィヴ大学で客員教授を半年間務めた後、ベオグラードに移り、民族学博物館に籍を置きつつ、コソヴォのプリシュティナ大学分校で客員教授を務める。帰国後、2005年に東京都新宿区矢来町へ移住。同年から黒澤明記念ショートフィルム・コンテスト審査委員を務める。
2007年、日本財団の援助を受け、APIフェローとして夏に2ヶ月間ジャカルタのシネマテク・インドネシアに滞在し、インドネシアの怪奇映画を研究。2008年2月から4月までAPIフェローとしてバンコクのチュラロンコン大学に滞在し、タイの怪奇映画について研究。ジョグジャカルタのガジェマダ大学でAPIフェローとして東南アジアの怪奇映画について発表。
漫画研究では、最も愛する漫画家である水木しげると白土三平の2人に特に力を注ぐ。1994年に発表した大著『漫画原論』では、20世紀の初頭から世紀末に至るまでのほぼ全方位の日本漫画を、吹き出し・コマ割り・ベタ塗りなど画面の構成や描写の技法などの観点から、徹底して分析した。漫画を形成する重要な要素でありながらそれまでほとんど注目されて来なかった、漫画特有の文法や法則や表現方法を実に緻密に読み解き、高い評価を獲得した。
映画研究では、北野武、押井守、黒沢清、原節子、李香蘭等、日本映画を重点的に研究。日本映画とアジア各国との重要な関係性にも注目している。 明治学院大学では、映画史、映画理論を講じ、門下には平沢剛、山本直樹、大嶺沙和などがいる。
また、文学研究としては、中上健次を主に論評の対象としており、生前の中上とも親交があった。
その他にも、国内外の小説、詩歌、叙事詩、演劇、アート、音楽、マイノリティ文化、食、旅行など、幅広い分野での著作活動を行っている。鹿島茂からは、『星とともに走る』の書評において「永遠の高校生」と評された[3]。
建国大学校に勤務した経験があり、韓国文化、韓国文学、韓国映画にも大変に造詣が深い。1979年、朴正煕独裁下の韓国に留学し、対日協力詩人とされる金素雲に会っており、長らく保守と見られていたが、1990年代から左派的な言動が増えてきた。ただし、1991年に柄谷行人・田中康夫らが行った、日本の「湾岸戦争関与」に反対しての「『「文学者」の討論集会』アッピール」には勧誘されたが参加せず、逆に参加者たちを批判した。
2009年1月、共著等も含む「著作100冊到達」を記念して、それまでの99冊からの自選ベスト集『濃縮四方田』を彩流社から刊行。
[編集] 学歴
- 1965年 目黒区立五本木小学校卒
- 1968年 東京教育大学農学部附属駒場中学校卒業
- 1971年 東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現在の筑波大学附属駒場中学校・高等学校)卒業、駿河台予備校に通う。
- 1972年 東京大学教養学部文科三類に入学
- 1974年 東京大学文学部宗教史宗教学科に進学。
- 1976年 東京大学宗教学科卒業、同人文系大学院比較文学比較文化専攻修士課程進学
- 1979年 修士課程修了、博士課程進学。修士論文「ジョナサン・ソフィスト」はスウィフト論で、のち『空想旅行の修辞学』として刊行される。
- 1984年 博士課程中退
[編集] 職歴
- 1979-80年 建国大学校師範大学客員教授。
- 1981年より、明治学院大学、東京歯科大学非常勤講師(英語)
- 1982年より、日本ジャーナリスト専門学校講師(英語)
- 1984年 東洋大学専任講師(英語)
- 1987年 コロンビア大学東アジア学科客員研究員。
- 1990年 明治学院大学文学部芸術学科助教授。
- 1992年-1993年 東京大学教養学部非常勤講師
- 1994年 ボローニャ大学芸術学部客員研究員
- 1995年 明治学院大学教授
- 2000年 中央大学校(ソウル)客員教授
- 明治学院大学言語文化研究所所長兼任。
[編集] 受賞歴
- 1993年 - 『月島物語』で第1回斎藤緑雨賞。
- 1998年 - 『映画史への招待』で第20回サントリー学芸賞社会・風俗部門。
- 2000年 - 『モロッコ流滴』で第11回伊藤整文学賞評論部門、第16回講談社エッセイ賞。
- 2002年 - 『ソウルの風景――記憶と変貌』で第50回日本エッセイスト・クラブ賞。
- 2004年 - 『白土三平論』で児童文学学会特別賞。
- 2008年 - 『日本のマラーノ文学』『翻訳と雑神』で第11回桑原武夫学芸賞。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『リュミエールの閾』(朝日出版社、1980年)
- 『映像の招喚 - エッセ・シネマトグラフィック』(青土社 1983年)
- 『人それを映画と呼ぶ』(フィルムアート社 1984)
- 『クリティック』(冬樹社 1984年、のち増補して『改定版クリテック』)
- 『映像要理』(朝日出版社、1984年)
- 『映画はもうすぐ百歳になる』(筑摩書房 1986年)
- 『封切り日が待ちどおしい』(青土社 1987年)
- 『われらが「他者」なる韓国』(PARCO出版局 1987年/[平凡社ライブラリー] 2000年)
- 『哲学書簡』(哲学書房 1987年)
- 『最新流行』(青土社 1987年)
- 『貴種と転生』(新潮社、のち『貴種と転生・中上健次』、のちちくま学芸文庫)
- 『食卓の上の小さな渾沌』(筑摩書房 1987年)
- 『もうひとりの天使』(河出書房新社 1988年)
- 『叙事詩の権能』(哲学書房 1988年)
- 『感情教育』(河出書房新社 1988年)
- 『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』(朝日新聞社 1989年)
- 『黄犬本』(扶桑社 1991年)
- 『魯迅 -- めざめて人はどこへ行くか』(ブロンズ新社 1992年)
- 『越境のレッスン -- 東アジアの現在・五つの対話』(丸善 1992年)
- 『映画のウフフッ』(フィルムアート社 1992年)
- 『待つことの悦び』(青玄社 1992年)
- 『月島物語』(集英社 1992年/集英社文庫 1999年/増補版『月島物語、ふたたび』工作舎、2007年)
- 『眼の破裂』(四方田剛己名義、百頭社(自費出版) 1993年)
- 『ドルズ・ハウスの映画館』(悠思社 1993年)
- 『文学的記憶』(五柳書院 1993年)
- 『読むことのアニマ』([筑摩書房] 1993年)
- 『赤犬本』(扶桑社 1993年)
- 『電影風雲』(白水社 1993年)
- 『回避と拘泥』(立風書房 1994年)
- 『漫画原論』(筑摩書房 1994年/ちくま学芸文庫 1999年)
- 『映画はついに百歳になった』(日本放送出版協会、1995年)
- 『オデュッセウスの帰還』(自由国民社 1996年)
- 『空想旅行の修辞学--「ガリヴァー旅行記」論』(七月堂 1996年)
- 『心ときめかす』(晶文社 1998社)
- 『映画史への招待』(岩波書店 1998年)
- 『旅の王様』(マガジンハウス 1999年)
- 『星とともに走る』(七月堂 1999年)
- 『狼が来るぞ!』(平凡社 1999年)
- 『日本映画のラディカルな意志』(岩波書店 1999年)
- 『モロッコ流滴』(新潮社 2000年)
- 『日本映画史100年』(集英社新書 2000年)
- 『日本の女優』(岩波書店 2000年)
- 『けだものと私』(淡交社 2000年)
- 『マルコ・ポーロと書物』(枻出版社 2000年)
- 『ハイスクール・ブッキッシュライフ』(講談社 2001年)
- 『アジアのなかの日本映画』(岩波書店 2001年)
- 『ソウルの風景 -- 記憶と変貌』岩波新書 2001年)
- 『大好きな韓国』(日本放送出版協会、2002年。増補版バジリコ 2003年)
- 『映画と表象不可能性』(産業図書 2003年)
- 『アジア映画の大衆的想像力』(青土社 2003年)
- 『摩滅の賦』(筑摩書房 2003年)
- 『指が月をさすとき、愚者は指を見る 世界の名セリフ50』(ポプラ社、2003年)
- 『ハイスクール1968』(新潮社 2004年)のち文庫
- 『白土三平論』(作品社 2004年)
- 『航海の前の読書』(五柳書院 2004年)
- 『心は転がる石のように--Papers 2003-2004』(ランダムハウス講談社 2004年)
- 『見ることの塩--パレスチナ・ボスニア紀行』(作品社 2005年)
- 『ラブレーの子供たち』(新潮社 2005年)
- 『ブルース・リー--李小龍の栄光と孤独』(晶文社 2005年)
- 『「かわいい」論』(ちくま新書 2006年)
- 『パレスチナ・ナウ --《戦争/映画/人間》』(作品社 2006年)
- 『人生の乞食』(書肆山田 2007年) - 詩集
- 『先生とわたし』(新潮社 2007年)
- 『驢馬とスープ―papers2005-2007』(ポプラ社 2007年)
- 『人間を守る読書』(文春新書 2007年)
- 『日本映画と戦後の神話』(岩波書店 2007年)
- 『日本のマラーノ文学-Dulicine roja』(人文書院 2007年)
- 『翻訳と雑神―Dulcinea blanca』(人文書院 2007年)
- 『四方田犬彦の引越し人生』(交通新聞社 2008年)
- 『日本の書物への感謝』(岩波書店、2008年)
- 『濃縮四方田』(彩流社、2009年)
- 『怪奇映画天国アジア』(白水社、2009年)
- 『歳月の鉛』(工作舎、2009年)
[編集] 共著
- (平岡正明) 『電撃フランク・チキンズ』(朝日出版社,1985年)
- (タイガー立石) 『タイガー立石のデジタル世界』(思索社、1985年)
- (勅使河原宏、大河内昭爾) 『前衛調書』(学藝書林、1989年)
- (丹生谷貴志、松浦寿輝、柳瀬尚紀) 『吉田健一頌』(書誌風の薔薇、1990年)
- (李鳳宇) 『先に抜け、撃つのは俺だ』(アスペクト, 1998年/増補改題版『パッチギ!対談篇 -- 喧嘩、映画、家族、そして韓国』朝日新聞社[朝日選書], 2005年)
- (布施英利・石田佐恵子・赤木かん子・柏木博・香山リカ・高山宏・松岡正剛・金子郁容) 『コミックメディア----柔らかい情報装置としてのマンガ』(NTT出版、 1992年)
- (金光英実) 『ためぐち韓国語』(平凡社[平凡社新書], 2005年)
- (草森紳一)『アトムと寅さん 壮大な夢の正体』(河出書房新社、2005年)
- (也斯)『往復書簡 いつも香港を見つめて』(岩波書店, 2008年)
- (倪震)『日中映画論』(作品社, 2008年)
[編集] 編書
- 『あんにょん・ソウル 韓国日常雑貨事典』(洋泉社、1986年)
- 『映画監督溝口健二』(新曜社, 1999年)
- 『明治の文学 泉鏡花』(筑摩書房、2001年)
- 『李香蘭と東アジア』(東京大学出版会, 2001年)
- 『ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明』(芳賀書店, 2001年)
- 『思想読本(9)アジア映画』(作品社, 2003年)
- 『吉田喜重の全体像』(作品社, 2004年)
- 『女優山口百恵』(ワイズ出版,2006年)
- 『大島渚著作集 1~3』(現代思潮新社, 2008年~2009年)
[編集] 共同での編書
- (柄谷行人・浅田彰・渡部直己) 『中上健次全集 全15巻』(集英社、1995年-1996年)
- (今福龍太・沼野充義) 『世界文学のフロンティア 全6巻』(岩波書店, 1996年-1997年)
- (堀潤之) 『ゴダール・映像・歴史 -- 「映画史」を読む』(産業図書, 2001年)
- (青木保・姜尚中・小杉泰・坂元ひろ子・莫邦富・山室信一・吉見俊哉) 『アジア新世紀(全8巻)』(岩波書店, 2002年-2003年)
- (斉藤綾子) 『映画女優若尾文子』(みすず書房, 2003年)
- (斉藤綾子) 『男たちの絆、アジア映画 -- ホモソーシャルな欲望』(平凡社, 2004年)
- (柴田元幸,沼野充義,藤井省三)『世界は村上春樹をどう読むか a wild Haruki chase』(文藝春秋、2006年)
- (平沢剛) 『若松孝二反権力の肖像』(作品社, 2007年)
- (大嶺沙和)『沖縄映画論』(作品社,2007年)
[編集] 訳書
- コリン・ウィルソン 『至高体験 -- 自己実現のための心理学』(四方田剛己名義で由良良美と共訳、河出書房新社, 1998年、のち文庫)
- ポール・ボウルズ 『優雅な獲物』(新潮社, 1989年)
- ポール・ボウルズ 『蜘蛛の家』(白水社, 1995年)
- エドワード・サイード 『パレスチナへ帰る』(作品社, 1999年)
- ピーター・ブルックス 『メロドラマ的想像力』(共訳、産業図書, 2002年)
- マフムード・ダルウィーシュ 『壁に描く Le livre de luciole』(書誌山田、2006年)
[編集] その他
[編集] 関わった雑誌
- 『闇祭』(1977年) - 映画批評同人誌。平野共余子、松浦寿輝、沼野充義らと。
- 『シネマグラ』(1978年~1981年) - 『闇祭』を発展させた映画批評誌。西成彦、如月小春、黒沢清らも参加。
- 『GS 楽しい知識』(1984年~1985年)
- 『三蔵』(1992年~1994年) - 詩歌の同人誌で四方田は詩を発表。石井辰彦(歌人)、夏石番矢(俳人)と。
- 『三蔵2』(2002年~) - 小池昌代(詩人)、石井辰彦と。
[編集] 映画出演
[編集] 上記に登場しない関連人物
- 長井勝一 - 中学生の頃に青林堂を訪れ長井の面識を得る。のちに雑誌『ガロ』に日記を長期連載した。
- 矢作俊彦 - 中学・高校の文芸部の先輩。『ハイスクール1968』の雑誌連載時に、事実関係について抗議を行った。
- 金子勝 - 高校の同級生。ともに詩の同人誌を刊行していた。
- 鈴木晶 - 中学・高校の同級生。東京大学ではともに由良ゼミに所属。『ハイスクール1968』及び『先生とわたし』について、事実関係の誤りがあると批判した。
- 渡辺直樹 - 大学宗教学科の同級生。渡辺が創刊した雑誌『SPA!』に四方田はコラムを長期連載していた。
- 大岡昇平 - 大岡が晩年に著した『ルイズ・ブルックスとルル』刊行にあたり、参考資料提供、伝記の一部翻訳を行った。
- チェン・カイコー - 1987年のニューヨーク滞在時に知合った「親友」。
- 押井守 - 押井のアニメ作品『御先祖様万々歳!』に四方田犬丸というキャラクターが登場する。また、四方田によると押井の実写作品『トーキングヘッド』は四方田の著書『映画はもうすぐ百歳になる』の内容をなぞったものだという。
- 加藤光太郎 - 四方田の本の装丁を多数担当。
- 岡田史子 - 忘れられた「伝説の漫画家」だったが、1992年に四方田が札幌の岡田を訪問したことが切っ掛けで、彼女の単行本が刊行された。
[編集] 参考文献
- 『濃縮四方田』彩流社
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 四方田犬彦『星とともに走る』p.224(七月堂、1999年)
- ^ 鈴木晶のウェブサイトより鈴木の日記、2004年3月3日(水)の項
- ^ 雑誌『東京人』1999年7月号

