ショウ・ブラザーズ

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ショウ・ブラザーズ
Shaw Brothers (Hong Kong) Limited
種類 株式会社
市場情報
hkex 0080
本社所在地 香港の旗 香港
九龍清水湾
設立 1958年
事業内容 映画事業
外部リンク http://www.shawbrothers.com.hk/
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ショウ・ブラザーズ邵氏兄弟有限公司)は、香港の映画会社。60年代末から70年代に香港映画の黄金時代を築いた。香港の民営テレビ局「無綫電視」(電視廣播有限公司)の筆頭株主でもある。

誕生[編集]

ショウ・スタジオ(邵氏影城)

上海の実業家「邵家」の10人兄弟の末弟ランラン・ショウ(邵逸夫)と三男ラミー・ショウ(邵仁枚)は、趣味が高じてはじめた映画撮影が、思わずヒットしたことから、本格的な映画ビジネスを考えるようになる。

1958年、ヒット映画の収益を元手に、2人は「ショウ・ブラザース」(邵氏兄弟有限公司)を設立。1965年には「邵氏影城」と呼ばれる東洋一の巨大スタジオを建設し、スケールの大きな映画を続々と世に出し、香港映画の黄金時代を築き上げる。この頃、同社は「東洋のハリウッド」と呼ばれた。

発展のエネルギー[編集]

ランラン・ショウの完全主義

ランラン・ショウは1年で900本のフィルムを見るというほどの映画マニア。その分映画への評価も厳しく、基準に達していないフィルムはすべて焼却した。こうして質の高いものだけを公開する姿勢を貫いた。

先進技術の導入
  • ハリウッドから監督やカメラマンを集め、先進的な知識と技術を吸収
  • 独自の俳優訓練所の設立
  • 「ショウ・スコープ」と呼ばれるシネマスコープの開発
  • 北京語英語による二段字幕の使用

黄金期を支えた監督たち[編集]

  • リー・ハンシャン(李翰祥)・・・代表作は『梁山伯興祝英台』『傾国傾城』。伝統的な中国歌劇をモチーフに、官能的な大人の映画を製作した。
  • キン・フー(胡金銓)・・・『残酷ドラゴン/血斗竜門の宿』『大酔侠』のような武侠映画でハイレベルな作品を発表し、「香港の黒澤明」と呼ばれた。
  • チャン・チェ(張徹)・・・『片腕必殺剣』『ヴェンジェンス/報仇』など勇敢な男達の絆と友情を描いた作品を次々に出した。ティ・ロン(狄龍)、デビッド・チャン(姜大衛)、ダニー・リー(李修賢)らの看板スターが世に出た。また助監督を務めていたジョン・ウーも、彼のもとで成長を遂げた。
  • ラウ・カーリョン(劉家良)・・・カンフー映画のスタンダードを築いた。『少林寺三十六房』『少林寺VS忍者』のようなリアルな描写で、力と美を同時に表現した。
  • チュー・ユアン(楚原)は、質と量、両方を産出する良い実例となる監督である。彼のフィルモグラフィーから古典のジャンルに焦点を当てると、彼はその後、クー・ロン(古龍)の小説の複雑な構成を優れた映画美学で表現するという彼の夢を結合することによって、『流星胡蝶剣』のような古典の香港武道映画の中で新しい水準を確立した。また、自身も俳優として、映画やテレビドラマに出演している。
  • チャウ・シンチー(周星馳)・・・大げさなまでのパロディとコメディ映画を何本も作成。

帝国の落日[編集]

ショウ・ブラザースを離れたレイモンド・チョウ(鄒文懐/Raymond Chow)は、ゴールデン・ハーベストを設立し、古巣を激しく追い上げる。とくにゴールデン・ハーベストと契約したブルース・リージャッキー・チェンの爆発的ヒットにより、ショウ・ブラザースはトドメを刺されてしまった。一方、この頃にはテレビの影響も無視できなくなり、ランラン・ショウは、自身が経営するテレビ局である無綫電視に、次第に経営の軸足を移して行く事となる。

1985年にはラミー・ショウが死去、撮影所も活動を停止し、香港映画界の黄金時代を築いた帝国も、ついに終焉を迎えることになった。

多くの作品が日本では紹介されないままだったが、1999年香港のCelestial Picturesが760本もの作品の権利を買いつけたため、膨大なライブラリーが公開されることになった。日本ではこれをうけ、2004年からキングレコードより「ショウ・ブラザース 黄金のシネマシリーズ」としてDVDがリリースされている。

巣立ったスターたち[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]