アンソニー・クイン

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アンソニー・クイン
Anthony Quinn
生年月日 1915年4月21日
没年月日 2001年6月3日(満86歳没)
出生地 チワワ州チワワ
国籍 アメリカ合衆国
配偶者 Katherine DeMille (1937-1965)
Jolanda Addolori (1966-1997)
Kathy Benvin (1997-2001)

アンソニー・クインAnthony Quinn, 1915年4月21日 - 2001年6月3日)は、アメリカで活躍した俳優画家及び作家

目次

[編集] 生い立ち

メキシコチワワ州チワワアントニオ・ルドルフォ・オアハカ・クインAntonio Rudolfo Oaxaca Quinn)として生まれた。

少年時代にカリフォルニア州ロサンゼルスに移住。早く父親を亡くし、クインは俳優になる前には靴磨きやプロボクサーのスパーリング・パートナーや画家など転々とする。

[編集] 演劇活動

彼の俳優としての経歴は1936年にデビュー作の『Parole』や『The Milky Way』を含む幾つかの作品に出演したことから始まる。短期間の劇場出演の後、セシル・B・デミルの目にとまり、1940年代にパラマウント映画の幾つかの作品で様々な人種の悪人を演じることを依頼された。

1947年には彼は50本以上の作品でインディアンマフィアのドン、ハワイの酋長、中国人ゲリラ、など様々な役を演じたが、大物俳優ではなかった。彼は劇場に戻り、ブロードウェーで三年間を過ごし、『欲望という名の電車』のスタンリー・コワルスキー役などで成功を収める。

1952年の『革命児サパタ』と1956年の『炎の人ゴッホ』でアカデミー賞助演男優賞を受賞。また、1986年にはゴールデングローブ賞の生涯功労賞(セシル・B・デミル賞)を受賞している。

また、『アラビアのロレンス』でのアウダ・アブー・ターイー、『ザ・メッセージ』のハムザ・イブン・アブド・アル=ムッタリブ、『砂漠のライオン』ではオマル・モフタールといった、実在した歴史上のアラブ人を好演した。

[編集] 家族

  • 父はアイルランド人・母がアステカ族メキシコ人。
  • クイン自身は3回結婚して子供が13人いる。息子のフランチェスコ、ロレンツィオ、アレックス、娘のヴァレンチナは俳優になった。また、末の子は81歳のときに生まれている。

[編集] 主な出演作

[編集] 外部リンク

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