ピーター・ユスティノフ

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ピーター・ユスティノフ
Sir Peter Alexander Ustinov
Sir Peter Alexander Ustinov
本名 Peter Alexander Baron von Ustinov
生年月日 1921年4月16日
没年月日 2004年3月28日(満82歳没)
出生地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
死没地 スイスの旗 スイス ヴォー州
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 俳優
配偶者 Isolde Denham (1940–1950)
シュザンヌ・クルーティエ (1954–1971)
Hélène du Lau d'Allemands (1972–2004)

ピーター・アレクサンダー・ユスティノフSir Peter Alexander Ustinov, 1921年4月16日 - 2004年3月28日)は、英国のアカデミー賞受賞俳優で、小説家脚本家劇作家映画監督CBE受勲者。

生涯[編集]

ピーター・アレクサンダー・フォン・ユスティノフ(Peter Alexander Baron von Ustinov)としてロンドン市内で生まれる。

ユスティノフの父親Jona von Ustinovロシア系のドイツ人。第1次世界大戦中はドイツ軍の空軍で活躍、1930年代英国に移住してドイツ大使館に勤め、その後ドイツの新聞社の特派員を務めた後、英国MI5で働き第二次世界大戦前は対ドイツの諜報を専門に行っていた。ユスティノフ自身の回顧録によると、自宅で英国とドイツの上級官僚が密談していたという。ユスティノフの母親はフランスイタリアエチオピア王室の血脈を受け継いだロシア人の画家兼バレエのステージデザイナーであった。彼女の父親は著名なロシアの建築家であり、また兄はストラヴィンスキーディアギレフと共に働いたステージデザイナーであった。

このような家庭環境のためか、彼は英語フランス語ドイツ語イタリア語ロシア語スペイン語を流ちょうに操り、またトルコ語現代ギリシア語も喋った。

彼は ウェストミンスター学校で教育を受けたが中退し、1938年早くも17歳でロンドンのプレイヤーズ・シアターで舞台デビューを、翌年には自作の戯曲の主演を務めるようになる。第2次世界大戦中は、一兵卒として陸軍に配属されるが、デヴィット・ニーブンと共に軍でのプロパガンダ映画の中で俳優として演じるようになった。彼は、この時すでに映画の脚本も書いていた。

彼の最初の成功は"The Love of Four Colonels"(1951年)という作品である。また、自作自演で出演した『びっくり大将』"Romanoff and Juliet"(1956年)は最も良く知られた作品である。彼の出演した作品は『クォ・ヴァディス』(1951年)での皇帝ネロや『スパルタカス』(1960年)のバタイアタス役、SF映画『2300年未来への旅』での老人役、アガサ・クリスティ原作の『ナイル殺人事件』(1978年)をはじめとする6本のエルキュール・ポアロ役などがある。彼は、俳優や脚本のみならず、映画監督もつとめた作品も何本かある。

彼はアカデミー賞助演男優賞を『スパルタカス』(1960年)と『トプカピ』(1964年)の2作品で獲得した。ゴールデングローブ賞の助演男優賞も『クォ・ヴァディス』(1951年)で獲得している。1957年と1967年、1970年にエミー賞を受賞している。

また、彼は1952年から55年にかけてBBCのラジオ・コメディにも出演して、とても愛されるキャラクターを演じた。また、テレビでも巧みな話術でお茶の間の人気者になった。彼の博識な語学力を生かしてドイツ人から見た英国人などのようにとてもユーモアにあふれたジョークを連発していた。また文壇界でも活躍していて長編小説を3作、短編集も2冊出版している。

1969年から亡くなる時までの間ユニセフの友好親善大使と基金発案者を兼務していた。彼の明るいキャラクターと人を笑わせる話術の賜物であった。また、1991年から世界連邦運動の推進委員を務めていた。また、中華人民共和国のよき理解者であった。「世界中の人々は、多くの人権を蹂躙している中国政府のやりかたにイライラしている。しかし、膨大な人口を抱えるためになかなか問題は解決しない。」と2000年、ダラム大学の講演で述べている。ほかにドキュメンタリーへの出演や司会役・インタビュアーも多く、1984年10月31日にはインドデリーインディラ・ガンディー首相にインタビューする最中に彼女の暗殺に遭遇、その現場に居合わせたこともある。

彼はベルギーブリュッセルの大学から名誉博士号を授けられた。1960年代後半、税金逃れでスイスに移住したのだが、1990年に彼はナイト爵を授けられた。1970年代後半からダンディー大学の総長として、また1992年からはダラム大学の大学総長の任務にあたった。2003年ダンディー大学が移転したとき、名称をユスティノフ大学と改名した。また、最晩年は世界連邦運動の会長を務めた。

2004年晩年を過ごしたスイスで亡くなった際には、国連総長のコフィ・アナンの代理として、ユニセフの理事キャロル・ベラミーが弔辞を述べた。

主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1942 わが一機未帰
One of Our Aircraft Is Missing
司祭
1944 最後の突撃
The Way Ahead
リスポリ 脚本・出演
1951 極楽ホテル
Hotel Sahara
クォ・ヴァディス
Quo Vadis
ネロ ゴールデングローブ賞 助演男優賞 受賞
1954 エジプト人
The Egyptian
カプタ
騎士ブランメル
Beau Brummell
プリンス・オブ・ウェールズ
1955 俺たちは天使じゃない
We're No Angels
ジュールズ
1956 歴史は女で作られる
Lola Montès
サーカス団長
1957 スパイ
Les Espions
マイケル
1960 スパルタカス
Spartacus
レンチュラス・バタイアタス アカデミー助演男優賞 受賞
サンダウナーズ
The Sundowners
ルパート
1961 びっくり大将
Romanoff and Juliet
将軍 監督・製作・脚本・出演
1962 奴隷戦艦
Billy Budd
エドウィン・フェアファクス・ヴェラ 監督・製作・脚本・出演
1964 トプカピ
Topkapi
アーサー・サイモン・シンプソン アカデミー助演男優賞 受賞
1965 レディL
Lady L
監督 /脚本
1967 危険な旅路
The Comedians
マヌエル・ピネダ
1968 黒ひげ大旋風
Blackbeard's Ghost
黒ひげ
1972 HAMMERSMITH IS OUT ドクター 監督・出演
ベルリン国際映画祭 銀熊賞(芸術貢献賞) 受賞
1973 ロビン・フッド
Robin Hood
プリンス・ジョン/キング・リチャード アニメ映画、声の出演
1976 2300年未来への旅
Logan's Run
オールドマン
マタクンベの黄金
Treasure of Matecumbe
1977 ナザレのイエス
Jesus of Nazareth
ヘロデ大王 テレビ・ミニシリーズ
男と女のアヴァンチュール/紫のタクシー
Un taxi mauve
Oh!外人部隊
The Last Remake of Beau Geste
1978 ナイル殺人事件
Death on the Nile
エルキュール・ポワロ
バグダッドの盗賊
The Thief of Baghdad
テレビ映画
1979 アシャンティ
Ashanti
スレイマン
1980 オリエンタル探偵殺人事件
Charlie Chan and the Curse of the Dragon Queen
チャーリー・チャン
1981 マペットの大冒険/宝石泥棒をつかまえろ!
The Great Muppet Caper
トラック運転手
1982 地中海殺人事件
Evil Under the Sun
エルキュール・ポワロ
1985 名探偵ポワロ/エッジウェア卿殺人事件
Thirteen at Dinner
エルキュール・ポワロ テレビ映画
1986 名探偵ポアロ/死者のあやまち
Dead Man's Folly
エルキュール・ポワロ テレビ映画
名探偵ポアロ/三幕の殺人
Murder in Three Acts
エルキュール・ポワロ テレビ映画
1988 死海殺人事件
Appointment with Death
エルキュール・ポワロ
1989 新80日間世界一周
Around the World in 80 Days
ウィルバー・フィクス探偵 テレビ・ミニシリーズ
1990 ドッグ・イン・パラダイス
C'era un castello con 40 cani
1992 ロレンツォのオイル/命の詩
Lorenzo's Oil
ニコラス教授
1995 チャールズ・ディケンズの骨董屋
The Old Curiosity Shop
祖父 テレビ映画
1999 アリス・イン・ワンダーランド/不思議の国のアリス
Alice in Wonderland
セイウチ テレビ映画、声の出演
アニマルファーム
Animal Farm
声の出演
プロポーズ
The Bachelor
ジェームズ・シャノン

参照[編集]

外部リンク[編集]