シャロン・テート

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シャロン・テート
Sharon Tate
シャロン・テート Sharon Tate
1967年
本名 Sharon Marie Tate
生年月日 (1943-01-24) 1943年1月24日
没年月日 (1969-08-09) 1969年8月9日(26歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州ダラス
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
身長 167 cm
職業 女優
活動期間 1961年 - 1969年
活動内容 モデル女優
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シャロン・テートSharon Tate、本名:Sharon Marie Tate1943年1月24日 - 1969年8月9日)は、アメリカ合衆国女優。映画監督ロマン・ポランスキーの妻で妊娠中だったが、1969年に自宅で友人たちとともに狂信的なカルト信者らに刺され、26歳で母子ともに亡くなったことで知られる。代表作は『吸血鬼[1]

略歴[編集]

A black and white screenshot from the television series, The Beverly Hillbillies shows Max Baer Jr. as Jethro, Nancy Kulp as Jane Hathaway and Sharon Tate as Janet Trego, a secretary. Tate is wearing a business suit and a dark wig and is watching Miss Hathaway
1964年『じゃじゃ馬億万長者』のエピソード「The Giant Jackrabbit」よりマックス・ベア・ジュニアナンシー・クルプと共に(向かって右の黒いかつらを着けているのがジャネット・トレゴ役のテート)。

テキサス州ダラス出身。父親が軍人だったため、子ども時代は世界各地を転々とする。高校生の頃にはイタリアに居住しており、現地で数本の映画にエキストラとして出演。その後CMに出演したほか、モデルとしても活動した。ハリウッドに渡り、映画「卑怯者の勲章」(1964年)などに端役で登場。人気TVシリーズ「じゃじゃ馬億万長者」でブレイクし、1966年の「Eye of the Devil(原題)」で本格的なスクリーンデビューを飾る。映画『吸血鬼』で共演したのが縁で1968年1月20日に映画監督のロマン・ポランスキーと結婚した。同年にはブルース・リー監修のもとでアクションにトライした『サイレンサー第4弾/破壊部隊』が公開。ポランスキーとの第1子妊娠も分かり、私生活、女優としてのキャリアともに順風満帆だったが、翌1969年8月9日、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者達の一人、スーザン・アトキンスen)ら3人組によって、一緒にいた他の3名の友人達と、たまたま通りがかって犯行グループに声を掛けた1名と共にロサンゼルスの自宅で殺害された。

マンソンはシャロンの前にその家に住んでいたテリー・メルチャーen)が、マンソンの音楽をメジャーデビューさせられなかったことを恨みに思っていた。当時シャロンは妊娠8か月で、襲撃を受けた際に「子供だけでも助けて」と哀願したというが、それが仇となりアトキンスらにナイフで計16箇所を刺されて惨殺された。ポランスキーは、生まれることなく死んだわが子にテートと自らの父の名を取ってポール・リチャードと名付け、テートとともに埋葬した[2]

事件の10年後、彼女の母親ドリス・テートは殺害犯がカルト的信奉を得、仮釈放の可能性が生じたことを嫌悪し、殺害犯の釈放反対運動に参加した。彼女の運動は公の注目となり、州法修正システムへの批判は1982年カリフォルニア州刑法修正に結びついた。これらの修正で犯罪被害者とその家族が、判決および仮釈放審問において陳述を行うことが可能となった。彼女は新法の下、娘の殺害犯チャールズ・マンソンの仮釈放審問において陳述を行った最初の人物となった。

テート殺害実行犯の主犯スーザン・アトキンスは、1971年に死刑判決が下ったが、カリフォルニア州の死刑一時撤廃に伴い、マンソンらとともに終身刑に減刑され、2009年9月24日に同州の刑務所で脳腫瘍のため獄中死。マンソンはその後も服役したが、2017年11月19日に死亡した[3]

出演作品[編集]

『Eye of the Devil』(1966年
哀愁の花びら』(1967年)

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]