チャールズ・マンソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| チャールズ・ミルズ・マンソン Charles Milles Manson |
|
|---|---|
| 生誕 | 1934年11月12日 |
| 罪名 | 殺人・共謀 |
| 有罪判決 | 殺人罪・共謀罪 |
| 刑罰 | 終身刑 |
| 現況 | 服役中 |
| 職業 | アーティスト |
| 配偶者 | Rosalie Jean Willis; Leona (last name unknown) aka Candy Stevens |
| 両親 | Kathleen Maddox, Colonel Scott (father), William Manson (stepfather) |
| 子 | Charles Milles Manson, Jr. (mother Rosalie Jean Willis), Charles Luther Manson (mother Leona), Valentine Michael "Pooh Bear" Manson (mother Mary Brunner) |
チャールズ・ミルズ・マンソン(Charles Milles Manson, 1934年11月12日 - )は、1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州にて「ファミリー」(マンソン・ファミリー)の名で知られる疑似生活共同体を率いて集団生活をしていた、カルトグループの指導者、犯罪者である[1][2][3]。女優のシャロン・テート、ラビアンカ夫妻(Leno and Rosemary LaBianca)を殺害(自身の信者を教唆して殺害させた)したことで、共謀罪を宣告された。共謀という目的の促進のため、彼の仲間の共謀者たちが犯した犯罪により、メンバーそれぞれが共謀罪として有罪となり、マンソンは連帯責任の規則で殺人の罪による有罪判決を受けた[4][5]。ビートルズの楽曲『ヘルター・スケルター』に由来する『ヘルター・スケルター』(『Helter Skelter』)という、黙示、人種間の戦争(Race war)、殺人を引き起こすことを想定した曲を作っている。彼に関連するロックと、大衆文化による悪名を得た当初から、マンソンは狂気、暴力、そして恐怖の象徴となった。最終的に、この単語は作家のヴィンセント・バグリオーシVincent Bugliosiが書いたマンソンの殺人についての著書『ヘルター・スケルター』(Helter Skelter (book))の題名に使われた。
ファミリーができあがり始めた当時のマンソンは、さまざまな犯罪行為のために矯正施設で人生の半分を過ごした、失業中の前科者であった。殺人を犯す前の時期の彼は、ロサンゼルスの音楽業界の人間とは距離を置いていた。偶然にも、ザ・ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンを経由してのつながりがあった。犯罪の嫌疑を受けたのち、マンソンによって書かれ、演奏された曲がレコーディングされ、商用発売された。ガンズ・アンド・ローゼズ、マリリン・マンソンを含む歌手たちが、数十年にわたって彼の歌をカバーしている。マリリン・マンソンのリードボーカリスト、ブライアン・ヒュー・ワーナーは、「マンソン」の名を「悪の象徴」として使用している。
カリフォルニア州の最高裁判所にて、1972年にマンソンに対する死刑が決定したが、死刑制度が一時的に廃止されたことで、マンソンは自動的に終身刑に減刑された[6]。カリフォルニア州では、最高刑として死刑が復興したが、コーコラン刑務所California State Prisonに服役中のマンソンには何ら影響を及ぼすことはなかった。
目次 |
[編集] 経歴
家出した少女を集めて「ファミリー」として集団生活を始める。LSDを用いて少女達を洗脳し男性を誘惑させ信者にさせた。 『聖書』を独自に解釈し、女性は罪人であると信じ込んでいた。数件の残忍な殺人事件を計画し、ファミリーのメンバーに実行を命令した。マンソンを象徴する有名な事件として、1969年8月9日、ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートら5人の無差別殺害がある。マンソンは自ら殺害を実行することはなく、テート=ラ・ビアンカ殺害事件に関しても実行犯は3人の女性信者で全員が終身刑となり現在も服役中であるが、たびたび仮釈放申請が出され、そのたびにマスコミの関心を集めている。マンソン自身にも1971年4月19日に死刑判決が下された。しかし続く1972年2月にカリフォルニア州では死刑制度が一時的に廃止されたため、これは自動的に終身刑に減刑された。後年同州の死刑制度は復活したが、マンソンには影響が及ばず、現在もカリフォルニア州刑務所で服役している。2007年の仮釈放に通算11回目の申請を行ったが、「依然として他者に理不尽な危険を及ぼしており、接触する人間に危害を加える恐れがある」として却下された。 信者も多く人気はあるものの人殺しであることには変わりはない[7]。次に仮釈放申請が可能となるのは2012年。
マンソンの裁判と有罪判決以来、マンソンの名とそのイメージはアメリカン・ポップ・カルチャーにおける汚点として広く知れ渡った。そのイメージは多くの音楽家や芸術家によって用いられ、マリリン・マンソンは悪のシンボルとしてその名を用いた。さらに、成功することはなかったがマンソン自身は音楽家であった。殺人事件が明るみに出る以前、彼はザ・ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンを始めとする著名な音楽家と友人関係にあった。
実の母はオハイオ州シンシナティの売春婦で、16歳でマンソンを産んだ。マンソンは、白人至上主義者として黒人を敵視しているにもかかわらず、実の父と信じられているスコット大佐は肌の色の薄い黒人であった。
欧文書体の「MANSON」の名称はチャールズ・マンソンに由来する。
元FBI捜査官ロバート・K・レスラーは、服役中のマンソンと対談を行ったことがある。一時期、隣の監房に心理学者のティモシー・リアリーがおり、アドバイスをしたことがある。
[編集] アルバム
- LIE (1967年)
[編集] 脚注
- ^ Linder, Doug. The Charles Manson (Tate-LaBianca Murder) Trial. UMKC Law. 2002. Retrieved April 7, 2007.
- ^ Bugliosi, Vincent with Gentry, Curt. Helter Skelter — The True Story of the Manson Murders 25th Anniversary Edition, W.W. Norton & Company, 1994. ISBN 0-393-08700-X. Pages 163–4, 313.
- ^ "Journal of the American Society of Psychosomatic Dentistry and Medicine, 1970. 17(3):99–106". Smith, David E. and Rose, Alan J., "A Case Study of the Charles Manson Group Marriage Commune". 2007-11-27 時点のオリジナルよりアーカイブ。2009-4-11 閲覧。
- ^ Prosecution's closing argument Page 1 of multi-page transcript, 2violent.com. Retrieved April 16, 2007.
- ^ Prosecution’s closing argument Page 37 of multi-page transcript, 2violent.com. Retrieved March 28, 2009.
- ^ History of California's Death Penalty deathpenalty.org. Retrieved March 28, 2009.
- ^ 72-year-old Charles Manson denied parole。 Reuters, 2007年5月24日。 Daily Telegraph (Australia)。 2007年9月6日検索。
[編集] 外部リンク
- CharlieManson.com - The Charles Manson Family, extensive information
- Charlie's Family - Information and news related to the Manson girls
- CieloDrive.com - Cielo Drive and the Manson Murders
- Rosemary: Charlie Manson @ pHinnWeb
- MansonDirect.com - Information by supporters of Charles Manson
- SqueakyFromme.org - Lynette "Squeaky" Fromme
- 2Violent - Charles Manson Trial
- Archive of website by Manson supporters, formerly atwa.info


