勝新太郎

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かつ しんたろう
勝 新太郎
勝 新太郎
『新春狸御殿』(大映、1959年)
本名 奥村 利夫(おくむら としお)
別名義 二代目杵屋勝丸
生年月日 1931年11月29日
没年月日 1997年6月21日(満65歳没)
出生地 日本の旗 日本東京市
職業 俳優歌手脚本家映画監督
映画プロデューサー・三味線師範
ジャンル 映画テレビドラマ
配偶者 中村玉緒
著名な家族 杵屋勝東治(父)
若山富三郎(兄)
鴈龍(長男)
奥村真粧美(長女)
主な作品
映画
『不知火検校』/『悪名』シリーズ
座頭市』シリーズ/『兵隊やくざ』シリーズ
『顔役』/『人斬り』/『御用牙』シリーズ
テレビドラマ
唖侍鬼一法眼』/『座頭市』シリーズ
痛快!河内山宗俊』/『警視-K

勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本俳優歌手脚本家映画監督映画プロデューサー・三味線師範。市川雷蔵とともに大映の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。愛称は勝新(かつしん)。本名は奥村 利夫(おくむら としお)。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

長唄三味線方の杵屋勝東治と妻・八重子の次男として、母方の実家のある千葉県で生まれる。生家は東京市深川区(現在の東京都江東区)。若山富三郎は二歳上の兄。十代のころは長唄三味線の師匠として、深川の芸者に稽古をつける。長唄の名取二代目 杵屋勝丸1954年のアメリカ巡業中に、撮影所で紹介されたジェームズ・ディーンに感化されて映画俳優になることを決意する。

大映時代[編集]

23歳の時に大映京都撮影所と契約、1954年の『花の白虎隊』でデビュー。大映社長永田雅一は勝を可愛がり、白塗りの二枚目として市川雷蔵に次ぐ役者として熱心に主要な役を与え続けたが、思うように人気が出なかった。同年代の雷蔵・山本富士子若尾文子が早々とスターとして活躍していくのとは対象的に、憧れの長谷川一夫そっくりのメイクも板につかず、主演作のあまりの不人気ぶりに映画館の館主達からは「いい加減に勝を主役にした映画を作るのはやめてくれ」との苦情が絶えず寄せられるほどだったが、1960年の『不知火検校』で野心的な悪僧を演じたことにより、それまでの評価を一新することとなる。

1961年二代目中村鴈治郎の長女で同じ大映に在籍していた女優の中村玉緒と婚約。玉緒とは『不知火検校』や一匹狼のやくざ・朝吉役で主演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作、依田義賢脚本、田宮二郎共演)などで共演している[1]。この映画が初のヒットとなりシリーズ化。1962年3月5日、永田の媒酌で結婚。続く『座頭市物語』、『兵隊やくざ』で不動の人気を獲得。1963年に長谷川・山本が大映を退社する中、勝は一躍大映の大黒柱の一人となる。これ以降、1969年8月29日に雷蔵が死去するまで、大映の2枚看板として「カツライス」と称され、その屋台骨を支えた。特に一連の座頭市シリーズはアジア各地でも上映され、勝の代表作となっている。

勝プロ時代[編集]

1967年に勝プロダクションを設立、自ら映画製作に乗り出す。この時期、大手五社によるブロックブッキング体制・五社協定崩壊の中、三船敏郎三船プロ石原裕次郎石原プロ、中村錦之助(萬屋錦之介)の中村プロなど映画スターによる独立制作プロダクションの設立が続いた。

勝プロは、既に経営が立ち行かなくなった末期の大映が傾倒した若者向けの暴力・エロ・グロ路線の作品とは一線を画し、三隅研次安田公義森一生増村保造ら大映出身の監督たちと時代劇の伝統を絶やさぬよう拘りぬいた映画制作を続け、勅使河原宏五社英雄斎藤耕一黒木和雄ら、当時若手だった監督たちとも製作で手を組んだ。また、一方では『男一匹ガキ大将』や実兄・若山富三郎主演の『子連れ狼』、自身も主演した『御用牙』などマンガ・劇画の映画化やテレビドラマ製作にも進出した。

特に1971年、製作・監督・脚本・主演をこなした映画『顔役』は、撮影の殆どを手持ちカメラで行い、極端なクローズアップを多用し状況説明的な描写を廃したカットつなぎなど、典型的な刑事ドラマでありながらも、それまでの日本映画の映画文法を破り、先進的な手法を使った作品と評された[2][3]

またデビューしたばかりの俳優だった松平健を自らの弟子とし、勝自身が製作・主演したテレビドラマ『座頭市物語』に出演させて徹底的に鍛え上げ、1978年に『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)に主演させて時代劇スターに育て上げた。1980年には勝プロダクションは松平主演のテレビドラマ『走れ!熱血刑事』を製作している。

1974年から1979年にかけて、座頭市をテレビドラマとして合計4シーズン、全100話を製作(その多くで脚本、演出も担当)するなど、活動は軌道に乗っているように見えたが、この頃からプライベートでのトラブルが多くなり、1978年にはアヘンの不法所持で書類送検される。1979年には映画『影武者』の主役に抜擢されるが、監督の黒澤明と衝突し降板。

1980年に製作したテレビドラマ『警視-K』(日本テレビ系)が完全主義の勝の製作方針などで予算がオーバーし、作品自体も不振で途中打ち切りになるなどした。この影響を受けて勝プロダクションは膨大な赤字を抱えて経営が立ち行かなくなり、1981年に12億円の負債を残し倒産。この時の記者会見で「勝新太郎は負けない」と述べ、借金と戦っていくことを宣言する。翌年、中村玉緒を社長とした「勝プロモーション」を設立するが、後に長女(元女優・奥村真粧美)と長男(奥村雄大、現・鴈龍)が大麻密売で揃って逮捕された(鴈は2年後にも大麻取締法違反の容疑で再び逮捕されている)。

多難な晩年[編集]

1989年に長年の沈黙を破り、自らの製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させたが、長男・雄大(この頃、本名で俳優デビューした)が殺陣の撮影中、死体役の役者を真剣で刺して死亡させてしまう。結局これが勝製作の最後の映画となった。出演作品としては1990年、黒木和雄監督の『浪人街』が最後となり、以後、活躍の場を舞台に移し、演出・主演を務める。

1990年1月、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル空港で下着にマリファナコカインを入れていたとして現行犯逮捕される。麻薬下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」としらを切り、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、結局誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。帰国した翌年に日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決を受ける。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。

1996年7月に下咽頭を発病。手術はせず、抗癌剤放射線治療を行なった。入院中も外出を繰り返して寿司を楽しみ、平然と煙草をふかした。約4ヶ月後の記者会見でも「煙草はやめた」と言いながらに堂々と喫煙する様を見せた。しかし実際には療養中は禁煙し、会見での喫煙はパフォーマンスだった(煙を肺まで吸い込まず、口元でふかしているだけ)、と中村玉緒や鴈龍は後に振り返っている。

晩年は、トライデントシュガーレスガムのCMにも出演したほか、死の前年である1996年には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」にも出演した。

最後の舞台は大阪新歌舞伎座中村玉緒と夫婦役を演じた『夫婦善哉』。 1997年6月21日、入院先の千葉県柏市国立がんセンター東病院で下咽頭癌で死去。65歳没。

東京都港区三田の蓮乗寺にある勝の墓。兄の若山富三郎と共に眠る。
(※:写真は2012年1月)

葬儀が1997年6月24日東京都中央区築地築地本願寺で行われた。11000人が参列した。法号は「大光院明利能勝日新居士」。出棺の際は「勝ちゃんありがとう」と多くのファンに見守られながら別れを告げた。遺体は渋谷区代々幡斎場荼毘に付された。

若山富三郎と共に港区三田の蓮乗寺に埋葬された。

兄・若山富三郎[編集]

2歳上の兄・若山富三郎とは容姿がそっくりなだけでなく、「借金が得意」、「親分肌で取り巻きを大勢連れ回したがる」など、その性格・言動やプライベートが酷似していた。そのため、大映時代には「二人も勝新太郎は要らない」、「愚兄賢弟」などと揶揄されたほどであった。しかし大酒飲みで遅刻が多く台本をあまり読んでこない勝とは違い、若山は下戸で大の甘党。また撮影前の台本チェックなど事前の準備を怠らなかった。何よりも殺陣の巧さに関しては定評があり、勝自身「殺陣はお兄ちゃんにかなわない」と認める程だった。後年、若山が東映でスターダムにのし上がり、映画賞・演劇賞を数々受賞するに至ってからは名優としての評価を高めたのに対し、勝は不祥事が目立つようになり、評価は逆転した。事実、勝は「演出プロデュースでは自分が上だが、演技力はお兄ちゃんが上」と最高の賛辞を送っている。兄弟仲は非常に良く、勝が大麻所持で逮捕された際、マスコミの前では勝を批判したが、執行猶予付きの判決が出たときは若山は「良かった」と涙を流して喜んだ。また、勝がある役者の演技を叱ろうとしたとき、その役者が「若山先生の言われた通りにしたんですけど…」と答えると、「あぁそう、お兄ちゃんがそう言ったの」と一転して機嫌がよくなり、叱るのをやめたという。

晩年は持病の糖尿病に加え、心臓疾患を患っていた。1992年4月2日急性心不全に倒れ、死去。62歳没。この時も勝夫妻、女優・清川虹子麻雀をしている最中の出来事だった。

逸話[編集]

1960年代後半に入ると大映で雷蔵、京マチ子、若尾に次ぐギャラをもらうようになっており、永田社長に「これだけギャラを上げてくれ」と指2本を出したが、永田は断った。そのためストライキを敢行し、結果的に永田が折れる形で決着が着いた。しかし、ギャラが映画1本に付き200万上がり500万円になったため、勝は驚いた。何故なら、「20万円上げて欲しかった」ことを勘違いされたのである。これで長らく大スターに君臨する同期の雷蔵をも上回る大映NO.1となった、と勝は語る。しかし、すぐに雷蔵のギャラと並んだ。全盛期をとっくに過ぎた映画界としては珍しい太っ腹なエピソードである。三隅研次監督は、「経営不振にもかかわらず、永田社長がいかにどんぶり勘定で経営していたかを示すエピソードのひとつだ」と語る。ちなみに、入社当時の勝のギャラは1本に付き3万円、雷蔵は1本に付き30万円+ハイヤーの送迎付きであった。雷蔵にライバル心を燃やす勝は、自費でハイヤーに乗っていた。

好物はオムライス。自身のイメージに合わないため、京都撮影所近くの飲食店では店の奥でファンに見つからぬよう隠れて食べていた。

1987年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で演じた豊臣秀吉は、「サル」や「人たらし」などと評される従来の秀吉像を覆すような配役で話題となった。本作の主人公伊達政宗が「化け物」と評したように、本作では若き政宗の前に立ちはだかる大きな壁という位置づけであり、「渡辺謙(政宗役)=知名度の高くない若手」「勝新太郎=衆目の知るところの大御所」という図式が、そのまま「伊達政宗=奥羽の若き大名」、「秀吉=老成した天下人」にも当てはまるなど、役者の立場・イメージと演じる役の立場がぴったりという印象が強いのも特徴である。

晩年は好きだったB'zライブにも度々顔を出していた。元々B'zを聴くようになるきっかけは、とある居酒屋でヴォーカル稲葉浩志と出会ったことからだった。稲葉が飲んでいたところ、そこにたまたま来店した勝が稲葉の容姿を見た瞬間、「裕次郎以来、最高の男を見た気分だ」と絶賛、俳優としてデビューさせようと話を持ちかけるも、稲葉がB'zのヴォーカルであったことが分かり諦める。その後、時間の許す限り自ら購入したチケットでライブに訪れていた。稲葉に兄・富三郎の形見の品であるテンガロンハットをプレゼントしている。現在、このテンガロンハットは、稲葉のプライベートスタジオ「志庵」に大事に飾られている。病気療養のために入院した時も、稲葉から贈られた彼のソロ・アルバムマグマ』を亡くなるまで何度も聴いていた。中村玉緒も、「最後にもう一度だけでいい、稲葉さんに会わせてあげたかった」と発言している。洋楽ではカーペンターズの曲をよく聴いていた。そのため、中村玉緒が『トリビアの泉』(フジテレビ系)にゲスト出演し、カーペンターズに関するネタが出た時「(私、これだけは英語でもよく聴いていました。)主人がよく聴いてて…」と言っていた。

ブレイク前のMr.マリックのショーに感激し、そのときの全ての所持金の約50万円をチップで渡した事がある。

晩年の住居は東京タワーが見えるマンションだった。妻・玉緒との夫婦喧嘩で収拾がつかなくなると窓を指して、「東京タワーが見てる」と言いながら玉緒の機嫌をとることも度々であったという。勝の豪放な語り口と泰然としたキャラクターは、古参お笑い芸人達の格好のネタ元になっている。旧・勝プロが設立、運営していた演劇学校「勝アカデミー」出身の小堺一機ルー大柴をはじめ、タモリ明石家さんま等。

テレビインタビューで鴈龍の証言によれば、ファンへのサービス精神も旺盛で、ファンから頼まれたサインを断ったことはなかったという。なお、色紙には必ず傍らに『座頭市』の毛筆イラストを添えている。これは、大映時代の弟子筋にあたる細谷新吾(日高晤郎)が考案したものを気に入り、これを元にして自身のサインを作った[4]。これについて「新吾は俺のサインの家元なんだよ」と語っている。

「俺から遊びを取ったら何も残らない」と豪語し、豪遊は当たり前だった。実兄の若山は下戸であるが、勝は若い頃から大酒飲みで座持ちは抜群。得意の三味線や歌、愉快な話を披露し、芸者達をも楽しませた。しかも、取り巻きが飲んでいる間に徐々に増え、最初10人ほどだったのが100人近くに増えることは珍しくなかったという。同期入社で若い頃より長者番付に入っていた雷蔵がスタッフを飲みに連れて行っても割り勘であったのとは違い、飲食代は勝が全て支払っていた。結果、不摂生な生活で肥満体型になり、役柄も限定されるようになった。大映倒産後は時代を追うごとに収入が激減、特に勝プロダクションが倒産してからは借金取りにまで追われる生活であったにも関わらず、借金で豪遊し、高級車に高級な服とスター然とした豪勢な生活を続け、返済できぬまま死去。妻の玉緒が完済のために奔走することとなった。ちなみに1978年に42歳で早世した歌手の水原弘は、1960年代に一時映画界に進出した際、勝と懇意となり「兄貴分」と慕うようになるが、勝のこうした生き様への憧憬から以来、破天荒な生活へ傾倒。結果、ギャンブルや豪遊による莫大な借金を抱え、日常的な飲酒で命を縮めることとなった。

加藤茶は、銀座高級クラブで、勝がアイス・ペールに高級ブランデーをドボドボ入れて回し飲みしているのを見かけていたと言う。加藤は、そのような酒の飲み方を「勝さんが最初ですよ、この飲み方」と、インタビューで語っている(朝日新聞夕刊『人生の贈りもの』より)。

舞台『不知火検校』で、主役でありながら悪行を重ねる不知火検校役を演じた際、あまりの填りきった演技に「バカヤロー!死んじまえ!」と、観客から本気と思える野次が飛んだ。

石原裕次郎とは、「きょうらい(兄弟をもじった言葉)」と呼び合う仲で、良き友人だった。ある酒宴の席で2人が大喧嘩になった時には、頃合いを見て勝が一言「いい芝居だったな、きょうらい?」と声をかけ、裕次郎が「あ、ああ、いい芝居だった。」と応えることで、喧嘩そのものを「周囲を驚かすための芝居」と見せかけ、互いに手打ちにしていたという。裕次郎の葬儀では友人代表として弔辞を読んだ[5]

1971年、玉緒に対し一方的に離婚宣言をする。しかし、玉緒に相手にされなかったため、離婚は成立しなかった。1990年、麻薬所持で逮捕されたため、5億円もの費用をかけて制作したキリンビールのCMがたった1日で放送打ち切りとなり、CMの制作会社から損害賠償請求の民事訴訟を起こされた。

上記の通り舞台裏ではトラブルが多かったが、その反面、非常に肉親思いであった。1982年に母・八重子が死去した際、「俺を産んでくれたところに顔を埋めてキスをしたよ」と発言。1992年4月には兄の若山富三郎が死去、納骨式の時にカメラの前で遺骨を食べ、涙を流してその死を悼んだ。さらには1996年2月、父であり長唄の長老、杵屋勝東治が死去。勝は父が亡くなる数日前から添い寝をし、施主を務めた納骨式の際には火葬場でこっそり懐に入れた遺骨の一部を取り出し、泣きながら食べ、「とうとうお別れだけど、これで父ちゃんは俺の中に入った」とコメント。このように、肉親への強い愛情を改めて印象付けた。

晩年、漫画家根本敬と、舞台演出等での仕事上の交遊があり、雑誌『cube(キューブ)』誌上で、勝のワンマンな人生をパロディー化した漫画、交響曲『勝(カツ)』(勝の人生を壮大かつ自己陶酔的な交響曲に喩え、彼の人生で関与した俳優、映画監督全てがオーケストラの団員として勝の人生を礼賛する内容。落語「頭山」を例に自己陶酔的な勝を揶揄。漫画作画・根本敬)のアイデアが披露された。また、根本が自身の著書の題名にし、後にクレイジーケンバンドの楽曲名にも使われた言葉「電気菩薩」は、根本との会話中で勝が発言したキーワードである。その根本の著書『特殊まんが 前衛への道』によると、1990年代にプリンスから「座頭市の姿でPVに出演して欲しい」との打診があったが、諸事情により実現しなかったという。

晩年、デニス・ホッパーとの親交は広く知られており、日本の映画祭などで同席することもあった。同じ「破滅型の俳優」として、ホッパーは非常に親近感を持っていた。また、妻の中村玉緒について「中村玉緒は勝新太郎無しでも存在し得るが、勝新太郎は中村玉緒無しでは存在し得ない」と最高の賛辞を語っているが、玉緒は直接は聞き取っておらず「生きている時に言ってくれれば・・・」と語っている。死後、莫大な借金が残されたが、香典代わりに債権放棄した債権者もいたという。

妻想いを代表するエピソードとして、中村玉緒が風邪で倒れた際の話がある。高熱で苦しむ玉緒を少しでも元気づけようと思った勝は、玉緒の好きな渡哲也の歌声を聞かせようと画策。渡が居そうな銀座の飲み屋を一軒一軒しらみつぶしに探し回り、ようやく渡を見つけると眼前でいきなり土下座。顔を上げるように渡が促すも、高熱で苦しんでいる玉緒のために一曲歌ってほしい、と土下座のまま懇願。大先輩のそのような姿を見た渡は二つ返事でこれを快諾。店の電話から玉緒のためにくちなしの花」を歌った。玉緒はこのエピソードを、破天荒な勝だが嫌いになれなかった理由、として度々挙げている。[6][7]

勝の臨終間際の前には、ちょうど巨大な台風が接近しており、台風一過と共に亡くなったという。玉緒によると、「亀岡(京都府亀岡市)にお墓を建てて、ふたりで戻ってこよう」と話をしていたという(朝日新聞京都、2007年12月26日)。

勝のテレビ初主演作である『悪一代』(1969年朝日放送制作、TBS系放映)全13話のうち、最終回放送分のテープが現存しており、横浜情報文化センター内の放送ライブラリーで見る事が出来る。この作品は、勝の出世作である映画『不知火検校』(宇野信夫原作)をベースに作られており、テレビドラマの演出手法の常識を破った画面構成なども話題になった。ちなみに、全13話放送分のうち、最終回1話分のテープしか現存していないのは、当時の番組は2インチVTRで制作されており、機器・テープともに高価であったため、収録されたテープのほとんどが他の番組に上書き・消去されてしまったためである。[8]

出演作品[編集]

映画[編集]

シリーズ[編集]

  • 悪名シリーズ 全16作
    • 悪名(1961年)
    • 続・悪名(1961年)
    • 新・悪名(1962年)
    • 続・新悪名(1962年)
    • 第三の悪名(1963年)
    • 悪名市場(1963年)
    • 悪名波止場(1963年)
    • 悪名一番(1963年)
    • 悪名太鼓(1964年)
    • 悪名幟(1965年)
    • 悪名無敵(1965年)
    • 悪名桜(1966年)
    • 悪名一代(1967年)
    • 悪名十八番(1968年)
    • 悪名一番勝負(1969年) - シリーズ最終作。
    • 悪名縄張荒らし(1974年) - 勝プロ製作、東宝配給。「続・悪名」のリメイク作品。共演は北大路欣也
  • 兵隊やくざシリーズ 全9作
    • 兵隊やくざ(1965年)
    • 続・兵隊やくざ(1965年)
    • 新・兵隊やくざ(1966年)
    • 兵隊やくざ脱獄(1966年)
    • 兵隊やくざ大脱走(1966年)
    • 兵隊やくざ俺にまかせろ(1967年)
    • 兵隊義やくざ殴り込み(1967年)
    • 兵隊やくざ強奪(1968年)
    • 新兵隊やくざ火線(1972年) - 勝プロ製作、東宝配給。共演は宍戸錠
  • 御用牙シリーズ 全3作
    • 御用牙(1972年)
    • 御用牙かみそり半蔵地獄責め(1973年)
    • 御用牙鬼の半蔵やわ肌小判(1974年)
  • 駿河遊侠伝シリーズ 全3作
    • 駿河遊侠伝 賭場荒し(1964年)
    • 駿河遊侠伝 破れ鉄火(1964年)
    • 駿河遊侠伝 度胸がらす(1965年)

その他[編集]

  • 花の白虎隊(1954年) - 小林八十次郎 役
  • お富さん(1954年) - 与三郎 役
  • 怪猫逢魔が辻(1954年) - 桝田屋友之助 役
  • 天下を狙う美少年(1955年) - 天一坊
  • かんかん虫は唄う(1955年) - 清水富彦 役
  • 怪盗と判官(1955年) - 鼠小僧次郎吉
  • 柳生連也斎 秘伝月影抄(1956年) - 鈴木綱四郎 役
  • 花の渡り鳥(1956年) - 蜩の半次 役
  • 怪猫五十三次(1956年) - 南三次郎 役
  • 花頭巾(1956年) - 久米寺舜馬 役
  • 月形半平太 花の巻/嵐の巻(1956年) - 宇津木周作 役
  • 新平家物語/静と義経(1956年) - 那須与一
  • 続花頭巾(1956年) - 久米寺舜馬 役
  • まらそん侍(1956年) - 海保数馬 役
  • スタジオはてんやわんや(1957年)
  • 信号は赤だ(1957年) - 相川三郎 役
  • 怪猫夜泣き沼(1957年) - 小森一馬 役
  • 大阪物語(1957年) - 市之助 役
  • 日蓮と蒙古大襲来(1958年) - 四条金吾
  • 陽気な仲間(1958年) - 菊太郎 役
  • 忠臣蔵(1958年) - 赤垣源蔵
  • 弁天小僧(1958年) - 遠山景元
  • 情炎(1959年) - 仙枝 役
  • 薄桜記(1959年) - 中山安兵衛 役
  • 初春狸御殿(1959年) - 栗助 役
  • 二人の武蔵(1960年) - 佐々木小次郎
  • 大江山酒呑童子(1960年) - 渡辺綱
  • 三人の顔役(1960年) - 高林 役
  • 不知火検校(1960年) - 杉の市 役
  • 風と雲と砦(1961年) - 左近八郎 役
  • みだれ髪(1961年) - 愛吉 役
  • 水戸黄門海を渡る(1961年) - 渥美格之進
  • 釈迦(1961年) - ダイバダッタ
  • 化身(1962年) - 梵仙 役
  • 仲良し音頭 日本一だよ(1962年) - 勝新太郎
  • 鯨神(1962年) - 紀州 役
  • 長脇差忠臣蔵(1962年) - 前田山英五郎
  • 秦・始皇帝(1962年) - 始皇帝
  • 雑兵物語(1963年) - 茂平 役
  • ど根性一代(1963年) - 越智平助 役
  • 乞食大将(1964年) - 後藤又兵衛
  • 幸せなら手をたたこう(1964年)湯浅憲明の監督デビュー作品 - 特別出演
  • 無法松の一生(1965年) - 富島松五郎 役
  • 酔いどれ博士(1966年) - 大松伝次郎 役
  • にせ刑事(1967年) - 千田寅松 役
  • やくざ坊主(1967年) - 竜全 役
  • 続やくざ坊主(1968年) - 竜全 役
  • とむらい師たち(1968年) - ガンめん 役
  • 燃えつきた地図(1968年) 原作・脚本:安部公房、監督:勅使河原宏 - 男(探偵)役
  • 手錠無用(1969年) - 香車弾五郎 役
  • 尻啖え孫市(1969年) - 織田信長
  • 鬼の棲む館(1969年) - 無明の太郎 役
  • 人斬り(1969年) - 岡田以蔵
  • やくざ絶唱(1970年) - 立松実 役
  • 待ち伏せ(1970年) - 玄哲 役 ※三船敏郎、石原裕次郎、萬屋錦之介との共演作
  • 喧嘩屋一代どでかい奴(1970年) - 青木吾郎 役
  • 富士山頂(1970年)制作・主演:石原裕次郎 - 朝吉 役
  • あぶく銭(1970年) - 大寺松五郎(ヒゲ松) 役
  • 男一匹ガキ大将(1971年) - 坊谷津光五郎 役
  • 顔役(1971年)製作、監督、脚本も担当 - 立花良太 役
  • 狐のくれた赤ん坊(1971年) - 張り子の寅八 役
  • いのちぼうにふろう(1971年) - 男 役
  • 王将(1973年) - 坂田三吉
  • 海軍横須賀刑務所(1973年) - 志村兼次郎 役
  • 無宿(1974年) - 穴吹錠吉 役 ※高倉健との唯一の共演作
  • 迷走地図(1983年) - 寺西正毅 役
  • 帝都物語(1988年) - 渋沢栄一
  • 孔雀王アシュラ伝説(1990年) - 慈空 役
  • 浪人街(1990年) - 赤牛弥五右衛門 役

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 旅のかげろう、三味線やくざ、森の石松、上州土産百両首(1960年10月2日 - 29日、大阪・新歌舞伎座)
  • 殺し屋一代、女夫渡り鳥、因果小僧六之助、元禄ドロンパ屋敷(1961年8月)
  • 別れ囃子、悪名座頭市物語、雲の別れ路(1962年11月)
  • (勝新太郎・朝丘雪路特別公演) 風流深川唄、座頭市物語(1968年9月1日 - 25日、名古屋・御園座)
  • 好食の草紙、座頭市喧嘩ばやし、風流深川唄、座頭市物語 (1972年9月1日 - 25日、東京・明治座)
  • 不知火検校(1994年)
  • (勝新太郎特別公演)夫婦善哉東男京女(1996年)

バラエティ[編集]

CM[編集]

  • 大塚製薬 ウメビタ
  • 武田薬品工業 フローミンエース
  • 麒麟麦酒 - ラ党の人々(1990年)※成人若年層の「ビール離れ」、「ドラマ離れ」、「CM離れ」に歯止めをかけるのを目標に、1年間毎日新作を放送するドラマ仕立てのCMとして作・演出につかこうへい起用し、大々的にキャンペーンも行われたが、麻薬所持で逮捕(オンエアー初日)のため、わずか1日で放送中止となった。

プロデュース[編集]

  • 座頭市と用心棒 (1970年)
  • 座頭市あばれ火祭り
  • 新座頭市 破れ!唐人剣(1971年)
  • 男一匹ガキ大将
  • 顔役
  • 片足のエース
  • 子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる(1972年)
  • 座頭市御用旅
  • 子連れ狼 三途の川の乳母車
  • 新兵隊やくざ 火線
  • 座頭市物語 折れた杖
  • 子連れ狼 死に風に向う乳母車
  • 御用牙
  • 新座頭市物語 笠間の血祭り(1973年)
  • 御用牙 かみそり半蔵地獄責め
  • 御用牙 鬼の半蔵やわ肌小判 (1974年)
  • 悪名 縄張荒らし
  • モハメッド・アリ 黒い魂 STAND UP LIKE A MAN
  • 無宿  勝プロ
  • 座頭市(1989年)

音楽[編集]

アルバム

  • 夜を歌う(大映レコード)※現行CDでは、8曲のボーナストラックが追加され、徳間ジャパンより発売されている。
  • 人生劇場 勝新太郎・古賀メロディーを唄う(1970年、日本コロムビア
  • 座頭市子守唄(1977年、ビクター)※未CD化
  • THE MAN NEVER GIVE UP(1982年、日本フォノグラム
  • 遊びばなし うたとはなしと三味線と(1995年、ソニー
  • もういちど、遊びばなし(1998年、ソニー)
  • 歌いまくる勝新太郎(1997年、Pヴァイン・レコード)大映レコード時代の編集盤
  • 歌いまくる大映スター(大映レコード)
    • 2007年に紙ジャケット仕様でPヴァイン・レコードより再発。1968年の大映レコードのイベントでの模様を収録したライブ盤で、勝新太郎も参加。『座頭市』、『シーサイド横浜』、『座頭市子守唄』の、このアルバムでしか聴けないライヴ・バージョンが収録されている。

シングル

  • かんかん蟲は唄う(1955年9月、テイチクレコード
  • 役者道中(1955年11月、テイチクレコード)
  • 次郎吉笠(1956年1月、テイチクレコード)
  • 青いドレスの女(B面:静かな雨のブルース)(1956年5月、テイチクレコード)
  • 元気でいろよ達者でね(B面:上海から来た男)(1955年8月、テイチクレコード)
  • アドマン・ブルース(1956年11月、テイチクレコード)
  • 東海道の野郎ども(1958年8月、テイチクレコード)
  • これが未練という奴か (B面:男の泣き場所)(東芝レコード)
  • 深夜の銀座裏 (B面:恋なんか御免だ)(東芝レコード)
  • 今夜はわかった (B面:だからお前が可愛いのさ)(東芝レコード)
  • 今宵限りの三度笠 (B面:夢でござんす)(東芝レコード)
  • あき子 (B面:あれっきり)(大映レコード)
  • 座頭市 (B面:座頭市ひとり旅)(1967年8月、大映レコード)
  • 恋は気まま (B面:いつかどこかで)(1968年3月、大映レコード)
  • 座頭市子守唄 (B面:どんとやれ)(1968年9月、大映レコード)
  • シーサイド横浜 (B面:さよならしようぜ)(1968年11月、大映レコード)
  • 悪名[河内音頭] (悪名のテーマ[セリフ入り])(1968年12月、大映レコード)
  • ごめんね坊や (B面:涙はあれに)(1969年6月、大映レコード)
  • いつかどこかで (B面:サニー)(1970年5月、大映レコード)
  • 座頭市の唄 (B面:座頭市子守唄)(1970年8月、大映レコード)
  • 夜と恋の終り (B面:おまえは何処に)(1970年11月、大映レコード)
  • いつかどこかで (B面:涙はおれに)(1971年5月、大映レコード)
  • 橋ぐれる (B面:別れ手錠)(1973年4月、ユニオンレコード)
  • にごり水(B面:男心)(1980年、クラウンレコード)※1997年のCD化の際、曲順が入れ替わり、カラオケを加えられ再発された。
  • 夜はくりかえす(B面:Love You Again) (1982年、日本フォノグラム)※未CD化
  • 浮遊の夏(B面:ぬくもり)(1982年、日本フォノグラム)※未CD化
  • 泣くなよ(カップリング曲:ごめんね坊や)(1994年、センチュリーレコード、ポニー・キャニオン

著作[編集]

  • プレイボーイ特別編集 写真集「勝vs美枝子」(1980年、集英社
  • 俺・勝新太郎(1992年、廣済堂出版
  • 裸舞(Love) - 三浦綺音写真集(1994年、ワニブックス
  • 泥水のみのみ浮き沈み―勝新太郎対談集(1994年、文藝春秋

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『悪名』の中ではすき焼き屋の女中・お絹役の玉緒に朝吉が「きっと妻にします」と一札を入れるシーンがある。
  2. ^ 放送作品一覧 / 顔役”. 日本映画専門チャンネル. 2013年3月7日閲覧。
  3. ^ ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第16弾! / 勝新の監督デビュー作について語る!”. チャンネルNECO耳より情報(Archive.isによるキャッシュ) (2012年4月20日). 2013年12月20日閲覧。
  4. ^ 「日高晤郎名言集 言葉のビタミン」(中西出版)p50 ISBN 9784891151256
  5. ^ 「兄弟」勝新、最後の晩餐”. nikkansports.com (2009年6月3日). 2012年11月27日閲覧。
  6. ^ SmaSTATION! 勝新太郎 豪快破天荒伝説
  7. ^ 故勝新太郎さん 生前中村玉緒に残していたラブレターの内容
  8. ^ これは70年代初期までに制作された朝日放送の他作品でも同様で、「助左衛門四代記」や「月火水木金金金」、「豆腐屋の四季」、「お荷物小荷物」はいずれも最終回放送分のテープしか現存していないが、これらの作品はいずれも前述の放送ライブラリーでの鑑賞可能である(但し「新十郎捕物帖・快刀乱麻」など、一部の作品は試聴不可となっている)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]