鈴木清順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

すずき せいじゅん
鈴木 清順
鈴木 清順
鈴木 清順
本名 鈴木 清太郎
生年月日 1923年5月24日(86歳)
出生地 日本東京都中央区日本橋
民族 日本人
職業 映画監督俳優
ジャンル 映画
活動期間 1956年 -
家族 弟:鈴木健二

鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年5月24日 - )は映画監督俳優。本名は鈴木 清太郎。元NHKアナウンサーの鈴木健二の兄。日活の専属監督として名を馳せ、小林旭高橋英樹宍戸錠らを主演に迎えた。『殺しの烙印』は一般映画のみならずカルト映画としても世界的な評価が高い。『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』などでは幽遠な映像美を見せた。その独特の映像表現は「清順美学」と呼ばれる。

目次

[編集] 略歴

鈴木清順問題共闘会議を参照。

[編集] その他

  • 松竹入社後、ダンディで名高い松竹トップクラス監督の木下惠介が、「あんな汚らしい男をうちの助監督につけるな」と発言。現に一度も木下惠介の助監督はやっていない。
  • 松竹助監督時代はどちらかと言うと、日陰の存在の監督(岩間鶴夫)や「大船三天皇」と呼ばれた奇人の助監督などと共に仕事をしていた。よくいっしょに仕事をしていたのは篠田正浩
  • 「日活は松竹の3倍の給料が出るよ」と西河克己監督に誘われて日活移籍を決意。
  • 東京流れ者』の虚無的なラストシーンが日活上役たちから大批判を受け、急遽、ラストシーンを撮り直す。修正前のフィルムは現存せず。そしてとうとう翌年、『殺しの烙印』で社長の逆鱗に触れ、日活を解雇されてしまう。
  • 日活解雇後、妻や彼を慕う人々に生活や仕事を支えられ、梶原一騎プロデュースの『悲愁物語』で映画界に復活。そして荒戸源次郎プロデュースの『ツィゴイネルワイゼン』で日本のみならず海外でも高い評価を受ける。キネマ旬報ベストテン1位(黒澤明監督『影武者』は2位)など、各賞受賞。
  • 1990年朝日新聞社系のCS局である衛星チャンネル(現・朝日ニュースター)の情報生番組『What's New』にゲスト出演。当時一般的にいわれていた、清順美学は『野獣の青春』で突然開花したという定説を自ら覆し、デビュー作の頃から意識していたと発言した。なお、この番組では、鈴木自身のセレクトによる名場面集が「桜」「奈落」「幽霊」などのテーマに分けて紹介されている。
  • 1991年読売テレビの深夜映画番組(『CINEMAだいすき!』)で鈴木清順特集が組まれ、日活時代から復活後までの作品と、それらの作品などを珍しく積極的に語る監督の貴重なインタビューが放送された。
  • 1984年のテレビアニメ『ルパン三世 PartIII』第13話「悪のり変装曲」では脚本を執筆しており、一風違ったミステリアスな作品に仕上がっている。
  • 大森一樹監督が『暗くなるまで待てない!』(1975年)『ヒポクラテスたち』 (1980年)と続けて清順を「特別出演」させて以降、彼をリスペクトする若手監督たちの間で「鈴木清順のカメオ出演」が流行のようになり、大量の映画やテレビドラマに出演することとなった。

[編集] 監督作品

[編集] 映画

[編集] テレビ

[編集] オリジナルビデオ

  • 春桜 ジャパネスク(1983年)
  • 弘前青春物語(1992年 2003年劇場公開)

[編集] 出演作品

[編集] 映画

[編集] オリジナルビデオ

[編集] テレビ

[編集] 著書

[編集] CM

[編集] 外部リンク