本願寺築地別院

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本願寺築地別院

本堂
所在地 東京都中央区築地三丁目15番1号
位置 北緯35度39分59.3秒
東経139度46分20.34秒
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 元和3年(1617年
開基 准如
正式名 浄土真宗本願寺派 本願寺築地別院
  
本堂内部
本堂内部
広重「名所江戸百景」より「築地門跡」。当時の和風建築の本願寺が描かれている。
広重「名所江戸百景」より「築地門跡」。当時の和風建築の本願寺が描かれている。

本願寺築地別院(ほんがんじつきじべついん)は、東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の別院である。正式名称は浄土真宗本願寺派 本願寺築地別院、一般には築地本願寺の名で親しまれている。著名な人物の葬儀・告別式も多く執り行われる。

目次

[編集] 歴史

築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。その後関東大震災による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。

現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は東京帝国大学工学部教授伊東忠太による設計で、1934年に完成している。この際、本堂は東南向きになり、本尊の背後に宮城(皇居)を遥拝する形となる。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。

本尊は聖徳太子の手彫とされる阿弥陀如来立像。

[編集] 主な行事

その他、法話や著名な学者による仏教文化講座、さらに英語による法話が恒常的に開催され、仏教学の普及にも大いに努めている。

[編集] その他

  • 2007年12月15日、「東京ボーズコレクション」と題した超宗派による仏教イベントを開催。15,000人(主催者発表)を集め、期間中の法要では約50,000枚の華葩(けは)が散華された。2008年以降の開催は未定。
  • 2008年7月6日、魚山聲明と節談説教、親鸞聖人御在世時の味を再現した精進料理などを味わう「念佛ノ源流」を開催。2公演が行われ、各公演800名、計1,600名(主催者発表)が築地本願寺を訪れた。

[編集] 関連施設

  • 別院内に以下の関連施設を置く。
    • 浄土真宗本願寺派東京教区教務所 - 関東一円の宗門事務を掌握する機関。教務所長は別院輪番と兼職する場合もある。
    • 東京首都圏都市開教対策本部 - 首都圏における都市開教と開教使(僧侶)養成を目的とする。[1]
    • 本願寺宗務都市圏センター - 首都圏の宗務推進、情報収集を目的に2001年に設置。[2]
    • 東京仏教学院 - 明治時代の「勤学所」を前身とする仏教を学ぶ専門学校。[3]
  • 他に都内に複数の分院を持つ。
    • 築地本願寺 和田堀廟所 - 杉並区。関東大震災より焼失した際、境内にあった墓地を当地に移転したもの。本堂などもある。隣接して明治大学和泉校舎がある。
    • 築地本願寺 慈光院 - 墨田区。関東大震災により犠牲となった人たちを追悼するために建立。隣接して東京都慰霊堂がある。
    • 築地本願寺 東久留米会館 - 東久留米市。当地に浄土真宗本願寺派の寺院がなかったため、1977年に建立。
    • あきる野本願寺 - あきる野市。当寺の西多磨霊園の入り口にある分院。1995年建立。
    • 築地本願寺 江東幼稚園 - 墨田区にある慈光院に付設してある幼稚園
    • 仁風保育園 - 荒川区にある保育園。築地本願寺が母体となっている。

[編集] 外部リンク

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