慶滋保胤

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文学
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慶滋 保胤(よししげ の やすたね、承平元年(931年)頃? - 長保4年10月21日1002年11月27日))は、平安時代中期の文人・儒学者。字は茂能。唐名は定潭。父は陰陽家賀茂忠行であるが、家学であった陰陽道を捨てて紀伝道を志し、姓の賀茂を読み替えて慶滋とした。なお、「慶滋」のよみは「よししげ」とするのが一般であるが、幸田露伴は「かも」とよむべきであると作品の中で述べている。露伴の言うように、賀茂と慶滋は異字同義であり、保胤の弟らも同じく慶滋を名乗っていることから、恐らく本来のよみは「かも」であろう。

文章博士菅原文時に師事して文章生から従五位下となる。964年(康保元年)に念仏結社「勧学会」の結成に力を尽くした。983年には元号を「永観」に改める際の(みことのり)などを起草している。986年寛和2年)に出家して比叡山横川に住した。また同年、念仏結社二十五三昧会の結成にも関わったとされる。法名は始め心覚と称し、その後寂心と改めている。内記入道とよばれ、諸国を遍歴した後、洛東如意輪寺で没した。著書「池亭記」は、当時の社会批評と文人貴族の風流を展開し、隠棲文学の祖ともいわれている。(※諸説あり)また、浄土信仰に傾倒して「日本往生極楽記」を著した。漢詩は本朝文粋(ほんちょうもんずい)及び和漢朗詠集、和歌は拾遺和歌集に作品が収載されおり現代まで伝えられている。

弟子に寂照(俗名:大江定基)がいる。

鴨長明の「方丈記」を祖とする説もある

[編集] 慶滋保胤が登場する文学作品

説話
歌学
純文学
ライトノベル