佃 (東京都中央区)

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Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 中央区
地域 月島地域
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 104-0051

座標: 北緯35度39分57秒 東経139度47分11秒 / 北緯35.66583度 東経139.78639度 / 35.66583; 139.78639 (つくだ)は、東京都中央区地名で、旧京橋区にあたる月島地域内である。

概要[編集]

1990年代から、東京都心にある高級タワーマンション街のはしりとして名高い場所であった。隅田川下流において、隅田川と隅田川派川の分岐点を北端とし、両河川により境界を画されつつ南方向に広がる区域に位置する[1]

地理[編集]

月島地域の北端に位置し、江東区越中島豊洲)との区境にあたる。

河川

歴史[編集]

近世[編集]

徳川家康関東へ下降する折の1590年8月30日天正18年8月1日)、摂津国佃村(現在の大阪府大阪市西淀川区)の漁夫33人が江戸に移り、1645年に元々あった名前のない砂州に百間四方の土砂を埋め立てて拡張し、築島して定住することとなり、このを故郷にちなんで「佃嶋」と命名した。古地図には「田」の字の島が描かれ、現在の地図においても同様の形状が佃一丁目の一部に確認できる。

一方、佃島の北側にあった島は森島、鎧島などと呼ばれていたが、江戸初期に石川八左衛門重次が徳川家光から拝領したため石川島と呼称されるようになった。元来佃島とは独立した島であったが、伊能忠敬江戸実測図(1817年)では一体となっており、それまでに何らかの形で地続きとなったものと推測される。

現在の佃1丁目・佃2丁目北部は、上記の佃島と石川島の場所を継承している。

近代以降[編集]

1967年(昭和42年)3月:住居表示実施により行政上の住所が「佃島」から「佃」に変更。 水戸藩により創設された石川島造船所(現在のIHIの前身の一つ)が1876年(明治9年)に民間に払い下げられ、それが1979(昭和54)年に操業停止するまで、現在の佃のうち旧来の佃島の部分を除いて多くの部分はその敷地であった。

その跡地において1986年昭和61年)から、都心回帰の促進を図る目的で、大規模住宅群「大川端リバーシティ21」の整備が開始された。現在では開発主体の一つである三井不動産(マンション分譲・賃貸)の広告に度々使用される[2]など、都心部における住宅地整備の成功事例として評価されるに至っている[3]

また、超高層マンション群そのものの景観[1]に加えて、第二次世界大戦前からの古い町並みや釣り船と超高層マンション群が隣接する独特の景観でも知られるようになった。

施設[編集]

教育
公園
企業
施設
  • ニュースアートサロン - 共同通信社研修交流センター内(1階:一般開放)

観光[編集]

名所史跡
  • 住吉神社 - 中央区月島地域の全域を氏子区域とする神社

交通[編集]

鉄道
バス
道路

創作物[編集]

佃もしくは同町を題材とした創作作品

浮世絵
落語
小説
ドラマ
漫画

画像一覧[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]