加山雄三

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かやま ゆうぞう
加山 雄三
加山 雄三
本名 池端 直亮
別名義 弾厚作
生年月日 1937年4月11日(77歳)
出生地 日本の旗 神奈川県横浜市茅ヶ崎市育ち[1]
血液型 A型
ジャンル 俳優シンガーソングライタータレントギタリストピアニスト画家
活動期間 1960年 -
活動内容 1960年:デビュー作夜の太陽
配偶者 松本めぐみ
著名な家族 (父)上原謙

(母)小桜葉子
(妹)池端亮子
(長男)池端信宏
(次男)山下徹大
(長女)梓真悠子
(次女)池端えみ

主な作品
映画
若大将シリーズ
椿三十郎
赤ひげ
乱れ雲
日本のいちばん長い日
零戦燃ゆ
八甲田山
テレビ
高校教師
江戸の旋風
翔ぶが如く
みごろ!たべごろ!笑いごろ!
加山雄三ショー
知ってるつもり?!
若大将のゆうゆう散歩
加山 雄三
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基本情報
出生名 池端 直亮
別名 若大将
出生 1937年4月11日(77歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県
血液型 A型
学歴 慶應義塾大学法学部
ジャンル 歌謡曲ポップス
職業 俳優シンガーソングライタータレントギタリストピアニスト画家
担当楽器 ギターピアノ
活動期間 1961年 -
レーベル 東芝レコードBMGファンハウスドリーミュージック
事務所 東宝渡辺プロダクション東宝→加山プロモーション
共同作業者 ザ・ランチャーズ
(1962年 - 1967年)
寺内タケシとブルージーンズ
(1965年)
ザ・ワイルドワンズ
(1967年)
谷村新司
(1992年)
加山雄三&ハイパーランチャーズ
(1994年 - )
THE ALFEE
(2000年)
加山雄三とザ・ヤンチャーズ
(2010年)
THE King ALL STARS
(2014年)
公式サイト 加山雄三 オフィシャルサイト
エルヴィス・プレスリー
ザ・ベンチャーズ
ビートルズ

加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )は、日本俳優シンガーソングライタータレントギタリストピアニスト画家。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾厚作。血液型A型。

経歴[編集]

父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子[1](池端具子)。妹は池端亮子。母方には明治元勲岩倉具視[1]がいる(具視の玄孫が加山)。

神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた[1]。覚えているのは神奈川県茅ヶ崎の家からである[1]。海と茅ヶ崎駅の中間辺りにあって平屋日本家屋だった[1]。お手伝いさんは必ず2人はいた[1]。茅ヶ崎市の実家には31歳で結婚するまで過ごした。

慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー。当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。

1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。NHKNHK紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。

ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく=ドン・コサック)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している、日本テレビ24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングである「サライ」・「勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜」は谷村新司が作詞し、加山が作曲したものである。

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、1966年第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。

俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明成瀬巳喜男岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイド女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。

1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業[2]1967年に運営会社「日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)」取締役に就任。しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産、ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。加えて、女優松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、10年で完済した。

その後、活動の主軸をテレビに移し『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET→テレビ朝日系)を始めとするバラエティ番組、『江戸の旋風』『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマやドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」のヒットで徐々に息を吹き返す。加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をする程、「理想の家族」としても認知度が高い。

1986年 - 1988年まで『NHK紅白歌合戦』で3年連続で白組司会を務めた。1986年、『第37回NHK紅白歌合戦』の司会では、白組トップである少年隊の「仮面舞踏会」を紹介する際、誤って「仮面ライダー」と叫ぶ「事件」を起こし、当時のバラエティ番組などにしきりにネタにされている。

1991年12月28日新潟県南魚沼郡湯沢町加山キャプテンコーストスキー場を開業。2010年-2011年シーズンまで営業したが、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響や若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、2011年7月に閉鎖を決めた[3]

1993年にギターのロールスロイスと呼ばれるアメリカのMosrite(モズライト)社よりマリンブルーと『若大将シリーズ』で皆の憧れの的だった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。

1994年ザ・ワイルドワンズ島英二にけしかけられて、仲間内で久しぶりにエレキを弾いてベンチャーズごっこをやっていたところ、事務所の社長の鶴の一声がきっかけで「加山雄三&ハイパーランチャーズ」を結成。

1997年4月23日、加山の60歳の誕生日を記念したトリビュートアルバム『60 CANDLES』が発売。レコード会社の垣根を越えた様々なアーティストが参加した。

1998年3月21日静岡県賀茂郡西伊豆町堂ヶ島に「加山雄三ミュージアム」開館。

2000年、Mosrite社よりパールブルーの加山雄三・芸能生活40周年記念モデルギターがハイパーランチャーズの「ハイパー」に語呂を合わせた818,000円で限定40本で発売され、即完売した。このモデルは前回のモデルと同様にファズが搭載されており、ヘッドがイニシャルのKにカットされ、指板にはLEDが組み込まれ、スイッチで光るようになっている。なお、アウトプット・ジャックは本体裏にあるなど、オリジナリティ溢れるものになっている。

2005年4月10日には新高輪プリンスホテルにて、「芸能生活45周年を祝う会」という盛大なパーティが開かれた。関連してヤマハより芸能生活45周年記念モデルギター「SG3KY」が限定45本で発売され、ハワイのセニーザ社(CENIZA)より、加山雄三・芸能生活45周年記念モデルのウクレレが、限定45本で発売された。

2006年3月3日・4日、東京文化会館の45周年と加山雄三の芸能生活45周年を祝うガラ・コンサート(祝典)が大ホールで行われた。同ホールは、クラシック音楽の殿堂・オペラの聖地として名高く、ポピュラー音楽が鳴ることはかつて無かったが、ポップス・シンガーとして初めてステージに上ったのが加山である。「加山雄三With大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」で、千住明をはじめとする5人の編曲家によって加山サウンドをクラシックに蘇らせた。 プロデューサーで構成・演出をしたのは 加山雄三の還暦の祝いに日本初のトリビュートアルバムをプロデュースした木﨑徹。彼は東京文化会館の音楽監督である大友直人の古くからの友人であったために革命的なコンサートが実現した。 この模様はDVDになりリリースされている。

2006年8月26日、加山と同じく湘南というイメージや、茅ヶ崎出身の有名人として名の挙がるサザンオールスターズ桑田佳祐の呼びかけにより、『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。桑田がバックバンドを務めた。また、茅ヶ崎ライブでの友情出演VTRにて、「茅ヶ崎ブラザーズの兄として…」と桑田との関係をお茶目に語っている。

2007年4月29日神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキに加山雄三の手形モニュメント(加山本人の手形および「海・その愛」という直筆の言葉が彫られたレリーフ)が設置され、服部信明茅ヶ崎市市長を始め、茅ヶ崎市関係者および市民が参列し、除幕式が盛大に執り行われた。

2010年5月19日、神奈川県茅ヶ崎市が加山雄三芸能生活50周年を祝い、加山に茅ヶ崎市民栄誉賞を贈呈することを発表した[4]

2011年第61回芸術選奨 文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞[5]

2013年に行われた仙台の野外ロックフェス「ARABAKI ROCK ROCK FEST.2013」に出演したことをきっかけに、2014年にロックバンド「THE King ALL STARS」を結成した。 メンバーは加山の他に、キヨサク(上江洌清作)(MONGOL800)、佐藤タイジシアターブルック)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータローTHE COLLECTORS)、ウエノコウジthe HIATUS)、武藤昭平勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)、スチャダラパー

2014年2月20日、『女性セブン』2014年3月6日号で、現在、加山が妻・松本と別居し「卒婚」状態である、と報じられた[6](詳細は下述)。

2014年7月~8月、77歳を記念しての大型イベント「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」が東京で開催。若大将シリーズ等の映画上映やテレビ番組『若大将のゆうゆう散歩』で描いた絵画の展示イベント「心に残る1枚の風景画展」等が行われたほか、最終日となった8月23日には日本武道館にてコンサートが行われた。また、同年9月より開催する全国47都道府県コンサートツアーが、加山自身最後の全国ツアーになるという[7]

人物・逸話[編集]

船に憧れた学生時代[編集]

  • 小学校時代の家庭教師は東京商船大学の学生で、船の設計図などを見せて貰ったりしているうちに船への情熱が沸き始めるようになった。
  • 中学時代14歳でカヌーを造って以来、大小10隻以上の船も設計しており、光進丸という自ら設計した全長30メートルを超える船を所有している。さらに自ら『光進丸』という曲も作る程で、その愛着ぶりが伺える。現在の光進丸は3代目で、建造費用は推定5億円。普段は静岡県賀茂郡西伊豆町の安良里(あらり)漁港に係留されている(同町内に「加山雄三ミュージアム」が開設したのは、このことが縁である)。また、加山は、小型船舶免許や5級海技士免許を所持しており、「海の若大将」では、初代光進丸が劇中に登場する。
  • 慶應義塾高校時代には船舶設計の専攻がある工学部への進学を志望していたが、成績不振のため断念し、法学部政治学科に進学した。
  • 卒業後は商社勤務を希望していたが友人の勧めで、てっとり早く船の資金が調達出来得る仕事ということで東宝へ入社。
  • 1960年4月に東宝へ入社してからの数年間は茅ヶ崎より砧撮影所の最寄り駅である成城学園前まで電車通勤し、母の考案で土方が持つような巨大な弁当箱を持参していたことから「ドカ弁(土方の弁当の略)」と呼ばれていた[8]

役者エピソード[編集]

  • 映画『椿三十郎』で若侍役の加山と田中邦衛が、三十郎役の三船敏郎の叱責を受けて殴られる場面があるが、実は撮影直前に二人はうどんを食べに無断で現場を抜け出しており、それを知って憤慨した三船が二人を本気で殴っている場面でもある。そのせいか、周囲の侍役の役者達が三船の剣幕に慄く様が見て取れる。
  • 前述の通り、船が大好きな加山だったが、船舶免許の試験日と映画『赤ひげ』の撮影日が重なってしまったことがある。初代『光進丸』の完成もあり、どうしても諦め切れなかった加山は、自分だけでは許してもらえないと思い悩んだ末に事前に主役の三船敏郎に根回しをして監督の黒澤明に「三船と船舶免許を取りに行くため撮影を休みたい」と申し出た、その甲斐あって黒澤から許可をもらい、そして2人とも見事に一発合格した。
  • 映画『エレキの若大将』劇中で、『君といつまでも』を歌うシーンについて、あまりに現実離れしたあり得ない展開(若大将が、澄子(星由里子)を思って作った曲を二人でデュエットする設定や試合中にヘリコプターで会場に乗り付ける展開)であることを加山が指摘した。しかし、「映画なんだからいいんだ」とスタッフに押し切られ、結局は加山が折れることで撮影が続行された。この経緯から、加山は歌詞の内容とミスマッチな仏頂面で歌っている。後にこの件について「いまだに納得していない」と語った[9]ほか、当該シーンが「納得いかない顔」というテロップ付きで紹介されたこともある[10]

好きなもの・特技など[編集]

  • 大のビデオゲーム好きであり、時間さえあればゲームに熱中している(後述)。
  • 鉄道マニアでもあり、「加山雄三ミュージアム」には自身の鉄道模型コレクションが多数展示されている。専門誌「鉄道ファン」にインタビュー記事が掲載されたこともある。
  • UFOに高い関心を示すことがあり、知識も豊富とされる。
  • 英語は、日常会話には全く不自由しないほどのレベルである。初期の楽曲作品では英語詩のものも何曲か含まれている。ちなみに米国永住権(グリーンカード)保持者である。
  • 絵画油絵)の腕前は玄人はだしで、画集を出版しているほか、個展も開いている。「加山雄三ミュージアム」にも多数展示がある。
  • 料理の腕も一流で周囲に手製料理でもてなすこともある。1980年代には、日本テレビ系料理番組『ごちそうさま』の常連ゲストとして、多数出演し腕を振るった。しかし、ある出演回では「海の料理を作る」とのテーマだったにも関わらず、「トマトライス」なる海と関連の薄い一品を作り、司会の高島忠夫に呆れられたことがある。次の出演機会でも「ニンニクライス」なる一品を披露し食材としては海に無関係であったが、「光進丸でよくこれを作るんです」と、海との繋がりを説明した。
  • 運動神経抜群でスポーツ万能だが、野球を不得意とし、そのため『若大将シリーズ』でも野球をする場面はなかったという。
  • 慶應義塾大学在学中に、スキーで国民体育大会に出場したことがある。またスキューバダイビングなどのマリンスポーツも楽しむ。
  • 富士通FM-7からパソコンを始め、以来活用してきた。[11]
  • 綾小路きみまろの漫談や、桂文枝の創作落語も良く聴いている[12]

人間関係[編集]

  • 1966年6月、ビートルズが来日した際に東京ヒルトンに宿泊していた4人を訪ねて会食した、数少ない人物である。また、初対面の際にジョン・レノンから後ろから目隠しされた。
  • 1960年の秋、雑誌の取材で一緒になったことがきっかけで赤木圭一郎と親しくなり、所属した映画会社こそ東宝と日活で異なっていたものの、同年代で同じ湘南育ちということもあって急速に親交を深めて行き、その友情は翌1961年2月、赤木が事故で急逝するまで続いた。加山は赤木とのエピソードを『湘南讃歌』『若大将の履歴書』などの自著の中で綴っているほか、赤木をイメージして「夕映えのスクリーン」という楽曲を作曲し、1997年、アルバム『LIFE』の1曲として発表している(山川啓介による歌詞も、加山と赤木の友情をモチーフとしている)。
  • かつて付き人を務めていたのは『太陽戦隊サンバルカン』の初代バルイーグル/大鷲龍介役で知られる歌手の川崎龍介
  • 北島三郎とは親友である。
  • テレビ朝日『徹子の部屋』の常連ゲストで、出演の際には黒柳徹子と東北弁トークをすることが定番の流れとなっている。かつては正月に家族とともに出演することが恒例となっていた。また「徹子の部屋コンサート」にもよく出演している。
  • 一貫して船には女性を乗せない姿勢を貫いていたが(船酔いし厄介なため)、初めて乗せた女性が全く船酔いせず悠々と編み物をしているその姿を見て一目惚れしてしまう。それが後に結婚することとなる松本めぐみであった。
  • フジテレビ『江戸の旋風』で共演した地井武男が出演していたテレビ朝日『ちい散歩』を引き継いで『若大将のゆうゆう散歩』に2012年5月7日より出演している。
    • 地井が2012年6月29日に死去したことを受け「彼(地井)が体調を崩して散歩を続けられないと聞いた時、いずれ彼が戻ってくるまで、僕に出来ることなら頑張ってみようと、番組をお引き受けしました。ゆっくり静養してもらおうと思っていたのに、まさかこんなことになるとは…大変ショックです」とその死を悼み[13]「これからは彼の分まで、彼に喜んでもらえるよう、散歩を頑張りたいと思っています」とコメントした[14]。また、2012年8月6日に東京で行われた地井のお別れの会に出席し「見ててくれよ。君よりも僕は頑張れるか分からんけど、大切にしたいものは君が遺した素晴らしい心。その足跡を多くの人に伝えていくことができたら、それが君への餞だと思う」と誓った[15]
    • なお、番組を引き受けるにあたって、地井に電話を入れ「君の視聴率を守れるか、それが一番心配だ」と漏らし、地井から「そんなこと言わないでください。大丈夫ですよ」と励まされた[16]。番組は好調なスタートとなり、再度地井に電話を入れ報告をしたところ、地井は「夏のロケは暑いですよ」と言い、加山は「まさにその通りだった」と語った[15]

音楽関係[編集]

  • 東京文化会館のステージに初めて立ったポピュラー歌手(2006年)である。
  • さだまさしが、2006年まで毎年8月に行っていた平和を祈念したコンサート「夏・長崎から」に共鳴し、1996年から10年間連続でゲスト出演した。2007年に行われた「夏・広島から」にもゲスト出演している。
  • 上記のさだや桑田佳祐をはじめ、山下達郎なども加山の影響を受け、敬愛するミュージシャンも多い。
  • 2004年ニッポン放送ラジオ番組坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に生出演した際には、ご機嫌な様子で坂崎とのセッションで持ち歌の生演奏をした。
  • トリビュートアルバム60 CANDLES」をリリースした後に、参加した全てのアーティストに対し、フェンダー・カスタム・ショップに特注したストラトキャスターを1本ずつ贈呈した。ヘッドの後ろに、それぞれのアーティストの名前を刻んだ真鍮のプレートを取り付けているのが特徴である。
  • THE ALFEEとは、公私に渡って付き合いが深く、上記のストラトキャスターも3人全員に1本ずつ贈呈している。後に共作シングルとして「Love Again」(加山雄三with THE ALFEE名義)をリリースしたほか、THE ALFEEのステージにサプライズで登場したことがある。また、高見沢俊彦ESPにオーダーした、「エンジェルギター」にモズライトのパーツを組み込んだ「サーフ・エンジェル」をプレゼントする(お礼に高見沢の肖像画を贈ったという)などの交流が続いている。THE ALFEEがカバーした「夜空の星」を加山が、ステージで「逆カバー」している。それに関して「アルフィーのバージョンで歌ってたら、高いキーの声が出るようになったんだよ」と語っている。
  • 過去に加瀬邦彦ザ・ワイルドワンズ)が経営するライブハウスケネディハウス銀座」に、加瀬から出演のオファーが来たが、その際ギャラの問題になった。加山が「友人のライブハウスだからギャラは要らない」と固辞したのに対して、「どうしても」と懇願する加瀬。いつまでも埒があかないので、加山が条件として突き付けたのが「じゃあギャラはビールと焼き鳥!」というもので、それからノーギャラで毎月出演している。
  • モズライト・ギターを違法にコピーしていたフィルモア楽器と契約しており、自身のモデルを出していたため、モズレーの遺族と「被害者の会」から詐欺および不正競争防止法第2条1項に当たるとして刑事告訴されている。自身も「私の持っているギターは本物のモズライトではない」と発言している。起訴は免れたものの、遺族はフィルモア楽器を相手に、商標の所有権を明確にさせるためアメリカ合衆国連邦裁判所に提訴、受理された。

娯楽番組など[編集]

  • TBS8時だョ!全員集合』に出演時、台本上では加山は笑いを取る役ではなかったが、本番では加藤茶下ネタギャグ「ウンコチンチン」を披露したことがある。これは、そもそも当時所属していた東宝が「笑いを取らせるようなことをさせない」ことを条件に出演を了承していたことが関係している。しかし、これに対して加山は「馬鹿なことだろうと何だろうと『笑い』を売りにしている番組に出て笑いを取らないのは、歌番組に出て歌を歌わないのと同じこと」とスタッフの反対を押し切った形でのギャグ披露となった。
  • 同様な理由で、クレージーキャッツ主演の映画『クレージー黄金作戦』にゲスト出演した際、当初は「二人だけの海」を歌うシーンのみの出演予定だったが、アドリブで植木等のギャグ「お呼びでない? これまた失礼しました!!」を披露した。
  • テレビ朝日クイズタイムショック』では、全問正解パーフェクトを達成したことがある。
  • 1986年大晦日の『第37回NHK紅白歌合戦』で白組キャプテンを務めたが、トップバッターを務めた少年隊の『仮面舞踏会』を紹介する際、誤って「…少年隊、『仮面ライダー』!」と言ってしまった。後に「あれは控室で『何か『仮面ライダー』みたいな題名だな』と他の出演者が言ったのが頭に残っていたから」と説明している。
  • 1990年代以降は、バラエティ番組トーク番組への出演が増えた。
  • 有名なエピソードであるが、全く親交が無く「たまたま近くにいた」だけで、ダウンタウン浜田雅功に「おい雄三、コラァ」と弄られ、浜田は後に謝りに行ったが、「何故謝る必要があるのか」と返したことがある。バラエティ番組出演時において、「弄られる」ことに対しては寛容な方である。弄られパターンは、「人の話を聞かずに多く喋って突っ込まれる」という、「大御所タレントが弄られる」時の王道パターンである。前述の浜田との絡みの際に多用したことから、かなり定着したが、あまりに大御所なこともあって、加山を知る一部の芸能人を除き、弄る側もやや遠慮気味である。
  • 1990年代初期のフジテレビ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』では、南原清隆が"くわやまゆうぞう"として加山のものまねをしていたことがある。南原に内緒で同番組にゲスト出演し、加山のまねをする南原に対し「くわやま君とはデビュー以来親友だったんだよ」と茶目っ気たっぷりに対応していた。しかし、当の南原は突然の加山の登場に大汗をかいて動揺するばかりであった。

その他エピソード[編集]

芸名[編集]

加山雄三という芸名の由来は、「賀(百万石)(富士)・英小林一」から一文字ずつ拝借したものと東宝のデビュー会見で報じられている。

しかし若大将シリーズの時期には大学時代の成績が可が山程あって優が3つしかなかったので「可山優三」をもじって命名したと揶揄された。慶應義塾大学では成績の評価は「優・良・可」法ではなく「A・B・C」法なのでその説に異を唱える向きもあった。

そして、これまで説明されて来た由来は作ったものであり、実際には加山の母方の祖母(江間光子、芸名青木しのぶ)が姓名判断で縁起のいい芸名をつけてもらったことを加山自身が著書で明らかにしている[18]

ゲーム[編集]

かなりのゲーマーである。スペースインベーダーの頃から遊んでおり、幼い時の子供2人と遊んでいた[19]。少しでも時間があると、『バイオハザード』や『鬼武者』、『ファイナルファンタジー』などをプレイしている。本人によると「バイオハザードは1から5まで、5はネットでやった。FF(ファイナルファンタジー)は10までやったけど、11がネットになったからそれはやってない」と語っている[20]。特に、『バイオハザード』に熱心で、2011年に『さんまのまんま』に出演したときには、『バイオハザード』の面白さを熱弁していた。『バイオハザード1』ではナイフ使用限定クリア、『鬼武者2』において57分というクリアタイムを叩き出している。この記録は、世間的に見ても相当上手でないと達成出来ないことから、その熱中ぶりが伺える[21]。ゲームをやりだしたきっかけとしては、老化防止になると友人から薦められたから、と語っている。2006年4月5日放送の『ウチくる!?』スペシャルに出演した際は『ファイナルファンタジー』について熱く語った。ハドソンのスーパーファミコン用ソフト「鮫亀」ではゲーム音楽とイメージソングの作曲を手掛けている。また、ソフトは『バイオハザード』シリーズのみであるが、ニンテンドーゲームキューブWiiプレイステーション3も所有している。鈴木史朗とは『バイオハザード』をプレイしていると言う共通点で交友がある[22]。『バイオハザード リベレーションズ』においては発売日に朝日新聞にて鈴木と共に広告で競演。ゲームスポットジャパンでは対談まで実現した。

家族・親族[編集]

池端家[編集]

父・上原謙
神奈川県茅ヶ崎市東京都世田谷区
1909年(明治42年)11月生-1991年平成3年)11月没
1918年大正7年)3月生-1970年昭和45年)5月没
  • 元義母・大林雅美(銀座ホステス) - 池端家(加山サイド)とは絶縁状態にあり、一切の接触は断たれている。
  • 妻・松本めぐみ(元女優)
加山は妻について「カミさんがいなかったら今の俺はないですよ。俺みたいなどうしようもない人間をよくぞ操縦してくれたと。理屈とか技じゃなく、彼女は本心で動いてるから、真実ほど強いものはない。それでうちのお袋と非常に重なる部分があるんです。彼女は早くにお父さんを亡くして、十五歳から芸能界に入って家族を支えてきたし、お袋も父親と生き別れて女優として家庭を養ってきた。僕が何より嬉しいことは、カミさんが四人も子供を産んでくれて、その子がみんな本当にいい子に育ったということなんです。本当は子供は八人いたんです。四人流産して。でも僕の愛情にそれだけ応えてくれようとした彼女の気持ちが、僕は嬉しいんだ。」と語っている[23]
2014年2月、「夫婦は別居状態にあり『卒婚』状態」と報じられた。松本は1年のほぼ半分をニューヨークで生活しているが、アメリカには次女の池端えみが在住しており、ニューヨークの住まいも加山が一度借金を完済し余裕が出来た40代に密かに購入していたものであるため、別居というほど離れたものではない、としている。また、加山と松本は仕事や将来的な事も考えグリーンカード(米国永住権)を取得しており、「アーティスト」を生業にしている加山に対し、「妻」である松本は半年以上アメリカに滞在していないと権利を剥奪されるため、この対策も考え、現在の生活スタイルに落ち着いたという。夫婦は毎日電話で会話を交わし、時間の余裕が出来ると相互に行き来している[6]
  • 長男・池端信宏(映像作家)
  • 次男・山下徹大(俳優)
1975年8月生-
1976年7月生-
1978年3月生-
仁美の元夫 若山騎一郎[25]
  • 母方の従兄弟・喜多嶋修(音楽プロデューサー、女優・喜多嶋舞の父)
             若山富三郎━若山騎一郎
                     ┃
               大林雅美  ┃
                 ┃   ┃
                 ┣━━仁美凌
                 ┃
                上原謙
                 ┃
岩倉具視━岩倉具定━岩倉具顕   ┣━━加山雄三  ┏池端信宏
           ┃     ┃    ┃   ┃
           ┣━━━小桜葉子   ┣━━━╋山下徹大
           ┃          ┃   ┃
    江間俊一━青木しのぶ     松本めぐみ  ┣梓真悠子
                          ┃
                          ┗池端えみ

出演[編集]

映画[編集]

若大将シリーズ[編集]

テレビドラマ[編集]

情報・バラエティ系番組[編集]

CM[編集]

ラジオ[編集]

パチンコ[編集]

その他[編集]

  • 朝日新聞社広告局企画制作、2012年1月26日朝日新聞40面「バイオハザード リベレーションズ」鈴木史朗と共に広告宣伝。
    • GAMESPOT JAPAN バイオハザード15周年&3DS「バイオハザード リベレーションズ」発売記念 加山雄三さんと鈴木史朗さんスペシャル対談
      • 上記の広告で宣伝。

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1966年(昭和41年)/第17回 君といつまでも 15/25 吉永小百合
1967年(昭和42年)/第18回 2 別れたあの人 20/23 佐良直美
1976年(昭和51年)/第27回 3 ぼくの妹に 20/24 二葉百合子
1977年(昭和52年)/第28回 4 もえる草原 13/24 山口百恵
1978年(昭和53年)/第29回 5 海 その愛 10/24 佐良直美(2)
1979年(昭和54年)/第30回 6 旅人よ 11/23 サーカス
1980年(昭和55年)/第31回 7 湯沢旅情 13/23 研ナオコ
1981年(昭和56年)/第32回 8 若大将ヒット・メドレー[注 1] 13/22 桜田淳子
1982年(昭和57年)/第33回 9 君といつまでも(3回目) 09/22 ロス・インディオス&シルヴィア
1986年(昭和61年)/第37回 10 今は別れの時 13/20 松田聖子
1987年(昭和62年)/第38回 11 海 その愛(2回目) 09/20 松田聖子(2)
1988年(昭和63年)/第39回 12 マイ・ウェイ 13/21 佐藤しのぶ
1997年(平成9年)/第48回 13 若大将 '97スペシャル[注 2] 20/25 森山良子
1999年(平成11年)/第50回 14 君といつまでも(4回目) 12/27 Every Little Thing
2000年(平成12年)/第51回 15 海 その愛(3回目) 14/28 香西かおり
2001年(平成13年)/第52回 16 旅人よ(2回目) 13/27 小柳ゆき
2010年(平成22年)/第61回 17 若大将50年! スペシャルメドレー[注 3] 16/22 和田アキ子
  1. ^ 夜空を仰いで~お嫁においで~君といつまでも(2回目)のメドレー
  2. ^ 夜空の星」」「ブラック・サンド・ビーチ」「蒼い星くず」のメドレー
  3. ^ 「夜空の星」(2回目)「座・ロンリーハーツ親父バンド」のメドレー
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

作品[編集]

シングル[編集]

  1. 夜の太陽 (1961.07.05)
    C/W 大学の若大将
  2. みんな聞いてる青春 (1962.06)
    C/W 色々あるよ(中島潤)
  3. 日本一の若大将 (1962.07)
    C/W 一人ぼっちの恋
  4. 恋は紅いバラ (1965.06.15)
    C/W 君が好きだから 演奏・寺内タケシとブルージーンズ
  5. 君といつまでも (1965.12.05)
    C/W 夜空の星 演奏・寺内タケシとブルージーンズ
  6. ブラック・サンド・ビーチ (1965.12.05) 加山雄三とザ・ランチャーズ(インスト)
    C/W ヴァイオレット・スカイ 加山雄三とザ・ランチャーズ(インスト)
  7. 蒼い星くず (1966.04.05) 演奏・寺内タケシとブルージーンズ
    C/W 夕陽は赤く 演奏・加山雄三とザ・ランチャーズ
  8. お嫁においで (1966.06.15) 演奏・大橋節夫とハニーアイランダース
    C/W アロハ・レイ(さよなら恋人)
  9. 霧雨の舗道 (1966.09.15)
    C/W 小さな旅
  10. 夜空を仰いで (1966.10.15)
    C/W 旅人よ 演奏・加山雄三とザ・ランチャーズ
  11. ジングル・ベル (1966.11.15)
    C/W ぼくのクリスマス
  12. まだ見ぬ恋人 (1966.12.15)
    C/W 俺は海の子
  13. 二人だけの海 (1967.02.15) 演奏・ザ・ワイルド・ワンズ
    C/W 愛のすずらん
  14. 君のために (1967.05.15)
    C/W 信じてくれよ
  15. 別れたあの人 (1967.09.15)
    C/W 灯の下で
  16. 幻のアマリリア (1967.12.25) 演奏・ザ・ハプニングス・フォー
    C/W 夢の瞳 演奏・ザ・ランチャーズ+1
  17. 美しき春 (1968.04.01)
    C/W さよなら又明日
  18. ある日渚に (1968.05.10)
    C/W 暗い波
  19. しのび逢い (1968.09.10)
    C/W 何故
  20. いい娘だから (1968.12.20)
    C/W たったひとつの恋
  21. 大空の彼方  (1969.05.01)
    C/W びっこの仔犬
  22. 俺たち (1969.10.01)
    C/W さよならとさよなら
  23. ぼくのお嫁さん (1969.12.20)
    C/W 淋しい二人
  24. 美しいヴィーナス (1970.06.05)
  25. 追いつめられて (1970.10.05)
  26. 荒野をもとめて (1971.02.05)
  27. 神様の忘れ物 (1971.08.05)
  28. 雨のシャッフル (1971.12.01)
  29. さよなら愛の日 (1972.10.05)
  30. ぼくの妹に (1976.07.20)
  31. 夕映えの恋人 (1977.02.20)
  32. もえる草原 (1977.08.05)
  33. 母よ (1977.12.01)
  34. 冒険者たち (1978.03.20)
  35. フィジーにおいで (1978.06.20)
  36. 光進丸 (1978.08.05)
  37. その日海からラプソディ (1980.07.05)
  38. 湯沢旅情 (1980.11.21)
  39. この愛いつまでも (1981.02.05)
  40. 海よ永遠に (1981.07.05)
  41. Tell Me Why (1982.05.01)
  42. 明日の海 (1983.10.21)
  43. ある日渚に (1985.04.20)
    新録音バージョン
  44. 夏のめぐり逢い (1985.06.01)
  45. 絆 (1986.09.19)
  46. さらばオーシャン (1988.05.01)
    加山雄三&ザ・ワイルドワンズ名義。
  47. ちょっとだけストレンジャー (1988.07.01)
  48. 熱風 (1990.06.01)
  49. 旅立つ君に (1990.11.11)
  50. オヤジの背中 (1992.06.01)
  51. サライ (1992.11.16)
    d/w:谷村新司(日本テレビ系『24時間テレビ』テーマソング)
  52. 新しい君 (1993.10.25)
  53. ブラックサンドビーチ'94 (1994.06.16)
  54. 今ならきっと (1997.10.22)
    第一生命CMソング。作詞は、長男の山下徹大が担当。
  55. LOVE AGAIN (2000.08.04)
    加山雄三 featuring THE ALFEE名義。
  56. YES (2000.10.25)
  57. 愛と未来のために (2003.03.05)
  58. 時を超えて (2004.05.19)
  59. 星の旅人 (2007.07.04)
    テレビ朝日『若大将のゆうゆう散歩』テーマ曲(2012年5月7日〜9月14日)
  60. 勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜 (2007.09.19)
    d/w:谷村新司(日本テレビ系24時間テレビ新テーマソング)
  61. 座・ロンリーハーツ親父バンド(2010年4月7日)
    加山雄三とザ・ヤンチャーズ名義、ザ・ヤンチャーズメンバー(森山良子谷村新司南こうせつさだまさしTHE ALFEE) - 若大将50年!加山雄三50周年記念特設サイト
    フジテレビ系『ペケ×ポン』2010年4月〜6月のエンディングテーマ
  62. 逍遙歌〜そぞろ歩けば〜(2012年9月26日)
    テレビ朝日『若大将のゆうゆう散歩』テーマ曲(2012年9月17日〜)
  63. Dreamer 〜夢に向かって いま〜(2014年4月9日)[28]

※2008年5月14日に発売予定のシングルは発売延期された。オリコン、CDショップ等の情報にタイトル表記が《発売延期》未定となっているが、曲名ではなくCDシングルが発売延期されて内容が未定であることを表している。

アルバム[編集]

  • オリジナルアルバム
  1. 加山雄三のすべて〜ザ・ランチャーズとともに (1966.01.05)
  2. 恋は紅いバラ-加山雄三アルバム- (1966.02)
  3. ハワイの休日 (1966.06.15)
  4. 加山雄三のすべて 第二集 (1967.01.05)
  5. 太陽の恋 (1967.06.05)
  6. 加山雄三のすべて 第三集 (1967.12.25)
  7. 君のために (1968.09.10)
  8. 大空の彼方 (1969.08.05)
  9. 世界のどこかで (1969.12.20)
  10. 愛はいつまでも (1970.10.05)
  11. 荒野をもとめて (1971.04.05)
  12. 海 その愛 (1976.05.20)
  13. 地平線の彼方 (1977.11.05)
  14. 加山雄三通り (1978.06.20)
  15. 愛する時は今 (1980.11.21)
  16. FOR THE GOOD TIMES (1983.06.01)
  17. 永遠の夏 (1985.06.01)
  18. はるかな未来(あした)へ (1986.11.21)
  19. 湘南に愛をこめて (1990.04.11)
  20. 父に捧げるピアノコンチェルト (1991.04.11)
    弾厚作名義。
  21. サライ (1992.12.26)
  22. 鯛取る (1996.07.05)
  23. LIFE (1997.06.04)
  24. 鯛取る2(ふたたび) (2001.07.20)
  25. 星の旅人 (2007.07.25)
  • ライブアルバム
  1. オン・ステージ-ランチャーズと共に- (1968.12.05)
  2. 加山雄三イン・ベラミ〜ナイト・クラブの加山雄三 (1971.12.20)
  3. 加山雄三1976-武道館ライブ- (1976.12.26)
  4. My Favorite Songs (1987.12.05)
  • ベストアルバム
  1. ゴールデン・アルバム あなたと共に (1967.12.01)
  2. 加山雄三 恋、夢、海、人生、ビート、太陽 (1969.12.01)
  3. 加山雄三デラックス (1972.02.05)
  4. 加山雄三全曲集 (1974.11)
  5. 加山雄三ベスト40 (1975.05)
    '90年代にCD版が発売されたが、なぜか『びっこの仔犬』が『ロンリー・ナイト・カミング』へと収録曲が差し替えられている。2001年にさらに再発されたものでも同様である。
  6. 栄光の加山雄三 ホット・アクション&クール・フィーリング (1976.02)
  7. 栄光の加山雄三 ムード・イン・サウス・パシフィック (1976.02)
  8. KAYAMA YUZO BEST40 (1981.10.21)
    1975年に発売されたものとは別物。
  9. IN YOUR HEART Vol.1 (1985.04.20)
  10. 加山雄三CDベスト (1985.05.01)
  11. IN YOUR HEART Vol.2 (1985.09.21)
  12. ツインベスト30 (1986.09.20)
  13. ニュー・ベストナウ70 (1988.05.25)
  14. オリジナルベスト20 (1988.07.25)
  15. オリジナル・ベスト (1992.08.01)
  16. ブラック・サンド・ビーチ (1994.07.01)セルフカバーを含むインスト作品のベスト。
  17. 加山雄三・谷村新司〜SPECIAL EDITION (1995.01.25)
  18. グレイテスト・ヒッツ (1995.08.21)
  19. SINGLES COLLECTION~Abbey Road Studios Masterings (2000.8.4)
    2002年に移籍先のレコード会社からも再発されたが、その際に収録曲が追加された。
  20. 加山雄三 グレイテスト・ヒッツ〜アビーロード・スタジオ・マスタリング (2001.11.21)
  • カバーアルバム
  1. TRIP OF DAVID (1971.07.25)
  2. 演歌流し唄 (1972.06.05)
  3. WHITE CHRISTMAS (1983.12.01)
  4. YESTERDAY (1986.03.31)
  5. All by myself (1986.03.31)
  6. natural (2005.07.20)
  • サウンドトラック
  1. RETURN OF THE CHAMP〜『帰ってきた若大将』オリジナル・サウンドトラック (1981.02.21)
  2. 若大将トラックス (1995.08.21)
  3. 若大将トラックス Vol.2 (2002.05.22)
  • ボックスセット
  1. 東宝映画 若大将グラフィティ (1981.07.05)
  2. 加山雄三ストーリー1965〜1987 (1987.06.05)
  3. 45th Anniversary 加山雄三 GOLD 100 (2005.04.13)
  • その他
  1. 加山雄三ショー (1988.09.25)NHKの同名番組から生まれた曲を集めた企画盤。

作曲[編集]

加山はモーツァルトケッヘル番号にあやかって、作曲した曲にケッヘル番号と同じくKから始まる「Kナンバー」という作品番号を付けている。「Kナンバー」のKは加山もしくは厚作のイニシャルである。

なお、本家のケッヘル番号のように一度番号が付けられた後に楽曲が「発掘」されることなどがあり、また「加山雄三 with 大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」においてクラシックの殿堂である東京文化会館のステージに立つことに合わせて2006年に番号の整理が行われた。以下に記述した「Kナンバー」は2006年に再整理された番号である。

  • [K. 1] 夜空の星
  • [K. 7] 恋は紅いバラ
  • [K. 18] 君といつまでも
  • [K. 35] 夕陽は赤く
  • [K. 65] 夜空を仰いで
  • [K. 68] 旅人よ
  • [K. 70] 二人だけの海
  • [K. 105] ある日渚に
  • [K. 170] September 4th
  • [K. 210] ぼくの妹に
  • [K. 213] ピアノ協奏曲第1番 ニ短調
  • [K. 231] ひとり渚で
  • [K. 243] 海 その愛
  • [K. 245] 弦楽合奏のためのロンド「真悠子」
  • [K. 427] 時を超えて
  • [K. 433] サライ
  • [K. 505] 風を見たいか (2008年発表)

以下、校歌の作曲も行っている。

画集[編集]

近代映画社から、画集がシリーズで刊行されている。海を描いた風景画が最も多いが、船のデザイン画、陶磁器、漆器など多彩な作品が収められている。

  • 加山雄三画集 すべて愛なんだ(1996年)
  • 加山雄三画集 すべて愛なんだ<Ⅱ>(1997年)
  • 加山雄三画集<Ⅲ> 海その愛(1998年)
  • 加山雄三画集<Ⅳ> 愛する時は今(1999年)
  • 加山雄三画集<Ⅴ> この愛いつまでも(2001年)
  • 加山雄三画集<Ⅵ> 愛はいつまでも(2002年)
  • 加山雄三画集<Ⅶ> 愛と未来のために(2003年)
  • 加山雄三画集<Ⅷ> 愛につつまれて(2005年)
  • 加山雄三画集<Ⅸ> 愛をありがとう(2006年)
  • 加山雄三画集<Ⅹ> 愛があるから(2007年)
  • 加山雄三画集<Ⅺ> 愛と夢と絆(2008年)
  • 加山雄三画集<Ⅻ> 愛は永遠に(2010年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』190頁
  2. ^ 実質的な経営者は加山の叔父(母・小桜葉子の弟)・岩倉具憲で、加山と父・上原謙が共同オーナーとなった(2010年7月17日付けスポーツニッポン掲載「我が道・加山雄三」より)
  3. ^ “若大将のスキー場、震災に勝てず閉鎖へ”. YOMIURI ONLINE. (201107-30). オリジナル2012年12月3日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121203005436/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110730-OYT1T00097.htm?from=main6 2014年7月2日閲覧。 
  4. ^ “加山雄三さんに茅ケ崎市民栄誉賞”. asahi.com. (2010年5月19日). オリジナル2010年5月21日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100521094025/http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201005190346.html 2014年7月2日閲覧。 
  5. ^ “芸術選奨、加山雄三さんら31人(1/2ページ)”. asahi.com. (2011年3月22日). オリジナル2011年3月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110327203958/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201103220280.html 2014年7月2日閲覧。 
  6. ^ a b “加山雄三が「卒婚」を告白 妻が住むNYへ「通い夫」状態”. NEWSポストセブン. (2014年4月20日). オリジナル2014年2月22日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140222223010/http://www.news-postseven.com/archives/20140220_242332.html 2014年2月22日閲覧。 
  7. ^ 加山雄三Finalホールコンサートツアー
  8. ^ 近代映画1967年1月号153頁より
  9. ^ フジテレビ『新堂本兄弟』(2007年9月2日放送回より本人談)
  10. ^ 日本テレビ『行列のできる法律相談所』(2010年)より。
  11. ^ NHK-FM『トーキング ウィズ 松尾堂』(2012年4月8日放送回より本人談
  12. ^ “人生は夕方から楽しくなる:75歳「毎日が新しいスタート」加山雄三さん 毎日新聞 2013年02月15日 東京夕刊”. 毎日jp. (2013年2月15日). オリジナル2013年5月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130514001424/http://mainichi.jp/select/news/20130215dde012070071000c.html 2014年7月2日閲覧。 
  13. ^ “「ちい散歩」天国でも…地井武男さん死去(2/2ページ)”. SANSPO.COM. (2012年6月30日). オリジナル2012年7月3日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120703063543/http://www.sanspo.com/geino/news/20120630/oth12063005060010-n2.html 2014年7月2日閲覧。 
  14. ^ “「ちい散歩」後継・加山雄三、地井武男さん逝去にコメント…「彼に喜んでもらえるよう、散歩を頑張る」”. シネマトゥディ. (2012年6月29日). オリジナル2013年6月5日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130605123228/http://www.cinematoday.jp/page/N0043583 2014年7月2日閲覧。 
  15. ^ a b “加山雄三 : 地井さんにはなむけ「君が遺した素晴らしい心伝えたい」”. MANTANWEB. (2012年8月6日). オリジナル2012年8月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120808201058/http://mantan-web.jp/2012/08/06/20120806dog00m200016000c.html 2014年7月2日閲覧。 
  16. ^ “加山雄三 地井さんに弱音「視聴率守れるか一番心配」”. Sponichi Annex. (2012年8月6日). オリジナル2012年8月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120808005249/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/08/06/kiji/K20120806003848450.html 2014年7月2日閲覧。 
  17. ^ ホテル自体は会社更生法が適用されおよそ17億円で売却された。その後ホテルは別の経営陣により1988年まで営業が続けられた(2010年7月17日スポーツニッポン掲載「我が道・加山雄三」より)。
  18. ^ 加山雄三『終わりなき航路 加山雄三の人生』世界文化社、2000年、p184。
  19. ^ 2011年11月30日朝日新聞朝刊15面「リレーおぴにおん ゲームのお作法4 俳優 加山雄三」より。
  20. ^ フジテレビ系「MUSIC FAIR」2011年6月18日放送より
  21. ^ 以下の外部リンク先を参照。GAME Watch『PlayStation Awards 2001』
  22. ^ 2009年2月15日『からくりTV』「鈴木史朗ゲームが得意」それってホント?、タブハウス『活力のあるシニアが新時代を作る』より。さらに2009年3月16日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』では、両者がこのゲームをはまっていることと、『バイオハザード5』を遊んでいることが紹介されている。
  23. ^ 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』197-198頁
  24. ^ “結婚報道で再燃!? 仁美凌が加山雄三から絶縁されていた”. cyzo woman. (2010年4月12日). オリジナル2010年4月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100415013153/http://www.cyzowoman.com/2010/04/post_1722.html 2014年7月2日閲覧。 
  25. ^ 2012年5月結婚、10月離婚。2013年10月復縁、2014年3月再離婚。
  26. ^ アトリエde 加山”. BSフジ. 2014年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月2日閲覧。
  27. ^ “加山トーク番組初回収録 多分野ゲストと多角的に語る”. Sponichi Annex. (2012年3月16日). オリジナル2012年3月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120319050943/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/16/kiji/K20120316002837210.html 2014年7月2日閲覧。 
  28. ^ 加山雄三│うたまっぷ

外部リンク[編集]