元勲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元勲(げんくん)は、明治維新に功績があり、以降の政治に重きを為した政治家たちのこと。
目次 |
[編集] 定義
明治維新を実現し、明治政府の樹立に寄与した人物を、以後の時代「元勲」と呼んだ。維新後を生き延びた薩長土肥出身士族の場合、明治政府において参議内閣制が確立された1871年(明治4年)6月25日以降、参議に任じられ、公家出身の三条実美は太政大臣、岩倉具視は右大臣に任ぜられた。1885(明治18)年に太政官制が内閣制度に置き換わると、公家出身者に代わり、士族出身者が各省の長官である大臣となった。第1次伊藤博文内閣の薩長出身閣僚は、元勲のなかでも後に元老となる中核的メンバーであった。
元勲の資格は、維新における功績が前提とされたため、以後の世代に継承されることはなかった。時代が下るに従い、元勲であること自体が希少価値を持つこととなり、元勲という言葉が彼らの伝説的な歴史的・社会的重要性を示す用語として新聞、書籍などで用いられた。明治年間にあっては「維新の元勲」であり、大正年間に入り「明治維新の元勲」と呼ばれるようになる。戦後にいたり、「明治の元勲」の用例が出てくる[1]。「元勲」の語は普通名詞としても用いられ、他国の革命やクーデターや独立運動で成立した政治体制の主要メンバーを指して使われることもある[2]。
[編集] 元勲の一覧
- 公家出身
- 薩摩出身
- 長州出身
- 土佐出身
- 肥前出身
- 肥後出身
- 幕府出身
- 勝安芳(海舟)
[編集] 脚注
- ^ 「明治の元勲」の確認できる初出は、朝日新聞東京本社版1973(昭和48)年10月29日2面「時の流れか雨も響き閑散 ワンマンしのぶ会」で、「明治の元勲らを祭った「七賢堂」の例祭が二十八日、神奈川県大磯の故吉田茂氏邸で行なわれた。表向きは三条実美、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視、伊藤博文、西園寺公望の六人に、戦後の吉田元首相を加えた「七賢」をしのぶ会だが、実際は佐藤前首相による「吉田学校」の同窓会。」とある。
- ^ 例示すれば、読売新聞1920年(大正9年)8月11日5面「独逸のヴ元帥逝く 独逸陸軍界の元勲である」、同1924年(大正13年)6月19日3面「ムソリニ首相 元勲内閣を推薦 首相は平大臣となる 拉致事件意外に展開」などがある。
- ^ 読売新聞1926年(大正15年)4月22日「生ける国宝!! 唯一人現存する明治維新の大元勲」。