山城新伍
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| やましろ しんご 山城 新伍 |
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| 本名 | 渡辺 安治 わたなべ やすじ |
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| 生年月日 | 1938年11月10日(70歳) | ||||
| 出生地 | |||||
| 職業 | 俳優、テレビ司会者 | ||||
| ジャンル | 映画、テレビドラマ、CM、映画評論、テレビ番組の司会 | ||||
| 活動期間 | 1957年 - 2006年より休養中 | ||||
| 配偶者 | なし | ||||
| 公式サイト | (株)オフィス・タッチ 山城新伍プロフィール | ||||
| 主な作品 | |||||
| 映画:『仁義なき戦いシリーズ』、『不良番長シリーズ』、『桃太郎侍』、『白馬童子』 | |||||
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山城 新伍(やましろ しんご、1938年11月10日 - )は、京都府京都市出身の俳優、司会者、映画評論家、映画監督、タレント。本名:渡辺 安治(わたなべやすじ)。京都府立山城高等学校卒業。父は医師(開業医)で母は看護婦。女優の花園ひろみは元夫人で、女優の南夕花は長女。
目次 |
[編集] 所属事務所
東映→沢井プロダクション→(株)サイプロダクション→(株)プロダクションノータイトル→(株)オフィス・タッチ
[編集] 人物
時代劇スターに憧れエキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期でデビュー。同期には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子など。テレビドラマ『白馬童子』で子供たちの人気者となる。子供向けの時代劇だったが、都会的で端正な顔立ちのスマートな青年で、白馬に跨り忍者のような白装束の衣装が似合い、立ち回りの切れもよかったため大人にも大人気を博した。
当時は映画の全盛期であり、テレビは黎明期だったので映画会社はテレビを軽視し、ドラマには無名の俳優ばかりが出演していたが、東映の俳優による公開野球大会が行われたとき無名若手俳優の山城新伍が登場すると並居る大スター以上の拍手が客席から沸き起こり、映画会社は初めてテレビの影響力の大きさを認識し、テレビを脅威と感じるようになった。また当時映画監督や俳優にはテレビの仕事をする監督や役者は二流だという認識があったので、嫉妬からいわれのないイジメを数知れず受け、長年俳優として低迷することとなった。映画では脇役が多かった。
60年代に入ると黒澤明や勝新太郎の座頭市などの影のあるリアルな時代劇に人気が集まり、脳天気な白塗りの東映時代劇の人気がなくなった。 このころから若手監督の深作欣二と交友を深め二枚目からアクの強い個性派にイメージチェンジを図り、東映ヤクザ映画で再び頭角を現すようになった。そのジャンルを選ばぬ姿勢を評して「ミスター・プログラムピクチャー」と呼ばれた。その後活躍の舞台をテレビに移し、その辛らつでいながら温かみのある語り口からバラエティ番組でもいかんなくその個性を発揮し、機転の良さとコメディー・センスと関西弁の話術で、司会やパネラーとして活躍し、2時間ドラマでは主演作を多く持った。
1970年代初期、3年ほど干されていた時期があるが、吉田豪によるインタビューによると「海外で銃を買って帰ったため」だという。
本人はテレビ出身のコンプレックスが強く、映画への想いは熱い。俳優・タレント活動以外にも、映画評論、映画監督もこなしている。監督としては、にっかつロマンポルノのヒット作『女猫』(めねこ)、『双子座の女』のほか、『せんせい』、『やくざ道入門』、『本日またまた休診なり』、『ファミリー』といった作品がある。
若山富三郎に気に入られ、その影響を受けて、俳優仲間、特に映画『仁義なき戦い』での共演者を中心に面倒見のいいところがあり、仲間たちのバラエティ進出をフォローしていた向きがある。認めないうちは非常に厳しいが、いったん認めると重用するところがある。
また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビで放送された『火曜洋画劇場』で司会を行った。低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で…」など歯に衣着せぬも映画愛にあふれる言葉で映画の批評を行っていた。
1982年に内藤誠監督と脚本の桂千穂が個人出資で筒井康隆原作を映画化した『俗物図鑑』では反吐評論家役で出演。当初は主演の話もあったが、原作者に容姿が似すぎているため(替わって主演した平岡正明は、思想の似た者は容姿も似る、とコメント)NGとなったという。この映画は結局、平岡以下本物の評論家や文化人が大部分のキャストを担うことになった。ただし、山城の出演は多忙のため不自然に姿が見えなくなる場面が出てくるなど限定的であり、超低予算から考えても当初山城主演説は平岡が後からウケ狙いまたは照れ隠しで作った話にすぎない可能性もある。
プロ野球は阪神タイガースのファンであり、かつては年1回サンテレビのプロ野球中継『サンテレビボックス席』にゲストとして呼ばれていた。
浜村淳、元阪神タイガース監督吉田義男は高校の先輩、釜本邦茂、毎日放送アナウンサー野村啓司は高校の後輩である。高校では、ラグビー部に入っていた。
元夫人の花園ひろみと車で湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ!」と迫った話はテレビで何度も言っている。それだけ花園を深く愛し、それに自信を持っているが、女性関係にゆるい部分もあり、花園とは結婚と離婚を2回ずつしている。「僕の家族は山城教だ」と家族の結束に強い自信を持っていたが、娘から女性誌を介して絶縁状を突きつけられたことがある。
1990年代まではテレビ番組の司会やクイズ番組のパネラーとして活躍し、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で共演した逸見政孝とは、同じ関西出身であった事や番組出演がきっかけで親友となり、彼の葬儀では「春になったら一緒に憎まれ口を叩きながら(『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の特番での)司会をやりたかったのに、残念なものだ」と弔辞を読み涙した。また日曜19時枠で『クイズ・マネーイズマネー』の司会を務め、同番組が終了してしばらく経った後、当時裏番組であった『クイズ!!ひらめきパスワード』で2代目司会者を務めるという珍現象もあった。
かつて島田紳助とは『新伍&紳助のあぶない話』で共に司会を務め、バラエティ番組で共演するほど仲が良かったが、後に関係が悪化する。その後は2002年10月の『開運!なんでも鑑定団』で共演している。
超C調なバカキャラ(『不良番長』シリーズなど)から無口で職人肌の男(『付き馬屋おえん』など)まで演じる役の幅は広く、どの役でも圧倒的な存在感を見せている。
2005年12月25日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系)に出演。糖尿病を患っていたことを告白。また、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、里見浩太朗、逸見政孝とのエピソードについて語った。糖尿病を患ってからは痩せ、テレビ番組の露出を控えている。
2007年5月6日、朝日新聞日曜版で写真入りで近況が伝えられる。糖尿病はコントロールできているとのことで、容色もふっくらとし、現場復帰への意欲を述べていた。医師をしていた父も重度の糖尿病で亡くなったとのことで、糖尿病は「遺伝」だとコメントしている。
2008年8月28日発売の週刊文春で『「このまま消えてしまいたい」山城新伍直撃「老人ホーム」最後の日々を語る」』と題された記事において、老人ホームで老後を送っていると報じられた。そこでは「芸能界に戻る気はない」、「みんな自分の事を忘れている」、「娘には会いたい」と言うことでテレビに出演することを期待しているが、健康状態等、諸般の事情から復帰は困難であろうといわれている。
関西弁(時おり関東弁になることもある)で物事をはっきりとテレビでも言う性格で知られているため、敵対する者も多く、やしきたかじんは「山城は嫌いや」と言って憚らない(以前『新伍のわがまま大好き』などでも共演していた)。山城自身は彼を評価しており、『たかじんnoばぁー』の出演を熱望したが、しばらく断られていた(後に共演するが、その後も「俺は好きになれん」と言われていた)。
[編集] 山城の発言録
- 「NHKは公共放送。なのになんで1週間ずっとジャニーズが出て、SMAP全員に主役を持たせるのか。あんな近藤勇なんか見とうないわ」
- 「ジャニーズなんて男どうしでカマほってる集団やろ。気持ち悪い」
- 「どこの事務所に所属しているかで、キャスティングが決まるのはおかしい。別にバーニングとはいってへんけどね」
- 「これまでの時代劇を全否定しやがって。三谷幸喜、なめとんのか。俺は許さんよ」
- 『古畑任三郎』に出演し、三谷も山城の回のエンディングは敬意を払ったもので、相互の評価は悪いものではなかったが、NHK大河ドラマ『新選組!』については時代劇俳優として決定的に受け入れられるものではなかった。また、この発言のときは映画の完成発表のときでもあり、彼一流のアドバルーンであった側面もある。
- 「寄らば大樹はクズの考え。今の芸能界はそうなっている。俺の意見に日本国民の8割は賛成してくれるやろう」
- 「NHKの受信料の一部は、ジャニーズに流れとるんやろ。そんな受信料なら払うな」
- 「昼はファンに追いかけられ、夜は社長に追いかけられる。どこのプロダクションのことか分かるやろ」
- 「俺の残りの俳優生命をかけてもええ」
- 「チョメチョメ」
- 「このダーホ!」
- 「俺があんな(おどけた)CMやったとき、『ああ、落ちぶれたな』とか思わせへん自信はあるよ。宝田明さんとちごてね」
- 「嫌いな俳優?緒形拳やね。あんな鈍くさい奴、俺より評価受けとる俳優みんな嫌いや」(山城の著書には、緒形との交友も記されており、この発言は山城流のジョークである)
- 「その方がロマンがあるがな。コーマンやないで」
- 1992年、『EXテレビ』にて、当時参議院議員だったアントニオ猪木の都知事選辞退に際して金の授受があったとの疑惑に関し、「あれはあかん。もう終わりやね」と発言。しかし、数年後に『あぶない話』に猪木がゲスト出演した際には、「猪木さんが金もらうわけないがな」と180度方向転換したコメントを発した。
- 1994年『笑っていいとも!』出演時、宅麻伸と賀来千香子の結婚について「3年で別れる。俺は当たるんだ」とコメントしたが、2009年現在、宅麻夫妻は離婚していない。
- 「男と(セックスを)やらなあかんのやったら、(相手は)名高達男がええ」
- (小泉純一郎の長男孝太郎が芸能界入りするというニュースに対して)「そんなもん俺が苛めて芸能界から追い出したる」
- 2001年頃、「小泉総理よ、あんたが首相としてやった事は息子を芸能界デビューさせた事だけなんや」、「政治家として、何一つやってないんや」
[編集] 部落差別問題と著作
芸能の歴史と部落差別問題について詳しく、著作もある。
- 現代・河原乞食考―役者の世界って何やねん?(解放出版社)1997.8
[編集] そのほかの著作
- 白馬童子よ何処へ行く 独占男の時間(八曜社)1976 - 吉田豪の「読んだタレント本中のベスト」
- 映画通のタネ本(青春出版社)1979.10.(プレイブックス)
- 軟派の硬意地 芸能界、裁くのは俺だ 裁かれるのも俺だ(実業之日本社)1983.11
- 山城新伍の「知りすぎてしまった男」(はまの出版)1986.10
- 新伍のぶっつけ本番(ふたば書房)1988.6
- 新伍のハーフタイム(ビクター音楽産業)1989.9.(ビクターブックス)
- 一言いうたろか(広済堂出版)1993.10
- かなり好きです(青春出版社)1994.5
- 若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ(幻冬舎)1998.6 - 吉田豪、水道橋博士も絶賛の名著。「オレは、この二人にしか、影響を受けていない」と記載されている。
- わがまま筆まかせ(中央公論社)1999.8
[編集] 略歴
- 1957年 東映ニューフェイス第4期生
- 1959年 『風小僧』第1部 疾風之介役でデビュー。同年、第2部で主演。
- 1960年 『白馬童子』で主演し、人気を博す。
- 1966年 女優の花園ひろみと結婚。
- 1975年 『独占!男の時間』でバラエティに進出。
- 1981年 フジテレビ系「アイ・アイゲーム」で伏字を「チョメチョメ」と表現し流行語になる。
- 1985年 花園ひろみと離婚。
- 1991年 花園ひろみと2度目の結婚。これを『新伍のお待ちどおさま』で梅宮辰夫に発表され、更に彼から祝福のキスを受ける。
- 1999年8月 花園ひろみと2度目の離婚。
その後も同居していたが、2001年以降は一人暮らし。
- 2005年 糖尿病で入院。
現在は自宅療養中であり、2007年夏以降に復帰という方向で動いているらしいが詳細は不明。前述の週刊誌によると芸能生活50周年だった2007年に何のパーティーも開かれなかったことからそのまま引退するのではという噂も流れている。
[編集] 主な出演作品
[編集] 映画
- 新選組血風録 近藤勇(1963年、東映)
- 不良番長シリーズ(東映。ほぼ全作に出演)
- 喜劇 ギャンブル必勝法(東映。数少ない現代劇の主演作品)
- 仁義なき戦い(東映) 江田省一 役
- 新仁義なき戦い(東映)
- 直撃地獄拳 大逆転(東映)
- 県警対組織暴力(東映)
- 女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年、東映)
- 女番長ブルース 牝蜂の挑戦(1972年、東映)
- 資金源強奪(1975年、東映)
- トラック野郎(東映)
- 歌麿 夢と知りせば(1977年、太陽社)
- ミスターどん兵衛(1980年、東映、監督作品)
- キネマの天地(1986年、松竹)
- ハチ公物語(1987年、松竹)
- 塀の中の懲りない面々(1987年、松竹)
- スウィートホーム(1989年、東宝)
- せんせい(1989年、松竹、監督作品)
- やくざ道入門(1994年、松竹、監督作品)
- サラリーマン金太郎(1999年、東宝)
- 本日またまた休診なり(2000年、松竹、監督作品)
- 週刊バビロン(2000年、東映、監督作品)
- 暗黒街の帝王 カポネと呼ばれた男(2008年、東映)
[編集] ドラマ
- 風小僧(東映制作、NET)
- 白馬童子(東映制作、NET)
- 銭形平次(CX/ 東映)
- 第250話「わらべ唄殺人事件」(1971年) - 次郎吉
- 第321話「お島の死」(1972年) - 弥助
- 第344話「人情豆狸横丁」(1972年) - 喜三郎
- 第444話「妻は夫を労りつ」(1974年) - 野呂木万作
- 第483話「親父はつらいよ」(1975年) - 留助
- 第819話「若旦那万事休す」(1983年) - 与之助
- 忍法かげろう斬り(1972年、KTV・東映)第20話「くノ一と大盗賊」 - 暗闇の源太
- 座頭市物語(1974年、CX)第8話「忘れじの花」
- Gメン'75(1975年、TBS・東映)第12話「漂流死体」
- おはようさん(1975年 - 1976年、NHK) - 桐生一茂
- いごこち満点(1976年4月6日~同年9月28日、TBS・テレパック)
- 敵か?味方か?3対3(1978年、ANB)
- 新ハングマン(ABC)
- 桃太郎侍(NTV)
- 新五捕物帳(NTV ただし、主演は杉良太郎) - 岡っ引き・おいてけ掘の安五郎 役
- 必殺必中仕事屋稼業(1975年、必殺シリーズ)第9話「からくり勝負」
- 闇を斬れ(1981年、KTV・松竹)
- 暁に斬る!(1982年10月~1983年3月、KTV・ヴァンフィル)
- 迷宮課刑事おみやさん 第1話(1985年、ABC) - 田端(中塚)精次 役
- 妻たちの課外授業II(1986年 - 1987年、NTV)
- 新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵(1987年正月、必殺シリーズ) 大石内蔵助役
- 火曜サスペンス劇場「窓」(1987年、NTV) - 主演
- 付き馬屋おえん事件帳(TX)
- 火曜サスペンス劇場「悪夢の五日間」(1990年8月14日放送、NTV・トムソーヤ企画) - 主演
- 必殺スペシャル・新春 せんりつ誘拐される、主水どうする? 江戸政界の黒幕と対決!純金のカラクリ座敷 (1992年正月、必殺シリーズ) 丑寅の辰役
- 半七捕物帳(1992年10月~1993年2月、NTV・ユニオン映画)
- 監察医・薮野善次郎1~10(1996年~2003年、TBS) 主演・薮野善次郎役
- 古畑任三郎 (CX系、1996年2月28日放送 第21話「魔術師の選択」犯人・南大門昌男役)
- ゆずれない夜(1996年、KTV) - 大瀬健策役
- 南町奉行事件帖 怒れ!求馬II(1999年、TBS・C.A.L)第2話「泣きぼくろの女」 喜之助役
- 水戸黄門第28部(2000年、TBS)安芸広島藩勘定奉行・秋月真之助役(ゲスト出演)
- 金曜エンタテイメント「京都祇園入り婿刑事事件簿7」(2000年、CX) - 伊坂誠一郎役
- 土曜ワイド劇場「癒しの事件簿・藤井若菜の犯罪被害者相談室」(2007年3月31日、EX) - 伊集院遊心役
[編集] バラエティ他
- 独占!男の時間 (東京12チャンネル、現・テレビ東京)
- 笑アップ歌謡大作戦(テレビ朝日)
- 何かとワイド面白地球(テレビ朝日、司会)
- 世界とんでも!?ヒストリー(1993年 テレビ朝日、解答者)
- アイ・アイゲーム(フジテレビ、司会)
- クイズ!ベストカップル(フジテレビ、司会)
- クイズ天国と地獄(TBS、司会)
- クイズ!!ひらめきパスワード(MBS、2代目司会)
- 新伍とんでけ捕物帳(MBS、主演)
- それいけ!新伍迷探偵(MBS、主演)
- 金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ 三日月刑事役)
- 金曜娯楽版(日本テレビ、司会)
- 夜はドキドキ!!(KTV、司会)
- 新伍のお待ちどおさま(TBS、司会)
- クイズ どんなMONだい?!(日本テレビ、解答者)
- クイズ・マネーイズマネー(ytv'、司会)
- 新伍のわがまま大好き(ABC、司会)
- 新伍・紳助のあぶない話(KTV、司会)
- レインボー(MBS、司会)
- 新伍Niタッチ!(MBS、司会)
- 新伍のワガママ大百科(MBS、司会)
- 山城桃源郷(ytv'、司会)
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ、通常放送では解答者・特番では司会、1993年に逸見政孝の代理司会)
- 新装開店!SHOW by ショーバイ!!
- 新装開店!SHOW by ショーバイ2
- 火曜洋画劇場(サンテレビ、司会・映画評論)
- 壮絶バトル花の芸能界 男と女!!(日本テレビ、パネラー)
- ろみひー(中京テレビ、1999年)
- 東京金歯(BSフジ、審査員)
[編集] オリジナルビデオ
[編集] 吹き替え
[編集] CM
- どん兵衛(日清食品、川谷拓三と共演)
- ユンケル黄帝液(サトウ製薬)
- ベープ(フマキラー)
- バブルスター(原ヘルス工業、北大路欣也と松方弘樹と梅宮辰夫と千葉真一と共演)
- サッポロ生黒ラベル(サッポロビール)
- タイタン(マツダ)
- ボンゴ(マツダ)
[編集] 受賞歴
- 第4回日本ジュエリーベストドレッサー賞男性部門(1993年)

