若杉弘

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若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - )は、日本指揮者

若杉要は日米開戦時の駐米公使。

目次

[編集] 来歴

ニューヨークに生まれる(実父が当時、外務省駐米ニューヨーク総領事を務めていた為)。
慶應義塾大学経済学部へ入学し、経済学を学びつつ混声合唱団楽友会に所属、音楽への思いを断ち切れずに中退し、1963年東京芸術大学指揮科で伊藤栄一らに師事。卒業後すぐにNHK交響楽団指揮研究員となり、カイルベルトロイブナーマタチッチサヴァリッシュアンセルメマルティノンエレーデなどの薫陶を受ける。1963年3月に東京交響楽団を指揮してデビューした。

1977年ケルン放送交響楽団首席指揮者就任。以後は海外に活躍の場を広げ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団バイエルン放送交響楽団ボストン交響楽団モントリオール交響楽団などに客演したり様々な要職を得るなど、クラシック音楽の中心地とも言えるドイツ語圏でアジア人指揮者の地位確立に貢献した一人である。

オペラ指揮者としての経歴は、ドイツにおいてライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフ/デュイスブルク)音楽総監督(GMD)、ドレスデン国立歌劇場およびドレスデン・シュターツカペレ常任指揮者、バイエルン国立歌劇場指揮者などの要職を歴任し、日本でも東京室内歌劇場芸術監督、新国立劇場芸術参与、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール芸術監督を歴任するなど、世界でも一流のキャリアを持つ。ドレスデン国立歌劇場における常任指揮者の最後の1年は国立歌劇場音楽総監督(GMD)も務めたが、任期途中での解任により本人の主要プロフィールには載せられていない。2007年9月より新国立劇場の芸術監督に就任(任期は2010年8月まで)。

コンサート指揮者としては、前述のケルン放送交響楽団首席指揮者のほか、1965年読売日本交響楽団常任指揮者、1986年から1995年まで東京都交響楽団音楽監督(1987年より首席指揮者兼務)、1987年から1991年までチューリヒ・トーンハレ協会の芸術総監督(1988年よりチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の首席指揮者兼務)などを務めた。

芸術選奨文部大臣賞日本芸術院賞朝日賞毎日芸術賞サントリー音楽賞N響有馬賞ほか受賞多数。

[編集] 現在の主要タイトル

[編集] 世界初演リスト

  • シェッフェル:ヴァイオリンとオルガンとオーケストラのための『協奏曲B-A-C-H (1984)』

[編集] 日本初演リスト

[編集] 脚注

  1. ^ 1991年に東京都交響楽団慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団を指揮した時とされているが[1]、実際にはそれよりも前に日本初演が行われている。1980年1月10日、桜井吉明指揮、大阪大学男声合唱団、ワグネル・フィルハーモニー管弦楽団による[2]

[編集] 音楽上の特徴

「プログラミングの時点で演奏会は始まっている」との信念のもと、時代背景・調性・文学・演奏機会といった観点から、世界に二つとない凝りに凝ったプログラム作り、あるいは聴衆に聴かれる機会の少ない作品をコンサート・オペラハウスで取り上げるのが特徴である。「マーラーと新ウィーン楽派」(1988年 - 1990年)、「ブルックナーとメシアン」(1996年 - 1998年)といったツィクルスを組んだことでも知られる。フランス物などの隔たりのない選曲が特徴である。

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