金子兜太

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金子 兜太
(かねこ とうた)
誕生 1919年9月23日(94歳)
日本の旗 埼玉県比企郡小川町
職業 俳人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 経済学士東京帝国大学1943年
最終学歴 東京帝国大学経済学部卒業
ジャンル 俳句
文学活動 社会性俳句
代表作 『少年』(1955年
『蜿蜿』(1968年
『遊牧集』(1981年
『詩経国風』(1985年
『両神』(1995年
主な受賞歴 現代俳句協会賞1956年
埼玉県文化賞(1978年
詩歌文学館賞1996年
日本放送協会放送文化賞1997年
蛇笏賞2002年
日本芸術院賞2003年
シカダ賞2005年
正岡子規国際俳句賞大賞(2008年
毎日芸術賞特別賞(2010年
小野市詩歌文学賞(2010年)
菊池寛賞(2010年)
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金子 兜太(かねこ とうた、1919年大正8年)9月23日 - )は、日本俳人階級海軍主計中尉現代俳句協会名誉会長日本芸術院会員文化功労者

上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

埼玉県比企郡小川町の母・はるの実家で、1919年9月23日、元春・はるの長男として生まれる。当時国外にいた父親により「兜太」と命名されたが、電報で連絡を受けた伯父が「藤太」と勘違いして出生届を提出してしまい、のちに戸籍を修正している[1]。2歳から4歳までその父の勤務地であった上海で過ごす。父は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」という俳号を持つ俳人でもあった。

旧制熊谷中学旧制水戸高等学校文科乙類、東京帝国大学経済学部卒業。高校在学中に全国学生俳誌「成層圏」に参加し、竹下しづの女加藤楸邨中村草田男らの知遇を得る。1941年、加藤楸邨主宰の「寒雷」に投句。1943年、大学を繰り上げ卒業して日本銀行に入行[2]、面接官は佐々木直だった。海軍経理学校に短期現役士官として入校、海軍主計中尉に任官、トラック島で200人の部下を率いる。餓死者が相次ぐなか、奇跡的に2度命拾いする[3]1946年に最終復員船で帰国し、1947年に日本銀行に復職[2]。在職中は労働組合の専従事務局長を務めた[4]。ただし、支店まわり[5]から「窓際族ではなく、窓奥。1日2-3回開けるだけの本店の金庫番。だから書けた」という仕事で、55歳定年まで勤めた。

俳人として[編集]

1946年沢木欣一の「」創刊に参加。戦後の前衛俳句の旗手として頭角を現し、社会性俳句運動の主導者となる。1951年、福島の藤村多加夫の持ち家に住みながら「波郷と楸邨」を『俳句研究』に執筆した。1961年、『造型俳句六章』において、主体がメタファーを通して対象のイメージを感得するという「造形」の理念を提唱。また小林一茶種田山頭火を論じ、漂泊詩人の再評価も行った。1962年、同人誌「海程」を創刊(1985年より結社誌)、主宰。主な句集に『少年』(1955年)、『金子兜太句集』(1961年)、『蜿蜿』(1968年)、『遊牧集』(1981年)、『詩経国風』(1985年)、『両神』(1995年)、『東国抄』(2001年)がある。

俳壇では「社会性のある俳句」[6]を提唱したことから、「社会性俳句の旗手」[6]と呼ばれた。山本健吉と論争し、石田波郷中村草田男と対立した[7]。俳壇で尊敬されていた松尾芭蕉ではなく、小林一茶を賞賛した。

1955年より日本ペンクラブ会員。1974年、日本銀行を退職。上武大学教授(79年辞職)。1983年より現代俳句協会会長[2]1987年より朝日俳壇選者[2]、2005年より日本芸術院会員。一ツ橋綜合財団理事。

代表句[編集]

  • 水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る・・トラック島時代。
  • 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子(『少年』、1955年)
  • 銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(『金子兜太句集』、1961年)・・神戸支店時代。
  • 彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン(『金子兜太句集』、1961年)・・長崎支店時代。
  • 人体冷えて東北白い花盛り(『蜿蜿』、1968年)
  • 梅咲いて庭中に青鮫が来ている(『遊牧集』、1981年)
  • おおかみに蛍が一つ付いていた(『東国抄』、2001年)

など。

略歴[編集]

賞歴[編集]

栄典[編集]

著作・作品集[編集]

  • 『種田山頭火 漂泊の俳人』 講談社現代新書、1974年8月。
  • 『金子兜太全句集』 立風書房、1975年5月。
  • 『黄 金子兜太句集』 ふらんす堂、1991年7月。
  • 『他流試合 兜太・せいこうの新俳句鑑賞』 いとうせいこうとの共著。講談社、2001年4月。
  • 『金子兜太集』第1巻 筑摩書房、2002年4月。ISBN 4-480-70541-4
  • 『金子兜太集』第2巻 筑摩書房、2002年2月。ISBN 4-480-70542-2
  • 『金子兜太集』第3巻 筑摩書房、2002年1月。ISBN 4-480-70543-0
  • 『金子兜太集』第4巻 筑摩書房、2002年3月。ISBN 4-480-70544-9
  • 『語る 兜太――わが俳句人生 金子 兜太 』岩波書店、2014年6月。
  • 『わが戦後俳句史』岩波新書、2014年6月復刊。
  • 『小林一茶――句による評伝』岩波現代文庫、2014年3月。

脚注[編集]

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  1. ^ 飯塚りえ「『理屈ではなく感覚で伝える、そうでなければ理屈も成熟しません。』俳人金子兜太さん」『金子兜太さん かしこい生き方のススメ - COMZINE by nttコムウェアNTTコムウェア
  2. ^ a b c d 「略歴」『金子 兜太 名誉会長 - 運営・主要役員 - 現代俳句協会現代俳句協会
  3. ^ 戦争体験を1度だけ小説に書いたが、封印した。
  4. ^ 【朝日】2012年6月7日付夕刊5面『人生の贈り物』欄より
  5. ^ 福島、神戸、長崎。
  6. ^ a b 「九条守れの俳句掲載拒否――俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」『九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん「文化的に貧しい」埼玉新聞社2014年8月17日
  7. ^ 現代俳句協会分裂事件

関連人物[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]