團伊玖磨

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團 伊玖磨
『夕鶴』作曲のころの團伊玖磨(1952年)}
『夕鶴』作曲のころの團伊玖磨(1952年
基本情報
出生 1924年4月7日
大日本帝国の旗 大日本帝国東京府東京市四谷区
(現・東京都新宿区
死没 2001年5月17日(満77歳没)
中華人民共和国の旗 中国江蘇省蘇州市
学歴 東京音楽学校
ジャンル オペラ
交響曲
歌曲
童謡
映画音楽
放送音楽
職業 作曲家
エッセイスト

團 伊玖磨(だん いくま、1924年大正13年)4月7日 - 2001年平成13年)5月17日)は、日本作曲家エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である[1]。作曲家としてはオペラ交響曲歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。「團 伊玖麿」は誤表記。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1924年(大正13年)、実業家、学者、政治家であった男爵團伊能の子として、東京・四谷の慶應病院で生まれ、原宿(現在の渋谷区神宮前)で育った。

7歳となった1931年昭和6年)、青山師範学校附属小学校に入学し、ピアノを学び始めた。翌年3月、祖父・團琢磨が暗殺された(血盟団事件)ことで、幼心に、物質的な栄達への疑問を抱くようになり、後に芸術を志す動機のひとつとなった。

1937年(昭和12年)、13歳の際に青山学院中学部に入学。また、同年には東京市麻布区材木町(現在の港区六本木)に転居した。

1942年(昭和17年)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)作曲部に入学した。学校では下総皖一和声学対位法橋本國彦に近代和声学と管弦楽法細川碧楽式論を学んだ。また、学外では山田耕筰に指導を受けた。

20歳になった1944年(昭和19年)、音楽学校に在籍のまま陸軍戸山学校軍楽隊に入隊した。軍楽隊ではバスドラムを担当し、芥川也寸志とともに編曲も担当した。

翌年には復員して東京音楽学校を卒業し、諸井三郎に対位法、楽曲分析を学んだ。歌曲集『六つの子供の歌』、管弦楽付き独唱曲二つの抒情詩『村の歌』『小諸なる古城のほとり』を作曲した。

作曲家およびエッセイストとして[編集]

  • 1946年(昭和21年) - 近衛秀麿に管弦楽法、指揮法を学ぶ。この年、『二つの抒情詩』(管弦楽付き独唱曲)で日本音楽連盟委嘱コンクールに入選。歌曲集『五つの断章』(北原白秋詩)を作曲。
  • 1947年(昭和22年) - 歌曲『花の街』(江間章子詩)を作曲。
  • 1948年(昭和23年) - NHK専属作曲家となる。
  • 1949年(昭和24年) - 木下順二作品の民話劇『夕鶴』の演劇付帯音楽を作曲。
  • 1950年(昭和25年) - 『交響曲第1番イ調』を作曲。NHK創立25年記念管弦楽曲募集コンクールにて特選入賞。歌曲集『美濃びとに』(北原白秋詩)を作曲。
  • 1952年(昭和27年) - オペラ『夕鶴』大阪で初演。北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。
  • 1953年(昭和28年) - 芥川也寸志黛敏郎と「三人の会」結成。
  • 1954年(昭和29年) - 東宝映画専属音楽監督。
  • 1955年(昭和30年) - オペラ『聴耳頭巾』大阪で初演。
  • 1958年(昭和33年) - オペラ『楊貴妃』(大佛次郎台本)初演(藤原歌劇団創立25周年記念東京公演)。また慶應義塾創立百周年記念式典のために混声合唱と管弦楽のための「慶應義塾式典曲」(作詞:堀口大學)を作曲、NHK交響楽団を指揮初演(1968年再演)。
  • 1959年(昭和34年) - 皇太子明仁親王正田美智子の成婚を記念して『祝典行進曲』を作曲。
  • 1964年(昭和39年) - 東京オリンピック開会式にて『オリンピック序曲』、『祝典行進曲』、閉会式にて『祝典行進曲』を演奏。エッセイ『パイプのけむり』の連載を雑誌「アサヒグラフ」にて始める。
  • 1965年(昭和40年) - 『交響曲第5番』作曲。
  • 1968年(昭和43年) - 『パイプのけむり』、『続パイプのけむり』で第19回読売文学賞(随筆・紀行)を受賞。『混声合唱組曲「筑後川」』作曲。10月23日の告示により、鳥取県民歌制定委員会作詞、團伊玖磨作曲の鳥取県民歌「わきあがる力」が制定される。
  • 1972年(昭和47年) - オペラ『ひかりごけ』(武田泰淳原作)初演(第15回大阪国際フェスティバル)。
  • 1973年(昭和48年) - 日本芸術院会員に就任する。
  • 1975年(昭和50年) - オペラ『ちゃんちき』(水木洋子台本)東京で初演。
  • 1976年(昭和51年) - ソプラノ・ソロと管弦楽の為の『長良川』(江間章子詩)を作曲。
  • 1978年(昭和53年) - 合唱組曲『大阿蘇』(丸山豊詩)を作曲。
  • 1982年(昭和57年) - 横須賀市制75周年記念事業の一環として、合唱と管弦楽の為の組曲『横須賀』(栗原一登詩)を委嘱され作曲。
  • 1983年(昭和58年) - ピアノ組曲『3つのノヴェレッテ』、合唱組曲『唐津』、独唱・混声合唱・オーボエ・ピアノの為の組曲『木曽路』、子供の歌アルバム『道の子の歌』、ヴァイオリンとピアノの為の『幻想曲第2番』等を作曲。
  • 1985年(昭和60年) - 『交響曲第6番「HIROSHIMA」』を広島平和コンサートで初演。
  • 1994年(平成6年) - オペラ『素戔嗚』初演(神奈川芸術フェスティバル)。
  • 1997年(平成9年)9月3日 - 急性心筋梗塞を起こし、約1ヶ月間入院する[2]。オペラ『建・TAKERU』初演(東京・新国立劇場杮落し公演)。
  • 1999年(平成11年) - 文化功労者に列せられる。
  • 2000年(平成12年)4月6日 - 妻の和子が急性心筋梗塞で急死[3]。「DAN YEAR 2000」開催。
  • 2001年(平成13年)5月17日 - 日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国旅行中に心不全を起こし、江蘇省蘇州市の病院で死去した。77歳没。戒名は「鳳響院殿常楽伊玖磨大居士」。

逸話[編集]

  • 伊玖磨が12歳の時、作曲を志す息子の将来を案じた父伊能が伊玖磨を伴い山田耕筰を訪れ、耕筰に作曲の道が険しいことを説いてもらって断念させようとした。ところが、耕筰は、「やり給え、そして、やるからには、最も正統的な勉強を積んで、最も本格的にやり給え」と激励した[4]。この事で、伊玖磨は作曲の道で生きていく決意を固めた。また、生涯耕筰を師と仰ぐことになった。
  • 商業主義に伴う宣伝を激しく嫌っていた。特にダイレクトメールは新字体による「団伊玖磨」の宛名書きで来る場合が多く、この表記による郵便物を(ダイレクトメールに限らず)一切開封せず捨てていた[5]。また、後年「僕の名前は團であって団では無いのだから、他人宛の手紙は読んでは悪かろうと遠慮するからである」と捨てる理由を説明している[6]
  • たびたび訪中したが、團という字に中国語で卑猥な意味があるため、北京では「檀か段に直してください。團では困る」「あなたの名刺は、女の人には見せられません」と言われた。中国野間宏の『真空地帯』が映画化された際にも、「音楽 段伊玖磨」と直された。
  • 先天色覚異常を持っていた。小学生時代、写生の時間に赤い花を緑に描いたため、教師から激しく叱責されたことがある。[7]
  • 東京音楽学校の入試に際して、担当の校医が美術学校の入試をも受け持っていたため、色覚異常の故に危うく落とされそうになったが、團の懇願で入学が許されたこともある。色覚異常者への差別に憤り、日本色盲協会の結成を考えたとも述べている。[要出典]
  • 大のイヌ嫌いであり、無駄に吠えるイヌには、それがたとえ友人の飼い犬でも容赦せず体刑を加えた。好きな動物はヘビ。自宅で飼育していた大蛇が息子の喉に咬みついて大怪我をさせたこともある。[要出典]
  • 戦後まもなく、太宰治の作品を愛読していたため、友人の北山冬一郎(詩人)の紹介で太宰に会う話が持ち上がった。しかし、ダンという苗字から檀一雄を連想した太宰が「ダンという名前なら大酒飲みだろう」と言ったところ、北山が「いや、実は一滴も飲めないんです」と答えたため、太宰が「酒も飲めない奴なんかに用はない」と断った。そのため、とうとう太宰に会うことができなかった。[要出典]
  • エッセイ「パイプのけむり」は1964年に『アサヒグラフ』で連載を始め、2000年に同誌が休刊するまで連載を続けていた。最終回では「自分が死ぬのが先か雑誌が休刊するのが先か」どっちなのだろうと予想していたと書いている。結局、雑誌休刊の翌年死去する。
  • 團は生前九州を愛したのだが、それは父が福岡の民放KBCの会長を務め、妹がブリヂストンの創業者一族に嫁いだこととも関係する。実はどちらも久留米市で産声を上げた企業であり、そのことが『筑後川』作曲につながっていったとも考えられる。2007年1月20日、團死亡の地・蘇州で、七回忌記念『筑後川』コンサートが開かれ、日本から行ったアマチュア合唱団員200人が、『筑後川』を歌い上げた。
  • 愛煙家で、パイプを好んだ。1950年代、イギリスに留学していた團は、英語の勉強のために、当時ベストセラーだった「野生のエルザ」をはじめ、いくつかの書物の翻訳をしていた。その中には、パイプの修理に立ち寄ったダンヒル本店で見つけた、アルフレッド・H・ダンヒルの“The gentle art of smoking"(日本語タイトル「ダンヒルたばこ紳士」)がある。
  • 小説も著した事がある。「日向村物語」は映画馬鹿が戦車でやって来る」などの「馬鹿シリーズ」の原案となり、この作品では團自身が原作者としてクレジットされる他にも劇伴音楽を担当している。
  • オペラ「聴耳頭巾」の自筆総譜は、一旦紛失したが、1978年2月に発見された。総譜の書かれた五線紙は、山田耕筰のネーム入りで、晩年の山田から團が譲り受けたものであった[8]
  • 1992年5月4日関勉が発見した小惑星17509番は、発見者によって「Ikumadan」と命名されている。
  • 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。
  • 1963年八丈島に仕事場を建て[9]、しばしば作曲のために長期滞在したが、そこでの趣味は京野菜の栽培。テレビでのインタビューでは「京野菜が栽培できる南限を探っている」と応えた。
  • 自身作曲の童謡『ぞうさん』が低俗な歌詞をもって歌わされていたことに腹を立てていた[10]

家族[編集]

祖父の團琢磨三井合名会社理事長、男爵[11]。父の團伊能も男爵であり、東京帝国大学文学部美術史学科助教授参議院議員プリンス自動車社長、九州朝日放送会長を歴任[11]。母の美智子は宮内省大膳頭を務めた上野季三郎の五女[12][13]。妹の朗子はブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)会長石橋幹一郎に嫁いだ[11]。最初の妻桑原瑛子ソプラノ歌手)との間に生まれた長男團名保紀は西洋美術史家で群馬大学教授[11]。二番目の妻藤枝和子ピアニスト)との間に生まれた二男團紀彦建築家[11]。叔父の團勝磨ウニの発生研究を大成した発生学者で、元東京都立大学総長[11]。孫の團遥香女優タレント[14][15]

系譜[編集]

  • 團氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鳩山由紀夫
 
鳩山紀一郎
 
 
 
鳩山和夫
 
鳩山一郎
 
鳩山威一郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
服部金太郎
 
服部玄三
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
英子
 
 
安子
 
 
 
 
 
 
 
鳩山太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鳩山邦夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
加藤厚太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鳩山二郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
富美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エミリ
 
 
 
 
 
 
 
上野季三郎
 
 
石橋正二郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
華子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
J・K・ベアード
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佐々木行忠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
理沙
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
米子
 
 
石橋幹一郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石橋寛
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
美智子
 
 
朗子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
團名保紀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
團伊能
 
 
團伊玖磨
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
團紀彦
 
遥香
 
 
 
 
 
 
 
スミ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
知恵子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
團琢磨
 
 
小倉房蔵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小倉重勝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
芳子
 
 
めい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
齊藤了英
 
齊藤公紀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
牧田環
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
團勝磨
 
まりな
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

作品[編集]

主要作品のみにとどめられている。括弧内の人物は特に断りのない限り、作詩者を示す。

歌劇[編集]

交響曲[編集]

北原白秋の「邪宗門」をテキストに用いて作曲を開始したが、2001年に作曲者が蘇州で急死したのに伴い未完に終わった。構想では2管編成で各楽章に声楽が入り、作曲者が存命中であれば2002年の秋に初演するはずであった。

管弦楽作品[編集]

  • 交響詩「平和来」(後に「挽歌」と改名)
  • ブルレスケ風交響曲
  • 管弦楽組曲「シルクロード」
  • 交響組曲「アラビア紀行」
  • 序曲「東京オリンピック」
  • 管弦楽のための「祝典序曲」
  • 「日本からの手紙第1番」
  • 「日本からの手紙第2番」
  • 「日本からの手紙第3番」
  • 「シンフォニエッタ」(小交響曲)
  • ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア第1番
  • 管弦楽のための「高梁川」
  • 管弦楽のための「夜」
  • ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア第2番
  • 交響幻想曲「万里長城」
  • 管弦楽のための「飛天」
  • 管弦楽のための「祝典曲」
  • 管弦楽のための「飛天繚乱」

室内楽曲[編集]

  • 弦楽合奏曲「合奏協奏曲」
  • ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア第1番
  • フルート三重奏曲
  • ベルリン・シンフォニーの12人のセロのための「夜」
  • ピアノ組曲「3つのノヴェレッテ」
  • ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア第2番
  • 12本のフルートのための「夕鶴」幻想曲
  • ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア第3番
  • フルートとピアノのための「ソナタ」
  • 2つのソロ・ヴァイオリンと弦楽合奏のための「古雅なるファンタジア」
  • フルート・オーケストラのための「NOCTURNE ET DANCE」
  • 4本のファゴットのための「ソナタ」
  • ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
  • フルートとハープのための「羽衣」
  • 篠笛とチェロのための「夜の対話」
  • ヴァイオリン・デュエット「Conguratulations for Mr. & Mrs. Toshiya Etoh」
  • ヴァイオリンとチェロのための対話
  • 無伴奏チェロ・ソナタ
  • 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番
  • 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番
  • トロンボーンとハープのための「Three Letters」
  • ソロ・ヴァイオリンとカルテットのための2章「黒」と「黄」(遺作)

歌曲[編集]

合唱曲[編集]

作曲年については、外部リンク先「團伊玖磨ノート」、「團伊玖磨全仕事」、雑誌「ハーモニー」(全日本合唱連盟)108号(1999年春号)所収「團伊玖磨 作品リスト」それぞれで異なっていることがある。その場合、原則的には「ハーモニー」のリストに従っている。

  • 混声合唱「わすれなぐさ」(1945 ヴィルヘルム・アレント;上田敏訳)
  • 二隊の女声合唱と小管弦楽のための「詩篇歌」(1950)
  • 混声合唱曲「二つの碑銘」(1952 原民喜西田幾太郎
  • 混声合唱曲「岬の墓」(1963 堀田善衛
  • 合唱組曲「風に生きる」(1957/64 石浜恒夫
  • 混声合唱組曲「筑後川」(1968 丸山豊
  • 混声合唱のための「ディヴェルティメント」(1968 谷川俊太郎)
  • 管弦楽と合唱のための「西海讃歌」(1969 藤浦洸
  • 混声合唱「海を探しに行こう」(1969 辻井喬
  • 合唱と管弦楽のための「日本新頌」(1970 堀口大學)
  • 混声合唱組曲「海上の道」(1973 丸山豊)
  • 合唱と管弦楽のための交響詩「ながさき」(1974 江間章子)
  • 浄土宗「音楽法要連頌」(1974 藪田義雄
  • 混声合唱と打楽器とピアノのための「原體剣舞連」(1975 宮沢賢治
  • 天理教交声曲「元の理」(1975)
  • 混声合唱「西海ラプソディー」(1977 堀口大學)
  • 合唱と管弦楽のための「北九州」(1977 栗原一登、一般的に「合唱組曲『北九州』」と呼ばれることが多い)
  • 混声合唱組曲「大阿蘇」(1978 丸山豊)
  • 合唱と管弦楽による交響詩「伊万里」(1978 片岡繁雄
  • 混声合唱組曲「北の大地」(1979 小野寺与吉
  • 慮遮邦仏(大佛)賛歌(1980 堀口大學)
  • 合唱と管弦楽のための「横須賀」(1982 栗原一登)
  • 合唱と管弦楽のための「唐津」(1982 栗原一登)
  • 女声合唱とハープ5台のための「奈良・壺坂寺印度渡来大観音開眼音楽」(1983 常磐勝憲
  • 独唱、混声合唱、オーボエ、ピアノのための組曲「木曽路」(1983 辻井喬)
  • 混声合唱組曲「玄海」(1984 丸山豊)
  • 独唱・混声合唱・クラリネット・ピアノのための組曲「紀州路」(1984 辻井喬)
  • 女声合唱とピアノのための「燕の歌」(1985 ガブリエーレ・ダヌンツィオ;上田敏訳)
  • 天理教交声曲「ひながたの道」(1985 中山もと)
  • 独唱・混声合唱・フルート・ピアノのための組曲「長崎街道」(1986 辻井喬)
  • 合唱と管弦楽のための「東洋大学創立百年記念楽曲“讃えんかな東洋大学”」(1987 栗原一登)
  • ソプラノ・ソロ、女声合唱、2台のピアノのための「巴里小曲集」(1987 西條八十
  • 混声合唱組曲「筑後風土記」(1989 栗原一登)
  • 合唱と吹奏楽のための「東京歯科大学創立百周年記念讃歌“築かん明日を”」(1990 栗原一登)
  • 混声合唱組曲「川のほとりで」(1990 江間章子)

吹奏楽[編集]

  • ブリヂストン・マーチ(1955)
  • 祝典行進曲(1959)
  • 行進曲「ビア・フェスティバル」(1962)
  • オリンピック序曲(1964)
  • キスカ・マーチ~東宝映画「太平洋奇跡の作戦 キスカ」より(1965)
  • 行進曲「青年」~東宝映画「戦場にながれる歌」より(1965)
  • JASDF March <航空自衛隊行進曲>(1968)
  • 若楠国体行進曲[序曲付き]~第31回国民体育大会佐賀県実行委員会制定(1974)
  • 行進曲「伸び行く佐賀」(1974)
  • 吹奏楽のための「奏鳴曲(ソナタ)」(1976)
  • 行進曲「べっぷ」~別大毎日マラソン25回記念 <マラソン行進曲>(1976)
  • ブラスオーケストラのための組曲「行列幻想」(1977)
  • 行進曲「海の若者(わこうど)」(1978)
  • 行進曲「京都府の歌」(1984)
  • 行進曲「マツダ」(1984)
  • 行進曲「希望」~全日本吹奏楽連盟創立50周年記念曲(1987)
  • パシフィック・フリート <太平洋艦隊>(1988)
  • 福岡国体行進曲(1990)
  • 新・祝典行進曲(1993)
  • 組曲「わが街に」より“前奏曲”(1994)
  • 機動隊行進曲「希望のあしおと」(1998)
  • March Tanabata(2000)
  • March “YOKOSUKA”

映画音楽・放送音楽[編集]

童謡[編集]

校歌・学歌その他[編集]

團伊玖磨の楽曲一覧#校歌・自治体歌を参照。

著作[編集]

  • エスカルゴの歌
  • パイプのけむり(シリーズ、全27巻)
  • 舌の上の散歩道
  • 好きな歌・嫌いな歌
  • 私の日本音楽史
  • 翻訳書 ダンヒルたばこ紳士(The Gentle Art of Smoking) アルフレッド・H・ダンヒル著
  • 日向村物語
  • 陸軍軍楽隊始末記
  • 追跡ムソルグスキー「展覧会の絵」(NHK取材班と共著)

團伊玖磨(に相当する役)を演じた俳優[編集]

  • 児玉清 - 映画「戦場に流れる歌」(『陸軍軍楽隊始末記』が原作)

その他[編集]

  • 女優団令子の芸名は、東宝藤本真澄が團伊玖磨の苗字から採って命名した。藤本が「ンで終わる苗字は当たる。どんな苗字にしようか」と考えている時、たまたま團が入室してきたことによるという。
  • 加山雄三が作曲をする時のペンネームである弾厚作は、團伊玖磨と山田耕筰に由来している。

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 読売新聞死亡記事、2001年5月18日付け
  2. ^ どっこいパイプのけむり、「失踪」内、p252-258
  3. ^ さよならパイプのけむり、「今年の桜」内、p270-276
  4. ^ 続パイプのけむり(文庫版)、「穴」内、p115-116
  5. ^ 続パイプのけむり(文庫版)、「種子」内、p21-22
  6. ^ なおなおパイプのけむり(文庫版)、「ダイレクト・メイル」内、p224
  7. ^ パイプのけむり(文庫版)、「色盲」内、p43-47
  8. ^ 重ねて・パイプのけむり「紛失」内、p235~243
  9. ^ 團伊玖磨さんが愛した八丈島の海と空を訪ねて 八丈島観光ポータルサイト内
  10. ^ 青空の音を聞いた 團伊玖磨自伝 ISBN 978-4-532-16420-1
  11. ^ a b c d e f 小谷野『日本の有名一族』、45-46頁。
  12. ^ 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』、633頁。
  13. ^ 佐藤『門閥』、449-451頁。
  14. ^ 【来る年・来る娘】團遥香 - SANSPO.COM 2011年1月4日
  15. ^ 麿は磨ちがい団ちがい ~ 團家の人々 ~

関連項目[編集]

外部リンク[編集]