ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐

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ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(ハワイ・ミッドウェイだいかいくうせん たいへいようのあらし)は、日本の戦争映画1960年昭和35年)4月26日公開の東宝作品。

併映は森繁久彌主演の『新・三等重役 当たるも八卦の巻』(監督:杉江敏男)。

作品解説[編集]

第二航空戦隊空母飛龍」搭乗員(九七式艦上攻撃機)の視点から見た、太平洋戦争前期(真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦まで)を描いた超大作特撮戦争映画である。東宝の俳優陣が総出演し、当時の新人俳優や中堅俳優などがメインキャストを務め、看板俳優ともいえる俳優が特別出演として登場する。

戦争の悲惨さを訴える部分もあるが、松林宗恵監督独特の戦争観が伝わる[1]。特に飛龍が沈没した後、山口司令官と加来艦長が、海底に沈んだ飛龍の艦橋内で幽霊のように出てくるシーンがある。

1980年代にはビデオソフト化され、ビデオテープレーザーディスクソフトが発売された。2014年現在ではDVDが発売されている。

製作[編集]

太平洋戦争前半を比較的忠実に描いている作品として評価は高い[要出典]。魚雷を装着する際に一旦投下試験を行うことなど、ミッドウェイへの出撃が機密保持も何もなく、漁船等の見送りを受けながら白昼堂々と行われるなど、目立たない点においても史実に従っている。

松林の本編班は、千葉県の勝浦海岸に1/1スケールの空母飛龍オープンセットを作成し、海が見渡せるリアルな撮影をしている。航空機もセットではあるが零戦九九式艦上爆撃機九七式艦上攻撃機などを、1/1スケールで表現している。

一方、戦闘シーンの特撮は、『ハワイ・マレー沖海戦』や『ゴジラ』で実績のある円谷英二が担当している。真珠湾攻撃の一連の特撮シーンは、『ハワイ・マレー沖海戦』と同じ構図のものもあり、円谷自身による『ハワイ・マレー沖海戦』のカラー・リメイクとなっている。

東宝は本作のために、スタジオ内に総面積約1万平方メートルもの特撮用大プールを建設し[2]、完成披露の際は出演者総出による記念式典まで行うほど力を注いだ。この施設をフル活用して撮影された真珠湾攻撃およびミッドウェイ海戦等のシーンは、この時代の技術力として一級品であり、のちの東宝映画で『連合艦隊司令長官 山本五十六』や『連合艦隊』などでも本作品の特撮シーンを使いまわしている。さらにハリウッド映画の『ミッドウェイ』でも本作品のシーンを使用している。実機、実艦のない、日米決戦の大スペクタクルにアメリカ映画界はいち早く目をつけ高い評価を与えた[要出典]

また、円谷の特撮班では、東宝特殊美術スタッフによって、8メートルを超えるサイズの、エンジンを搭載した自走式の戦艦のミニチュアが多数作られ、空母飛竜のものは全長13メートルにもおよんだ[2]。ロケ先への搬入の際には、その大きさから車での搬出ができなかったため、製作した特美スタッフがこれを操縦し、隅田川[3]を出発して東京湾を経由し、三浦半島の撮影現場まで自走させた[2]。海戦シーンのオープン撮影は三戸浜で行われ、ロケの間は朝晩、宿舎があった油壺まで海上を往復したそうである[誰?]

尚、艦上や航空機の撮影には防衛庁(当時)の協力も受けており、海上自衛隊あやなみ型護衛艦艦上での撮影が行われている他、帝国海軍機を模した塗装が施されたSNJ(T-6 テキサンの海軍型)練習機が登場している。艦艇のアップショットには当時の米海軍の艦艇を撮影したものも使用されており、、エセックス級航空母艦の錨や艦尾が写っているカットが確認できる。

あらすじ[編集]

北見中尉は艦攻隊隊長機の若き飛行士である。母艦搭乗員は意気揚々と真珠湾攻撃へ参加、戦果を挙げる。内地へ戻り、休暇中に実家へ里帰りし許婚の啓子と久しぶりに再会する。北見中尉は啓子との結婚に悩み、なかなか決心がつかなかった。その後、彼はインド洋での作戦行動中に友成隊長に結婚を悩んでいる事を相談。隊長からの励ましを受け、作戦終了後に内地へ帰還、結婚式当日を迎える。同期の飛龍戦闘機隊松浦中尉から祝電の電報を受け取ったが、2枚目の電報を見て顔色が一変する。その内容は、ミッドウェイへの出撃のため帰還せよとのものだった。

桂島に停泊している連合艦隊旗艦の戦艦大和に於いて、第二航空戦隊司令官山口多聞連合艦隊司令長官山本五十六が久々に再会し、山口司令官のインド洋での功績を山本五十六が労った。ミッドウェイ作戦は天王山であると山本から打明けられ、山口は山本の決死の意気込みを知る事となる。

第一次攻撃隊としてミッドウェイ基地攻撃に参加した北見は、予想外の敵の反撃に衝撃を受ける。友成隊長はやれるだけのことはやったと判断、機動部隊に無電で第二次攻撃隊の必要ありと伝えた。第二次攻撃隊は敵空母攻撃を想定し、雷装待機状態である。第一航空戦隊司令部も南雲忠一草鹿龍之介参謀長などの幕僚達と協議していた。早朝より飛び立った味方索敵機からは、敵空母発見に関する情報を何も知らせてこない。明後日より開始される上陸戦を考慮すると、基地攻撃が不十分では不味い。そして司令部は第二次攻撃隊は魚雷を外して爆弾を装備しミッドウェイに向かわせる、と決断。各艦に指令が飛んだ。

一方、第一次攻撃隊が帰還し、搭乗員は休憩しながらミッドウェイ基地の「敵戦闘機の迎撃態勢」「滑走路が3つ」「高射砲の数」といった現実の防御態勢と艦隊司令部から事前に知らされた防御態勢との違いに不満を漏らし、友成隊長にいさめられていた。その時、敵の陸上爆撃機がミッドウェイ基地から飛来し、敵機現るの報が艦内に走った。艦隊は迎撃機を発進させ、零戦と対空砲火で何とか振り切った。第二次攻撃隊の発艦準備が整う前だったので、皆が緊張していた。空母飛龍の加来止男艦長は戦闘機の援護無しで突入してきた米攻撃隊に対して皮肉をもらした。

第二次攻撃隊の発進準備が整ってきた矢先、味方索敵機から敵艦隊発見との無電が入った。重巡利根の索敵機が敵の艦種を捜索し、空母がいない事が判明する。突然の緊張から開放されるや否や、索敵機から第二報が入った。敵には空母も存在するが、ミッドウェイ基地攻撃のため装備変更したばかりである。今から魚雷を装備したのでは、時間が掛かる。急降下爆撃隊と水平爆撃機隊のみの攻撃では戦果が期待できず、更に先刻より飛来してきた米攻撃機迎撃の為、戦闘機隊は艦隊上空直衛に飛んでいる。戦闘機の援護無しでは、先程の米攻撃隊の二の舞になってしまう。山口はこのままで出撃させると言い出す。一方、第一航空戦隊司令部も混乱していた。南雲司令長官も悩んでいたが、伝令が山口の意見を伝えた。その時、南雲司令長官は戦闘機の援護なしの攻撃機など出せないと判断。魚雷での艦隊攻撃という正攻法を取ると決まり、急遽爆弾を取り外し、魚雷装備へ変更せよと指令が飛んだ。

しかしその間に、味方索敵機から敵の艦載機が大挙して接近中と無電が入った。急がないと間に合わないと、整備兵だけでなく、パイロットやその他の兵も皆共同で爆弾を外し、魚雷を装備する。その時、遂に米機動部隊から発進した急降下爆撃機が攻撃を仕掛けてきた。各艦隊は退避行動を取るが、第一航空戦隊の空母赤城加賀、第二航空戦隊の空母蒼龍に爆弾が命中し、大火災がおこった。その光景を見つめる北見中尉は呆然とし、友成隊長は飛龍の艦橋へ上り出撃を懇願。山口司令官は第一次・第二次攻撃隊合同での攻撃を決断、友成は飛行甲板へ戻り動揺する搭乗員を集めた。そして、山口司令官は山本連合艦隊司令長官へ全力で戦うとの打電を命じる。そして戦闘はクライマックスへ…。

スタッフ[編集]

メインスタッフ[編集]

特殊技術[編集]

キャスト[編集]

第二航空戦隊空母飛龍[編集]

連合艦隊[編集]

第一航空戦隊空母赤城[編集]

民間人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本映画史研究(2) 東宝映画50年のあゆみ(2)』 38頁。
  2. ^ a b c 『日本特撮・幻想映画全集』 勁文社1997年、119頁。ISBN 4766927060 
  3. ^ 『日本特撮・幻想映画全集』(勁文社)では江戸川と記載。

参考文献[編集]