飯田深雪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯田 深雪(いいだ みゆき、1903年10月9日 - 2007年7月4日)は、新潟県生まれの料理研究家であり、アートフラワーの創始者。外交官との結婚後、米・英・インドなどで暮らし、終戦直後より焼け跡の仮住まいでガウンの裾を切ってコクリコを製作し、アートフラワーを始める。ちなみに「アートフラワー」は彼女の造語である[1]。
NHKテレビの「きょうの料理」に初期から講師として出演し、西洋料理の普及にも尽力した。テーブルセッティングやインテリアなどを含め、著作は100冊を超えた。2007年7月4日に103歳で死去。
目次 |
[編集] 略歴
- 1903年 新潟県に生まれる。医者であり芸術に造詣が深く食道楽であった父の影響を受け、幼児より洋式の生活に馴染む。また幼い日より花を愛し、絵画を好んだ。
- 1927年 - 1947年 結婚後、海外勤務の夫と共に過ごしたアメリカ・ヨーロッパ・インドでの生活体験の中で、従来の造花の概念を脱却した独自の芸術的作品を創作。
- 1948年2月 周囲の人々に請われて西洋料理および造花を教え始める。その花を「アートフラワー」と命名。
- 1952年12月 日本橋、柳屋において第1回展示会を開催。
- 1953年 生活研究社より、初のアートフラワーの著書「フラワーアクセサリー・服飾造花」を出版。
- 1964年 株式会社深雪スタジオを設立。同時にアートフラワー師範制度を確立。
- 1965年4月 東京新宿の京王百貨店において、第1回アートフラワー展開催。
- 1967年7月 カナダ、モントリオールにおける万国博日本館開館式の当日、高松宮夫妻が世界の賓客を招待されたウィンザーホテルの大サロンに、下命によりアートフラワーを展示。
- 1970年8月 日生劇場にて、バレエ「眠りの森の美女」のアートフラワーによる舞台装置並びに衣装の色彩指導を行なう。
- 1973年10月 ハワイ、シェラトン・ホテルで大展示会を開催。
- 1974年2~3月 大阪心斎橋の大丸百貨店において「明日を拓く飯田深雪インテリア展」を開催。
- 1975年2月 東京文化会館にて長門美保のオペラ「蝶々夫人」の舞台装置にアートフラワーを飾る。
- 1975年5月 英国女王エリザベス2世来日の際、迎賓館内の国賓御私室をアートフラワーで装飾。
- 1975年11月 勲五等宝冠章授賞。
- 1976年9月 カナダのトルドー首相より、迎賓館に飾られたアートフラワーを賞賛され、メダルの贈呈を受ける。
- 1977年1月 フランスの由緒あるグルメの会、シェーヌ・ド・ロティスールより、食通としてメダルを授与される。また1979年1月に再度メダルを受け、さらに日本管区の判定官に任ぜられる。
- 1978年11月 すぐれた料理普及に長年尽力した功により、フランスの格式高いGrand Ordre de Rocamadour を受賞。
- 1979年5月 モナコ国営展示会場において、グレース公妃主催のもとに大展示会を開催。
- 1979年7月 西ドイツ(当時)、ハンブルク近郊にある17世紀の城館ブルーメンシェロス(花の城の意)において「飯田深雪と倫子の花の学校」を開校。
- 1980年9月 豪日交流基金および南オーストラリア州政府により招聘されて、2週間に亘り各地を訪問、歓迎を受ける。
- 1981年 シラク・パリ市長(当時)主催、在仏日本大使館後援により、パリ、バガテル庭園、オランジュリー館にて「飯田深雪花の芸術展」を開催。国際障害者年にあたり、展示作品及び花器全てを、フランス国内で広く福祉事業に携わるポンピドゥー財団に寄贈。パリ市長より栄誉章としてメダルを、ポンピドゥー元大統領夫人より金メダルを受ける。日本食生活文化財団により金メダルを受ける。パリ、テアトル・シャンゼリゼにおけるポンピドゥー財団主催の慈善音楽界に招かれ、公演の幕間に有名歌手により、その日の招待客、各界名士の前で功労者として紹介を受ける。
- 1982年 飯田深雪スタジオ開講35周年、著書100冊記念感謝の会を催す。著書はアートフラワー、フランス料理、テーブルセッティング、インテリア、随想等幅広く、うち海外版が9冊含まれる。