児玉清

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こだま きよし
児玉 清
本名 北川 清
きたがわ きよし
(旧姓:小玉)
生年月日 1934年1月1日(74歳)
出生地 日本の旗 東京都北区
血液型 O
活動期間 1960年代~
活動内容 司会者俳優
配偶者 北川町子1964年 - )
主な作品
ありがとう』シリーズ
花は花よめ
パネルクイズ アタック25
週刊ブックレビュー
テレフォン人生相談

児玉 清こだま きよし1934年1月1日、(これは戸籍上の誕生日で、実際には1933年12月26日生まれ- )は、日本の俳優タレント司会者作家。本名、北川 清(きたがわ きよし)。

東京市滝野川区(現東京都北区)出身。児玉清事務所代表。

目次

[編集] 来歴・人物

血液型O型。身長179 cm。小学生の頃、群馬県四万温泉集団疎開した経験を持つ。

[編集] 来歴

東京都立工芸高等学校を経て学習院大学文学部ドイツ文学科入学後、演劇部に入部。当初は道具係だったが、上背があるということで無理矢理舞台にあがらされたという。その後、1年先輩でフランス文学科の篠沢秀夫(現・学習院大学名誉教授)に見出され、篠沢が企画していた仏語劇『ブリタニキュス』(ラシーヌ作)の主役に抜擢される。フランス語はまったく知らなかった児玉だったが、見事に演じ切り高い評価を得た。とはいえ、児玉は本来は役者志望ではなく、大学卒業後は大学院進学を目指していた。しかし、学部卒業式の当日、母の急死により就職先を探さねばならず、就職活動のシーズンも終わっていたため就職先が決まらず結局、知人が手を回して応募してくれていた東宝映画第13期ニューフェイス(新人俳優の募集)の面接試験に行き、合格。当日朝に急に思い立って行ったため水着持参であることも知らず水着オーディションで下着のパンツ一枚で参加し審査員の奇異の目にさらされるも、質問にウィットあふれる回答を返し、逆に歓心を買った、という逸話がある。この逸話は著書『負けるのは美しく』(集英社)で明かされている。

以後俳優として活動。黒澤明監督作『悪い奴ほどよく眠る』に出演するも、当時から存在感あふれる児玉が目に付いたのか、黒澤にいじめ抜かれる。友人にそそのかされた児玉は「世界のクロサワ」を殴ることを決意するまでに至ったが、なんとか踏みとどまり、実行には移さずに出番を終える。のちに黒澤が自分のことを陰で評価していたことを聞き、腰が砕けたと語っている。

1964年8月、東宝専属の中堅女優だった北川町子と結婚。まもなく彼女が女優を辞めたために会社ばかりかベテラン女優の賀原夏子からも残念がられ彼女が復帰する際は知らせてほしいと言われめげる。結局、細切れのカット割り撮影の映画では俳優として伸び悩むが、テレビ出演では肌が合っていたのか、好評で1967年に東宝を退社してフリーとなり、テレビに活動の場を移す。水前寺清子主演の『ありがとう』で一躍人気を得て、以後ホームドラマなどで大活躍する。しかし、テレビドラマも機器の向上と演出方法の変化によりカット割りが多くなり、通しでの演技ができなくなったことから徐々に仕事を減らすようになった。

1975年クイズ番組パネルクイズ アタック25』の司会者となり、現在まで30年以上にわたり司会を行っている(詳細は後述)。

1990年代から本業だったテレビドラマの仕事に消極的だったが、2001年のドラマ『HERO』の出演依頼を断った際に、最愛の娘から説得され一転して引き受けたという。その後、2002年に娘をガンで亡くしたショックもあったが、それが児玉自身を震い立たせ、以後積極的にドラマ出演している。なぜか矢田亜希子との共演が多い(『恋ノチカラ』、『ラストクリスマス』、『トップキャスター』)。また、フジテレビ系のドラマの出演も多い(「美女か野獣」、「危険なアネキ」、「ラストダンス」、「夏の家族」、「白い巨塔」 )

また、2002年12月にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』出演が好評だったことから、翌年6月から『テレフォン人生相談』のパーソナリティを担当するようになった。以前『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演の際、タモリの「テレフォン人生相談を担当なさっていて実際にお答えになるなんて人生経験豊富の児玉さんならではのコーナーですね」という問いかけをしたが、すかさず児玉が「いやいや私が実際に回答するわけじゃなく、専門の先生が別にいらっしゃって私は質問者と回答の先生の間で進行する橋渡し役というだけですよ。」と答えていた。

[編集] 人物

  • 本来の誕生日は1933年(昭和8年)12月26日だが、当時は数え年で年齢がカウントされていた(法律上は1902年に満年齢を使用する事が定められていたが、慣習上太平洋戦争後まで使われていた)ため、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が1月1日で出生届を出したという。
  • 芸能界きっての読書家としても知られる。児玉は年に数回海外旅行に行く際、飛行機内で分厚い英文の小説を読むことが楽しみであるという。これに関連して、NHKの書評番組『週刊ブックレビュー』の進行役を週替わりで務める他、日本図書館協会などが主宰するシンポジウムのコメンテーターも務めたことがある。また、文筆活動もある。それは児玉が大好きなポール・リンゼイの著作『覇者』(講談社刊)の解説である。お気に入りのFBI物語とそのほかの作品を比べ、熱く述べている。
  • アタック25の司会をしている児玉だが、『クイズダービー』にゲスト解答者として出演したとき、解答できずに「わからず」と書いたこともあった。解答できなかった問題は「戦時中英語は敵性語とされ日本語に置き換えられたが、『あてこすり』といえばいったい何でしょう?」だった(ちなみに正解はマッチ)。
  • 目の前に出されたものは全て食べなくては気のすまないタイプ。これは戦時中の飢えの経験から来ているという。1984年(昭和59年)、茹でトウモロコシ10本、トースト、餅などを空腹にまかせて手当たり次第に食べたところ、深夜に激しい腹痛を覚え、盲腸の破裂に因る急性腹膜炎を起こし3週間入院した。この折アタック25の司会代役を務めたのは板東英二である。
  • T.M.Revolution西川貴教から「理想の父親」として尊敬されており、西川のラジオ番組に度々出演した。タレントYOUも番組などで好みの男性として名をあげるのも有名な話。
  • 息子も児玉大という芸名(後に児玉大輔、本名の北川大輔と変わる)で俳優をしていたが現在は引退している。娘はマネージャーを務めていたが2002年にガンの為、37歳で早世している。

[編集] パネルクイズ アタック25

クイズ番組であるABCパネルクイズ アタック25』の司会者として全国的に著名である。パワフル、臨機応変で尚且つスピード感の溢れたキレのある進行振りが好評を博しており、今ではこの番組抜きには児玉清を語れないほどになった。アタックチャンス前の休憩中には児玉自身が出場者と観客に飴玉を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせる役目も担っている。また、解答者がクイズに正解した場合、「正解」と口走ることはなく、「結構」または「その通り」と言うのが大きな特徴。しかし、2007年6月頃から「正解」とも言うようになった。これは、「博多華丸が児玉の物真似をするようになり、バラエティー番組で執拗に「結構」を連発するようになったのを意識し、それを言い続けると、逆に自分がそれを真似ているのかもしれないという思いで変更した」と、フジテレビの『笑っていいとも!』の2007年9月5日テレフォンショッキングにゲスト出演した際に語っている。現在は、「正解」「結構」が半々ぐらいの割合で聞かれる。「その通り」は回数が少なくなった。

なお、インターネット上ではこの番組に由来する「アタックチャンス」というニックネームで親しまれている。

[編集] 出演

[編集] 映画

  • 侍とお姐ちゃん(1960年1月9日、東宝
  • 黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960年3月13日、東宝)
  • サラリーマン出世太閤記 花婿部長№1(1960年3月29日、東宝)
  • 電送人間(1960年4月10日、東宝)
  • 青い野獣(1960年6月26日、東宝)
  • サラリーマン忠臣蔵(1960年12月25日、東宝)
  • 続サラリーマン忠臣蔵(1961年2月25日、東宝)
  • 別れて生きるときも(1961年4月4日、東宝) 
  • 金づくり無法時代(1961年5月9日、東京映画
  • 黒い画集 ある遭難(1961年6月17日、東宝)
  • 守屋浩の三度笠シリーズ 泣きとうござんす(1961年7月23日、東宝)
  • 守屋浩の三度笠シリーズ 有難や三度笠(1961年8月6日、東宝)
  • アッちゃんのベビーギャング(1961年9月17日、東宝) 
  • B・G物語 二十才の設計(1961年10月29日、東宝)
  • サラリーマン清水港(1962年1月3日、東宝)
  • その場所に女ありて(1962年1月28日、東宝)
  • 続サラリーマン清水港(1962年3月7日、東宝)
  • 僕たちの失敗(1962年9月1日、東宝)
  • 早乙女家の娘たち(1962年9月8日、東宝)
  • 箱根山(1962年9月15日、東宝)
  • 地方記者(1962年10月13日、東宝)
  • 妻という名の女たち(1963年5月22日、東宝)
  • 秘剣(1963年8月31日、東宝)
  • 女の歴史(1963年11月16日、東宝)
  • 今日もわれ大空にあり(1964年2月29日、東宝)
  • ただいま診察中(1964年5月30日、東宝)
  • 裸の重役 (1964年7月1日、東宝)
  • 団地七つの大罪(1964年12月9日、宝塚映画
  • 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1964年12月19日、東宝)
  • 戦場にながれる歌(1965年8月13日、東宝)
  • 女は幾万ありとても(1966年2月12日、東宝)
  • 日本のいちばん長い日(1967年8月3日、東宝)
  • 日本海大海戦(1969年8月1日、東宝)
  • 妖婆(1976年10月16日、永田プロ
  • ザ・ラストUボート(1993年、日独合作)
  • スチームボーイ(2004年、東宝)
  • HERO(2007年、東宝)

[編集] テレビドラマ

[編集] 舞台

[編集] バラエティ・その他のテレビ番組

[編集] ラジオ

[編集] CM

[編集] 書籍

[編集] 関連人物

  • 田宮二郎(学習院時代の同期で、『白い巨塔』で共演した。児玉と同様、俳優であると同時にテレビ司会者としても活躍していた)
  • 博多華丸(児玉のモノマネを十八番とする芸人)

[編集] 外部リンク

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