石田純一

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いしだ じゅんいち
石田 純一
本名 石田 太郎(いしだ たろう)
別名義 石田 純
生年月日 1954年1月14日(60歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
身長 177 cm
血液型 A型
職業 俳優タレント
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1979年 -
活動内容 1979年:ドラマ『あめりか物語』でデビュー
配偶者 星川まり(最初の妻)
松原千明(2度目の妻)
東尾理子2009年 - )
著名な家族 石田武(父)
石田桃子(姉)
いしだ壱成(星川との間の長男)
すみれ(松原との間の長女)
石田理汰郎(東尾との間の次男)
東尾修(義父)
事務所 スカイコーポレーション
公式サイト 石田純一オフィシャルサイト

石田 純一(いしだ じゅんいち、1954年昭和29年)1月14日 - )は、日本俳優タレントである。本名、石田 太郎(いしだ たろう)。スカイコーポレーション所属。

人物[編集]

生い立ち[編集]

東京都目黒区にNHKアナウンサー・石田武の長男として生まれた。東京都立青山高等学校を経て、早稲田大学商学部中退。

最初の妻となった女性は、作家で活動家・星川淳の妹であり、1970年代に知り合って学生結婚[1]。この最初の妻・星川まりとの間にできた息子いしだ壱成は後に俳優・テレビタレントとなっている。

演出家となることを考えた石田は大学在学中、演劇を学ぶためにアメリカ合衆国に渡った。東洋哲学に傾倒しており、ヒッピー的な志向であったまりとは、このアメリカ滞在中に離婚をしている。石田は帰国後の1978年(昭和53年)には大学を中退、演劇集団 円の演劇研究所研究生となった。

俳優デビュー[編集]

演劇集団 円での下積み生活を経て[1]1979年(昭和54年)に、NHKドラマ『あめりか物語』(日系三世のタイ人の店員役)でデビュー。当初は石田 純芸名を使用していた(のちに芸名を石田 純一と改名)。

1984年(昭和59年)の昼ドラ「夢追い旅行」で準主役に抜擢され名が知られる。1985年(昭和60年)から1988年(昭和63年)に放送されたフジテレビクイズ番組『TVプレイバック』に向井亜紀と共にレギュラー解答者に抜擢され、そのルックス萩本欽一ザ・ドリフターズのメンバーにも臆することのない軽快な話術が受け、知名度は一躍全国区レベルとなった。

1987年(昭和62年)にはテレビ朝日の音楽番組『オリジナルコンサート』の司会を務めている。

1988年(昭和63年)の『抱きしめたい!』(フジテレビ)など、トレンディドラマと呼ばれる作品に多数出演し、バブル期を代表するトレンディ俳優として活躍した[1]

女性関係[編集]

1988年(昭和63年)、女優・松原千明と再婚、1990年平成2年)7月には女児をもうけた。この女児は後に松原すみれ(現在は「すみれ」名義)としてモデルデビューすることになる。

しかしながら1991年(平成3年)10月、それまで石田が公表していなかった、最初の妻との間に儲けた息子の存在が女性セブンにスクープされ、「隠し子」の存在が明らかになった。石田もその事実を認めた声明を出したため大きく報じられた。この息子は翌1992年(平成4年)、「石田純一の息子いしだ壱成として芸能界デビューし、親子での共演などもみられることとなった。

人気俳優・タレントとなった石田は、ファッションモデル長谷川理恵との8年余りに及ぶ交際でも知られた。1996年(平成8年)10月不倫交際をマスコミから非難された石田は「文化芸術といったものが不倫から生まれることもある」(前日に川島なお美から聴いた言葉をそのまま言ったものであり、石田のオリジナルではない[要出典])と反論、ゴルフ場芸能レポーターの取材に答える石田の姿は、この「不倫は文化」というフレーズと共に繰り返し報じられた。結婚中の不倫と「不倫は文化」発言による「不倫バッシング」によって、40代は一転不遇の人生に転落することとなった[1]

テレビドラマの出演もなくなった石田は妻や娘とも1999年(平成11年)に離別(離婚)して経済的にも困窮、それまで住んでいた高級マンションは引き払おうにも引越し代がないという始末であった[1]。メインキャスターとして月曜日から木曜日までレギュラー出演していた『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)も不倫騒動の後に降板、降板日には生放送で落涙している。この頃の状況について石田は後に、「時間を持て余すことが何よりも辛かった」と語っている[1]

「不倫バッシング」以降は映画やドラマ出演からも遠ざかり、主にバラエティ番組への出演を中心の活動となっている。ただ完全に俳優業をやめた訳ではなく、不定期ながら俳優としての活動もしている。

2009年(平成21年)にプロゴルファー東尾理子と交際宣言し、同年9月に出演したテレビ番組においては翌春に東尾理子と結婚することを発表[2]、実際には同年12月12日に3度目の結婚(入籍)。結婚から3年後の、2012年11月5日には、二人の間に男児・理汰郎[3]が誕生している[4]。尚、この結婚によって石田の義父となった東尾理子の実父で元プロ野球選手の東尾修は石田とはほぼ同年代で、石田よりも4歳(学年では3年)だけ年上である。

エピソード[編集]

  • 芸能界きってのイタリア好き。ピッツァ・マルゲリータの発祥の店「Brandi」へ来店するためにナポリまで足を運んだことがある。
  • イタリア人の生まれ変わりと占い師に診断されたこともあり本人もそれを信じている。
  • 素足に革靴を意識し始めたのは、以前ミラノで、スリッポンに素足のファッションが流行した事に遡る。
  • 以前はそれほど素足にこだわっていなかったが、北海道を訪れた時に靴下を着用していたのを地元民に「プロ根性がない」とダメ出しされてしまい、それ以降はこだわったと語っている(ゴルフシューズや極寒の地などで靴下を履く必要が生じた際には、外見からは靴下の存在が分かりにくいカバーソックスを着用することもある)。
  • 高校時代は野球部に所属し、エースで4番打者だった[5]プロ野球は熱烈な阪神タイガースの大ファン。野球オタクとも言われている[5]。時折、東京ドーム横浜スタジアムで阪神戦を観戦していると語っている。2013年10月26日文化放送日本シリーズ中継に義父の東尾修と一緒に出演。この時に、試合の流れをメモしたり、楽天アンドリュー・ジョーンズの所属していたアトランタ・ブレーブスについてレクチャーしたり、楽天の枡田慎太郎の打撃について指摘したりなど、リスナーを驚かせる一面も披露していた[5]
  • 2012年6月24日、台湾のタレント・羅志祥(SHOW/ショウ・ルオ)のCD発売イベントMAGIC&有我在に出席した際に「華流応援隊長」に任命された。羅志祥より任命状を授与され、台湾でも話題となった[6]
  • 週刊文春の「嫌いな夫婦ランキング」(2013年11月28日号)で1位になった[7]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

情報・バラエティ番組[編集]

テレビアニメ[編集]

DVD[編集]

  • 人生をポジティブに生きる25の方法(2006年、avex trax

CM[編集]

CD[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 食の履歴書 石田純一さん 『日本経済新聞』 平成23年12月24日 S3面
  2. ^ ロンドンハーツ』 2009年9月29日放送
  3. ^ 石田&理子のベビーは「理汰郎」と命名 デイリースポーツ2012年11月9日配信(2012年11月10日閲覧)
  4. ^ 石田純一が出産報告会見で涙 愛息子は東尾パパ似 (オリコンeltha 11月6日18:49配信(配信日に閲覧))
  5. ^ a b c 日本シリーズ共演で発覚! 義父・東尾修を凌駕した石田純一のマニアック解説(1/2)”. 日刊ゲンダイ (2013年10月29日). 2013年11月2日閲覧。日本シリーズ共演で発覚! 義父・東尾修を凌駕した石田純一のマニアック解説(2/2)”. 日刊ゲンダイ (2013年10月29日). 2013年11月2日閲覧。
  6. ^ SHOW、石田純一登場に「本物だ!」と大興奮”. BARKSニュース (2012年6月26日). 2013年11月2日閲覧。
  7. ^ 『週刊文春』2013年11月28日号、P139

外部リンク[編集]