桂文枝 (6代目)

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ろくだい かつら ぶんし
六代 桂 文枝
六代 桂 文枝
結三柏は、桂文枝一門の定紋であるが、代々文枝は文枝紋を替え紋として併用。
本名 河村 静也
生年月日 1943年7月16日(71歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府堺市(現・東区
師匠 桂小文枝
(後の5代目桂文枝
名跡 1. 桂 三枝
2. 六代 桂 文枝
活動内容 上方落語、創作落語
公式サイト 三枝改メ 六代 桂文枝
受賞歴
紫綬褒章(2006年)
六代 桂 文枝
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結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 河村 静也
ニックネーム サニー
生年月日 1943年7月16日(71歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府堺市(現・東区
方言 大阪弁
最終学歴 関西大学商学部中途退学
師匠 桂小文枝(後の5代目桂文枝
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1966年 -
現在の代表番組 新婚さんいらっしゃい!
過去の代表番組 MBSヤングタウン
ヤングおー!おー!
パンチDEデート
三枝の爆笑美女対談
三枝やすし(きよし)興奮テレビ
クイズ!年の差なんて
弟子 桂三馬枝 ほか
公式サイト 三枝改メ 六代 桂文枝
受賞歴
紫綬褒章(2006年)

六代 桂 文枝(ろくだい かつら ぶんし、1943年7月16日 - )は、日本の落語家上方噺家)、タレント司会者社団法人上方落語協会会長。上方落語名跡桂文枝』の当代で、前名は桂 三枝(かつら さんし)。本名は河村 静也(かわむら しずや)。

よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。師匠は桂小文枝(後の5代目桂文枝)。一般的に上方落語の世界では、単に「六代目」と言えば専ら6代目笑福亭松鶴を指すため「六代 桂 文枝」としている。

来歴[編集]

堺市(現・東区北野田に生まれ、5歳のころに大阪市大正区港区のあたりに引っ越した。現在は大阪府池田市在住。出囃子は三枝時代『おそ付け』『喜撰くずし』から『軒すだれ』(師匠である先代文枝が小文枝時代に使用したのを継承)を使用。6代文枝襲名に際して『本調子・中の舞』(5代目柳家小さんが使用していた曲)に替えた。定番ギャグは「いらっしゃーい!」。

大阪市立北恩加島小学校大阪市立市岡中学校大阪市立市岡商業高等学校卒業、中学では西川きよしの姉と同級生で、高校ではレツゴー正児2代目桂春蝶の下級生で、当時から付き合いがあった。同高卒業後、関西大学商学部第二部商学科(夜間部)に進学したが中退している。

よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)のほか、個人事務所として三友事務所(自らの個人事務所)に籍を置いている。上記の肩書きのほか、財団法人いけだ市民文化振興財団名誉理事。函館大学商学部関西大学文学部客員教授を務める。また淡路島の名誉大使も務める。

2012年に桂文枝を襲名するまで長く「桂三枝」で活動し、弟子や吉本の後輩芸人からは「三枝師匠」と呼ばれ、愛称は「サニー」「さんちゃん」であった(「さんちゃん」については、後輩である明石家さんまの愛称となり、そちらの方が一般的な認識となった)。

人物[編集]

西川きよし、笑福亭仁鶴と並び、吉本興業の三巨頭と称されている。

「いらっしゃーい!」「オヨヨ」「しっかりと!」などのギャグが有名である。「オヨヨ」については、小林信彦から自著『オヨヨ』シリーズからの盗用であると抗議され、使用をやめた上で謝罪することとなった(オヨヨ騒動)。しかし、三枝の「オヨヨ」は、俳優大河内傳次郎の物まねから派生したものであり、小林の主張は誤解であった。

関西大学では一時期、卓球部に在籍した。その後、関西大学落語研究会「落語大学」の創設直後に、勧誘(当時商学部2部2年)を受けて加入した。

タレントとして早くから頭角を現す一方で、本業の落語の評価は高くなかった。三遊亭圓丈新作落語にヒントを得て、古典ではなく新作にウェイトを置くようになると、こちらでの評価は急上昇していった。立川談志は「ただの若手の人気者だと思っていたが、新作落語で奥義を極めた」と評している。これは古典をほとんどやっていない早い時期に、司会者やタレントで人気が出始めたため、師匠にしっかり稽古を付けてもらえなかったこと、本来の上方落語の世界に出てくる大阪言葉に馴染めなかったことなどが理由とされている。なお、この自作については、後世に語り継がれることを前提としているため、「新作落語」(古典落語の対語)とは呼ばせず、敢えて「創作落語」と呼ぶ(また、新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にあり、それに反発したことにもよる)。

テレビ番組でおなじみの「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」や「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」などは、三枝が考案した。子供の頃から、オリジナルのゲームや遊びを考案するのが好きで、それが三枝の関係するクイズ番組などに活かされている。また、この持ち前の発想力が、創作落語を作る際の原動力となっている。

多くの芸人(特に吉本の後輩)からものまねされている(大平サブロー明石家さんま松本人志など)。また、関根勤東野幸治のかつての芸名「ラビット関根」や「バッテリー幸治」(フジテレビ系『明石家マンション物語』の番組内のみで使用)、池乃めだかセーラーズの名付け親でもある。

最近[いつ?]は抜け毛が多くなり、どんなヘアースタイルにするか悩んでいる。また、白髪を染めるのをやめたようだが、資生堂のunoのCMに出演。生まれて初めて金髪に染めて、話題を呼んだ。CMの中で「いらっしゃーい!」と「金髪ってええな。」とセリフを言った。またこのCMでは、『新婚さんいらっしゃい!』の椅子ごとコケる動作や「オヨヨ」を、同CMでのコンテスト企画で優勝した川島明麒麟)・藤森慎吾オリエンタルラジオ)に伝授した。

思い出の好きな食べ物はうなぎを使った料理の半助鍋(関西テレビ『よ〜いドン!』での紹介)、嫌いな食べ物は茄子の浅漬け(フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」で判明)。

落語界きっての多趣味で、かつては芸能人仲間でボウリング部を立ち上げたこともあった。最近[いつ?]ではブログを毎日更新している。趣味はウクレレ、絵を描く事である。また加山雄三のファンであり、影響で船舶の免許を取得している。なお、自動車の運転免許は持っていない。

2010年8月頃、大阪の杉村商店にてリカンベントのパフォーマーを購入、淀川の河川敷などをよく走っている。また坂本龍馬のファンであり、よくブログに話題の投稿が多い。また福原愛とテレビ共演がきっかけで卓球もする。

略歴[編集]

河村家の先祖は武家の出で菩提寺岐阜県本巣市の善永寺にある[1]。祖父・靜衛は日露戦争奉天会戦に兵卒として参加し、除隊後にその功績で得た金鵄勲章年金を元手に大阪で薬問屋を開業[1]。生後11か月で、野村銀行(現:りそな銀行)マンであった父・清三は戦地に赴く前に陸軍病院(現在の大手前病院)にて肺結核で死去(遺骨は長らく旧真田山陸軍墓地に保管されていた)[1]。彼の母はその後、息子を引き渡して離縁するようにという河村家の話を拒否して出奔し、大正区に隠れ住む。1950年ジェーン台風と、翌1951年の火事で、大正区・港区在住時代の自宅が全損したため、幼い頃の写真は数えるほどしか残っていない。

関西大学夜間部時代には、3代目桂米朝落語を聴いたことで興味を持ち、創設間もない1964年落研(通称落語大学)に一期生として入部(同期には浪漫亭呂蘭こと、元政治家の林省之介がいる)、ロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」の芸名で、アマチュア落語家として、ABCラジオの「漫才教室」に出演するなどで、大阪では早くも名の知れた存在になった。当時から自ら「ひとりぼっちでいるときのあなたにロマンチックな明かりを灯す… 便所場の電球みたいな」のキャッチフレーズを考えるなど創作力があった。関西大学夜間部在学中の1966年に、早稲田大学の落語研究会にいた都家西北6代目三遊亭圓生に弟子入りする話を聞いて、自身も落語家になることを夢見る。

ある日、番組出演などで知り合った藤井康民(当時松竹芸能文芸部員。後のケーエープロダクション社長)に桂小文枝の弟子になりたいことを打ち明ける。たまたま同じ場所に居合わせた高校先輩の2代目桂春蝶に「これから小文枝師匠とこ稽古行くさかい、ついて来るか? どうや?」と言われて同道し、弟子入り志願をする。「大学出は嫌や」と小文枝から断られたが、藤井がすべて責任を持つという形で弟子入りが許される。その時、母には「建設会社の人事課長」と偽って紹介するなど、入門までには紆余曲折があった。正式な入門は同年12月1日で、道頓堀角座で初舞台を踏み、吉本では同月に京都花月で初舞台を踏む。

1967年MBSラジオの深夜放送『歌え! MBSヤングタウン』に出演。一躍大人気となる。その後は、テレビのバラエティ番組『ヤングおー!おー!』、『パンチDEデート』、『新婚さんいらっしゃい!』などの司会を務め、全国区の人気者となった。

1980年代はクイズ番組トーク番組の司会等で活躍。超売れっ子でもあった。また、小文枝一門の中でもテレビ露出が最も多かった弟子でもある。

1990年代前半までは、長者番付関西芸能人ランキング首位を保ちつづけた。近年[いつ?]ダウンタウンなど後進の台頭に加え、上沼恵美子やしきたかじんがテレビ司会者として活躍するなど、お笑い界や上方芸能界の変化もあって、テレビタレントとしては全盛期の頃の勢いはやや落ち着いたものとなり、その後は落語家としての活動を中心に据えるようになった。

ラジオ大阪の深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(日曜日)で舌足らずの甘えた声で三枝の担当日のアシスタントを務めて共演したタレントの高橋真由美と、番組終了後に結婚し1男1女の父。テレビ番組で、挙式した時の写真を披露したことがある。長男は三友事務所の社員である。

近年[いつ?]はテレビ出演を抑え、本業の寄席(NGKの出番など)、独演会(2000年3月からは「桂三枝の創作落語125撰」)や上方落語協会会長としての業務に注力している。2006年元旦に、『笑点』の新春特番『大笑点』に、『ヤングおー!おー!』時代の共演者である月亭八方らを引き連れて出演。その際、笑点メンバーからは「会長」と呼ばれていた。

1995年の参議院議員選挙に出馬を決意。記者会見まで開いたが、告示直前に事務所と家族が反対。断念したことがある。

2009年1月1日、『産経新聞』が12月31日の関係者情報として“時期は未定だが桂派の由緒ある名跡で師匠の名「6代目桂文枝」の襲名が予定されている”と報じた[2]が、その時点では否定していた[3][4]

2011年7月11日、師匠の名を継いで「六代 桂文枝」を襲名することを正式に発表[5]。なお、タレントや落語作家としては今後も「桂三枝」名義を使用する意向を打ち出していた[6]が、後に考えを改め、「桂三枝」名義では活動しないことにした。このため、「新婚さん」も、2012年7月15日の放送で、三枝の名前では最後の出演となった。

2012年5月に『日本経済新聞』に「私の履歴書」を執筆する。

2012年7月16日、自らの69歳の誕生日に6代目桂文枝を正式に襲名し、当日のなんばグランド花月(大阪府大阪市中央区)で襲名披露公演を行った[7]。同年7月22日放送分より、「新婚さん」の出演名義も「桂文枝」に改名した。

受賞歴など[編集]

弟子[編集]

落語の弟子の芸名には、自らの前名である「三枝」にちなみ、「三○」という風に「三」がついている。また、落語以外での弟子(通称「維新塾」)としては、フジテレビの『タモリのボキャブラ天国』に出演していた漫談の幹てつや吉本新喜劇に所属している中條健一、漫才師かつみ・さゆりのさゆり、ラジオDJのDJ JIRO(高杉'Jay'二郎)らがいる。中條は、大学も所属サークルも三枝の後輩であり(関西大学落語研究会『落語大学』)、大学時代の芸名は「浪漫亭呂澪(ロミオ:「ロミオとジュリエット」より)」であった。1974年頃、2代目快楽亭ブラック立川談志に最初の破門を出された際(その後、談志一門に復帰したが、2006年現在は2度目の破門中)、一時だが三枝門下となっている(ジョニー三ノ介・桂三ノ介・桂サンQ(サンキュー))。談志はこの件で三枝に感謝していたとされる。

落語家としての弟子一覧
  • 桂サンQ(現快楽亭ブラック
  • 桂三吾郎(廃業)
  • 桂三と九(廃業)
  • 桂三馬枝(現一番弟子。東京では太田プロに所属していた)
  • 3代目桂枝三郎(一門の大喜利では司会進行を務め、あとでダメ出しすることが多い)
  • 桂三歩(和歌山県田辺市出身。)
  • 桂三発(三重県津市市議会議員、三重県在住)
  • 桂三の丞(廃業)
  • 桂三風(司会業にも定評がある、客席参加型落語を商標登録)
  • 桂三象(元・吉本新喜劇)
  • 桂三扇(女性落語家。福知山市在住)
  • 桂三若(吉本地方派遣プロジェクトで現在秋田県在住)
  • 桂三金(元・信用金庫職員)
  • 桂三ノ助(身長182cmの長身)
  • 桂三弥(中堅実力派)
  • 桂三幸
  • 桂三四郎(イケメン噺家・東京在住)
  • 桂三の丸(廃業)
  • 桂三段(吉本地方派遣プロジェクトで、現在島根県在住)
  • 桂三昌(廃業)
  • 桂三輝(2008年9月入門のカナダ人。本名はグレッグ・ロービック)
  • 桂三河
  • 桂三語
  • 桂三度(2011年入門。放送作家、ピン芸人・世界のナベアツ)
  • 桂三実
タレントとしての弟子一覧

演じた俳優[編集]

主な出演番組・映画[編集]

テレビ番組司会[編集]

クイズ番組司会[編集]

クイズ番組の解答者として[編集]

ドラマ出演[編集]

その他の番組[編集]

ナレーション[編集]

  • ザ・ノンフィクション たこ焼き シルブプレ(s'il vous plait)~パリ・細腕繁盛記~(フジテレビ、2012年2月26日)

CM[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

監督・脚本・原作
  • ゴルフ夜明け前(1987年、東宝、松林宗恵監督) - 近藤勇
  • チンピラの遠吠え おぼえとけ! 極道***行編(1995年、シネマパラダイス)
  • 爆笑! 吉本ミクロ大作戦(1996年)
出演
  • 透明剣士(1970年、大映京都)
  • 仁鶴・可朝・三枝の男三匹やったるでえ!(1970年)
  • ヤングオー!オー! 日本のジョウシキでーす(1973年)
  • テキヤの石松(1976年、東映京都)
  • 愉快な極道(1976年、東映京都)
  • じゃりン子チエ(1981年、東宝高畑勲監督) - 花井渉役(声優として出演)
  • 帝都物語(1988年、エクゼ)
  • 二十世紀少年読本(1989年) ※特別出演
  • 紅の豚(1992年、東宝、宮崎駿監督) - ピッコロ親父役(声優として出演)
  • 明日があるさ THE MOVIE(2002年、東宝)

レコード[編集]

  • 夕陽のアンジェロ/たったひとつの愛(1969年8月)※桂三枝、ダボーズ名義‐MBS「歌えヤングタウン8月のうた」より
  • ぐりぐりソング/最後に泣くのはおんなです(1971年3月)
  • 三枝のムラムラ日記/僕の思い出さん(1975年12月)
  • ひと目逢ったその日から/パンチ体操(1976年2月)※共演西川きよし‐フジテレビ「パンチDEデート」より
  • 桂三枝の電線音頭/同カラオケ(1976年7月)‐NET「ドカンと一発60分」より
  • 面積ア・ゴーゴー/年令算と仕事算(1976年7月)
  • 幸せにキッスしたら/あいあい愛Love You(1984年10月5日)※共演片平なぎさテレビ朝日系列新婚さんいらっしゃい!」より
  • 四季の恋人/あなたに(1986年5月)‐関西テレビ「三枝の美女対談」より
  • 熱海あたりで/はっけよい(1991年10月)※共演八代亜紀
  • 好きだから/愛は季節の中で(1992年7月)※共演岡本夏生‐テレビ朝日系列「新婚さんいらっしゃい!」より

主な持ちネタ[編集]

  • ゴルフ夜明け前
  • 読書の時間
  • 『鯛』(鯛は絵本にもなって出版されている)
  • 『ぼやき酒屋』
  • 『妻の旅行』
  • 『宿題』
  • 『作文』
  • 『お忘れ物承り所』
  • 『美しく青き道頓堀川』
  • 『大相撲夢甚句』
  • 『くもんもんしき学習塾』
  • 『真心サービスおじんタクシー』
  • 『ヘラクレスの心』
  • 『ワニ』
  • 『大阪レジスタンス』
  • 『父よあなたは辛かった』
  • 『赤とんぼ』
  • 『仁義なき校争』
  • 『新世界ヘ』
  • 『竹やんあれがパリの灯だ』
  • 『またも華々しき華燭の典』
  • 『ご対面は涙々のポタージュスープ』
  • 『アメリカ人が家にやって来た』

他、2012年7月現在で220以上の創作を残す。また前座時代に高座にかけた古典落語は

など多数あり。 ほかに桂文紅の作った新作落語に「テレビ葬式」がある。

エピソード[編集]

  • 早くから吉本興業のタレントとして売れっ子になったため、吉本興業内で大きな立ち位置を占めていた。一方で、相当に気難しい性格で有名であり、この両面から吉本の後輩芸人とのトラブルが絶えず、シリアス、ネタともどもこの手の話題に事欠いたことがない。
  • 大の阪神タイガースファンである。かつては巨人ファンであったが、1987年11月に『七人のHOTめだま』(フジテレビ系)にレギュラー出演した時、江川卓が引退を決意した時の映像が流れたのを見て「今日限りで巨人ファンを辞めて阪神ファンになります!」と鞍替えを宣言し、司会の近藤正臣らの度肝を抜いた。1992年に「阪神が優勝しなければ坊主にする」と公約し、阪神が本当に優勝を逃したため、公約通り坊主頭にした。しかし、芸能活動の中心が関西であるため、阪神ファンを偽っているという話もある。2002年頃、生放送のバラエティ番組で「この番組は関西ではO.A.されてないよな?」と断った上で「私、実は巨人ファンなんです」と言ったことがある。藤田まこと(旧近鉄ファン)も三枝が「巨人ファン」であることを話題にしたことがある。
  • 実はまったくの野球オンチという説もある。『ヤングおー!おー!』時代「なんか、おもろい話ないか?」と後輩芸人に聞くのが常だったが、里見まさとが甲子園に行って、おもろいオバハンに会った話をしだすと、何も言わずにいなくなってしまい、まさとが「自分で聞き出してあれは何や、ああいうヤツ嫌いやわ」とキレだした。いつも温厚で静かなまさとの変貌に楽屋は凍りついたという(KTV『さんまのまんま』より)。
  • 小さい頃は大村崑の大ファンで 後にも先にもファンレターを送ったのはその大村だけである。今でも憧れの人と言う。
  • 『ドカンと一発!60分』の“三枝のお作法教室”というドッキリコーナーの中で、お吸い物のお椀の中にトカゲのおもちゃを入れキャンディーズをビックリさせようとしたが、お椀の蓋を開けた田中好子が本当に気絶。伊藤蘭藤村美樹が心配、スタジオも騒然となり、三枝の表情も不安になるが、結局これがドッキリと分かり(田中の気絶は演技で、伊藤と藤村も仕掛け人、つまり三枝が逆ドッキリにかけられた)、キレた三枝が介抱に使ったタライの水をセットにぶちまけた。
  • 芸人仲間での飛行機の移動中、大声で騒ぐ後輩に「お前ら!もうちょっと社会人らしゅうせえー!!」と言ったことが、明石家さんまらにしばらくネタにされる(しかし三枝に言わせると、実際は穏やかな口調で「お前らももう社会人なんやからもうちょっと静かにしたらどうや?」と諭すように語ったのだが、さんまらに誇張され、「いらっしゃーい」の髪を掻き揚げるポーズも組み合わされてしまった)。さんまは若手時代、「さんま!ちょっとこーい!」「どーゆーこっちゃ!」などと三枝から叱られたことを膨張させ、現在でも持ちネタにしている。また、西川のりおが楽屋で「アイツ、いつかぶっころしたんねん」と呟くのを複数の芸人が聞いているという。
  • ダウンタウンが大阪で売れ出した時代に舞台で三枝と共演し、稽古で松本人志が台本に書いてあった三枝あてのツッコミ「出来るか!」という言葉を発したのだが、その言葉のあと三枝は控え室に引きこもってしまった。いつまでも控え室から戻ってこないことを心配していた松本に三枝の女性マネージャーから「松本君、謝って」と諭される。何を謝るのか解らない松本に「師匠は何も言わないけど、私は師匠とは長いから解るの。あの『出来るか!』はちょっと失礼じゃないのかな?」と事情を説明された。台本に書いてある言葉、しかもツッコミで怒る人がいるのかと半信半疑になりながらも三枝の元に行き、「師匠、何かすんません」と謝罪。すると三枝は「もう、ええねや」と松本をなだめ、松本は「やっぱり怒ってたんかい!」と思ったそうである。その後三枝が戻って舞台に参加し、松本が台本の台詞を「出来ますかいなー」と柔らかく表現を変えたというエピソードがある。これは後に松本がダウンタウンのごっつええ感じでコント(サニーさん)として再現したり、人志松本のすべらない話でも語られた。
  • 上述の通り、ダウンタウンと三枝とは、不仲説が囁かれていたが、ダウンタウンは、近年、番組にて、三枝のものまねをする場面が多く、三枝も「松紳」(日本テレビ)でのVTRメッセージにて、松本を認めている発言をしていた。
  • 趣味が将棋(棋力はアマ名誉五段)で、「関西将棋横好きの会」を立ち上げ、神吉宏充プロの指導のもと、自身は会長として将棋界を盛り上げている。
  • 1996年吉本女子プロレスJd'を立ち上げた際に、「覆面コミッショナー」として参画している。また、大阪プロレス所属のプロレスラー・くいしんぼう仮面の入場テーマでは、オープニングで「くいしんぼう仮面、いらっしゃーい!」の掛け声で出演するなど、プロレスとの縁もある。
  • 三枝時代に始めた、京都・南禅寺『順正[1]』で行われる、湯豆腐食べ比べ大会の司会は、日本有数の落語家になった現在でも、ずっと続けている(毎年2月に開催され、2012年に第38回を迎えた)。
  • 舞台袖で大便をもらしたことがある。そのとき本人は気づいていなかったらしい(2010年5月8日、フジテレビ系「人志松本の○○な話ゴールデン進出記念2時間スペシャル」にて、千原ジュニアと松本人志が発言)。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]