パネルクイズ アタック25

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パネルクイズ
アタック25
Dojima cross walk.jpg
番組の収録が行われている
朝日放送本社(大阪・ほたるまち
ジャンル 娯楽番組 / クイズ番組
放送時間 日曜日 13:25 - 13:55(30分)
放送期間 1975年4月6日 - 現在
放送国 日本の旗 日本
制作局 ABC
プロデューサー 尾島憲(ABC)
出演者 浦川泰幸角野友紀
(共にABCアナウンサー
他 解答者4名(視聴者orタレント)
音声 ステレオ放送(2006年4月 - )[1]
字幕 文字多重放送(2003年4月 - )[2]
オープニング 作曲山下毅雄
エンディング 同上
外部リンク 公式サイト

特記事項:
ハイビジョン撮影(2005年4月 - )
2011年現在の正式な放送開始時刻は13:25:30。
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パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ アタックにじゅうご、ラテン文字表記:PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年4月6日から朝日放送(ABC)大阪本社が制作し、ANN系列で放送されている、民放唯一の視聴者参加型クイズ番組ハイビジョン制作(2005年4月 - )、ステレオ放送(2006年4月 - )、文字多重放送(2003年4月 - )を実施している。一般には単に「アタック25」と呼ばれる例が比較的多く、新聞などのテレビ欄にも「クイズアタック25」或いは「アタック25」などと表記される場合もある。2012年6月に放送開始から37年3か月となり、日本のテレビにおけるクイズ番組で最長寿番組となった(それ以前は、37年2か月放送して終了した中部日本放送(現:CBCテレビ)のローカル番組『天才クイズ』が最長寿番組だった)。

概要[編集]

現在はANNフルネット24局(同時ネット)と宮崎放送TBS系列、2012年4月開始の遅れネット)での全国ネット放送となっている。

いわゆる「腸捻転」の解消に伴い、毎日放送(MBS)制作の『東リクイズ・イエス・ノー→5人抜きQ(クイズ)イエス・ノー』の放送枠を引き継ぐ形でスタートした。当初は13:15からの25分番組で、1975年10月から一般CMや番宣を放送する5分枠[3]を埋めて30分番組に。1994年10月2日放送分からは、日曜正午の番組の放送時間を12:55まで延長されたため、『新婚さんいらっしゃい!』と同様に10分繰り下がっての開始となり現在に至っている。

この番組の生みの親である堤章三は、MBS『アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年間にわたって構成を務め、監修へ移行した後に2008年末に番組を降板した。1993年からは、上方演芸放送作家高見孔二が構成を担当。

初代プロデューサーは当時、ABCテレビ第二制作部長だった三上泰生。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』、『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、『残響2秒 ザ・シンフォニーホールの誕生』と『6chは上方文化や』(いずれも大阪書籍)という著書を残す。

音楽は、同局の『霊感ヤマカン第六感』やテレビ朝日クイズタイムショック』などを担当した山下毅雄によるもの。この番組のテーマ曲と海外旅行獲得VTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は発売されたCDに収録されている。また、オープニングテーマ曲の「アタック!」の声と「口笛」の音は、山下本人のもの。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ(ごく一部のみ)以外は開始当初から全く変わっていない。

時期ごとに番組構成を変えながら続けているにもかかわらず、その時期のテレビ番組の主流に反した傾向が強い。ただし、答えやアタックチャンスのルール説明のテロップ(代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる)、アタックチャンス・旅行クイズのCM挿入タイミングなど、若干ではあるが、その時期ごとのテレビの主流演出が取り入れられている部分もある。

この番組の最高視聴率は関西地区で24.2%(1979年1月14日放送分)、関東地区で21.5%(1980年1月27日放送分)を記録している。2009年度現在での視聴率は8%前後で推移しており、全盛期に比べるとあまり高くない。

基本的なルール(後述)は放送開始時から以下を除き、ほとんど変わっていない。

  • 「オープニングクイズ」での誤答が、1994年頃よりノンペナルティ化された。
  • 誤答でのお立ちを1995年10月1日放送分より、3問から2問に緩和。
  • 放送開始から半年後にアタックチャンスが開設。当初は1問限りだったが、後に正解が出るまで続ける方式に変更。
  • 賞金が増額。
  • 海外旅行獲得VTRクイズ(旧フィルムクイズ)正解者の旅行先変更。

児玉は番組開始から2011年4月まで約36年間務めていた。ただし、1984年10月に児玉(当時50歳)が虫垂炎に伴う入院で、2週にわたり板東英二が代役を務めている。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の川崎フロンターレとのコラボレーションにより、2007年8月25日に川崎市等々力スタジアムで行われたJリーグ1部・ガンバ大阪との試合で「アタック25日」と題した企画を行った。ただし、企画で映された映像に出演したのは児玉ではなく、児玉のものまねをした博多華丸であった[4]

出演者[編集]

『パネルクイズ アタック25』歴代の出演者一覧
期間 司会 出題 アシスタント
1975.4.6 1976.3.28 児玉清 あかはゆき 浅井環
1976.4.4 1980.3.30 中村京子
1980.4.6 1981.3 相沢純子 森昌美
1981.4 1984.7.29 平井悦子
1984.8.5 1985.3.31 豊島美雪
1985.4.7 1985.5.19 伊藤美加
1985.5.26 1993.9.26 (これ以降無し)
1993.10.3 1999.3.28 相馬宏美
1999.4.4 2009.3.29 沢木美佳子
2009.4.5 2011.4.10 加藤明子
2011.4.17 2013.3.31 浦川泰幸
2013.4.7 現在 角野友紀
  • 番組開始当初、初代司会者の児玉は出題者(アシスタント)とともに席に座り、オープニングと海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はデスクマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに替わりピンマイクを着装するように)。

備考[編集]

  • 初代司会者の児玉は、1975年4月6日(第1回)放送分から2011年4月10日(第1795回)放送分までの約36年間[5]に亘って司会を担当した。これは日本のテレビにおけるクイズ番組史上最長の司会記録である。先行で放送される『新婚さんいらっしゃい!』司会を桂文枝(開始当時は桂三枝)が第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2012年12月現在で実に42年に亘って司会を続けている(2013年で43年目)。これは日本のテレビにおけるバラエティ番組史上の最長の司会記録である等、当番組との共通点が多い。
    • なお、児玉は1984年10月14日・10月28日放送分では腹膜炎による病気入院で欠席し、タレントの板東英二が代役司会を務めた。2012年12月23日放送のチャンピオン大会 ファイナルステージで、オープニングクイズに板東が出演し、代役司会当時の映像が流れた。
    • 2011年4月17日(第1796回)放送分以降、児玉が肝機能障害(当初児玉の死因である胃癌は公表されず)により当分の間検査入院・治療に専念することを表明。児玉休養中は『おはよう朝日です』の司会などで活躍するABCアナウンサーの浦川が代役司会を担当することになった。また、児玉はこの入院によって当番組や『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)を含めた番組、講演会への出演も全て見合わせたが[6]、同年5月16日、胃癌のため復帰叶わず77歳で逝去。翌17日より、ABC公式サイトに哀悼のコメントが掲載された(2012年の番組リニューアル(後述)による公式サイトリニューアルまで)。これにより、浦川が5月29日(第1802回)放送分より代役司会から正式に2代目司会者を担当することが決まり、「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした[7]。又、児玉からは2代目に正式に就任した浦川アナに対して「浦川君なりのアタック25を遣って貰って良いよ」と激励とアドバイスが贈られたという。
    • 2011年5月29日放送分の冒頭では、浦川がパネルボードをバックに改めて児玉逝去の旨を伝え、5月22日に放送予定だった本編は児玉逝去4日前に収録されたため、オープニングの浦川の挨拶では児玉が無期限休養中である旨のコメント部分を割愛した。
  • なお、本放送終了後に問題内容が更新される本番組の携帯サイト(クイズ解答とパネル取りができる携帯ゲーム)は2012年3月29日分まで、浦川の顔写真を使用せず、児玉の顔写真を使用していた。3月30日以降は浦川と加藤の顔写真を使用している。
  • 浦川・加藤・角野はABCアナウンサー。加藤より前の出題者は、芸能事務所所属のキャスターが務めていた。
  • 1993年1月17日・1月24日(第899・900回)放送分では出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。
  • 番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあった。現在アシスタントはおらず、浦川と角野の2人で進行している。パネル操作アシスタントは4人いた。
  • 2012年4月1日(第1842回)放送分より、番組セットが180インチの大型液晶パネルを備えた近未来的なものとなり、さらに問題もビジュアルものを増やすなどで大幅なリニューアルが施されている[8][9][10]。浦川が司会になって以降、初の大幅なリニューアルとなった。またオープニングでは浦川の隣に出題者がハンドマイク[11]を持って立つようになった。
  • 2013年6月2日(第1900回)放送のオープニングで、「実は『アタック25』、今回で1900回目の放送を迎えました」と司会の浦川が述べている[12]

クイズの種類[編集]

番組内で出題される問題はほとんどが読み上げ形式で、答えは解答後・シンキングタイム終了後にテロップで出される(1994年3月6日から)。問題読み上げの途中で押された際、正解・不正解に関係無く司会者が問題を最後まで読み上げて解説するが、しない場合はテロップで問題の答え(ごく稀に問題文も[13])が出される。以下の形式を含めて出題される問題の中にはテレビ朝日系列で放送される番組に関連したものも含まれる(ABC制作・テレビ朝日制作を問わず。一部は番組宣伝を兼ねる場合もある)。

読み上げ問題以外では以下の形式が用意されている。

現在[編集]

オープニングクイズ[編集]

当初は第1問から出題者による通常の読み上げ問題から始まっていたが(スタジオ応援者の状況の後、児玉が「さあ、今週のアタック25はこの問題からスタート!」と言って通常問題が始まっていた)、パネルの書体が変更された1984年10月からオープニングクイズを導入した。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れている写真の人物を当てる。1994年頃に分割された写真が繋ぎ合わさる形式へと変更された(名称は「フラッシュオンクイズ」のままであった)。1996年10月から系列各局からのご当地映像クイズに、その後1997年5月からは街頭インタビューとプロフィールのヒントからある人物を当てる志向になった。演出もCGを使った形式になっている。2005年10月からは、人物当てから物当てに、2008年10月からは再び人物クイズとなり、人物の写真を泡状のCGで隠されているものを見て人物を当てる物に変わった。新装開店となる2012年4月1日放送分からはタレントによるゲストクイズに変わり、VTR出演による本人に関する問題を放送告知と共に出す。なお、リニューアル後最初(2012年4月1日)のゲストクイズは平原綾香が出題している。出題したゲストは、VTRの最後に司会者に先立って「アタックチャンス」のポーズをとるのが恒例となっている。

黄色のパネルがランダムフラッシュする形式では他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、CM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、分割された写真が繋ぎ合わさる形式となった時からお手つきでもペナルティ無しに変更された。なお、お立ちがあった際に正解が出たら、お立ちの数は1問分減らされた。また、優勝者のVTRクイズ正解時の旅行先が変更されると、司会者と出題の女性がその地に赴き、旅行先にまつわる問題が4週にわたり出題されていた。ただし、2011年5月15日(第1800回)放送分からエーゲ海クルーズの旅行内容の一部が変更された時には、児玉が入院中だった影響から、出題者の加藤のみが赴いていた。さらに、2012年4月1日放送分での「地中海クルーズペア10日間の旅」への変更の際には、旅行先にまつわる問題が出題されず[14]2013年になってから不定期で出題されるようになった。

映像クイズ[編集]

2013年4月現在のもの。映像クイズの呼称は「ビジュアルクイズ」になっている(2004年4月以降)。2012年4月から、映像クイズが大幅に増加し、オープニングクイズの後に行われている(隠し絵問題だけは、映画問題の後に行われる)。

  • アナグラム問題
    著名人(架空の人物を含む)の名前を並び替えて作った文章を見て、元の名前を当てる。2012年4月からは、著名人の名前以外のものも出題されている(オープニングで旅行先のクイズが出題される時は行われない)。かつてはマジカル頭脳パワー!!(日本テレビ系)でも同様のクイズが出題されていた。
  • 熟語問題
    2枚の9分割されバラバラになったパズルの文字が、何という二字熟語になるかを当てる問題。
  • スロットの順番問題
    2014年に新登場したクイズ。スロットの5つの窓の内、4つの窓にヒントが書かれており1つ抜けている正解を導き出す問題。例えばアテネ北京ロンドン⇒?⇒東京と出た問題でこの問題は過去の夏季オリンピック歴代開催地と解る為、?にはリオデジャネイロが入る。5つの窓の何処に?が入るかは解答者には明かされない。
  • ランキング問題
    上位5位までのランキングとヒントを見て、抜けている順位の国・都道府県・都市名や品物名などを当てる(1度だけ都道府県別ランキングで第47位を当てる問題が出題された)。
  • 映画問題
    映画の一部を見て、それに関連する問題に答える。2012年4月から2013年3月までは第5問、2013年4月からはパネルが15枚埋まった時点で出題される。
  • 映像での3択問題[15]
  • 隠し絵問題
    海の下に隠された絵や写真が何かを当てる。船の軌跡によって、次第に下の絵や写真が見えてくる。

通常の読み上げ問題においても、映像を用いる場合がある。

音楽問題[編集]

当初は特定のテーマに沿った曲名や歌手名を当てる問題が中心だったが、後に3曲流し、タイトルに共通して入っている言葉を当てる、歌手名または曲名の頭文字を繋いで3文字の言葉を当てる、歌っている歌手の人数をすべて足した人数を当てるなど、多様な形式が登場した。

なお、問題数も当初は3問あったが、しだいに2問→1問と減り、2004年4月以降映像クイズ直後に出されていた問題は、2010年6月以降、映像クイズ後の読み上げ問題を数問こなした後、楽曲を聴いて、アーティスト名や曲名、楽曲にまつわるものを答える形式に変更された(そのアーティストや楽曲に関連したCD作品などの発売に合わせたり、放送時期・季節に合わせて出題される場合が多かった)。

また、児玉司会時代に画当て正解者の海外旅行先が変わる際、それぞれの旅行地に関するクイズが出題された放送回には出題されなかった。2012年4月1日放送分から2013年3月31日放送分まではパネルが15枚埋まった段階で出題される形式に変わったが、収録状況によっては出題されない日もある[16]

過去[編集]

パーソナルクイズ[編集]

1992年9月ごろまで、解答者に関する問題が出題されたが、失格中でなければ誰でも解答できた。失格者は立ったままでインタビューに答えることになっていた。

オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通り。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。

初期には、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。

7ヒントクイズ[編集]

毎日放送『アップダウンクイズ』の「目で見るクイズ」に似た内容のクイズで、BGMに合わせて7枚の写真パネルが見せられ、それに共通するものは何かを答えるクイズである。なお、誤答があった場合、この問題に限って司会の児玉が「続けます。続きどうぞ」と言って問題を続行させ、正解者が出るか時間切れになるまで流し続けていた。また、このクイズが出る前でお立ちの解答者がいる際に誤答が出たら、その時点でお立ちの数が1問分減らされた。

ルール[編集]

  • 4人の参加者が、赤 ()・緑 ()・白 ()・青 ()の4色に分かれて戦う。
  • 早押し問題が出題される。解答者がボタン(「ボーン」という音で、赤→緑→白→青の順に音が高くなる。)を押したところで各問題全体での読上げが止まり、司会が解答者を指す。通常は「赤!」という風に、色の名前を呼ぶ[17]が、チャンピオン大会の予選では、「○○さん」と名前で、さらに同じ名字が複数いる場合には、「○○県の○○さん」などと言って指す[18]。解答者が解答したのちに、司会者が問題文の残りを読み上げて、正解を確認する。
  • 正解者が出ると、下の図のようなボード上の1から25までの数字が書かれたパネルの色が下に記したルールに従って変わっていく。最終的に、自分の色のパネルの枚数を競う。解答者のスコアはパネルの獲得枚数で決めるため、「○点」とは言わず、「○枚」と言う。番組本編内でのパネル獲得のルール説明は番組初期の数回以降途切れていたが、2009年5月3日(第1702回)放送分でオープニングの提供クレジット読み上げ後にアシスタントのナレーションによるルール説明が復活し、その後も不定期に行われている。その後、2012年4月のスタジオセットリニューアル後はルール説明を行なう際、1問目のオープニングクイズ終了後に行っている。クイズの正解数は勝敗に関係せず、パネルの取り方に戦略性が求められる。
    Attack25-panel1-1.png
  • 最初の正解者(現在の1問目は有名人からの出題クイズ[19])は、13番のパネルを獲得する。その際は司会者が「13番に○(色)がともって今週は○(色)でスタートいたします」という。1985年4月頃は、1番から25番までがアトランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めて最初のパネルの場所を決めていた時期もあったが、あまりにも不評のためわずか数回で取りやめとなり、13番からスタートする形式に戻された。その際流れるBGMが、その後のフラッシュオンクイズで流された。
    Attack25-panel1-2.png
  • 2問目以降の正解者は、下記の優先順位に従ってパネルを1つ指定し、そこを自分の色にする。児玉は長年の経験でパネルの取り方を熟知しており、角を取れるにもかかわらず取らなかった場合は「なぜ角を取らない?!」と言ったり、適切ではない場所のパネルを取った場合は、少しうなって「○番を取った方が良かった」と言ったり、何故その場所を取ったのか解答者に理由を聞いた事がある(いずれの場合も「次はこうしたらいいよ」という児玉のアドバイスである[20])。浦川もパネルの取り方がおかしかった場合は、「パネルの取り方って難しいですね」「敢えてそこですか」などと解答者に言うが、浦川の場合角を取れることに気づきにくい場面で解答者が見事に角を指定した場合、「そう!○番の角、入れちゃうんです!!」と言う。
    • 自分の色のパネルで他の参加者の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。
      Attack25-panel2-1.png Attack25-panel2-2.png
      (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。10番のパネルを指定すると、14番の青が白に変わる)
    • 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。
      Attack25-panel3-1.png Attack25-panel3-2.png
      (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。例えば、5番を指定すると、次に正解して3番を指定すれば、4番を挟むことができる)
    • それでも指定できない場合、参加者の色がついているパネルに縦・横・斜めいずれかで接しているパネルの中から指定する。
      Attack25-panel4-1.png Attack25-panel4-2.png
      (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる)

戦略[編集]

  • 良く知られている戦術に、1問目の正解者が2枚目のパネルをあえて他の解答者に取らせることで、その解答者が更に次の問題に正解しても辺(3, 11, 15, 23番)を狙えなくさせるというものがある。実際、シミュレーションによる解析を行った研究[21]では、1問目に正解して中央を取った解答者は2枚目のパネルは他の解答者に取らせた方がよいという結果が出ており、また、このように、正解すると不利になる参加者のいる局面が全体の3.8%あるという結果が出ている。ただし、この研究ではルールを一部簡略化している。
  • 最初の問題から3問連続で正解した解答者は、大抵は13→8→3、または13→12→11等の様に縦か横かに指定して、挟まれにくい端を狙う場合が殆どである。しかし中には、13→7→1の様に敢えて斜めに指定して、挟まれる恐れのない角を最初から狙う戦術を取る解答者もたまに現れる。それでも、最初の問題から3問連続正解という解答者は滅多におらず、大体は3問目で他の解答者に阻止されて角のパネルを獲得されることが多いので、その戦略はリスクが大きい[22]
  • 一見正解してパネルを取る単純明快なゲームだが、いくら正解を重ねても角を取れない事態に陥ることもある。シンプルさの中に複雑な駆け引きが繰り広げられる。

アタックチャンス[編集]

  • 1975年10月5日(第27回)放送分より新設された特別問題として定着し、当初は1回限り、スルーまたは不正解だった時には無しという対応をしていた。その後、正解者が出るまで続ける方式(すなわち、スルーまたは不正解が何度出ようと正解するまで終わらない)に改められ、現在に至っている。
  • またアタックチャンス直前、出題中の場面には、パネルボードが表示される。1995年9月までは、スタジオのパネルを画面上部に表示し、同年10月からCG表示に切り替わった。2012年4月からはパネルがモニターでの表示により、アタックチャンス直前以外にも常に表示されている。
  • 残りのパネルが5枚になったところで鐘(チャイム)が鳴り『アタックチャンス』問題となる。特に児玉が司会だった頃は、残りがおおむね8枚になってくると「まもなくアタックチャンスに入る可能性あり。お立ちにならないでいきましょう!」、あるいは「あと1枚(2枚または3枚)でアタックチャンスに入る可能性があります。慎重に、かつ大胆にいきましょう!」といっていた。
  • この問題で正解した解答者は通常のパネル獲得の後、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネル(「アタックチャンスの狙い目」と呼ばれる)を1枚だけ指定(元の色で点滅したあとに「」のパネルに変わる。開始当初は黄色にはならず、点滅後そのパネルが消灯するだけだった)することが出来る。なお、司会者の「アタック・チャンス!」というコールも、当然チャンス中は正解が出るまでコールされる。
    • 黄色になったパネルは、誰も獲得していないパネルと同じ扱いになる。ただ、他人が取ったパネルは勿論、自分が獲得したパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、どれか1枚を指定しなければならない。
    • パーフェクト状態の解答者が権利を得た場合でも自分のパネルを1枚指定しなくてはならない。最近では2012年11月11日放送分でこの例が発生している。ただし、過去にアタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。その解答者はその後パーフェクトを達成した。
    • だいたいの回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルが狙い目に指定されることもある。普段は13番に狙い目を指定することはめったにないが、これまで3回指定された。(1987年7月5日(指定したのは当時立命館大学の学生であった長戸勇人)、1994年2月27日、2013年10月6日放送分。なお、いずれも1問目は13番からスタートしている。)
      Attack25-panel5-1.png Attack25-panel5-2.png
      (22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定)
    • アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに入ることがある。
  • 司会者が「アタックチャンス後の問題が大事です」と度々述べるように、解答者全員は、その後の問題に正解し狙い目となったパネルを獲得することがさらに重要である。前述のように、パネルが空くことで他の解答者にもチャンスが生まれるからである。
  • 1996年6月23日までは、アタックチャンス問題の合図となる鐘(チャイム)を鳴らしパネルの状況を説明した後、児玉が「それでは、ここでこちらをご覧下さい」と言ってCMに入り、その後「アタックチャンス」のタイトル文字とアタック音が流れる趣向だったが、1995年10月1日からは、特別企画ではタイトルを出さなくなる。1996年6月30日以降は、CMに入る前に児玉、浦川が「アタックチャンス!!」とコールしてから、一旦CMを入れて、再開後再び「アタックチャンス!!」のところから再生した[23](このコールの際、児玉が右手の握りこぶしを微妙に前後させるポーズも、番組恒例となっていた)。現在はCMを入れていない。
  • 1996年6月以前のアタックチャンスのアタック音は、優勝者に対するフィルムクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を加工して使用していた。また、アタックチャンスの旧来式の台形ロゴは、タイトルロゴが2代目に変更された後も2000年7月9日まで使用されていた。
  • コーナー開始から2009年3月までは出題中の場面のみ通常問題と区別されていなかったが、4月から出題中の右下に「アタックチャンス」と表示されるようになった。2012年4月から右上に表示されている。
  • アタックチャンスのパネル選択時は、放送開始当初から1995年9月までと2009年4月以降、実際のパネル画面を映して行われている(それ以外の時期はCG画面を使って行われていた)。

シンキングタイムとお手つき[編集]

  • シンキングタイムはおよそ7.5秒(流れ終わったあとはブザーが鳴らない)シンキングタイム用のBGMが流れ、流れ終わっても(時間切れ寸前であっても)、解答ボタンが押された場合は解答することができる。ただし、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れない(司会者自らが押すブザーが鳴った時点で出題は終了)。
  • お手つき・誤答は司会者が押すブザーが鳴り、不正解のBGMが流れ、解答者はその場で起立して、続く2問の解答権が失われる。司会者は「2問の間御辛抱」や「あと1問御辛抱」と言う。ブザーが鳴ると時間切れとみなして解答権を失うため、正解が出ても不正解である。これは他の解答者も押されていることを考慮して即答をしなければならないため。ただし、第1問目のオープニングクイズにはペナルティがないので、同じ解答者が何回も続けて間違えることもある。2011年1月9日放送の女性アナウンサー大会でも中盤に5問設定された特別問題(並べ替えや複数答える問題)で第1問目のオープニングクイズと同様、不正解でもペナルティ無しで何度でも解答できるルールで行なわれた。なお、言い直しは認められていないため、誤答が出た後で正解が出ても不正解となる。
    • ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権が失われる2問は起立していなければならない。起立することから、司会者は解答権が失われる状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人にしか与えられない。
    • ブザーの後は不正解の(立たなければならない)BGMを流す。ただし、音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため流れないが、もちろん「お立ち」となる。なお、正解の場合のチャイムやBGMは無く、司会者が「正解!」(かつて初代司会者の児玉は当初は「その通り!」だったが、2007年以降「正解!」と言う場合が圧倒的に多く、「その通り!」は少なくなった。なお、たまに「結構!」「お見事!」と言った場合もあった。司会が浦川に変わってからは、「その通りです」「その通り、正解です」という場合が多い)などと言うことでそれに替えている。
    • 「お立ち」となっても他の解答者への出題は続くため、当然ランプは1つずつ消える。なお、スルーや他の解答者の不正解もあり得るため、司会者が「1問得されました(助かりました)」などと言うこともあれば、パネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。また、司会者は2問の「お立ち」が終わった解答者が出る状態を「お戻り」と呼んでいる。
    • 1995年9月24日(第1033回)放送分まで、「お立ち」は3問だったが、解答者が4人なので、解答権が1人だけという状況もあった。そのため、収録時間や問題を全部使い切り、ウェストミンスターの鐘が鳴って強制終了したこともある。1995年10月1日放送分から「お立ち」を3問から2問に減らしたのは、その影響からである。
    • 妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままとなる例外もあるが、座ったまま休むことができても2問の解答権は失われる。2006年9月3日に放送された芸能人大会において出産直前だったジャガー横田がその例外の1人になった。ペアでの大会だったため、不正解の際はペアを組んでいた夫の木下博勝のみ「お立ち」とした。
    • 「東リ・パネルクイズアタック25(旧)」時代は、パネルの両脇に当時の東洋リノリュームのロゴマークが縦に10個つながっているタイマーがあり、それが一定時間ごとに下から一つずつ点灯、10個すべて点灯すると時間切れというルールだった。

優勝者(トップ賞)の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金[編集]

  • 全てのパネルが埋まった時点でゲーム終了となる。また、収録時間の都合で時間切れとなった場合はウェストミンスターの鐘(字幕放送では単に「(鐘の音)」で表記) が鳴り、パネルが埋まっていなくても終了となる。初めて時間切れとなったのは、1983年10月16日の放送である[24]
  • 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金(1枚につき1万円)を獲得し、獲得パネルの最も多い人が優勝(すなわちトップ賞)。海外旅行を賭けたフィルムクイズに挑戦する。
  • 25枚のパネルを全て同じ色にするとパネル獲得分の賞金に加えてパーフェクト賞として合わせて50万円を獲得できる。
  • 2人もしくは3人が同じ枚数で並んだ場合、同点決勝(プレーオフ)を行って優勝者を決定。2人での同点決勝の場合は、先に解答権を得て、それが正解ならばその時点で決着。もし、不正解の場合は、その問題を最後まで読み上げた上で相手に解答権が移る。その解答も不正解の場合は、新しい問題に移る。2009年2月8日(第1690回)放送分で発生した3人での同点決勝の場合は、最初に解答権を得た人が不正解の場合は、その人は次の問題の解答を失い、新しい問題に移る。新しい問題で、先に解答権を得た人が不正解の場合、今度はまだ2問とも答えていない人が解答権を得る。それでも不正解の場合は、3人で新しい問題に移る。1問正解で優勝決定。
    • 3人での同点決勝は、1984年3月18日の放送で初めて行われた(赤が4枚、緑・白・青が7枚ずつ)[25]。2009年2月8日(第1690回)の放送では、赤・白・青がそれぞれ8枚ずつ、緑が0枚で最後の問題を迎え、ここで緑が正解したことにより、史上2回目の3人同点決勝となった(ただし番組内では史上初と説明されていた)。同点決勝は青が制した。
    • 2011年5月8日(第1799回)の放送では、全員が6枚ずつで最後の問題を迎えた。最後の問題は緑が制したが、もし時間切れになってウェストミンスターの鐘が鳴っていたら、全員での同点決勝になるところだった。
    • 優勝者を発表する時、司会者が「○(色)の○○さんが○枚のパネルをお取りになりまして、地中海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と絶叫し、ファンファーレが流れる。画面には「地中海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得」の字幕スーパーが写し出される。その後、司会者が優勝者(トップ賞)の賞品(「○○さんにはトップ賞といたしまして…」と言う)を紹介し、出題者が参加賞の賞品(「そして、今日出場いただきました○○さん、○○さん、○○さん(優勝者以外の3人の名前)には…」と言う)の紹介をする(1996年4月 - )。
    • 1980年代前半から1990年代前半では、パーフェクトを達成した際、「パーフェクト達成!!」の字幕スーパーとトップ賞とは別のファンファーレが流れた。しかし、1998年10月11日放送の11人目のパーフェクト達成時は、通常のトップ賞のファンファーレが流れたのみである。2009年8月16日(第1717回)放送分で12人目のパーフェクト達成時は、ラストコール後に「史上12人目!パーフェクト達成!!」の字幕スーパーが出たが、ファンファーレは通常のトップ賞のもののみだった。
    • ウェストミンスターの鐘が鳴るのはだいたい年に1、2回程度であるが、2002年度、2008年度、2009年度、2010年度、2012年度のように一度も鐘が鳴らなかった年もある。かつて1995年9月には1ヶ月の間に2回(第1031回・第1033回)も鐘が鳴ってパネルが全て埋まらず、ゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では時間切れ無しで全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられるが、その際、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。特別な例として、1995年5月28日(第1016回)放送分で、誤答の「お立ち」が非常に多かったため、逆に全てのパネルが埋まるまで続けたこともある。1995年10月1日(第1034回)放送分から不正解による起立を3問から2問に短縮したのは、1995年9月の出来事の影響が大きく、鐘が鳴る確率を低下させて攻撃性を増すためである(1995年10月1日放送分で初代司会者の児玉がコメントした)。
    • 2011年10月2日(第1819回)放送分では誤答が相次いだため、4年振りに鐘が鳴った。2代目司会者の浦川に変わってから初めてのことであった[26] 。さらに2011年11月13日(第1825回)放送分でも誤答が相次ぎ、2度目の鐘となった[27][28]
    • このほかに、賞金とは別に優勝者(トップ賞)(18金ダイヤモンドネックレス、掃除機、キャスター付き旅行バッグ)・参加賞(ベルト、札入れ、小銭入れ、キーケース、磁気健康グッズ)の賞品がプレゼントされる。過去に東リが単独スポンサーだった時代にはカーペットまたはカーテンまたはクッションフロアがプレゼントされていた。また、パーフェクト達成した優勝者にトップ賞の賞品に加え、それとは別にパーフェクト賞分の東リ商品を贈呈した。優勝者と参加賞では違った品物が贈呈された。
    • 獲得賞金はゲーム終了後司会者が「パネル獲得数と賞金の額を順に申し上げますが…」と言って紹介していたが、現在は行っていない(司会が浦川に変わってからは、(特に優勝者に対して)「○枚獲得、○万円お持ち帰りですが」などと賞金に言及することはある)。ただし、夏休みに行う児童・生徒対象の大会では「賞金」とは言わずに、「奨学金」(主に生徒)または「図書券」(主に児童)と表現していた。

賞金額の変遷[編集]

金額はパネル1枚当たりの額。賞金額改定の度に2,000円ずつ値上がりしており、賞金額の改定は毎回4月に行われているが、1990年4月以降は1枚10,000円で据え置きとなっている。

  • 放送開始 - 1977年3月:2,000円
  • 1977年4月 - 1986年3月:4,000円
  • 1986年4月 - 1989年3月:6,000円
  • 1989年4月 - 1990年3月:8,000円
  • 1990年4月 - 現在:10,000円

25枚全て獲得してパーフェクトを達成した際の賞金は、放送開始当初から50万円に固定されている。過去には副賞として当時のスポンサーだった東リのカーペットが贈呈された(優勝者とは別の賞品。さらに過去には東リのクッションフロアも賞品だったことがあった)。

また、賞金とは別に出演料的なものが成績にかかわらず5,000円支払われる(近畿地方近辺からの出場者の場合はこの中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者でABCまでの交通費が5,000円を超えた場合、交通費もABC側から別途支払われる)。

海外旅行獲得VTRクイズ[編集]

海外旅行獲得クイズは、25枚のパネル盤面上(スタジオでは別モニター)にVTRを映し、古今東西問わず「ある○○」を当てる問題。主に「人物」(浦川はある「人名」という場合もある)、「都市」がメインで、他に「グループ」、「架空の人物」、「国」、「都道府県」、「町」、「村」、「半島」、「島」、「山」、「川」、「湖」、「海峡」、「岬」、「観光地」、「国立公園」、「温泉」、「年号」、「西暦年」、「文学作品」、「楽曲」、「条約」、「組織」、「建造物」、「出来事」、「乗り物」、「遺跡」などがある。上記のある○○から独立した「お寺」、「お城」、「施設」(ある建造物から独立)などもある。

成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と司会者が簡単な感想を話した後、司会者から「さあ、今日はある○○を、御当て頂きます」とジャンルが発表され、優勝者が獲得した自分のパネル(外す操作は当初はアシスタント、現在はスタッフ)を全部外した時点で「ある○○とは何(誰)でしょうか、問題スタート!!」(または「問題スタートです。」、児玉司会時代では「ある○○・VTRスタート!!」)と言ってVTRが始まる。1990年9月以前はフィルム映像だったため、「ある○○、フィルムスタート!!」と言っていた。番組開始当初(東リ提供時代)からは1987年3月まで全成績を述べた後に、CM無しでそのままクイズに入っていた。1987年4月から1996年3月までは、成績を述べた後一旦CMを入れ、CM明けは優勝者へのインタビューから始まっていた(1992年10月からは旅行先VTRからスタート)。1996年4月から2010年3月14日まではVTR開始前に一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生されていたが、2010年3月21日放送分から2012年3月25日までは、残りパネル1 - 3枚の時点で一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介をした後、以後番組終了までCMを挟まずに競技を進行するようになっていた。2012年4月1日からは浦川が「今日はある○○を当てていただきます」と言った後、一旦CMに入っている(同点決勝がある場合は、同点決勝前にCMを挿入するため、そのまま旅行先紹介VTRに移る)。2013年からは放送回によってVTRを一度流してからCMに入って、旅行先の紹介後にもう一度VTRを流すこともある。憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅になった2010年6月以降、旅行の紹介は海外旅行獲得クイズ開始直前に変わった。

VTR映像は、優勝者の色のパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。パーフェクトの場合は出されない)。このため、多くのパネルを獲得していたにも関わらず映像の肝心の部分を隠されてしまうことや、逆に少ないパネル獲得に関わらず重要な部分を見ることができたりと、独特の運不運が存在する。それによる優勝者の悲喜こもごもの表情を見るのも、一つの醍醐味となっている。

現在はCGパネルにVTRが表示されるが、1995年9月以前はスタジオのパネルでクロマキー合成によりVTRを流していた。その際、残った別の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫色を使っており、格子の線は黒だが、パネルの数字は紫色を使っているためである(エンディングでのパネル点滅時には紫もある)。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真(このために映像を撮っている場合もある)、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像出題中は「フライト・トゥ・パリ」のBGMが流れる。2012年4月1日放送分からはサイドパネルが追加され、5月13日放送分からは左側に「海外旅行を賭けたクイズに挑戦中」、右側に「ある○○の名前は何でしょう?」と表示されるようになった。

映像終了後、司会者に「その○○とは!?(西暦の場合、児玉は「さあ、それは西暦何年?」、浦川は「その年とは?」)」と尋ねられ、5秒以内(解答時間は時報のようなカウントダウンの音が流れる)で正解を解答すると、司会者が「正解!!」[29]・「結構!!」・「その通り!!」と絶叫、ファンファーレが鳴り、番組開始当初から1983年12月までと1995年10月から2009年3月までは電飾が光る中で、2009年4月以降は電飾点灯に加え、「憧れの地中海クルーズペア10日間の旅獲得!!」というテロップが出る中で海外旅行獲得。1984年1月から1995年9月までは電飾点灯に加え、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉[30]が割られて大量の紙吹雪とフランス国旗を彩った紙テープが降った。児玉が司会をしていた頃は海外旅行決定の時にその解答者に握手をし、「おめでとう!」・「やった!」・「良かったぁ!」や「いや、文句無し」(1995年「20周年記念グランドチャンピオン大会」)、「あんな顔が出てしまえば笑っちゃうよね」(同年の一般大会)といった労いのコメントがあった。

誤答の場合は初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたBGMが流れる。一時期、不正解の時、BGMが流れる前にブザーが鳴ったこともあった。2012年4月1日の放送から、不正解時に「残念」というテロップが表示されるようになった(表示の後、崩れ落ちる形で消去)。司会者が正解を説明する際、毎回パーフェクト達成状態の形でパネル全体が外れて見られるようになる。現在はその際に画面左(1997年10月~2013年3月までは画面中央に表示)に、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(2013年4月 - 。画面右にはスタッフ・制作クレジットのロールが流れている。同年3月までは画面下に表示)。正解を説明の際、司会者は当初、内容を書いたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている[31]

エンディングの際に、解答者の前で出題者から花束が贈呈される(その際出題者は「おめでとうございます!」と言う)。ただし、1975年4月6日の放送開始時から1995年9月25日放送分までは祝福のBGMが流される中、出題者から花束が、エールフランスの客室乗務員から旅行バッグ(末期では旅行獲得プレート)が、1995年10月1日放送分から2012年3月25日放送分までは出題者から花束と旅行獲得プレートが渡されていた。そして、VTRクイズの正解・不正解にかかわらず、浦川は「また来週です」などと言ってエンディング、2012年4月1日放送分からは携帯電話サイトやスマートホンサイト利用者に対するクイズ出題となる[32]。2011年4月10日放送分まで、児玉が司会だった時は「また次回、憧れの地中海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!!おめでとうございます」と言って、逆に旅行獲得できなかった時は「本当に残念ですが、また次回、憧れのエーゲ海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!! 残念でございます」と言ってエンディングとなった。

かつてエールフランス協賛によるパリ旅行だった時は、以下のような流れとなっていた。

  • 児玉が優勝者を発表する際に、「○○(色)の○○さんが○○枚のパネルをお取りになりまして、パリ挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と言ってファンファーレが鳴った際、字幕スーパーには「トップ賞・花の都パリに挑戦・ABC」→「アタック25トップ賞・パリ挑戦権獲得」と出た。
  • 出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか。パリそしてニース(カンヌ)があなたを待っております(この時にこやかに旅行鞄を持っているエールフランスのスチュワーデスのアップが映し出される)よろしいでしょうか。ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルムスタート!!」というコメントとともに出題が始まった(1995年10月以降は「○○行きなるでしょうか、VTRスタート!!」に変更されるが、詳しくは海外旅行を参照)。
  • 正解すると、改めて正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリそしてニース(カンヌ)にいらしていただきます!!おめでとう!!良かった!!」などとコメントした後、BGMが流される中、エールフランス機の離陸映像とパリの風景をパネルに映し出して、そのパネルをバックに先述の通り、エールフランスのスチュワーデスより「おめでとうございます、エールフランスで楽しい旅をどうぞ!」と言いながら、航空バッグ(末期は旅行獲得プレート)が、出題者より花束が贈呈された。
  • 児玉が「さらに○○さんにはトップ賞といたしまして(トップ賞の賞品)を合わせてお持ち帰りいただきます」を紹介し、出題者が「そして、今日ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)をお持ち帰りいただきます。そして、今日見事パリ行きとなられました○○さんを応援していただいた方には(賞品名)をプレゼントいたします」と言った。
  • 児玉が感想を聞いた後、「○○さん、見事パリ行きを射止めたことをお伝えして、また来週この時間、パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!良かった!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなる。
    • 1992年9月放送分まで、不正解で旅行を獲得できなかった場合に児玉は「○○(出題者)さん、おみやげを差し上げて下さい!」と言うと、出題者は「残念でございました。トップ賞の○○さんには(賞品名)を差し上げます(その間に拍手が沸く)。そして、ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)を差し上げます。そして、今日トップ賞となられました○○さんを応援していただいた皆様には(賞品名)をお持ち帰りいただきます」と言った。児玉は席に戻り、「○○さん惜しくもパリ行きなりませんでしたが、また来週この時間、パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!残念!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなった(どちらとも末期は解答者席の前で行った)。

歴史[編集]

この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』が東洋リノリユーム(現・東リ)の一社提供の下、毎日放送(MBS)製作でANN系列にて放送されたが、視聴率低迷や1975年3月31日にABCとMBSのネットチェンジを理由に終了した。ただ、東リ側が児玉司会による自社提供の番組をABCでも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。その児玉は当初『 - イエス・ノー』失敗などからこの番組の司会をすることに難色を示したが、東リ側の要請もあって結局了承。よってNET(現・テレビ朝日)など一部系列局では制作局が異なるものの、児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されることになった。なお、児玉は2011年2月19日の『日刊スポーツ』大阪版のインタビューで『アタック25』への思いを語った際に、当時の経緯を語っている[33]

ANN系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビ(HOME・当時UHT)が開局した後も、『 - イエス・ノー』までは諸事情により、JNN系列の中国放送(RCC)へ時差ネットされていたが[34]、1975年10月のテレビ新広島(TSS・FNN系列)開局に備えた編成の整理により、本番組から系列通りUHTがネットとなった。

JNN系列局時代のABCは、『ベルトクイズQ&Q』の水曜日の製作を1969年の番組開始当初だけ担当[35]した時以外、自社製作の視聴者参加クイズ番組が無く、『ベルトクイズQ&Q』『夢の世界旅行・クイズジャンボ』等、TBS製作の番組ばかりだった。

放送開始にあたっては、とあるABCのスタッフが、子供にオセロゲームを買ったことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。

次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。

また、企画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。さらに、使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていた事を理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も上がったという。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。

初代プロデューサーの三上泰生は自らの著書『6chは上方文化や』の中で「人生、非情なものだ。この非情さをクイズで表現したかった」と記している。

1992年9月まではABC制作枠の15秒番組宣伝枠がABC制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始(基本的に日曜20時台の番組の番宣)。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにしたものから現ロゴに一新した。

1997年4月の時点で毎日放送アップダウンクイズ』(1963年10月6日 - 1985年10月6日)、NHK総合テレビ連想ゲーム』(1969年4月5日 - 1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。また、それまでの地方ローカル番組を含めた最長寿記録はCBC天才クイズ』の37年2か月(1967年7月26日 - 2004年9月25日)だったが、当番組は2012年6月以降も継続したことで、クイズ番組最長寿の完全新記録達成となった。現在は民放テレビ番組として、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組(賞金が支払われる視聴者参加クイズとしても唯一)である。 

1996年7月から1999年3月まではオープニングのテーマ曲がサラウンドで放送された。2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月4日からハイビジョン化され、2006年4月9日からはスタジオ及びアナログ放送の音声モードがモノラルからステレオになった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となり、その日のアタックチャンスでレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された。

なお、過去のVTR映像は当番組やABC・テレ朝系の回顧特番で見る限り、1984年5月20日(第465回)放送分以降しか確認されていない(この回の優勝者が番組史上3人目のパーフェクト達成者となり後述する特別企画・1000回記念大会に出場した際、紹介の時点で当時のVTRが流れた)。これは当時のマスターテープだった2インチVTRが非常に高価で保存が安易にできず、上書きして使い回されていたことが主流だったことから、第1回をはじめとする番組初期の映像は残っていない可能性があるためである(後述の追悼特番で取り上げた第1回と1975年の芸能人大会が、白黒のスチール写真しか紹介されていなかったため)。

特別企画[編集]

  • 最初の特別企画は1975年7月27日(第17回)放送分の藤田まこと石坂浩二、桂三枝(現・六代桂文枝)、高岡健二(現・高岡建治)を迎えたゲスト特集で、石坂が優勝している。このときのバックセットは観客席ではなく解答者の席の色に沿ったスパンコールであった。また出演者は全員が初代のタイトルロゴを書いた丸いワッペンをつけていた。
  • 毎年、9月の敬老の日の前日(2001年までは9月15日と重なる週の日曜日)に60歳以上対象の「熟年大会」が行われる(ただし、60歳以上であっても、熟年大会ではないレギュラー放送で出場した人は複数いる)。
  • 過去には1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」、2011年まで「高校生大会」、1997年から2011年まで「高校生VS高校の先生大会[36][37]」が開催されていた。
  • 当番組は基本的に一般視聴者が参加する番組だが、2005年から2007年には9月第1週にタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が開催された。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。芸能人大会はこの時期以外に2006年3月5日(第1547回)放送分でも開催されている。
  • 過去には、数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で優勝したとしても海外旅行を逃した人、解答できずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は0枚という残念な結果に終わった人たちのためのいわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」があった。優勝できなくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
  • 1989年1月15日に放送された『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」では両リーグからそれぞれ2チームの選手とそのチームのファンであるタレントが2人一組で出場していた。優勝はジャイアンツ勝呂博憲前田武彦)チームで、最後の旅行獲得問題でも「大阪球場(難波球場)」を正解しパリ旅行まで獲得している。さらにトップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。
  • 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗!100人の大サバイバル」を実施。各大学、代表者1名が解答席に着いてクイズに答えるが、お手つき・誤答や相手に正解されたメンバーは脱落、次の代表者に交代するという特別ルールで実施。25人全て脱落した大学は、その時点でパネル枚数に関係なく敗退。そのため、1989年の700回記念大会第2弾で放送された最初の大会では、通常のルールでは不可能な6枚獲得で優勝するという事態が起きた(18枚獲得していた大学が全滅で敗退したため。)。なお、海外旅行への挑戦権は、優勝したチームで最終的に残ったメンバー全員にあり、正解した場合は残り人数分の旅行を獲得できるというルールだったが、700回記念大会放送時は不正解だった。
  • 1995年2月5日の1000回記念では、過去のパーフェクト者のうち4人による対戦を行った。この回の優勝者は、1986年2月に放送された『クイズタイムショック』(田宮・山口期)での最後のパーフェクト達成者である。
  • 1995年3月12日 - 26日(第1005 - 1007回)、過去5年以内の出場者の参加も交えての「20周年記念グランドチャンピオン大会」を3週にわたり開催、まず全国各地で筆記予選を行い、ネット局の代表1人(テレビ朝日からは2人)が選ばれ、それらを東日本・西日本別に予選大会を行い(形式は3問先取の早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ)、それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。結果、テレビ朝日代表の東大生がグランドチャンピオンとなった(賞金は枚数に関係なく50万円)。
  • 1997年1月5日と1998年1月11日には大学対抗クイズ研マドンナペア大会を開催。1998年は予選を行っていた。
  • 2000年3月には4週にわたって25周年記念大会を開催。1週目は、番組が開始された年の1975年に出場された「25年前の出場者大会」を、2週目は、出場者が全員25歳である「25歳大会」を、3週目は「25にちなんだ人大会」を、4週目「系列局女子アナペア大会」を行った。2001年4月にも3週にわたって27周年記念大会を開催した(実際は満26年)。1週目「27にちなんだ人大会」、2週目「ペア大会」、3週目「系列局女子アナペア大会」を行った。
  • 2004年4月4日 - 18日には番組開始30周年(正式には満29年であり、30年目突入)記念大会と銘打って、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。参加基準やルールは「20周年記念大会」と同じだが、ファイナルのみ賞金がパネル1枚につき4万円となった。(よって、もしパーフェクトの場合は100万円となった。)『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』初代チャンピオンで、「20周年記念」でも決勝まで勝ち残っていた新潟代表のブックオフ社員が優勝。
  • 2005年3月20日、1500回を迎えやくみつる高田万由子森内俊之丸山和也の4人の著名人によるゲスト大会が行われた。結果は、森内がパネル18枚で優勝。なお、クイズを趣味とする森内は、過去にもプロ棋士としての仕事の合間を縫って1995年4月23日(第1011回)に一般参加者として予選会を勝ち抜いて出場したことがあり、その際はパネル1枚に終わっている。
  • 2005年8月7日(第1520回)放送分は、「浴衣大会」を開催。一般出場者4人と、児玉・沢木が浴衣を着て登場した。
  • 2010年2月14日(第1740回)と同年4月4日(第1746回)放送分は、2001年以来となるペア大会を行った。
  • 2011年5月16日に児玉が77歳で逝去。22日は通常の放送を休止し『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』と題した追悼特別番組[38]が放送された。5月19日に収録が行われ、スタジオには児玉の遺影や趣味であった切り絵の作品[39]、応援席には過去の放送時の写真が展示された。追悼番組では番組のこれまでの歴史のほか、児玉の俳優としての活動、数々の名語録などを映像で振り返った(一部映像は通常の放送素材とは別に児玉の司会ぶりの様子のみを収録した映像も使用)[40]。VTRゲストには、最初の芸能人大会に出演した石坂と、大河ドラマ龍馬伝』で児玉と共演した福山雅治が登場し、故人との想い出を語った。内容については別項「さようなら児玉清さん…」も参照のこと。
  • 2012年8月12日放送分では、2010年4月4日放送分以来約2年4か月ぶりのペア大会を行ったが、親子4組によるものだった。さらに、同年9月2日放送分では夫婦ペア大会を行った。以降、予選会でも夫婦ペア大会分も恒常的に募集[41]ようになり、3~4ヶ月に1度位の頻度で夫婦ペア大会を行うようになっている。

チャンピオン大会[編集]

  • 毎年、最終放送となる本番組の放送では、前年12月(もしくはその年の1月中旬)からその年の11月までに原則として特別企画以外にて優勝した解答者から獲得枚数が多かった上位解答者が登場、『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が、1978年から行われている。英名はChampion Convention Macth(チャンピオンコンベンションマッチ)。1978年度から2007年度までは、出場資格者の一部が都合で出られなかった場合、対象外となった優勝者のうち上位者から順に繰り上がりで出場する。2008年度以降は欠席者の数次第で不足している場合のみ代理出場が認められている。
  • 2003年度までは、年間の獲得枚数上位4人が対戦。2004年度以降は予選が導入され、予選を勝ち抜いた4人での対戦となる。
  • 2008年度以降は、第2日曜日放送分(前編)で予選、第3日曜日放送分(後編)で決勝と、2週に分けて放送されることになった。
2004年度 - 2007年度の予選
  • 年間獲得枚数上位10名が出場。予選は10人一斉早押しクイズ。3問先取で決勝に進出、誤答2回で失格・退場。なお、決勝進出者は、勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る。
2008年度 - 2011年度の予選
  • 年間獲得枚数の制度が上位者制度から規定枚数制度に変わり、規定の枚数(年度により異なる)に達した優勝者全員が出場できるようになった。
  • ファーストステージは、映像を用いた20問の「筆記クイズ」(視聴者には10問ずつ、前半と後半に分けて出題)。結果発表は、いつも使用している25面パネルで行われ、成績上位10人のエントリーナンバーに対応したパネルが一斉に赤く点灯する。点灯したナンバーの解答者がセカンドステージ進出。
  • セカンドステージは、2004年度から続く「10人一斉早押しクイズ」。3問先取でファイナルステージに進出、誤答2回で失格・退場。ファイナルステージ進出者は勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る(ここまで前編、後編はファイナルステージ)。
2012年度 - 2013年度の予選
  • ファーストステージは、「参加者全員一斉早押しクイズ」。3問先取で先着3人がファイナルステージに進出(勝ち抜け順に赤・緑・白の席と座る)、誤答2回で失格・退場。なお、ゲストクイズや熟語パズルなどの通常放送時のビジュアルクイズも出題される。
  • サバイバルステージが新設され、途中退場者を除くファーストステージの敗者全員が「○×クイズ」に挑む。1問誤答で失格・退場。最後まで残った1人がファイナルステージに進出、青の席に座る。(このサバイバルステージにあたる箇所までが前編、後編はファイナルステージ)。

女子アナ大会[編集]

  • 年始初の放送は、ANN系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の『解答者本人が自己紹介をする』形式をとっている。かつては1992年10月4日、1996年1月7日に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある[42]。また、2000年3月26日にも「25周年記念企画」で、2001年4月15日にも「26周年記念企画」で行っていた。エンディングでは司会の児玉、出題者の沢木(2010年は加藤)、解答者の全員が揃って「アタックチャンス」のポーズを取るのが恒例となっている。さらに2010年1月10日の女性アナウンサー大会では、前半のCM前のアタックチャンスのコールを、児玉と共に、解答者全員が解答席に座りながら「アタックチャンス」のコールをした(CM明けのアタックチャンスは別撮りで従来どおり児玉単独で行う)。なお、ABCのアナウンサーは社則により解答者として出場しない(問題の内部流出など不正防止の意味合いもある)。また、ANN系列のうち、現在放送していない福井放送とテレビ宮崎は対象から外れている。

2003年以降の出場局と優勝局[編集]

開催年 対戦相手 優勝局(解答者)
第1回
2003年
東日本放送
広島ホームテレビ
九州朝日放送
名古屋テレビ放送
(遠藤和子影島香代子)
第2回
2004年
東日本放送
新潟テレビ21
長崎文化放送
静岡朝日テレビ
(橘尚代・川村綾)
第3回
2005年
テレビ朝日
山口朝日放送
熊本朝日放送
福島放送
(大久保尚子笠置わか菜)
第4回
2006年
テレビ朝日
愛媛朝日テレビ
鹿児島放送
岩手朝日テレビ
(原田佳子矢部順子)
第5回
2007年
山形テレビ
長野朝日放送
大分朝日放送
瀬戸内海放送
(本庄里恵子岡薫)
第6回
2008年
北海道テレビ放送
名古屋テレビ放送
九州朝日放送
テレビ朝日
(下平さやか松尾由美子)
第7回
2009年
東日本放送
広島ホームテレビ
長崎文化放送
テレビ朝日
(大木優紀・本間智恵)
第8回
2010年
青森朝日放送
新潟テレビ21
愛媛朝日テレビ
テレビ朝日
(矢島悠子竹内由恵)
第9回[43]
2011年
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
広島ホームテレビ&山口朝日放送
大分朝日放送&熊本朝日放送
北海道テレビ放送&秋田朝日放送
(石沢綾子・国井美佐 / 後藤明日香塩地美澄)
第10回
2012年
東日本放送
テレビ朝日
九州朝日放送
名古屋テレビ放送
(鈴木しおり金沢歩)
第11回
2013年
福島放送
テレビ朝日
愛媛朝日テレビ
北海道テレビ放送
(大野恵石沢綾子)
第12回
2014年
青森朝日放送&岩手朝日テレビ(チーム東北)
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
大分朝日放送&熊本朝日放送(チーム九州)
チーム瀬戸内
瀬戸内海放送&広島ホームテレビ
(北村実穂 / 串山真理)
当番組の年間放送は1月の女子アナ大会で始まり12月の年間王者決定戦のチャンピオン大会で終わる。

番組出場[編集]

解答において人名の場合は、日本人、中国人、韓国人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、それ以外の外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(このケースは予選でも適用される)。ただし、フィルムクイズは外国人もフルネームで答えなければならないことがある。そのため、苗字または名前しか答えられず、結局不正解になってしまったこともある。

いわゆるクイズ王によるクイズ荒らしを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は本選に出場することができない(ただし、「グランドチャンピオン大会」などの特別企画で特例として5年以内でも出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。

予選・収録[編集]

予選は基本的にANN系列局の放送エリアごとで行われる。そのため、ハガキに書く住所の項目は都道府県名から書くことになっている。なお、山梨県を含む関東地区予選はテレビ朝日ではなくABC東京支社で行われる(ただし予選の応募受付を各局で行っていた1990年代までの宛先はテレビ朝日だった)。ANN系列局がない富山県は富山テレビ(BBT)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した。FBC、ABC徳島支局ABC高知支局、鳥取県・島根県に所在するテレビ朝日の各支局でも予選は行われない。2012年4月から放送再開した宮崎県については、ANN系列局のテレビ宮崎ではなく、この番組を放送している宮崎放送で開催される予選に参加する。

予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。現在の予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される(かつては、同じ筆記形式でも、問題文のない解答欄のみの用紙に、カセットテープ再生による読み上げ問題の解答を記入する方式だった。1問の制限時間はおよそ10秒で、全20問。問題の読み上げは、本選の出題者が担当していた)。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後の合格発表で名前もしくは受験番号を呼ばれた人のみ面接に進める。この面接に受かれば、予選に合格となる。

ただし、予選に合格すれば必ず出場できるわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。1年待ってもオファーがなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても、出場資格は消滅しない。なお、出場が決まっていなければ、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能。その予選に合格すれば出場期限を延長できる。

1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは番組中で告知され、1年を通じて行われている。

従来は、番組開始当初から大阪市北区(1989年まで大淀区)大淀南のABC本社Aスタジオで行われていたが、2008年春から社屋の移転により、福島区福島1丁目(通称「ほたるまち」)のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっている。このため、同年4月27日からエンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。収録から放送までは原則2週間後から3週間後だが[44]、2011年5月15日放送分は5月12日収録で3日後に放送された[45]

備考[編集]

応援席[編集]

1995年9月までは観覧者を一般から募集をしていた(しかしながら、収録日の都合上、関西在住の中高年女性が多かった。)が、現在は出場者の身内・友人と関係者・アルバイト(エキストラ)しか観覧席に座ることができない。

1992年9月までは、観覧者が色別のパネル上げでトップ賞の予想を行い(行わない回もまれにあった)、予想が的中するとプレゼントが、的中しなかった観覧者全員に粗品が贈られていた。

  • 番組初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が、支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様子が、BGMが流れる中、映し出されていた。
  • 番組が始まって7~8年目の頃は、第1問(通常の読み上げ問題)が終了した後に、司会の児玉の呼びかけ(呼びかけがなくCMに入る場合もあった)とともにギャラリー(観客・応援者)が「応援席」へ移動していた。
  • プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、スポンサーからの賞品などだった。そのため支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のプラカードを持たせて、番組序盤で上げていた。
  • 1985年頃には、フィルムクイズの前に各解答者の応援人数をコンピューターで表示していた時期もあった。
  • 現在では、このトップ賞予想制度は廃止され、番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席していたが、2012年4月1日放送分からは解答席の背後のモニター設置により、ギャラリーは出題者席の背後に移動し、画面にはほとんど映らなくなった。

解答者紹介[編集]

1994年4月3日放送分までは本人による自己紹介(解答ボタンを押した後に自己紹介に入るもの、1992年10月のリニューアル以降はフラッシュオンクイズ→提供クレジット→CM挟んでから)で、翌週4月10日放送分からは出題者のナレーションによる紹介に。1996年10月6日放送分からは序盤終了後(パネル5枚埋まった時点が目安)に児玉が紹介し提供クレジットとCMとなった。2005年1月9日放送分からは、オープニングクイズが終わった後に紹介する形になった(2008年8月以降は、解答者のプロフィールのうち年齢が省略され、「今回は○○歳代の皆さん」と紹介している)。2012年4月1日放送分からは、OPアニメーションの中で4人同時に紹介されており、司会者による紹介も省略された。また、「○○歳代」はサイドパネル左側で紹介されることになった。

優勝者に関する記録[編集]

パーフェクト[編集]

この番組で言うパーフェクトとは、25枚のパネル全てを同じ色にする事で、パーフェクト優勝を達成した解答者は2012年8月現在で12人。1998年10月以降、約10年10か月間にわたってパーフェクトは無かったが、2009年8月16日放送分の「高校生VS高校の先生大会」で鹿児島県ラ・サール高校の生徒が通算で12人目のパーフェクト達成者となり、これが児玉の生前最後のパーフェクト達成者となった。

なお、青の席の解答者がパーフェクトを達成したことは1度もなく、また司会が浦川に代わってからパーフェクトはまだ出ていない。

児玉時代の歴代パーフェクト達成者
# 放送 解答席 出身・性別 旅行クイズ
1人目 1977年10月2日 埼玉県 女性 正解
2人目 1983年11月27日 東京都 男性 正解
3人目 1984年5月20日 千葉県 男性 正解
4人目 1985年9月29日 福岡県 男性 正解
5人目 1986年12月28日 東京都 女性 正解[46]
6人目 1987年4月5日 東京都 男性 正解
7人目 1989年10月15日 大阪府 女性 不正解
8人目 1990年12月30日 愛知県 男性 正解
9人目 1993年8月22日 大阪府 男性 不正解
10人目 1997年2月23日 愛知県 男性 不正解
11人目 1998年10月11日 岐阜県 女性 正解
12人目 2009年8月16日 鹿児島県 男性 正解
  • これまでの解答席別パーフェクト達成者数
    • :2人
    • :5人
    • :5人
    • :0人(2015年以降はパーフェクト達成者)
  • 旅行クイズ
    • 正解:9人
    • 不正解:3人

5人目・8人目は年間チャンピオン大会での達成である。

最低記録[編集]

優勝可能な(海外旅行挑戦権獲得)最低獲得枚数は7枚であるが、1989年1月22日の700回記念特集第2弾・「大学対抗100人の大サバイバル大会」では6枚で優勝となった。これはパネル獲得数が一番多く、「ゲーム終了時に生き残りが1人でもいること」というこの回だけの特別ルールにより、パネル獲得数が一番多かったチームがゲーム終了前に25人の解答者を全員使い果たして失格となったためである。

なお、7枚で優勝したのはこれまでに5人いる(最近では2007年10月14日放送分)。また、優勝するためには最低3問に正解する必要があるが、1985年6月9日、2000年8月6日、2008年7月27日、2012年3月4日放送分では、3問正解での優勝が起きている。

海外旅行[編集]

フィルムクイズ正解で獲得できる海外旅行は、初回から1995年9月までエールフランスで行くパリ(パリの他にニースカンヌディジョン、あるいはタヒチ)だったが、1995年10月放送分から旅行先はアメリカ合衆国ニューヨークフロリダディズニーワールド)、ドイツスイスローマオーストリアミラノスペインと変化。そして2009年4月5日放送分からは地中海クルーズ・ペア10日間の旅と史上初のペア旅行となり、2010年6月6日放送分から憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅となった。

1975年以来、オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された(2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適用された)。

フランス旅行が中止になったのは、1995年9月5日にフランス政府が南太平洋ムルロア環礁核実験を行ったことに対する抗議とされている。そのため、この出来事があった直後の9月10日放送分から24日放送分までの3回分、収録した日付のテロップを表示したり、優勝者決定時のテロップを「海外旅行挑戦権獲得」に変更。さらに、児玉のコメントの1つである「パリ挑戦権獲得!」を「海外旅行挑戦権獲得!」に、「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応になった。

2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。ただし、エールフランスではなく、日本旅行会社が主催するツアーとの提携である(2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供)。なお現在は違うが、初代司会者の児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演していた。

通常旅行に行けるのは1人で、2人ペアでの旅行は、チャンピオン大会等の特別企画のみだったが、2009年4月からは、通常回でも2人ペアでの旅行獲得ができるようになった。

1995年10月のニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅に変更以降、旅行先が変更される際の1か月間は通常のオープニングクイズが旅行先にまつわるクイズに変更される。この時のVTRでは、初代司会者の児玉と出題者が実際に旅行先へ赴き、そこから出題を行う(ただし、エンディングのVTRクイズ前に出る旅行先紹介VTRは出題がなくなってからも登場)。なお、この旅行先にまつわる問題が実施される場合、読み上げ問題の間に挟まれる、通常の映像(ビジュアル)クイズと音楽の問題の合計4問のうち、1 - 2問分が削減される。ただ、2011年5月15日の一部旅行先変更の際には、音楽の問題が出題された上、出題の加藤明子アナウンサーだけが赴いた。また、2012年1月22日放送分から旅行先紹介VTRがカットされたが、これは1月13日にイタリアで発生した、コスタ・コンコルディアの座礁事故が影響したとされている。

その後、2012年4月1日放送分からスペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅に変更され、VTRクイズ出題前の旅行先紹介VTRが復活した。ただし、これまで旅行先変更のたびに行われてきた、その旅行先にまつわるクイズが出題されなくなり、代わりに新登場となったVTRゲストが登場して出題するクイズに変更された。

旅行先の変遷[編集]

期間 旅行先 航空会社・旅行会社
1975年4月6日 1976年3月 パリ エールフランス
1976年4月 1981年5月 タヒチ
1981年5月 1986年頃 パリ・ディジョン
1986年頃 1991年3月 パリ(ニースも抱き合わせ)
1991年4月 1995年9月 パリ・カンヌ
1995年10月 2000年2月 ニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅 日本旅行→JALパックAVA
2000年3月 2001年3月 ウォルトディズニーワールドとディズニークルーズライン8日間の旅 JALパックI'll
2001年4月 2002年3月 ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマとパリ10日間の旅 JALパックAVA
2002年4月 2003年6月 パリ・ロワール・モンサンミッシェル10日間の旅 ANAハローツアー
2003年7月 2004年3月 ドイツ・ロマンチック街道とスイス・アルプス、パリの旅
2004年4月 2005年3月 パリ・モンサンミッシェルプロヴァンスを巡るフランス縦断10日間の旅
2005年4月 2006年3月 充実のローマ・パリ9日間の旅 近畿日本ツーリスト・ホリディ
2006年4月 2007年3月 充実のオーストリア・パリ9日間の旅
2007年4月 2008年3月 充実のパリ・ミラノ9日間の旅
2008年4月 2009年3月 充実のスペイン・パリ9日間の旅
2009年4月 2010年5月 地中海クルーズ・ペア10日間の旅 PTS
2010年6月 2012年3月25日 憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅[47]
2012年4月1日 2014年3月30日 スペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅
2014年4月6日 豪華客船[48]で行く地中海クルーズ・ペア10日間の旅 JTB

パネルボードと解答席[編集]

  • 番組の要であるカラーパネルは、初期の頃で制作費1000万円ほど掛かっており、アクリル板のパネルの内部に赤・緑・青・白のアドビジョン蛍光管を組み込んで、それらの色を合わせている。そのため、点灯した色にムラがあったり、点灯が乱れたり、黄色が微妙な色になったりした事がある。真青はVTR映像のクロマキー用に残しておく必要があったため、シアンで代用して青と言っていた[49]。またパネルを開発した家電メーカーの社員がスタジオに駐在しており、パネル故障などの緊急事態に対応していた(実際トラブルが起き、収録が中断した事もあった)[50]
  • 番組初期の頃は、25枚のパネルの左右両サイドに上向きの矢印(当時のスポンサーの東洋リノリユーム〈現: 東リ〉のマーク)を図示した10個のランプが縦並びにあり、シンキングタイム(7.5秒)には、シンキングのBGMとともにそのランプが下から0.75秒に1つずつ順に点灯していき、解答時間切れを表していた。アタックチャンス直前の数問は上にパネルボード、下に解答者の2画面表示だった為、ランプが点灯していく様子がO.A.でも確認できた。
  • 現在、番組を見ると、画面右端の空きエリアの部分に現在の4人取得パネル数が常時表示されている。
  • 現在の解答席は8代目である。2001年9月30日放送分からパネルの枚数表示が電光から液晶に替わっている。
    • 初代: 1975年4月 - 1976年3月
    • 2代目: 1976年4月 - 1984年3月
    • 3代目: 1984年4月 - 1986年3月
    • 4代目: 1986年4月 - 1992年9月
    • 5代目: 1992年10月 - 1995年9月
    • 6代目: 1995年10月 - 2001年9月
    • 7代目: 2001年9月30日 - 2012年3月25日
    • 8代目: 2012年4月1日 - 現在
  • 早押しボタンは、初期の頃はコンピュータのキーボードにあるスペースキーほどの長さのボタンであり、7代目セットの初頭では解答席の色と同色のカラーボタンが左右に設置された。現在は黒いボタンである。
  • 解答席の正面にはテレビモニターが設置されており、通常時や旅行を賭けたVTR問題の際に使用される。またモニターの手前に、自分や相手のパネルの獲得枚数がわかる表示板が設置されている。
  • 現在のパネルボードの書体は3代目である。初代は角張っている文字、2代目はゴシック体になり、解答席と同様に、2001年9月30日放送分から3代目 (Lucida Bold) になった。
  • 1995年9月まで、スタジオのパネルで表示していたが、1995年10月からテレビ放送ではCGで製作したパネルを使用している。スタジオのパネルは現役で使われており、2009年4月から第1問・アタックチャンス・ラストコール時にスタジオのパネルでの表示が復活した。2012年4月1日のリニューアルからは、パネルがモニターでの表示になり、位置も解答席の背後に移動した(出題者席の隣にスタジオ用パネルが設置してあるが、映し出されることは稀)。
    • 初代: 1975年4月 - 1984年9月(新学社「単元別漢字ノート」のページの数と同じ書体になっている)
    • 2代目: 1984年10月 - 2001年9月(フォントはゴシック体)
    • 3代目: 2001年9月30日 - 現在(フォントはLucida Bold)

スタジオセット[編集]

  • 初代:1975年4月 - 1976年3月
  • 2代目:1976年3月 - 1984年3月
  • 3代目:1984年3月 - 1986年3月
  • 4代目:1986年4月 - 1987年3月
  • 5代目:1987年4月 - 1989年3月
  • 6代目:1989年4月 - 1992年9月
  • 7代目:1992年10月 - 1995年9月
  • 8代目:1995年10月 - 1997年9月
  • 9代目:1997年10月 - 2001年9月23日(司会者の立ち位置部分の背景のみ変更)
  • 10代目:2001年9月30日 - 2004年3月(司会者の立ち位置部分の背景のみ変更)
  • 11代目:2004年4月 - 2006年3月
  • 12代目:2006年4月 - 2008年3月
  • 13代目:2008年4月 - 2012年3月25日
  • 14代目(現行):2012年4月1日 - 現在

タイトルロゴ[編集]

  • 初代:1975年4月 - 1992年10月
    • 台形をモチーフにしたもので、上段から「パネルクイズ」「アタック」「25」と並べられている。
  • 2代目:1992年10月 - 2012年3月25日
    • 左側に、上段から「パネルクイズ」「アタック」、右側に大きく「25」とデザインされている。
  • 3代目:2012年4月1日 - 現在
    • 先代とほぼ同じだが、「パネルクイズ」の部分のフォントが変更。また、「パネルクイズ」「アタック」の部分が少し左に移動した。

オープニングの変遷[編集]

1975年4月 - 1982年3月
エールフランスの飛行機が離陸するシーン→テーマソング出だしの「アタック・25」の音声に合わせてクロマキー合成を駆使して25枚のパネルにタイトルが映し出される→テーマソングに合わせて赤・緑・白・青の4色(後にアタックチャンスの黄色を含む5色)のパネルがフラッシュ(間に「ア」「タ」「ツ」「ク」の文字[51]を順に表示)しながら、バックにスタッフロールが流れる。最後に「25」が緑地に赤文字で浮かび上がる→司会席の児玉が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!パリです」と挨拶し、その季節ごとのパリ・フランスの風景を描写した紹介→3人が「『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「問題を差し上げます○○(出題者)です」「アシスタントの○○です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→その回の趣旨を紹介した後、解答者の自己紹介→ギャラリーの応援席移動→提供読みという構成。この時代のテーマソングはフルコーラスで流れていた。
1982年4月 - 1985年3月
最初にパネルボード(マス目無し状態)が登場し、そこに映る飛行機離陸シーンから、パリの日中の風景が綴られた映像にのせてタイトルバック(通常のレッドバック・白文字ではなく、赤文字で映像に被せる方式)・スタッフロール、それ以降の展開は前と同じ。
1985年4月 - 1992年9月
飛行機離陸シーンに続きタイトルバック→パネルボードの前に立った児玉と豊島が「こんにちは、この時間は『パネルクイズ アタック25』でお楽しみいただきます。司会の児玉清です」「問題を差し上げます、豊島美雪です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶した後、先週の展開を回想するやりとり→解答者の自己紹介→ギャラリーの4色別のボード札上げ→フラッシュオンクイズという構成。
この時期からスタッフロールはエンディングに移動、出演者は本人の映像に合わせてクレジットされるようになる。
1992年10月 - 1994年3月
空港の映像→飛行機離陸シーン→タイトルバック(この代から番組ロゴが変更、CGアニメーションによる表示になった)にのせて児玉の「『東リパネルクイズ アタック25』、まずはフラッシュオンクイズでお楽しみいただきます」の挨拶と共にフラッシュオンクイズスタート→13番点灯あとにブルーバックに提供クレジット→CMと続き、児玉と出題者が「さあ、25枚のパネルにアタックしましょう!『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「こんにちは、問題を差し上げます、○○です。今日もパリ目指してがんばって頂きます」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶する構成。
1994年4月 - 1995年9月
スタジオをバックにタイトルが映し出される→解答席の前に立った児玉と相馬が「こんにちは、お元気でお過ごしのことと存じます。『東リパネルクイズ アタック25』司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→解答者紹介(その間、児玉と相馬はそれぞれの持ち席に移動)。
1995年10月 - 1996年6月
タイトルバックは変わらず、パネルの前に立った児玉と相馬が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。これから30分間ご一緒にクイズでお楽しみください」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→解答者紹介へと続く。
1996年7月 - 1999年3月
スタジオをバックにタイトルバックにCGのパネルボードが散乱し、それがまとまりタイトルに形成される→パネルの前の映像がアップになり、パネルの前に立った児玉と相馬が「こんにちは『東リパネルクイズ アタック25』司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。さあ今日も、ニューヨークそしてフロリダのウォルトディズニーワールドを目指して頂きましょう」「どうぞ、よろしくお願いいたします」(これは1996年10月以降省略)と挨拶→児玉の進行でオープニングクイズに入り、その後パネルが5枚埋まる時点まで問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。このときのオープニングの曲はサラウンドで放送された。
1999年4月 - 2004年12月
タイトルアニメーションCG→パネルの前に立った児玉が、「こんにちは、『東リパネルクイズ アタック25』司会の(2002頃から省略)児玉清です」(2000年6月まで。後に東リが冠スポンサーで無くなった際には、東リと言わなくなった)。出題席に座っている沢木が「問題を差し上げます沢木美佳子です。今日も○○の旅を目指して頑張って下さい」と挨拶→児玉が「はい、頑張っていただきます」と言った後オープニングクイズに入り、その後数問問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。
2005年1月 - 2009年3月
オープニングクイズまでは変わらないものの、オープニングクイズが終わった後、解答者紹介→提供クレジット。
2009年4月 - 2012年3月
アニメーションCGを事実上廃止し、再びスタジオをバックにしたタイトルバックになった。それ以降の進行は変わらず。ただし、2011年4月17日から5月15日放送分、児玉が休養により欠席した5回分は代役となった浦川が「こんにちは、児玉さんが今回も体調不良でお休みですのでABCアナウンサーの浦川が務めさせていただきます」と挨拶。児玉逝去後最初のレギュラー放送となった5月29日放送分では一部挨拶を編集によりカットされ、6月5日放送分以降は「こんにちは パネルクイズアタック25 司会のABCアナウンサー浦川泰幸です」と挨拶することになった。2012年1月22日からは番組名を省略。
2012年4月 -
アニメーションCGがタイトルバックとして復活。1985年3月以来、27年ぶりにOPの中で司会・出題者が紹介された(司会・出題者の表情は毎回変えている)。それに伴い両者の自己紹介も省略され、出場解答者もOPアニメーションの中で4人同時に紹介されることになった。このアニメーションの終盤に提供クレジットが挿入され、サイドパネルにはその回の解答者の年代やオープニングクイズの出題者などが表示されることになった。提供クレジット表示終了後、浦川は「今週も始まりました“パネルクイズアタック25”」、角野(2013年3月までは加藤)は「“地中海クルーズ・ペア10日間の旅”を目指してがんばってください」と言った後オープニングクイズに入る。

パロディ[編集]

他局でのパロディは非常に多いが、『番組ナンバーワン決定戦』(2006年放送)、『朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜』(2008年放送)といった番組対抗クイズ特番で使用するなど、ABC自身もたびたびパロディの題材にしている。

  • ごきげん!ブランニュ』「アタック25やろう!」 - 2006年に、出演者が本物のセットと出題者で普通に1回分のアタック25をやるという企画。さらに2012年、2014年にも元ボクサー4人(井岡弘樹ガッツ石松内藤大助具志堅用高)により本物の司会と出題者でアタック25をやる企画が行われた。
  • ブラマヨ最強宣言!!』「ブラマヨのアタック25」 - 本物のセットを使い、沢木が問題読みとして出演した。
  • クイズ!紳助くん』 - 島田紳助が初代司会者の児玉になりきって司会を担当した。
  • 夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』「サッカーオセロアタック25」 - 木梨憲武率いる「木梨JAPAN」と対戦相手(2012年7月はザックJAPAN、2013年1月はなでしこJAPAN)が1枚1m四方、当番組のパネルボードを模したもので、5×5、25枚のパネルをオセロ形式で奪い合う企画。2012年7月1日2013年1月2日の放送で使用された。あくまでもオセロ形式で奪い合ったパネルの獲得枚数で勝負を決めるものだったが、この企画では「アタック25」で使われている効果音の一部が使われた。

関連書籍[編集]

  • 1983年11月1日に『東リ・パネルクイズアタック25』の書名で、大泉書店より発行された。大きさは新書判で、全1250問・219ページで構成されている。8 - 9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、当時滋賀県の大学生だった(獲得パネル数10枚、フィルムクイズである人物・「ガンジー」を見事正解してパリ旅行を獲得。長寿番組でありながら、これまで1冊しかクイズ本が発行されていない中で、唯一掲載された挑戦者である)。
    • 現在は絶版となっている。発刊から長期間経過していることもあって古書店でも探すのが難しく、ネットオークションの出品も稀で当時の定価(650円)の数倍から十数倍もの高値での落札となるケースが多い。
  • 2014年9月25日に『パネルクイズ アタック25 公式ファンブック』が講談社から出版された。パネルの取り方のルールや、番組のトリビア、データ、予選会・本戦の攻略法と出題された問題の一部が掲載されている。

ゲームソフト[編集]

  • 富士通パソコンシステムズ: PlayStation版・Windows 95版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売していた(他に100万円クイズハンターのゲームも発売された)。
    • PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングのフィルムクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズ無しでスロットマシンを使ったモードが楽しめる。また、「勝ち抜きアタック」モードで優勝し、フィルムクイズを正解すると、「ニューヨークの様々な光景」がテーマの映像が流れ、そのあとに「勝利の言葉」が表示される。この言葉、応募券とともに自身のプロフィールなどを郵送すると、先着500名にオリジナルグッズが貰えた。
    • PC版: PS版では予選が無かったのに対し、こちらは応募ハガキの記入から始まり、予選の筆記試験、面接を合格できれば番組出場と、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している(ただし、実際の予選はディレクター以上のスタッフが仕切るのに対し、このソフトではADが予選を仕切るようになっている)。
  • デジキューブ(のちに倒産、現存せず): PlayStation 2版のゲームソフト(2002年)を発売していた。
    • PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。まれに、予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売」といったものが届き、その時点でゲームオーバーになることがある。オリジナル解答者を作って成績を保存する事もできる。予選もある程度再現されており、筆記試験、面接が行われる。面接の受け答えによっては、ミニゲームに挑戦することもある。本戦では、1問目はおてつき無し、アタックチャンスや旅行クイズの前にCMをはさむ(設定で省くことも可能)、パネルが規定の数だけ埋まると、「画面を見て答える問題」「音楽を聞いて答える問題」が出題されるなど、本戦の雰囲気を最大限に踏襲している。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。優勝するとプロデューサーからデジタルカメラが貰え、コントローラーの操作でスタジオ内をそのカメラで撮ることができ、それを保存しプリンターに繋げてプリントアウトすることもできる。そして児玉、沢木、プロデューサーがゲーム内で言った台詞を聞けるモードがあった(言っていない台詞は聞くことができず、全部集めるのには時間がかかる)。さらに、ある条件を満たすと、チャンピオン大会モードが追加される。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すことでパネルシミュレーター機能が利用できる。なおPS版と異なり、海外旅行挑戦権クイズに使われる音楽は著作権の都合により別の曲が使われている。

冠スポンサー[編集]

この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。2000年7月以降は冠が付かず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。

放送期間 冠スポンサー 番組名
1975年4月 - 1986年3月 東洋リノリユーム(一社提供 東リ・パネルクイズアタック25
1986年10月 - 1987年3月 アルインコ(一社提供) アルインコ・パネルクイズアタック25
1987年4月 - 1992年9月 日興證券日興投信(各60秒) 日興パネルクイズ アタック25[52]
1992年10月 - 2000年6月 東リ(90秒または120秒) 東リ・パネルクイズアタック25

1986年4月 - 9月は東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供であったため、冠は付かなかった。アルインコは1987年4月に冠スポンサーから外れてからも翌年3月までスポンサーを継続した。

東リは上記以外にも1991年10月 - 1992年9月(30秒枠)、2000年7月 - 2002年3月(60秒枠)、2007年4月 - 2008年3月(30秒枠)にも提供したことがある。長期にわたって当番組のスポンサーだった関係から、スタジオのセットには現在も同社の製品が使われている。また、「東リ・パネルカーペット・アタック」シリーズの商品名はこの番組の名称にちなんでいる。

提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用、その後日興證券時代から複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、その後はスタジオ映像に提供クレジットを重ねる形式となった。2012年4月からは、番組オープニングのCG映像に提供クレジットを重ねている。

現在番組スポンサーのひとつであるジャパネットたかたは、この番組限定のテレビショッピング(CM)を毎回制作しており、高田明社長らジャパネット社員が「この時間は(商品名・機器名)にアタックします!」と言っている。

ネット局と放送時間[編集]

2012年4月より[編集]

放送対象地域 放送局 系列 放送日時 備考
近畿広域圏 朝日放送
(ABC)
テレビ朝日系列 日曜 13:25 - 13:55 制作局
関東広域圏 テレビ朝日
(EX)
同時ネット
北海道 北海道テレビ
(HTB)
青森県 青森朝日放送
(ABA)
岩手県 岩手朝日テレビ
(IAT)
宮城県 東日本放送
(KHB)
秋田県 秋田朝日放送
(AAB)
山形県 山形テレビ
(YTS)
福島県 福島放送
(KFB)
新潟県 新潟テレビ21
(UX)
長野県 長野朝日放送
(abn)
静岡県 静岡朝日テレビ
(SATV)
石川県 北陸朝日放送
(HAB)
中京広域圏 メ〜テレ
(NBN)
広島県 広島ホームテレビ
(HOME)
山口県 山口朝日放送
(yab)
香川県・岡山県 瀬戸内海放送
(KSB)
愛媛県 愛媛朝日テレビ
(eat)
福岡県 九州朝日放送
(KBC)
長崎県 長崎文化放送
(NCC)
熊本県 熊本朝日放送
(KAB)
大分県 大分朝日放送
(OAB)
鹿児島県 鹿児島放送
(KKB)
沖縄県 琉球朝日放送
(QAB)
宮崎県 宮崎放送
(MRT)
TBS系列 土曜 11:00 - 11:30 13日遅れ[53]
  • BSデジタル放送BS朝日CS放送スカイ・Aでは放送されていない。
  • 制作局であるABCでは、夏の高校野球の準々決勝や準決勝が日曜日と重なった場合は、放送日時を振り替える(各ANN系列局への裏送り)。
  • 各ANN系列局で放送日時が変更された場合、ネットスポンサー・字幕放送はそのままとなる。また、夏の高校野球予選を放送しているANN系列局では、放送日時を変更せずに直前番組である『新婚さんいらっしゃい!』と共に当該週の放送を休止とする場合がある。

過去に放送していたネット局[編集]

※系列は放送当時の系列。

放送対象地域 放送局 系列 備考
宮城県 ミヤギテレビ
(mm34)
日本テレビ系列
NETテレビ系列
現:MMT、KHB開局までの半年間放送
秋田県 秋田放送
(ABS)
日本テレビ系列 1987年の一時期
山形県 山形放送
(YBC)
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1993年3月、YTS移行まで放送
福島県 福島中央テレビ
(FCT)
1981年9月、KFB開局まで放送
新潟県 新潟放送
(BSN)
TBS系列 1981年3月29日まで。毎週日曜日17時からの時差放送。
新潟総合テレビ
(NST)
フジテレビ系列
テレビ朝日系列
テレビ新潟(TNN(現:TeNY))開局に伴う移行。
1981年4月5日から1983年9月25日まで。
同時ネットだったが、翌週から開局したNT21(現:UX)へ移行。
長野県 テレビ信州
(TSB)
テレビ朝日系列
日本テレビ系列
1980年10月開局から1991年3月、ABN(現:abn)開局まで放送
静岡県 テレビ静岡
(SUT)
フジテレビ系列 1978年6月、SKT(現:SATV)開局まで
富山県 富山テレビ
(BBT)
2009年3月まで
石川県 北陸放送
(MRO)
TBS系列 1991年9月、HAB開局まで
福井県 福井テレビ
(FTB)
フジテレビ系列 放送時期不明
島根県・鳥取県 山陰中央テレビ
(TSK)
1995年3月まで
岡山県 テレビ岡山
(OHK)
フジテレビ系列
テレビ朝日系列
現:岡山放送、1979年3月まで
同年4月の岡山・香川両県
エリア一本化
によりKSBへ一本化
愛媛県 テレビ愛媛
(EBC)
フジテレビ系列 1995年3月、EAT(現:eat)開局まで放送
高知県 テレビ高知
(KUTV)
TBS系列 放送時期不明
熊本県 テレビ熊本
(TKU)
フジテレビ系列
テレビ朝日系列
1989年9月、KAB開局まで放送
宮崎県 テレビ宮崎
(UMK)
フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1996年10月にMRTへ移行
鹿児島県 南日本放送
(MBC)
TBS系列 1982年9月、KKB開局まで放送

スタッフ(2014年11月現在)[編集]

  • 協力:JTBグループ PTSカガミ(旧・各務プロダクション)東リ ほか
  • 構成:高見孔二
  • 問題アドバイザー:山口牧生
  • 問題作成:倉片陽子
  • 問題チェック:吉氏眞理、井上景子 (週替わり)
  • 音楽:山下毅雄
  • 美術:田中影洋
  • CG:木村卓
  • TK:岡島美榮子
  • 庶務:田村圭
  • AD:濱田崇充
  • ディレクター:朝比茂信、神崎宗弘、山田洋樹、大橋洋平
  • プロデューサー:尾島憲
  • 制作・著作:ABC

過去のスタッフ[編集]

  • 構成、監修:堤章三
  • チーフプロデューサー:小森成樹(元・ABCリブラ代表取締役社長)
  • プロデューサー:河野雅人、月村潔、吉田多満子、北條信之、野条清(現在、放送番組審議会事務局長)、秋山利謙、岩城正良(現在、制作局長補佐)
  • ディレクター:岡本悦治、野条清、清水雄一郎、及川瑞葉、岩城正良、鳥海久慎、小城修哉、佐々木聡子、佐藤真澄、矢野政臣、朝日源、植田貴之

脚注[編集]

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  1. ^ 地上デジタル放送では開始当初より実施。
  2. ^ 字幕の色は浦川の声が黄色、角野の声が水色、それ以外は白色で表記。
  3. ^ この枠は、1963年10月に水曜12:15 - 12:40枠の『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』(MBS制作)開始に伴い、『ガイド』として設置された物。その後後継番組『ダイビングクイズ』(MBS制作)の変遷(ダイビングクイズ#放送時間を参照)に伴い、『ガイド』『CMロータリー』『ファミリータイム』と改題しながら継続し、当番組の開始時は13:40に移動していたが、1975年10月より13:45 - 14:55に歌謡番組せんみつのJOYJOYスタジオ』を設置するため、14:55 - 15:00に移動した。
  4. ^ 参照:フロンターレ公式[1]
  5. ^ 腸捻転解消前の『東リクイズ・イエス・ノー』(MBS制作)の時代から換算すると37年間となる。
  6. ^ 児玉清が緊急入院、当面は検査と治療専念-芸能SANSPO.COM-(2011年4月2日記事)
  7. ^ “児玉清さん「胃カメラのんでおけばよかった」スタッフに漏らす”. スポーツ報知. (2011年5月20日). http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110520-OHT1T00002.htm 
  8. ^ 「アタック25」リニューアル!浦川アナ「児玉さんが見ていたら…」-スポニチ Sponichi Annex 芸能2012年3月23日速報記事、3月27日閲覧。
  9. ^ ウラウラのつぶやき(2012年3月) - 朝日放送『おはよう朝日です』サイト内。「3月23日」を参照
  10. ^ 2012年3月25日放送での告知より。
  11. ^ 自身が使う他、海外旅行を獲得した解答者にコメントを求める際にも使われる。
  12. ^ なお、収録時にはモニター等で通算放送回数が表示されている。
  13. ^ 放送時間等の制約による編集上や司会者が問題文をフォロー(復唱)しなかった場合である
  14. ^ この際は旅行先として放送内でも告知していたクルーズ会社の客船が沈没事故を起こしてしまったため、クルーズ旅行の船会社も含めて旅行内容が急遽変更された影響によるものであると言われている。なお、その影響により、2011年の年間チャンピオンは放送上スイートルームでのクルーズ旅行を獲得したにもかかわらず、実際には他の出場者と同じ普通客室に変更されたとのことである
  15. ^ 2012年4月から2013年3月までは、オープニングクイズ、熟語問題、アナグラム問題、ランキング問題、映画問題で誤答やスルーが発生した場合に、パネル5枚が埋まるまで出題されていた。ただし、3問以内に5枚埋まらなかった場合は、読み上げ問題に移っていた。
  16. ^ 4人で音楽問題を迎えた場合、たとえ収録・出題されても答えが出なかった場合、放送時間の都合で実際の放送に入らないケースがある。
  17. ^ 浦川泰幸アナウンサーが司会になってからは、連続解答となった場合に「立て続けに赤!」や「またしても赤!」、大事なパネルを取ることが予想される場合に「ここで赤!」などと言う場合がある。
  18. ^ 1995年3月放送の「20周年記念グランドチャンピオン大会」では「北海道」などと、都道府県名で呼んでいた。
  19. ^ 2012年6月17日放送分では1問目の有名人からの出題クイズが時間切れで正解が出なかったため、2問目の2文字の漢字を当てる問題で最初の正解者が出るという珍事があった。後に2014年1月26日放送分でも同様のことが発生した。
  20. ^ 『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』(2011年5月22日)より
  21. ^ 野口陽来、松井利樹、小森成貴、橋本隼一、橋本剛『アタック25の最適戦略』、第12回 ゲーム・プログラミング ワークショップ 2007、pp.144-147、2007
  22. ^ ただし、この戦法を取る人は基本的にクイズを趣味としており『アタック25』の優勝を目標としている人(初代司会者の児玉曰く「手練れ」)が多いため、例えば13→7と狙って1番を取られた場合でも、その人に19番を取らせた上で11→3と獲得して25番を狙うというように手立ては準備しているようである。
  23. ^ 一時期は、解答権を得た出場者が解答する直前まで放送し、CMから再開後に「アタックチャンス!!」のコールから再生していたこともあった。なお、2005年 - 2006年に同点決勝の場合は、同点決勝の前にCMが入っていた。
  24. ^ 『パネルクイズ アタック25 公式ファンブック』158ページより。
  25. ^ 『パネルクイズ アタック25 公式ファンブック』87ページより。
  26. ^ その際、テロップにも時間切れになった際のルールが表示され、CMに入る前にもサイドパネルに「ウェストミンスター寺院の鐘!」(右側パネル)「4年ぶりにスタジオに響き渡る」(左側パネル)と表記された。
  27. ^ この回の新聞テレビ欄での見出しは、「大乱戦で事件発生!!」だった。
  28. ^ なお、この回に関しては、収録直前に出場者に対しスタッフが、この回の出場者のうち1名(この回の優勝者)が再出場者でありクイズが強い旨を告げた上で積極的に解答権を獲得する様に再三に渡りけしかけたため発生したものであり、特殊な事情であるものと解釈すべきであるものと思われる。
  29. ^ 浦川は「大正解!!」と言う時もある。
  30. ^ くす玉の外観は造花であるが、外観が映るのはごくまれに優勝者を応援した観客席を映し出した時に少し出る程度で、大抵は海外旅行クイズに正解し、くす玉が割られて解答者の頭上に紙テープ・紙吹雪が舞うところしか映らなかった。
  31. ^ ファイルにあるABCロゴは現行ロゴでなく、3代目(1989年-2007年)のものを使用している。
  32. ^ 参加できる時間は放送終了から30分間となっている。なお、遅れネット局(高校野球地方大会中継に伴って同時ネットから遅れネットへ変更した場合を含む)ではすでに受付時間が終了していることからクイズの回答には参加することができないため、視聴者限定クイズの部分を携帯サイトの紹介や出場者募集告知などに差し替えられる。週によっては視聴者限定クイズ自体が休止となる場合もまれにあるが、この場合でも携帯サイトの紹介や出場者募集告知などに差し替えられる。
  33. ^ “【復刻】児玉さん「アタック25」への想い”. 日刊スポーツ大阪版. 日刊スポーツ. (2011年5月17日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110517-777166.html 2011年5月17日閲覧。 
  34. ^ UHTはUHF局だったため、スポンサーセールスや受信可能範囲等の都合から一部のNET系列番組(MBS制作を含む)を先発VHF局であるRCCの編成に残していた。
  35. ^ 前番組「お昼にあいましょう」の金曜日をABCが担当した名残り。1970年から水曜日を含め全曜日TBS製作に移管
  36. ^ 2011年は高校の先生が集まらず(実際には予選高得点者の高校の先生がおり予選も通過していたにもかかわらず高校生とのマッチングの関係からオファーがなかった)高校生2名と中学校の先生2名との対戦となった。
  37. ^ 2011年は前述の事情で中学校の先生にオファーを出したり、高校生出場者の内1名がパネルの取り方のルールすら知らなかったことからして出場者の確保に非常に苦労していたようであった
  38. ^ ネットスポンサーはすべてパーティシペーション(PT)扱いとなり、一部企業はACジャパンのCMに差し替えた。
  39. ^ 同特別番組では2004年2月『徹子の部屋』(テレビ朝日制作)に児玉が出演した際に切り絵の腕前を披露する場面も紹介された。
  40. ^ 肖像権の関係上、ほとんどの解答者や観客にはぼかし処理がされた他、かつての冠スポンサーだった日興証券・日興投信に関して司会者席下部の「提供 日興証券・日興投信」の文字は、放送時のスポンサーと異なることからぼかし処理で消されていた。ただし、1989年の「700回記念プロ野球大会」の部分を再生した「アタックチャンス」の箇所など、解答席の場面での両サイドの日興証券・日興投信の看板や東リのロゴは、処理されずにそのまま放送されていた。
  41. ^ なお、夫婦ペア大会の予選を通過するためには夫婦とも筆記予選を通過しなければならないという最低限のハードルが課せられており、夫婦のうち一方のみが筆記予選を通過した場合は一般参加者が筆記予選を通過した扱いとなるとのことである
  42. ^ 1992年の時は北海道テレビが優勝、1996年では名古屋テレビが優勝した。
  43. ^ この年は1チーム2局ずつ・計8局の対抗戦。
  44. ^ 児玉清が「アタック25」収録を欠席-芸能-SANSPO.COM(2011年4月1日記事、6月5日閲覧)
  45. ^ 「アタック25」児玉清の復帰を待つ!-芸能-SANSPO.COM(2011年5月10日記事、6月5日閲覧)
  46. ^ チャンピオン大会初のパーフェクト達成
  47. ^ 2011年5月15日放送分から賞品自体は変わらないが、一部旅行先が変更された。
  48. ^ クイーン・エリザベスクイーン・ヴィクトリア
  49. ^ 日本のテレビ美術 TV-ART OF JAPAN 1978年3月
  50. ^ 朝日新聞1975年8月19日夕刊芸能面「不況に強い番組は? 答え…クイズです」
  51. ^ この文字は最後の「25」を含め全て5×5のマス目を利用しており、それぞれ緑地に赤文字(ア・25)・白地に緑文字(タ)・青字に白文字(ツ)・赤地に青文字(ク)で表示された。
  52. ^ 1991年6月 - 11月は、損失補填問題に伴い一時降板。
  53. ^ 1996年10月にテレビ宮崎から移行後、2002年12月に打ち切ったが、2012年4月7日放送再開。但し、毎月最終週を除く。遅れ放送のため、携帯サイトやスマートホンサイトでのクイズには参加できない。

外部リンク[編集]

ABC 日曜13:15 - 13:25枠
前番組 番組名 次番組
家族そろって歌合戦
(1966年4月 -1975年3月)
TBS・ABC他JNN系共同制作】
※13:15 - 14:25
【ここまでJNN系列】
MBSに番組及び共同制作を移行)

パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - 1994年9月)
※13:15 - 13:45
【ここからANN系列】

新婚さんいらっしゃい!
(1994年10月 - )
※12:55 - 13:25
【10分繰り下げ】
ABC 日曜13:25 - 13:45枠
家族そろって歌合戦
(1966年4月 - 1975年3月)
TBS・ABC他JNN系共同制作】
※13:15 - 14:25
【ここまでJNN系列】
MBSに番組及び共同制作移行)
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - )
※13:15 - 13:45

※13:25 - 13:55
【ここからANN系列】
-
ABC 日曜13:45 - 13:55枠
不明
(? - 1994年9月)
【ここまでローカル枠】
パネルクイズ アタック25
(1994年10月 - )
※13:25 - 13:55
【10分繰り下げ、ここから全国ネット枠】
-
テレビ朝日系列 日曜13:15 - 13:25枠
日曜演芸会
(1961年4月 - 1975年3月)
(関東ローカル。地域により別編成)
※13:15 - 14:00
(枠移動=16:30 - 17:15)
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - 1994年9月)
※13:15 -13:45
【ここからABC制作枠】
新婚さんいらっしゃい!
(1994年10月 - )
※12:55 - 13:25
【10分繰り下げ】
テレビ朝日系列 日曜13:25 - 13:40枠
日曜演芸会
(1961年4月 - 1975年3月)
(関東ローカル。地域により別編成)
※13:15 - 14:00
(枠移動=16:30 - 17:15)
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - )
※13:15 -13:40

※13:15 - 13:45

※13:25 -13:55
【ここからABC制作枠】
-
テレビ朝日系列 日曜13:40 - 13:45枠
ファミリータイム
(1975年4月 - 9月)
(枠移動=14:55 - 15:00)
パネルクイズ アタック25
(1975年10月 - )
※13:15 - 13:45

※13:25 - 13:55
【ここからABC制作枠】
-
テレビ朝日系列 日曜13:45 - 13:55枠
歌謡びんびんハウス
(1986年11月 - 1994年9月)
※13:45 - 14:55

※13:45 - 14:25
【ここまでテレビ朝日制作枠】
※関西地区ではSUNKBSで放送

パネルクイズ アタック25
(1994年10月 - )
※13:25 - 13:55
【10分繰り下げ、ここからABC制作枠】
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