会津若松市
| あいづわかまつし 会津若松市 |
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|---|---|
若松城(鶴ヶ城)
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| 会津若松市旗 | |
| 国 | |
| 地方 | 東北地方 |
| 都道府県 | 福島県 |
| 団体コード | 07202-8 |
| 面積 | 383.03km² (境界未定部分あり) |
| 総人口 | 125,472人 (推計人口、2012年1月1日) |
| 人口密度 | 328人/km² |
| 隣接自治体 | 郡山市、喜多方市 耶麻郡猪苗代町、磐梯町 岩瀬郡天栄村 南会津郡下郷町 河沼郡会津坂下町、湯川村 大沼郡会津美里町 |
| 市の木 | アカマツ |
| 市の花 | タチアオイ |
| 市の鳥 | カッコウ |
| 会津若松市役所 | |
| 所在地 | 〒965-8601 福島県会津若松市東栄町3番46号 |
| 外部リンク | 会津若松市役所 |
| ウィキプロジェクト | |
会津若松市(あいづわかまつし)は、日本の福島県会津地方に位置する都市で、会津地方の中心都市である。
目次 |
[編集] 概要
江戸時代には会津藩の城下町として盛え、現在でも若松城(鶴ヶ城)や白虎隊など、歴史上の事物が観光資源として有名である。その他にもこづゆなどの文化的な特色、赤べこなどに代表される伝統工芸などにより、数多くの観光客を集める。
1889年、当時の若松町が福島県で初の市制を施行し、若松市となり、その後も周辺町村の編入などを繰り返し、1955年の7村編入時に会津若松市に市名を変更し現在に至っている。会津若松市を中心とする会津若松都市圏の人口は約19万人(2000年都市雇用圏)。
会津若松市がある会津盆地は、盆地床が「あいづだいら」とも呼ばれ、他に喜多方市、河沼郡会津坂下町などがある。また、会津盆地から北の飯豊山地を越えると山形県米沢市(米沢盆地)、東は猪苗代町を経て奥羽山脈を越えると中通り地方の郡山市 (郡山盆地)、西には西会津町などを経て越後山脈を越えると新潟県新潟市 (越後平野)が位置しており、それぞれと磐越自動車道や国道、JR磐越西線などによって結ばれ、それぞれの都市との結びつきは強い。会津盆地の南には会津高原と呼ばれる山間地が広がっており、尾瀬などの観光地が点在している。市域の西側を阿賀川が流れているほか、市の東側は猪苗代湖に面している。日本海側に位置し、冬には降雪がある。
会津や若松と省略して呼ばれることもある[1]。
[編集] 地理
[編集] 位置
会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町や郡山市と接する。北、西は喜多方市など、会津盆地内の市町村と隣接する。
また、東西に磐越自動車道、国道49号、JR磐越西線が通っており、南北も国道121号などの道路、会津鉄道会津線などによって周辺地域と結ばれている。これらの会津地方の東西を結ぶ道路と南北を結ぶ道路は会津若松市で交差しており、鉄道でもJR磐越西線、只見線、会津鉄道会津線が集まる会津地方の交通の要所になっている。
[編集] 地形
市域の北部、西部、中心部周辺は会津盆地の南東部にあたり、市街地、商業地、住宅地などのほか、水田が広がる。また、市の南部から北部に阿賀川が流れており、市域東部、南部からは湯川、溷川(不動川)、古川などが流れる。市の東部は猪苗代湖に面しているほか、市の南部には山地が広がる。
[編集] 山
[編集] 川
[編集] 湖沼
[編集] 気候
市の中心部は盆地の中に位置するため、気温の年較差が大きい(1月の平均気温 0°C、8月の平均気温 25°C[2])。また、通常冬は降雪、積雪がある。このため、豪雪地帯に指定されている。日本海側気候の特徴を多く持っているほか、海から離れているため内陸性気候の特徴も併せ持つ。年間平均気温は11.4°Cで、年間平均降水量は1133.8mm[2]。
[編集] 人口
大正の国勢調査開始移行、昭和初期にかけて人口は減少しているがその後は増加に転じ、平成初期まで増加を続けていた。
[編集] 年齢別人口分布
| 会津若松市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 会津若松市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 会津若松市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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会津若松市(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
[編集] 隣接自治体
[編集] 行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、北会津郡若松桂林寺町他82町が合併、同郡日吉村及び年貢町村の各一部を編入し北会津郡若松町となる。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 市制施行により若松市として福島県で最初の市となる。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 北会津郡町北村の一部を編入。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 北会津郡町北村を編入。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 北会津郡湊村、一箕村、高野村、神指村、門田村、大戸村及び東山村を編入し、市名を現在の会津若松市に変更した。改称の理由は後述。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 大沼郡本郷町小谷を編入。
- 2000年(平成12年)2月1日 - 猪苗代湖域における、郡山市及び耶麻郡猪苗代町との境界確定により同湖の約3割の面積が市域となる。
- 2004年(平成16年)11月1日 - 北会津郡北会津村を編入。
- 2005年(平成17年)11月1日 - 河沼郡河東町を編入し、現在の市域となる。
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代まで
市内一箕町にある大塚山古墳は4世紀後半に造営されたものである。出土品の三角縁神獣鏡は畿内で鋳造されたものと同一と推定されている。
都市としての会津若松市の起源は、1384年(至徳元年)の、蘆名直盛による黒川城(若松城)築城に遡る。以降、城下町黒川は、戦国大名蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。
1589年(天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉の奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は楽市楽座の施行、手工業の振興、黒川城の近代城郭への改修などに功績を残し、また黒川という地名を若松と改めた。
氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の役で徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となった。その後、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、1643年に徳川秀忠の子保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。
[編集] 幕末から太平洋戦争まで
1862年(文久2年)、会津藩主松平容保は京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷派志士の取り締まりや京都の治安維持を担ったが、長州藩をはじめとする倒幕派の恨みを買うことになった。1868年(慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた(会津戦争)。新政府軍は若松城下にまで侵攻し、白虎隊の自刃などの悲劇が起き、城下町の大半が灰燼に帰した。
明治維新後に新政府の直轄地となり民生局が設置された。翌1869年に民生局が廃止され若松県が設置され、県庁は最初、大町の融通寺に、次に旧若松城本丸に置かれた。明治4年7月14日(1871年8月29日)、全国的な廃藩置県により、引き続き若松県が設置された。1876年(明治9年)8月21日、若松県、旧福島県、磐前県が合併し、現在の福島県が発足。以来は福島県に属する。
1889年、北会津郡若松町となり、1899年、市制施行により若松市となった。この年の人口は3万0,488人であった。 1890年に私立会津中学校が開校。後に県立に移管され福島県立会津中学校となり、現在の福島県立会津高等学校に至る。1899年(明治32年)7月15日、岩越線(現在の磐越西線)が若松駅(現在の会津若松駅、1917年(大正6年)4月21日に改称)まで開通する。磐越西線は1914年(大正3年)11月1日に新津まで全通した。
1908年、日露戦争に伴って新設された第13師団の歩兵第65連隊が若松に置かれ、現在の会津若松市立第二中学校の敷地が衛戍地とされた。同連隊は1925年の宇垣軍縮に伴って廃止され、代わって第2師団の歩兵第29連隊が仙台から移動する。その後、1937年の日中戦争を契機に歩兵第65連隊も復活した。歩兵第65連隊は南京攻略戦などに参加。歩兵第29連隊はガダルカナル島の戦いに投入され大きな損害を受けている。
1902年(明治35年)1月1日開業の会津電力株式会社により電力の供給が開始されたほか、1929年(昭和4年)4月1日には水道給水が開始された。また、1934年(昭和9年)3月5日の東京への電話開通など、この時期には近代化が進む。また、1932年(昭和7年)10月19日に御薬園(会津松平氏庭園)、1934年(昭和9年)12月28日には若松城址が国の史跡に指定されたほか、1937年(昭和12年)4月1日には現在の市役所庁舎が完成している。
[編集] 太平洋戦争後
太平洋戦争では会津若松は空襲を免れている。1946年には、神明通りが開通、1947年には会津若松商工会議所の設立が認可、1953年(昭和28年)10月3日には会津まつりが開催されるなど、戦後復興を遂げていく。
1955年、周辺の7村を編入し、これを機に都市名を若松市から現在の会津若松市に変更した。都市名の変更は、福岡県若松市(1914年市制施行。現・北九州市若松区)と混同を避けることなどを目的として行われたもので、先に市制を敷いた都市の方が改名を行った唯一の事例である。改名以前は電信・電話・郵便等において両市を混同することが多く、郵便物にいたっては日平均50通、多い日では100通もの誤配があったという(『町村合併の記録』福島県総務部地方課 (1958) )。福岡県若松市のほうは門司市・小倉市・戸畑市・八幡市と合併して北九州市となったため、「福岡県若松市」は消滅したが、会津若松市のほうはその後も「会津」を冠したまま現在に至っている。
1961年には人口が10万人を突破し、1965年から住居表示実施により、順次、旧町名が新町名に変更される。また、1965年(昭和40年)9月17日には鶴ヶ城の天守閣再建工事が落成する。1989年には会津若松市観光公社が設立され、観光業も発展していく。
その後は1993年(平成5年)4月14日には会津大学が開校し、1992年(平成4年)10月29日に会津若松ICを含む区間が開通していた磐越自動車道が1997年(平成9年)10月1日に全線(新潟 - いわき間)開通するなどし、2011年に至る。
[編集] 住居表示後に消滅した町名
1965年(昭和40年)から住居表示実施により、順次、旧町名が現在の新町名に変更されていった。 旧町名のうち、1877年(明治10年)までに成立していた町で、1889年(明治22年)に北会津郡若松町として合併した町を列記する。
大町竪町、大町一之町、大町ニ之町、大町ニ之竪、大町三之町、大町原之町、大町三四之竪、大町四之町、大町名子屋町、道場小路町、原之町、紺屋町、甲賀町、馬場上一之町、馬場下一之町、馬場一之竪町、馬場上ニ之町、馬場下二之町、馬場二之竪町、馬場上三之町、馬場下三之町、馬場三之竪町、馬場上四之町、馬場下四之町、馬場四之竪町、馬場上五之町、馬場下五之町、馬場名子屋町、大工町、博労町、上四之町、本六日町、上一之町、上六日町、上二之町、下野伏町、上五之町、行人町、中六日町、上野伏町、屋敷町、本郷町、竪三日町、寺町、東名子屋町、五軒町、横三日町、鳥居町、槻木町、阿弥陀町、愛宕町、浄光寺町、台之町、南横町、天寧寺町、徒之町、滝沢町、千石町、蚕養町、桂林寺町、老町、赤井町、諏訪四ツ谷、当麻町、当麻中町、善久町、針屋町、川原町、材木町、融通寺町、七日町、北小路町、西名子屋町、針屋名子屋町、上大和町、中大和町、下大和町、後之分町、栄町字郭内、栄町字栄町一丁目、栄町字栄町二丁目、栄町字新栄町、栄町字栄町三丁目、栄町字栄町四丁目、栄町字本三之丁、栄町字本一之丁、栄町字融通寺町口、栄町字川原町口、栄町字米代二之丁、栄町字米代四之丁、栄町字十八蔵、栄町字割場、栄町字追手前、栄町字塀内、栄町字本二之丁上、栄町字天寧寺町口、栄町字宝積寺通、栄町字内小田垣、栄町字鶴ヶ城、新横町、片柳町、南町
[編集] 地域
- 城南町
- 南町
- 南花畑
- 湯川町
- 新横町
- 緑町
- 御旗町
- 材木町
- 材木町(一丁目、二丁目)
- 川原町
- 城西町
- 日吉町
- 住吉町
- 幕内東町
- 桜町
- 柳原町(一丁目 - 四丁目)
- 錦町
- 表町
- 天神町
- 明和町
- 館馬町
- 館脇町
- 古川町
- 東年貢(一丁目 - 三丁目)
- 花見ヶ丘(一丁目 - 三丁目)
- 湯川南
- 建福寺前
- 北青木
- 駅前町
- 石堂町
- 蚕養町
- 滝沢町
- 白虎町
- 扇町
- 山見町
- 鶴賀町
- 居合町
- 堤町
- 大塚(一丁目、二丁目)
- 北滝沢(一丁目、二丁目)
- 中島町
- 千石町
- 南千石町
- 東千石(一丁目 - 三丁目)
- 花畑東
- 平安町
- 桧町
- 慶山(一丁目、二丁目)
- 和田(一丁目、二丁目)
- 飯盛(一丁目、二丁目、三丁目)
- 花春町
- 徒之町
- 宝町
- 天寧寺町
[編集] その他の地域
- 町北町 - 市街地の北の地域
- 高野町 - 市の北部、水田地帯などが広がる
- 神指町 - 市の北西部、こちらも水田地帯などが広がる
- 北会津町 - 市の西部、他の地域との間には阿賀川が流れる。平成の合併以前の北会津郡北会津村。
- 一箕町 - 市街地の北東の地域で、幹線道路沿いには商業施設が立ち並ぶ
- 河東町 - 市の北東部、水田や山林などが広がる。平成の合併以前の耶麻郡河東町。
- 湊町 - 市の東部、猪苗代湖に面している
- 東山町 - 市の南東部、東山温泉などある
- 門田町 - 市街地の南の地域
- 大戸町 - 市の南部、芦ノ牧温泉がある
[編集] 行政
[編集] 市長
[編集] 市役所・市民センター
- 本庁舎:会津若松市東栄町3番46号
- 北会津支所:会津若松市北会津町中荒井字諏訪前11番地
- 河東支所:会津若松市河東町郡山字休ミ石14番地
- 湊市民センター:会津若松市湊町大字共和字西田面50番地
- 大戸市民センター:会津若松市大戸町上三寄香塩479番地
- 北市民センター:会津若松市高野町大字上高野字村前28番地
- 南市民センター:会津若松市門田町大字中野字大道西13番地
- 一箕市民センター:会津若松市北滝沢二丁目5番6号
- 東市民センター:会津若松市慶山一丁目1番53号
[編集] 市の組織
- 副市長(1人)
- 企画政策部(企画調整課、秘書広聴課、地域づくり課)
- 各支所(総務課、まちづくり推進課、住民福祉課)
- 財務部(財政課、税務課、納税課)
- 総務部(総務課、人事課、情報政策課、契約検査課)
- 市民部(環境生活課、防災安全課、市民課、廃棄物対策課)
- 各市民センター
- 健康福祉部(社会福祉課、高齢福祉課、児童家庭課、国保年金課、健康増進課)
- 観光商工部(観光課、商工課、企業立地推進課)
- 農政部(農政課、農林課、公設地方卸売市場)
- 建設部(都市計画課、花と緑の課、区画整理課、下水道課、道路建設課、道路維持課、建築課)
- 企画政策部(企画調整課、秘書広聴課、地域づくり課)
- 会計管理者
- 会計課
- 教育委員会
- 教育委員会事務局(教育総務課、学校教育課、生涯学習課、文化課、スポーツ振興室)
- 市議会
- 議会事務局
- 選挙管理委員会
- 選挙管理委員会事務局
- 監査委員
- 監査事務局
- 公平委員会
- 固定資産評価審査委員会
- 農業委員会
- 農業委員会事務局
- 水道事業管理者
- 水道部(総務課、施設課)
[編集] 一部事務組合等
- 会津若松地方広域市町村圏整備組合:廃棄物処理、広域消防、水道用水供給等
- 会津地方市町村電子計算機管理運営協議会
[編集] 国県の機関
- 裁判所
- 法務省
- 財務省
- 会津若松税務署:会津若松市城前1番82号
- 厚生労働省
- 農林水産省
- 国土交通省
- 郡山国道事務所会津若松出張所:会津若松市町北町大字始字北台105番地
- 阿賀川河川事務所:会津若松市表町2番70号
- 福島地方気象台若松測候所:会津若松市材木町一丁目9番49号
- 福島県
- 会津地方振興局:会津若松市追手町7番5号
- 会津保健福祉事務所:会津若松市追手町7番40号
- 会津農林事務所:会津若松市追手町7番5号
- 会津若松建設事務所:会津若松市追手町7番5号
- 会津教育事務所:会津若松市追手町7番5号
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 国内の姉妹都市・友好都市
[編集] 国外の姉妹都市・友好都市
[編集] 友好都市提携の申し入れを拒否した経過のある都市
- 萩市(山口県)
- 1986年に、友好都市提携の申し入れを拒否した。
- 萩市は、戊辰戦争で会津藩と戦った長州藩の本拠地である。萩市から、敵として戦った戊辰戦争から120年を記念しての友好都市提携の申し入れがあったが、会津若松市民の間から「我々は(戊辰戦争の)恨みを忘れていない」、当時の福島県知事松平勇雄を指し「孫がまだ生きている」との意見があったため、これを拒否した。ただ、実際この騒動の後に萩市と会津若松市は友好都市関係を結ぶことこそ無かったが、活発に交流するようになり、この騒動はそのきっかけとなった。現在では、この話は半ば冗談交じりに交わされる事が多くなり、70代以上の方なら、わだかまりを持っている人もいる程度といわれている。[要出典]
- (→歴史的経緯については「会津戦争」を参照すること)
[編集] 経済
中心市街地のメインストリートは中央通りや神明通りなどがある。神明通りは商店街であり、このメインストリートを軸に中小の商店が列んでいる。しかし、全国規模の郊外型大型店の相次ぐ進出により、市街地中心部では空き店舗が目立つようになった。そのような中で、中心市街地のひとつである七日町通りでは、市からの補助金制度を作り古い街並みの保存や復旧に取り組むことで、新たな観光資源としての町づくりを行なっている。
(以下の生産額は、すべて2006年度のもの。)
[編集] 第一次産業
- 総生産 : 519千万円
- 農業 : 497千万円
- 林業 : 21千万円
市域北部、西部などには水田が広がっており、稲作が盛んである。
[編集] 第二次産業
- 総生産 : 16,285千万円
- 製造業 : 13,649千万円
- 富士通やテキサス・インスツルメンツ(旧スパンション)の半導体製造拠点がある。
- オリンパスの系列企業会津オリンパスが所在する。
[編集] 第三次産業
- 総生産 : 35,738千万円
- 卸売・小売業 : 4,525千万円
- サービス業 : 12,866千万円
会津若松市内の主な百貨店・複合商業施設・大型ショッピングセンター
- 現在の店舗
スーパーマーケットは、神明通りに本社があるリオン・ドールなども出店している。
- 過去に存在した店舗
[編集] 郵便
- 会津若松郵便局(日本郵便会津若松支店併設)
- 上三寄郵便局(郵便事業会津若松支店上三寄集配センター併設)
- 北会津郵便局(郵便事業会津若松支店北会津集配センター併設)
- 原郵便局(郵便事業会津若松支店原集配センター併設)
- 広田郵便局(郵便事業会津若松支店広田集配センター併設)
- 会津アピオ郵便局
- 芦ノ牧郵便局
- 三本松郵便局
- 堂島郵便局
- 東長原郵便局
- 東山郵便局
- 門田郵便局
- 若松居合郵便局
- 若松一箕町郵便局
- 若松上町郵便局
- 若松栄町郵便局
- 若松小田垣郵便局
- 若松旭町郵便局
- 若松黒岩郵便局
- 若松山鹿町郵便局
- 若松本町郵便局
- 若松千石町郵便局
- 若松材木町郵便局
- 若松橋本郵便局
- 若松南町郵便局
- 若松駅前郵便局
- 若松赤井郵便局
- 若松七日町郵便局
- 若松東栄町郵便局
[編集] 学校
[編集] 大学・短期大学
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
- 公立
- 会津若松市立第一中学校
- 会津若松市立第二中学校
- 会津若松市立第三中学校
- 会津若松市立第四中学校
- 会津若松市立第五中学校
- 会津若松市立第六中学校
- 会津若松市立一箕中学校
- 会津若松市立大戸中学校
- 会津若松市立湊中学校
- 会津若松市立北会津中学校
- 会津若松市立河東中学校
- 福島県立会津学鳳中学校
- 私立
[編集] 小学校
- 市立
- 会津若松市立一箕小学校
- 会津若松市立永和小学校
- 会津若松市立大戸小学校
- 会津若松市立鶴城小学校
- 会津若松市立謹教小学校
- 会津若松市立行仁小学校
- 会津若松市立神指小学校
- 会津若松市立小金井小学校
- 会津若松市立城西小学校
- 会津若松市立城南小学校
- 会津若松市立城北小学校
- 会津若松市立日新小学校
- 会津若松市立東山小学校
- 会津若松市立松長小学校
- 会津若松市立湊小学校
- 会津若松市立門田小学校
- 会津若松市立荒舘小学校
- 会津若松市立川南小学校
- 会津若松市立河東学園小学校
- 私立
[編集] 特別支援学校
- 福島県立会津養護学校
- 福島県立会津養護学校竹田分校(長期入院の児童生徒対象、分校名となっている竹田綜合病院内に立地)
- 福島県立聾学校会津分校
[編集] 施設
[編集] 図書館
- 会津若松市立会津図書館:会津若松市栄町3番50号會津稽古堂2階
- (1903年文部省認可、1904年開設)
- かつて城東町2番3号に存在した旧施設は一般書の開架図書数が少なかった。かつ施設自体の老朽化も進んでいたため、代替となる會津稽古堂(生涯学習総合センター)が建設され移転した。
[編集] ホール
[編集] 博物館
- 福島県立博物館:会津若松市城東町1番25号
- (福島県の歴史、自然、民俗など)
[編集] 医療機関
[編集] 交通
会津若松は、会津盆地の交通の中心でもあり、陸奥国の南の要衝であった。
- 主な都市までの距離(概数)
[編集] 鉄道
[編集] 歴史
- 1899年3月10日 - 岩越鉄道の山潟駅(現在の上戸駅) - 若松駅間が開業
- 1904年1月20日 - 岩越鉄道の若松駅 - 喜多方駅間が開業
- 1906年11月1日 - 岩越鉄道の国有化
- 1909年10月12日 - 国有鉄道線路名称の制定により、かつての岩越鉄道線の名称を"岩越線"と制定
- 1914年11月1日 - 岩越線(郡山駅 - 新津駅間)全通
- 1917年5月21日 - 若松駅を会津若松駅に改称
- 1926年10月15日 - 会津線(現在のJR只見線)の会津若松駅 - 会津坂下駅間が開業
- 1927年11月1日 - 会津線(現在の会津鉄道会津線)の西若松駅 - 上三寄駅(現在の芦ノ牧温泉駅)が開業
- 1932年12月22日 - 会津線(現在の会津鉄道会津線)の上三寄駅 - 湯野上駅(現在の湯野上温泉駅)が開業
- 1965年10月1日 - 上野駅との間を結ぶ特急"やまばと"(後に"会津やまばと")に会津若松行きの編成が登場
- 1967年6月15日 - 磐越西線電化(郡山駅 - 喜多方駅間)
- 1968年9月28日 - 特急"会津やまばと"を"あいづ"に改称
- 1971年8月29日 - 只見線(会津若松駅 - 小出駅)の全通、会津線の西若松駅 - 只見駅の区間が"只見線"に
- 1987年4月1日 - 東日本旅客鉄道が発足、磐越西線、只見線、会津線がJR東日本の路線に
- 1987年7月16日 - JR会津線が廃止、会津鉄道会津線に転換
- 1993年12月1日 - 特急"あいづ"廃止。郡山駅とを結ぶ特急"ビバあいづ"(後に再び"あいづ"の愛称に)に
- 1999年4月29日 - "SLばんえつ物語号"の運行が開始される
- 2003年10月1日 - 定期列車の特急"あいづ"が廃止
- 2005年7月2日 - "あいづデスティネーションキャンペーン"の開催に合わせ、特急"あいづ"が運行( - 9月25日までの土休日など)、以後、2009年まで毎年夏期に運行されている 2010年も夏季に運転される。
[編集] 概要
- 中央駅:会津若松駅 - 市街地の北部に設置されている。
[編集] バス
路線バスは、会津乗合自動車(会津バス)グループ1社のみにより運行されており、会津若松駅前には路線バスのバスターミナルがある。そのほか観光客などに向けたバスとして、会津若松駅、七日町、鶴ヶ城、御薬園、東山温泉、飯盛山などを結ぶまちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)が運行されている。
[編集] 高速バス路線
福島県内
福島県外
- 会津若松 - 新潟線
- 仙台 - 会津若松線
- 夢街道会津号(喜多方市発着で新宿駅新南口行き、一部会津若松市発着で新木場駅行き)
[編集] タクシー
会津若松市拠点の主なタクシー会社
- あいづタクシー
- 若松タクシー
- 白虎タクシー
- 広田タクシー
[編集] 空港
会津若松市から利用される空港
- 福島空港 - JR磐越西線、または高速バスを利用後、郡山駅前からのリムジンバスを利用。
- 新潟空港 - JR磐越西線、または高速バスを利用後、新潟駅前からのリムジンバスを利用。
- 仙台空港 - JR磐越西線、東北新幹線、仙台空港アクセス線を利用。
- 成田空港 - JR磐越西線、東北新幹線、総武本線、成田線などを利用。
- 羽田空港 - JR磐越西線、東北新幹線、東京モノレール羽田線などを利用。
[編集] 道路
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代の街道
以下の街道は、"会津五街道"と呼ばれた。
- 越後街道 - 現在の国道49号、磐越自動車道(会津坂下、新潟方面)
- 下野街道 - 現在の国道118号、国道121号(南会津、日光方面)
- 白河街道 - 現在の国道294号(白河方面)
- 米沢街道 - 現在の国道121号(喜多方、米沢方面)
- 二本松街道 - 現在の国道49号、磐越自動車道(猪苗代、郡山方面)
また、その他にもいくつかの街道が存在していた。
[編集] 会津三方道路
明治時代、福島県令三島通庸によって会津三方道路という土木事業が推し進められた。西に向かう越後街道、南に向かう野州街道、北に向かう羽州街道によって構成される。
[編集] 現代
- 1953年5月18日 - 二級国道115号新潟平線(新潟県新潟市 - 福島県平市)、二級国道121号宇都宮米沢線(栃木県宇都宮市 - 山形県米沢市)、二級国道252号柏崎会津若松線(新潟県柏崎市 - 福島県会津若松市)の指定
- 1963年4月1日 - 一級国道49号(福島県平市 - 新潟県新潟市)に二級国道115号新潟平線が昇格
- 1965年4月1日 - 一級国道、二級国道は一般国道に
- 1966年 - 一般国道49号、滝沢バイパスが開通
- 1975年4月1日 - 一般国道294号の指定区間が延長され、千葉県柏市 - 福島県会津若松市が指定区間に
- 1982年4月1日 - 一般国道401号(福島県会津若松市 - 群馬県沼田市)が指定される
- 1992年10月29日 - 磐越自動車道の猪苗代磐梯高原インターチェンジ - 会津坂下インターチェンジ間が開通
- 1993年4月1日 - 一般国道118号の指定区間が延長され、茨城県水戸市 - 福島県会津若松市が指定区間に
- 1997年10月1日 - 磐越自動車道が全線開通
- 2001年10月 - 磐越自動車道の郡山インターチェンジ - 会津若松インターチェンジ間が上下線合計4車線化
- 2005年10月1日 - 東日本高速道路の発足により、磐越自動車道は東日本高速道路の高速道路路線に
[編集] 主な道路
[編集] 高速道路
[編集] 国道
[編集] 主要地方道
[編集] 一般県道
- 福島県道128号会津若松会津高田線
- 福島県道131号下郷会津本郷線
- 福島県道211号西若松停車場南町線
- 福島県道212号門田停車場線
- 福島県道213号芦ノ牧温泉停車場線
- 福島県道214号芦ノ牧温泉南停車場線
- 福島県道325号湯川大町線
- 福島県道326号浜崎高野会津若松線
- 福島県道328号中沢西若松停車場線
- 福島県道337号喜多方河東線
- 福島県道374号東山温泉線
- 福島県道392号会津若松熱塩温泉自転車道線
[編集] 主な通り
[編集] 文化
会津若松市はその長い歴史と風土から伝統ある文化を持ち、現在では会津若松市の観光産業をも担っている。
[編集] 祭事
[編集] 食文化
[編集] 名産品
[編集] 観光
会津若松市は、その歴史的経緯、文化的特色から観光業が盛んで、多くの観光客が訪れる。 2005年以降、会津ディスティネーションキャンペーンなどの観光キャンペーンが行われており、新宿駅や上野駅からJR東北本線、磐越西線などを経由する直通の特急列車"あいづ"号を運行するなどしている。
[編集] 観光地
- 若松城(鶴ヶ城)
- 御薬園
- 飯盛山 - 白虎隊士の墓、栄螺堂(さざえ堂)
- 旧滝沢本陣
- 会津藩主松平家墓所 - 会津松平家歴代藩主の墓
- 會津藩校日新館
- 会津村
- 会津武家屋敷
- 強清水
- 皆鶴姫の碑
- レオ氏郷南蛮館
- 会津大塚山古墳
- 田村山古墳(北会津町田村山、前期築造の前方後円墳で東北最古級、出土の内行花文鏡は3世紀末のものと推定、出土品は県重要文化財指定)
[編集] 温泉
[編集] 寺院
[編集] 神社
[編集] 出身有名人
- 川島廣守 (元プロ野球コミッショナー)
- 小室直樹 (社会学者)
- 笹川ひろし (アニメーション監督・漫画家)
- 新城新蔵 (京都帝国大総長)
- 保志総一朗 (声優)
- 山口隆 (歌手:サンボマスター、旧・北会津村出身)
- 渡部潤一 (天文学者)
- 佐藤慶 (俳優)
- 西川満 (作家)
- 永峯良 (タレント・レポーター)
- 柳澤秀夫 (NHK記者、ニュースキャスター)
- 塩原恒夫 (フジテレビアナウンサー)
- 猪俣理恵 (福島放送アナウンサー)
- 小野美希 (テレビユー福島アナウンサー)
- 手塚伸一 (ラジオ福島アナウンサー、旧・河東町出身)
- 山鹿素行 (儒学者・兵学者)
- 諸積兼司 (元プロ野球選手)
- 大八木弘明(陸上競技監督、旧・河東町出身)
- 佐藤敦之 (陸上競技選手)
- 長沢節 (画家・セツ・モードセミナー創設)
- 虎牙光揮 (俳優)
- 三遊亭兼好 (落語家)
- 安西秀幸 (陸上競技選手、旧・河東町出身)
- 新田祐大 (競輪選手)
- 山川健次郎 (東京帝国大総長・京都帝国大総長・九州帝国大総長)
- 小西重直 (京都帝国大総長)
- 大山捨松 (旧姓山川 山川健次郎東京帝国大総長の妹)
- 馬場祥江 (1956年のミスユニバース日本代表)
- 佐治芳彦(作家)
[編集] その他
- 動画投稿サイト「YouTube」を通じて、市長記者会見などの広報映像や、昭和40年代(1965 - 1974年)を中心とした記録映像を全世界に配信している。
- 2008年(平成20年)5月28日に、フリー(オープンソース)のオフィスソフト「OpenOffice.org」を本市役所に全庁的に導入することを発表した。OpenOffice.orgの全庁的導入 (PDF)これは、福島県内市町村では初めてとなるものである 。
[編集] 関連項目
- 会津藩
- 会津弁
- 会津若松地方広域市町村圏整備組合
- 会津地区広域事業組合
- 若松コロニー(アメリカ合衆国最初の日本人のコロニーだったといわれる場所)
[編集] 脚注
- ^ 会津若松市の略称には会津と若松の二種類がある。地元以外の場所や観光ガイドでは「会津」と省略されることもある。一方で地元では、「会津」は地方を指す場合に、会津若松市の旧称である「若松」は都市を指す場合に使い分けることが多い。地元紙である福島民報と福島民友や、福島県ローカルの天気予報では「若松」と省略している。若松測候所をはじめとする一部の行政機関の名称にも「若松」の旧称が残っている。また、上記の理由から地元では会津は接頭語として利用される機会が多い(会津○○町、会津○○駅など)。そのためか地元では『あいづ』を尻上がりで、首都圏などでは尻下がりで言われる。全国ネットの会津を舞台にしたテレビドラマの台詞等では地元との違いが顕著に現れる。
- ^ a b 福島県 - 気候
[編集] 外部リンク
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