会津若松市
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会津若松市(あいづわかまつし)は、福島県会津地方に位置する都市で、会津地方の中心都市である。
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[編集] 概要
江戸時代には会津藩の城下町として盛え、現在でも鶴ヶ城や白虎隊など、歴史上の事物が観光資源として有名である。会津地方の中心都市。会津若松市を中心とする会津若松都市圏の人口は約19万人(2000年都市雇用圏)。
会津や若松と省略して呼ばれることもある[1]。
[編集] 地理
会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町や郡山市と接する。北、西は会津盆地内の市町村と隣接する。
[編集] 人口
| 会津若松市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 会津若松市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は会津若松市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、北会津郡若松桂林寺町他82町が合併、同郡日吉村及び年貢町村の各一部を編入し北会津郡若松町となる。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 市制施行により若松市として福島県で最初の市となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 北会津郡町北村を編入。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 北会津郡湊村、一箕村、高野村、神指村、門田村、大戸村及び東山村を編入し、市名を現在の会津若松市に変更した。改称の理由は後述。
- 2000年(平成12年)2月1日 - 猪苗代湖域における、郡山市及び耶麻郡猪苗代町との境界確定により同湖の約3割の面積が市域となる。
- 2004年(平成16年)11月1日 - 北会津郡北会津村を編入。
- 2005年(平成17年)11月1日 - 河沼郡河東町を編入し、現在の市域となる。
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代まで
市内一箕町にある大塚山古墳は4世紀後半に造営されたものである。出土品の三角縁神獣鏡は畿内で鋳造されたものと同一と推定されている。
都市としての会津若松市の起源は、1384年(至徳元年)の、蘆名直盛による黒川城築城に遡る。以降、城下町黒川は、戦国大名蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。
1589年(天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が芦名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉の奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は楽市楽座の施行、手工業の振興、黒川城の近代城郭への改修などに功績を残し、また黒川という地名を若松と改めた。
氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の役で徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となった。その後、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、1643年に徳川秀忠の子保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。
[編集] 幕末から太平洋戦争まで
1862年(文久2年)、会津藩主松平容保は京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷派志士の取り締まりや京都の治安維持を担ったが、長州藩をはじめとする倒幕派の恨みを買うことになった。1868年(慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた(会津戦争)。新政府軍は若松城下にまで侵攻し、白虎隊の自刃などの悲劇が起き、城下町の大半が灰燼に帰した。
明治維新後に新政府の直轄地となり民生局が設置された。翌1869年に民生局が廃止され若松県が設置され、県庁は最初、大町の融通寺に、次に旧若松城本丸に置かれた。1871年(明治4年)8月29日、全国的な廃藩置県により、引き続き若松県が設置された。1876年(明治9年)8月21日、若松県、旧福島県、磐前県が合併し、現在の福島県が発足。以来は福島県に属する。
1889年、北会津郡若松町となり、1899年、市制施行により若松市となった。この年の人口は3万0,488人であった。 1890年に私立会津中学校が開校。後に県立に移管され福島県立会津中学校となり、現在の福島県立会津高等学校に至る。1899年(明治32年)7月15日、磐越西線が会津若松駅まで開通する。磐越西線は1914年(大正3年)11月1日に新潟まで全通した。
1908年、日露戦争に伴って新設された第13師団の歩兵第65連隊が若松に置かれ、現在の会津若松市立第二中学校の敷地が衛戍地とされた。同連隊は1925年の宇垣軍縮に伴って廃止され、代わって第2師団の歩兵第29連隊が仙台から入営する。その後、1937年の日中戦争を契機に歩兵第65連隊も復活した。歩兵第65連隊は南京攻略戦などに参加。歩兵第29連隊はガダルカナル島の戦いに投入され大きな損害を受けている。
[編集] 太平洋戦争後
太平洋戦争では会津若松は空襲を免れている。1955年、周辺の7村を編入し、これを機に都市名を若松市から現在の会津若松市に変更した。都市名の変更は、福岡県若松市(1914年市制施行。現・北九州市若松区)と混同を避けることなどを目的として行われたもので、先に市制を敷いた都市の方が改名を行った唯一の事例である。改名以前は電信・電話・郵便等において両市を混同することが多く、郵便物にいたっては日平均50通、多い日では100通もの誤配があったという(『町村合併の記録』福島県総務部地方課(1958))。福岡県若松市のほうは門司市・小倉市・戸畑市・八幡市と合併して北九州市となったため、「福岡県若松市」は消滅したが、会津若松市のほうはその後も「会津」を冠したまま現在に至っている。
1965年から住居表示実施により、順次、旧町名が新町名に変更される。
1997年(平成9年)10月1日、磐越自動車道会津若松ICが開通。
[編集] 住居表示後に消滅した町名
(昭和40年)1965年から住居表示実施により、順次、旧町名が現在の新町名に変更されていった。 旧町名のうち、(明治10年)1877年までに成立していた町で、(明治22年)1889年に北会津郡若松町として合併した町を列記する。
大町竪町、大町一之町、大町ニ之町、大町ニ之竪、大町三之町、大町原之町、大町三四之竪、大町四之町、大町名子屋町、道場小路町、原之町、紺屋町、甲賀町、馬場上一之町、馬場下一之町、馬場一之竪町、馬場上ニ之町、馬場下二之町、馬場二之竪町、馬場上三之町、馬場下三之町、馬場三之竪町、馬場上四之町、馬場下四之町、馬場四之竪町、馬場上五之町、馬場下五之町、馬場名子屋町、大工町、博労町、上四之町、本六日町、上一之町、上六日町、上二之町、下野伏町、上五之町、行人町、中六日町、上野伏町、屋敷町、本郷町、竪三日町、寺町、東名子屋町、五軒町、横三日町、鳥居町、槻木町、阿弥陀町、愛宕町、浄光寺町、台之町、南横町、天寧寺町、徒之町、滝沢町、千石町、蚕養町、桂林寺町、老町、赤井町、諏訪四ツ谷、当麻町、当麻中町、善久町、針屋町、川原町、材木町、融通寺町、七日町、北小路町、西名子屋町、針屋名子屋町、上大和町、中大和町、下大和町、後之分町、栄町字郭内、栄町字栄町一丁目、栄町字栄町二丁目、栄町字新栄町、栄町字栄町三丁目、栄町字栄町四丁目、栄町字本三之丁、栄町字本一之丁、栄町字融通寺町口、栄町字川原町口、栄町字米代二之丁、栄町字米代四之丁、栄町字十八蔵、栄町字割場、栄町字追手前、栄町字塀内、栄町字本二之丁上、栄町字天寧寺町口、栄町字宝積寺通、栄町字内小田垣、栄町字鶴ヶ城、新横町、片柳町、南町
[編集] 行政
[編集] 市長
- 菅家一郎(かんけいちろう)
[編集] 市役所・市民センター
- 本庁舎:会津若松市東栄町3番46号
- 北会津支所:会津若松市北会津町中荒井字諏訪前11番地
- 河東支所:会津若松市河東町郡山字休ミ石14番地
- 湊市民センター:会津若松市湊町大字共和字西田面50番地
- 大戸市民センター:会津若松市大戸町上三寄香塩479番地
- 北市民センター:会津若松市高野町大字上高野字村前28番地
- 南市民センター:会津若松市門田町大字中野字大道西13番地
- 一箕市民センター:会津若松市北滝沢二丁目5番6号
- 東市民センター:会津若松市慶山一丁目1番53号
[編集] 市の組織
- 副市長(1人)
- 企画政策部(企画調整課、秘書広聴課、地域振興課)
- 各支所(総務課、まちづくり推進課、住民福祉課)
- 財務部(財政課、税務課、納税課)
- 総務部(総務課、人事課、情報政策課、契約検査課)
- 市民部(環境生活課、防災安全課、市民課、廃棄物対策課)
- 各市民センター
- 健康福祉部(社会福祉課、高齢福祉課、児童家庭課、国保年金課、健康増進課)
- 観光商工部(観光課、商工課、企業立地推進課)
- 農政部(農政課、農林課、公設地方卸売市場)
- 建設部(都市計画課、花と緑の課、区画整理課、下水道課、道路建設課、道路維持課、建築課)
- 企画政策部(企画調整課、秘書広聴課、地域振興課)
- 会計管理者
- 会計課
- 教育委員会
- 教育委員会事務局(教育総務課、学校教育課、生涯学習課、文化課、スポーツ振興室)
- 市議会
- 議会事務局
- 選挙管理委員会
- 選挙管理委員会事務局
- 監査委員
- 監査事務局
- 公平委員会
- 固定資産評価審査委員会
- 農業委員会
- 農業委員会事務局
- 水道事業管理者
- 水道部(総務課、浄水課、施設課、料金課)
[編集] 一部事務組合等
- 会津若松地方広域市町村圏整備組合:廃棄物処理、常備消防等
- 会津若松地方水道用水供給企業団
- 福島県後期高齢者医療広域連合
[編集] 国県の機関
- 農林水産省
- 国土交通省
- 郡山国道事務所会津若松出張所:会津若松市町北町大字始字北台105番地
- 阿賀川河川事務所:会津若松市表町2番70号
- 福島地方気象台若松測候所:会津若松市材木町一丁目9番49号
- 福島県
- 会津地方振興局:会津若松市追手町7番5号
- 会津保健福祉事務所:会津若松市追手町7番40号
- 会津農林事務所:会津若松市追手町7番5号
- 会津若松建設事務所:会津若松市追手町7番5号
- 会津教育事務所:会津若松市追手町7番5号
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 国内の姉妹都市・友好都市
[編集] 国外の姉妹都市・友好都市
[編集] 友好都市提携の申し入れを拒否した経過のある都市
[編集] 産業
[編集] 名産品
[編集] 商業
中心市街地のメインストリートは中央通りや神明通りなどがある。神明通りには百貨店の中合などがあり、このメインストリートを軸に中小の商店が列んでいる。しかし、全国規模の郊外型大型店の相次ぐ進出により、市街地中心部では空き店舗が目立つようになった。そのような中で、中心市街地のひとつである七日町通りでは、市からの補助金制度を作り古い街並みの保存や復旧に取り組むことで、新たな観光資源としての町づくりを行なっている。
[編集] 工業
- 富士通やSpansion Japanの半導体製造拠点がある。
- オリンパスの系列企業会津オリンパスが所在する。
- 会津工場は世界最大級の内視鏡関連製品の生産拠点であり、消化器向けは世界の7割が同工場製といわれる。今後数年で生産能力の大幅増強が行われることが決まっている。
[編集] 郵便
- 会津若松郵便局(日本郵便会津若松支店併設)
- 上三寄郵便局
- 北会津郵便局
- 原郵便局
- 広田郵便局
[編集] 学校
[編集] 大学・短期大学
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
- 公立
- 私立
[編集] 小学校
- 市立
- 私立
[編集] 特別支援学校
- 福島県立会津養護学校
- 福島県立会津養護学校竹田分校(長期入院の児童生徒対象、分校名となっている竹田綜合病院内に立地)
- 福島県立聾学校会津分校
[編集] 施設
[編集] 図書館
- 会津若松市立会津図書館:会津若松市城東町2番3号
[編集] 博物館
- 福島県立博物館:会津若松市城東町1番25号
- (福島県の歴史、自然、民俗など)
[編集] 医療機関
- 福島県立会津総合病院
- 竹田綜合病院
- 会津中央病院
[編集] 交通
会津若松は、会津盆地の交通の中心でもあり、陸奥国の南の要衝であった。
- 主な都市までの距離(概数)
[編集] 鉄道
- 中央駅:会津若松駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
[編集] バス
路線バスは、会津乗合自動車(会津バス)グループ1社のみにより運行されている。
[編集] 道路
江戸時代に集まっていた主な道路は、下野街道、白河街道、二本松街道、米沢街道、越後街道、沼田街道が集まっていた。それぞれ現代の国道118号、294号、49号(もしくは磐越自動車道)、121号、252号に概ね相当する。他に国道401号が走る。
[編集] 主な道路
- 磐越自動車道:会津若松IC - 磐梯河東IC
- 国道49号
- 国道118号
- 国道121号
- 国道252号
- 国道294号
- 国道401号
- 福島県道23号会津高田上三寄線
- 福島県道33号会津坂下河東線
- 福島県道59号会津若松三島線
- 福島県道64号会津若松裏磐梯線
- 福島県道69号北山会津若松線
- 福島県道72号会津坂下会津本郷線
[編集] 観光
[編集] 名所・観光地
- 会津若松城(鶴ヶ城)
- 御薬園
- 飯盛山 - 白虎隊士の墓、栄螺堂(さざえ堂)
- 旧滝沢本陣
- 会津藩主松平家墓所 - 会津松平家歴代藩主の墓
- 天寧寺 - 近藤勇の墓
- 阿弥陀寺 - 斎藤一の墓
- 興徳寺 - 蒲生氏郷の墓
- 八葉寺
- 會津藩校日新館
- 東山温泉
- 芦ノ牧温泉
- 神指温泉(こうざしおんせん)
- 会津村
- 会津武家屋敷
- 強清水
- 皆鶴姫の碑
- レオ氏郷南蛮館
- 会津大塚山古墳
- 田村山古墳
[編集] 祭事
[編集] 食文化
[編集] 出身有名人
- 川島廣守(元プロ野球コミッショナー)
- 小室直樹(社会学者)
- 笹川ひろし(アニメーション監督・漫画家)
- 新城新蔵(天文学者)
- 保志総一朗(声優)
- 山口隆(歌手:サンボマスター)
- 渡部潤一(天文学者)
- 佐藤慶(俳優)
- 西川満(作家)
- 永峯良(タレント・レポーター)
- 柳澤秀夫(NHK記者、ニュースキャスター〔2008年現在は病気休養中〕)
- 塩原恒夫(フジテレビアナウンサー)
- 山鹿素行(儒学者・兵学者)
- 諸積兼司(元プロ野球選手)
- 大八木弘明(陸上競技監督)
- 佐藤敦之(陸上競技選手)
- 長沢節(画家・セツ・モードセミナー創設)
- 虎牙光揮(俳優)
- 安西秀幸(陸上競技選手)
- 新田祐大(競輪選手)
[編集] その他
- 動画投稿サイト「YouTube」を通じて、市長記者会見などの広報映像や、昭和40年代を中心とした記録映像を全世界に配信している。
- 2008年(平成20年)5月28日に、フリー(オープンソース)のオフィスソフト「OpenOffice.org」を本市役所に全庁的に導入することを発表した。OpenOffice.orgの全庁的導入PDFこれは、福島県内市町村では初めてとなるものである 。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 会津若松市の略称には会津と若松の二種類がある。地元以外の場所や観光ガイドでは「会津」と省略されることもある。一方で地元では、「会津」は地方を指す場合に、会津若松市の旧称である「若松」は都市を指す場合に使い分けることが多い。地元紙である福島民報と福島民友や、福島県ローカルの天気予報では「若松」と省略している。若松測候所をはじめとする一部の行政機関の名称にも「若松」の旧称が残っている。また、上記の理由から地元では会津は接頭語として利用される機会が多い(会津○○町、会津○○駅など)。そのためか地元では『あいづ』を尻上がりで、首都圏などでは尻下がりで言われる。全国ネットの会津を舞台にしたテレビドラマの台詞等では地元との違いが顕著に現れる。
[編集] 外部リンク
- 会津若松市
- 会津若松市北会津支所
- 会津若松市河東支所
- パーフェクトあいづ(あいづふるさと市町村圏協議会)
- 財団法人会津若松市観光公社
- 財団法人会津若松文化振興財団
- 会津若松商工会議所
- 会津若松市 公式 YouTube チャンネル
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