草野満代

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くさの みつよ
草野 満代
プロフィール
出身地 日本 岐阜県中津川市
生年月日 1967年2月4日(42歳)
血液型 B型
最終学歴 津田塾大学学芸学部数学科
所属事務所 セント・フォース
職歴 NHKアナウンサー
活動期間 1989年 -
ジャンル 報道・スポーツ
公式サイト 草野満代プロフィール
出演番組・活動
過去 NHKニュースおはよう日本
NHK紅白歌合戦
筑紫哲也 NEWS23』など
  

草野 満代(くさの みつよ、1967年2月4日 - )はフリーアナウンサー岐阜県中津川市(旧:恵那郡福岡町)出身。血液型はB型。

目次

来歴・人物

岐阜県立恵那高等学校理数科、津田塾大学学芸学部数学科を卒業後、1989年NHKに入局。金沢放送局を経て、1991年東京アナウンス室へ異動し、さまざまな番組を担当する。1997年2月退職してフリーとなった。

その後TBS局契約(業務提携という形で芸能事務所セント・フォースにも在籍)し、1997年10月より『筑紫哲也 NEWS23』のサブキャスターを務め、落ち着いたアナウンスで人気を集めてきたが、2006年秋に退任してNHKの後輩でもある膳場貴子に代わった。

2009年4月2日付けで、日本司法支援センター(法テラス)理事に就任。 政府の多重債務者対策本部有識者会議や道州制ビジョン懇談会などのメンバーも務める。

エピソード

NHK時代

5歳年下の弟がいる。両親は夫婦共働きで、母親は朝の食事だけしかつくれなかった。家のことは父方の祖母がすべてしていた。明治の終わり生まれの祖母で、朝早くから掃除から洗濯までこなしていた。NHKに入社したときも、厳格な祖母は「女の子が人前に出て」と、半年間口をきいてくれなかった。 ただ後に、草野の出演する朝6時のTVのニュースに、病床から受け答えしていたという。

母親は勉強熱心で自由に外を出まわっていたらしく、着付けの免状を取りに、当時小学校2年生だった草野ら姉弟を置いて、3ヶ月間京都に行ってしまうこともあった。 ただ、外で働くことの大変さを知るにつけ、楽しそうにしていた母親に感心したという。 また、NHKの歌謡舞曲が大好きな母は、「のど自慢に出る」と言ったが、嫌がった草野は「出るならNHKを辞める」といい、母親は諦めたと言う。後に結局NHKを退社するなら、出させてあげれば良かったという。

大学に入学する頃はまだコンピュータが出始めで、これはおもしろそうだと思い数学科に通ったが、「人と向き合う仕事がいい」と思ったのと、「結婚して、子供がいても働き続けそうだ」ということで、マスコミを志望した。

元々NHKの入社試験を受けたとき、第一志望は番組制作やディレクター、第二志望は記者。管理部門は出来ないので、申し訳程度に、第三志望にアナウンサーと書いたが、「アナウンサー学校に通ったり、訓練をしている他の就職志望者と違い、クセがなくて良かったから採用した」と言われたそうである。

当時、NHKのアナウンサーになると、新人はすぐ地方に行っていた。女性は大抵、大阪か名古屋だったが、草野はNHK石川の金沢支局に就く。金沢支局は小さかったので、女性アナウンサーとしては初めてである。それまでは男性アナウンサーだけだったでの、どうやって育てるかということだったが、男性アナウンサーと同じように育てることとなった。 新人アナウンサーは、まず天気予報高校野球を担当する。 当時、県予選が始まったばかりであったが、草野は野球に関してはまったく知らなかった。 3回戦くらいのラジオ実況をしろと上司に言われ、「出来ません」と泣いたが、駄目だった。 初めてのラジオで「レフトに飛んだフライをライトが捕る」などと中継をしてしまい、上司から叱責はなかったものの、局に苦情の電話が殺到してしまった。

当時は、甲子園に出場する高校の地元の放送局が、その高校の紹介をすることになっており、2年年上の先輩ディレクターと、「4番バッターは1年生」というタイトルで、当時星陵高校1年生だった松井秀喜選手を紹介した。 3年後、東京に戻り、サンデースポーツを担当した際に、ジャイアンツに入ったばかりで18歳の新人の松井選手に「草野さん、老けたね」と言われたそうである。

また、全国放送後の金沢ローカルのTVニュースを初めて担当した際に、5分間で4分40秒のニュースだったにも関わらず、本番で緊張で早口になってしまい、天気予報を読んでもまだ、20秒余ってしまった。画面をじーっと見つめるが居た堪れなくなり、画面から横にスーッと消えてしまった。横にいた上司も、一緒に仰け反ってしまった。

また元々、人前に出るのがあまり得意ではなく、入ってすぐ金沢の地元の大学の新入生に、社会人としての講演会を依頼される。200人の学生の前で、18歳くらいの学生にじーっと見つめられたが、話していても無反応で怖くなり、緊張して息を吸いすぎて過呼吸になり、うしろにひっくり返って倒れてしまった。そのまま担架で運ばれた。

筑紫哲也NEWS23時代

筑紫哲也 NEWS23をしていた頃、円形脱毛症になったこともあり、それを隠しながら台風中継をしていたこともある。 小細胞肺癌で亡くなった筑紫哲也とは、2008年の夏に筑紫の家族と行った井上陽水のコンサートが最後となり、「大好きでした。大きな木のような存在でした」と語った。

筑紫哲也NEWS23後

NEWS23が終わったあと、夕方に友人とワイワイガヤガヤしていると、それを見た一般人に「草野さんって、笑うんですね」と言われ、ややショックだったそうである。一説によると『NEWS23』後に新たなレギュラー番組出演をTBSから打診されるも「NHK退局時と同様、しばらく充電したい」と草野が断ったらしい。

初めて行った海外旅行は、大学3年のときのインドとネパールで、今後もインドには何度か行く予定である。またオリエント急行に乗って、ウィーン、プラハ、ブダペスト、ブカレストに行ったり、イタリアなどの東欧、中欧などの名所や旧跡、美術館を巡った。

その他、各種講演などもしている。

また休日は家でワインを嗜んだり、陶磁器を収集している。

また10年程前から茶道を始め、京焼きの茶碗、白竹の茶筅、朱色の袱紗など茶道具一式をコツコツ集めている。裏千家の名誉師範の桜井宗梅氏に師事し、「一瞬一瞬集中するように」と何度も叱られたという。

著書

出演番組

NHKアナウンサー時代

TBS移籍後

「NEWS23」降板後

外部リンク

先代:
浜尾朱美
筑紫哲也 NEWS23
女性サブキャスター
第2代
(1997.10 - 2006.9.22)
次代:
膳場貴子
先代:
宮川泰夫
第46回NHK紅白歌合戦
第47回NHK紅白歌合戦
総合司会
宮本隆治 / 草野満代
1995、1996
次代:
宮本隆治(単独)
他の言語