爆笑問題

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爆笑問題ばくしょうもんだい
環境省COOL CHOICE LEADERS AWARD表彰式(2017年12月9日撮影)
左:田中、右:太田
メンバー 太田光
田中裕二
別名 爆笑、爆問
結成年 1988年
事務所 タイタン
活動時期 1988年 -
出身 太田プロダクションスカウト
出会い 日本大学芸術学部
現在の活動状況 テレビ・ラジオ
芸種 漫才コント
ネタ作成者 太田光
現在の代表番組 テレビ番組
サンデージャポン
Eテレ0655&2355
ラジオ番組
爆笑問題の日曜サンデー
爆笑問題カーボーイ
過去の代表番組 森田一義アワー 笑っていいとも!
ポップジャム
号外!!爆笑大問題
大爆笑問題対爆笑問題
大好き!東京ゲスト10
爆笑問題のススメ
あっぱれ!日本一
ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル
爆笑問題のバク天!
爆笑問題の楽しい地球
爆笑おすピー大問題!!
スタ☆メン
爆笑問題の検索ちゃん
クイズ雑学王
キズナ食堂
爆!爆!爆笑問題
爆問パニックフェイス!爆問パワフルフェイス!
爆笑問題の大変よくできました!
ストライクTV
爆報! THE フライデー
お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺
爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!
など
同期 さまぁ〜ず
月亭方正
デンジャラス
江頭2:50
松村邦洋
ギブ↑大久保など
公式サイト 所属事務所プロフィール
受賞歴
1993年 NHK新人演芸大賞 大賞
1994年 GAHAHAキング 初代チャンピオン
1997年 国立演芸場 花形演芸大賞 銀賞
1998年 国立演芸場花形演芸大賞 金賞
1998年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
1999年 浅草芸能大賞 新人賞
2000年 国立演芸場花形演芸大賞 審査員特別賞
2000年 笑芸人大賞 銀賞
2001年 国立演芸場花形演芸大賞 特別大賞
2006年 芸術選奨文部科学大臣賞
2010年 第5回マニフェスト大賞 審査委員長特別賞
2012年 喜劇人大賞 特別賞
2013年 GQ Men of the Decade
2020年 ギャラクシー賞 ラジオ部門 DJパーソナリティー賞
2020年 浅草芸能大賞 奨励賞
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爆笑問題
YouTube
チャンネル
活動期間 2022年8月24日 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 9.37万人
総再生回数 446万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年3月27日時点。
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爆笑問題(ばくしょうもんだい)は、タイタンに所属する太田光田中裕二からなる日本お笑いコンビ司会者。略称は爆問爆笑(さん)など。

メンバー[編集]

太田 光(おおた ひかり、1965年5月13日 - )(58歳)
ボケ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。
埼玉県ふじみ野市出身。
田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年1月10日 - )(59歳)
ツッコミ・リーダー[1]担当、立ち位置は向かって左。
東京都中野区出身。

芸歴[編集]

  • 日本大学芸術学部(日芸)演劇学科の在学中に出会い、中退後の1988年3月にコンビを結成。
  • コンビ結成以前、1984年に演劇ユニット『クレイジードッグス』というユニットに2人で参加していた時期があった。後にユニットは解散したため、爆笑問題を結成することになる。
  • 暦年の年齢は同じだが田中の方が早生まれであるため、1学年上となっている。太田は大東文化大学第一高等学校から現役で、田中は東京都立井草高等学校から一浪で日芸の演劇学科に合格して同期生となる。
  • 渡辺正行主催のラ・ママ新人コント大会でデビュー、その場で太田プロにスカウトされる。1988年7月12日放送の深夜番組『笑いの殿堂』(フジテレビ)でテレビデビュー。以降順調にレギュラーを増やし、ビートたけし退所後の太田プロのイチ押しの存在となる。ショートコント全盛の時代に、「進路指導室」「東京の不動産屋」などの作り込まれたコントで注目を集めるが、次第に漫才を主体とするようになる。太田の毒に満ちたボケと田中のストレートなツッコミという正統的漫才で人気を集めた。
  • 1990年に太田プロから独立し「スパイシーフルーツ」へ所属。爆笑問題をスカウトした担当マネージャーから独立を唆されたのと、プロデューサーからもっとマイルドにした方がいいと指示されるなど自らがやりたい仕事をやりたかったことが挙げられている[2]。しかしこの独立は一方的に辞める形だったため太田プロの怒りを買い、一時的に仕事がなくなりテレビからも姿を消す[3]。このことで、「ブレイク前に将門首塚にドロップキックをしたことがあり、そのせいでしばらくの間まったく仕事が来なかった」という噂を生んだ。ただし、所属事務所の社長で太田の妻・太田光代は「テレビ番組の企画で、太田が首塚に失礼なこと」をした事実は認めているが、伝説との関係は否定している[4]。当時のことについては「自分たちが全面的に悪かった」「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」と語っている[5]。またこの時期、田中は主にコンビニエンスストアミニストップ)のアルバイトで、太田は妻の太田光代のアルバイトやパチンコパチスロでの稼ぎで生計を立てていた。太田は暗算が非常に苦手で、レジのバイトをすると客から苦情を言われないようにと釣銭を多く渡すなどまともにアルバイトせず、借金取りから逃げるために居留守を使う目的で家に引き篭りファミコン漬けの日々だった。また、田中が売れ残ったコンビニ弁当を届ける際にも顔を出さなかった。一方の田中は実家に住んでいたため生活に困る事はなく、アルバイトの方も「このまま社員にならないか」と声をかけられるほどの仕事ぶりであった。しかし、3年間全く仕事がなかったわけではなく、テレビは事務所の力関係のないNHKテレビ東京[注釈 1]の番組への出演が中心となり[6]、俳優業なども行いオムニバスドラマ番組『悪いこと』(フジテレビ・共同テレビ)では脚本(太田)・出演(太田、田中)、オムニバス映画バカヤロー!4』(森田芳光プロデュース)の中の1本では監督(太田)を務めた。また、お笑い活動では営業として数多くの予餞会でネタを披露した。自称「日本一予餞会に出た芸人」。
  • 1993年に自らの芸能事務所タイタン」を設立[注釈 2]社長には元芸人で太田の妻の太田光代が就き、同年NHK新人演芸大賞を受賞。1994年には、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週勝ち抜き初代チャンピオンになり再ブレイクのきっかけを果たした。『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ系)の「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に出演。この番組でネプチューン海砂利水魚をはじめとする当時キャブラーと呼ばれた若手芸人たちの出世頭となり、再ブレイクのきっかけをつかむ。『黄金ボキャブラ天国』では初代名人に。当時のキャッチフレーズは「不発の核弾頭」。
  • 普段のネタは太田が書いているが、『ボキャブラ』のネタは田中がほとんど書いていた。そもそも田中が作っていたのはダジャレの部分だけで、そのダジャレを際立たせるコント部分は太田が作っていた。
  • 2008年、コンビ結成20周年。2月発売の『Quick Japan』76号(太田出版)に吉田豪によるロングインタビューが掲載。また、テレビ朝日系で同年6月25日26日に「爆笑問題結成20周年記念 2夜連続特別企画」として、『今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王』及び『爆笑問題の検索ちゃん』の2時間特番が放送された。
  • 2018年にコンビ結成30周年。それを記念して8月30日31日9月1日の3日間開催された単独ライブ『O2-T1』では漫才を一切行わず太田の脚本によるストーリー性のある5つのコントのみで構成。「病院の待合室」「数字男」「二人の兵士」「医者と患者」「爆チュー問題」が披露され、それぞれ別個のコントでありながら一つ一つがストーリーとして繋がっていくスタイルを採用した[8][9]

受賞歴[編集]

エピソード[編集]

大学時代[編集]

2人の出会いは日本大学芸術学部の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い、試験当日は直前まで草野球をしていたため、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた[16])。入学後、大学のトイレで再会し、「こいつも合格していたのか」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた。また、太田が入学後の最初の授業でも騒いで他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。また、お互いにサザンオールスターズのファンということも仲良くなるきっかけの一つだったため、田中は「サザンがいなかったら? おそらく爆笑問題は誕生していないですね。まず太田と仲良くなってたかどうかが危ういんで。友だちの延長上に爆笑問題がありました」と語っている[17]

日本大学芸術学部時代の取得単位は、2人合わせて17単位だった。しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった[18]。太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。

元マネージャーは2人の同級生で、18歳の時から30年近い付き合いだった[19]

プライベート[編集]

プライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「小僧」と呼ぶのは、「田中」では誰のことかわからないと感じているため[20]

また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と冗談として言い[注釈 3]、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と突っ込むやりとりをする事が多い[注釈 4])。

2人ともSNSなどを利用しておらず、太田に至っては携帯電話を所有していないため「やる理由がない」と述べている[21]

2人とも自動車運転免許を持っていない。 田中は過去に免許取得を検討していたが光代社長の反対によって断念している[22][23]。また、太田は大学時代にバイクの免許及びホンダ・VT250Z[24]を持っていたが自損事故を起こしている[25]

運転免許が無いため移動の際は事務所が送迎車を用意しており、両者とも一日の全ての仕事が終了すると自宅へ直帰する[23]

2人とも酒が飲めない[26]

2人のプライベートでの生活態度・習慣及び光代の危機管理能力が功を奏し後述の通り多くの仕事のオファーを引き受けている[23][26]

嗜好[編集]

2人とも好きであるが、ペットのかわいがり方は異なり、溺愛する田中に対して太田はほとんど構わない。そのため互いの猫の性格も違い、来客にまとわりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。

2人は佐野元春とサザンオールスターズの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかと張り合っている。

芸能活動[編集]

コンビ名の由来はラテ欄でよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』(小学館)に記されている。「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である[1]

「進路指導室」などのような過激な内容のコントをやっていた頃は「爆笑問題は使えない、テレビじゃ危なすぎる」といった風潮が業界にあったといい、太田は当時の事を「若いからこれで世の中変えてやるみたいな、そんな意識があった」と回想している[27]

漫才を始めた当初は時事ネタはツカミとしてやっていた程度で、メインは「もしも○○が××だったら?」(例として「もしも、冬が寒くなってくるんじゃなくて、臭くなってくるとしたら」「もしも夏になると痛くなるとしたら」など)といった内容のものだった[28][29]

テレビ番組(2000年代ごろより司会・MCが主)・ラジオ番組のレギュラーを多数抱えるが、タイタンの定期ライブ(タイタンライブ、隔月開催)や雑誌の連載、本の出版などもこなしている。漫才のネタは主に太田が作っている(田中はツッコミを多少考える程度で、大半の田中のツッコミは太田が考える)。現在は時事ネタを題材としたものが目立ち、硬軟幅広くネタを取り入れ、ナンセンス性と毒が入り乱れたものが中心となっている[30]。太田は時事ネタを扱うのは「政治を茶化したいという意識ではなく、ニュースを題材にする事が効率が良かっただけ」「そうしたことに触れないでコントを作るのが難しい」「割と安易な道」と述べている[31]。そのため、ネタの一部分だけを切り取って評価されたり批判されたりする事には否定的な考えを示している[32]。また、太田は2017年のインタビューで自身のDVD「2017年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』」の出来栄えを「時事ネタを話題にはしているけれど、ボクらの漫才は1個も社会風刺してないことがわかるよ」とアピールしている[33]。タイタンライブでは2023年現在も毎回新ネタを下ろしており、同じタイタン所属のキュウは「超現役の漫才師」「僕らだけでなく所属芸人全員に影響を与えている」と尊敬の意を表している[34]

ネタの中には逮捕された人物や、世間を騒がせた人物も登場するが、その出来事から何十年と経過していることがしばしばあるため、田中から「もうそれは忘れてやれよ」と突っ込まれることも多い。ネタを使いまわすことについて太田は「噛めば噛むほど面白いし、何度噛んでも味が出る」と述べている[35]。また、たびたび失言をする太田が漫才や雑誌の連載で他人の失言について批判したりボケたりすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある[36]

〆さばナイツのように時事ネタを得意とする芸人が同じライブや番組に出演する際は事前にネタが被らないように本人達と打ち合わせを行っている[37][38]

古舘伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評している[39]

お笑い評論家ラリー遠田は、太田のボケには「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており[30]、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している[40]

芸能人の活動の中心がテレビとなっている中、太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」と、漫才への思いを表している。漫才のネタ作りは田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き、田中はそれに対してツッコミをいれつつネタを書き留めていく手法をとる。そのことから太田は田中のことを「書記」と指した事がある。また、この作業は太田家のリビングで行われる。

ダジャレネタがメインの『ボキャ天』では、主に田中がネタを考えていた。これは太田にダジャレのセンスが全くなく、収録で太田のネタで「王貞治」を「おさだはるこ」と変えたが、意味不明なために没になったということがあった。その時のことをBOOMERが目撃している[41]。しかしそれを際立たせるコント部分は太田が作っているため、田中は事実上ダジャレの部分しか考えていない。『水着でKISS ME』(テレビ東京)では交互に主演し、毎回ベッドシーンを演じていた。また、テレビなどの出演がほとんどなかった時代には、太田が書いた脚本を同期のホンジャマカが演じたこともあった。

1999年4月から2006年3月にかけて、『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)に、ネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」としてレギュラー出演し、人気を得る。2006年5月から2016年12月までは『空飛ぶ!爆チュー問題』として独立番組となり、CS放送フジテレビワンツーネクスト(開始当時はフジテレビ721)で放送されていた。

2005年高額納税者番付タレント部門では、2人ともベスト10に入った(太田8位、田中9位)。

お笑い芸人がトップクラスの域になると自身のレギュラー番組しか出演しなくなる傾向が強い中で、多忙になった現在でも積極的にゲスト出演をしている。また、『爆笑問題のニッポンの教養』『探検バクモン』(NHK総合)など、教養色の強い番組の出演も多い。

事務所公式サイトのプロフィール写真[42]は、1997年ごろに撮影された宣伝用写真を使用し続けている。

ドラマ映画などには、コンビともにゲストや「チョイ役」での出演で、本人役が多かった。しかし、2000年代後半ごろより田中が映画『感染列島』やドラマ『Q10』(日本テレビ系)、『恋愛ニート〜忘れた恋のはじめ方』(TBSテレビ系)などに出演し、俳優としての仕事も増えている。

「ピン」(1人)での仕事として、田中は『サカスさん』『S☆1』(ともにTBSテレビ系)で情報番組の司会を務めている。一方、太田は『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説エッセイを多く執筆している。なお、「爆笑問題」名義の出版物もほとんど太田1人で執筆している(後述)。

上記のように酒を飲まない、運転免許を持っていない、太田に至っては携帯電話を持っていないものの、酒造メーカー・自動車メーカー及び中古車買取店・携帯会社は「事件・事故・トラブルを起こす事はない」と爆笑問題の姿勢を安心材料とみなし積極的に広告に起用していった[26]。また、芸に対する真剣さやこだわりも起用の決め手となっているという[43]。CMの内容も田中のツッコミと太田のナンセンスなボケを活かしたものが多い[44][45]

コンビ仲[編集]

太田は田中との比較において、絶対的な自信を持っており、様々な機会を捉えてはギャグの一つとして田中への非難・痛罵を繰り返す。テレビなどでは、太田が田中を非難することが多いが、田中が「キレる子供」と揶揄される位すぐに解散を口にするので、いつも太田が謝って収拾している。前述に基づくエピソードとして、新人時代に田中がネタをとちってしまい、ネタ終了後の楽屋で太田が田中を責めたが、田中が「次の舞台でネタを間違ったらコンビ解散!」と言い放ち、何故か逆ギレされてしまう。しかし太田は「こんなことで解散されちゃ、たまったもんじゃない」と田中を必死になだめたということがあった。一方で結成から30年以上経過した現在はコンビの絆の深さを(特に田中が)語ることもあり、田中は「意外にアイツ(太田)のこと好きなのよ」「誤解してるかもしれないけど。いつも怒ってるけど」と述べ、太田の人柄や才能に敬意を払っており[46]、太田ひいては爆笑問題の芸風の方向性については「『あんた(太田)がそう決めてやるなら付き合いますよ』という感じ」と述べ、全幅の信頼を寄せている[47]

2000年9月11日、田中は片側の睾丸の摘出手術を受けた。悪性の腫瘍であり、いわゆる精巣癌であったが、芸人が癌では笑えないと二人で相談した結果、 記者会見では太田が田中をネタにギャグを連発して笑いを取った。その際、当時開会直前のシドニーオリンピックになぞらえて「田中、金とった!!」と言う見出しがスポーツ新聞を飾った。これ以降、太田が田中を片玉ネタで弄ることはコンビの鉄板ネタとなり、漫才の中にもお約束的に盛り込まれている。

著名人関連[編集]

事務所の後輩のハギワラマサヒト(当時キリングセンス)が肝硬変を患った際に、何とか彼の命を救おうと奮闘し、結果的に命を救っている[48]

デビューして間もない頃、2人の才能を見抜いた落語家立川談志は、太田に「天下獲っちゃえよ」と応援の言葉を送ったという。また、「こいつ(田中)だけは切るなよ。こう出来た奴もなかなか居ないもんだ」と、田中の相方としての重要性を説いている。

爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)で度々共演した大橋巨泉とは意見の違いによって太田と論争になることも多かった。ただし、両者とも一定の信頼関係の下で議論しており、そのやりとりを端で見ていた田中は「口調も親子のケンカみたいになってくるので、楽しかったです」とコメントしている[49]

上岡龍太郎は立川談志との対談で「今のお笑い、バラエティ番組には教養がなくなった。1つ救いなのは爆笑問題が談志師匠に会うと緊張する気持ちを持っていてくれることだけだ。彼らがそれを持ち続けて次にどう移していってくれるか。頼むよ爆笑問題」と発言した。

映画監督・園子温は『地獄でなぜ悪い』のキャスティングの際に篠原哲雄監督の『草の上の仕事』を観て、太田と田中に出演をオファーした。園子温自らタイタンに電話をかけ社長・太田光代に交渉したが、スケジュールが合わなかったため断られたと共演した際に明かしている。なお、後年映画化された際二人にオファーされた役はそれぞれ長谷川博己星野源が演じた[50]

島田洋七は『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日)の審査で、「ビートたけしよりハイレベルなネタをしている。漫才ブームの頃のレベルを彼らが初めて崩した」と評した。

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ)では、思想やイデオロギーを問わず様々な政治家・評論家と共演し、議論をした。

小泉純一郎安倍晋三政権時の桜を見る会に出席した事がある[51]

2008年と2009年には当時の大阪府知事(元・大阪市長)で、タイタンに所属していた橋下徹の活動支援のために、太田夫妻と田中はふるさと納税を利用して1000万円を大阪府へ提供している[52]。太田は橋下とメールで親交を持っているが、公の場では橋下を揶揄したり、異論を述べたりしている[53]

SMAPとはデビューした年が一緒であり(どちらも1988年デビュー)、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の名物コーナー「BISTRO SMAP」の男性芸能人出演最多ゲストでもある。また、草彅剛が不祥事を経て復帰後最初の「BISTRO SMAP」に「(事件について)全く触れないのもアレだし、でも、爆笑さんだったら上手くギャグにもする」という理由で呼ばれている[54]。特に太田はSMAPの大ファンであることを公言しており、メンバーの仲の良さなどをラジオやテレビで熱く語ることが多かった。それが縁で『We are SMAP!』の作詞を担当したこともあり、同グループが解散することが発表された際にはショックを受けたことと、内情について「本人たちにしかわからない事」と前置きをし、メンバー全員を心配する発言をしている[55][56]。解散後も、田中が2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本対オランダ戦を東京ドームで観戦した際に中居正広と遭遇し、会話を交わしたり[57]、太田が木村拓哉主演のドラマ「A LIFE〜愛しき人〜」(TBSテレビ系)を絶賛したり[58]、両者がジャニーズ事務所を退所した直後の香取慎吾と『おじゃMAP!!スペシャル』(フジテレビ系)で共演するなど[59]、メンバー達と交流を続けている。

また、同期である岡本夏生とも親交がある。バブルが過ぎ、仕事のない状態の岡本を最初に取り上げたのは、爆笑問題が司会を務める『サンデージャポン』(TBSテレビ系)である。

2010年代より『爆報! THE フライデー』(TBSテレビ系)などで田原俊彦と仕事をする機会が増えている。きっかけは『ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!』(フジテレビ系)での田原俊彦特集で共演したことである(田中が田原の大ファンである)。ちなみに両方とも一度芸能界を「干される」という経験をしている。

太田は『笑いの殿堂』(フジテレビ系)などの番組で度々共演したウッチャンナンチャンに対して悪口を言っており、本人たちもそれを承知していたが、その後も爆笑問題を番組に呼び続けた[60]

太田と田中は佐野元春のファンであることを公言しており、たびたび佐野と共演している。

桑田佳祐・サザンオールスターズ[編集]

太田と田中はサザンオールスターズのファンである事を公言しており、グループ、ソロ問わず新譜が出た際はラジオ番組でかけたりもしている。

桑田佳祐がお笑いが好きだという事も高じ、サザンの20周年記念のテレビ特番『バカ騒ぎの腰つき』(TBSテレビ)や、20周年ライブ『スーパーライブ in 渚園 "モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜"』にゲスト出演を果たし交流を深めた。また、アクト・アゲインスト・エイズイベント「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」「平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦」では「特別審査員」としてVTR出演し、漫才を披露している。

太田はラジオ共演がきっかけで桑田とメールで親交を持つようになり、太田が出演した番組を見た感想や、サザンの活動に関する事まで送られてくるという[61]

1998年にサザンが発売した13枚目のアルバム『さくら』の5曲目に収録されている「爆笑アイランド」の「爆笑」は爆笑問題から取っている。歌詞は当時の社会問題などについて歌われており、時事ネタを得意としている爆笑問題の漫才を彷彿とさせる内容となっている。

渡辺正行[編集]

爆笑問題が結成間もない頃、“関東のお笑い登竜門”とも言われている、渡辺正行主催の「ラ・ママ新人コント大会」に初出演したネタが大ウケして、その場で太田プロにスカウトされ、ライブ内で話題となった。渡辺は後にインタビューで「この瞬間に立ち会えたのは幸福なこと」と語っている。

結成当時から行っていた「いじめ」などの差別ネタや毒舌ネタなどが「テレビ向きではない」などと言われ出した際、渡辺は「今はテレビに出るよりも面白いと思えるものをやった方がいい」と擁護した。

その後、渡辺は『爆笑大問題』シリーズ札幌テレビ)にレギュラー出演し、番組が終了した現在でも爆笑問題の番組に度々共演する機会がある。雑誌の連載では、「師匠と呼べる存在」と崇めている。

ダウンタウン[編集]

ダウンタウンとは、1994年に太田が男性向け情報誌『ホットドッグ・プレス』(講談社)での連載『「爆笑問題」の良識破壊宣言!?』内で松本人志のファッションセンスを酷評したこと[62]で、松本側から抗議を受けた事により[注釈 5]1990年代半ばごろから度々ネット上などで不仲説が取り沙汰されており、この2組が番組で共演する事も無ければお互いの事を番組などで話す事も無く、2012年のいいともメインの『27時間テレビ』(フジテレビ系)でも爆笑問題の日曜サンデーの生放送時間帯にダウンタウンが出演したため共演することはなかった[63]

2014年3月31日に放送された『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、同じくダウンタウンとの不仲が噂されていたとんねるずと共に共演を果たした。とんねるずと共にダウンタウンと共演する予定ではなかったが、とんねるず・石橋貴明木梨憲武と爆笑問題を誘って乱入し、松本が「ネットが荒れる」などと冗談交じりに述べた。その後は、2016年11月10日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)において、太田の妻・光代がゲスト出演し、ダウンタウンとトークを交わしたほか[64][65]、田中の妻である山口もえが『ダウンタウンDX』や『ダウンタウンなう』に出演し、夫婦エピソードを語る[66]など直接的な共演こそないものの、お互いの認識や関係性はいいともグランドフィナーレで共演した2014年以前と比べ改善されつつある。

2021年8月28日にはいいともグランドフィナーレに出演していた松本、中居正広ナインティナインがメイン司会を務める『FNSラフ&ミュージック〜歌と笑いの祭典〜』(フジテレビ系)にて漫才を披露、その後トークパートで約7年5ヶ月ぶりに松本と共演した。漫才内では太田が「松ちゃん見てる?」や「明日はワイドナショー(松本がコメンテーターとして出演、実際にはラフ&ミュージックの特別編の放送のため休止。)ではなくサンデージャポンを見てください。」「ガキの使いじゃあらへんで〜」「太田動きます。」(2019年、お笑い芸人による闇営業問題の際に松本がツイートした「松本動きます」のパロディ)など松本に絡めたネタを言って田中に突っ込まれていた。

2022年1月30日放送の『ガキの使いやあらへんで!』では、前述した不仲説のきっかけとなった件について、松本が番組内でネタにする場面があった[67]。同年9月10日には、前年同様に松本、中居、ナインティナインがメイン司会の『FNSラフ&ミュージック2022〜歌と笑いの祭典〜』に出演して漫才を披露した。2年連続の共演となったトークパートでは、松本が太田に対して「M-1の審査員やれへんの?」と問いかけ、太田が辞退するといったやり取りも見せた[68]。また、ダウンタウンが総合司会を務める同年10月8日放送のお笑いの日ザ・ベストワンに出演したがキングオブコント直前で、ダウンタウンとの共演はなかったが浜田雅功が映った際に太田が「小川菜摘の旦那」と口にしたがスルーされていた。

ビッグ3との関係[編集]

タモリ[編集]

タモリとはまだ無名だった頃にも共演しており、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)『タモリのSUPERボキャブラ天国』(フジテレビ系)の出演で世間に知られるようになった。以前に『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)の中で、自分たちの実力が一番発揮できる番組として『タモリ倶楽部』を挙げていた。

たけし・さんまの有名人の集まる店』(フジテレビ系)出演時に太田は、同じくBIG3であるビートたけし明石家さんまに、トークではタモリに憧れを持っている、という発言をしている。

太田は『A-Studio』(TBSテレビ系)出演時には、普段大人しいタモリが自分のギャグで笑うのが嬉しいという趣旨の発言もしている。

1997年ごろからブレイクするようになり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の出演もこの頃から多くなった。その後、2000年4月から水曜レギュラーとして正式に加入するようになった。

水曜レギュラー陣のリーダーで、『笑っていいとも!』のコンビとしての最年長レギュラーであり記録更新中だったが、2012年4月のレギュラー陣の変動で田中が月曜日に移動、レギュラー13年目にして初の分離出演となった。

ビートたけし[編集]

太田はビートたけしの影響を強く受けており、「たけしさんが出てきた時から、本音を言うことがいかに面白いかを知った」と『たけしの日本教育白書』(フジテレビ)で語っている。太田が「コメディ映画を撮りたい」とたけしに相談した際、「映画を作るなら初めに当てろ」「コメディ作るなら金をかけろ」と言われた[69]。 たけしは、爆笑問題結成当初の頃にたまたまコントを見たことがあり、「こいつらは面白いと思った」「ネタの切り口がツービートと似ていた」と語っている。爆笑問題が『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)でたけしの前で、直接漫才を披露した際には、「好きだな。自分と感覚が似ている」と評した。

2016年2月12日に開催したタイタン主催のライブ「TITAN LIVE 20YEARS anniversary」にビートたけしがトリで出演し、落語『人情八百屋』を披露した[70]。同ライブには太田の誘いで桑田佳祐原由子夫妻も客席で観覧しており、終演後桑田は「本当に素晴らしかったです。たけしさんが出てきたときには、神々しくて。から涙ぐみました」といったメールを太田に送っている[71]

その一方で、たけしの弟子である浅草キッドとは仲が悪く、特に太田と水道橋博士は犬猿の仲として知られていた。原因としてデビュー2年目の時期に『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)に代理出演した際に太田が本人曰く「たけしイズム」を出そうとして発した「ビートたけしは死にました」「ざまぁーみろ浅草キッド」[72]等のボケ発言や、この時の挑発に乗り水道橋博士が生放送中のスタジオに乱入したことが発端だという[72]。なお、東国原英夫はこのボケ発言を聞いて爆笑問題を絶賛している[73]。上記の通り、ハギワラマサヒト(当時キリングセンス)が肝硬変で入院していた際、病院で爆笑とキッドが鉢合わせ(この時期、キッドもハギワラの入院生活をサポートしていた)してしまい、ハギワラが寝ている病室で太田と博士が取っ組み合いの喧嘩を始め、病気で苦しんでいるはずのハギワラがギャグでその場を取りなそうとしたこともあった。その後、ハギワラの妻が一席を設けて、2人を一緒に酒を飲みに行き仲直りした[74]。ただしサブカルチャー系雑誌『Quick Japan』76号(太田出版)に収録された、フリーライターの吉田豪による「爆笑問題ロングインタビュー」によると、活動初期は別として、後の「抗争」はお笑い芸人的な予定調和を崩すための「ネタ」であり、実際は不仲ではないと語っている。

太田は玉袋筋太郎とはお互いの著書を交換してはラジオで評価しており、水道橋博士とは手紙で連絡を取っている[75]

明石家さんま[編集]

明石家さんまは、爆笑問題が太田プロ所属の頃から高く評価しており、初共演した1990年ごろの『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)で2人のネタを絶賛、「爆笑問題の時代になる」と確信していた(『さんまのまんま』(フジテレビ系)にて)。一方、2人も学生時代から『明石家さんまのオールナイトニッポン』ファンであったと話しており、『ビートたけしのオールナイトニッポン』と共に「木曜日が楽しみだった」と語っている。

さんま自身がめったに他人の番組のゲスト出演をしないため、『爆笑問題カーボーイ』にゲスト出演したことは異例とされていた。また2014年1月12日『爆笑問題の日曜サンデー』でも300回記念ゲストとして14年ぶりに共演した。さんまが爆笑問題と共演すると、必ずと言っていいほど「田中の身長」をネタにしたり、2人が独立して苦労した頃の話をしたりする。特に、独立して苦労した話に関しては、当時のさんまもかなり心配していた模様で、爆笑問題が再び売れ始めた1998年ごろには積極的に自らの番組に出演させるなど、一役買っている。また、『たけし・さんまの有名人の集まる店』(フジテレビ系)では、お笑いコンビとしては唯一ゲストとして出演をさせ、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジテレビ系)では、初めてスタジオに直接出演させるなど優遇している。

爆笑問題は、さんまがレギュラー時代であった金曜日の『笑っていいとも!』にも数回出演していたことがある[76]。2人は他事務所の人間であることもあり、太田はさんまを時々「あんた」と呼ぶことがある。

プライベートでは太田がさんまの楽屋を訪れ、光代の「酒癖の悪さ」を愚痴る関係で、共演時にはさんまがそのことをネタにしている。また、爆笑問題が独立時に干されていたこともネタにしている数少ない人物。

出演[編集]

コンビでの出演のみ。個別の出演は田中裕二#出演太田光#出演を参照のこと。

現在[編集]

テレビ[編集]

  • サンデージャポン(2001年10月7日 - 、TBS) - 総合司会[77]
  • Eテレ2355(2011年4月 - 、NHK Eテレ) - 「夜ふかしワークショップ」で田中が出演、太田がナレーションを担当
  • Eテレ0655(2011年6月20日 - 、NHK Eテレ) - 毎週月曜のコーナー「たなくじ」で田中が出演、太田がナレーションを担当
特番[編集]
MCもしくはメインキャスト
その他

ラジオ[編集]

ネット番組[編集]

過去[編集]

テレビ[編集]

特番[編集]

ラジオ[編集]

ドラマ[編集]

  • 手塚×石ノ森 ニッポンマンガ創世記(NHK BSプレミアム) - 手塚役:太田、石ノ森役:田中
    • 第一夜 ドキュメンタリードラマ 手塚治虫編「神様 最後の一日」(2013年7月6日)
    • 第二夜 ドキュメンタリードラマ 石ノ森章太郎編 「神様への鎮魂歌」(2013年7月13日)

映画[編集]

アニメ映画[編集]

ゲーム[編集]

  • TIZ -Tokyo Insect Zoo-(1995年) - ザッカ役:太田・カミキリ役:田中(声の出演)
  • ワリオの森爆笑版(サテラビューで配信されたオリジナルゲーム)
  • お笑い神経衰弱 爆笑!人間トランプ - TBSラジオ主催「赤坂お笑いDOJO」が50回記念のWindows専用のゲーム
  • クイズ雑学王DS(株式会社カムイより2010年2月11日発売) - 司会(声の出演)

CM[編集]

CD[編集]

  • 爆笑問題のハッピー・タイム歳事記(アルバム、SPEビジュアルワークス
  • スーファミショー歌(シングル、セント・ギガ) 非売品。放課後の王様の企画で100枚限定で製作され、聴取者にプレゼントされた。

※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。

ビデオ・DVD[編集]

  • 2006 上半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2006年7月28日)
  • 2006 下半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2007年1月31日)
  • 2006 漫才『爆笑問題のツーショット』完全版(2枚組)(2007年1月31日)
  • 2007上半期 漫才 『爆笑問題のツーショット』 Maniac Edition(2枚組)(2007年7月27日)
  • 2007上半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2007年7月27日)
  • 2007下半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2008年1月31日)
  • 2007 漫才 『爆笑問題のツーショット』 完全版(2枚組)(2008年1月31日)
  • 2008漫才 『爆笑問題のツーショット 』通常版(2008年10月31日)
  • 2008漫才 『爆笑問題のツーショット 』20周年記念エディション(2枚組)(2008年10月31日)
  • 2010年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット 』~2009年総決算~(2010年1月29日)
  • 2011年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット 』~2010年総決算~(2011年1月26日 )
  • 2012年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット 』~2011年総決算~(2012年1月25日)
  • 2013年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2013年5月22日)
  • 2014年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2014年6月4日 )
  • 2015年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2015年6月3日)
  • 2016年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2016年6月29日)
  • 2017年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2017年6月21日)
  • 『爆笑問題のツーショット 2018 結成30周年記念Edition ~爆笑問題が選ぶBest Selection~』(2018年12月19日)
  • 2019年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2019年6月26日)
  • 2020年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2020年12月2日)
  • 爆笑問題×東大 東大の教養(2007年4月25日)
  • 爆笑問題のニッポンの教養スペシャル 爆笑問題×慶應義塾 2030の衝撃(2008年4月23日)
  • 爆笑問題のニッポンの教養 DVD-BOX(5枚組)(2008年10月31日)
    • 爆笑問題のニッポンの教養vol.1
    • 爆笑問題のニッポンの教養vol.2
    • 爆笑問題のニッポンの教養vol.3
    • 爆笑問題のニッポンの教養vol.4
    • 爆笑問題のニッポンの教養vol.5
  • 爆笑問題のハッピー・タイム(SPEビジュアルワークス)
  • 大爆笑問題(ポリグラム
  • 爆笑問題のウマでもわかる競馬基礎講座(フジテレビ映像企画部/FCC・販売元:ポニーキャニオン
  • new treasureship(日本ビクター・販売元:ビクターエンタテインメント
  • 七福人(日本ビクター・販売元:ビクターエンタテインメント)
  • 爆笑問題のススメ(バップ
  • 中学王 (進研ゼミ受講者に付録として配布されたビデオ)
  • 佐川君の一週間 ※佐川一政との共演 (ビデオ安売王

※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。

出版[編集]

雑誌連載[編集]

  • テレビブロス「天下御免の向こう見ず」 - 太田の小説と田中の紙粘土工作で、世相を表現する内容。なお、太田は連載当初は小説ではなく時事問題に対する自らの意見を掲載していた。
  • 週刊プレイボーイ「爆笑問題の世紀末ジグソーパズル」→「爆笑問題の太田の本音 田中の弱音」→「爆笑問題の笑えるニュース解説」
  • 宝島30WIREDサイゾーWiLLHanada「爆笑問題の日本原論」 - 漫才調で書かれている。『Will』→『Hanada』は保守論壇雑誌であるが、前述のとおり「あくまでネタであり政治主張をしているわけではない」のと「連載自体が転々としているのでどの雑誌でもいい」という理由で連載をしており、町山智浩から「場違いという意識はあるか」と聞かれたが、それについても「ない」と答えており、掲載誌を読むこともせず「もともと自分の文章も読み返したくない」とも述べている[21]。なお、『WILL』→『Hanada』の編集長の花田紀凱は、かねてからお笑い芸人としての爆笑問題を絶賛しており、2002年には「爆笑問題にはぼくが雑誌をやり続けている限り、登場してほしい」といった発言をしている[81]
  • ダ・ヴィンチ「爆笑問題の日本史原論」

書籍[編集]

歴史時事問題などについて漫才形式で書かれているもの(「日本原論」シリーズなど)が多い。しかし、太田によれば「爆笑問題」名義で作中でも田中が登場するにもかかわらず、太田が1人で執筆することが殆どで田中は作業には参加していない。田中は「名前貸しみたいなもんです」と話している。また、原稿料は田中にも配分されている。また日本原論内でもこの事に言及することがあり、特に太田が田中のセリフを勝手に本人の主張と違うものにする事が多く、その時はすぐに訂正のツッコミが入るのが恒例。

日本原論シリーズ
  1. 『爆笑問題の日本原論』宝島社(1997年2月)
  2. 『爆笑問題の日本原論2000』メディアワークス(1999年12月)
  3. 『爆笑問題の日本原論 2』幻冬舎文庫(2002年12月)
  4. 『爆笑問題の日本原論世界激動編』幻冬舎(2002年5月)
  5. 『こんな世界に誰がした』幻冬舎(2004年1月)
  6. 『偽装狂時代 爆笑問題の日本原論5』幻冬舎(2006年5月)
  7. 『大恐慌時代 爆笑問題の日本原論6』幻冬舎(2009年9月)
  8. 『爆笑問題の日本原論 自由にものが言える時代、言えない時代』太田出版(2015年4月 町山智浩との共著)
  9. 『時事漫才 爆笑問題の日本原論』太田出版(2018年9月、爆笑問題コンビ30周年記念特別刊行[82]
日本史原論シリーズ
  1. 『爆笑問題の日本史原論』メディアワークス(2000年8月)
  2. 『爆笑問題の日本史原論 偉人編』メディアワークス(2001年8月)
  3. 『爆笑問題の日本史原論グレート』幻冬舎(2002年8月)
  4. 『昭和は遠くになりにけり』幻冬舎(2003年7月)
  5. 『日本史が人物12人でわかる本』幻冬舎(2004年7月)
  6. 『ニッポンの犯罪12選』幻冬舎(2005年7月)
  7. 『爆笑問題の戦争論』幻冬舎(2006年8月)
  8. 『日と米』幻冬舎(2007年9月)
  9. 『日本文学者変態論』幻冬舎(2009年3月)
  10. 『爆笑問題の太閤記幻冬舎(2010年9月)
  11. 『爆笑問題の忠臣蔵幻冬舎(2011年12月)
  12. 黒田官兵衛はなぜ天下を取らなかったのか?』幻冬舎(2014年3月)
爆笑問題のきょうのジョー(漫画・西本英雄
  1. 『爆笑問題のきょうのジョー 1』(共著)講談社(2001年7月)
  2. 『爆笑問題のきょうのジョー 2』(共著)講談社(2001年9月)
  3. 『爆笑問題のきょうのジョー 3』(共著)講談社(2001年11月)
  4. 『爆笑問題のきょうのジョー 4』(共著)講談社(2002年5月)
世紀末ジグソーパズルシリーズ
  1. 『爆笑問題の世紀末ジグソーパズル』集英社(1999年12月)
  2. 『爆笑問題時事少年』集英社(2001年4月)
  3. 『爆笑問題の今を生きる!』集英社(2003年4月)
  4. 『爆笑問題のそんなことまで聞いてない』集英社(2004年4月)
  5. 『爆笑問題のふざけんな、俺たち!』集英社(2005年4月)
  6. 『風説のルール』集英社(2006年4月)
  7. 『爆笑問題の清き一票を田中に!』集英社(2007年5月)
  8. 『爆笑問題の(笑)』集英社(2008年5月)
天下御免の向こう見ずシリーズ
爆笑問題カーボーイシリーズ(『カーボーイ』のコーナーを書籍化したもの)
その他
  • ファミスタ64公認ガイドブック』小学館(1998年1月)※インタビューに登場。太田・田中が(編集部のほうで)作成したオリジナルチームで試合が行われた。
  • 『爆笑問題のピープル』幻冬舎(1998年6月)
  • 『爆笑大問題』講談社(1999年1月)
  • 『超爆笑大問題』講談社(2000年2月)
  • 『爆笑問題の死のサイズ 新聞の死亡記事で読み解く、20世紀人物列伝』扶桑社(2000年6月)
    • 『爆笑問題の死のサイズ 上・下』扶桑社文庫(2002年7月)
  • 『対談の七人』新潮社(2000年12月)
  • 『爆笑問題・パックンの英語原論』(共著)メディアワークス(2001年8月)
  • 『爆笑問題のザ・コラム』講談社(2001年11月)
  • 『バクマン!』(共著)幻冬舎(2002年5月)
  • 『爆笑問題・パックンのニュースで英語を学ぶ本』(共著)幻冬舎(2002年11月)
  • 『爆笑新聞』角川書店(2002年12月)
  • 『爆笑問題の「文学のススメ」』新潮社(2003年10月)
  • 『爆笑問題が読む龍馬からの手紙』情報センター出版局(2005年8月)
  • 『だから言わんこっちゃない 崖っぷち会社信徒逆襲の手引き』小学館 (2008年12月)

LINEスタンプ[編集]

  • おしゃべり爆笑問題(2015年、タイタン) - 音声付きのLINEスタンプ。イラストはおおひなたごう
  • 爆笑問題 しゃべるスタンプ(2018年、タイタン)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 水着でKISS ME』はスパイシーフルーツの親会社であるウッドオフィスが制作に関わっていた。
  2. ^ 太田光代はいつか爆笑問題が謝罪し太田プロに戻るタイミングがくると思い、あえて事務所に残る決断をし、数年後実際に爆笑問題は無所属ながらネタ番組で活躍したことにより太田プロも復帰を認めたが、太田光代によると太田光は「(事務所を)一度裏切ったその人をまず信用できるかどうかっていうことがあると。自分で自分のことを言ってるんですよ」と復帰を拒否。それによって、太田光代はタイタンを設立して独立した[7]
  3. ^ 太田は埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身。
  4. ^ 田中は東京都杉並区出身。
  5. ^ もっともこのことについては太田本人も「私が全部悪いんです」と自身の非を全面的に認める発言を後年にしている[63]

出典[編集]

  1. ^ a b 【太田光 しごとのはなし】第19回「リーダーのはなし」 - ぴあ映画生活 7頁
  2. ^ age28 タイタン 太田 光代 |女性の転職・求人情報 ウーマン・キャリアDOGA
  3. ^ 若手のホープだった爆笑問題 業界から「完全に干された」過去 ライブドアニュース
  4. ^ 【聖地巡礼】将門首塚(上)都心に今も生きる伝説 - MSN産経ニュース 2008.1.31。
  5. ^ 【エンタがビタミン♪】爆笑問題、SMAP解散騒動「芸能人は会社側とビジネス交渉が苦手」
  6. ^ 爆笑問題の太田光、NHKと芸能界のパワーバランス暴露「事務所の圧力関係ない」”. リアルライブ (2016年10月19日). 2021年3月13日閲覧。
  7. ^ 爆笑問題の事務所独立裏側 和解成立も「太田プロに帰れない」と太田光が語った理由 光代氏が明かすスポニチ Sponichi Annex
  8. ^ 【太田上田#160】コントライブについて語りましたYoutube 2020年6月27日配信 2021年2月27日閲覧。
  9. ^ 爆笑問題30周年単独ライブはオールコント!爆チューも踊った「また30年後に」」『お笑いナタリー』。2018年9月14日閲覧。
  10. ^ a b c 第2回 日藝賞”. 日本大学芸術学部. 2023年7月3日閲覧。
  11. ^ 発表!!第57回ギャラクシー賞 各部門入賞作品、個人賞、特別賞、フロンティア賞、DJパーソナリティ賞、志賀信夫賞、マイベストTV賞グランプリ』(プレスリリース)NPO放送批評懇談会、2020年6月1日。 オリジナルの2020年6月11日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200611104725/https://houkon.jp/wp/wp-content/uploads/2020/06/press_release57_2.pdf2020年6月8日閲覧 
  12. ^ 爆笑問題、ラジオ愛実らせ『第57回ギャラクシー賞』ラジオ部門DJパーソナリティー賞”. ORICON NEWS (2020年6月1日). 2020年6月1日閲覧。
  13. ^ 爆笑問題・太田光、ギャラクシー賞に喜び 「令和のタモリ」田中裕二は江藤愛アナへのやさしさも”. ORICON NEWS (2020年6月7日). 2020年6月8日閲覧。
  14. ^ 爆笑問題が、第57回ギャラクシー賞 ラジオ部門「DJパーソナリティ賞」を受賞!”. TITAN (2020年6月1日). 2020年6月14日閲覧。
  15. ^ 爆笑問題のギャラクシー賞コメントに“地方ラジオ”パーソナリティーが反応 「自分もうれしい」”. ORICON NEWS (2020年7月3日). 2020年7月4日閲覧。
  16. ^ 週刊文春「家の履歴書」より。[要文献特定詳細情報]
  17. ^ 朝日新聞神奈川版 2023年1月1日号 27面
  18. ^ 『爆笑問題のきょうのジョー』『爆笑問題の世紀末ジグソーパズル』など。
  19. ^ “爆笑問題 元マネージャーが覚せい剤で逮捕!(芸能)”. 女性自身. (2014年6月24日). https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1610671/ 
  20. ^ 1997年3月7日放送『金曜UP’Sスペシャルスプリング』
  21. ^ a b 爆笑問題・町山 2015, p. 6.
  22. ^ 爆笑問題、2人とも免許なし 社長が禁止「リスクしかない」マイナビニュース 2020年11月1日配信 2020年12月7日閲覧
  23. ^ a b c 爆笑問題が「免許を持たない」からこそ回避できた“2大リスク”とは アサジョ 2020年11月8日配信 2021年10月6日閲覧
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  25. ^ 転倒の爆笑問題太田、大学生時代にも死にかけていた? (2019年4月7日)”. エキサイトニュース. 2020年3月20日閲覧。
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  27. ^ エレカシ・宮本×爆笑問題・太田の対談を観た。ふたりの共通点と揺るぎない哲学とは?rokin’on com.
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  30. ^ a b 『爆笑問題のツーショット』に見る、太田光の"3種類のボケ"とは? (1/3ページ) エキサイトニュース
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  32. ^ 爆笑問題の田中裕二 安倍政権をネタにすると「反日」扱いされることに不満 ライブドアニュース
  33. ^ 森友、加計…爆笑問題が“お騒がせ”出来事ぶった切る! 最新DVDで80分超のノンストップ漫才披露zakzak
  34. ^ M-1旋風を起こしたタイタン“太田光イズム”とは。所属6組中、2組が決勝 - 日刊SPA!・2023年1月7日
  35. ^ 爆笑問題・町山 2015, p. 2.
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  37. ^ 『爆笑問題時事少年』集英社(2001年4月、P196)
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  45. ^ 新発売『アサヒ カクテルパートナー』新シリーズ「アイスカクテル」新TVCMのナレーションに爆笑問題のお二人を起用~3月4日(土)より全国で放映開始~アサヒ飲料 2006年3月2日配信 2020年12月7日閲覧
  46. ^ 爆問・田中「意外にアイツのこと好きなのよ」に相方・太田が照れ笑いスポニチアネックス 2022年3月27日配信 2023年11月19日閲覧。
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  48. ^ 爆笑問題・太田光は熱い男だった 芸人仲間を助けるために奔走した過去エキサイトニュース 2017年10月7日配信 2023年6月2日閲覧。
  49. ^ 爆笑問題 巨泉さんとの“けんか”に感慨深げ「寂しいですね」
  50. ^ 爆笑問題が主演するはずだった園子温監督作 代役は星野源 (2017年4月5日掲載)”. ライブドアニュース. 2019年8月19日閲覧。
  51. ^ 爆問の首相主催の花見会出席で批判 光代社長が反論 - 日刊スポーツ 2015年4月
  52. ^ 爆笑問題が大阪府に1000万円寄付 御堂筋イルミネーションで - MSN産経ニュース 2009.5.14
  53. ^ 橋下氏 爆問・太田のイジリに反応デイリースポーツ
  54. ^ 爆笑問題に厚い信頼を寄せるSMAP 中居が「爆笑さんしかいない」と田中に感謝する ライブドアニュース
  55. ^ 太田光、SMAPへ「デリケートだから心配」 今後の活動への心配も,デイリースポーツ
  56. ^ 太田光、SMAPに「友達同士、仲直りしてほしい」,ライブドアニュース
  57. ^ 田中裕二が中居正広の球場での奮闘ぶり語る「取材とかをこまめにやってる」 ライブドアニュース
  58. ^ 太田光 木村拓哉が主演ドラマの共演者への影響を指摘「気合の入り方が違う」ライブドアニュース
  59. ^ 萩本欽一と香取慎吾が「欽ドン!」再現、爆笑太田は香取と爆チュー問題グノシー
  60. ^ 桑田佳祐、爆笑・太田からの「熱いメール」に感動エキサイトニュース
  61. ^ 上野公園 不忍池編5 中京テレビ
  62. ^ 『ホットドッグ・プレス』1994年7月25日号
  63. ^ a b 爆問・太田、生放送で松本人志「大っ嫌い」発言の真意を語る…本当に嫌いなのは「恵です」
  64. ^ 日刊スポーツ - ダウンタウンと太田光代氏、太田光話題に盛り上がる(2016年11月11日の記事)
  65. ^ ライブドアニュース - ダウンタウン松本人志 爆笑問題の太田光について妻の太田光代氏に質問(2016年11月11日の記事)
  66. ^ 松本人志が山口もえを介して田中裕二イジる「彼だいぶ小さいでしょ」
  67. ^ ダウンタウン松本人志「全身アディダス土下座強要事件」イジり解禁!爆笑問題・太田光も「松本さんが…」言及で「28年の共演NG因縁」“完全雪解け”へ!!(2022年2月1日の記事)
  68. ^ 松本人志「やれへんの?」爆問太田光に「M-1」審査員公開ラブコール ネット激熱「歴史的場面」(2022年9月11日の記事)
  69. ^ 伊集院光 日曜日の秘密基地』より
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  71. ^ 太田光が桑田佳祐からのメールに驚き「偽ベッキーを連れて行きます」,ライブドアニュース , 2016年2月17日
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  73. ^ 『JUNK座談会スペシャル2008』
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  80. ^ 爆笑問題 - オリコンCM出演情報
  81. ^ 『爆笑問題とウルトラ7』(新潮社文庫) P254 – 261。
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参考文献[編集]

  • 爆笑問題、町山智浩『自由にものが言える時代、言えない時代』太田出版、2015年4月。ISBN 9784778314408 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]