花田紀凱

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花田 紀凱(はなだ かずよし、1942年9月13日 - )は、日本雑誌編集者ワック・マガジンズ取締役、月刊『WiLL』編集長。東京都出身。

目次

[編集] 経歴

[編集] 人物

[編集] 文藝春秋社員編集者時代

1988年株式会社文藝春秋発行の週刊誌週刊文春』の編集長に就任後、週刊誌売上トップへと育て上げ、積極的なテレビ出演で顔と名前が広く知られるようになる。コラムニストの勝谷誠彦は文藝春秋時代の部下であり、勝谷が取材した女子高生コンクリート詰め殺人事件では、編集長として加害少年の実名報道にゴーサインを出した。

1994年マルコポーロ』編集長に異動。1995年2月号において、ホロコースト否定説を掲載し、ナチス戦争犯罪追求団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)から抗議を受け、同誌は廃刊(マルコポーロ事件)、花田自身も編集長を解任され、文藝春秋を退社した。

[編集] 文藝春秋退社後

その後、UNOや編集会議など数々の雑誌で編集長を務めたが長続きせず、いずれも部数を伸ばすことが出来ずに廃刊となった。花田自身が唯一活路を見いだしたのは「朝日新聞批判」のみで、『週刊文春』や『WiLL』などの右翼雑誌でしか部数を伸ばすことができないことが明らかになっている。

相次いで雑誌を休刊させてたことを西原理恵子に揶揄されて「雑誌クラッシャー」と呼ばれることもある。 雑誌以外にも活動の場を持ち、テレビラジオコメンテーターもつとめている。『噂の眞相』の元編集長岡留安則と親交があり、花田が『TVウワサの眞相』に出演したり、岡留が『WiLL』に連載を持つこともあった。

また、産経新聞に「週刊誌ウォッチング」の連載をするなど、週刊誌報道のご意見番となり、「最近の週刊誌はネットで資料集めをして取材もせずに書いているというのが読んでミエミエ。それをまたデスクが見抜けない」と苦言を呈していた[1]。ところが、自ら編集長を務める『WiLL』(2006年5月号)に、社民党(旧社会党)元党首の土井たか子を「本名『李高順』、半島出身とされる」と記述し、慰謝料1000万円と謝罪広告の請求訴訟を起こされる。2008年11月13日、神戸地裁尼崎支部は「明らかな虚偽」として『WiLL』に200万円の賠償を命じた[2]。この記事は、著者の花岡信昭がネット情報を鵜呑みにして記述したもので、著者、編集者ともに何らの確認取材をしなかったこと、花田自身にもチェック能力がなかったことが明らかになった。

2007年、アメリカ合衆国下院121号決議がなされたとき、「慰安婦問題などなく、売春組織と売春婦が存在しただけ」というチャンネル桜主導の抗議書の賛同者として、右翼団体構成員らと名前を連ねた。

[編集] 著書

[編集] 出演番組

[編集] 不定期


[編集] 脚注

  1. ^ 『噂の真相』2002年4月号
  2. ^ 土井前社民党首:WiLLに勝訴 神戸地裁支部判決(毎日新聞 2008年11月13日)

[編集] 関連項目