太田光

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太田 光
本名 太田 光
生年月日 1965年5月13日(49歳)
出身地 日本の旗 日本埼玉県上福岡市(現ふじみ野市
血液型
身長 170cm
方言 なし(共通語
最終学歴 日本大学芸術学部演劇学科中退
出身 太田プロスカウト
コンビ名 爆笑問題
相方 田中裕二
芸風 漫才コント(ボケ)など
立ち位置
事務所 タイタン
活動時期 1988年 -
同期 浅草キッド
他の活動 司会者 文筆家
配偶者 太田光代
親族 太田三郎
受賞歴
1993年日本映画プロフェッショナル大賞新人奨励賞受賞
2006年 芸術選奨文部科学大臣賞

太田 光(おおた ひかり、1965年5月13日 - )は、日本のお笑いタレント漫才師文筆家である。

田中裕二との漫才コンビ爆笑問題ボケならびにネタ作成を担当し、文化人的な発言でも注目されている[1]埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)出身。タイタン所属。

経歴[編集]

1965年5月13日、太田三郎を父として埼玉県上福岡市で誕生。父親の三郎は建築士で、書道も嗜んでおり文学お笑いにも興味を持っていた人である。[2] 「光」と命名したのは父三郎で、正しい「right」と明るい「light」という意味を掛けて「ライト」と名付けたかったが、漫才師のコロムビア・トップ・ライトと同じになるのでそれは避けて「光」としたといい、光り輝くように、という意味も込めたという[3]。母親は女優志望で、俳優養成所に所属していた事があり、光は幼少時より母に連れられて舞台を観にいっていた。[注 1] 光に兄弟はおらず、一人っ子である。

1972年 上福岡市立第二小学校(現 ふじみ野市立上野台小学校)入学し、1975年に上福岡市立第六小学校へ転入、1978年3月同校卒業。同年4月上福岡市立第二中学校(現:ふじみ野市立葦原中学校)入学、1981年3月同校卒業。同年大東文化大学第一高等学校入学、1984年3月同校卒業。[注 2] 。同年4月日本大学藝術学部入学、1986年に中退(退学届を出していないため、その後に除籍扱い)。

日本大学芸術学部(日芸)演劇学科で田中裕二と知り合う。二人で1988年3月に爆笑問題を結成し現在に至る。  →爆笑問題#過去の出演番組#出演番組

芸風[編集]

独特の語り口・ものごとの捉え方・間合いなどに特徴がある。

人物[編集]

読書愛好、文学愛好
映画、アニメ、ゲーム
政治・思想について

自らの番組、エッセイ等で政治的信条を語ることがある。共著『憲法九条を世界遺産に』に書かれているように、思想的には左派寄りであるといわれることが多いが、本人は右派でも左派でもない中道と主張している[5]。自らと考えが異なる雑誌『WiLL』でコラムを連載していたり、立川談志や三島由紀夫を評価し尊敬していたように保守的姿勢の者に対しても議論さえしなければ許容している。日本国憲法第9条を含め、護憲に対して肯定的である太田は「社会問題をお笑いのネタとして扱っているだけで、何らかの政治的なメッセージを送っているつもりはない」と繰り返し述べている[6]

好きな人、交友関係、不仲の人など
飲食物の好き嫌い
プライベート

エピソード[編集]

  • 尊敬する落語家立川談志から「(相方の)田中だけは切るなよ」「別れなさんな(コンビを解消するな)」と忠告された[13]
  • “『爆笑問題カーボーイ』で反日発言”と2ちゃんねるでデマを流され、真に受けた右翼若島和美らに事務所へ押しかけられた。( → 2ちゃんねるの歴史
  • オリジナルの一発ギャグはもっていなかったが、2005年には、(中指と人差し指を額につけ、相手に向けて)「ピップ」というギャグを推し、『爆笑問題カーボーイ』でも「私もピップやってみました」というコーナーをつくって、リスナーに流行させようとした。太田はこのギャグで新語・流行語大賞を狙っているとしたが、入賞はおろかノミネートすらされなかった。その後も流行語大賞を狙うとして、(映画『アバター』がヒットした頃に)「アーバター!」、(「プレイ」からの変化で)「プーライ!」、(驚いた時に)「ションベンちびるかと思った!」など思いつきのフレーズを乱発している。
  • 田中編と太田編で特集された『情熱大陸』(MBSテレビ・TBS系、2010年5月16日5月23日)では田中編の方が視聴率が高く、「ショック隠しきれないですから」と発言した[15][16]

出演番組[編集]

コンビでの出演は、爆笑問題#現在の出演番組爆笑問題#過去の出演番組を参照のこと。

現在の出演番組[編集]

  • 太田と上田 能天気な人生論(2014年5月20日 - 、BeeTV

過去の出演番組[編集]

バラエティ・情報番組[編集]

ゲスト出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • 知るを楽しむ・私のこだわり人物伝「向田邦子・女と男の情景」(2005年6月、NHK教育)
  • ラストデイズ「忌野清志郎×太田光」(2014年5月2日、NHK総合)

ゲーム[編集]

海外アニメ[編集]

人形劇[編集]

ラジオ[編集]

DVD[編集]

  • 笑う超人 立川談志×太田光(2007年)※企画・演出・出演

CM[編集]

監督作品[編集]

著書[編集]

爆笑問題名義の著書は爆笑問題#出版を参照のこと。なお、爆笑問題名義でも多くは太田1人で執筆している(原稿料・印税は田中にも配分されている)。

共著[編集]

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音楽[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 母親は永井一郎と同じ養成所に属していたことがあったので、永井の舞台を観に行っていた。なお、永井が爆笑問題のラジオにゲスト出演するまで、光と顔を合わせた事はなかった。
  2. ^ 高校時代は友達が一人もいなかったが、学校を休まず皆勤賞を取った。休み時間は、図書室に入り浸り、「図書室の不良」を自称していた。修学旅行では約10冊の小説を持参し、1人で全部読みきった。大学に進学すると初対面の学生にもハイテンションに振る舞い、友達を作ろうと必死であった、という。
  3. ^ 平均的だが、田中の身長が154cmと低いため、「爆笑問題の大きい方」とも言われている(出典『爆笑問題太田光自伝』
出典類
  1. ^ 「新潮流 ハトの命脈(上)」 京都新聞、2007年3月27日、滋賀1面。
  2. ^ 父三郎は、東京六本木叙々苑の店舗の設計を手がけ、そこの看板の揮毫も担当した。また父も、光と同様に文学とお笑いに興味を持っていた 太田光 母が語った「主人は最期まで光を気にかけて…」”. 女性自身 (2012年3月27日). 2014年5月14日閲覧。)。
  3. ^ 太田光 母が語った「主人は最期まで光を気にかけて…」”. 女性自身 (2012年3月27日). 2014年5月14日閲覧。
  4. ^ 爆笑問題・太田、"宮崎駿ぎらい&高畑勲びいき"を公言し過激発言連発! - CinemaCafe.net(2014年10月17日)
  5. ^ 実際、少年法の廃止に賛意を示し、少年犯罪に対する実名報道を主張し、山本太郎を批判するなど、左派とは言い切れない側面も見せている。また、民主党政権時には、民主党の政策を「夢のようなこと。本当に出来るのか」と批判するなど、矛盾をしばしば追及していた。
  6. ^ お笑い評論家・ラリー遠田の【この芸人を見よ!】 第7回 爆笑問題・太田光 誤解を恐れない「なんちゃってインテリ」 - 日刊サイゾー 2008年11月
  7. ^ Pushing the Boundaries of Political Satire in Japan - New York Times August 12, 2006
  8. ^ 爆笑問題・太田、ASKA容疑者に「復帰して素晴らしい曲を書く人もいっぱいいるんで」”. ライブドアニュース (2014年5月27日). 2015年1月10日閲覧。
  9. ^ 『しごとの話』
  10. ^ 『櫻井有吉アブナイ夜会』での発言。太田光、森脇健児は「共演NG」番組で自ら暴露”. ORICON STYLE (2014年4月17日). 2014年4月18日閲覧。
  11. ^ 共著『禁煙バトルロワイヤル』
  12. ^ 『爆笑夫婦問題』
  13. ^ 立川談志、太田光、ビートたけし『最後の大独演会』新潮社、2012年。
  14. ^ 2010年の女子中高生ケータイ流行語大賞が決定しました。 - P-NEST リサーチ
  15. ^ 爆笑問題・太田 田中に『情熱大陸』視聴率で負ける - アメーバニュース 2010年5月30日
  16. ^ 田中編は5月16日に、太田編は5月23日にそれぞれ放送された。
  17. ^ 2000年4月から2012年3月までは、田中とともに水曜日に出演していたが、同年4月より田中のみが月曜日へ出演曜日を変更していた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]